レッスン受講生について |
1.アナウンサー、ナレーター
2.政治家、うぐいす嬢
3.経営者、役員、セレブリティ
4.セールスマン
5.電話交換手、コールセンター、オペレーター
6.受付(レセプション)
7.接客、サービス業全般
8.教師
9.お笑い芸人
10.会社への面接対策(社会人、学生)
11.歌手のグレードアップ
1.アナウンサー、ナレーター
ここのところ、もっとも人気の職の一つは、女子アナウンサーといわれています。アナウンサーという職業の人には、よく接してきました。彼らは、声や話し方に興味、関心があり、最初は発音や滑舌、次にアクセント、イントネーションや話法を勉強しています。
アナウンサーは、大学やカルチャーセンターなどで、日本語の話し方の先生をしている人もいるくらいですから、プロです。しかし、専門が違うのです。一言でいうと、客観的な報道という使命ゆえに彼らの声は不自然なのです。
アナウンサーは、誰にでも(日本人すべてに)、同じように同じことを伝える仕事です。報道という事件や事実を伝えるのですから、個人によって差があっては困ります。感情移入もタブーです。華やいだニュースと死亡ニュースを並べるのですから。これは、伝え手としての標準化が求められているということです。(それゆえ、個性を排除するところに、アナウンサーの技術もあるのです)
読む人が違うことで、伝わることが違っては困ります。(私は、それもよいと思うのですが…)。
つまり、客観的な事象の伝達ということでは、なるべく個性や個人の感情が入らない方が無難なのです。
ここには「放送に立場があるとよくない」という、日本らしい判断基準が、少しでも考えたらそれはムリというような建前が、残っているのです。
久米宏さんの政治的立場が問題になりましたが、彼はキャスターとよばれています。
私が考えるに、アナウンスは「伝えること」、表現は「伝わること」、一字の違いですが、私の考える意味合いは、大きく違います。
A.アナウンサー、ナレーター、日本のクラシック歌手(見本、手本、正解あり)
B.パーソナリティ、キャスター、落語家、役者、ポピュラー歌手(個性、キャラ、オリジナリティ)
このように並べると、少しわかりやすいでしょう。
さらに、
A.標準語(共通語)、高低アクセント、イントネーション、言語
B.方言可
A.正しさ、一貫性、内容
B.強さ、意志、感情、思い
アナウンサーの声を愛せるかどうか、考えてみてください。アナウンスは、電話の一般的な応対などをやる分には充分です(のどが弱い、声の耐性がなくて来る人はいます)。特に、最近は、朗読や歌や芝居、あるいは一つ上のランクのビジネスをやるときに、アナウンスの技量が邪魔をして不自然、しかも声の力が必要となりますから、学びにいらっしゃるのです。
余談ですが、日本の公共放送のアナウンスは、欧米のかっこよい語り口調を模範にしただけあって、一つの型にまで高められていたと思います。私は、松平定知アナウンサーや加賀美幸子さん、草野光代さんあたりは、声も人間国宝級と思っています。アナウンサーの皆さん、これからもよろしく。
2.政治家、うぐいす嬢
選挙の後盤に入ると、皆、声がガラガラになります。私は、これは日本人の人情、浪花節に訴える選挙のやり方と思っていました。しかし、本当にのどをこわしているのですね。政治家も応援演説者も、ガラガラです。
政策もつくらず、声も出ない政治家って、何になるのかというような、うがった本質論はさておき、映画俳優以上の演説をする他国の大統領選などを楽しんでいる私には、やはり人前に立つには、ほとんどが失格とせざるをえません。
欧米では、大統領も首相も社長さんも、声には努力しています。スピーチティーチャー、日本でもカラーコーディネーター、スタイリストなどは、政治家につき始めているようです。形(服装や色)でみせるのも大切ですが、声はもっと大切でしょう。
でも、日本人はそこまで声には敏感でないのでしょうか。
もともと肉声でよびかけ、人の心を動かし、鼓舞して、民意を一つにする。政治とはそういうものでした。戦国の世からリーダーや武将は、声が届かないと務まりませんでした。名のりもあげられません。そう、まさに政治家は、声のエリート、戦いの指揮官だったのです。
その証拠に、かつての政治家は、大学では弁論部で、声と語りとを磨いていたのです。これまでにもっとも多くここにみえたのは、外交官でした。少しずつ政界の方もいらっしゃるようになりつつあります。
3.経営者、役員、セレブリティ
“笑っていいとも”で「セレブを当てよう」という企画がありました。三人の出演者のファッション、そのセンス、着こなし、身のこなし、話の受け答えなどから推察して、その中の一人のセレブを当てるのです。
声のトーンや声の感じからけっこうわかります。成金タイプは、あるときに急にそうなったのですから、声が変わることはありません。不自然な勢いがあり、品はあまりない。自分一代で成り上がるだけ、声の力も使ってきたので、声力があるのです。声力や説得力がなくては、成り上がれません。
名家、名士は、落ち着き、ものごし、声のトーンでわかります。育ちでの声の使い方が出るからです。品よくおっとりしている人も、少なくありません。
つまり、これから世の中で活躍したい人は、声から変えていけばよいということでいらっしゃいます。また、リーダーとして部下の声の指導も必要です。セールスや接客の能力が一変し、サービス向上、売り上げに結びつきます。
4.セールスマン
日本のセールスマン教育では、“ソ”の音で声を出すことといわれた時期がありました。男性が実際に出すのはピアノの実際の音高を聞いても、その1オクターブ下です。ソから上で話すと、声のカン高いおじさんとなります(声のピッチは、高く聞こえるのと、実際に高いのとは違うのですが、ここでは音高とします)。
私は男性の高い声は、あまり好きではありません。声が高いだけならよいのですが、こういう人は、早口で、一気にまくしたてるタイプが多いのです(俳優なら、ウイル・スミスあたりでしょうか)。通販番組のテンションでは、売りにくいものもたくさんあります。
5.電話交換手、コールセンター、オペレーター
ビジネスの中では、あらゆる分野が声と関わっているといえます。なかでもコールセンターは、声と深い関係があります。電話は姿は見えず、声の力だけで問われるからです。
今、声の使い方がもっとも必要とされている一つが、コールセンターです。コールセンターというのは、お客さんの声と企業を結ぶ仕事です。私も、お手伝いしています。コールセンターとしてきちんと続くところは、クレームの処理ができるところです。クレーム処理の技術というのは、声の使い方の最前線なのです。
日本は歌がうまくなりたいという人に対して、カラオケを開発し、ハード面から片付けていきました。私は声の計測や分析に、そういうハード面も取り入れてきました。警察の科学調査や耳鼻咽喉科の医者、言語学者も使っています。ビジネスで実現化されているのは、コールセンターです。
今のコールセンターの最新システムというのは、かなり進歩しています。お客さんの声とオペレーターの声をグラフでみて、お客さんが怒っているから、このオペレーターでは処理できないという判断ができるような機器もあります。
オペレーターがお答えするときに、できるだけ日本語として、相手に聞こえやすく、音声を加工することもしています。声が聞こえにくい人とか、あまり声がよくない人でも、マイクを通すといい声に聞こえるというようなことをしているということです。
ビジネスの中では、直接声の威力がわかるのは、電話です。電話は相手が見えませんから、耳へ働きかける声がすべて決めていきます。電話のアポインターの仕事です。
電話の講習をやることもあります。新入社員研修で、大きな声で返事ができるようにしてくれという依頼もあります。学生の就職セミナーにも関わっています。
6.受付(レセプション)
私もいろんな劇団、学校、そして会社をお訪ねしています。「いらっしゃいませ。どちらさまですか。お約束ですか」と、声がかかります。その受付に「会社の顔」として、声に難が、ということが度々あります。応対の話し方トレーニングはしているので、ことばづかいは丁寧ですが、気持ちが伝わるには、やはり声のトレーニングが必要です。
○ホテル、フロント(コンシェルジュ)
海外では、ホテルの格式もドアボーイやフロントが支えています。年配の、そのホテル一筋、「ホテルのことも街の歴史も誰よりも知っている」という人の声に、客は安心するのです。
○ガイド、ツアーコンダクター
ガイドやツアーコンダクターには、なかなかくだけた人が出てきました。ラジオのパーソナリティのような日本語で、ネタ連発で、そのプロ根性に感心したことがあります。
海外の動物園でしたか、そこでのアナウンス・ガイドは、映画の役者さながら、プロフェッショナルなみせ方、しゃべり方、「声の使い方とはこうだ」と、学ばされたことは多々ありました。
7.接客(コンビニ、ファミレス、ファーストフード、コンパニオン、居酒屋の店員)など、サービス業全般
コンビニもファミレスも、居酒屋まで、あの大声やカン高い「いらっしゃいませー」。コンビニで何も買わずに出たときの「ありがとうございましたあ!」、声をかけることがリピーターにするもっとも強い手段という方法は確かなようです。スマイル0円、声も0円。
彼らは、開店前に挨拶のトレーニングをしています。
私も「実践的なヴォイストレーニングが習いたきゃ、居酒屋に勤めろ」と言ったことがあります。セールスの強い会社なども、朝礼での発声練習は徹底しています。3分間でスピーチなども、はやりました。
「声をあげる」ことは、人前で話すことに慣れていない日本人にとっては、けっこうイヤなことで、それが快感になるとき、あなたは大きな成果をあげることになるでしょう。
本当はこういうトレーニングは、家庭や学校で受けていなくてはならなかったのです。ところが日本では、音声教育がなされてこなかった。昔は寺小屋でやってましたが。大きな声が出ない人、続けて大きく声を出すと、のどを痛める人が多くなりました。
コンパニオンのマニュアル声は、仕方ないです。でも、声の使い方に、もう一工夫すれば、ひどくはならないのです。客が一人のときと4,5人のときは、声のテンポや大きさは、変えましょう。
タクシーの運転手さんも含めて、サービス業は、声のかけ方一つで決まります。床屋さんから、エステ、医者から教師まで、サービス業として考えると、必要です。
8.教師
子どもたちは皆、お腹から声が出せなくなりつつあります。今や、しゃがんで和式トイレも使えないそうです。おんぶもできない。正座とそんきょは、日本人の証しでした。
一方で運動会や卒業式などは、声をそろえて言うのが流行しています。「楽しかった運動会」、「たくさん歩いた秋の遠足」、というようなことがわかれば、トレーニングが必要です。
幼稚園では、声は吹き替えというか、テープに入っていて流れ、子どもは出てそのテープの声に合わせて演じるだけです。せりふを忘れないのと、時間通りに終わらせる。ということで、先生たちの労力をさくとともに、誰もが同じように役を演じることができるのです。
「声の出ない教師は失格」
「体育やクラブ活動で危ないと言えなければ危ない」と、私は述べてきました。
9.お笑い芸人
今の人気ナンバーワンは、お笑い芸人でしょう。私は、彼らを役者であり、マルチタレントと思っています。コメディアクターでもあります。売れると司会やゲストとしてモテモテです。
歌手がTVで歌わなくなったのは、芸の力がなくなったからにほかなりません。お笑いの人のセンスと修業に負けているのです。アナウンサーもキャスターも、その座を彼らに奪われようとしています。つまり、彼らは総合力で秀でているのです。
かつてお笑いの人の仕事場は、劇場や深夜ラジオのパーソナリティでした。トレーニングよりも現場で鍛えられていったのです。
5分間で、1回もかまないほど、厳しい場をもつから、同じ歌をリバーブかけて、何ヵ月も歌っている歌い手の比ではありません。
ときおり、CDでもヒットチャートに入ります。彼らほど効果的に声の力を利用しているタレントはいないからです。声で、いろんな役とシチュエーションを豊かに表現します。
もともと、落語家は、この能力に秀でていました。そこから音声だけ独立したのが、声色芸や声優でした。
歌とコントも、ミュージシャンであったドリフターズからはなわ、波田陽区まで、長い流れがあります。もともと、漫才はしゃべりだけでなく、三味線などの楽器演奏がついていたのです。しゃべくり漫才は、エンタツアチャコ以降です。いくらすぐれたネタでも、声が伴わないと、生きません。
よい声かどうかは別として、その魅力は、声抜きには語れません。ものまね四天王は、個性的な声と音色をもっています。音色を失ってしまった今の歌手では、かないません。
10.会社への面接対策(社会人、学生)
私は声が専門ですから、ファッション評論家がきっと無意識に服装チェックして、その人を格付けしているであろう、と同じように、しぜんと声から人をみます。何百人と声でおつきあいをし、これまでの人生のなかでも、多くの人の人生を見てきたのです。「この人は、きっとこうなる」というのは、へたな占いよりもずっと正確に声で知ることができます。
スピリチュアルの江原啓之さんは、音大声楽科出身です。
声は日本人の盲点です。どんなに着飾っても、メイキャップしても形はごまかせますが、内心は、声にみえ隠れします。化粧やファッション、アクセサリーほどに、そこまで声については、本人が練っていません。
本当に人間をみてきた面接官や人事担当者は、私と同じように声についても大きな割合で判断の材料にしているのです。経歴詐称なども、顔と声をみたら、だいたいわかるものです。それでわからないなら、その経歴相当の声の力があるから、構わないともいえます。
11.歌手のグレードアップ
よくいるタイプをあげておきますので参考にしてください。歌には、[自分の表現を自分の呼吸で声としてとり出すことが基本]です。その[作品はリアリティ(立体感、生命力)に、あふれている]かどうかでしょう。次のような場合も、状況さえそぐえば、大化けすることもあります。歌というものは、おもしろいですね。日本人(客)の好みも反映されます。
○唱歌コーラス・ハモネプ風の人・・・感じられない、得意ソウ、“うざい”
唱歌風の歌い方は、発声トレーニングを受けてきた人に多くみられます。共鳴に頼りすぎて、ヴォリューム感やメリハリがない。一本調子、正確さだけが取り柄で、おもしろみがない。つまり、誰が歌っても同じ、その人の個性や思いが出てこないのです。
合唱団、音大生、プロダクションの歌手、トレーナーなど、正規の教育を受けてきた人にもよくみられます。音楽を表現するのに必要なパワー、インパクト、リズム・グルーヴ感がないのです。生まれつきの声のよさだけに頼ってきた人にも多いです。先生の言うままにつくられた“日本では、歌がうまいといわれる”優等生タイプです。
○アイドル型・タレント型の人・・・やっていることがわからない、カワイイ、“ガキっぽい”
しゃべり声で、甘えた感じで歌う。喉声にならないように浮かし、やや発音不明瞭で鼻についた声です。タレント型ヴォーカルに多くみられます。他の人がやると、くせのまねにしかなりません。カラオケでは目標とされています。とはいえ、高度なレベルでは、ニューミュージックやJ-POP、演歌の歌い手など、声が高く生まれついただけで、作詞・作曲・アレンジ力で通用しているヴォーカリストにも多いようです。他のタイプの人には、真似て百害あって一利なしです。
○役者型、喉シャウト型、語り調の人・・・のれない、くさい、“くどい”
ことばを強く出し、せりふとして感情移入でもたせます。個性やパフォーマンス、演技からくる表現力でもたせているため、呼吸がことばに重きをおく反面、音楽性、グルーヴ感に欠けます。存在感とインパクトの強さで、個性的なステージになります。シャウトもどきの声でやる人は、調子をくずしやすく、選曲のよしあしで良くも悪くもなります。もう一つは語り調で、雰囲気づくりにたけ、ぼそぼそと歌うタイプです。テンポ感、リズム、ピッチに、甘いです。
○日本のシャンソン風、ジャズ風の人・・・格好ヨサソウ、インパクトがない、“たいくつ”
上品さや気品を上っつらだけをまねた、自己陶酔っぽい歌い方です。中途半端に声楽家離れしない人や役者出身者に多いのが特長です。それで通じた昭和の時代は、古く遠くなりつつあるように思います。
鋭い音楽性、深くパワフルな声のない語りものの日本のジャズもまた、雰囲気好きの日本人に期待された結果の産物だったのでしょう。センスとパワーの一致を望みたいものです。
○日本のオペラ、カンツォーネ風の人・・・押し付けがましい、自慢げ、声だけ“うるさい”
声の美しさ、響きに頼った歌い方で、個性や表現の意志に欠けます。声量だけは感じさせるのですが、一流の声楽家や本物の歌い手と比べられて聞かれるので、マイナス面をみられがちです。発声や技術が前に出てしまい、人間性が感じられない。不自然な表情や動きになります。
○日本のブラック、ゴスペル、ラップ風・・・なんか変、みせかけ、ちぐはぐ“ウソッポイ”
洋ものを真似て、声をハスキーにしたり、やわらかく使う表面的な歌い方に終始しています。日本人特有の雰囲気、甘さ、コミュニケーション先行で、厳しさやしまりがないため、おもしろさに欠けた退屈なものになりがちです。精神性が感じられず、洗脳されたような薄気味悪さがあります。ビジュアル、笑顔、一体感、振りなどの演出に逃げ、個としてのパワー、インパクトに欠けます。しかし、不思議に日本人はそういう歌い方を評価するようです。
こういった多くの歌い方は、世界で受け入れられたアーティストの個性や雰囲気を、表面的に真似て、インスタント加工したものです。体、呼吸、心、音といった根本での声、歌、音楽の生まれる条件を、踏んでいないのです。ピカソやシャガールの絵を真似て、上手といっているようなものです。それで通用してしまう日本の状況が、私は有望なヴォーカリストにまで才能を甘んじさせているように思います。トレーニングとして、自分の声や歌を知る材料として出してみました。