ブレスヴォイストレーニング研究所

福島英講演要旨「アーティストは”声”で決まる」

 

 

プロローグ ヴォイストレーニングを始める前に ~レッスンの現場から

 

 

○トレーニングの盲点

○声の力の減衰と歌の凋落

○基本のヴォイストレーニングとは

○素振りの話~声は自明

○声は変わる

○階段の話 ~間違いでなく不慣れなだけのこと

○習慣と環境づくり

○“イメージ言語”と呼吸法1

○“イメージ言語”と呼吸法2

○定義できないことについて、とらわれないこと

○ミックスヴォイスのブーム

○具体的なケース ~セカンドオピニオンとして

○用語に対してのイメージでの解決

○「せりふ」と「歌唱」を両方とも学ぶ

○リラックス、脱力 ~柔軟体操とストレッチ

○体で覚える ~見本の選び方が重要

○大は小を兼ねる☆ ~本当のトレーニングとは

 

 

プロローグ ヴォイストレーニングを始める前に ~レッスンの現場から

 

 

○トレーニングの盲点

 

 最近、私がよく話すことを加えて、アドバイスします。

 ヴォイストレーニングというのは、「トレーニングですから、役立つように、自分を変えるために使えばよい」ものです。つまり、役立たなければ、よい方に変わらないなら使わない方がよいのです。「ヴォイストレーニングをしないと○○になれない」というのではなく、足らない分を補強としてするからトレーニングなのです。

 そこでは、目的やレベルの具体的な設定こそが肝心なことなのですが、声に関することは、とてもあいまいです。そこで、きちんと基準を設定できる力、判断できる力をつけていくのが、トレーニングの目的の一つです。

 

 ヴォイストレーニングが普及したのはよいのですが、「もともとなかった」のですから、それに囚われすぎるのはよくありません。ヴォイストレーニングのなかで、いろんな考え方、方法、メニュがあるのは、よいのですが、それを「間違っている」とか「効果が出ない」などと論じる人まで出てきました。

 なぜ声を出して何かをするというポジティブな分野に、ネガティブに人生の時間を浪費するような考え方、使い方をするのかと思うことがあります。ヴォイストレーニングは、トレーニングです。“効果を上げるために”使ってください。

 

 

○声の力の減衰と歌の凋落

 

 歌も声の使い方の一つですから、その使うレベルが下がれば、業界も凋落していくのはあたりまえです。これまでも、そうして多くの芸は消え、また新しい芸が生まれていったのです。役者も同じで、声の力は、明らかに不足してきています。他に補える要素が大きくなったので目立たないだけです。声優も、ベテラン勢の声に太刀打ちできなくなってきています。それは、どういうことなのかをよくよく考えてみる時期にきていると思います。

 

 トレーナーにも責任がありそうです。いかにも自分の“特別なヴォイストレーニング”が絶対に必要だとクライアントに思い込ませてしまうようにもみえるからです。相手の必要に応じ、もっともよいメニュを使うのは当然のことですが、引き受ける前に、今の本人にとって、自分よりもよい専門家がいないかを考え、思い当たったら、そこに委ねるくらいのことはすべきだと思います。

 

 

○基本のヴォイストレーニングとは

 

 現状の複雑な状況では、いかにカリスマトレーナーでも、一人で全てのタイプのクライアントにベストな対応ができることはありえないからです(最初につくトレーナーの影響力は大きいので、その前に一歩、立ち止まって考えてみることをお勧めします)。

 

 私たちの研究所では、声楽、ミュージカル、ポップス、演歌といった歌い手、声優、ナレーター、アナウンサーなど、声を使う職業で分けてみたり、どれかの分野に固執したりはしていません。早い時期から政治家からビジネスマン、就活、婚活する人のニーズにまで応じてきました。

 声であれば、基礎の基礎は同じです。少なくとも、そこで行うのが本当の意味で基本のヴォイストレーニングと思うのです。

 

 

○素振りの話 ~声は自明

 

 確かに、素人には発声はわからないし、歌の評価も好き嫌いといえるものかもしれません。しかし、声は日常で使われ、誰であれ、それなりの効果を生かしうる社会性をもちあわせています。そうである以上、声のよしあしとか歌やせりふのよしあしは、日常で「誰もがわかる」といえばわかるのです。専門家のようには説明ができないだけでしょう。(このあたりは、自分の声よりも、まわりの人の声でみるとわかりやすいと思います。)

 たとえば、誰でも一つの声だけ、長く伸ばして10回出すと、そのうちどれがよく、どれが悪いかぐらいの区別はつくでしょう。次にその中のよい声だけ10回出せるようにし、また、そのなかのよい声だけを判断して集めてみてください。

 素振り10回で素人でもよし悪しがわかるものです。いえ、声に素人などいません。体の実感から磨いていくのを忘れたら、基礎トレーニングではありません。

 こうしたことは、歌の自主トレーニングで誰でもフレーズ単位で応用していることです。勘がよく、喉がそれに合っていた人は、歌手や役者に、それだけで誰にも習わずプロになれているともいえるのです。

 

 ヴォイストレーニングに特別な方法や秘訣があるのではなく、普通のことを徹底してていねいに詰めていけばよいということです。それに個人差があり、限界があるので、そこを助けるためにヴォイストレーニングのメニュがあるということです。

 

 

○声は変わる

 

 ヴォイストレーニングでなくとも、決まった時間、しっかりと声を出すことを3~5年もやれば、個人差はありますが、声は変わっていきます。よく変わったら、そこでやったことが、まさにヴォイストレーニングなのです。

 巷でヴォイストレーニングを行っている人は多いのに、こうした声の素振りで基礎を固め、判断力をつけることと声そのものを実践の結果にまで結びつけられている人は、とても少ないです。

 それは、ヴォイストレーニングといいつつも、ほとんど「準備体操としての発声」と「正しく歌いこなすための歌唱(リズム、メロディ、歌詞)」だからです。緊張する人のためのメントレであったり、発声に至る状態の調整=応用練習がほとんどだからです。声そのものを見ずに、声そのものをトレーニングしていないのなら、声そのものが伸びないのはあたりまえです。

 プロやトレーナーのものまねでは、外側ばかりを固め、くせがついて、可能性が閉ざされてしまいます。その結果、難しいメニュは、こなせるようになっていくのに、シンプルに声を大きく出すことは、いつまでもできない人がたくさんいるのです。

 

 自己満足したり行き詰まったりして上達が止まるのは、「現状への厳しい判断」「次の目標設定」「そのギャップを克服する方法」が決められなくなるからです。でも、周りに認められ、それでよければそれでよいし、それ以上求めるなら、そこから、よきアドバイザーにつけばよいのです。つまり、それらを明示してくれる人ということです。

 

 

○階段の話 ~間違いでなく不慣れなだけのこと

 

 もう一つは、医者(音声クリニックなど)から、紹介されてくる人に多いパターンです。器質的な障害がなく、機能性障害といわれるケースなどに多いのですが、いわゆる「発声法が悪い」「腹式呼吸ができていない」などと言われていらっしゃいます。

 ただ、これも「声を出していない日常で、声が出るようにはならない」というあたりまえのことが原因であることが大半です。

 私は、「一日1000歩しか歩いていない人が、10階まで階段を上がったら、足が痛くなった。だから、その上り方が間違っていると思いますか」と尋ねることがあります。声の問題は、今だけでなく、過去からの積み重ねです。この場合、少しずつ声量を増やしていけば、そこそこにはクリアできるでしょう。声域とかピッチ、リズム、発音以前の問題なのです。リハビリもまた、まさにその類です。(ですから昔、体育会で大声を出し、喉を荒らして歌えなくなったなどという人が、ヴォイストレーニングでプロやトレーナーになったからといって、そのヴォイストレーニングが、元より声の弱い人や声をほとんど使ってこなかった人には、通じにくいわけです。)

 

 

○習慣と環境づくり

 

 本当に声を変えたければ、毎日の生活習慣から変える、環境づくりが必要です。フィジカルの管理ができていない人は、整体やマッサージ、ヨーガ、ピラティスなどでもよいでしょう。それだけでも声が出やすくなります。

 このご時勢、ヴォイストレーニングのメニュにも最近はそういうものが多く入ってきています。しかし、その分、肝心の声の基礎づくりが忘れられているのを憂うのです。(ヴォイストレーニングがフィジカルトレーナー、メンタルトレーナーを兼ねるのはわかりますが、肝心のヴォイストレーニングは、ということです)。

 

 発声の基礎固めは、スポーツ競技よりも判断が難しいと思います。なのに、このレベルでさまざまなヴォイストレーニングメニュや声の使い分け、発音から音程、リズムトレーニングなどを始めるので、肝心の声の養成に手がついていないのです。それよりは、ジムでの体力づくり、柔軟を含めた体づくりなどを優先するとよいことが多いはずです。それで声が出やすくなるのであれば、そこがその人の最初のヴォイストレーニングでしょう。

 

 

○“イメージ言語”と呼吸法1

 

 指導で使われる用語は、イメージ言語として説明しています。トレーニングの効果を出すために使うのですから、トレーニングを行う上でのインデックスとして、トレーナーとクライアントの認識が一致していたら、どんなことば、用語もパーソナルなレッスンでは問題ありません。

 ただトレーナー自身がイメージと実際のことの違いをわかっていないケースも多いようです(だからといって、トレーナーが使っている“イメージ言語”を生理学的、科学的にみて「間違っている」「使うな」「正せ」と言うのは浅はかなことです)。私も、さまざまなイメージ言語を使っています。

 

 たとえば、「胸式呼吸はだめで、腹式呼吸で」というのは、初心者の肩や胸の上が動いていることと喉頭の安定を欠くことで呼吸のコントロールがしにくいためです。しかし、胸式呼吸は、腹式呼吸と切り離せません。胸の下部は、柔軟に動いているのです。

 横隔膜は、お腹の底でなく、その前部はかなり上にあります(胸骨)。それを丹田のあたりに考えるのは、おかしなことです。しかし、「お腹から声を出して」とか「丹田を意識して…」と言って相手の状況がよくなるのなら、“イメージ言語”として使っても問題はないでしょう。

 「胸を上げる」より「胸を下げない」、「背中を広げる」とするなど、ことばのイメージ一つで、結果も大きく違ってきます。だからこそ、ことばの使い方は、とても大切なのです。正しい使い方ではなく、イメージをうまく与えて正されるような使い方ということです。

 

 トレーニングは、意識的に行うので動きやすいところ、みえやすいところが使われやすく、それ以外のチェックや動きがおろそかになりがちです。なので、そちらに注意を向けることが大切といえます。(でも、それは元のところがあたりまえに機能していたらということで、それを怠ってしまうケースも増えています。)

 「お腹より横や後ろに入れる」というのも、前腹は動きやすいからです。ですから、背筋中心に、広背筋、外股斜筋、内股斜筋などの強化が必要です。しかし、前の方の腹を固めてはなりません。

 私が「深い息」というのは、出す息のことですが、そのために深く吸うのは、できるだけ体の底に入れるためです。それは、吸えるだけ吸うのとは似ているようで全く違います。

 

 

○“イメージ言語”と呼吸法2

 

 例としては、くどく長くなりますが、せっかくなので呼吸(法)を例にさらに述べます。

 呼吸とお腹の動きの関係は、よく問われますが、厳密には説明しにくいものです。腹式呼吸は、お腹がへこんで息=声が出るというように考えられています。しかし、声楽や邦楽などでは、「息を吐いてもへこませない」とか、「押し出す」「張る」というのが、教え方としてよく使われています(逆腹式とか丹田、逆丹田なども、言う人によっても違うので、ここでは用語にこだわらないで進めます)。

 まず、息の支えとお腹の横を張って固定することは、混同されやすいのです。固定すると、喉頭が下がりやすくなり、発声上、効果的に見えるので、よくセットで使われていますが、別のことです。「横隔膜」などのことばを使いだすと、さらにややこしくなります。「横隔膜を広げる」というのも、イメージ言語です。

 「横隔膜を使う呼吸」などと言うより「腹から声を出す」の方が直観的に本質を把握しやすいでしょう。

 それが、科学的、生理的に誤りを訂正された今の教え方が、昔のすぐれた人の教え方より大きな結果を出せなくなっている理由の一つです。主に、生理学的用語と科学的説明で、正しいと思った動きは、イメージ言語よりもはるかに効果を歪ませてしまうことが多いのです。☆

 息を吸い過ぎたり吐き過ぎたりすると、よい発声ができないのは確かです。しかし、結論からいうと、トレーニングですから、その結果、「いつ、どう変わったか」で問うしかないのです。「どこが」が入ると、かなりあいまいになります。いや、「変わる」というのではなく、「しぜんに吸収され、ものになった、身についた」という方がふさわしいでしょう。

 

 どのトレーニングをどう組み合わせても、そのときのお腹がどうであれ、発声や歌唱時は、お腹は柔らかいし、喉もしなやかで自由に最も有利に動いていればよいのです。そのときに、お腹は止まっているか動いているか、外見的にはさまざまでしょう。膨らんだり引っ込んだりも、ある幅で行われているはずです。表現によっても大きく変わるものでしょう。 人間の表現行為、まして、肉体芸術においては、日常以上に集約され、過度に動くのです。それが、しぜんにみえるよう、ふしぜんなものでないようにこなされていて、自由といえるのです。(喉声も同じで、表現を優先するなら、決して否定されるものではありません。)

 それでも、「どうしても説明を」と言う人もいます。そこで、私は、「自分の通常より呼気時に少し胴回りが膨れ、その膨れた幅○㎝分くらいへこむ動き、つまり、通常±○㎝が目安など」と余計な説明をしています。囚われぬ程度に参考にしてください。

 

 本当に上達するためには、寝転んでしぜんとそうなる腹式呼吸くらいでは、発声のコントロールなどに足りるわけがありません。そこに備えて、ヴォイストレーニングで体づくり、息づくり、ブレスのトレーニングなどを行う意味があるのです。

 たとえば、バスケットボールでの指導では、「膝でシュートしろ」とか、野球やマラソンで「腰で打て」とか「腕の力を抜け」とか、いくつもの“イメージ言語”があります。こうした中での脱力の指示は、力をつけるトレーニングではなく、力を発揮するプレーのためのものです。力をつけるトレーニングは、別に行っているのです。

 「今日のトレーニングの結果が今日、明日に出るようなものは、トレーニングではなく、調整にすぎません」ですから、それを続けても大きくは変わりません。

この時間差をどうみるのかがトレーナーの手腕です(トレーニングとは、今は役立たないし、一時、逆効果にもなりかねないことを将来のために、あえて行うことです)。

 

 

○定義できないことについて、とらわれないこと

 

 似た問題をいくつか、加えておきます。

 邦楽では、地声と言っていながら、高い声は、裏声を使っています。同様に、鼻呼吸だと言いつつ、口呼吸も使っています。「地声で歌ってはいけない」と言う師匠もいます。

 所詮、マニュアルと実践は違うのです。定義もしないのに、何をか言わんやです。でも、定義できないものもあります。それを無理に定義して使う方が、よくないと思います。だから、イメージ言語を使うのです。トレーニングでは、こうした机上の些細なことにあまりこだわらず、鷹揚に構えておくとよいでしょう。

 

 「ハミング」「リップロール」「タングトリル」なども、ヴォイストレーニングで定番となってきたメニュですが、目的によって、注意することもやり方も異なるのです。むしろ、苦手な人が、そのまま行うと逆効果となりかねないことも多いです。

 リラックスさせるのが目的なのに緊張させて無理を感じる人、苦手な人は、そういうメニュは、がんばらずに抜かして進めればよいのです。絶対に必要なメニュや方法などはありません。

 

 デスヴォイス、グロウル、グラント、エッジヴォイス、ボーカルフライ、ホイッスルヴォイス、フラジオレットといった、いろんな声の種別についても、こだわらないでください。誰がどう分類しようと、それは仮説のようなものであり、「どの声か」などと考えても仕方ありません。「一般的に」とか「誰かの」は無意味なのです。

 あなたの声は一つです。それを強く、いろいろと柔軟に使えるようにしていけばよいのです。

 レッスンでは、こういう分類をうまく使えることもありますが、それに囚われて邪魔してしまうくらいなら忘れましょう。まして、トレーニングを複雑にしてはなりません。

 

 用語は、説明や説得するのに便利な手段の一つに過ぎません。「このアレンジがヒットのノウハウ」といっても、それはヒットした説明であって、そのアレンジを入れたらヒットするわけではありません。

 ですから、(後述する)“ヴォイストレーニング市場”で、本やネットの情報に振り回され、理屈に走るとわからなくなります。トレーナー間を行き来したり、偏向してしまうのです。“トレーナーショッピング”となってしまうのです。

 実際のプロのアーティストは、そういうことに関与せず、活動しているのです。なぜ、これまでヴォイストレーナーという資格やヴォイストレーニングという分野が、ここまで確立しないのかを考えてみるのもよいのではないでしょうか。

 

 

○ミックスヴォイスのブーム

 

 ミックスヴォイス(ミドルヴォイス)の流行は、一時の現象と思っていたのですが、いろんな学会や論文などでも取り扱われ、学会などで数人の異なる発声を全てミックスヴォイスとみせる様には、驚きました。

 共通点は、かすれた声(高音域での統一された共鳴でない)ということのようです。声楽の発声だけを正しいと思う人が集まると、大体こうなるのでしょうか。となると、統一されたものとそうでないものは、どこで分けるのでしょう。それでは、結局、声楽の発声以外の全ての歌声は、ミックスヴォイスとなりましょう(ちなみに、声楽というと、第一声で、出したところから「間違い」と言われてしまうような歌唱の発声の基準も、その前に何があるのかに立ち返って考えることでしょう。声そのものに間違いなどありません)。

 裏声、地声は、発声の原理で声区(レジスター)として分けられます。その間の声を名付けるなら、これまでの「融合(ブレンド)」ということばで充分でしょう。

 

 トレーニングとしては、どんな名称も方法もあってもよいと思います。しかし、これは、裏声と地声の音色の違いを目立たせなくする調整の区間、その移り変わりにあたる声なので、どれがよいとか正しいとかもなく、目的とするものではないのです。

 用語として使うにも、個人差の方が、はるかに大きいからです(まして、定義の異なる人同士での議論は不毛です。そんなところで時間のロスはしないでください)。用語を使いたいなら、自分なりに、あるいは、トレーナーとの“イメージ言語”として、どうぞ、と思います。

 

 

○具体的なケース ~セカンドオピニオンとして

 

 セカンドオピニオンとしてアドバイスするときに、他のトレーナーの指導のプロセスで、偏っているのを知りつつ口を出せないことは、よくあります。たとえば、その人の音がフラットしていたら、高めに直すため一時的に高くとるトレーニングをすることになるため、そこだけを第三者がみると「少し下げなくては」と注意したくなりがちです。

 そうしたプロセスでの偏りは、トレーニングでは必然です。大きなギャップを設けて埋めようとするほど、目立ってしまうものです。もちろん、長時間かけて目立たせず、そのリスクも減らすのが正攻法ですが。早く大きく変わろうとするほど、一時、大きく偏るのです。でも、変わるために、トレーニングはするものでしょう。

 「後に器が大きくなって吸収されるまで待つ、それでだめなら戻せるように見極めておく」、他人の声と共に心身を扱わざるをえないレッスンは、そうしたリスクを受け入れることに他なりません。そこはプロセスなのであって、一時の偏りを否定したら、大きくは伸びようも変わりようもないのです(そのため、ステージを控えるプロ歌手などには、本番や活動状況次第で、トレーニングメニュをセーブし変えざるをえないわけです。トレーニングにもオンオフがあるということです)。他のトレーニング法もそれ自体をみて、そのスタンスを位置づけ、メリットとデメリットは、アドバイスできるのですが、深いところはそのトレーナーのみぞ知る、そのトレーナー自身を知らずに踏み込めない領域もあるのが、当然のことなのです。

 

 

○用語に対してのイメージでの解決

 

 一般的な注意と必ずしもそうでないことの例をいくつかあげておきます。

「ハミング」→口開けてもよい

「喉頭下げる」→必ずしも無理に下げなくてもよい

「軟口蓋を上げる」→上げ過ぎてもよくない、鼻音にしない

「喉をあける」→必ずしも無理にあけようとしなくてよい

「お腹に空気入らない」→肺に入るが、胸とお腹(肋骨[筋]と横隔膜)の動きで入る(呼吸筋のトレーニングとは別)

「頭声・胸声(頭部共鳴・胸部共鳴)」→発声の体感(共振)での区別、頭や胸にひびくのを体感する

「共鳴腔にあてる、集める」→あてない、あたる

音程、リズム、発音への注意→発声とは別

地声と裏声→発声の様式(声帯振動)での区別(女性は裏声、男性はファルセット)

その他「腹筋は使わない」、「胸式呼吸はだめ」、「強い息を声にするのはだめ」については、「ヴォイストレーニング大全」を参考にしてください。

 

 

○「せりふ」と「歌唱」を両方とも学ぶ

 

 歌唱のためには、せりふのトレーニング、せりふのためには、歌唱トレーニングをしましょう。「歌は語るように、せりふは歌うように」と言われます。それは底で結びついていて相互に補充しあっているのです。

 日本の歌手やヴォイストレーナーの弱点の一つは、話し声が一般の人と変わらないことです(しかし、この弱点は、必ずしも、職において致命的なものではありません)。

 「歌い手だから、話すのは声をロスするので、歌以外は声は使わない」これは、日本人らしい考えであり、確かにその通りでもあるのですが、まさに“歌唱用(合唱団用)の声”に囚われているのです(調子のよくないとき、本番前や特別な基礎レッスンの期間での、このストイックさを否定するわけではありません)。

 

 

○リラックス、脱力 ~柔軟体操とストレッチ

 

 リラックス、脱力は、くせをとったり体の柔軟性を回復させるのに大切なことですが、どんな分野でも、それだけで身につくものはありません。これらは、身についているものの発揮が妨げられないようにするためのものです。身についているものが不足していたり補強が必要なときには、ただリラックス、脱力しても何にもなりません。

 緊張で声が出ない人が、リラックスして声を出せても、オペラ歌手にはなれないし力強い声さえ出せないでしょう。でも、そんな必要もなく、とりあえず声が出せたらよいのなら、リラックスで目的達成です。

 とはいえ、声の必要性を高め、そこを目指しトレーニングすることが、確実に効果を上げる最大の秘訣なのです。つまり、緊張してリラックスどころでない状況で、どう声を使うのかを学ぶことが、実践としては大切です。心身の不調時でさえ動じない確固たる声を身につけるために基本があるのです(ちなみに、ストレッチは筋を伸ばすし、柔軟体操は関節を柔軟に動かせるようにしますから、こうして分けるのなら、本番前は、柔軟体操をする程度に留めることです)。

 

 

○体で覚える ~見本の選び方が重要

 

機能として、目覚めさせる、解放し、バランスをとり、合理的に使う。

足らないところを補強、鍛錬する。

体で身につける見本を表現者やトレーナーを参考にする。

 見本といっても、それぞれにタイプも得意不得意(専門)も違うので、それを自分にプラスになるように選ぶのは、ヴォイストレーニングと同じことです。それなりに時間もかかることでしょう。

 この見本の取り違え、つまり、憧れの声、歌、アーティストと自分のもっているもの、個性とのギャップが、うまくいかない最大の要因であることが多いのです。ヴォイストレーニングでの上達を妨げるのです。いかに自分に合った見本を選ぶことが難しく、大切なのかということです。

 

 発声の技術とその土台づくり、さらに表現と音楽性や芸術性、これらは、習得のプロセスでは、お互いに矛盾したり邪魔したりすることもあります。オペラ歌手などのように、目的とそれに必要な条件(期間、到達レベル)がかなり明確な場合は、指導者にプランニングも任せたいものです。

 しかし、大体は、目標そのものから明確にする必要があります。そのためには、その世界や自らを知る期間が必要です。

 

 元より、ことばと共鳴でさえ、対立します。リラックス、自然体というのも、どんな動き、発声もすぐにとれるということですから、大体は、両立しがたいわけです。

 あなたが一つの声と思っているものでさえ、私には、いろんな声が聞こえてきます。徹底した整理の必要があるわけです。

 

 

○大は小を兼ねる☆ ~本当のトレーニングとは

 

 歌える人は、歌えない人のまねができます。せりふの言える人は、言えない人のまねができます。それは、まねするときに、部分的に力を抜いたり入れたりアンバランスにしてくせをつけるのです。

 私は、「あなたの声なら首から上だけで出せます」と言うことがあります。息を吐いた後でまねします。つまり、私の体の充全な機能を抑制して出すと、初心者と似た声になるのです。トレーニングとは、その逆を行うことにほかなりません。つまり、最初は大きくつくるのです。ていねいに使えるために、です。

 

 運動能力や外国語の会話能力のように、慣れていくだけでも人並みに行うと人並みになります。つまり、発声器官そのものにさほど違いはないのです。

 それを、単に、目標レベルを、早く簡単に誰にでも楽に効率化したものにするか、最高レベルにセットするのかは、本人次第です。私は、後者の実現のためにあるのが、本当のトレーニングだと思います。

 生来の発声器官のよし悪しでなく、使い方のよし悪しのところまでは、トレーニング次第なのです。ならば、目標と必要性を目一杯、高めた方がよいのです。そして、早く限界に到達して、そこからスタートをするのです。いつも、一つ上の高みを目指してがんばってください。