[本のご紹介]

新ON BOOKS 21「ヴォイストレーニングがわかる!Q&A100」

ヴォイストレーニングがわかる!発声についての悩みが解ける一冊!
ヴォイストレーニングの現場に長く携わってきた経験より、これまでさまざまな質問に答えてきました。
そこから、あなた自身がよりよく学ぶきっかけとなる、最新かつ基本の考え方をお伝えします。
もう歌や声への疑問は、これで大丈夫。歌唱のアドバイスも必見です!!

著者よりPR :
この本は、プロやレッスンを受けている人に向けて書きました。
もちろん、レッスンをしたことのない人には、この100のQ&Aで7割の疑問は解決できるでしょう。
今、もっとも大切なことを述べています。是非、お読みください。
「教育音楽 中学・高校版」2005.10月に紹介していただきました。↓

「ヴォイストレーニングがわかる!
Q&A100」新ON BOOKS21

福島 英 著 (音楽之友社) 924円

発声や腹式呼吸、歌唱表現に迷っている人
実感のもてない人の疑問に簡潔明瞭に答えるヴォイストレーニングエッセンスQ&A集!

目    次

<第一章 ヴォイストレーニングに関する疑問>
ヴォイストレーニングとは/日常のなかで気をつけること/なりたい声になれるのか/どんなトレーニングをすればよいのか
<第二章 発声と体に関する疑問>
発声のしくみ/姿勢/呼吸/発声/声の改善法/発音とことば
<第三章 歌と表現に関する疑問>
声域、声質、声区、裏声、ファルセット/声量・ヴォリューム/共鳴・響き/発声・フレージング/リズム、音程、音感、音楽理論/歌唱/才能、個性、オリジナリティ/学び方、学ぶための環境・生活

■本文より〜一部ご紹介

はじめに<本書の立場>

 ヴォイストレーニングということばは一般化してきましたが、一言でいえるものではありません。トレーニングしようとする人によって、考え方も優先順位もなすべきことも違います。しかし、現在、この分野に関しては、さまざまな本、専門書や一般書、なかには学生の論文レベルの本まで並び、混乱することは必至です。最近出たばかりの二冊にも、まったく反対のことが述べてありました。本書がさらに混乱を生じさせるものとなるのは、避けたいところです。かといって、それぞれのトレーニングの是非などを述べても、本人不在の論では、ますますわからなくなることでしょう。何よりもトレーニングの目的に対して個々に異なる楽器(体や声帯)、感受性、創造性をもって生まれた一人ひとりの人間をいかにうまくセッティングするかということが忘れられてはならないと思います。

 私は現場でやってきましたから、誤用であっても、成果があがっていたら評価してもよいと思っています。しかし、何をもってどう評価するのかさえ必ずしも決まっていないのです。
 公正中立に述べたいのは、私に限らず、多くの著者の願いですが、それにも関わらず、各々の経験や趣向、専門分野の仕事が必ずフィルターをかけてしまいます。そこで最初に、私自身の立場とこの本での考え方を示します。

 講演会は500回以上、レッスンは何千回?HPやメルマガも含め、そこで答えてきた質問は、何千か何万か数えきれません。そこから、現場での実践のプロセスをふまえ、できるかぎり本質を落とさず、ヴォイストレーニングに対してのQ&Aにまとめたのが本書です。

 この書では、初心者の方の素朴な疑問から、教科書的な答え、従来の回答例、よくある勘違いなども考慮して、私の見解をまとめました。さらに上級やプロの方の根本的な懐疑も含めて、答えたつもりです。簡単に正誤を言い表せないものが多いので、やや踏み込んで、持論を持ち出したところもあります。それは、必ずしも一般的な見解ではなく、[トレーニングということを行なうという前提でなら、そう考える]方がよいという条件付での回答です。本書をあなた自身が学んでいくためのきっかけにしていただければありがたく存じます。

さいごに<本書の真意>(ダイジェスト)

 本書内には、ヴォイストレーニングやトレーナーに関して、あまりに正直に述べたため、トレーニングの有効性やトレーナーの信頼性に疑念を持つ方もいらっしゃるかもしれません。なぜそう思われてしまうのかも、ある程度、本書で明らかにしたつもりです。
 さらに、ヴォイストレーニングは、それによってプロのヴォーカリストになれたとか、なれなかったなどという、偶発的な運命頼みのようなものでなく、その人の人生に必ず役立つだけのものなのです。

 声を扱うというのは、人間関係において、言葉を扱うのと同じか、少なくとも、その力の弱い日本人においては、それ以上に大きな効果を約束するものだからです。歌や芝居のために始めるのもよいですが、その大きな効用をそれだけで問うには、とてももったいないとさえ思います。
 ところが、ヴォイストレーニング、あるいは声や歌の術中にはまりこんで、うまく世の中に声を生かしていない人の多いのが残念でなりません。声もよくなり、歌もうまくなったのに、それゆえ、プライドにしばられて不幸なままの人も少なくありません。

 声は一生使うものです。仕事でも、生活でも、多くの人にとって、声のない人生は考えられません。(声を失った人でも、見えない声を発します。声を伝えるというのが、ただの音ではなく、意志、心という意味で使われているのが、その証拠です。)
 ですから、この本で、ヴォイストレーニングに深く親しみ、何よりもそれを生かし、あなたの人生を豊かで実りあるものにしてください。これが多くの方々の声に助けられ、これまで声で生きてこられた小生の真の願いです。

<論点>科学的分析や医学(解剖学)的事実、諸説と、歌唱や声の実際の現場での考え方の違いについて

 トレーニングの考え方や方法に対し、科学や医学、身体学などの進歩は、マニュアルの誤りや誤解、誤用を解き、多くのヒントを与えてくれます。

 私は、当初からプロとやってきましたから、[自分のできることが必ずしも相手ができるわけではない](これは[相手のできることが必ずしも自分ができることではない]ということと同義)ことと[相手が価値あることができることこそ、最重要である]ことを基本の考えとしてきました。[自分と違う目的の相手にどう対するか]、いや[自分ではない相手に対してどう正しく把握するか]と考えると、そうなります。

 多くのトレーナーの、[自分にできたことを相手にどう伝えるか][いかに早く無駄なくやれるように伝えるか]では、仮に(本人の力を引き出し)アマチュアの中で少々うまい人にまでもっていけても、第一線の現場のプロを支えることはできません。そこで、私自身はもっとも厳しく声で伝わるものを聞く"鏡としての役割"に徹してきました。

 そのため、自らも客観性を求め、専門の研究者と、今も膨大に収集した声の分析や計測を行なっています。とはいえ、いつになっても、私はデータ(仮に真理だとしても)を、自分の感覚よりも信じることはないでしょう。それは専門の研究者と、いっそうの共同研究をしていくとしても、私は自分の耳を、これからも世界中をまわり、音や声でもっともっと鍛え続けていくつもりです。

 なぜなら、現場で私に問われることの目的は[声を正しく出す]ことでなく、結果的に[声で人々に感動を与える]ことだからです。それを自分の耳で聞き分け、誰よりも厳密に判断し、アドバイスすることだからです。呼吸法や発声法でなく、音楽や表現として、どう声を捉え、導くかを主にやってきたわけです。この分野は、まだまだ未開で人材も乏しいと思います。これまでの科学的な説(仮説を含む)や声楽家やトレーナーの指導書、方法論こそが多くの誤りを生む原因にもなってきました。[これもイメージを介しての指導であれば、端から正誤とさえ判断できるものではありません。]

 それは、声や歌は個人差(民族、言語や文化の違いも含めた上に)体や声帯の差、日常の言語や歌唱で得たものでの差、目的の違いがあまりに大きいからです。さらに、声の発信体としての研究だけでなく、声の受信体(客の反応)としての研究も必要です。(音楽心理学や大脳生理学、音声知覚など)とはいえ、下記のことが前提として、あるということはいえると思います。

1.スポーツのように、目的が一定でなく、個別の設定によるため、真似から正しく入りにくいこと。
2.目に見えない音であるため、耳にすぐれた人(民族)でないと、難しいこと。
3.指導上の感覚・イメージ言語の誤解、継承、解釈、使用の誤りが必ず起きること。(書物では、特に難しい。)
4.現場と研究との乖離、日常と芸術、舞台との距離があること。
5.音響や舞台装置など応用技術効果の導入で、表現の到達レベル、基準があいまいになったこと。
6.舞台、ショースタイル、客の趣向の変容に大きく左右されること。
7.本人の生き方・考え方・パーソナリティ(特に才能より好みを優先してしまうこと)が優先されること。
8.各専門の研究者の大半が、クラシックにしか興味のないこと。

 私自身、引用していた図表や理論、他書や他の方に教わった方法・用語を新しいものへと、いつも差し替えてきました。私自身が直感的に述べてきたところは、幸い、今のところ、大きく変更する必要にせまられていません。それでも、思いがけなく、誤解を与えかねないところで、表現の修正を常に重ねています。また、私の根本での考えは、同じですが、伝え方は、日々変じています。このように、相手により、時代により、違ってくるのです。

 アーティスト相手ですから、現場と理論では、現場での効果が優先です。(そう決めなくとも、仕事である以上そうなります。)トレーニングにどう対するかは、ケースによって、まったく異なります。同じケースで全く逆の対応をすることさえあります。
 たとえば、一時悪くなるけど、あとで効いてくるものと、一時、効果は出るが、大してあとも変わっていかないものがあります。これに関しては、[トレーニングとして]私は前者をとりますが、なかにはそれを一時でみて、間違ったとか、下手になったと見切ってしまう人もいます。そのため、現場では後者をとらざるをえないことも少なくありません。

 スポーツのように、コーチに言われたようにやったら優勝したというような、結果にすぐには還元されないし、試合もないから難しいのです。結果がよければすべてよしという結果が公の場でなく、個人の感情や好みで判断される日本では、さらに、長期的な成果は促成栽培法のまえに否定されがちです。結局、声も歌も、所詮、本人が選び、本人が決めるのですから。

 しかし、アートですから、[教えるのでなく、刺激すること]、[自分の声の可能性を認識させること]がトレーナー本来の仕事だと思うのです。本人の要望に答えることと、それ以上の深い真理へいざなうことを、矛盾させないには、神(この場合、一流のアーティスト)の手を借りるしかありません。そのことのわかるプロとのトレーニングを行なってきたという実績をもって、私は確信をもって述べているのですが。(本当のプロは、投資分は必ず回収する力を持つ人ですから、力のある人ほど、何もいわずとわかるのですが、)それを一般の人にどう持っていくかは、今も難問です。ただ、本当に効果的な方法は、単独にあるのでなく、トレーナー個人と一体なのです。

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