VOICE TRAINING |
<福島英レッスンの体験談+α>
福島英の(個人)レッスン受講者の体験談を掲載します。
<1.福島英レッスン体験談(「中経出版」の取材掲載分)>
○長唄の世界の応用
伝統音楽を勉強する場合、発声の訓練のメソッドというものは、基本的に存在しません。入門すると、一対一で曲を修得していきますが、1フレーズ、あるいは2フレーズ、師匠が手本を示し、弟子はそれを忠実にコピーするというレッスンになります。その曲想によって、語り物、あるいは唄物と、声の使い方が違う訳ですが、声自体については、元も角、師匠と同じように出すということで、ああして、こうして、という指導は少ないと思います。 私自身、長唄の世界に入る以前に、演劇の勉強をしておりましたので、その折に修得した発声のメソッドに従って、自分なりに訓練をしていました。しかし、三十代後半に入り、声の出し方に迷い始めました。
その時に出会ったのが福島先生のレッスンでした。ポピュラーボーカルという、全くジャンルの違う世界でしたので、多少の戸惑いはありましたが、思い切って飛び込みました。何か感ずるものがあったからです。
ロックに限らず、カンツォーネ、ポップス、あるいは歌謡曲というジャンルに「唄う為の身体」という視点で見直す機会を得たことは、私の本業である長唄を全く違う角度から見直すということでもありました。強い息、深い息、又弱い息、浅い息、知識としてではなく、実感(身体の感覚で)する為の訓練は、又とても楽しいものでした。
言語によって音楽は様々なヴァリエーションを持っていますが、その基本となる人間の身体自体には、それ程の違いはありません。福島先生のメソッドは、それがどの様なジャンルの音楽にも通用する、最もベーシックな部分の訓練法として、私の場合は長唄に応用させていただいております。(長唄師匠)
○こんなに微妙で広い世界とは
「はい」という言葉を繰り返して、先生は「今のは違う」「今のは響きを無理につくっているから、もっとおとして」「音色を統一させて」「今のより、もう一つ前の方がよかった」というような、アドバイスを私にくれる。今の一つ前が、どんなのだったが、どうやってやったのか、正直わからない。でも集中して考えて思い出してみる。自分の体の何処に意識があったのか?何処にどれだけ力が入っていたのか?この空間の何処から響いてきたのか?今まで、自分が知っていた音楽の世界は、音程、リズム、表現ぐらいしかなかっので、一つの音の一つの言葉にこんなに微妙で、広い世界があることをしらなかった。今まで歌のうまい人は、楽器が良いか、天才とばかり思っていたが、そんな微妙なところを聞き分け、こだわって練習をかさねているに違いない。私はいろんなダンスを専門的にやっているが、体の感覚をふくめ理解していることと、知識として理解はしているが、まだ体では掴みきれていないものがある。時間をかけて、体験して、観て培ってきたつもりだ。歌に関しても、まずいろんなものを聴いて耳をこやし世界を広げ、オタクのようにこだわりを持ち続けて、いつかオリジナルになれるようにと、先生のレッスンを受けていておもう。(ミュージカル俳優 10年)
○先生の耳を借りる
先生のレッスンでは、声においての世界の基準、それも最も高いレベルの基準で聞き分ける”耳”をお借りしているという意識があります。
レッスンの最初は、「ハイ」「ライ」から始まって、歌の中で発声を正していくことをやりました。先生は、体に無理のない自然な状態で声が出ているか、私の息と声がピッタリ一致しているかなどを聞き分けて下さいます。結果、自分の中心の声というものをつかめたように思います。更には、自分の声を動かせる範囲が広がったためか、音程を意識することなしに、音の流れの中で歌えるようになりました。レッスン得られたものや自分の意識、感覚の変化などを自分の言葉で書き表すことにより明確に自分に落ちてくるように思います。
次には、そのつかんだ自分の声を使って、作品(音楽)のイメージを声や歌でどう表していくのかということを研究しています。そして自由なイメージを持っていってみて、フレーズや山や谷がつくられているか、言葉が聞こえてくるか、それが音楽として聞こえているか、などいろいろ指摘を受けます。
先生のレッスンを受けるようになってから、ただ単に声がよく出るようになったというだけではなく、歌や音楽の奥深さを痛感し、表現することの難しさや面白さを知ることができたということが私にとっては大きいことです。何しろ厳しい基準でものを言って下さるので、自分の現在の位置というものを嫌というほど測り知ることができます。本物が何であるかも付きつけられますのでなおさらです。それと、学び方を学ぶことができるのも、先生のレッスンのおかげと思っています。そんな中で、自分の目指すところはどこなのか、はっきりしてきました。(Vo.F)
○自分で見つけるという作業の大切さ
私は生まれて初めてちゃんと唄ったうたが純邦楽。邦楽の指導は『まねる』ということが基本で構造的に考えたことがなかった。ひょんなことからマイクを持って人前で唄う人間になり、邦楽の発声をみつめ直す意味でも 唄を深めたいと思うようになった。
いわゆるボイストレーニングを受けることは私は自分の持ち味を忘れてしまうことが怖くて二の足をふんでいた。しかし福島先生はただ声域を広げる声を作るという方針ではなく、楽器として人を感動させる表現力を重視、そしてなにより邦楽の演奏家にも造詣が深く、私もここで取り組もうと決意した。
レッスンで私が一番受け取っているのは、自分で見つけるという作業を教えて下さること。そして、そのポイントとなるものを端的にだけど、自分には伝わる言葉で言って下さること。貴重なレッスンで自分のイメージで唄う時はいまだにどのステージより緊張する。でもその時間に裸になった私の声とまだまだつたない音楽観を、なんとかもがいて感動できるものにしていきたい。人と同じことだけしていては自分の歌は歌えないから!(プロ邦楽家 師匠)
○「本当の声」にたどりつくこと
「私は何もしません。ただ、あなたが『本当の自分の声』に気付くための場を提供するだけです」。その言葉通りの現場を体験した時、人によっては「本当にこの先生、何もしてくれない」と文句を言うのかもしれません。しかしだからこそ私は、福島英というヴォイストレーナーは信頼に値する方だ、と思いました。
私の場合、世界の歌達をとにかくたくさん聞きなさい、という指示のみ。聞いて、本物の声がどういう状態で発声されているのかをイメージするためです。
「声のイメージ?なんじゃそりゃ。」けれどそう言われ改めて聞いてみると、途端に今までただの音楽だった歌たちが立体感を帯びて、体に乗り移るような錯覚を覚え始めました。これまでにも耳コピーで歌を唄うことはよくありましたが、耳で得た情報から具体的な体の感覚を再現し意識下に置いた時と、ただ音の波だけを耳コピーをするのとでは、見える世界そのものに大きな差が生まれるのです。そしてレッスン。
福島先生はただ「何でもいいから、やってください」とだけ言って黙ってしまわれるので、耳で覚えたものを声に出してみます。体には、30日間聞いてきた本物の歌たちが巡っているのに、声にならない。相手は世界の大スター達なのですから当たり前です。
けれど現在の私がレッスンで求められるのは「歌う」ことではなく、自分自身の持っている「本当の声」に辿り着くこと。聞いてきた歌たちは、そのきっかけをくれるものにすぎません。ありとあらゆる声を聞くことによって、それぞれ個性はちがっても、根底にある「本物」たる由縁を、感じ、掴まえる。ところが、気付かぬうちに付いたたくさんの飾りを先生は鋭く察知し、ひたすら「もう一度」を繰り返します。何度も同じところを歌っていると、そのうちわけがわからなくなって、シンプルな音になり始め、そこでようやく次に進むことが出来る。そんなことをしながら、私は今少しづつ、けれど根本的に変わり始めていることを自覚しています。(プロVo. 声優 T)
○一言で晴れる
福島先生のところでヴォイストレーニングを学び早10年になりますが当初はポピュラーと言われた欧米人の歌と日本人の歌を聞き比べると同じ人間なのに何か違うな?何が違うんだろう?という疑問から私のウ゛ォイストレーニングは始まりました。母国(日本)語で歌いたかった私には避けては通れない問題でした。いろいろと学ぶうちに同じ人間でも文化の違い 体型の違い 言語の違いなどを知りました。でも日本語で歌いたかった私はそれゆえに元となる基礎のトレーニングに励みました。野球で言えば素振りですね。
毎日毎日、反復練習。「これが本当に役に立つのだろうか」と見えたり見えなかったりする展望を胸に、自分との戦いです。訳が分からなくてもひたすら励みました。そのうち具合が悪くてもトレーニングをやらないと落ち着かなくなりました。もう脅迫観念です(笑)。今度は休む勇気を持つことが課題です。そんな自問自答をしている中、自分では答えが出ない問題が出てきました。それをレッスンの時に福島先生に聞いてみるのです。答えはいつもたった一言でしたね。 その一言で混沌としていた問題が、霧が晴れたように整理されクリアになり、方向性が分かったものです。
それは今でも同じことです。一年目は一年目の問題が五年目は五年目の問題が出てきます。その問題に対して方向づけをしてくれる。怠けていた月なんて見透かされていて背筋が伸びる思いです。ここには原点がある。だから通い続けているのです。(Vo.A)
○「はい」一声のマジック
独特の表現、しかしなんとも伝わりやすい表現。私は講演会で初めてお会いした先生の第一声ですでに驚いた。響きが全く違うのである。色々な方向へ散ってしまっている私の声に比べ、先生の太くまっすぐな声。まるで部屋の壁がスピーカーになっているようだった。先生の声、その一言一言がかたまりとなり私の耳へ入って来た。
私の声を聞き先生は「今のは良い」、「今の声は響きがない」と言ってくれたのだが、私には違いが分からなかった。今度は先生が言ったように床へ向かって腕をだらーっとし、「はい」という言葉を言った。何度か「はい」を言っているうちに、先生の言っていた「良い」「悪い」の違いが何となく分かった。「良い」時には息を無駄なく声に変えられている。身体から「はい」が出て来てる感覚。「悪い」時には息が漏れていて喉にも違和感があった。「悪い」時の私の声には響きがなく、喉にも負担がかかり、もったいない息があった。一言一言を大切にできるようになるとこうも違うものかと実感した。
しかし、なぜ「はい」と言う言葉でこんなにも色々なことを考えさせられたのだろうか…。とても不思議である。是非声に疑問を抱いている人みんなに体験してみてほしいと思う。これが最初のレッスンでの先生のマジックであり、今もって鮮明な記憶である。(Vo.M)
○つかんで離す
私は年に半分くらい舞台の仕事をしているものです。先生が何かで「うまいぐらいじゃダメ、すごくなければ!」みたいなことを、おっしゃっていましたが、私の場合まさに歌、芝居、踊りどれをとっても、発展途上です。そんな行き詰っていた時に、レッスンだから、今まで積み上げてきた物を全否定される覚悟で臨んだのですが、その必要はないと言われ安心しました。ただ初めは、今までの声の扱い方がとっても雑だったと言う事を学びました。
私の場合、舞台をやりながらということもあり、先生は「これをやってきなさい!」とおっしゃる事はなく、逆に「何をやりたいですか?」と言われて最初は戸惑いました。今はそのスタンスがとてもありがたいのですが、強制されない分、うまくなるもならないも本当に自分にかかってきます。本来そう言うものなのですよね、きっと!
まだまだ、せっかくのレッスンを勉強不足のため、充分に生かしきれてない自分ですが、先生が話される「つかんで離す。」などの歌言葉みたいなものを、感覚で理解できる様になったらうれしいです。(プロ俳優 12年)
○いつも気づかされる
先生には自分の声から発するすべてを一瞬で見透かされているように思う。
本とは違い、決して多くを語らず、しかりもせず誉めもせず、ただ一声一声に神経を傾け、助言される。私はまだその一声すら極めることができない。
ステージに立つ人間は、人を感動させなければその資格はないと思う。しかし今、私には音楽を作り歌うことが許されてそして、自分の為にこうして学ぶことができる、それだけで恵まれている。
だからこそ、自分に与えられた力を極め資格をもっと得なければと思う。先生とのレッスンの中にはいつもそう気づかされるものがある。音楽で表現する人間の一人としていつか自分が世界の中でやれなければと思う。(プロVo.W)
○わだかまりから表現へ
今まで、これほどまでに自分の声に対して的確なアドバイスをしてくれた先生はいませんでした。私はこれまでたくさん歌ってきましたし、ライヴや仕事もしてきましたが、いつも自分の中にわだかまりがありました。
いつも自分は「そつなく」歌っているだけで、決してそれ以上のことがやれているわけではない、と実感していたのですが、根本的な原因がどこにあるのかがわかっていなかったので、「変わりたい」と思ってもなす術がありませんでした。また、周りの人は褒めてくれるばかりで、逆にそれが自分にとってストレスでもありました。
そんな時、幸運にも研究所のことを知り、講演会で先生が「声」についてお話されているのを聞いて、「これだ!」と目から鱗が落ちました。
レッスンが始まってからは、毎回驚きの連続です。今まで自分の中で悶々としていた悩みの原因を、先生は本当にクリアにわかりやすく言い当ててくれるのです。体調によって変化する声の調子、レッスンごとの私の集中度なども全て考慮して、毎回的確なアドバイスをくださいます。
回を重ねていくうち、自分の声を改善するための感覚やきっかけがレッスン中につかめることが多くなってきました。また、普段の自主トレでも、ただ長時間漠然と歌うのではなく、今までにつかんだ感覚などをできるだけ生かし、短時間に集中してトレーニングできるようになってきました。「そつなく」歌ってその場をしのいでいた時は、自分が声を操っているのではなく、歌に合わせて自分が操られていたような気がします。表現という観点から見ても、そこに自分の意思がどれだけ反映されていたか定かではありません。研究所は声を自由自在に操るためには何が必要なのか、どうすればいいのかを体感できる場所です。これからも自分のキャパシティを上げるべく、頑張っていきたいと思います。(Vo.E)
○たった一声の感動
いつだったか人数が二人しかいないとき先生が二十秒くらい、私には、なんか永遠に聞こえたー声をただのばされました。その瞬間これまで聞いたどんな声より感動しました。胸がつまり、その後レッスンにならなかったほど、強烈な印象でした。先生が求められる歌はそのうえにあるとわかり果てしなく遠くなりました。
しかし、こうして常にギャップを明確にしてもらえる以上のレッスンは他にはありません。いつもクリエィティブなことはやさしくあるいは呆れて見守り、独りよがりやまねにきびしく許されない一貫した指導にとまどいつつ感心感謝してます。(プロVo.M)
○本質的でシビアな場
私は、自分の表現の道具として声も使いたい、と思い入所しました。レッスンでは、毎回目の覚める思いがします。そのたびに自分の足りないところや間違っているところを発見するのですが、またわからなくなり同じ事を繰り返してしまいます。ただ単に発声方法の誤りであるとか音程のことなどではなく、もっと根本的な、本質的な部分の指摘をしてくださいます。それらはそう簡単につかめるものではないのだということも実感しました。
声に対しても、こんなにもたくさん意識し、細かく細かくつくっていくのだということを初めて知り、自分の感覚の鈍さを目の当たりにしています。課題も分けも分からずとにかく聴くうちに、少しずつですが聴く耳ができてきたと思う瞬間があります。細かい積み重ねを、しかし確実に積み上げていく事こそが必要なのだと分かりました。
福島先生の指導は、私にとっては声や歌だけのことではなく、生き方そのものに深く関わっていると言えます。自分の甘さを毎回突きつけられる、とてもシビアな場所ですが、そういう場所にこそ自分を置いていきたいと強く思います。生き方から変えなくては、一流にはなれないのだと痛感しています。(プロダンサー、役者)
○自分の声がむき出しになる
それまでいわゆる普通の声楽のレッスンしか受けたことがないのですが、福島先生のレッスンは、たぶん他のどんなボイストレーニングとも違うスタイルなのではないかと思います。自分の声だけがむき出しになる時間。一言で「声」と捉えているものの中に、実は多くの表情やニュアンスが含まれているということに気づかされます。そしてそれはいずれ意識的に扱うことができるのかもしれないという期待がほのかに湧いてきたりします。
私は芝居の演出をやりますが、芝居なら「ここでの芝居はこう持って行くのが一番効果的」とか「この先の展開から考えると、ここでこういう芝居をしておくべき」ということが瞬時に浮かんで来るのですが、歌になるとその発想が全く浮かんで来ないのです。私が若い役者さんたちに抱くはがゆさを、おそらく福島先生も感じていらっしゃるのではないかと思います。だからこそ逆に、どうやったら「感覚」を身につけていけるのか、その過程を実体験し、それも芝居にフィードバックできたらいいなと思っています。(俳優14年・演出家)
○妥協を許さない修行
基本スタンスとしては、決して安易にほめられたり、励まされたりしない、厳しいレッスンです。一流のプロを育成することを目的としている場なので、表現への生半可な妥協を許さない姿勢があります。ほめられてしまったら、その時点で満足してしまい、自己の成長が止まってしまうリスクが高い。ある意味、職人の匠技を身につけるための修業と似ています。見て盗む、自ら研究して盗む。そして最終的には、オリジナルで勝負できるように、個々人の「音楽道」を追究する場(道場=研究所)です。
レッスンについては、歌の表現の本質・芯をつかめるようになるためのレッスンです。どんな表現が、時代を超えて人の心を動かしうるのか。世界一流アーティストの作品を聞き込みます。全体を聞いたり、細分化して聞いたり。そのフレーズの中で繰り広げられた世界を、細かく細かく耳で観察し、感覚を鋭くしていきます。言葉にしようのない音の変化を、先生が言葉に置き換えてくれることがあります。そうすることで、理論的にもとらえられ、自己の感覚とシンクロさせることができます。そして、自己トレーニングの際に、その鋭くした感覚を呼び起こすのです。(Vo.5年)(以上、「声がみるみるよくなる本」(中経出版)、「ヴォイストレーニング実践講座」(シンコーミュージック)に収録。)
<福島英のレッスン体験談+α>
○作り込み不足、練習不足などで、自信のないまま歌ってしまうと、即、知られてしまう。もう先生のレッスンを受け始めてから3年経ったが、多少慣れたとはいえ、未だに緊張する。そこに自信のなさが加わり、声も動きもほとんど出せないまま終わってしまう日もある。
最近思うのは、はったりでも何でも、とにかく自信を持って歌うことが肝心だということ。私は歌い手なんだと、そういう気持ちを持って歌うことで、自然と、表現するために体や心の機能が動き出す気がする。そしてその、歌い手である、という自覚、自信を確かに持つためには、やはり日頃の取り組み。自分で自分をごまかせやしないし、たったの1フレーズ(いや一声)に全て表れてしまうのだから、恐ろしい。
息が全部声になっていないと注意されることが多いのだけれど、それもやはり、自信や自覚、意志などに関わっているように思う。相手にきちんと伝えようと思って話をするときに息が漏れることはないのに、歌になると、そこに何か余計な考えが入りこんで邪魔をしているように思う。福島先生は、どんな小さなブレも聞き逃さないので、本当に恐ろしい。先生のレッスンの状況は他にはなく、とても有り難く思います。(FU)
○ここに来て、先生のレッスンを受け、試行錯誤の日々の中レポートを書き、再び先生にコメントやアドバイスを聞く中、自分の状態が、今まで以上に浮き彫りになり、焦りや戸惑い、落ち込み、発見、感動、面白さ、見直し、望み、さまざまな気持ちと葛藤する中で、四六時中、いろんな方向から歌、声、音楽、芸術を仕事としていくことを具体的に考えて学ぶようになった。レッスンは、その内容、課題の一つ一つどれをとっても、ものすごく大きなもので、全力で努めていく前向きな集中力と、大きな努力が必要とされることを実感し、衝撃でした。
今は、声がうまくでず、自分の声を使う感覚がよくつかめていないこと、うやむやな癖、それによって弱弱しい印象のない声になっていること、どうしたら、それらをとっぱらい自分の自然な声を知ることができるのだろうかということなどが課題である。「体を動かないと声がでない」ような感じを結びつけ、いつも体から声を出すこと。(重心を落とすこと。喉で声を押したり、上から下へ押しつけたりしない。口の中に響かせると音のロスになる。腰の後ろ、背骨の両脇の筋肉の辺が動いて声がでる感覚。足を肩くらいに開く、全身で、呼吸を結びつけて、発声する。かすれる時、呼吸、体の状態を整えて、胸の中心に保ち、背骨、腰の後ろの方からゆったりとリラックスして出す。
「あおい、あまい」を、「おい」「まい」の所を一語のように発声。「らい」「はい」が発声できたら、それらに音程をつけてみる。)
自分の声がどう使われ、どう聞こえるかが自分で分かるようになること、世界を作ること。そしてなによりも、これらを、学んでいくプロセスや結果をどこへ繋げていくのか、出口へとなる目的を考えそれに向けて向かうということの必要性など具体的にしなくてはならないことも教えられ課題となっている。声の研究を自分でどんどんすること。ここに来てから、声についての聞き方感じ方も変わってきた気がする。どういうものが芸術として成り立ち、感動を呼ぶのか、アーティスト一人一人、その人が自らの何処を見せているのかを考えるようになった。レッスンを体験し、非常に有り難く、貴重な時間を送っている。(SH)
○一回目の時には、オリジナル曲を歌うときにのどを使いすぎている点について、「ハイ」や「ンガ、ンギ、ンゴ」などでのどをはずしてからうたってみる、それで今度はのどが外れても感情が入らなくなってしまうから、その辺の調整は同時にやっていく、ということでした。
また最近では、声の響きはいいけど、声しか聞こえてこないということを言われました。自分では特に語尾の処理が甘いと思っていたのですが、そこだけでなく全体的に構成を見て演出していくという作業が足りないということです。
歌っても、その景色も感情も伝わってこない、聞こえるのは音程だけ、という最悪の状態になっているようです。だから歌おうとしない、言葉のニュアンスを声で伝えるよう心がけなくてはならないと思いました。また、速いフレーズでもあせらないようにする。もたつくわけではないけど、メロディーに踊らされずにあくまで言葉メインにやっていき、いずれそれが自然な流れになるようにしたいです。(KA)
○今まで細かい調整など、正直めんどくさくて、あまりしてこなかったので、福島先生の鋭く的確なアドバイスに対し、最初は動揺しました。でもそれと同時に、今まですごく声を雑に扱ってきたのと、音声表現を聴く耳が全然足りないんだって事を思い知らされました。一瞬の隙も許さない、厳しい音声表現の基準の場―ごまかしや、物真似、いい加減なもの、全部見られてる気がします。
ハイ、ララなどのフレーズで、楽器として演奏としての視点で見て頂き、体の足りなさ、フレーズをコントロールする力、どこのキーからおかしくなってくるのかと明瞭でした。自分の歌にもっと説得力をもちたいので、そういった耳と判断力を養いたいです。それに、気付きや発見により新しい可能性が見えてくるという事を学びました。〔2年〕(OU)
○私がカラオケ教室で何か足りないおかしいなと感じ始め、その何かがわからずにいた。その何かがこの魂、心を自分の声、自分の想いで伝えることが自分の求めているヴォーカリストなんだと確信しました。最初の頃は歌のうまいへたでくらべられるのはイヤだなと思っていましたが、これは表面的にしか見ていなかったと今になってわかってきました。そういう次元ではなく、それを越えて、自分の世界をつくり、聞かせる、見せる。
自分の求めるスタイルは見えてきたけれど、それには何をすればよいのか。発声トレーニングは運動でいえば筋トレと同じ。この意味も最近になってやっとわかり、発声で歌うのではないということと、一流のヴォーカリストの歌を聞いていると、だそうとして声をだしているのではなくて、日常の生活の声の延長上にあると感じ、普段の生活の中でも声に関心を持つという先生のテキストの意味も、やっと体で感じはじめてきました。
歌にも声楽、心を伝える歌、ヴィジュアル的にみせる歌、歌にもいろいろあるのだと、やっとわけて聞けるようになり、いままで私の中で声楽的な歌と、ポピュラー(心の歌)とが一緒になっていたようような気がします(AI)
○レッスンを受けるようになって一年がたつ。ではそれが長かったかと聞かれると、はて、どうであっただろう。ただ確かに言えることは、そんなことを考えたことがなかったということだ。そんなことを考える暇がなかったともいえる。他に考えることがあったからだ。とにかく、よく考えるようになった。朝から晩まで。道を歩いている時や食事をしているときにも考えている。
では一体何をそんなに考えているのか。それは、レッスンごとに気付かされること、についてである。毎回違うテーマが自分の中でわき起こってくるのだ。
レッスンを受けてすぐに「ああ、そうか!」と気付く時もあれば、レッスンを受けて半年くらい経って「ああ、あのときのは、これか!」と気付く時もある。だから日々考えずにはいられないし、日々考えていればいるほど、強烈に気付かされるのである。
とにかく、帰りの電車はノートを片手に、レッスンを受けて気付いたこと、試してみようと思ったことを忘れないように一心不乱に書き付けている。他の乗客には危ない人間に見えるかもしれない。 でも、そんなことはちっとも気にならない。それくらい集中。これは歌を歌う自分にとって幸せであると言える。
そしてもうひとつ。歌に対して常に前向きになれること。やはり練習をしていくと落ち込む日だってある。体調が悪い日だってある。 だけど、レッスンのおかげで、なぜ自分が歌うのかを改めて(しかも毎回毎回、自分にとっては違う形 の衝撃で)認識させられ、頭がすっきりした状態で練習に取り組めるのである。これは、自分が歌い続けていくということにとって、とても大きい。自分の歌を作っていくのだと気付かされる。
今後もその初心を持ち続けながら、自分の歌をどう変化させていくか、レッスンでたくさん気付かされながら、考えさせられながら練習に励もうと思っている。〔18ヶ月〕(MK)
○石の上にも三年とは良く言ったもので、紛い也にも三年続けていたら自分で言うのも何だが、少しは上達するものなのだった。皆そうなのだ。そりゃまあ、すんごい上等!とは言わないけれど、けどびっくりですよ。鍛練って凄いな、3年は3念かな、などと思ったりする。ともかくも上達、というこの事実には他人事のようだが、感心する。
しかーし、同時に「うまくなるなんて全く何の意味もなーい」という事実にも直面するのだった。がーん。そんな話は聞かされてはいたが「まー、そんな贅沢な事を…」とあまり真剣に聞いてはいなかった。なのだが実際、ごっついステージをやるという事において、誰かを吃驚させる事において、ちょっとぐらい上手に歌えようが、そんな事はたいして役には立たないのだった。(まあ、でもこれが「物凄ーい上手、絶品、上等!」だったら話は別だとは思います。けども、そんな事は全然果てしなく彼方にしか感じられない事なので論外にします。)トレーニングな日々を送っておりますと、とどの詰まり何で生きるか?みたいな所へハマってしまう事が多いから大変でございます。
まさかはじめた頃は、そんなに生きるか死ぬか、になるとは思わなかった…。こんなん書くと怪しい苦行のようですけど、でもそうなんです。代々木寺。人一倍ヘタレな私は、しかし今さら退路もたたれ、何ちゅう事になってしまったのかと思う日々も多々あり…。うーん、お山に入ったようだよ。けれど、うまく出来たもんで、ちゃーんと甘い汁もあるのでした。ええそう。めちゃめちゃ面白くもあるので、やっぱりやってしまうのだった。どうおもしろいか?というのはなかなか言葉ではあらわしにくいのですが、自分が大きくなる感じ、もしくは小さく。(どっちだ…)いやどっちもです。
感覚が変容するってのは何よりおもしろい。よくアンテナという言い方をしますが、そうアンテナ、んーとそれもそうですが、意識・感覚・霊体・肉体いろいろグレードアップする感じ。(大袈裟か)そうすると、その瞬間世界も変わるわけです。人生も。地球も宇宙も新しくなっちゃう。知る事はつきないわけです。わっはっはー。 もうハイ、超〜ハイ!初めて夜の街へ出る田舎者みたいな興奮は多々あります。
でっかく、広く、深く、鋭く、細く…いろいろの方向へ広がる。目標は銀河系くらい、もしくは同率位のミクロ人間。ちょっと意味が解りませんけども、そんな感じ。ま、おもしろいわけです。こんな楽しい事してていいのかしら。って、こんな贅沢な人生を過ごしていていいのかぁ(ぱらぱらりーん)と思う。次の瞬間は涙してたりしますけど…。
この単細胞さが私の最大の強みであり弱点であった。吉凶は神のみぞ知る?ああ、神様よろしくお願いします。〔33ヶ月〕(NI)
○感動する。心が震える。"偽りのない自分と向き合える数少ない時間"と感じる。レッスンの前半は、第一級の耳で選ばれた曲のよいところだけを休む間もなく次々と聴き続ける。入所当時は、私は、この聴く時間をヒマとかもったいないとか思っていた。曲を聴いて何になるのか。何を聴き取れというのか。確かに声はすごいけれど、むしろうるさいし、どの歌い手も張り上げているだけじゃないかといった具合だ。
ずっとそんな調子で、わけがわからないまま、とにかく聴き続けた。(忍耐)そして、いつの間にか成長した。曲の深さを感じ、見えないものが聴けるようになってきた。毎回のレッスンで聴く歌が、ぐっと胸に迫るようになった。歌からその歌い手の生き様を感じ、自分の不甲斐なさを反省する。逆に、自身もこんなふうに人生をかけて歌いたいという希望を見出す。
心の奥深くに閉じ込められた自分の本当の想いを解放し、表現することを学ぶ大切な時間である。〔39ヶ月〕(TS)
○あこがれの福島先生のレッスンを直に受けることができて、とてもうれしく、幸せでした。カリスマ性のあるご指導というか、直接どうするかを指摘されるのではなく、「もう一度」と言われて自分で判断するということが、とてもスリリングでした。緊張して考えられる時間でした。(KO)
○とにかく福島先生のレッスンは、あたしにとっては「感度レベルの再認識」をさせていただく時間です。まずとにかく聴くこと。どこまで聞けるのか、自分はどんなに聞いていなかったのか。感じる音のガソ数を上げるといいましょうか、感じ取る耳のひだを細やかにするといいましょうか、ここまで聞けるんだ、と感度レベルの設定のしなおしですね。またそれは、声を出すことにもつながってくると思います。聞けることは発せられる。聞けなければ無理ですが。
あとは、その音を自分が出せる状態にあるかどうか。具体的に楽器である身体の状態が整っているか、また、それに乗せていくメンタルな部分の処理。あたしの場合、まだこのレッスンでは聞くことが精一杯であろうと思います。聞けるレベルを再確認して、それからカラダにつなげていきたいと思っています。(ON)
○初めて福島先生のレッスンを受けたときの感想は、まるで「目から鱗」という感じがしました。先生は私の声を最初の数分間聞いただけで、顔や肩に力が入っていて喉に負担がかかっていると仰いました。これは自分でも自覚することができました。緊張しているのもありましたが、普段の練習でも体のどこかに力が入ってしまうことがあります。
次に「ハイ」「ナイ」「ネイ」「ライ」などの言葉を繰り返しました。先生はこの時に体の奥から深い声を出し、より遠くに飛ばすことだけを意識し、口型は気にしなくていいと仰いました。滑舌や口型を気にするから顔に力が入ってしまうようです。
私は現在、声優の養成所に通っており、普段からはっきりと話すように指導され、日常でも心がけていました。もちろんお腹から声を出すことも指摘されましたが、それよりも滑舌や口型に捕われていたことに気付かされました。一つのことに真剣に取り組むのも大切だけど、もっと広い視野を持ち、多くのことを学ぶのも重要で、楽しいことなのだと思いました。(NK)
○福島先生の本を母が読んでいた影響で私は福島先生のことを知りました。とても憧れていたのでレッスンをうけられるのはとてもうれしいです。レッスンを受けて思うのはやっぱりすごいということです。常に上を目指すという姿勢と神業のような指摘…反省します。繊細で幅広く注意してくださるので、自分の音楽へのとりくみ方も悪い生活習慣も自覚します。先生のレッスンについていくのはまだまだ私ではたいへんですが、これからもよろしくお願いします。(OT)
○英先生との初めてのレッスンで、本などで読んだ「ハイ」のトレーニングを行いました。自分が想像していた「ハイ」の発声が実際とは全然違い、びっくりしました。やはり本など読んで自己認識でやることはちょっと危険な気がしました。
「強い息」というのも英先生と自分がやっているものでは全然違うことがわかりました。先生の息は非常に深いところから出ていて、厚みを感じました。(OG)
○オーディション用の歌をみていただいています。「じゃあ、まず歌ってみて」とおっしゃる、その場の緊張感がなにより強になります。(私が勝手に緊張しているのですが)。できていないこと、例えば曲として一本通っていない、フレーズの後半が必ず崩れる、「か」の音や撥音が気になるなどを指摘していただきました。あとで、どうすればよくなるだろう、と自分で考えて練習します。
解決の鍵は、他の先生がおしゃることの中にあったりします。福島先生、基礎が全くできていない私の歌をみていただいて、ありがとうございます。お話しする中で、自分の方向性を整理でき、モチベーションもあがっていきます。(KU)○福島先生の特別は特に、密度が高く、音楽のシャワーを全身に浴びているようで、吸収するものが多い。リズムのレッスンも気づくことが多い。体に打ち込み、刻み込むようなことを集中的にやれる。そういう意味で、楽譜とか手本となる歌とか、そういうものがない状況で、「リズムを生み出す」ということ、それも一人でやるのではないので、感じとって、何もない空間に生み出さねばならない。即興は、今の自分自身の力で出さねばならない。作品とはならないが、力がつく。リラックスし、楽しく、集中して、生み出す。私はこういうことが苦手ですごく緊張したのだが、すごく必要なことだと思った。とくにトレーニングは生まじめになりやすく、偏向しやすい。何か正解に向かってひたすらやるというのではないアプローチが、同時に必要だと思う。
<2.研究所のトレーナーのレッスン体験について>
★研究所に頼るわけではないが、ここでのレッスンや本を通して感じることは、日本と世界のレベルの絶望的ともいえる差。これを克服していくために研究所は必要であり、これまで通り、いやそれ以上に厳しい目をもって存在し続けて欲しい。ずいぶんとよい環境(スタジオ、e.t.c...)の中でレッスンができることをすばらしく感じる。★声のパワーと魅力をもつヴォーカリストを目指す人にとって、日本てはその点に厳しい基準をおいているところは、ほかにないと思う。ここは、そこにこだわりたい人にとって貴重な場であると思う。お金を払っているから、何か決まったことを教えてもらえ、結果が出るという考えはこわい。研究している人同士が材料を出し合い、知恵を出し合う場がある。誰かが言っていたが、そういう場の家賃として出資していると考えた上で利用したい。
★この研究所は、他の音楽スクールなどでは、決してやっていないことを、深めていけるところだと思う。それがおもしろいと思えば、その人なりに自分をどんどん磨いていけるところである。まずは発声や体づくり、声づくりのことに集中する時期もあり、一時、歌とは離れるが、そういうことを通じて自分のことを知っていくところでもあります。結局、“歌えるようになる”というのを簡単にいうと、人に対して何らかの働きかけをすることのできるエネルギーを歌や人間レベルのところでもつようになるということだろう。だから声などを通じて、聴く人が「明日も頑張ろう」とかを感じるならば、それはそれで条件があるということで、そういうものを各個人がそれぞれに深めていける場所である。
★プロのヴォーカリストになるために必要なことを学ぶことができ、それを確実に身につけることができるところ。本で紹介されている内容を実際により深く学び、体験できる。ヴォーカルのレベルを上げ、世界に通用するレベルというものを打ち出すところ。
★研究所の考え方は、特に何かを強制しないことがすごく好き。自分で考えて見つけてやる。すべてがシンプルで、できることからやればよい。できないことはこれからできるようにすればよい。言われてみるとその通りで、だけど一人ではなかなか気づかないこと、できないことが盛りだくさんある。出会えて本当によかったと思っています。
★どうしてもどうしても声で何かを強く伝えたい。確実に的確に伝えたいと思うが、その声を育てるために修業できる、または修業する材料を手に入れられる場所。システムも立地もよい。どうか、世界のレベルでの基準で判断するこの方針が変わらず、このレベルがさらに高まっていったらよい。
★日頃から言われているイマジネーションの世界。それを引き出すために、1フレーズからできなければならないということを考え、感じると、レッスンでのフレーズ回しはとても重要。感覚を変えていくためには最低限、必要なものと感じる。
★ほとんど曲に対して自分でくみとって、それを自分なりに出していかなければ成り立たない。自分の中で空回りして終わるときもあるし、きちんとくみとれるときもある。キャリアのある人の中で、それを聴きながらやるというのは大きなメリットであり、自分との差がわかってしまう。自分のものを出すこと、それがあたりまえになればよいと自分では思っている。他の人は迷惑しているかもしれない。そういう自分なりのものが出せるようになると「歌い出しフレーズ特集」や「フレーズのもっていき方研究」など、アプローチやアイデアのことをやっても成り立つと思う。しかし、しかし、フレーズをこねくりまわしただけのようになってしまうと意味がない。まず優先すべきことは自分のフレーズが出ることがあたりまえになること。
★私は、まだまだ音に対する感覚が偏りすぎ、得意と思い込んでいる曲調を選択しすぎているように感じる。そのため、それ以外のものを与えられたときの反応が、差があるように思いました。それは聴いているようで、実は本質のところを聴けていないからでしょう。そのためには、大音量でいろんなジャンルのものを深く、多く聴くことが不可欠。感覚を強化するための時間があるのは、ありがたい。
★各トレーナーの特徴がよく出ているレッスンで、それを感じとれていない自分がいるだけである。とてもよい貴重な時間があることに感謝している。毎月、本一冊分にもなるトレーニングについての会報の作成など、本当によくしていただいてありがたい。
★たくさんのことを感じとれる環境にいて、この料金は、レッスン生にとってはありがたい限り。定期的にこれからも続けて欲しい。時間帯や割り振りもよく考えていただいてあり、うまくまわっている。★最近、感じてるのは、この研究所では「見える部分」…(ステージや実際に自分から出てくる歌、くせ、自分のセンス)は、そんなに変わらないけど、「見えない部分」…(感覚、音への感じ方、体、その人間につまっている音楽、声、リズム)は変わっていくということ!もちろん、その人の受け止め方、取り組み方次第だろうけど。結局、この「見えないところ」というのが、プロフェッショナルなところでの差になるのだろう。自分の可能性を信じていくのは、たいへんなことだけど、それを信じて続けていくしかない。自分の強み、みたいなもの(ゆるがない自信)をもてるようになりたい。そのための毎日としている。
★ものすごくいい環境だと思います。この場所に出会えて本当によかったです。私自身、かけられるもの全てで、恩返ししたいと思っています。自分に厳しく、心身ともに成長していきたい。
★僕にとっては出費もバカにならないが、研究所で得られるものがその数倍であることは、身をもって知ったつもりです。会社員なのでかなり時間の制限もありますが、本当に「生きる」ことが充実しました。音楽にとどまらぬ、いろいろな目が開きはじめています。
★この人と一緒にいたいと思う人がいる。自分もそんな人間になりたい。歌うことで、自分も、相手にも、パワーが生まれる、そんなものを目指したい。