まず、歌うことは、自分の感じたことを声にしてそれを音楽にのせることだという方向を明確にすることです。ヴォーカリストの力は、演出や個性も含めたもので総合的なものですから、何が実力なのかがはっきりとしません。しかし、世界の一流のヴォーカリストを聴くと、まぎれもなく、その原点が声の魅力とその魅せ方にあることは明らかなのです(日本で教えていると、このことを理解してもらうだけでも簡単ではないのです)。
ですからヴォーカリストには、プロとしての声があり、それを宿しているプロとしての体があり、それを使うプロとしての技術があるということです。ブレスヴォイストレーニングは、この3つを身につけるためのトレーニング法です(本当は、ヴォーカルトレーニングもヴォイストレーニングもそれ以外のものであってはならないのに、多くの場合は、無目的に、せいぜい音程のための音程、リズムのためのリズム、ことばのための発音といった部分的な処方がなされているにすぎないのです)。
具体的に述べるなら、声に体をつけます。すると、声を出すには、体の力が必要となります。直接、体の力は声になりませんから、それに息が介します。体の力を声に伝えるためには深い息が必要です。ヴォーカリストに限らず、声をプロとして使うためのトレーニングとして、最大のポイントとなるのは、ここにおいて、体や息が鍛えられるということなのです。
声を出そうというときに抵抗があるようになると、声が重く深く動かないのを、体一杯の力で押し出そうとすることができるからです。もちろん、のどをしめるのでなく、芯のある声、つまり深いポジションで声を捉えると、こういうことが起こるのです。これを体から息を送って動かそうとするのが、フレージングです。体を常に100パーセント使おうとすると、体の力、つまり声を出す器が大きくなってきます。この過程でプロの体になり、プロの声が育ってくるのです。ここまでは野球にたとえるなら、腕立てや素振りのトレーニングです。体の強化トレーニングであり、ヴォーカリストとしてふさわしい体にしていくのです。
次には、声そのものが自由に出てくれば、声の芯をつかまえつつ、声を解放していく方向にしていきます(ここまでで2年はかかるでしょう)。つまり、同じ声が出るならば体は使わず楽な方がよいわけです。これは、楽をするためでなく、より大きな声(ヴォリューム感のあり、密度の高い声)や、より高い音を出していくのに、それ以上の体を使っていくためです。このあたりで多くの人は、体や息をより使える方向へもっていくのでなく、声をひびかせたり、あてたりして楽に出す技術に頼ってしまいがちです。それで伸びなくなるのです。まとめはじめるため、表面上、歌がうまくはなりますが、せっかく伸びてきた体、声の器の可能性はストップがかかるのです。
声づくりとしてどこまで体を鍛え、どの時点でまとめるかは難しい問題です。私は最低で、半オクターブ、できたら1オクターブまでは全く同じ感覚で出せるようにするというのを一つの基準にしています。そうなってはじめてキィ(音の高さ)によって発声が変わることがなくなります。高いところでやわらかくひびかせたり、低いところで太くシャウトしたりできるようになります。つまり、音の高低に関わらず、表現したいようにひびきやシャウトがついてくるのです。
こうして鍛えられた声は、一声、聞くだけですぐにわかります。鋭く柔らかく、すべてを包み込みながらパワフルに生命感あふれる声となります。それとともに息を吐くように、しぜんになり、前へ前へと歌を押し進める力をもってきます。
ここまでは才能や素質でなく、トレーニングをどれだけやるかということなのです。誰でもそういう声を手に入れ、歌に生かすことはできるのです。どうか、このテキストを充分に生かし、すばらしい声ですばらしい歌を歌ってください。
福島英
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