会報バックナンバーVol.189/2007.03 |
レッスン概要[0508]
○ライブの成立
私は96人でやってきた年が一番多かったのですが、若くてもそれが限度です。一日10時間労働くらいで。朝の10時半からレッスンをしていて、夜の12時半くらいまでかかっていました。それができた時代が一番の蓄積になっていると思います。なかなかそういう経験に恵まれるトレーナーもいないから、それは幸せだったと思っています。だから、グループのほうはまとめて、入ってくる人に対して、個人で対応していく。責任のとれる体制を持っておこうということです。その意味がなくなってしまったら、存在する意味もなくなってしまいます。
いろいろなかたちがあり、かたちがついてくるのはいいことなのです。イベントに関してはおかない。会報を読むと、昔のことが書いてあるので、そういうものをやりたいという。けれど、そこから甘えがはじまってしまうのですね。ライブの中で盛り上がっているのも、学校がやっています。学校のお客さんが集まってやるのが目的なら、大きな発表会をやれるところがいい。スクールでも、ライブハウスで歌わせてくれるところ。そういうところに行けばいい。そこに関しては、前は私も声だけの部分で見られない部分もあるので、全部やってしまえ、ライブハウスまでつくってしまおう、というところまでやりました。ただ、そこまでの力、人に対して与える力がない、それは致命的なことです。サンボマスター、気志團と何がロックというのか、元々、ロックで惹かれてくる人は間違えてきます。
自分たちでつくり上げるものであって、向こうのものでコピーして歌えるというのは、カラオケとはいいませんけれど、物まね芸にもなりません。それはやりたい人はやればいい。たとえば中高年で、昔を懐かしんでやっている人は、幸せであり、その活動でいいと思うのです。やれなかったからやりたい。昔、親しかった仲間が集まって、お酒を飲み交わすような同窓会もいいと思うのです。働いて、それぞれの道で食べてきた人が集まって、好きだった音楽をやるというのは、すばらしい。若い人がそのパワーにも勝てなくなっているというほうが、問題という気がしますね。彼らはお金があり、時間ができた。だから、好きなことをやるのはいいでしょう。けれど、そこまでに何もやっていない人が、パワーに負けていたら、しかたがないだろうと。お金がなくても、いや、ないからこそやれるのでしょう。
お笑い芸人の世界で偉いのは、どんなに場末のところに行っても、きちんとやるということです。交通費もなし、それで芸をする。デパートや屋上や何でもがんばる。芸人は、競争率が高いから、そういうところでもやれるだけ幸せだというところがあって、反面、何くそと、力をつけていく。歌い手がそこを忘れてしまっています。何かしら整ったところじゃないとできない、その姿勢がお客さんから、もう見放されてしまうわけでしょう。客との交流さえ、できない。どこに責任があるのか分からないという感じでやっている。きちんとその辺をふまえさえすれば、私は当たり前にやれるようになるのが世の中だと思っています。ひとつのことを続け、やれるだけやっていけば、いろいろなものが能力としてもついてきます。それから世の中にそんな人は、本当に少ないのです。
会社でも、社員はいらない、リストラというのですが、それだけ使える社員がいないからです。上からの考え方かもしれない。でも、使える社員がいたら、そういう社員を使わなければ、会社は成り立たないわけでしょう。それを辞めてくれというのだから。派閥抗争とか、できすぎて追い出したいという社員もいるでしょう。でも、ほとんどそうではないと思うのです。結局それだけのことだと思います。ホリエモンがいいのか悪いのかがわかりませんが、力のある人が、社会的なところに急に出ると、日本らしく徹底して叩かれます。叩かれる人はそれだけ力があるからです。そもそも、何かを表現していこうという人が、政治に興味を持たないというのが考えられません。歌を歌いたいという人のほとんどが、そういうものに無関心ですね。本当に身の回りのことを考えていたら、政治にかかわらざるをえない。政治家になるのではないです。昔は、歌い手には率先して、デモをやっていたのです。そういう中で歌も使われていたから、支持を得た部分があります。政治の世界ということではなく、世の中どういうふうに成り立っているかということに対してスタンスをもつ。そうでなくては、人の歌にしかすぎないのです。
○一理あるニュアンス
歌い手のベースの部分です。音楽とか曲に合わせて、言葉を動かすことをやっています。声優や役者、ナレーター、朗読の方は、一つひとつの言葉をどう置くのか、間合いをどうとるのか、そこにていねいです。イメージの力があるのと同時に、それを調整する声の能力があります。
ヴォーカリストは朗読家ほどの、台詞の中の労力はいらないのですが、音楽に聞こえてくるようなところの、曲調やメロディなんかをふまえたところの読みの能力がいります。構成の能力が問われると思います。詩人というのは、普通に読んだら、その人となりが出て、面白い。合唱も嫌いだし、朗読みたいな読み方も嫌い。なぜかというと、朗読っぽく見えてしまうでしょう。そこで既に本当ではない。
日常的に、おじさんが読んだものは、ダラダラとしている。けれど、その人がつくったものをその人が読んで、その生活が出てくるというのは、悪くはない。あるスタンスの詩人にとってはそんなものでしょう。
ただ、歌は、音楽がベースで、歌にならなければいけないので、それをもう少し加工します。要は、朗読や役者の人はこうは読まない、でもこれも一理あるだろうと。一理あるという意味がわからない人は、歌詞に音楽を聞いてみたら、ああ、そういうことかとわかる、というようなニュアンスです。自分の声のコントロール能力をつけてください。頭からいってみましょう。「いつかこの恋は終わるときがくる」「愛し合うのがこのひと時よ」、演歌を、もう一度じっくり聞いてみましょう。
森山良子さんの「さとうきび畑」を聞いていたら、すごい変わった。あのくらい一つひとつの言葉に情念とか執念が入ってこないと、伝わらない。
「愛し合うのがこのひと時よ」というのが、単に言って済むような歌詞ではないのです。演じなさいということではなく、これをメロディにのせたときに「いつかこの恋は終わるときがくる」のがあって、「愛し合うのがこのひと時よ」というところの何を伝えるかということであって、言葉を伝えてもしかたがないわけです。
「ひと夏の…忘れたいのに」、になったら、盛り上げるわけにはいかないですからね。ここが転じるところくらいです。何か、ここで起こさないと、次のところには想いも残らないし、「忘れたいのに」という思いもないですね。表現ができるところは限られています。ここまでで盛り上げておかなければいけないですね。
○フレーズを決めて修正していく
どうデッサンするのか、「いつかこの恋は」、あるいは「タタタン タタタン タタタン」というものの中にどういう可能性を探ってくるかです。全体を知らなければいけないし、次につながるところも知らなければいけない。
少なくとも、ここだけの課題の場合でも、「いつかこの恋は」までのところまでつかまなければいけない。
あまりデッサンが思い浮かばない人は、決めてしまえばいいのです。最初は太くして細くしようとか、高めにして低くしようとか、自動的に決まります。無駄なことも多いから、本当はこの歌詞から入ればいい。
「いつかこの恋は」と言って、単純に「いつかこの恋は」というかたちでメロディにしていく。それからメロディの「タタタン タタタン タタタン」に対し、「タタターン」、とそこの中での掛け合いです。
だから、「いつか」だけでもできるのですね。「いーつか」「いつーか」、これだけでもそこで伸びすぎてしまったら、「この恋は」のところは縮めなければいけない。長さだけでいうと「この」を縮める、「恋は」を縮める。
たとえば「いつか」といったときでも「い」を伸ばしたときの長さ、「つ」を伸ばしたときのおさめ方、「か」を伸ばすところのおさめ方、この寸法という中では、どれでも可能性があるわけです。
あらゆる可能性があるのだけれど、日本語の場合は「いつか」というところに母音がついて、それが楽譜にくっついてしまっているから、どうしてもそこから抜けられないのです。外国語はそういうことが楽にできる。ひとつの母音に対して、子音がたくさんついていますから、もし「この恋は」の「この」の「お」のところにしか母音がなかったら、自由になってしまうのです。「いつかーこのーこいは」、でも許されるのです。
日本語の場合は、それをやってしまうと、楽譜を書き換えなければいけなくなってしまいます。そんな極端な外国語はありません。
少なくともこれを3つでとるのか2つでとるのかという問題設定がある。2つでも3つでもなく、ひとつでとれているうちで、3つに見えたり、あるいは「い つ か こ の こ い は」、と全部で8つですね。8つ以上に変化できると、いいのですが。ただ細かく10個20個としていくと、今度はバラバラになってしまいます。ニュアンスということです。
出だしの「いつか」が決まると、「この恋は」というのはある程度、限定されてくるのです。限定しているから、そのことに沿っていたら、心地よく聴けるし、それから明らかに新しいかたちが出たら、皆はハッと息を飲んで、次を待つことになります。次がうまくおさまることになれば、うまいなと思うし、おさまらなければ、でたらめをやったなと、なる。その辺は、まだ許されるところです。
そんな歌い方ないだろうということでも、何かが通れば、それは研究材料としてよい。最初は仕方がない、デッサンは、おかしなものをやれば、収集がつかなくなります。あまり外してしまうのもセンスのないことなのです。それは体が教えてくれたり呼吸が教えてくれます。
○拡大して感情過多入り
このことの感情、何をここで言うのかというと、最初に言うところは、「いつかこの恋は終わるときがくる」という、テーマです。
本当はいろいろなものを入れられないから、この歌も、素朴に歌われるようになってしまうのです。それは音楽全体からの構成です。
練習をする分には、感情を入れておかないと、感情を全部抜いて歌ったときに、感情が残らなくなる。そういう練習です。
全部拡大して、練習するときにはしておけばいいのです。感情を入れる必要のないところも、感情を入れておいて、その上で全部抜いてしまう。すると、何かしらニュアンスは残ります。それが一番いい具合で、感情を入れて歌ってしまったら、おかしくなります。
「ひと夏の恋人に想いを残して もう冬がくる忘れたいのに」、ここはメロディで入ってみます。今までの作業が終わったと思ってください。
○フェイク、破格
ここもいろいろな崩し方ができます。ひとつの形を与えましょう。
考えなさいといっても、考えてきた結果でしょうけれど、「ひと夏の恋人に想いを残して」まで畳みかけてください。ここまで何もなく、畳みかけてください。その後に「もう冬がくる」と、「忘れたいのに」はないと思って、「ひと夏の恋人に想いを残して」そこまででいいです。
「ひと夏の恋人に」に対して、「想いを残して」を受けることはできます。全体の構成からみると、「ひと夏の恋人に想いを残して」という動きがあった上で、ニュアンスとして、「ひと夏の恋人に」の「に」に対して、「想いを残して」で受けてやるとわかりやすいですね。
というのはその後に、「冬がくる」、だから本当はここで受けなければいけないわけです。さらに「忘れたいのに」というので後押しを出す。だから、どこで強調するかは、解釈によりますが、前半がついているものの起承転結だと、「ひと夏の恋人に思いを残して」というのが、転じるところです。
「もう冬がくる」、そこで落ち着けて、「忘れたいのに」、ここで大きく言う人はいないと思います。できなくはないと思いますが、かなり難しくなる。
すると逆に考えればいいのです。「忘れたいのに」ということが自然といえるために、「もう冬がくる」というのをどの程度でおさめるか。「もう冬がくる 忘れたいのに」くらいでやりたいと、そうすると、「もう冬がくる」と自然に言えるために、その前に、全部が自然に言えるかというと、そうすると今度は流れや動きができなくなるから、「ひと夏の恋人に思いを残して」はかなりテンションのところで上げておく。ここを上げるから、「このひと時よ」というのは、下げることもできるし、あるいは上げることもできるのです。
起承転結の承の後半ということです。ただ、承の後半から上げて、次のところに入ると、力がなければ転が目立たなくなります。一番簡単なのは、「いつかこの恋は」に対して、「終わるときがくる」で引いておく。「愛し合うのは」でやって、「このひと時よ」で引くと、日本的な歌い方ですが、「ひと夏の恋人に」をサビだから大きめに出しておいて、「思いを残して」で引いておいて「もう冬がくる 忘れたいのに」と。
ベースの構成は4つです。12 12 12 12ですが、これが3番4番まで続いてしまうと、けっこうきついから、何かそこでつなげる。よくあるのは、12 12の2番目のところの、いわゆる8つとしたら、4つめと8つめをつなげるパターンです。どこかでかたちを崩すことによって、新しい解釈や入れ方ができる。
もう一度やってみましょう。「ひと夏の」から「忘れたいのに」、転と結のところです。ひとつの解釈として、これは、12 12 12 12の1 2 3 4でいいのです。けれど、2番が「思ってみたけど そえないものだと」と「知っていながら」、「忘れられない」、これが続いたかたちです。「忘れたいのに」に対して「忘れられない」というのは、強い表現だから、ここを破格にしてしまったのもあります。
6番目と7番目が続いています。ついでにやってみましょう。こういうのをやると、わざを歌詞で破格にしています。ベーシックなものは「どこにでもあるような恋の1ページ」「もう忘れよう みんなすぎたこと」、1番目と同じです。ただここの2番目のところがそうなっています。「思ったものだとそえないものだと知っていながら忘れられない」のところでやってみましょう。
○即興フェイクを求めて
変わることもありますから、問題なのは、材料をたくさん自分の中で可能性としてやっておく。そうすると、たぶん何パターンかの歌になると思うのです。
一番いいのがひとつ、そうでなくても、他のやり方でもあるかなというのが2つくらいです。
即興ということを考えて、その場でライブということであれば、そのときに自分が、たとえば「ひと夏の恋人に」というのをゆっくり歌うつもりだった。けれど、速くいってしまったと。あるいはそのときになって急に変わった。そのときに処理の仕方が全然わからないというのなら、本当に入っていたら、その場で何でもできるのでしょう。
練習の場ということであるのだから、そうなったときには、そうなるようにおさまるパターンというのを自分の中でいくつか持っていなければいけない。それとともに、瞬時に切り替えておさめなければいけないわけです。
それを違うのにして失敗してしまうのか、違うのにしてうまくやってしまうのか、その辺はわかりません。本当に直感的な判断だと思うのです。
だから、実際にライブの場は、家でやったとおりに歌うのではないのです。家でやったときと違う感覚になることが目的です。そのときに発想できたときのほう、そこで何がつくられるのかというようなこと、それをつかみにくるわけです。それがよりよければいいのです。
ダメになっても、何か後に役立つためならいいわけです。
たしかに練習の中でベストなところまでやってくるべきなのです。けれど、実際の舞台はいろいろ変わります。歌が変わらないというのは、私は怠慢だと思います。MCも変わるでしょう。どんなに原稿を書いて用意していても、出た瞬間にこれは言えないとか、ひとつ言って受けなかったら、次のところをカットとか。
歌の中でなぜそれができないのかということです。それをやらないのであれば、歌の中で退屈なことをしているという話になってしまいます。
どんどん変えてみていいわけです。そうやって形ができてきたわけでしょう。そうしたら、その形が出てきたところで、成立させる。
「yeah」というようなところまでコピーしてやっているのが日本人です。本当は違うかたちで出るべきなのです。その人の中に感覚があれば。その辺の問題でしょう。日本人は昔は、「yeah」といわなかったと思います。昔は昔であってと思いますが、そのときに合った感情、日本人には何なんだろうと、いうより、私には何なのか、たぶん、そういうふうに考えずにしぜんにやっているものとは思います。
すべてが向こうのもののようにやって、形としてそれが定番になってしまったのでしょう。
「thank you」といっているような人たちの中で、「ありがとう」という人は、新鮮だった。でも昔は「ありがとう」が当たり前だった。どう選んでいくかも、アーティストとしては考えなければいけないことだと思います。
頭からいきましょう。どこかで変わったらどこかで落ち着けるようにしてみてください。アカペラだから自由にできます。その流れを本当に大切にしてください。失敗してしまうのは、どこかで強くやって、次のところで弱くやるとか、あるいはその強さを受けていけばいいのに、全然切れてしまったり、違うことをやってしまう。何が流れなのかというのは、自分でつかんでいくしかないです。
で、あまりテンポやリズムにとらわれすぎてしまうと、歌もとらわれてしまうことになってしまいます。だから、それに関しては無視をしてもいい。バンドとあわせるときは別です。ピアノをつけたら、ピアニストと呼吸が合わなくなるようなことを今はしてもいいということです。今やることは、とりあえず、あなたと歌詞と曲の一致です。メロディの一致です。ただリズムが信条だという人は、早目にリズムベースに考えてもいいでしょう。
■トレーナーアドバイス〔2006〕
レッスンの中での概要です。これらのメニュが必しも誰にでも当てはまるものとは限りません。参考にとどめておくようにしてください。
<Lesson>
○ピッチの下げ
FとAの音程が下がりやすかったですね。気をつけて練習してますか?もしかすると、そのあたりの音程が苦手ということの他に、アの母音の時に下がりやすいのかもしれません。たとえば、曲を歌っているときに「あなた」とか「あした」とかアのつつ単語は山ほどありますが、その時にも音程がぶら下がってしまっている可能性があるので、気をつけてみてくださいね。アと発音するとき、どうしても軟口蓋(上あごの奥の方)が下がりやすくなります。イの母音の時が一番軟口蓋が高い位置にあると思うので、その違いを意識しながら、アの時にもイの時と同じところで軟口蓋をキープするのを研究してみてください。(♯∬)
○苦手なもの
人それぞれ「この音だしずらいな…」「この母音だと声でにくいな…」等の特定の音や言葉に対する苦手意識があると思います。レッスンをさせて頂いて比較的感じるのが、この苦手意識のために・迷いや・気後れが音楽の中に出てしまって他のできている箇所や関係のない箇所にも影響を及ぼしてしまっている場合があるいうことや、また声・音楽全体の足を引っ張ってしまう場合のあるということです。自分自身どういった処が弱点なのか?何が課題なのか?克服すべき点はどこにあるのか?…様々に考え良く分析すること。これは必要なことであり己を知る一つのよい機会だと思います。但し苦手箇所を改善する前、改善している段階でできないという意識に引きずられない・負けないように工夫するのも大切なことです。「言うは易し、行うは続し」であるのは承知ですが、自分で自分の成長・発達を妨げないようにして練習・レッスンに取り組んでいってください。意識の持ち方1つで変わっていくものです。(♯Ψ)
○コンコーネ50番
『調の違い』を感じながら、歌ったことはありますか?コンコーネも進んでいくと、1つの曲の中に『長調(Dur)』と『短調(moll)』の両方が入っていたり、1つの曲の中で転調や変調があって、曲の最初と最後の調性が違っている…ということがあります。
また譜面上では同じ『ド』の音でも、長調の中での『ド』なのか、短調の中での『ド』なのか、知って感じてから歌うのと何も知らないまま歌うのとでは、出てきた”声色”(声のカラー)が違ってくるのです。このように普段通り勉強しているコンコーネを、時たまちょっと違った視点・観点からさらに直してみるのも、皆様の声にとってまたよい刺激になると思います。(♯Ψ)
○記録
「レッスンの記録」をつけていますか?レッスンの帰りに早速本日のレッスン内容を忘れない内に振り返ってノートに記しておくもよし、帰ったら録音テープ等の音源を聞きながらそれをノートに書き起こすもよし、要は書いて文字にして、後々「読める」形にするのが大切なのです。これを3ヶ月、半年、1年…と記録し続けることで、自分の<声の傾向・変化>が見えてきます。改善・進歩した箇所が分かる場合もあれば、逆に過去出来ていたことでも現在苦手な箇所だったりと。若しくはある箇所に関してはずっと同じことを指摘されているな、など。
この様な記録は声・歌という無形のものを訓練している人にとって大きな「有形の財産」となるのではないでしょうか?是非お試し下さい。(♯Ψ)
○視線
大抵の方で気になること。それは視線の位置です。レッスンを受ける時、自分で練習を行う時、または自身が外で表現する機会がある時、皆様は「自分がどこに視線を置いて声を発しているか」を意識したことはありますか?とある一点に視線を定め凝視する必要はありませんが、大抵意識しなければ、(=つまり無意識・何も考えていない状態だと、)視線はまっすぐより下を向いてしまっていることが多いのです。視線の位置一つで声が変化することは大いにあり得ます。
またどんなに姿勢等、身体の状態に気を配ってよくしたところで視線が落ちてしまっていると、それだけで効果は半減してしまいます。常に意識的に視線を「まっすぐ・まっすぐ〜少し上目」に保つようにしてみて下さい。このことを意識して練習を継続するのと、無意識で継続するのとでは、その先に待っている効果や結果は大きく違ってくることでしょう。(♯Ψ)
○ブレス
声の訓練をしたり、歌の勉強をしている方であれば、必ずブレスについて、ブレスのとり方について考えたことがあるかと思います。 よく「ブレスが上手く取れない」とか「ブレスを取る度に段々苦しくなってしまう」…等聞くことがあります。息は、(言葉は悪いですが、)”寝だめ”や”喰いだめ”のように溜めておけるものではありません。残った息の上に更に重ねて息を吸えば、それは当然息が上がって浅くなり、結果苦しくなって歌い難い・歌えなくなる…などを引起こします。息を吸ったその後にくる発声やフレーズを歌える分だけのブレスを取れば良いだけなのです。必要以上にブレスを取り、ブレスを重ねようとするから、上記のような状態を引起こしてしまうのです。息は出し切れば自然と吸うことができますし、必要な分だけ吸うことで、余計な時間・労力は掛からずに済みます。(♯Ψ)
○話し声
『いい声になるトレーニング』の巻頭対談(P.10〜13)で日本人の話し方の特徴について話されています。そこにあるように日本人はあいまいな会話をするため、身体や深い呼吸がなくても話せてしまう、とあります。自分の普段の話し方を是非省みてください。伝えたい内容も明瞭ではなく、口先でモゴモゴと尻つぼみで話していませんか?
元来、歌い手にはおしゃべり好きが多いのは事実です。会話の内容も面白いですし、何より声が伝わってきます。これは腹式呼吸の賜物でしょう。ペチャクチャとのど声の浅い声でしゃべらず、声帯で話しているためのどの負担も少なく長時間話すことができるのです。
レッスンの中で「体全体で声を作るように」と言っていますが、何も歌に限ったことではありません。会話でも相手に何かを伝えたいなら、体から声を出しましょう。しかし、力んで大きな声を出すと言うことではありませんよ。首の力は抜きつつ、お腹からの息の流れを感じ取り、声帯で明瞭に話すことから始めてみましょう。歌でできていることは会話でもできますよ。(♭Π)
○別のジャンルも歌ってみる
音楽の世界には数多くのジャンルがあります。クラシック、ポップス、ブルース、ロック、演歌、などなど…。さらにこの中でも細分化できますから、相当な数になるでしょう。皆さんの中にもされぞれ得意・不得意の分野があると思いますが、はじめから苦手意識で歌うことを放棄しないで欲しいな、と思います。と言っても、厳密には発声の仕方はそれぞれ違いますから、各ジャンルの様式をそれっぽく歌ってください、というのではありません。どんなジャンルの歌でも、普段の歌い方のまま歌えばいいのです。ここで知って欲しいのは、そのジャンルしかない歌いまわしやフレーズの取り方など多くの曲に触れる分だけ、たくさんの要素を見出し自分に吸収できます。オペラ界の最重鎮のパヴァロッティはクラシックに留まらず、セリーヌ・ディオンはじめポップス、ロック問わずいろいろな方と共演・レコーディングをしています。自分の世界を構築するのもいいですが、いろいろな音楽に触れてみてはいかがでしょうか?(♭Π)
○移調について
ポピュラーとクラシックの大きな違いは調にあります。クラシックの場合、よほどの事以外、作曲家が指定した調、いわゆる原調で歌わなくてはいけません。しかし、ポピュラーの場合、自分の歌いやすい調に移調してよいのです。そこで大切なことは、自分はどの音域が歌いやすく、どの音まで出せるか、という認識を持つことです。これらが分からないまま、歌手にあわせて原調で歌い、無理やり高音を出すようなことをするからのどを壊してしまうのです。高音は高音を出す発声の仕方があるわけで、それをマスターするまでは無理に頑張らず、歌いやすい調に変えましょう。
その際、一番よいのは楽譜を見ることです。どの高さまで音を出しているのか理解することはとても重要です。楽譜が頭にあれば、発声の仕方も対処できます。 (♭Π)
○歌い方
だんだん、いい音程で歌えてきています。微妙に音が下がり気味のときがあります。音が確認できるものがあったら、歌うときに一緒に音を出して歌ってみてください。ゆっくり歌って音を確かめるのも、いいかもしれません。また、表情ひとつで、音程がよくなることもあります。笑顔で歌うことを心がけてください。
拍子によって、弱拍の位置がかわります。何拍子なのかを、必ず確認して歌うようにしてください。手拍子を打ちながらですと、音程やリズムがおろそかになりがちです。まず、手拍子を打つ前に、音程とリズムを必ず確認して歌ってください。そして、なれてきたら、どこが弱拍なのかを、頭の中で確認しながら、歌うようにしてください。逆に、アクセントは、のどで押して出さないように、「大事な音」と思って、身体全体で表現するようにしてみてください。弱拍を、弱々しく歌うのではなく、アクセントに意識をおいて歌ったほうが、うまく歌えると思います。(♯Ω)
○拍とアクセント
弱拍で手拍子で打つのはとても難しいと思いますので、まず、リズム読みをして、その時に、一緒に手拍子を入れてください。そして、音にしたときに一緒にしてみると、スムーズに歌えると思います。どうして、弱拍を意識する必要があるかというと、いろんな曲を歌う時に、裏拍を意識しなくてはならない時があるかもしれないし、また、裏拍を感じながら演奏するのとしないのとでは、まったく違った曲のなります。裏拍を感じられるようになると、曲自体がとてもリズミカルになります。逆に、アクセントもとても重要です。アクセントを気にしながら歌うと、その拍子の特徴を表現することができ、曲の特徴をとらえることができます。アクセントは、ただ強いというわけではありません。アクセントがついているところは、重要な音なので、大事に歌うというイメージを持って、のどから歌うのではなく、体全体で、表現するようにしてください。休符のところに強拍がくることがあります。音を発することができませんが、その休符をより、大切に感じて歌うようにすると、とても効果的です。(♯Ω)
○読譜(1)
まず、歌う前に、楽譜をよく見てください。そして、音はつけずに、まずは、音符を棒読みして、リズムを確認してください。リズムや休符の位置が確認できたら、音をつけてください。もし、音が確認できる、ピアノや、キーボードなどがあれば、音を確認しながら、何度も歌ってください。そして、メロディーを覚えるようにすると、音程がうまくとれるようになります。また、休符がところどころ途中で入ってきます。どこで、休符が入るか、把握するために、拍を数えなくてはなりません。数え方は、左手で、指で数えるのが一番よいやり方です。
まず、4拍子の場合は、薬指を1拍目、中指を2拍目、人差し指を3拍目、親指を4拍目として数えてください。
なぜそれがよいかというと、楽譜は、左から右に向かって読みます。左手を楽譜の上においてください。すると、指も楽譜と同じように、左から右にむかって、拍を数えらて拍子がとてもわかりやすくなります。ぜひ、試してみてください。(♯Ω)
○読譜(2)
楽譜に慣れるのが、今とても大変だと思われます。ゆっくりで、かまいませんので、まずは、何分の何拍子かということと、どの音符から始まっているのかを、確認してください。それができたら、はじめから音を出すのではなく、音符をリズム通りに読む練習をしてください。どんな音符で、どんな音符があるのかを確認したら、音をつけてゆっくり歌ってみてください。もし、音が確認できるものがあれば、確認しながら歌ってみてください。どうしても、難しいところがあれば、そこだけ取り出して、何回も練習してみてください。それでも、難しい場合は、音が取れないところは、後ろから歌ってみるのもいいと思います。たとえば、ド→ソという音型がとれない場合は、ソ→ドと歌ってみるのです。すると、音と音の感覚がつかめます。その後、ド→ソと歌うとちゃんと音程がとれます。ゆっくりでかまいませんので、とにかく、少しずつ楽譜を見る時間をとって、楽譜になれていってください。(♯Ω)
○読譜(3)
しっかりした声でよく歌えています。音程は、低いことが多いので、響きに注意して、なるべく高めを意識してください。響きを保つには、笑顔でうたうのか効果的です。また、楽譜を凝視して歌うと、どうしても下を向いた状態になり、音程が下がってしまいます。できたら、楽譜は時々見るようにして、なるべく前を向いて練習してください。アクセントをつけるのは、とても大変だと思いますが、ただ単に強くするのではなく、大事な音、という認識で、身体全体を使って、アクセントのある音を表現してみてください。2分の2拍子と4分の4拍子の違いも難しいと思います。大きな違いは、アクセントの位置です。2分の2拍子は、1拍目にしかアクセントがつきません。しかし、4分の4拍子は、1拍目と3拍目にアクセントがついてます。なれるまでは、2分の2拍子は、4分の4拍子として数えながらやって、なれてきたら、2分の2拍子で歌ってみてください。高いラやソになると、音程がさがることがありますので、これ以上高い音が出ない!と思うくらいに出すのかちょうどよいかもしれません。(♯Ω)
○読譜(4)
3つのことを一緒にやらなくてはいけません。ますは、テンポを一定にとれること。手拍子を一定のスピードで叩けるようにします。これは、けっこう難しいことです。自分の歌につられないようにしなければいけません。そして、ドレミを間違わずに言えること。
それから、リズム。これは、難しいので同じものを繰り返しやっていかなくてはいけません。根気がいりますが、がんばりましょう。
そこで、音程をつけずに(歌わずに)リズムだけに集中して譜面を練習していきます。リズム読みと言ったりします。1本調子で、リズム通りにドレミを読んでいくのです。メトロノームなど、しっかりとした拍子を刻むものと一緒にやりましょう。メトロノームがない場合は、時計の秒針の音でもできます。♪=120だと思って練習すると、ちょうどよいテンポかと思います。(♯Б)
○読譜(5)
音程の微妙な高低は、聞いている人にはすぐ分かりますが、正しい高さの音程で歌うのはけっこう難しいことです。伴奏がついていると、自然と耳がそれを頼りにして歌っていくので大幅なずれは防げますが、やはり伴奏などない状態で、自分の力でしっかり音程をとれるようにしていないと、伴奏があったとしても、どう歌っていいのか、全くわからなくなってしまうことがでてきてしまいます。そして、それはあせっているときにこそ起こることなので、その瞬間になかなかいい対処ができません。そこで一人で、ようするにア・カペラで歌う練習をしていきましょう。最初にドレミファ〜を、一音一音、しっかりと声を出して歌ってください。その時に、すぐにやめないで、一音を7,8秒は延ばして歌ってください。
そのくらい延ばすと、声が安定してきます。そして、延ばしている間に口の中やのどの状態が、今、どうなっているのか考えてください。そしてそれを脳にインプットしていくようなつもりになってください。自分の出している声が正しい音程かわからない初期の段階でしたら大きな声で、一定の高さで長くだすことをしてみましょう。やはりこの時でも、常に自分の体・口・のどなどがどのような状態になっているのか気にすることがとても重要です。レッスンで少しずつ、一人で歌うことに慣れて、何も頼らずしっかり歌えるようになってください。(♯Б)
○シャンソン
シャンソンであっても、クラシックの発声に通じるものはあります。下っ腹から息が出るような感覚と、お腹に息をためて、その状態を維持することは、忘れないようにしてください。声は、いつも、息の上にのっています。発声の練習をするときに、息、ハミング、声の順に練習して、身体の感覚は常に同じような感覚で、響きを変えないように意識してください。響きは、実際に頭に手を当てて、歌っているときにビリビリきているかどうか、確認すると、わかりやすいと思います。
シャンソンは、言葉が明瞭でなく、ボソボソ歌っているような感じにとらわれやすいですが、だからといって、雰囲気だけではなく、言葉もしっかり発音していく中で、先ほどの発声をふまえ、盛り上げるところは、とても情熱的に歌うのがよいと思います。人前で歌う機会は限られていますが、そういった機会は、必ず勉強になります。いろんな方と交流を深めて、そういった場を探すことも大事だと思います。人前で歌うときは、発声のことに気をとらわれず、どんな風に表現するかということだけに集中してください。また、一人の人に語りかけるように歌うと、よい表現ができるという人もいます。 (♯Ω)
○予防
冬真っ最中ですね。歌う人にとっては、特に健康に注意が必要な季節です。例年のインフルエンザに加えて、今年はノロウイルスという新しいウイルスも登場しました。風邪・インフルエンザの予防としては、基本ですが帰ってきたら、先ず手洗いとうがい!これが簡単そうで、できてない人も多いのではないでしょうか?手洗いは手首の辺りまで、石鹸を使ってしっかりするといいそうですよ。インフルエンザ対策は、やはり予防接種が効くのではないでしょうか?あとは、移動の際、特にラッシュ時などはたくさんの人の中を移動しないといけないので、マスクをつけて予防するのもよいと思います。あと、私が日頃から行っているのは鼻うがい?(鼻を洗うこと)です。毎朝起きたらすぐ行います。これはテレビで森光子さんが長寿の秘訣を聞かれていたときに、「毎日スクワット70回と鼻を洗う」と答えていたのを観てから、私も実践していて風邪もひきにくくなりました。レッスンを気持ちよく受けるためにも、日頃から健康に気をつけましょう!(♯Θ)
○歌のことば
楽器奏者と歌いてとの大きな違いがあります。何だかわかりますか?ことばを使うということです。ことば、つまりテキスト、メッセージというものを抽象的に表現する楽器と違って、歌手はダイレクトに伝えられるわけです。そして、皆さんはその歌を学んでいるわけで。なので、皆さんにとって声を育てることはもちろん大事なことだけれども、歌う内容・ことばの勉強も同じように大切だということを忘れないでください。イタリア古典歌曲をレッスンで勉強してる人も多いと思いますが、たとえば今歌っている曲のある単語の意味をトレーナーに聞かれて、すぐ答えられますか?または、発音の練習をきちんとしていますか?たとえ、トレーナーが教えてくれなかったとしても、自分なりにテキストを読む練習をしていますか?特にイタリア語はとても音楽的なことばなので、話すようにアクセントなどに注意して歌えば、そのままメロディになってくるんです。どうかただ声だけでればいいと思わないように。(♯Θ)
○声量について
ヴォイストレーニングを受けにこられる方の要望に『声量を大きくしたい』というのが多いのは事実です。やはり声量はあるに越したことはないのですが、必要不可欠なものでしょうか?オペラや舞台人ならば必要ですが、マイクのあるポピュラーの世界ではそこまで重要視しなくてもよいと思います。逆に大きな声を出そうとしてのどで歌ってしまい、息もれや声帯の故障につながっては意味ががありません。
声量は息の量と声帯の振動の関係ですから、息の量を増やすには腹式呼吸を身につけるのは言うまででもないのですが、そればかり意識をしても効果はでません。声帯が重要になるのです。声帯は筋肉ですから、使っていけばある程度しっかりしてきます。しかし、他の筋肉同様個人差があり、もともと声帯が強い方もいれば、弱い方もいます。そこで大事なのは、自分の力量を知ることです。声帯が強ければきちんとしたトレーニングをしていけばよいのですが、声帯が弱い方が、強い方と同じトレーニングをしても伸びません。むしろ声帯を痛める恐れもあります。声量がないなら、ないなりに、質の良い声を目指すなど違う所で勝負をすればよいと思います。(♭Π)
○練習はしてくること
レッスンのときによく見られる光景として、『レッスンの時間が練習の時間』になっていることが挙げられます。レッスンはあくまで『練習してきたことを第三者に確認してもらうための時間』であることを再認識してください。
音楽の基礎である、音程・リズム・拍子・五線譜読みをマスターする。これらがすべてできて音楽の基盤が整うわけです。ところが、「音程を気にするとリズムが分からなくなる」とか、「五線譜読みに集中してしまうと音程がとれなくなる」などと、どれかが欠けてしまったらレッスンにならないのです。自分は覚えが悪いと感じるなら人の3倍練習してください。できるようになるまでやるしかないのです。ピアノやヴァイオリンをやっている人は小さい頃からやっているわけで、始めた時間が違います。しかし、そこであきらめず、その時間を埋め合わせてください。それは努力しかありません。
レッスンで行っているような知識がなくても歌は歌えますし音楽も出来ます。しかし、理論を知ることにより音楽に対する見方も変わってきます。 (♭Π)
○テクニックの意義
主に発声で、音階練習をします。その中で、低音は頬に当てるように、中音は声帯をしっかり振動させて、高音はジラーレで、その上はファルセットで、と言っています。そのほか、声楽のテクニックとして、細かいものがいろいろあります。しかし、ポピュラーではそんなテクニックは使わない、と思いながらレッスンを受けている方もいるかもしれません。私は、この発声法をそのまま歌に活かして下さい、ということを言っているのではないのです。ポピュラーですから、それぞれの歌い方があってしかるべきで、またそれが個性にもなるのでしょう。しかし、なぜこのような発声練習が必要かというと、自分で歌っていって、声の調子が悪くなったり、歌い方に疑問を持った時に基礎に帰って、見つめなおす原点を持つことに意味があるのです。闇雲に歌っていって、いつしか声が出なくってた、では遅いのです。知識があれば、前もって気をつけることもできるし、違った道を進んでいたとしても、元に戻ることもできます。そういう訳で、知識をして理解しているのと、していないのでは大きな違いが生まれます。その点を理解してください。(♭Π)
<Menu>
○歌に役立つ「経絡体操」を紹介したいと思います。
@床に座り足の指を親指から小指まで一本ずつ前後に動かしてほぐしていきます。
Aほぐした後5本の指を片手でつかんで左右交互に10回ずつ位大きくまわしていきます
B次に足裏全体をこぶしで叩きます。まんべんなく1分程叩きます。
C足首を持って左右交互に10回位ずつ大きく回します。
D足の甲→足首→ふくらはぎ→膝の順にこぶしで叩きます。特に足首はのどのつぼがあるので重点的に。
Eまず太ももの表を円を描く様にこぶしで叩き揉みます。続いて裏側も同様に。
F膝→ふくらはぎへと叩きながら戻ります。
@〜Fを片足ずつ両足に行いましょう。時間がないときは@〜Cだけでも行うよう心がけて下さい。歌う時に足元を冷やさず温めておくことは大切なことの一つです。
Gかかとをふとももの付け根に引き寄せ、膝頭を持ちゆっくりと床に打ち付ける様押していきます。押して→元に戻す、を繰り返して行う時、かかとがふとももの付け根から離れないようにしてください。片足ずつやった後、両足同時で体操してください。
H両足を揃えて伸ばし特につま先はバレリーナのように曲がるまで伸ばします。
I両足をできるだけ開脚し、右足先に左手の指が付くように体を曲げます。その際にわき腹の筋を伸ばすことに重点を置いてください。反対側も同様に行います。交互に数回繰り返しましょう。
J両足を揃えて通常の柔軟体操のように前屈し背中を伸ばします。膝の裏が床から浮かないようしっかり付けておいて下さい。
K起立し、両肩を耳の下に付く位まで引き上げ、そのまま思い切り方にグッと負荷をかけて10秒程その状態を保ちます。
L緩させてそのまま下にストンと両肩を降ろします。K、Lは5回ずつ繰り返して下さい。
M両肩を同時に前回し、次に後ろ3回回します。方の付け根を回す感覚をつかんで行いましょう。
Nできるだけ高く、両手を天に向かって伸ばします。ゆっくり息を吐きながら横から下へと両手を下ろしていってください。 (♯Ψ)
○ハミング
息を吸う:まず深呼吸をして身体をリラックスさせることから始めましょう。余分な力を脱力させる(つまり意識的に行う)ことで体を自然に近い状態にします。何回か深呼吸を行うと除々に体の中の状態が整ってくることでしょう。そしたら声を出すための息をすいます。これは鼻からでも口からでも、どちらからでも大丈夫です。但し大口を開けてカバのように吸い込むのだけは止めましょう。のども渇いてしまいますので!
発声を行う:まずハミングで声帯を温めてあげましょう。この時、口先だけのハミングではなく鼻へ声を通すイメージを持って(注:鼻声とは違います。)様々な音階をこの”鼻ハミング”で歌ってみましょう。例)ド→レ→ミ→レ→ド、ド→レ→ミ→ファ→ソ→ファ→ミ→レ→ド等 鼻ハミングの時に口が軽く開いてしまっても問題ありません。もちろん口を閉じていても大丈夫です。通常の発声同様、鼻ハミングの時でも発声・音階フレーズをとぎらせることなく、レガートを常に心がけてなめらかに行いましょう。(♯Ψ)
○発声トレーニングに関しての意味
・唇を震わせてする発声→唇を柔らかくするため。
・巻き舌の発声→舌を柔らかくするためのもの。
・ハミング→響きを統一するもの。
・ハミングから「ア」→口を開いても響きを統一させるため。(♯Ω)
<Q&A>
Q.友人のオペラ歌手が言っていたことなのですが、英語の歌を唄うときは発音よりもその方の先生に教わった唄い方を重視するということでした。
オペラ歌手ぐらいな国際的な歌手も発音を気にしないですませているのでしょうか。
またそれで通用するものなのでしょうか。(観衆が外国人の場合)
A.発声を気にしないオペラ歌手はいません。ただ、一言で述べられる内容ではありません。
まず、音声生理学的(人間の発声器官の構造上)に発声と構音(発音)は、最高音域においては両立しがたくなります。
オペラは、演奏スタイル上、発声と共鳴を優先せざるをえません。
また、元々、それぞれの民族文化を他言語で完全におきかえられるものではありません。
歌唱内の言語と実際の言語は、既に異なります。
伸ばすことは元より、日本語の「っ」や無声化する「キク」などは正しい発音やアクセントでは歌えません。
人間にとって、何をもって、発音の“正しさ”というのかは、英語はともかく、 日本人としては、日本語の正しい発声、発音を日常においてさえ未だ、基準として、考えていないのにコメントできる人もいないように思います。
英語の日本人なまりはよいが、フランスでシャンソンを歌うならよくない。(私はそう考えますが、ケースによっては、よしとするかも知れません。)それは、客の聞き方にもよります。
要は、アートは、結果として感動させるレベルのものにするのが第一です。発音だけでは感動させられません。歌唱がすばらしい上に、発音もよければ、尚によいということです。ですから、努力目標には、すべきです。両立しえるレベルに対しても、個人の価値によります。発音を極めている人には、耐えられない歌が多いのもしれません。私も別の意味に耐えられない歌が多いのです。だからといって間違いと否定は、できません。
それぞれ、専門分野があります。私としてもトレーナーでありながら、数ヶ国語の歌をみておりながら万能には、極められません。そこでは、別の専門家をつけます。発声や音声生理学に無関心な、無学な外国語教師がいることを耐えられないというトレーナーもいます。
比較的、発音、音程、リズムは、間違いがわかりやすいので、正誤で何ごとも判断したがる日本人の関心はそこに集まりがちです。ただ私共の現場では、もっと優先すべきことがあります。
アグネスチャンをはじめ、日本で仕事をやる外国人の日本語を直したいとも思いませんし、オーストラリアなまりをわざと売り物にして公職につくシュワルツネルガーも、私自身は気になりません。
オペラについては、私なぞが言及する立場にありませんが、せりふの深い理解を欠かせないオペラで、発音を気にとめない人などは、いません。
ただ、音声生理学的には、最高音域での発声は構音(発音)とどうしても両立し得ないものです。
日常の発音と、歌唱は異なるので、同じ判断でみるのは無理があると考えます。
正確な発音は努力目標ですが、必しも第一優先にはなりません。それでも、たとえばミュージカルなどでは、「劇団四季」などに見られるように、劇団出身の演出家はことばに重きをおいているようです。
Q.唇ブルブルという練習は、唇だけを動かすということでしょうか。また、何に効果があるトレーニングなのでしょうか。
A.唇だけでなく、口や舌、顔の筋肉をやわらかくすることで、声は出やすくなります。特に外国語の場合は、唇や舌を使って音を発するため、トレーニングでよく動かしておくことで、しぜんな音を出しやすくするのです。
Q.一流のプロ歌手は、高いキーでも、顔、口、舌、のど、首に力は入れないのでしょうか。意識して、力を抜いてトレーニングすることは大事でしょうか。
A.最初は意識してやりますが、トレーニングで繰り返すうちに、無意識に力が抜けるようになると捉えてみてください。それには時間がかかります(個人差があります)。一流の人たちは、それが無意識にできているということです。
Q.横隔膜の動き(腹式呼吸)の一貫として、ろうそくの火を消すようにという感覚がつかめないのですが。
A.そのイメージに集中して練習するように。
Q.アゴに力が入ってしまうが、どうしたらよいでしょうか。
A.普段からアゴを左右に動かしたり、回したりなどのストレッチと、声を出す前にアゴに手をおいておくのも一つの手です。
唇、アゴ、舌根を柔らかくする訓練
唇…息を流して震わせながらのスケール練習。
アゴ…@下前歯に舌先をつけ、左右に5回づつ動かす。
A同様な舌の位置で前後に。(前に突き出したり、首に埋めるように)
B左右に回す
C手でアゴを押さえ、静かに上アゴを開ける。
Dあくびを出して同時に頬骨も上がるように意識する。
舌根…@思いっきり舌を前に突き出し、丸めて引っ込む。(5回)
A舌を突き出し、左右に動かす。
B舌を突き出し、唇をなめる(1周)
C舌を上前歯につけ、前にはじく(5回)
D舌を突き出し、前歯で舌をかんで、nyanの発音で音程で歌う。この時、舌が戻らないようにする。
ドイツの歌手、ヘフリガーの教則本に載っています。イタリアの大テノール、ジーリは上記の訓練を毎日かかさずやったそうです。パヴァロッティ、ドミンゴ、レオヌッチ、マリア・カラスもアゴ、舌根には特に気を使って若い頃、訓練したそうです。歌う時の舌の位置は、皆、違いますが、舌根をのまないためのそれぞれ工夫です。(♭Σ)
Q.自宅で歌の練習を行う時、”どこをみながら”練習を行うでしょうか。鏡でしょうか、それともキーボードでしょうか。
A.わたしは「窓の外の景色(それもできるだけ遠くの方)」を見ながら練習することをお勧めします。遠くのほうにある一つの建物、陸橋、木々…等に狙いを定めて、あたかもその目標物にまで声を届かせるつもりで練習を行うのです。よく”声を遠くまで響かせるようなつもりで”とか”ホールの隅々まで声を届けるイメージを持って”と言われますが、これはそのイメージをより具現化する一旦になるのではないかと思います。実際、ごく普通の一室で頭の中だけで「遠くへ!」と考えていてもなかなか声に良い影響としては反映しにくいだろうと思うのです。歌や声、音楽のアドバイスというものは時として抽象的な部分も多いので、それをどのようにすれば具体的に、又より自分の体や声によい影響を与えるか?を考えて工夫していくことも大切だと思います。(♯Ψ)
Q.音が高くなるにつれ、声量が落ちてきてしまうのですが。
A.「声量」というのは、ある程度は生まれつき持っている資質によります。生まれつき持ち声が大きい人もいれば、小さい人もいます。 但しそれは訓練次第で変化させることができるのです。(それが声を育てる面白味でもあります!) 特に高い音は、無理な練習をしてしまうと声やのどを潰しかねませんからじっくりと長期的に、しかし確実に声が上へ伸びるよう練習して、1年に1〜2音上の音が出て、かつ「使える」声(→ただその音が出た、というだけではダメなのです。)になればよい、程度に考えて下さい。
(注:1日2日練習したところで劇的な変化は望めないのです。)(♯Ψ)
Q.強い、パワーのある声を出したいのですが、そうすると声を重く、掘り下げて出すような感じになってしまいます。楽な状態で、かつ強い声を出すにはどうしたらよいでしょうか。
A.まず力強い、パワーのある声というと、ゴスペルなどを思い浮かべる方も多いかと思います。地声(胸声)には人の心にダイレクトに響くものが確かにあります。もちろん、頭声でも体の中の「声が響く場所」に当てれば、楽な状態で(この”楽”というのは=自然な、と解釈して下さい。)強く、響きのある、人の心に訴えかけるような声は出せるようになります。
但し地声と違って、その場ですぐに上記のような頭声が出るわけではなく、最初は普通の音量だった、若しくは弱い音量だった頭声を<段々に訓練して育てること>で、頭声の力・パワーを増していくのです。間違っても、重く押したり、必要以上に掘って、その場だけしか使えない声にはしないように、ならないように、充分気をつけて下さい。(♯Ψ)
Q.よい声とはなんですか。
A.この質問の答えは難しいですね。私の見解としては、よい声は声帯の声門がしっかり閉じて、声帯がバリバリと振動している声がよい声だと思っています。男性なら低音の男らしい響き。女性なら透き通るような美しい響き、と思います。それに子供は天使の輝くような響き、というのもあります。やはり男は男らしい声、女は女らしい声、子供は子供らしい声があります。言い換えれば、その性別でしか出せない声があるわけで、さらに深く言えば、その方にしか出せない声があるのです。誰かの物まねではなく、その方の本来の声を出しているのが、一番よい声だと思います。
何も雲雀(ヒバリ)のような美しい声だけが声ではないのです。声優の大山のぶ代さんのような声も、仕事として立派に使いこなせるのです。大山のぶ代さんは普段もあのままの声だそうです。ですから、自分の声を最大限活かしているのが、よい声と言えるのではないでしょうか。(♭Π)
Q.ジラーレのときは低音のときのように声帯を鳴らすという意識を持ったほうがよいのですか。
A.ジラーレはまずは低音〜中音の1オクターブをしっかりとできたうえでおこなう高音を出すテクニックです。この中音域までの音をしっかり声帯を振動させた深みのある声にしておかないと、いざジラーレをするときに薄っぺらい、ただ頭声で響いている声になってしまいます。高音も中低音のように深みのある声で出したいものです。
質問の答えですが、結果的に言えば、声帯を鳴らすという意識は持たなくていいです。中低音がしっかりしていれば、ジラーレをするときは必然的に声帯が振動してくれます。むしろ、声を出そうと力んでしまうのは逆効果です。例えとしては、『針の穴に糸を通すように』です。糸は息のことですね。息が太いと針の穴に通すことができません。このジラーレに関しては非常に注意が必要で、文面で理解するのは困難なため、この程度にしておきます。(♭Π)
Q.音階練習のとき、音が上がるにつれ息の量、もしくは声を大きく出してもいいものなのでしょうか。
A.高い音にいくに連れて音量が大きくなるのはしぜんな原理です。ですが、無意識ではいけません。自分のテンション・感情に流されて闇雲に歌うのではなく、歌い手ならば息の量・音量をはじめ、表現においてまですべてコントロールできなければなりません。レッスンでも、音階練習をする際にクッレシェンド・デクレッシェンドをしているのはそのためです。はじめは同じ音量で音階を練習をしてみてください。その時、しぜんと音量を出したくなってしまいますが、まずは我慢をしてください。それができたあと、クッレシェンド・デクレッシェンドを意識的に行いましょう。ここから音を大きくして、ここから音を弱くするなど、考えながら歌ってください。発声段階からこういった意識を持っていると、曲を歌うときに大変有効的になります。なぜここで音量を変えるのか、など根拠をもった歌い方ができるようになります。(♭Π)
Q.のどを下げようとすると首に力が入ってしまいます。
A.こののど仏を下げる行為は、声を深くするために行っています。それと同時に、きちんとのど仏が下がっていると、のども開いた状態になっていきます。しかし、これは間違って練習してしまうと、おっしゃるように首に力が入って、逆にのどをしめつけて、苦しくなってしまいます。また、のど仏を下げようとするあまり、声のポジションまで落としてしまい、ボーボーと息漏れをしながら歌うようになってしまいます。そこで、練習法を挙げたいと思います。
まずは、卵を丸ごと飲み込むように、口の中の空間をたっぷりとり、食道に卵がそのまま落ちるようなイメージをしてください。おのずとのど仏は下がっていると思います。この状態で、『ア』といってみてください。口を閉じているので、アには聞こえないと思いますが、深い声がなっているのがわかると思います。これをどの音の高さでも保てるようにしましょう。そこで、気をつけて欲しいのが、力で抑え込もうとして、息を大量に使ってしまうことです。ただ、のど仏が下がっていることと、響きを感じて欲しいだけなので、ポジションを落とさないように注意してください。(♭Π)
Q.ライブの時に気をつけたらよいことはなんですか?
A.「レッスンで行ったことを活かしてください」と言いたいところですが、ライブは素の状態を人前でさらけ出すわけですから、発声のことなどを順序だてて歌うことは意味がありません。今の状態を受け止め、それを出し切りましょう。発声のレッスンなど意味を成さないと思うかもしれませんが、それは違います。何十年も使ってきた声は、たがだか数回のレッスンで変わるわけがありません。しかし、レッスンを何年も続ければ、知らず知らずそれが体に組み込まれ、その状態が『しぜん』となるのです。その時、発声のことは何も考えず歌ってみてください。何もしてこなかったときと比べると、発声や体の使い方など、全く違っているでしょう。考えて声を出しているうちは、まだまだ体得していないと思ってください。意識をしなくとも、体が自然と正しい方向に向かうようになるまで、何度も練習を繰り返すのです。音楽家は芸術家の前に技術屋、職人にならなくてはいけません。(♭Π)
Q.のどを開いて息をコントロールしながら吐き続けるのが難しい。それと同時にどこで息の出てくる量を調節したらよいのでしょうか。力の入れどころが分からず、途中から急に息が抜け出ていってしまい、腰抜けのようになってしまいます。
A.まず、ロングトーンですがベースは呼吸法と同じようにやることです。呼吸法では長く息を伸ばせるのに、声にしたときに短くなってしまうのは息が無駄に出ていっている、と思ってください。呼吸法と同じですから、息を吐く(声を伸ばす)時は丹田を意識し、息がなくなったら、頑張って吸おうと思わず、普段の呼吸同様になくなった分だけ補えばよいのです。ブレスだからといって欲張って多く吸い込もうとしないで下さい。息の量(音量)の調節も丹田だけを意識し、他はどこにも力を入れてはいけません。まず、呼吸法の復習をしましょう。すべての基礎は呼吸にあります。(♭Π)
Q.どうしても、のど声になってしまいます。どうすれば複式呼吸ができるようになりますか。
A. のど声であるという自覚があるということは、自分の声に疑問をもっているということですね。まず疑問を持てたことで問題は解決の方向へ一歩前進しています。普段の話し方、言葉の発音から変えていくとよいです。どうしても「歌う」ことを意識して歌いだすと不自然な声になりがちですが、「A」「I」「U」「E」「O」をはっきり遠くに届けるように繰り返しやまびこのように発音してみましょう。普段使わない腹筋や顎の部分が痛くなると思います。声を出すのにはこれだけ「体」を「使う」ことを実感するでしょう。まずこの感覚をしっかりつかんでレッスンに臨んでください。
また腰に両手を当てて側面が横に広がるように鼻からゆっくり空気を吸ってみてください。寝た状態でやるとより効果的です。そしてまたゆっくりと口笛を吹く感じで8秒・12秒・16秒と息を吐く時間を伸ばしていきます。すると声が息に乗って「しぜんに」柔らかくのどに無理なく出るようになると思います。(♭Φ)
Q.上手な歌手の歌を聴いているとビブラートのような感じで声がゆれているように感じるのですが、どうすればできますか?
A.確かに一流の歌手の声には聞き手の心に入ってくるような微妙な息遣い、声の抑揚、言葉の厚みなどが感じられますね。特にフレーズの最後にスーッと消えていくようなビブラート、また大きく歌い上げた後の余韻のこもったビブラートはオリジナル性があってなかなか簡単には「真似」できません。しかしビブラートがかかっているなあと聞き取った、または感じ取ることができたということは技術的にできるようになる一歩手前まで来ているといえます。ビブラートを使う曲はゆっくりしたテンポ、バラード系に多いですよね。一つ一つのフレーズも長いはずです。ですからまずは声を長くロングトーンで伸ばせるようになること、フレーズの終わりまでピッチがぶら下がらないこと(結構気が付かないうちに下がっている人が多いです。)をしっかりできてから、息を全部使い切る前に心持ち余裕を持たせてディミヌエンドしながら、フレーズを歌い終えるようにする。最初は難しいかもしれませんがトレーナーに聴いてもらいながら感覚をつかんでいきましょう。するとフレーズの最後のほうで声は小さくなってきているのに、息が残っていると思います。この声と息の微妙なバランス、ミックスがその人それぞれの声のゆれ、すなわちビブラートとなって表れてきます。
イタリアのバロック時代の歌い方では「メッサ・ディ・ヴォーチェ」(Messa di voce)といってフレーズの始まりと終わりには必ずクレッシェンドとデクレッシェンドを使って歌うようになっていましたし、また作品そのものもそのように書かれていました。
その後演奏楽器が改良され音量が増えたり、様々なリズムが出てきたりして自然なビブラートを使う曲の割合は減ってきましたが、最近の「アダージョ音楽」や「癒し系」ブームのように再びゆっくりした歌唱法が取り上げられるようになっていきました。練習のときもまずはゆっくりと丁寧に歌いこむように心がけてください。(♭Φ)
Q.ミュージカルの歌は地声で歌われることが多いですが”声楽”は頭声が基本なのでしょうか?
A.ミュージカルはマイクを使って上演されますが、声楽、オペラは自然な響きの中で上演、演奏されます。声楽はマイクに頼らない分、体で十分共鳴させて響きを自ら作っての発声になります。といって頭声だけではヴェルディやプッチーニといったイタリアオペラの役は歌えません。やはり腰の支え、腹筋背筋や息の支えがとても重要になってきます。また日本語という原語が欧米語に比べ響きが浅く、それほど体を使わなくてものど及び地声でも発音、発声できてしまう所に問題があるようです。(♭Φ)
Q.スタッカートの練習では、腹筋や背筋がすぐ疲れてしまいます。間違った練習なのでしょうか。
A.普段よくやるレガートの音階練習はあまり意識しなくても声が簡単に出るかもしれません。ところが「ハッハッハ」や「ホッホッホ」は、まず声を出すためにも勢いが必要ですし歌っていては、すぐのどが疲れて痛くなってきてしまうでしょう。ですから意識を集中させるところ、重心を体の下のほうへ下げていきましょう。おへそのすぐ下にいわゆる「丹田」があります。そこに気持ちを持っていきます。実際は声は声帯を通って口腔から出ますが、お腹の筋肉「腹筋」プラス「背筋」を使って発声します。初めて試してみると、最初の頃は上手くいかない、腹筋が痛くなるかもしれませんが、上達には少しの「痛みが」伴うものです。のどが痛くなるのではなく「腹背筋」が多少痛くなるくらいの意識で歌ってみましょう。(♭Φ)
Q.イタリア語の発音はローマ字読みに近いようですが、細かいところで発音とアクセントが分からないので教えてください。
A.イタリア古典歌曲の「Caro mio ben」を例にとってみましょう。歌詞の2段目credimi almenは クレーディミ アールメンとそれぞれ先頭にアクセントが来ます。senzaはセンツァ tuo はテゥオではなくトゥオです。fedelはフェデルではなくフェデール、ognorはオンニョールと軽く「ン」を入れます。 cessaはシェッサと発音する人が多いですがチェッサになります。crudelはクルデール、rigorはリゴール。それぞれ最後のLは舌を上の歯の裏に付けて「ル」、Rは軽くルゥゥと巻き舌をして発音します。
ところで古典の歌詞はところどころで韻を踏んでいるところがあるので意識して発音し、歌ってみると曲の美しさが際立ってきます。例:benとalmen, fedelとcrudel, ognorとrigorです。(♭Φ)
Q.イタリア古典歌曲のAmarilliの発音を教えてください。
A.まず題名はアマリリではなくアマリッリとLを撥ねます。bellaはベッラ、llは舌を上の歯に付けて二重に発音します。desioはデズィーオ、d'esserはデッセル、crediloはクレーディロ、e se と母音にはさまれた子音sはエセ、t'assaleはタッサーレ、dubitarのu はいわゆる日本語のu よりもかなり唇を深く突き出してo に近いu です。valeはバーレではなくヴァーレ、aprimiはアプリーミ、ilはイッルとはねるくらいしっかりと。vedraiのrは軽く巻き舌をします。scrittoはスクリートではなくスクリットになります。
またそれぞれの文末の韻を踏んでいる所、desioとmio、t'assaleとvale coreとamoreを意識して味わいながら歌うように心がけましょう。作曲者のCacciniは1600年ごろイタリアのフィレンツェで最初のオペラを手がけた人です。(♭Φ)
Q.のどを開けて発声するというのはどういうことですか。
A.普段日本語で話をしているとあまり声のことを意識することはないかもしれませんが、ラジオやテレビをつけたときにたまたま語学講座をやっていてネイティブの発音などに触れたときなど、あれ、大分オーバーに声が大きく聴こえるなあと感じたことはありませんか?外国人は普段から声が大きいように感じますね。体格にもよるかもしれませんが発音、発声のレッスンをしっかり受けたナレーターやアナウンサーの声は良く通ります。
言葉のアクセントや発音を正しく身につけている以外に、声が良いという資質も必要と思われます。聞いている人が聞き取りやすい声というのは明るく明瞭ではっきりした声ですが日本語はともするとぼそぼそとつぶやく程度にしか聴こえなくなりがちな言語です。あくびをしてリラックスした状態をイメージして口の奥を広く開けて響かせられるように工夫してみましょう。 (♭Φ)
Q.発声していて一つの音を長く伸ばすのが苦手です。どうすればよいですか。
A.いろんな曲が歌えるようになるために、特にバラード系のゆっくりしたテンポの曲を上手く歌えるようになるためにはブレスを長く続くかせる技術が必要になってきます。声量やアタックとはまた違う面でトレーニングするわけですが、まずしっかりお腹に息が入っている必要があります。横隔膜が広がるようにまた横腹を押し下げるようにたっぷりと息を吸うのですが、始めはなかなかこの感覚を身につけるのが難しいようです。普段それほど深く息を吸わなくても会話ができるし、日常には必要ないかも知れません。トレーナーと一緒に息を流すトレーニングを行ってください。その息に乗って声が長く伸ばせるようになるので、できるだけ「吸う息を深く、吐く息を長く」を頭に入れて練習してみましょう。最初はハミングで、響きが掴めてきたら「A・E・I・O・U」で発声していきます。(♭Φ)
Q.顎の調子が悪く、どうしても口を大きく縦に開くことができません。どうすればよいですか。
A.皆さん誰でも完璧な人というのはいませんし、どこかしら調子が悪いところはあると思います。特に歌うということは体が資本、楽器ですから、楽器を壊さないように、決して無理をしないで、できるようになるまでコツコツやりながら待つというのも必要です。ここで言う口を縦に開く、のどの奥を開けるというのは低音域、中音域ではそれほど必要ないのですが、高音になったときにあくびをする感覚までのどの奥をよく開いて上あごを引き上げます。
このときに顎が広く開けられないと喉で突っ張った硬い声になってしまいますから、できれば耳の前のこめかみがくぼむくらいしっかり下に引き下げたいのですが、調子が悪い場合医者と相談の上、一日少しずつ、1ミリ2ミリでもよいですから顎を上下に広げられるように努力してみましょう。(♭Φ)
Q.高音になると少し不安定で、のどを硬くしている感じなのですが。
A.確かに多くの人の課題が高音域の発声法、歌い方をどうするのかという点ですが、まずは低音域、中音域をしっかり安定させるように心がけましょう。最初から大きな声を出して練習したがる人が多いのですがウォーミングアップをしっかりやってください。
始めは優しく喉をマッサージするような感じで、徐々に体を使って歌いこめるように。
限られたレッスンの中で最大の効果を上げるためにはその部分を自分でレッスンの前に行っておいてください。始めから高音を狙うのではなく中音域が充分に歌いこめてから、半音ずつゆっくりと。
決して短く叫ぶように歌ってしまってはならず、長く保つロングトーンの練習をするとどんな歌にも応用が効きます。(♭Φ)
Q.ヴォイストレーニングを始めて間もないのですが声が小さくて支えが出ません。どうすればよいですか。
A.支えというのはお腹や腰の支えのことですね。やはりまずのどに力を入れて発声するのではなく呼吸を深く吸ってゆーっくり長く吐いていく練習をトレーナーと一緒に繰り返し行いましょう。おそらく始めはスーッと息を吐いていく音そのものも小さいと思われます。それをまずはツゥッーと音が鳴るくらいオーバーにやってみます。結構始めは一定に息を吐くのが難しいかもしれません。慣れるまで繰り返し繰り返し行ってみてください。すると声を出す前の段階でこんなに体が疲れるものなんだ、とか立っているだけでも大変だなと感じるでしょう。この感覚をしっかり体で覚えておいて実際に声を出すときにはそれを忘れて心を開放的にして歌に集中して歌えるようにしていきましょう。自分では気が付かないうちに声量が付いて聴き手に伝わるようになってきます。(♭Φ)
Q.この間洋画を観ていて、その中に日本人が役で出てきたのですが、他の外国人キャストに比べて声が聞き取りにくいというか、急に声が奥に引っ込んだように聞こえてきました。これは発声と何か関係があるのでしょうか?
A.普段から声について関心や疑問を持っていると歌以外のふとした所で声について「あれっ」と思うシーンが多くなると思います。感覚が鍛えられ耳が養われてきた証拠ですね。私も以前映画「ラスト・サムライ」でしたか日米合作の作品を観た時にアメリカ人キャストはバックに音楽が流れていなくても、台詞だけで観客を圧倒する表現力を持っているなあと感じたことがありました。日本人の台詞はどこか広がりがなくモノラルに聴こえ、台詞だけだとシーンとしてしまう気がしました。やはり言語によって音のダイナミック感に違いが出るのです。(♭Φ)
Q.英語で歌が歌いたいのですがオリジナルと比べて発音が上手く出来ません。どうすればよいですか。
A.以前英語を勉強するのには歌いながら身につけるとよいと聞きました。ビートルズの曲を歌いながら歌詞を読んでいく中でしぜんに身に付いていくと言うことですが、ヴォーカリストはさらにそこに「アート性」を込めて表現する必要がありますね。そこでは歌詞の内容をよく理解して心の中から語りかけるように歌うことが重要で発音がとても大切です。
すぐ歌詞を付けて歌いたい気持ちを抑えてまずゆっくり何回も何回も歌詞を朗読してみましょう。またネイティヴの人に読んでもらったり、自分の発音を聞いてもらい、直すべきところは直してもらうと良いでしょう。録音して繰り返し繰り返し正しい発音に近づけていくのです。最初は時間がかかりますが1曲でも完璧に近く朗読、発音できるようになれば他の曲にも応用できるはずです。 (♭Φ)
<声、せりふ、歌のアドバイス>
○日本とヨーロッパ文化の発声の比較
電車、石焼芋の販売アナウンスなどの声は皆のどを絞めた発声をします。しかし彼らはその声が一番のどに負担がこないといいます。日本の伝統音楽、芸能である能や歌舞伎などの方々ものどを絞めた発声をしますが、考えられないような高い音をだします。それでもこの発声が一番楽だそうです。私たちはのどを開けなさいというレッスンをしますが反対にのどを絞めてだす発声が存在するのも事実なのです。この考えの違いはヨーロッパと日本の伝統の違いからきています。
ヨーロッパでの伝統的な飲食と言えばワインが最も親しまれています。日本では米です。ワインの原料は葡萄で人間よりも高い位置で人は手を天にかざしながら葡萄を収穫します。米は田に足を入れ背中を丸めながら地中に向かって作業をします。天に咲く葡萄から作るワイン、地に根を生やす米と異なる自然の恵みを主として栄養にしています。他にもヨーロッパはお祈りをするとき天を仰ぎます。日本は下を向きながらお祈りをします。ヨーロッパの神は天空に日本の神は地中にいる信仰の表れなのです。バレエはつま先だけで歩く基本に対し能、歌舞伎の基本は踵までつのけてのすり足が基本です。相撲のすり足も基本です。このようにヨーロッパの文化は神が天にいる。だから上記の全ての行為が天に向かっているある種の信仰なのです。日本の神は大地にいるから伝統文化は地に向かっているのです。これと同様にヨーロッパの発声は響きを高く上空に向かって声を体から離せと言います。日本の発声はのどを詰めて下に響かせるのです。どちらもその文化に適した発声なので一概にどちらがよいとは言えません。しかし皆さんが何気に歌っている音楽も実は昔からの伝統的な要素も含まれていることを忘れないで下さい。(♭Σ)
○発声練習とは
一般的によく使用される「発声練習」という言葉。しかし発声練習といってもその方法は様々です。よい声をだすための練習と言う意味でしょうがよい声を出すためにはどうしたらよいのでしょう?闇雲に声を出せばよいと言うわけではありません。ポピュラーであろうとクラシック、ミュージカル、ロックであろうと歌には言葉があります。その言葉には子音と母音があります。日本語の「おはよう」をローマ字に直すと「OHAYOU」となります。子音はHとY。母音はO、A、O、Uです。試しに子音で音階を歌ってみてください。音階は歌えないはずです。母音で歌ってください。歌えるはずです。
このように曲全体の音程、フレーズ、響きなどを司っているのは母音なのです。子音でそれが行えるのはNとMの子音のみです。母音には基本として「アイウエオ」の5つの母音があります。この五つの母音は開口母音のアオ、閉口母音のイウエに分かれます。そして日本語のアイウエオではなくアルファベットのAIUEOと考えたらウ(U)はオ(O)に近くなります。ウとU違うのです。
日本語にしろアルファベットにしろこの母音を全て同じ響きに揃え低い音から高い音までムラなく同じ響きにする必要があります。つまりどの音域でも母音でも同じ楽器にしなければならないのです。ピアノが音の高低だけでどこの鍵盤を押してもピアノの音がするのと同じ事を母音でしなければならないのです。発声練習とは母音を鍛える訓練なのです。(♭Σ)
○日本の音楽教育の欠陥
日本では幼稚園、保育園の頃から歌を歌い小学校、中学校、高校では学年が上がるにつれ難易度の高い合唱曲などを学びます。ここで書きたいことは私たちは日本人でありながら日本の歌をほとんど勉強せずに育っているという事実です。太平洋戦争以前の日本の音楽家はそのほとんどがドイツの音楽を学び留学先もドイツがほとんどでした。「荒城の月」などで有名な滝 廉太郎もその一人です。日本の音楽の中にヨーロッパの音楽が入りそれを子供たちに学ばせていたのです。(戦時中は全てが軍歌)
しかし、戦後、日本が敗戦してからアメリカ指導の学校教育になった時、アメリカは戦時中の軍歌を無くし新しい音楽を日本にいれました。それが「尋常小学校唱歌」とよばれるものです。その時アメリカから日本に渡ってきて尋常小学校唱歌の作成に携わったのはキリスト教の牧師でした。結果、「ふるさと」などの代表的な曲にも賛美歌がモチーフとして用いられ現在にいたっています。歌を勉強する時必ず海外の歌を勉強します。しかし日本の伝統音楽の火も消して欲しくないと思います。日本人だからこそ海外に目を向けるのと同時に日本の音楽にも触れて欲しいです。(♭Σ)
○芸は真似から
本当にそうだなとおもう。私がお勧めするのは、自分と性質が似ている、または骨格が似ている人の真似です。(♯∬)
○オペラの公演
オペラの公演をする場合、公演のだいたい3ヶ月〜1ヵ月前から練習が開始されます。基本的な進め方として、まず音楽稽古というものがあります。演技をつける前に、歌をしっかりと作り上げておくのです。指揮者と合わせをすることと、重唱もたくさんあるのでその稽古もします。言葉の発音などもチェックします。これが終わるまでには、歌手はほぼ全てを覚えています。全体で3時間以上あるような演目もあり、その全てに出ずっぱりということはありませんが、それでも膨大な量を体に覚えさせていきます。
その後、立ち稽古を演出家が中心となりやっていきます。オペラはただ歌うだけではなく、演技があるために、いつも歌に適した姿勢で歌えるわけではありません。座ってでも、半分寝ているような状態でもいい声が出せます。こういう時に、日ごろの訓練の成果が役に立ちます。
この間に、衣装合わせなどもあり、本番前にはゲネプロとよばれる、本番と同じように舞台で一通り通してやってみます。衣装も道具も使います。音楽もオーケストラでやるなら、一緒にやります。そして、本番になります。本番の日は、その前に特に集まって練習したりは通常しません。長時間に及ぶために、のどはあまり使わないようにしておきます。一つの舞台には、たくさんの時間と、何十人、場合によっては100人前後の人が関わっています。そう思って見ると、また今までとは違った感じ方ができるのではないでしょうか。(♯Б)
○ヴォイストレーニングに関する感想
僕は福島先生の書かれた本を何冊か高校時代に実は読んでいました。当時バンドをやっていてシンセとボーカルに興味があったのですが「声」に関してこれだけの言葉で解説、論じられるのは凄いなあと当時思ったのでした。その後芸大を受ける時にもレッスンの行き帰りに福島先生の著書を読んで勉強しました。その後も本棚から取り出して発声について悩んだ時によく活用していましたのでイタリア留学の終わりに先生のお名前を伺ったときに、何か不思議な運命的なご縁を感じたんですね。
僕の考え方は、まず声をしっかり母音を中心に鳴らしていく。呼吸と息の流れを大切にして、子音を軽く乗せていく事を重点に置くことです。イタリア語は正にこの点で歌に大変適しており、その長所を何とか日本語に生かすことができるかどうか、日々考えています。(♭Φ)
○あるビジュアルバンドのライブをみて
先日、あるビジュアルバンドのDVDを見させていただきました。コンサート会場も多くのファンで埋め尽くされていました。名前の通り皆さんビジュアルを求めて集まっているのでしょうが、私はどうしても声に興味をもってしまうので歌声を聴いていました。ところが、発声はともかく、あまりの音程の悪さに驚いてしまい、DVDを見せてくれた方に尋ねたところ、「このバンドのヴォーカルは自分でも音程が悪いことは知っていて、『俺は魂で歌っているからピッチがずれても気にしない』と公言してる」と言っていました。
本当にそれでいいんでしょうか?気持ちで歌っていればなんでも許されるのでしょうか?歌が下手でもファンが詰め掛けてくれればいいんでしょうか?私はもっと自分に向き合って欲しいな、って感じます。あれだけファンを集められるのですから、このバンドは魅力があるのでしょう。そこに音楽の質が高まればもっといいものになることでしょう。当研究所の階段にある福島先生の『一声入魂』にはただの魂だけでなく深い意味をもっていそうですね。(♭Π)
<R>
○お勧め番組
毎週日曜22時30分から放送されている『堂本兄弟』はとても興味深い番組だと思っています。歌番組は数多くあると思いますが、ミュージックステーションはじめ、口ぱくがほとんどです。しかし、この番組はエンディングの演奏は生バンドの生歌のため、上手い下手が一目瞭然なのです。バンドはやはり一流といわれる方のフォローがあるのでそれなりに構成されていますが、ゲストが歌う歌は隠しようがないのでわかりやすいです。番組ですから何かの宣伝を兼ねて出て来られているのでしょうが、ゲストが歌手であるときは、CDの声と生の歌声との違いようには驚かされます。ところが、顔がよいというだけで、ミーハーでCDを買う人がいるのも事実なわけで、商売として成り立っているのが現実です。しかし、この程度が日本の音楽業界の基準となってしまうのは悲しいことです。聞く方にももっと質の高さを知って欲しいのですが、それ以上に大事なのは、素人のカラオケ以下のひどい演奏をしていても、平気な顔でいる芸能人にもっと羞恥心をもって欲しいものです。(♭Π)
○シャルロットチャーチ「エンチャメント」
このCDは、クラッシクですがかた苦しい感じはなく。クラシックの曲をとても聴きやすくしてアレンジされています。また、クラシックにとどまらず映画音楽もとりいれたりしていて、幅広いジャンルの曲が収録されています。歌は全てシャルロットチャーチが歌っており、とても透明感がありしかも、ちゃんと主張もある歌声が私は好きです。中でも「ハバネラ」は原曲とは、まったく雰囲気を変えて、ゆったりとした中にカルメンの色気が感じられるアレンジになっている。また。デュエットも何曲かとりいれているところも良いと思います。またサティ作曲「ジムノペディ」が弦楽器の音がとてもきれいなアレンジとなっています。ウエストサイドストーリーからも何曲かとりあげられていますがシャルロットチャーチの可憐な声にぴったりな曲に仕上がっています。どれをとってもすばらしいCDだと私は思います。(♯Ω)
○ジュリエッタ・シミオナート
20世紀を代表するイタリア人のメゾソプラノがいます。今も健在で、何と90歳を超えているのに、ヴァカンスに行ったり、コンクールの審査員にでかけたりと、あちこち出かけるほど元気なようです。そのシミオナートの伝記を最近日本人の女性が出版しました。タイトルは「カルメンの白いスカーフ」。カルメンと聞いてイメージされる色は赤ではないですか?!それが何故白かは読んでみてのお楽しみということにして。では、何故日本人の手によって伝記が書かれたかというと、彼女は子供のいないシミオナートと親子のように長年交流があるそうで、そのきっかけは彼女がシミオナートに宛てたファンレターから始まったそうです。近い関係であったからこそ知っているシミオナートの本音、下積み時代の苦労、人柄など、(私自身もメゾソプラノであるため)とても参考になりました。興味のある人は、是非読んでみてください。(♯Θ)
○「隠し剣、鬼の爪」(山田洋次監督)
役者(永瀬正敏、松たか子、吉岡秀隆、田中泯、等)の芝居が素晴らしかった。それぞれの役柄にぴったりはまった重心、支え、呼吸が感じられた。田中泯の重心の安定感には目を奪われた。あれだけの支えと呼吸の深さで歌えれば、きっといい歌が(響きの点で)歌えるだろうなぁと思った。(♯∬)
<テキスト>
○〔コンコーネ50番〕その1
コンコーネ50番は一題ごとにそれぞれのテクニックの課題があるので、1番から順番にやっていくのが、いいと思います。ただ、どうしても苦手なテクニックが出てきたときに、(例えば15番の跳躍など初期の方にでてくるには結構高度だと思います。)、安定しないときに何となくやってしまうよりは。後半まですすんだ後に戻るなどした方が、身につくような気がします。(というのは、私自身がコンコーネを勉強している時は、順番を飛ばすことが許されなかった為、実践したわけではないので。)
それから、コンコーネを練習してくる時には、@音、リズムが正確に取る Aダイナミクスや表情記号の指示に注意する Bハーモニーを感じる Cフレーズをレガートで歌う D曲全体の流れを考える E階名で歌う F母音唱法する 基本的にこれぐらいはしていてもらいたいと思います。さらに、高音に取り組んでいる人は高声用、低音なら低声用を使うのもよいでしょう。(♯∬)
○〔コンコーネ50番〕その2
コンコーネというのはイタリアの作曲家の名前でもありシンプルな旋律の中に、歌い方のあらゆる基本が詰まった教則本としてよく取り上げられます。
まずNO.1を例にしてみますと、始めは前奏がなくいきなり歌いだしますがModeratoですからゆったりとした気持ちを持ってドレミで歌い始めます。4小節目に入って高い「ドレミ」の所、そのまま普通に歌うと肩が上がってのども上がりつぱった歌い方になってしまうのですが、ここをしっかりと腰と腹背筋を使って重心が上に上がらないように下げ、顎を少し引き気味に歌えるようになるとよいです。音が高くなるにしたがって意識は下に、響きは上というように縦の線をイメージできるとよいです。息が体をまわって長く保てるように心がけましょう。(♭Φ)
○〔コンコーネ50番〕NO.1
高いミの音になった時、たとえ音が高くなったとしても余裕を持って音程を高めに取ることを忘れないようにしましょう。声を胸声から頭声にスムーズに移行させていきます。この感覚は始めは掴みにくいかも知れませんがトレーナーの歌い方をよく聴いて身につけていってください。6小節目にブレスのマークがありますがしっかりここでブレスを取るようにしましょう。ここで急いでしまってブレスを忘れその後下降して行くフレーズにおいて息が足りなくなってしまう人がいるようです。けれども小節内でのブレスは大げさにいかにもブレスをしましたという風にしてしまってはフレーズが途切れてしまうので、音楽の流れを止めないようにしぜんに歌うように心がけてください。こういうところにヴォーカリストのセンスが表れてくるのではないでしょうか。(♭Φ)
○〔コンコーネ50番〕NO.1
続いて2段目の3小節目になるとフレーズが展開されて先ほどより長く大きなフレーズになってきます。どうしてもここで自分の声をコントロールできず力いっぱい大きな声で歌い上げてしまいがちなのですが、そうするとフレーズの山である高いミの音でまた突っ張った発声になってしまい流れません。始めはPで歌い始め少しずつ息を混ぜていき音の頂点で頭声の響きに持っていけるように何度も練習して工夫してみましょう。できない所はトレーナーと一緒に、またレッスンが終わった後自分で繰り返し練習してみます。コツを掴めば必ず美しく歌えるようになります。3段目の5小節目からもう一度初めのフレーズに戻ります。やや間を取って最初の歌いだしのドレミとは気持ちを少し変えて歌いだすと曲全体の印象がより自然に柔らかくなります。NO.1はABA’形式で書かれています。(♭Φ)
○〔コンコーネ50番〕NO.3
この曲は前の2曲に比べてより動きがあります。Con motoとは「動きをつけて」を意味しますのでAndanteにより前に進んでいくような勢いを付けて歌うように心がけましょう。
伴奏部が多く動くので気持ちがあせりがちになりますが落ち着いてフレーズを大きく歌うようにしましょう。P14の5段目低い「シ」の所で押さえつけて強く歌ってしまう人が多く見られます。その結果2小節目、4小節目の跳躍が何ともぎこちなくなってしまいますから初めは小さな声でささやくように歌いましょう。P15の低い「ミ」から高い「ミ」への跳躍も「うっ」と突っ張らないように繰り返し研究しましょう。3段目のドシソファレドの下降形はポジションの響きが落ちないようにまとめ歌う方法をトレーナーとレッスンの中で習得してください。(♭Φ)
○〔コンコーネ50番〕NO.4
初めて3拍子のリズムが出てきます。3拍子は4拍子より1拍短いので気持ちが急ぎがちになりますが「1.2.3」のリズムにしっかり乗っていけばブレスもしぜんにできるようになってきます。最初の2段目まで、そして3,4段目までを一つのまとまりとして大きく取ってみましょう。3段目から4段目の「シ」ナチュラルの音程に気をつけてF-durからC-durに変化している調性感を耳と体でよく感じ取りましょう。5段目の付点音符をしっかり跳ねて刻むくらい強調して歌うとフレーズに勢いが出ます。レガートに歌った後にP17のソ、レの跳躍が来てのどで歌ってしまわないよう気持ちに余裕を持って構えられるように。
同じ4段目、ドレドレの付点リズムを正確にというより楽しむような歌が歌えるようになると練習曲も生き生きとしてきます。(♭Φ)
○〔コンコーネ50番〕NO.4
この曲は4/4拍子で書かれていますが伴奏部分に八分音符の3連が使われていて作品全体がダイナミックに華やかになります。よって旋律を歌うには今までより力強さが必要になってきます。(♭Φ)
○〔イタリア古典歌曲〕Caro mio ben
こう歌わなくてはいけないという決まりはないのですが、ヨーロッパの古典歌曲というのは大体1600〜1700年代に作曲されて歌われていたのでその時代独特の様式感、歌唱法がありますので述べてみたいと思います。4小節目の歌い出しにはP、そしてdolceと書いてありますので優しく丁寧に歌いだすように心がけてください。ここをいきなりffで歌い始めるとちょっと乱暴かなと思います。
7小節目のlanguisceという歌詞には小さな装飾音符が付いていますから見逃さないで少し強調するように歌うと雰囲気が出ます。11小節目のラレレソと1オクターブ跳躍するところは高い音符で浮いて抜けてしまわないように、かつさりげなく歌えるようになるまで何度か練習が必要です。(♭Φ)
○Wのテキスト
3冊からなっています。最初に入門編です。これをやっている人が大多数だと思います。
最初のページを開くと、まずはド・レ・ミという3つの音だけを使っての練習です。
次は、ファ・ソ・ラ、そしてミ・ファ・ソ…というように、順序だてて練習できるようになっています。
せっかくですので、これを使って、1ページ1ページしっかりと歌えるように練習していってほしいものです。
もちろん、最初から音程正しく歌えるとは限りません。それは、徐々にできていけばよいものですが、それ以外のこと、特に、音符とドレミの言葉の連動などは、その度にやっていかないと、後々、複雑なリズムの課題がでてきた時に、集中できず、全く上手くいかなくなってしまいます。
1ページ分を一通りレッスンでやったら、家で続けて止まらずに1番から10番まで歌ってみたり、メトロノームと一緒に歌ってみたり、一日に10分、寝る前にブツブツ歌ってみたり。家でやる時は、音程のことよりも、リズムとスラスラ音符が読めることを重点的にやりましょう。1週間に1度、長時間やるよりも、1日に少しを毎日やる方が効果的です。
他には、レッスンの帰り道、電車の中でテキストを広げて今日やったところを頭の中で歌ってみる。間違ったらもう一度。こういうことでも、身になっていくと思います。スラスラできるようになるまで、同じ課題を何回もやることが大事です。(♯Б)
入門編のテキストも真ん中あたりまでくると、リズムがずいぶんと複雑になってきます。シンコペーションというリズムがたくさんでてくるようになるのです。ですので、このあたりにくるまでに、音符はスラスラ読めるようにしておきましょう。難しく感じてしまう、音符の読みですが、下のラから上のラぐらいまで、だいたい15個くらいの音符が読めれば十分なのです。ひらがな、漢字、英単語…覚えていかなければいけないものの中ではダントツに覚える個数が少ないのです。しかしなぜか、楽譜を読むことは難しいと思っている人がたくさんいます。そのような先入観は捨てて、気楽にやっていってください。(♯Б)
○ソルフェージュ
楽譜を正確に読んで、声に出して歌うことはヴォーカリストにとってとても大切なことです。仕事においては初見で楽譜を渡されることもあるかと思いますから、発声練習とは別に時間を取ってソルフェージュに力を入れましょう。楽譜に触れるのが全く初めての人はヴォーカル基礎はとてもよい教材です。ピアノを使って一音一音丁寧に音程を確認していきます。メトロノームが側にあればテンポを70〜80くらいに設定して正確にテンポを刻むようにドレミで歌っていきます。結構根気と忍耐が要りますが1日何ページと決めて間を開けないように少しずつ進めて行きましょう。一人でやっていると細かい音程の違いに気が付かないときもありますからトレーナーの耳でしっかり聞いててもらうとよいです。1冊がしっかり完璧にできたらコールユーブンゲンにも挑戦してみましょう。(♭Φ)
○叩いてくれる人は、大切に。
人前に出たり、本を出したり、HPで好き勝手言っていると、いいことばかりじゃない。けっこう嫌な思いもする。
表現すれば、自分と同じ考えにあって欲しいという人を嫌な気分にしてしまうこともある。
しかし、それも踏まえて、いろんな考え方に触れること、異なるからこそ何かの契機となる。
アテンダンスも手紙も来ないのは、もっと困る。
言われないと気づかないことはたくさんあるからだ。
言われても気づかない。
何かに専念すればそりゃ、どこかは疎かになる。そこをしつこく突く人がいる。
否、まだ言ってくれる人がいる。
それだけ、好かれたり、嫌われたり、煙たがられているんだろうけど、その分、少しずつ変えたり、気づいたりしているから、
少しずつ早く直せるようになって結果、いつも大体は、うまくいく。
で、そうでなければ、とっくに終わっていると思う、この頃。
○声の専門ということ
日本人はラベル貼りたがりやで、専門しかやれない専門家しか評価しない。
しかし、少なくとも、声はアーティストのものでなく社会のものである。社会に出て学ぶこともまた不可欠に思う。
プレイヤーを長にしたがるのも本当は違う。プレイヤーとしての一流の資質は研究やマネジメントの手腕と必ずしも一致しない。
○人は変わる
人は変わる。なのに、あまり成長できない人たちは、自分の尺度でしか他人をみられない。
だから、相手を過去の相手と同じといつまでも思っている。思いたがる。
若くて学べる人は、一年で相当変わるし、年配でも学んでいる人は、それ以上に変わることのあることさえ、想像できない。
人間は成長していないと退化するものだから、もっと勉強することが、とても大切なのだ。
○運鈍根
よい方をみないで悪い方を細かくあげつらう自分によかれと思ったことが、ただ言うことで自分に悪く返ってくる。人間の心を知らない。
大志があれば、細かなことなど気にならないのだから、結局は、器が小さいのであり、それを大きくする努力がまず必要なのである。
○2006紅白覚書
細川たかしさんの「浪花節だよ人生は」で、
「人の情けに」の次の「つかまりながら」を忘れて、「あ、歌詞わすれてしまいました。」
「折れた情けの、枝で死ぬ、『ごめんなさい』『ハイ』」
「浪花(あ)節だよ、女の女の人生は」
あまりにあっけらかんと過ぎた。この人と五木ひろしは、もう一つわからない。
「みんなの歌」45周年で、天堂よしみの「ハメハメハ大王」
岡村のブレイクダンス。
三波春夫は細川たかしが、綾戸智絵は倖田來未が継げるのかしら。
「泣きなさい、笑いなさい」をノンブレスで歌う夏川りみ。
森昌子の出だしの一声、バランス絶品。
ただ、「私は飛び立つ青い鳥になる」を「私は歌う」として、
「青い鳥の歌」を繰り返した。人間だもの。
森進一、歌の天才。いつも「おふくろさん」だが、「影を慕いて」を聞きたい。
「ダイノジ」の世界NO.1となった人エアギター。関西系、最近さらに強い。
演歌というのは、京の町屋だね。和田アキ子、北島三郎らは戻せてきた。
サブちゃん締め。やはり日本、紅白だな。
○どれだけ夢を思い描けるか。
どれだけ夢を思い描き続けたか。
このイメージをどれだけ描き続けることができるかが大切。
描き続ける能力をつけていくことです。
毎日のモチベーションを高く維持するためにはどうしたらいいのか?
日々練習していく中で、気持ちの入らない、モチベーションの低い時もあります。
そういう時こそ、夢を思い描いていくことです。
自分の理想を夢見ていくことです。
積極的に進みたいからこそ、夢は必要なのです。
遠慮せずに、堂々と夢を思い描いていってください。(♭∞)
○ブレスをうまくとれない生徒がたくさんいます。それ以前に腹式呼吸法がうまくできていない場合も多いので、もう一度、ヴォイストレーナーに確認してしっかりできるようにしましょう。
最初は、時間をかけてゆっくり吸ったり吐いたりします。その際に、腹式呼吸になっていることをしっかり意識してください。慣れてきたら太くすばやく吸う練習もしましょう。そして、歌っている最中の短い合間でブレスをしなければいけないときは、曲のテンポを感じながら吸いましょう。
息を吸う量ですが、何もめいいっぱい吸うことはありません。次のブレスまで持てばいいのです。ですから、あせってお腹に入らない浅い吸い方にならないようにしてください。(♯Б)
○厳しい寒さが続き、風邪も流行っているので、声を使う皆様にとっては体調管理に気を遣う時期かと思います。
マスクをして乾燥を防ぐだけでも大分のどの保護にはなります。後はたっぷりと水分補給をしてのどを労わってあげて下さい。継続した練習を行うには、まず健康な体・健康なのどであることが何よりも大切だからです。よい状態で訓練を積む…これが上達への第一歩です。 (♯Ψ)
○プロを目指す方々へ(1)
歌手にとってのプロとは何なのでしょうか?CDを出す、メジャーな事務所からデビューする、テレビに出るということでしょうか?答えは簡単です。歌を歌ってお金を稼ぎ生活している人のことです。しかし一年にどれだけの人がデビューして消えていっているのでしょうか。毎年テレビで見て毎年歌っている人は数少ないと思います。デビューして残る人と消えていく人何が違うのでしょうか。アイドル系の歌手は人気の低迷が激しいですし、グラビアやバラエティで活躍する人がCDを出しても大ヒットすることは少ないです。事務所の売り方、社会状況、もあります。運もあると思います。
しかし、長年、人気を得ている人たちに言えるのは、歌手(又はグループ)の方の引き出しが多いということです。日本で長年トップにいるB’zやサザンオールスターズなどその典型でしょう。自ら作詞も作曲も出来、演奏も出来る。GLAYやドリカムも同じことが言えると思います。Jポップの歌手で楽譜を正しく読める人が何人いるでしょうか?自分が歌う音楽の楽譜を見ても歌えない、デモテープで覚えなければ歌えないでは、カラオケと一緒ではないでしょうか?一時的に人気がでてもそれは幻だと思います。プロを目指すものとして「声」と同時に音楽の基礎的な知識、技術も身につけていって欲しいと思います。(♭Σ)
○力んで歌っていませんか?
皆さん歌が好きでレッスンに通われていることでしょう。そして、人前でも歌っている方も多いと思います。歌は心ですし、メッセージでもあります。しかし、その思いが先行しすぎてしまい、押し付けがましい歌い方になってしまっては、聞いている方も疲れてしまいます。「押してだめなら引け」という言葉があるように間合いが大事なのです。力んで歌うことも演出としては効果があると思いますが、脱力することも身につけてください。(♭Π)
○自分で、なかなか進歩がないな、と思う時が、歌を勉強していく中で、必ず思うことがあると思います。私も、何度もそういう時はありました。
発声において、「あ、こんな感じかな」と思う瞬間があるのですが、またわからなくなったり、そんな経験をすると、自分は、なんて進歩がないのだろうと思ってしまったときがあるのです。皆さんは、そんな経験はないでしょうか。それでも、進歩しているのです。
わかったり、わからなくなったり、そんな繰り返しの積み重ねが、じつは大事で、その繰り返しが積み重ねになり、だんだん習得していくのです。わからなくなっても、恐れないでください。以前、わからなかった時よりも、ほんのちょっとだけでも、習得できているのです。それに気づくのには、とても時間がかかりますが、習っている先生の言うことを信じて、自信をもって、楽しく歌っていってほしいと思います。人には、それぞれ、自分にしかない良さを持っています。それは、なんなのかを、探していくのも、自信につながっていくのではないでしょうか。 (♯Ω)
○なぜ歌を勉強しているか?なぜ歌いたいのか?…etc。こういう質問を自分に投げかけるときはありますか?教える側からすると、目的や目標のない人は教えづらいものです。決して大きなことを言う必要はないと思います。たとえば、ミの音をうまく歌えるようになりたい、とかでもよいでしょう。自分探しのために何となくレッスン受けてるとか、トレーナーから与えてもらうのを待つのではなく、ぜひ、明確な目的・目標をもってレッスンに臨んでほしいと思います。(♯Θ)
○この一年は、旅行によく行った一年でした。これまでにも、京都や奈良をはじめ、数多く歴史の名所へ行きましたが、時を経て再度、同じ地を訪れたり、また新しく見る日本の風景に今までは気づかなかった日本の美しさを感じました。
静かで美しいその景色と時間の中で、この中から日本の言葉、詩、文学、歌、その他すべての文化が生まれ、育まれてきたのだと、静かながら痛烈に感じました。(♯Λ)
○声というのは、客観的に聞くことができない楽器です。レッスンの時はもちろん、練習の時でもできるだけ録音をして、自分の声を聞くようにしてください。そして、録音したらできるだけ早く聴くようにしましょう。外に聞えている自分の声をもっと意識して勉強していきましょう。(♯∬)
○今月感じたことは生徒一人ひとりが目的を持ってしっかり頑張っている、そして確実に歌唱力が伸びてきたということです。発声練習も初めはのどがなかなか開かず痛い思いをしていたのが呼吸、息を流すトレーニングを繰り返し繰り返し腹背筋を使って行ってきたことで、声と息のポジションが深くなり、体で歌えるようになってきています。最近「足腰が痛いとか疲れやすい背中が筋肉痛…」という意見をよく聞きますが、やっとのどへの負荷から身体への負荷に変わってきたようです。発声練習もただ声を闇雲に出すのではなく、コンコーネや課題曲を歌う時に使える、つながっていける声を考えながら、生徒がトレーニングしていけるよう工夫しています。(♭Φ)
〔トレーナー一言アドバイス〕
<発声>
○点々なフレーズになってしまっている。歌い方でリズムを取ってしまう。リズムは体で感じていく、歌はなめらかに。体の中心でリズムを感じ、体の中心から息を流し続けていくこと。
○セリフの感覚で強くのどを使いすぎないこと。セリフをしゃべった経験があるので、その延長で声を出そうとしてしまうが、力を入れすぎてしまう。少しリラックスしていく方向でいい。声を出そうとするのではなく、息を吐くことに集中していくこと。
○発声練習では芯のある声が出ている。リラックスしていても、いい声が出る。普段しゃべっている時もこの感覚を生かしていってほしい。
○息をしっかり吐き切ること。フレーズの最後まで神経を使って、吐き切っていくこと。息の流れのイメージをもっと持ちたい。「お腹から吐く」「お腹に取り込む」「遠くへ声を送る」等。イメージを大切に。
○頑張らずに低い声を出していく。そのためにゆっくり話していく。普段早口になっていないか、もう一度チェックしてみること。ゆっくり話すだけで、聞き取りやすくなるし、気持ちも安定した状態が保てるはず。
○のどを意識しすぎると、逆に力が入ってしまう。下半身であるとか、体であるとかを意識していくこと。腹筋は鍛えていっていいが、歌うときは直接腹筋を使わない。腹筋を固めて声を出してしまうと、自由のきかない、硬い声になってしまう。
○胸に力が入る。お腹をもっともっと意識していきたいが、そのために腹筋を直接使いすぎないこと。息を長く続かせようとして、鋭くフレーズを歌い出せない。そのことを気にすればするほど、息は長く続かない。もっとスパッと歌い出すこと。
○コンディションの整え方。時間があったら、うがいをすること。体力作り。発声をよくして体からしっかり声を出していけるようにすれば、常にいい状態で声も出せる。それプラス、コンディションを常にいい状態にしていけるように。
○ひびきが浅くなる。そのひびきを自分でも感じられるように。また意識して深いところに、息を取り込んでいくこと。体が覚えるまで、日々練習していくこと。
○モチベーションが低い。このモチベーションをいかに上げていったらいいのか。息の流れ、体の使い方、すべてが甘い。
○地声を安定させていきたい。セリフ時の声は多少のどにかかっているが、いい声が出ている。歌声になると、まだまだ安定感がない。多少ボリュームアップして体から声を出す感覚をつかんでいくこと。
○「い」「え」が声が集まりやすいが少しのどに力が入ってしまう。次のフレーズ次のフレーズにつなげていくこと。先を見てつなげていくこと。ブレスポイント…気持ちを高める場所。
○音程が不安定。リズムもキープできない。リズムをキープしながら(手で拍子を取りながら)歌ってみるが、慣れていないため、ずれてくる。音程とリズムを日々の練習メニュに入れて、こつこつ努力していくしかない。
<せりふ>
○普段の声も、いい声が出ている。内容のある声、意志のある声、大切だ。自分から積極的に相手に対して、伝えていこうとする気持ちが出てきている。
○もっと低い声で読んでいくこと。普段からその声を意識していくこと。重くなってしまって、点々になってしまう。次の文に向けて進んでいけるように。次の文に意識を向けていくこと。
○頑張りすぎずにバランスよく声が出ている。この話し声を基準にして本来の声で歌が歌えるようにしていきたい。
○ゆっくり話していくこと。気持ちもゆったり、落ち着いて話していきたい。相手とのコミュニケーションが大切なのだから、早口で自分の伝えたいことばかり、一方的に話していてはダメ。気持ちの余裕がほしい。
○自分ともっと向かい合ってしゃべっていくこと。その真剣さがことばに出てくる。そこで真剣に取り組んだことが、リアルなことばになってくる。常に高いテンションの中で表現していくこと。
○セリフをしゃべっている時だけではなく、普段から低い声を使っていくこと。この声のほうが自然な声が出ている。もっともっと読み込んでいき体に染み込ませていくこと。そこから表現が始まる。
○読み込みが足りない。声を出す練習だけではなく、内容理解に努めていくように。短い一行の文でも意味がある。大切に気持ちを込めて読んでいくこと。その積み重ねです。
○もっと体から声を出していくこと。浅い。ひびきも浅いため、気持ちも浅く聞こえてしまう。気持ちをしっかり作ってしゃべりだすと、いいテンションでしゃべれている。このテンションを持続できるようにしていきたい。
○深いポジションから声を出していく。話声は歌声に比べて、のどの力も抜けて、ひびきも深い。この話声の中でもっともっと息の流れを感じられるようにしていきたい。先のフレーズ先のフレーズを見て読んでいくこと。これは歌と同じ。
○何度も繰り返し気持ちを作った上で歌っていくこと。ただただ表面的に歌うだけでは、役としての気持ちになれない。役者としてのモチベーションを身につけていくこと。日々の練習の中でもっとレベルの高いことで悩んでいくこと。甘い。
○息を吐き切っていくこと。普段の声を変えていくためには、まず体から声を出す感覚に慣れていくこと。日々の練習の中で、いろいろと試してトライしていくこと。レッスンを録音したテープを何度も聞いて、毎回レッスンだと思って、自主トレーニングをしていくこと。
○シンプルにしゃべっていくこと。細かい表現ではなくストレートにシンプルにひとつの息の流れで。自分の声を録音してみて違いを把握していくこと。映画をよく観ている。舞台ももっと観ていくこと。
○テンションを高く。シンプルに。まずはひとつの文章を、ひとつの息の流れで、ひとつのかたまりとして読んでいくこと。癖をつけないように。集中して文章を言い切れるように。
○しっかり正しくしゃべれているが、リアルさが足りない。もっとイメージを働かせて、気持ち作り、相手との距離感等考えた上で、しゃべっていくこと。これからの課題は滑舌ではなく、自分の表現。リアルな気持ち作り。
○まだまだ文章に慣れていない。もっともっと読み込んでいくこと。発声としてセリフ読みをしているが、そろそろ本当にセリフとして話す練習をしていきたい。まずは気持ち作りから。
○いい声は出ているが、リアルさに欠ける。そのセリフをしゃべるための、状況設定、気持ち作り、相手との距離感を、もっともっと感じていくこと。なぜそのことばをしゃべるのか、その動機をしっかり考えていくこと。
○人前をイメージして声を出していくこと。それを日々の練習でもやっていくこと。それによって出てくる声は全然違ってくる。常に体から声が出てくる。この感覚を覚えていくこと。
○もっとイメージを持つこと。イメージした場面での自分の気持ちをしっかり作っていくこと。そして場面ごと、その気持ちの変化をつけていくこと。各フレーズの語尾が甘い。もっと丁寧に繊細に。集中力を切らさないこと。
○ただ声を出さない。そのセリフをことばとして出すためには、必ず動機があるはず。動機設定をもっと明確にしてから、話し出すこと。ひとつのセリフを使って、状況、距離感の設定を変えて、いろいろなバージョンで練習していくこと。
○声にしないというモードで読んでいくこと。声にしようとしすぎて、声に気持ちが入ってこなくなってしまう。声にしないことで、息が増えて、リアルなセリフになるし、逆にボリュームも出てくる。セリフをしゃべること、セリフをしゃべっている時の気持ちに慣れていくこと。
○向かうべき方向はあるのに、うだうだ悩んでしまっている。こうしてだらだらと過ごしてしまった期間を取り戻すためには、今まで通りではだめ。もっと自分を変えていくよう努力していくこと。変えていくよう決意すること。
○自分の好き嫌いに関わらずどれだけ自分のものとして表現できるか。
いい声が出てきている。深く低い声をイメージして出していっていい。
自分の世界にすぐ入れるように。テンション高く読んでいっていい。
照明を使い、人前で話しているイメージでやってもらうが、声自体も全然変わってくる。こういったイメージでの練習もたくさんしていくこと。
○体から声が出てきている。いろいろ考えすぎないで、もっとストレートに表現していくこと。表現を自分の中だけで完結させないで、外に出していくこと。
作りすぎない。もっとパワーで押す部分もあっていい。全体にひびきが浅くなっている。気持ちも浅くなってしまう。
<洋楽・ジャズ>
○息の流れはなめらかにつながっている。ただなめらかにつながっているだけではなくて、その流れに変化をつけていきたい。テンションの変化、リズムの変化、気持ちの変化に対応して、息の流れが変わっていけるように。またそういう観点からジャズのCDをたくさん聴いていくこと。
○本番に向けてのイメージトレーニングをする。照明をつけて練習する。この場に慣れていくことが大切。ライヴハウスとホールという違いはあるが、その空間をしっかり感じて、楽しんできてほしい。
○低音が安定してきているため高音も以前に比べてよくなっている。このまま更に低音部を鍛えていきたい。フレーズの先を見て歌っていくこと。余裕が出てきてブレスも安定してくる。
○声の幹となる部分を作っていきたいし、鍛えていきたい。器用にいろいろと歌い分けてしまうが、体の中心から声を出していくこと、体全体から声を出していくことをしていきたい。ゆっくり強く息を流し続けられる体作り。
○深い声、息の流れを意識すること。英語の歌詞も何度も読み込んでいくこと。その際声が高くならないように注意すること。日本語の対訳歌詞も読み込んでおくこと。ここでしっかり気持ち作りをしておくこと。
○なめらかに繊細にフレーズを扱えている。そのフレーズ感で、もっと内容に入っていくこと。テンションが低い。明るく、楽しく、温かくという気持ちが苦手。暗い面はだれでも表現しやすい。その逆の気持ちをもっと大きく作れるように。
○まずはシンプルに自分のキーで歌えるようにしていく。その上で技術的なことを付け加えていく。地声で深い声が出せるような体、息吐きを中心に練習していってほしい。地声を鍛えていくこと。
○日々の練習で体に覚えさせていくこと。頭で考えすぎて、自分の歌にならない。もっと単純に歌っていくこと。その中からしか見えないこともある。気持ちが入りすぎて、のどにくる。気持ちは体全体で表現していくこと。
<日本語曲>
○深いポジションから声と気持ちを出していくこと。全体に声が浅くなってしまっている。日本語ではあるが、もう一度体から声を出すイメージをもっていくこと。内容的にも練りこみが必要かな。
○テンポの速い曲ではあるが、まずはゆっくり歌っていくこと。息の流れを感じてなめらかに歌ってゆく。その感覚に慣れてきたら、テンポをあげてゆく。体でリズムを感じていくこと。
○発声ではいい声が出ている。この声で歌が歌えるといい。客観的に自分の声が聞けていない。毎回レッスンを録音して、自分の声、トレーナーのアドバイス等を聞き返していくこと。客観的な耳を作っていくこと。
○気持ちを込めすぎて、上半身に力が入りすぎる。気持ちを込める時は、もっともっと深いポジションから、思いと息を出していくイメージがほしい。お腹を中心に歌っていくこと。
○イメージがぼやける。ことばもぼやける。歌うこと自体に集中しすぎないこと。もっと考えるべきことはある。だからぼやけてくる。小さな声で歌ってみること。何か今までと違う発見があるはず。
○音楽が明るく、内容が暗い場合、ギャップがあるが、より深い意味がそこから見出せるはず。歌詞からも音楽からも気持ち作りはできる。リズムを体全体で感じられるように。リズムをじっくり聞いたり、ダンス等で体を動かすことで、身につけていってほしい。
○気持ちも作り、ことばも立てていきいたいが、音楽的な流れは壊したくない。音楽的な流れの中で、ことばを立てていきたい。ことばの流れ、音楽的な流れはひとつで捉えられるはず。
○リラックスして歌えるようになってきている。息の流れを感じて、フレーズのかたまり、ことばの意味のかたまりで歌っていくこと。歌詞の読み込みも必要。
○音は聞こえてくるが、ことばが聞こえてこない。流れを大切にしていくこと。また流れを大切にしすぎるあまり、あいまいななめらかさで歌ってしまうこともあるので、あいまいさはなくしていきたい。流れの上に鋭くことばを置いてゆく。
○力で押さないこと。多少ボリュームを落としたほうが声もまとまる。がむしゃらに歌いすぎないこと。リズムを歌い方で刻まないこと。リズムは体で刻み、歌はなめらかに。
<カンツォーネ・シャンソン>
○少しづつ声は出てきている。ひびきの変化がないように歌っていきたい。低音と高音を同じひびきにしていくこと。息の流れでひびきをつなげていくこと。体からパワーのある声を出していきたい。
○もっと空間を、広い空間をイメージしていくこと。自分からもっと声を離していけるように。パワーのある声になるので、常にこのイメージを持っていたい。下半身をもっと意識していくこと。
○イタリア語と日本語のひびきを統一させていきたい。イタリア語だと思って日本語を歌っていくこと。日本語をローマ字に置き換えて歌っていってもいい。鋭く息を扱いつつも、リラックスできたらと思う。バランスが難しい。
○声が上ずってしまう。浅いポジションではなくもっと深いポジションから、もっとお腹の底から声を出していくこと。力の入れ具合と抜き具合のバランスをもっと感じていくこと。必要のない力を入れすぎないこと。
○息の流れをもっと遠くへ伸ばしていくイメージを持つこと。なめらかに歌いつつも、するどく息を吐いてゆく。このバランスが大事。各自このバランスは違うので、自分の中でのバランスを見つけていくこと。
○キーを低くして何度も歌う。このキーで安定させていきたい。その上で高い音を出していけるように。頑張って歌わなくてもいいこのキーで、しっかり体に覚え込ませていくこと。
○高音の扱いが雑。点々になってしまう。自分の癖ではなく、今は息をしっかり流し、体で支えて声を出すことに集中していくこと。日々体に覚えこませていくこと。日々の練習あるのみ。
○フレーズを雑に切らない。丁寧に息を吐ききっていくこと。集中して意気を流しきること。歌い出す前に準備をしっかりすること。準備のためのブレスも大切に。気持ちを高めておくことも大切に。
○感性だけで歌うのではなくもっと音楽の流れ、メロディーの流れを考えて理性的にとらえていくことも必要。大きな音楽の流れを感じていくこと。
○ブレスをゆったり、ゆっくり取っていくこと。歌の一部としてとらえていくこと。歌もあわてない。ブレスもあわてない。じっくり歌っていくこと。
○力は抜けてきている。フレーズもなめらかに歌えている。このなめらかなフレーズを積み上げていって、大きなフレーズ感で歌っていけるように。フレーズのつなぎを大切に。そのためにブレスも大切に。
○歌いすぎないこと。内容の中で自分の声がリアルに動いていけるように。もっと歌詞を読み込み、もっと考えること。どのように歌いたいのか、どんな思いで歌いたいのか、考え抜くこと。
○日本語の歌詞を、内容を考えながら読んでゆく。まずはセリフの段階で集中して読めるようにしていくこと。そしてこのセリフモードで歌えるようにしていく。何度も何度も歌い込んできているのだから、気持ちで歌えるはず。あとは集中力のみ。
○ボリュームを上げて歌っていい。小さくまとめすぎないこと。ボリュームを上げて歌った時の感覚でソフトに歌っていくこと。体をしっかり使っていくこと。実際にバンドで歌っている際の感覚も大切にしてトレーニングの中に入れていくこと。
○上半身の余分な力を抜いていくこと。すべてにおいて力が入りすぎる。息の流れの変化をつけていきたいがつけようとすると、また力が入る。全体的なパワーは弱いので多少力が入ってしまうのは仕方ないが、リラックスする感覚も身につけていってほしい。
○日本語でセリフ、歌うを繰り返す。セリフは声が集まりやすいため、いい声が出ている。日本語も同様に声が集まりやすい。セリフでの声をさらに鍛えていき、日本語で歌う時に生かしていきたい。
○フレーズの入りが甘い。準備が遅いためそうなるのか、意識の問題なのか、もっと鋭く入っていい。フレーズもだらだらと伸ばしすぎないで、テンションの高い状態で切っていくこと。
○とにかく音楽を聴くこと。徹底して聴くこと。体の中に音楽を入れていき、そこから自分の音楽を作っていく。声、息、息づかい、息の流れ、聴くところはたくさんある。
○先を見て歌っていくこと。ワンフレーズ先を意識、イメージして歌っていくこと。カンツォーネを使って、しっかり声を出していくことを、体で感じていってほしい。
○イタリア語のひびきで日本語を歌っていきたい。このひびきの感覚をつかんでいくこと。気を抜くとフレーズが点々になる。特に日本語で歌う時、息の流れを感じていくこと。
○イタリア語もさらさらと読めるようになってきている。この調子でどんど進めていきたい。
いずれは原曲を参考にして、崩して歌ってもいいと思うが、くせを直すためにも、今はきっちり楽譜に忠実に歌っていきたい。
○流れを止めないこと。イタリア語もスムーズに歌っていきたいので、予習としてしっかり読み込み練習をしておくこと。まずはなめらかにしゃべれるようにしておくこと。
○力は抜けてきている。フレーズの中で後半に向けて息を保とうとしてセーブして歌い出してしまう。これがかえって息もれの原因になってしまう。しっかり出していくこと。
○ゆったり歌いつつ、重くならないように先へ先へ進んでいくこと。イタリア語はひびきを大切にしていきたいが、丁寧になりすぎて重くならないように。日本語でも歌ってみるが、声が集まっていてとてもいい。両語で進めていきたい。
○胸に力が入る。胸に手をあてて歌うことで多少力が抜けてくる。もっともっとお腹を意識していくこと。お腹を中心に声を出していくということを体に覚えこませていくこと。日々の練習。
○イタリア語でのひびきを統一させていきたい。イタリア語で歌うとのどに力が入って、硬くなってしまう。もっとなめらかにイタリア語が扱えるようにしていきたい。慣れるためにも読み込んでおくこと。読むことで流れをつかんでおくこと。
○歌の世界にしっかり入るためには、まず自分の世界に入れるように集中力をつけていくことと、羞恥心をなくしていくこと。そのためにもセリフや詩を使って練習していこう。
○ことばが入ってくると口やのどに力が入ってしまう。ことばにこだわりすぎずになめらかに歌っていくこと。イタリア語も発音よりも、同じひびきで歌っていくことに焦点をあてていくこと。
○イタリア語と日本語で何度も歌う。イタリア語で歌っている時の体の使い方を、もっともっと体に覚えさせていくこと。これから日本語で歌うことが多くなると思うが、時間を見つけてイタリア語で歌う機会を作っていってほしい。
○しっかり楽譜通り歌いつつ、自分の表現もしてゆく。バランスが取れている。どちらも大切なことなので、音楽的な基本的なことも身につけていきつつ、思いの部分、気持ちの部分も磨いていけたらとてもいいと思う。
○日本語で歌うと点々になってしまう。まずはじっくりイタリア語で歌うことをやっていき、深いポジション、母音のひびきを統一していくことに集中していくこと。その後、深いひびきの日本語で歌っていきたい。
○イタリア語は正確でなくていい。意識したいことは母音の流れとしてつなげていくこと。そのためのイタリア語です。ひびきを統一させていきたいのです。発音をあまり意識しすぎないように、なめらかに歌っていきましょう。
○息の流れを感じていくこと。今の低音域から中音域の中でしっかり息の流れを感じていくこと。なめらかになめらかに。イタリア語の読みの練習もしておくこと。
○中音域での声の芯を作っていきたい。息の流れを感じ、息の流れの変化をつけていくこと。今は意識してつけていっていい。徐々に体に入ってくるはず。それまでは日々の練習を積み重ねていくことで、体に覚えこませていくこと。
○腹から声を出していくこと。普段から心を乱さないように深い呼吸を意識していくこと。冷静な自分を作っていくということも,客観的に歌っていくためには必要なこと。腹を中心に考え、歌っていくこと。
○深いブレス、高いテンションをひとつのものとして出していくこと。丁寧に歌いすぎて、重くなってしまう。深く取りつつも、スムーズな流れで歌っていきたい。伴奏をあてにしなで、自分で曲を進めていくこと。
○イタリア語の読みの練習も大切。なめらかになるまで声に出して読んでいくこと。歌い出して安定するまで時間がかかる。歌いだす前の心境作り、息吐き等、やれるべきことはしっかりやっていくこと。
○しっかり息は吐けるようになってきたが、ブレスの取り込みが甘い。ゆったりな曲なので、もっとゆったりブレスもしていくこと。吐く息の流れと吸う息の流れを円に描きつつ歌っていくこと。一連の一円の流れを作っていくこと。
○伴奏に合わせることに慣れてしまっている。伴奏をあてにしないで、自分のテンポで歌っていくこと。そのためには、先取りして次のフレーズ次のフレーズに進んでいけるように。
○イタリア語を間違えても、息は流し続けること。吐き続けること。また一音一音ではなく、息の流れとして意識できるようになってきている。セリフも歌もこの流れの中で、音を置いていくこと。そうしたらもっと自由な表現ができる。
○重い。流れない。いい声は出ているが流れがよくない。深く取りすぎないで、前へ前へ進んでいくこと。そのほうが結果として、声も深くなる。もっと軽く歌っていいかな。
○息の流れはよくなっているが、ことばをはっきりしようとしすぎて一言一言が重くなる。もっとさらっといっていい。日本語もイタリア語も母音だけで歌えるようにしていくこと。
○パワーのある声が出ている。のどで押したくはないが、前に前に進んでいるイメージがあると、いい形でパワーのある声が出てくるようだ。この声を鍛えていきたい。体を使って声を出していきたい。
<オリジナル曲>
○前向きに進んでいくこと。失敗してもいい、場所を求めていくこと。曲も駄作でもいいから、たくさん作っていくこと。自分の中から出していくこと。その中からいいものが必ず出てくる。
○定期的にライブをしつつ、レッスンを受けていることは、とてもこれから身になってくると思う。レッスンレポートもこまめに提出している。こういったことの積み重ねが、歌に出てくる。続けていってほしい。
○ライブの時と同じように、本番のテンションで数曲歌う。自分の世界に入りつつも、外に向けて気持ちを出していけるように。体全体から表現していくこと。曲間のテンションが下がる。もっと歌っている時のテンションをキープできるように。歌っていない時こそ集中が必要。
○定期的にライブハウスでライブができるという与えられた環境に感謝し、その中でもっと自分を成長させるよう努力していくこと。集客、営業等、やれることは何でもやっていくこと。その中での経験も、今後役に立ってくるはず。
○自分の才能をもっと伸ばしていくこと。「歌」「ピアノ」「作曲」「アレンジ」すべてに対して一流を目指していくこと。パフォーミングについても客観的に自分を見れるようにしていくこと。
○のどの力は抜けてきている。体と息をひとつの感覚にしていくこと。テンションが上がっても、しっかり体で支えられるように。どんな環境で歌っていても、基準を体にしていくこと。
■レッスン体験談2(0612)
<福島英のレッスン体験談>
○ここに入って、入る前と考えかたがだいぶ変わりました。今まではこういう所に入って二年か三年通い先生の言うとおりにしていればそれでプロになれるという甘えた考えを持っていました。本当に甘えていました。ここで教えてくれるのは本当に必要最低限のことです。初めはそのことに少しうたがいを持っていました。しかし自分のスタイルは自分で作るしかないんだと思います。それは本当に楽しいことだと思います。
福島先生の話を聞いて、最近、歌とは音楽とは何だろうと考えるようになりました。そんなもの何の意味もないのではないかと思ったりもしました。そう考えれば世の中の大半のことは何の意味もないものてすが…しかしそれは、歌うことは、生きることだと思います。ただ技術をつけるだけではなく、この世界からいろんなことを学びとらならなければならないと思います。そして自分の世界を作りあげそれを歌いたいと思います。(TN)
○講演会に参加させてもらい、それからも時々著書を読ませていただいたり、ホームページを覗かせてもらったりして、福島先生の考え方などに触れていました。ずっと「やるならここでレッスンを受けたい」という思いはありましたが、時間的・金銭的にも優先して投資すること=「自分は本当に歌いたいんだ」と自分にも周りにも宣言すること。それは私にとってかなり勇気がいることだったと思います。それでもやはり、歌(レッスンを受けること)に限らず、「やってみたいけどできていない」まま終わらせたくない気持ちが強くなり、レッスンを受けてきました。
福島先生のレッスンで得たことは、単に歌や声などに限らず、物事の考え方や捉え方、受けとり方、優先順位などが大きいと思います。最初のうちは、どこか『習い事』の延長線上の感覚で来ていて、やはりそういう部分が自分の中でしっかりしていなかったために、レッスンで言われることや、会報などでシェアされていること、レッスンの意味もよくわからなかったし、うまく受けとれなかったように思います。
私の目指しているもの・求めているものとは違うのではないか、理解されていないのではないか、私にはレベルが高すぎでもったいないのではないか、などとどこかで考えてしまうこともありました。
そんな中、歌や表現のレッスン以前のことで、先生のお話や考えを伺うことに時間を使いました。そんな小さいレベルのことであれこれ考えるよりも、「自分はやりたいからやっているのだ」「やっていくなかで、自分で見つけられない部分を見せてもらいヒントをもらうために、コーチについてもらっているのだ」というシンプルなことに気づきました。やっとスタートラインに立てたような気もしています。
今感じることは、私は表現をしていくなかでどうしても足りないものや乗り越えられない壁にぶち当たってここに来たのではなく、ここに来ること自体が、何より自分への自己宣言だったのだと思います。これから少しずつ環境も整え、自分の表現を深めていくためのヒントを、たくさん受け取っていきたいと思います。(IF)
○本質をとらえる事の大切さ、またそれが難しい事でもあるという事も気付かされる。体?呼吸?響き?そんな事は家で各々トレーニングすればいい。このレッスンではただただ一流アーティストを聴きこみ、そこから体の感覚、状態、フレーズ前後の関係性から生み出されるうねり、動き、リズム、音色、ニュアンス、心情まで、食らいつくように耳を傾け読み込んでいく。それを自分の中に特化して自分のフレーズを発現させる。その時に下手とすら言えないような丸裸の飾りをねこそぎ剥ぎ取られた自分の歌がさらけ出される。その無惨な自分の歌をつきつけられる、現実がつきつけられる、自分に足りないものが突き付けられる。その足りないものは人によってそれぞれだが、自分の表現スタイル、創りあげたい世界はこれだという意識と自分の出したフレーズとのギャップを嫌という程、認識させられて初めて声を身につける必要性を実感してそれに対するトレーニングを自分でセッティングできるようになる。こういうレッスンはアーティストとして自分の世界を築いていきたい人間には最も鍛えあげられる場だと思うが、ただ憧れの人のように高い声が出るようになりたいだけの人、クオリティ無視してでも音域が欲しい人には理解しがたいもので、「声の出し方、響かせ方を教えてよ!」となるかもしれない。声の前段階、「耳」を重要視したレッスンである。レベル設定が「上手くなるようにする」ではなく「一流アーティスト持つ要素の断片だけでもまずは出せるようにする」という事だと個人的に勝手に思っているので、万人に結果を約束できないレッスンであるのも事実。だからこそ価値がある。(万人にすべて効果があがる時点で誰にでもできてしまうという事だからそんなノウハウ、方法論は価値はないように思う)という事で結果をトレーナーに責任転化する人、上手くしてもらえると期待してる依存心のある人には向かないレッスン。アーティストとして自立しようとしてる人、本質をつかもうとしてる人には最高に鍛えあげられるレッスンであると思う。後はレッスンで気付いた事をどれだけ家でトレーニングできるかは本人しだいだ。それができるかどうかが全てだと思う。(YK)
○自分の聞いたことのない曲を世界中の音楽から選曲してくれひたすらオリジナルとしてだしていく。体に入っていないもの決して自分のものとしてだせない。このレッスンはまるで赤ちゃんに言葉のシャワーを浴びさせ自然に話させるようにするものだ。英語と同じように。
それをここでは一流を聞かせそれを出させるためのきっかけにすぎない、だがそれがどんなに大事なことか…。そしてすぐに出す。一流の感覚を忘れないためにすぐだ。そこでの一瞬で出す緊張感はとても大事。この世界にはうまいヴォーカリストはいくらでもいる。しかし一流の感覚をもっている人がプロの外国人にいるかといわれたらそうでもない。アメリカのトップ40にNo.1になる人でも持っていなかったりする(もちろん他声量など優れてはいるが)そういう人でも荒を持っている。
ここはプロとして聞ける耳を手にいれその過程で自然に出ていくようにしてくれる場所だ。(MT)
○ここは文字通り研究所。声・息のこと、感覚のこと、表現のこと。学ぼうと思えば多くの材料がここにはあるが、狙いを絞ってレッスンにのぞまないと何も得られないし、必要な感覚が身に付いていかないと得られる量も少ない。レッスンが成立しないときもある。実力のある人のみが多くを持っていける本当に厳しい世界。
毎回、プロの感覚で成立している世界を提示される。イメージ、集中度、時間感覚。何もかもが日常のレベルとは違う。日常の感覚ではレッスンについていけない。最低月単位で体もメンタルもコンディションを整え、レッスン時をピークに持っていかないと持たない。
どこまで素直になれるかが伸びる時間を決める。自分が思っている理想の声、感覚がずれている場合が多いと、入所当初に言われたが、自分の場合もその中のひとり。いつまでも狂ったままのイメージ、感覚にしがみついていたのでは改善されない。思い切ってその感覚を捨てたときにのみ、次ぎのステージへ移れる。新しい感覚はすでに身についた感覚より研ぎ澄まされたものであり、それを得るには、探究心、集中力、時間等、より質の高いアプローチが必要。このステップの積み重ねにしか力はついていかない。
5年前には聞こえなかった音が聞こえ、見えなかった世界が見えるようになってきた。感覚が変わりつつあるのを実感している。やっとスタートラインに立てたのでは。あとはやるべきことをやるだけ。具体的に目標をたて、徹底的に突き詰め、実験し、フィードバックし、一流の世界との距離を縮めていく。(YT)
○わずかな時間だけれど、自分が持っているものを突き破れない空間。いつも真剣勝負だと思う。誰と?確かに先生は目の前にいるが、実際は自分だ。いい加減なものを持っていけば悔しい思いを自分がするのは目に見えている。乗り越えていくべき壁に対して全力でぶつかっていくこと、その壁を破ったあとにどうしていくのかを見守っているのが福島先生のやり方だと思う。自分と真剣に勝負。(YM)
○ここの研究所に通い始めて1年がたちました。ブレスヴォイスのブレスの意味がやっとわかり、フレーズ、テンション、息の流れ、息の停滞、息を前に出す、声のポジション、音階で歌わない、なめらかにこれらすべてが始めて聞く言葉で、どう自分の体に覚えさせていこうか、ここではすぐに答えの出し方は教えない。生徒が気づくように道をつくってくれる。自分で練習メニュをつくらなければいけない。
まず私が行なったのは、自分なりにイメージする。何を先生は私に伝えようとしているのか。その形が自分の中にできるまでレッスンテープを何度も聞き、自分が目指すアーティストとくらべたり、テキストを読んだりして形をつくる。あとはそれを何度も歌い、録音して聞く。そのくりかえしの中で知らず知らず体に身についてゆく。それよりまず最初の段階で私がとまどったのは、発声練習、声づくりの時の声、体をどうポピュラー(心の歌)に結びつけていったらよいのか。私の課題は体を使いすぎない。声をおさえる、力を抜く、このギャップをいかに自分なりに理解するか。
今の私は100メートルの短距離ランナー。自分の体の筋力を無駄なく、最大限に使って走る。走った後の爽快感、達成感、これを求めるように声を出して歌っている。聞いている人を意識するというより、自分の満足度を求めているよう。始め、体を使って声を出すということではいいかもしれないが。
では何のスポーツにたとえようか、ゴルフ!!今、話題の宮里藍さん。彼女のスイングからは力は感じられない。でも300ヤード近く飛ばす。聞くところによれば、冬場の走りこみ、筋トレ、基礎トレーニングはすごいらしい。でもそれは表面にはでてこない。ただ無駄のないスイング(流れ)、安定性、筋トレ=発声トレーニング、声づくり、スイング(流れ)=フレーズ(息の流れ)、18ホールのスコアーメイク=曲の構成、ここまで自分で整理するのに1年かかりました。
最初に始めて聞いた言葉は、ゴルフスイングをつくっているのだと納得した時に、練習内容、仕方がわかってきました。自分のテーマである自分の歌、相手を飽きさせない、歌にはほど遠いですが、研究所に通い一つひとつクリアーしながら進んでいけば、いつかはたどりつくと確信しています。(UT)
<トレーナーのレッスン体験談>
○のど、骨の自分の弱いと思っていた所を、先生のレッスンで、逆に感謝に変えてゆける気持ちになったことは、得難い体験です。
のどを痛めてからは、歌うこと大きな声を出すことをしばらくこわがっていたために、余計のどが弱くなってしまっていたと思います。少しくちずさむときにも、声がふらついていましたが、レッスン後、お風呂で歌ってみると、小さな声でもふらつかず歌え、声が通る喜びを感じました。
それは、教えていただいた腹式で、腹式というものが腑に落ちて変化したのではないかなと感じております。
思わぬアクシデントがあり、それは、どちらかといえば,マイナスに傾きそうなことでしたが、意味をみつけ、乗り越えられたのは呼吸が整っていたからではないかなと思っています。
ふと、気づくと自分の呼吸が自在に自分を調えているのに気付いて、歌を学び初めていて良かったと、思いました。大変なときは、どこにいても歌をくちずさみ,、癒されました。また、そのことに驚きました。また、自分の骨格にあった声を出すようにと、お教えくださったことは、つい迷いやうそに惑わされそうな自分を、調えてくださっていると思います。腹式のとき、様々に気を配るのが難しく、不器用さを思うのですが、徐々に覚えてゆけたらと思っています。教えていただいている一曲を歌い上げられたらと楽しみにしています。 (KU)
○僕は声優になることを志していて、それに必要な力を得るために入所した。そうは言うものの訓練らしいことを経験したことはなく、今回が声優になる為の第一歩であると言える。声優になる為にやるべきことは数多くあるが、そのなかでも主軸となるのは勿論、使いものになる声を身に付けることである。毎回のレッスンの時間は、これをどう捉えるか、生かすかも殺すかも全て受講する本人次第であるというのは、ほんの数回のレッスンだけでもよく分かった。レッスンのコンセプトの一つに「気付くこと」があるということは、福島先生の講習や本を通して知ってはいたが、レッスンを受けることで身を以って実感出来たと思う。先生は僕の身体に何が起こっているのかを、声や様子から判断しているのだろうか、僕以上に正確に知覚していて、誤った体の使い方などを気付かせてくれる(勿論自分でも能動的に気付こうとしている)。主に僕がするべきことは、レッスンにて善し悪し問わずに何かに「気付くこと」。そして、レッスン外ではそれを基に構築した自分の理想に近づこうと心掛けることである。言い方は悪いが、僕は先生を有効的に利用しなければならない。(ST)
○この曲をきいたことがないので、どのように歌えば良いか悩んだ。聞いたことがないからこそ、表現の練習になるんだとも思った。フレーズ間のつながりが良くないと指摘される。ブレスをすると、流れがプツッと途切れてしまう。イタリア語で歌うと、喉に力が入り、声が細くなる。
「あいうえお」の発声時の口の形、響きを全て「あ」の状態にする練習を続ける。日々の練習を、もっと表現を意識してやっていく。(SY)
○静かに語るように歌うシャンソンの方が自分に合っていると思い込んでいたが、意外にもカンツォーネの方を「いいですねぇ、さっきのシャンソンよりずっとこちらの胸に届くものがありますよ。」と言って下さった。ピアノ演奏の無い歌は全く裸同然だ。かなり歌いにくかったが、正直に言って、実は歌っていて体の中から何か燃焼している気がしたので、新しい発見だった。
その日以来地声で張って思い切り歌うのが楽しみになった。昔、ほんの少しゴスペルを習った事があるが、自分と声との一体感から言えば、一人で歌ったその日の方がずっと深く確かな感覚として残った。 (YO)
○私の場合、もろもろ学びましたが、要は「通る声」を作るために3年費やしたと思います。まだ通過点ではありますが、最近、自分が求めているスキル「技術的というより情熱的部分」を伸ばしてくれるのにより特化しているということ、日程が合いやすいということにより、トレーナーを変更しています。月1のレッスンも最近はままならず、2ヶ月に1回ということもありますが、結局は日々の自分のトレーニングが全てであるので、あまり気にせず、たまに行った時には自分を客観視して頂くというスタンスでやっています。
仕事の忙しさは、逆にいい歌につながると確信して、今後もこのスタンスで、かつ、より情熱的に活動していきます。 (KI)
○私がレッスンに通うきっかけとなったのは、自分の歌い方に限界を感じたからです。もともとバンドではベースだったので、ボーカルのトレーニングなどはしていませんでしたが、いざボーカルをやってみたところ、プロのミュージシャンが審査するコンテストで賞を貰ったりとそれなりの評価をいただきました。それに伴って色々なところからボーカルとして誘いを受けましたが、基礎が身についていないため歌を歌うにつれ、全てにおいて限界を感じました。
レッスンはまず発声練習からでしたが、最初はそれのみでレッスンが終了しました。呼吸法だけでくらくらするし、長い期間歌をうたうことまでにはたどりつけませんでした。それだけ、基礎が全くなってなかったようです。それでもレッスンに通い出してら少したったライブでは、周りに驚かれるほど成長していたようです。でもレッスンを受ける度新たな課題や目標が次から次へと見つかるので今後歌い続けていったとしても満足出来ることはないでしょう。先生が言った言葉で忘れられない言葉があります。「歌う事でなにも伝えられないなら、そんな面倒なことするより話しをしたほうが早いよね」歌うということは奥深いです。(KR)
○ここでのレッスンは私にとって斬新なものでした。斬新といっても、それまで考えていたボイストレーニングというものや歌の対する考え方がここに通うことでいろいろと変化させられたからです。もっとも大きいのはメロディーや音程といった歌うという技術面に関することよりも、気持ちを込める・伝える・表現するといったことを深く考えるようになったことです。私自身それまでボイストレーニングというと高い声を出せるようになる練習というイメージがあり、それ以外でも腹式呼吸になっているかや音がちゃんと取れているかなど、技術面を重視するものだと考えていました。もちろんこれらを疎かにすることはできませんが、それ以上にここでのレッスンを通してどれだけ歌に気持ちを込め、伝え、表現できるかということを考えるようになりました。レッスンでかけられた「それじゃただのアナウンサーと変わらない」という言葉は忘れられません。 (IC)
○最初のうちは、発声練習とナレーションの読みが中心でした。腹式呼吸から習って、発声のときは声を遠くに飛ばすイメージをするよう言われました。途中からカンツォーネを使って、レッスンをするようになりました。
歌はあまり得意でなかったせいもあり、カラオケも含め義務教育以来まったくと言っていいほど歌ったことが
ありませんでしたが、音域的に無理のない歌だというだけで心理的な抵抗がずいぶん減ります。これまで苦手だと思っていたのは無理して高い音を出すのが苦手なのが大きかったのだと気づきました。歌と言っても、フレーズのつなげ方など、ナレーションにも参考になることが多くありました。
今は「声優入門トレーニング」「声がみるみるよくなる本」などのテキストを使っています。
声自体の力を高めること、感情表現が課題です。自分がある狙いで発した言葉が、どういうふうに聞こえるのか、気持ちをどう持っていけば、目指すものに近づけるのか、先生は自分では分からないことを映してくれる鏡であり、コーチです。(SR)
○まず最初に驚いたのは、アカペラで歌っていると、当然私だと音程とかリズムが狂いまくりになるはずなのですが、あまりご指摘されないことです。歌を音程やリズムだけでとらえるのではなく(もちろん大事ですけれど)、気持ちやイメージなど、歌に最も大事な心についていつもレッスンしてくださるので、常に初心にかえらさせていただいております。(RY)
○小さい声優事務所準所属です。自分の普段の話し声はどちらかというと高く、喉に負担が掛かりやすい話し方をしているため、この声も使いながら、違う声、深くて響く声も使えるようになりたいなと思いレッスンを受けています。文章を読むときの癖で、単語単語がリズム調子で発してしまうところを、流れるように、ひとつのつながりとして話すこともできるように訓練中です。今まで腹式呼吸というと、息を思い切り吐き出すと勝手に息が入ってくると思っていたのが、レッスン中にそこまで無理矢理やろうとしないで自然にできるほうがいいんだと気付きました。これはわたしにとってかなり大きな発見でした。自分の集中力、イメージ力、再現力、相手に伝える力などわたしがこなしていきたい課題はたくさんあります。ちょっとずつでも消化していって、もっと幅広く対応できるようになりたいという思いがより強くなりました。レッスンを受けてみて、微かに自分の話し方がかわってきた気がします。このまま少しずつ伸びていくよう、意識して毎日を送ろうと思います。レッスン、楽しいのでこれからもよろしくお願いします。(TY)
○レッスンではこれまで、実際の発声、息や身体の使い方などの部分をみていただいてきました。毎回、何となく気づいていた、気になっていたが、表面化せず、自ら言葉にまとめて質問したりはできなかったようなポイントを的確に指摘してくださいます。そして、そのイメージの伝え方がわかりやすく、レッスンを重ねるごとに、少しずつ立体的に自分のものとして捉えられるようになってきました。
私は元々、周りの友達などには歌がうまいとか、声がいいとか、よくとおるなどと言われることもありましたが、身体や息の使い方、声の出し方というのが全くわからず、つかめず、安定して声を出せないことなどにかなりコンプレックスを持っていました。ここに来てからも、先生に導いてもらったら楽に自然な声が出るようになるが、1ヶ月経つと、練習してきたつもりでもその感覚を忘れてしまう、ということの繰り返しでした。
しかし、今まで自分の中でずっとひっかかっていたこと…腹から出すとか、のどを開くとか、力を抜くとか、響かせるとか、息を長く遠くに飛ばすとか、今までいろんなところで(プロのトレーナーにレッスンを受けたことはほとんどありませんが)言われてきたがよくわからなかったことが、少しずつ掴めてきています。とくに、「きちんと息を吐く」という感覚が少しわかってきたっことで、自分の表現できることの幅が広がってきたと感じています。いろんなことを断片的に捉えていたことが、少しずつつながってきていると思います。そして、自分の「できないこと」へのとらわれも薄くなってきた気がします。声を出すのが気持ちよくなってきました。
感情を乗せた歌をもっと思いっきり歌えるようになりたい。日頃のトレーニングでいろんなことを試してみて、自分でチェックや評価をしてみて、またレッスンで気づきを得て、自分のものにしていきたいと思います。(IF)
○ミュージカルで歌うために歌を見てもらうのですが、芝居と歌との関係、プロはどう歌うのか、今の自分はどうなのか、などなど、声だけを見るのではなく広く教えてくれるので、毎回考え方を変えることができます。
今僕の中で一番重要なことは、自分で自分の声を判断できるようになることです。ボッチェリ、パバロッティなどの声を聞きまくり、世界の精鋭に基準をおき、常に自分の声を判断できれば、よい方向にしか変わらないと思うのです。そう考えられるようになったのは、先生の話を聞けたからです。もちろん会報や福島先生の本にも同じことは書いてありますが、どんな言葉もやはり自分が納得できる時期、状況があるかと思います。その時期を先生が判断してくれることに甘えるわけではありませんが、すごくありがたいことです。 (KK)
○この研究所に入所してよかったと思います。というか、もっと早く入所していればよかったと思いました。というのも、3年くらい前に福島先生の本に初めて出会って、衝撃をうけ、時間をかけて何回も読んでトレーニングしてきましたが、当然理解しきれてない部分もあっただろうし、ほんの些細な疑問や質問に答えてもらえるというのは、僕にとって大きなことです。バンドをやっていても、いろんな人にいろんなことを言われますが、やはり歌とかボーカルというものをよく理解してもらえてないな、と感じることが多かったからです。先生の話や考え方を聞いてるといつも何かに気づかされ、納得して、また厳しさも感じます。しかし、歌でプロをめざす以上、当然一流を目標において、やっていきたいので、前向きにやっていきたいと思います。
レッスンをはじめて、実際に呼吸の仕方も1から指導してもらって、自分が思ってたよりも早く、すこしですが成果を実感できてることがとてもうれしく思ってます。これからも自分の信念をしっかりもって、先生のいうことを、信じて毎日のトレーニングをがんばっていこうと思います。(SI)
○毎回違う曲アカペラでの2曲。その中で自分なりのチャレンジ・課題を見つけ出していく必要がある。
レッスンの後は次レッスンの2週間の間に自分なりの結果に対する整理・課題の書き出し・新しく発見できた感覚について、体が忘れないうちに書いていく。その繰り返し。その中で技術が上達しても伝わるテンションがなければ、ただの味気も色気もないつまらない歌にならないように。自分が伝えたいことは何なのかと常に向き合うことが求められていると思う。(YM)
○声のエクササイズ後、自由曲。
客観的に見て、どこが足りないかを聞いてくれる。本当にお客さんのように決して見逃さない耳で。それらをふまえ参考程度に見本を見せてくれる。それがCDでは聞けなかった表現としてこういうものもあるのかと自分の聞きこめていない情けなさが発見できるのだトレーナーの真価としては一番は耳が良いということ。そして見本を出せること。全てこうしろと押し付けるのではなく、自分で考えさせるようにすることこそ、その時はわからなくても後々活きてくるのだ。(MT)
○ここのトレーナーは間違いなくプロ。目に見えない感覚の世界のはなしを、適切な言葉で表現し、知覚・体感させ、プロの感覚とのギャップを示し、その差を埋めるための的確なアドバイスができる。
最近の大きな成果は声が自由になってきたこと。以前は深い息、太い声、大きな声、そればかりを意識した発声、歌であったので、歌ったあとや、長時間大きな声で話した後にのどがつかれてしゃべりにくくなるとが多かった。1年間の胸声〜中声の切り替え感覚に重点をおいたレッスンにより、以前の問題が発声に必要な筋肉群のコーディネートが悪いために生じることが分かるようになり、疲労を避けられるようになってきた。同時に曲の中からプロの感覚をとる能力も向上してきており、フレーズコピーや曲を聴いている中で声の調子をとりもどせるようになってきた。ここをベースに深い声を身につけていきたい。(YT)
○初めに、体をほぐすためのストレッチ、呼吸を整える、また、そのコントロールの向上、声区の移行をスムースにすることを目的としたブレス、リップバブル、タングトリル。ハミングや欠伸をしながら軽い発声をして、リラックスした状態で声を扱うことを確認するエクササイズを行う。これらのエクササイズは、毎日の個人の練習においても取り入れており、十分に役立っている。
発声に関しては、チェストヴォイス、ヘッドヴォイス、ミックヴォイスの発声、およびそれぞれの声域ごとの使い分けを学んでいる。これらのエクササイズも、毎日の個人の練習において非常に役立っており、長期間、習慣的に練習してきたことにより、リラックスした状態で、声を楽に扱う感覚が徐々に向上してきている。
自由曲の指導では、"しゃべり"からフレーズを作っていくこと、ジェスチャーをしながら歌うことで自然な感情表現を引き出すこと、全体の構成のバランスを考えて各セクションでのアプローチを考えることなど、歌によって表現することに関して包括的な指導を受けている。この指導によって、初めて認識できる自分の歌唱の問題点はとても多く、自身の向上に関していつも良いヒントを頂いている。(YD)
○レッスンで声を出していると、今、自分がどんな声を出しているのか、わからなくなることがある。「もっとアゴを引いて」とか、「肩の辺りの力を抜いて」など、先生に言われるようにやっていると、わからないままに先ほどよりも声が出しやすくなっっていたり、声が安定して出ていると感じることがある。自分の声ではあるけれど、声を出すときのくせや体に余計な力が入っていたりすることで状況を客観的に見て、聞き分けて、その時その人に一番必要なレッスンをしてくれているのだと思う。自分のことはよくわからない時でも、他のレッスン生が言われたとおりに一つひとつ直していき、その声がどんどん変わっていくのを見ているとよくわかる。私がびっくりしたのは、やわらかい声の人からまっすぐで力強い声が引き出された時だ。その人から今まで聞いたこともないような声が出ていた。本人も知らなかった眠っていた声が、目を覚ましたようだった。くせや思い込みで自分でも知らぬ間に声を制限していたり、声を出すことを難しくしているのだと思う。先生は、そんな本人が気づかないことを修正し、よりよい声を引き出してくれる。 (IH)
○カラオケで歌ったり家で声をだしたりすれば良いそうです。レッスンでは 課題曲のレッスンをしています。(ST)
○唇をふるわせる「ブルブルブル」、巻き舌の「るるるるる」、ハミング、z、t、vの子音の発音からはいった。唇や舌などで閉塞されるので相手に届かせようと自然に力を使う。腹を使っているのが分かる。でも子音にメロディがつくと響きがないのでとれたかとれてないか母音のときより判断が難しい。あくびが重要なことを習った 。伸びやかで丸みがある声、あくび声でしゃべってみよう。溜め息まじりというかんじ、イメージトレーニングにもなる。でも難しいのが裏声にすること出るときもある。100%じゃない。裏声になったときはなん口蓋が持ち上がってた感覚がある。その感じでだす。あくびの音階の上下降もやった音階になるとさらに難し。 裏声から地声、地声から裏声への移行、なめらかに移れない下降する時は飛び降りる感じ、上昇する時ははい上がる感じというイメージ。歌う時のイメージというのも習った。喋る時のように、はじめに歌詞を会話のように言う。それからメロディ、リズムが付く感じ。普段から話す事がイメージにつながる、経験にできる、すぐに対応できる。あと欠点として始めから勢いで出してしまう、後々声が持てない。後々の配分を考えるべき、持たせる集中力、声力がない、鍛えるべし。(TD)
○私の問題は、高音練習偏重の結果、自分の出しやすい高音の発声法で中音部まで出してしまっていること(そのため、中音を活かしたい歌い出しやAメロBメロもサビと同じ高音の発声になってしまい、メリハリがきかず、サビが引き立たない。)だったので、このところのレッスンでは、高音・裏声への滑らかな移行ができるようになることが課題となっております。 また、個人的には、加えて中音域の充実がテーマです。中音から高音への移行のメニューを集中して行ないました。
「中音から高音へディスコネクトしないように」
[軽くハァー]
あくまで力を抜く。力を抜いて息を軽く出す。それが声になる時、小さい声である分、響きが一点に集中する気がする。今までよりは、それがナチュラルで気持ち良く感じるようになった。ただし、自己トレーンングになると、段々と感覚が雑になり、力んできてしまう。
[あくびのような声での音程練習]
少しこもらせた感じの声で、あくびのように発声することで、喉仏を下げない、軟口蓋を上げる。喉仏を上げて力ずくで発声してしまう癖がある私は、普段のトレーニングでも重宝しているメニュー。小さくかすかな声で発声すること。小さな声で行なうことで、余計な力を入れずナチュラルな響きで発声することができる。そしてミドルボイスからヘッドボイス・ファルセットへの自然な移行を目指す。
[唇を震わせての音程練習][舌を震わせての音程練習]
このメニューも唇や舌を振動させることで、余計な力を抜くことが出来る。息を吐き過ぎない。声を出し過ぎない。裏声になってしまって構わない。途切れないことが、ブレイクしないことが重要。自然に任せ、力を入れない。
以前より良くなったが、低くなると振動が止まってしまう。振動させることが目的ではないので、止まってしまうこと自体は問題ではないが、急に裏声(ファルセット)になってしまい、ディスコネクトしてしまうことが問題。
[摩擦を付けてズー][Wンー][ンオー]
舌を歯に付けて、抵抗、摩擦をつけての音程練習。余計な力の抜けたピュアな声が出しやすくなる。それから少し響かせて声にしていく。裏声と表声のギャップがなくなるように。抵抗、摩擦を付けることで出しやすくなるが、まだディスコネクトしてしまう。ミックスされていない。通り道を作る。完全な裏声でなく段々と地声とブレンドさせていく。切り替えが上手くいかない。困った時一瞬力に頼ろうと意識が働くが、堪える。歯がゆいが、力まず、声も大きくしない。(IZ)
○印象に残っているレッスンは声のギアチェンジについてのレッスンです。声には声区が変わるところがあり、その声区の変わり目を不自然にせずつなげる事でより広い声域を歌唱に使えることができるというものです。
練習方法として比較的声のヴォリュームを落として声のコントロール力をアップを中心に練習するというものです。今まで声のヴォリュームにどちらかというと意識が行きがちだったので目線がかわって今までの自分では気づかなかった気がしました。声のコントロールに力を入れて生きたいと思います。(KN)
○まず自分が一番きてよかったことはトレーナーがちゃんとうまくなるための道を作ってくれたことです。くる前までは我流で自分ではトレーニングをやってるつもりでも効率がわるかったり、ただ喉に悪影響を与えてるだけだったりしてたのに気付きました。そこらへんはトレーナーがちゃんと教えてくれるので道を踏みはずさず安心してトレーニングできました。あとはトレーニングに望む姿勢などもかわりました。集中力の違いでかなりちがってきます。でも結局一番思うのは自分が頑張らないとなんにもならないということです。どれだけ本気で長くできるかが勝負だと今は確信してます。 (MU)
○呼吸を楽に飛ばすこと、抜くことを教えていただいたことが、一番うれしく盛り上げて、歌わせてくださるので楽しいです。自分の欠点を知って、こつこつ毎日練習することがすべてです。先生を信頼して、あきらめないことだと思います。 (MN)
○教え方の異なるトレーナーについてやってきたのですが、始めたころは戸惑うことばかりでした。2人の教えることは全く正反対のように最初は思っていました。片方で頭声を重視してやれば、もう一方では声が薄いと言われ、深い声をつくろうと頑張ればもっと顔に響かせてと指摘されます。その繰り返しを何度も経験しました。しかし、そうしていくうちに徐々に2つの発声が近づいていくのを感じていました。
未熟ですが、今ではどちらのレッスンでも同じように歌えるようになって来たと思います。基本の部分と言うのはあまり変わらないのでしょう。
トレーナーが悪いのではなく自分の力がないから対応できないのだということを改めて感じました。発声だけでは歌にはならないというのはもちろんですが、今後はアーティストとしての姿を模索しつつも、その基本の部分をしっかりと見つめていこうと考えています。(IK)
○ストレッチに始まり、理論的にきちんと説明してくださいます。とても細かく「音」に対して注意をされますが、分かりやすく、だんだん高度なメニュへ引っ張ってくださるので、頑張ってやっていこうと思います。(MN)
○出来ないとそれが出来るまで他に進めません(笑)。よって、私は全く進みません(笑)。それが自分の弱点で、そこがクリアされていないから、一歩抜きん出なかったのかもしれないと思ったので、やり続けるしかないのだなと思います。これで嫌になってやめたら、今までと変わらないのだと思います。(OK)
○明るく楽しげにレッスンを進められます。褒めて伸ばすタイプの先生ですね。”○○が苦手”と言うと、どういう風にやったらいいのかコツを教えて下さいますが、その反応がいつも早く解り易く、頭が良くて器用な方なんだなと思います。でも自分がすぐ出来ないのが、嫌になってしまいます。 (OK)
○母音「イ」「エ」の発音があいまい。高音の発声。音程が不安定などのトレーニングとして挑戦しました。現在、高い声が出てきてます。また、母音「イ」「エ」も意識して歌うようになりました。声を遠くに飛ばすということが理解できませんでしたが、響かせる声の真似をくり返し行なっています。
最近、仲間から私の声は「よく響きます」と言われてます。スタッカートの練習では、まだ腹筋の力が弱いようです。筋力トレーニングよりきびしい。 安来節歌9年(SH)
○今は声帯を使ってしぜんに無理なく声を出すための練習をやっております。根気がいる作業ですが、私はそのためにきたのだし、最終的には音を楽しむことを目指し、けっして音我苦にならないようにするために必要なことを、ここで習得したいのです。
それに関して、厳しさとあたたかさの両方を持ち合わせた一人のアーティストとして私は見ておりますので、今はこの方を信頼しております。
ただ心の中に音楽がないと、36〜7年前の日本のロックバンド(ジャックス)にいた、今はソロでやっている早川義夫さんが言うように、「誰に向かって音楽を発信するのか」が明確でないと、ただの対象のいない自己満足に終わってしまってはつまらないこと。一人二人でもわかち合い、伝え、つながりを持つことができたのなら、これ以上の喜びはないです。
小手先だけの器用さも一時的なもの。すべてに通じる本物と呼ばれてきたものは、かならず基本的なことがマスターしている人たちだけの体で習得した宝物のようなものだから。(IO)
○たどり着くべき最終的な目標は、自分という楽器を弾きこなすこと、つまり潜在的に持っている自分の一番いい声を引き出すことだと思う。レッスンは、それを声楽という分野からアプローチするものなのだと自分なりに考えて、それを意識して臨んでいる。今のところは、薄っぺらでない、深い声を手に入れることに専念している。正確に音の違いを認知することが出来る耳が未発達状態の僕には、自分で発声しておきながら、どの声が深い声なのかも正確には分からなく、何かに気付くためには、まず耳の発達も必須条件なのだと気付かされた。また、先生の言っていることを頭で理解しながらも、身体が思ったとおりに動いてくれないというジレンマも味わった。 これは単に今まで発声に関することを鍛錬してこなかったために、その部位の動作に慣れていなく、意識も思うようにいかないからであろう。先生は人を褒めるのがうまい。皆にも同じようにしているのかは分からない。教えられる側の僕が言うのも何だか偉そうだが、正直言って悪い気はしないし、それどころか気分良くレッスンを受けられる。(ST)
○最初、正しい発声が全くわからず悩んだ。レッスンを録音したものを聞くと、ざらついたこもった発声だった。上半身の力をぬきリラックスして発声をするレッスンを続けると、澄んだ声になった。 ただ声量を上げると喉に詰まった感じになる。また、高音時にも喉が詰まり、低音はガラガラ声になる。それらを気を付けたい。(SY)
○初めてのレッスンから歌う時の基本姿勢、ストレッチを経てようやく発声に入り表情に至るまで丁寧にご指導下さる。口を大きく開けすぎない事(響きを集める為)、笑顔で、真っ直ぐ前を見て、と基本的な点を毎回注意され、我ながら情けない。ごくたま〜に「そう、それだよ!今のだ」といわれる。道は遠い。 (YO)
○単純に技術がついてきてるのでとてもやることが楽しいと感じるようになった。ここに入る前まではずっと独力でやっていたけどなかなか力がつかなかったから落ち込んだ状態が続いていた。今はやればやるほど上手くなっていくからやる気も満々で精神的に非常によい状態。ここに入ってよかったと思う。自分の思い描いているものに近づいているし満足している。これからももっと実力をつけて楽しみながらやっていきたい。(NM)
○ブレスヴォイストレーニング、その意味は実感してみないとわからない。まだまだこの研究所の目指す道のスタートに立った程度だが、頭で想像していたものと実際に体験した感覚との違いを実感しつつある。何もかもリセットしなくてはならない、そう思っている。 今まで私が発してきた言葉は、歌はいったいなんだったのだろう。「自己満足」、今までの私は内にこもっていたのだ。だから声は足元に落ちるし、自分がどんな声を出しているのかわからない。しかも下手に体の内部で響いているからそれで自分は大きな声で何かを伝えていると勘違いしてしまう。そんな声の出し方は一度捨ててしまおう。今までの固定観念を捨て、発声というものをもう一度0から考えてみよう。今の私にはこれぐらいのことしか言えない。でもまだ駆け出しだから、と甘えるつもりはない。これから一生自分の息と声と生活していくのだ。絶対にモノにしてみせる。ヴォイストレーニングが自分を変えると信じてこれからも日々精進していきたい。(OI)
○普段、疑問にも思ってなかった、声帯を使うこと。歌えば使っているものだと思っていたので気にしていませんでした。意識すると、余計に難しい。でも、意識しなければ永遠に変わらない。声帯を震わせるトレーニングは、やったことがないので、貴重な体験になった。先生は声帯を使った場合と口先だけで発声した場合をすぐに聞かせてくれるので、理解しやすい。切り替えの早さにも驚いた。自分は声を出して確認しながら動かしているが、先生は出す前につかんでいる。声を出す前にイメージして出すと言う事の大切さを知りました。
特に始めに浅くなるとどんどん浅くなってしまうので気をつけたい。今は声帯を使うことが課題ですが自分で聞いても判断できない。先生が、「それです」、「ちがう」とか言われるまで気づかないことが多いので聞く耳をもちたいです。一人では学べないことが実際に聞けたりできるので声の奥深さに驚かれます。(YR)
○数年前、初めて福島英さんの著書を読んで、強いインパクトを受けて共感し、自分なりに理想のボーカルになろうと試行錯誤してきました。その時のテーマは『腹式呼吸』と『深く太い息』でした。著書の言葉にあるように大は小を兼ねるということを前提に、強く、深く、太く、ということを意識していました。ある程度、それが出来てきたと感じてきたのだけれど、こんどはそれらを意識しすぎて、柔軟な感じが出せなくなっていました。
研究所に入り、先生に習って新たに気付いたのは腹式呼吸の仕方、そして歌の中での呼吸と発声との関係性でした。まず、単純なことですが、息を吐くときにお腹がへこむようになること。へこむ場所は自分が思っていたみぞおちの下の部分より低い丹田を中心とした部分であることをしりました。また、発声時に息は強く、太く、を意識しすぎて、逆に息を吸いすぎる、または吐きすぎるという傾向があることにも気付きました。吸った分だけ吐く、吐いた分だけ吸う。できるだけ、自然な流れの中で、それらを行うこと。そして、のどの奥を開くことがとても重要であること。口の形を変えて、顔に響かせて声が出ているというのは近くのそば鳴り、というもので、それよりも喉をひらいて、響かせる方が、より聞こえるのだというのも驚きの発見でした。(YA)
○先生に教わったことは、発声の難しさです。常日頃から会話として発声をしているのに、その発声の奥深さにいつも驚嘆しております。やはりクセがついているので、それをとりのぞくために長い時間をかけてじっくりレッスンしてくださいます。時々厳しいと思うときもありますが、それは愛情。先生が一生懸命ですから、僕も感化してやってやろうという気持ちになります。できたときの喜びもひとしおです。(RY)
○発声すら満足にできていないのと、今まで自分が身につけてしまった余計なやり方などの見直しに役立っています。顎がはずれるくらい口を縦に開けすぎていた癖は、小学校の合唱クラブ以来ずっとそうしてきているため治しづらいですが、教えてくださった口の開け方のほうが楽に声がだせています。喉を絞めて声をだすときがあり、イメージでこんな感じと思ってみるといいかもと提案してくれて、自分でもなるべく負担がかからず素敵な声がだせるといいなと練習しています。表情についても、自分で悩んでいるところを指摘されたので、これからかえられるよう、少しづつよくなっていくといいなと思いながら、鏡に向かっているところです。イメージを使いながら、わかりやすく、伝わるように丁寧に、私に合わせたやり方、すすめ方でレッスンしてくださるのでとてもやりやすいです。前回のレッスンメモを渡してくれるのも嬉しいです。時間も、ちょうどいいなと感じます。いつもレッスンを楽しく受けています。ありがとうございます。(TY)
○イタリア古典声楽曲「Caro mio ben」をやった。割とメロディが簡単な曲で自分でも口ずさんできたのだが、今日のレッスンで2人のヴォーカルが歌ったものを聴き圧倒された。まず女性ヴォーカルでは繊細さに気付かされた。原語がついていることもあったと思うがとにかく自分が予習してきたものとははるかに違う繊細さで運ばれていた。次のパバロッティでは構成力歌唱力に驚いた。パバロッティといえばもっと声でもっていくような印象が強かったが、今日の声の使い方は初めて聴いたし、1曲がきちんと構成されていた。引出しがたくさんある人なんだ・・・と思った。それと2人とも楽譜にかなり忠実なのが印象的だった。ppの入り方は本当に効果的で感動した。記号はその曲の流れを最大に生かすためにふられているのだと改めて気付かされた。聴いた後、自分が2回歌った。1回目は調子が合わず、2回目は聴いたものを割と素直に出せた。発声のレッスンもよいが今日のように「原語歌曲を優れたアーティストで聴かせる」レッスンもかなり大事な気がした。細かいニュアンスや音楽性、他に普段はなかなか気付けない。(SJ)
○トレーナーの声がとても参考になります。レッスンに通うようになって感じたのは、私の場合、歌うために必要な体ができていないので、歌の練習だけをしても効率が悪いということです。自分の足りないところをレッスンを通じて自覚することができました。
レッスンでは、先生が見本として歌いながら、歌い方や意識するポイントを教えていただいています。
頭ではわかっても、なかなかできないでいるので、体づくりと歌の練習の両方をしないといけないとつくづく実感しました。そして追々、響きのある声を出すためのテクニックも教えていただこうと考えています。(HY)
○自分はなんとなく音、リズムをとり、合っていたという感じできたことがわかった。楽譜をやりやすいように変えて歌ったりしてしまう。同じミスに対して先生は、細かくリズムをとるようにしてはどうか、タイを外してみてはどうか等、違う面からみさせてくれるので家での練習にも役立った。ピッチはもちろんだが、いつでも総合的に聞いてもらえるのでリズムに気をとられているとピッチに指摘がくる。アクセント流れ1つ1つできていない所をつぶしていける。また自分がやりがちなミスもわかってくる。(YM)
○もともと、歌の歌い出しなどで、音を正確にとるのが苦手だったので、非常に為になる授業です。歌う前に、頭で音の高さを考えること、それと共にテンポを確実に体に刻むこと。やっていたつもりでも、それに向ける意識が低かったことを実感しました。 また、4小節の音取りの練習でも、練習でなくそれらが1つの曲であるという考え方にも自分は意識が行っていなかったことに気付きました。1曲の歌を歌ととらえる意識が広がったようなきがします。(YA)
○先生はとても気さくで明るいので、レッスンをとても楽しくしております。ですが楽しいといっても本気です。真面目です。一生懸命です。音程に関しての甘っちょろいことなんていってくださったことなど一度もありません。笑いやジョークが常にレッスンにありますが、ドンドン上達するために欠点をご指摘してくださいます。どんどん上達している自分もいます。(RY)
○基礎的な事、同じメロディでもリズムのとり方一つで曲の印象が変わったりすることなどを学びました。それに前に比べると譜面もだいぶ読めるようになり、譜面を見ただけでその曲がどんなメロディなのか大体わかるようになりました。あと、歌うと普段自分があまりていねいに歌っていない事に気付かされ普段からレガートできれいに歌おうという気持ちが高まりました。あと、譜面を目の前にしてきれいにていねいに歌おうとするといつもなら出るキーも意識すると出なくなったりすることがある事がわかりました。一度だけ自分でもビックリするくらいすごい声が出せた事を今でも覚えています。体全体に声が響いて、でも、今でもあの声を出そうとしているんですけど、あの時の一回だけで今はもうなかなか出ません…。小さい声でもいいから、舌を出してあくびの喉で発声をするのはすごい、いい練習法だと思います。その練習をしてから歌を歌うと、高い音でもきれいに声を出す事ができます。あと、声楽家の人の歌を聴くというのもいいと思います。聴いているだけで、どう声を出せばいいのか、この人がどう声を出しているのかが分かってきます。(TN)
■VOICE OF LESSON (by members)
<Lesson>
〔F〕
○美空ひばりさんのスタンダード曲をやったのだが、音をさぐりながらアタフタしたままレッスンが終わってしまった。構成はつかめたつもりだったが、いざキーを変えて声に出してみるとピッチもリズムもガタガタに。美空ひばりさんのフレーズがあまりにも音の高低さを感じさせないのでわからなかったが、いざ自分が出してみると「うおっ!ここの部分こんなに低かったのか!」とかになり、シンプルに一つのフレーズとしてなりたたない。それこそ、客観的にも「あっ、今低い音をとりにいったな」とか「音をさぐりながらフレーズの頭の音を出したな」と見える程にひどく、いいとこ無し。音程差を感じさせず、シンプルに聞こえさせ、尚且つフレーズの中でいろんな動きや音色を出す事をあのように自然に出来る事がいかに『すごい』かという事が身をもって体感できた。正直今日のような曲はまず徹底的に聞き込み、体に入らないとあのような柔らかさやしなやかさは出せないだろう。いや体に入っても難しいかもしれない。本当にベストのキー設定にして自分なりにアレンジするしかないかもしれないが、曲を壊すわけにもいかないのが難しい。とにかく今日のように入りきらないまま上辺の雰囲気(柔らかさ、しなやかさ等)を出そうとしてもフニャフニャ、カスカス、ガタガタなものになる。やはりすぐに音を捉らえられる優れた耳と、自分の呼吸まですぐに変えられて音楽として出せる優れたセンス、その音楽を声として発現させる事ができる器のある体、まだまだ足りない事だらけだ。今日のように声を張ったり強引に力技では絶対なりたたないような曲は本当に苦手だ。だからこそごまかしが効かないので自分に入ってないものがつきつけられる。という事は自分が比較的入りやすいような曲でも本当の意味では全く出来てないのだろうなと考えさせられた。全てのジャンルができるなんてそんな奴、絶対嘘だと思うしそれっぽくしているだけだと思うが、それでも本当に優れている歌い手は応用力もとんでもなくて、対応はできて、それを専門としている二流、三流の人よりは上をいってしまうのだろうなと感じた。自分の勝負所を徹底して研究し、深める事がまずはなによりだが、自分に入ってないようなとっつきにくい音楽が逆に自分に気づきを与えてくれる事もあるのだ。『無法松の一生』や『柔』のような曲からJazz、スタンダードまで歌う美空ひばりさんは本当に天才だなと。声の応用力と音楽を理解して捉らえる力が半端じゃない。またそれを自分のものとして出せる所がさらに。感心、感動ばかりしてられない、自分もやるのだ!!(YK)
○美空ひばりスタンダード何曲か聴く
♪マイウエイ(美空ひばり)
♪ラ・ノビア
「一流のやっつけから学ぶ」
本当だ、凄くクセが出ている。でも全体としてちゃんと押さえるべきトコロは実に当たり前にちゃんとおさえている。クセの出るところ、例えば繰り返されるフレーズの語尾。二回同じ事が繰り返されても、三回目は絶対転じている。たとえそれが常套手段なパターンでも、それで音楽が成り立っている。これが崩れると、ただ癖が続くモノマネ王座な世界になるのかもしれないです。天才はバランス感覚が勝手に働くのかしら。ダルマ人形のようにどんなに転がってもちゃんと揺り戻って起き上がる。むー。確かに歌い込まれてる曲より、こういうやっつけ仕事な曲の方が遥かにヒントが見え易いでした。
○美空ひばりスタンダード聴く
♪One
ソモス ノビオス
♪ソモス ノビオスを日本語で
むー、なんてやりにくいのだろう。今日はどちらもやりにくいシリーズだった。コーラスラインの方は歌ってくともうちょっとこなれてやり易くなるのだろうか。どうも違和感がありすぎると感じる。
ソモス…は、もう四回目くらいですが、サッパリ駄目。でも今日やった「日本語で好きにフレーズにのせる」作業自体はとてもおもしろかった。これをめちゃくちゃおもしろく自分色にできたら大成功なのでしょうけど、
そうはなかなかいかない。部分的に合う時もあるんだけど、どうも全体につかめてない。超苦手ジャンルといえましょう…。
○♪コーラスライン
♪二人でお酒を
♪霧の摩周湖
♪時の過ぎ行くままに
♪襟裳岬
テレサ・テン聴く
♪空港
「霧の摩周湖」
なんかごっつい上等なというか、ややこしというか、ハイテクな事している。
「襟裳岬」
森進一のフレージングって、こんなんだったっけ?と思いました。凄く意外。とってもザクザク作っている。
かなり大胆な歌い方なのだなと驚いた。おもしろい。テレサ・テンも意外でした。ぶん回し方が豪快。もっとあっさりした印象だったのですけど、かなり濃いぃのは、流石「時代」やなぁ…と思いました。
今日は歌謡曲シリーズ。
私が物心つくつかないあたりの微妙なところ。昔は今より皆、歌が好きだった気がする。なんかありがたかった、というかもっと楽しかった。めっちゃ集中してTVの前に座って聴いていた覚えがあります。
それと、主題歌の世界もすっかり変わりましたね。アニメとか、ヒーローものとか、子供向け番組の主題歌というのは、昔はホントに子供用に作ってあって、妙に興奮する絶叫系のウタが多かった。そんで、見ている子供も、必ずTVの前で一緒に大声で歌うもんでしたが、今はよく分かんない大人の愛の歌が主題歌ですから、そんな事はしないのだろうな。あれ、楽しかったのになあ、と思います。けっこうマヌケな世代かも知れません。「UFOくらいなら踊れる」世代ですし…。
○今日は歌い易かった。ですので、なんとなくうまくいったのですが、なんとなくじゃ駄目なんだ…と思いました。理由がなきゃ。自覚して「こうだから当然これでこう行く」という感じで出来なきゃなぁ、と思うです。
でも単純な話、上の響きがまとまってると、たいへんやり易いのだというのが、改めて解りました。やっぱりいつも自分で引っ張ったりひっかけたりでぶち壊している事が多いのだなあ。
最近行った友人が出演するイベント裏で、ある一人の歌い手の人の、電気なしのリハをみて吃驚してしまった。
電話の声みたいなので歌ってた。(しかも受付系のつくり声)で、本番でまた吃驚…普通やん。(だってトリの人だったんだもの、むしろ普通より上)今まで、色んな先生に「出し過ぎ」「七割…いや、半分でいい」とご指摘受けましたが、めっちゃ意味が分かりました。頭では解っていたはずだったんですけども、実感。いえ別にこんな風に歌おうという話ではもちろん無いのですが、自分が今まで、何てバカみたいにリスクの高い(しかもあんまり効果ない)事してたのだろうと、超〜身にしみました。なーんだ、音響って、そういう事か…私は阿呆かもしれません。何故わからなかったのだろ。(何回言われても意味がわかりませんでした)「五割で歌う」意味が解ったので、これからもっといろいろと整理できるようになりたいです。(NI)
○ヨーデルは、実際に自分だけで歌うと全くできなかった。それは、声の切り替えができていないということ以前に、自分に合ったキーでやれていなかったから。自分のキーさえわかっていないという根本的な課題突きつけられ頭が痛い…が、一つひとつ気づきクリアしていけばいい。(TU)
○創造に正解も間違いもない。日本人は聴覚と視覚の両方を使うと視覚に左右される。若い世代は「デジタル音」に対して敏感である。今日は技術的なことを中心にしました。なので、イメージの創造は弱かったです。機械的に上のほうで出すようにすることに重きを置きました。ですが、息と体は不安定。体の使い方も部分的でバラバラ。(どこかを使うとどこかが使えてない、抜けている…)息が流れずノドでやってたり、上のほうに当てることだけだったり、首と上半身に力が入っていたり…。どんな声であっても息は流さないといけないです。部分的には出せる感がありますが、やはり全体をみるとそうはいかない。まずは上であろうが下であろうが息を流すことに妨げにならない発声をしたいと思います。もちろん技術も大事ですが、技術を使う根底には「表現したいことや曲や詩からのイメージをどう出すか」がないと本末転倒だと。
・現代日本では、歌がトータルサウンドの中のひとつのパート。はみ出すのでなく、逆らわず心地よく融合させる傾向が強い。
・美空ひばりさんの「My Way」。
聴いてフレーズを回してる時には意識が薄かったですが、先生のコメントで意識できましたが、ひばりさんですら、かなり頑張って創ってらっしゃるんだな…と感じました。ご自分の曲(オリジナル)の時より、バタついてるというか、意図的に表現を創っているというか…。しかし、聞かせてくれます。それは変わりませんでした。
もちろん、あの「ひばり節」も入っていますが、それだけではない。かなり動かしていました。つなげ方、メリハリ、流れの調節などこまかくやられていたと思います。その何分の一(何十分の一?もっと少ないかも…)しか記憶にとどまっていませんが…。(MA)
○「Wi」、「Gwi」をファルセットからミックス、地声へと一本に繋げる。切り替わる所は頭で考えて意図的に切り替える感じではなく、できるだけ一本の線で自然に繋がるようにする。始めはファルセット〜地声という感じでミックスの箇所がなく、急に切り替わりすぎてファルセットが目立ちすぎていたが、呼吸の絨毯をひいてその上に声を流動させるように意識すると比較的ミックスに入りやすく、地声まで一本のラインでいけた感覚があった。深い呼吸+リラックスした集中状態が必要だと実感。他の人が「Wi」でうまくいかなかった時に、先生が「Gwi」でやるように指示されたのを聴いて、自分もイメージの中でやってみた。なるほど、「Gwi」の方が深くふみこめる感覚と、喉の奥から首の裏側(襟足あたり)の空間が開きやすい感覚がある。他の人への指摘も自分事としてどんどんやっていこう。そして各々歌唱。やはり指摘されるのは音楽たらしめる所までまだいきつかないという事。以前よりは段々自然にはなってきてはいるがまだ圧力で押し過ぎているという指摘を頂けた。他の先生にも、曲の構成が見えにくいという指摘をよく受けるのだが今日言われたように、音楽になる所までいっていないから聞き手の耳に入らない、伝わらない、結果、構成がわかりにくいという事であり、同じ指摘をされているのだなと実感した。そして個人レッスンに入り、まずはセリフから。セリフの延長で少しずつメロディをつけて歌いすぎず自然になるようにする。そしてなんでもかんでも体全体を使って声を押し出す自分の悪いクセがでないように意識。箇所によってはそれを生かせばよいが、全部が全部そんな歌唱スタイルだと聞き手も疲れてしまうし飽きるという事だ。こういう所も自分の音楽をわかっていないという部分なんだと思う。そして今日得た新たな感覚として大きかったのは、刀を振り落とす感覚だ。シャープに軌道が見えるくらいの意識。これをする事で語尾もピタッと定まり、だらしなくならない。振り落とすだけでなく、下から「クンッ」と手首だけを使って上げる感覚も。実際に腕を振り落としてフレージングするとイメージしやすく、引き締まった感じが得られたのがよかった。最後に一曲通して歌った時に、確かに数分前に歌ったものとは違う感触があり自分で驚いた程だ。イメージだけでこんなに変わるものか。でも最後に歌ったものはイメージだけでなく、自分の発したフレーズに次のフレーズ、声の使い方が自分の意思とは関係なく勝手に『選ばれて』自然と出てきた感じで『導かれた』感じだった。先生にも「ようやく音楽として聞こえてきた」というようなコメントを頂けたのだが、同じ事をもう一度やれといわれても次からは「どうやっていたっけ?」とか「声はどうもっていっていたかな?」とか「ここは短く切ったような…」とか頭でどんどん考えてはまっていってしまい難しいだろうな…。でも!今日のような感覚を自分の意思で再現させる事ができるのが歌い手の歌い手たる所以だと。まずは「発現」した事をきっかけにし、「自分の意識下での再現」ができるようになるようもっと音楽を聴きまくり、体をつくっていこう!(YK)
○弱くしようとすると引いてしまう。これはボリュームの問題じゃなくて、内にある気持ちとか表現が引っ込んでしまうし、音程もぶれるし良くないということだ。だからAメロでボリュームを下げようとかいう風に考えると崩れてしまうから、あまり考えすぎずにがんがん出す方向で行くべきだと指摘された。サビと変わらないくらいで出しても、むしろ丁度いいくらいらしい。低音はまだ声が集まってないと指摘され、だから弱くやるのはまだかなり難しいようだ。演出上サビとのボリューム差をつけたいな、という浅い考えはとりあえず置いておいて、Aメロからテンションを保つ事を優先して考える。低音でかなりガンと出して、保つのはサビ以上に難しいから、神経を集中させる。でもこういうことはやっぱり前々からいわれている事で、先に進んでないなあとは感じる。最近はテンションを作る事や自分の欲求、目標、こうしてやりたいんだというものがわからない。考える事から逃げてるかもしれないし、あんまりないのかもしれない。向かう方向がはっきりしなくて、すごくしんどい。逃避でも何でもいいから、歌うことで自分を確認できるような、そんな風な付き合い方をしたい。(KA)
○ナットキングコールのモナリザ。前回、コーチから「滑らかさ足りない」と指導いただき、自分なりに息を吐き続けることを重点に置き練習してレッスンに臨みました。歌ってみたところ、コーチから「今歌っていた半分の息の量で歌ってみて」と指示されました。私の場合、キーが低いと歌がブツブツ切れやすい欠点があり、苦手意もありますので、果たして息が流れるか心配でしたが、息の量を抑えて歌ってみるとコーチからは「普通に歌ったのと声のボリュームは変わらない」とのコメントがあり非常に驚きました。自分では確実に息の量を下げて歌っているのだから、当然声も小さくなると思っていました。実際、自分の耳に入ってくる自分の声も小さくなっているので不思議でありました。コーチからは、息の勢いを半分にしたため、力みが取れて、響きが出たためと説明されました。コーチも実際に、この現象を体験されていたようで、コーチの体験談を聞いて安心すると同時に今後の自分の目標「声を響かせる」が見えましたのでとても良かったです。
今の自分の課題は「声を響かせる」(会報に「メッツァ・ヴォーチェ」が掲載されていました)です。しかし、息の量を減らして歌ってみるのですが、息を弱くしている=楽に歌えるはずなのに、妙に疲れたり、息苦しくなったりします。今までは、とにかく声を下(腹部)から出して遠くまで飛ばすようにしていた、歌を始める前、死にものぐるいで運動に明け暮れていた私にとって、心肺機能=息を吐くことだけには自信があり、それをベースに歌を頑張ってきた背景がありましたので、正直、息をセーブすることに戸惑っています。まだ慣れていないせいもあると思いますので、とにかく早く慣れて、響きで歌えるようになりたいと思います。
私はこれまで毎回アテンダンスを提出しております。このアテンダンスは何よりも自分のためだと思っております。レッスンも人それぞれ違いますので、私の幼稚な内容の記事を他の方が読んで参考になるか分かりませんが、他の人の感想等を読んで刺激になることはあります。私自身、会報のレッスン体験談は参考になったし、刺激も受けましたし、「あ!これは○○コーチの事だな」なんて思ったりして、ある意味おもしろかったです。限りある時間、限りある費用、その中で少しでもレッスンの効率を上げるため、そして刺激を受けるためにも、レッスンの記録、公開、共有には賛成ですし、協力もさせていただきたいと思います。(SH)
○情感を込めるトレーニング
EX.2 怒り
(1)(秘密を言いふらされる)
「許さない!二度と口なんか利いてやらないから…」
言っている対象は誰か。独り言?直接本人相手に言うつもりで。内容は何か? どういう秘密だったのか?
相手は親しい人か?それを決めた上でしゃべる。
設定を極端にして、
1.絶対知られてはならないようなことを
2.ごく親しい人に
3.直接本人に言う
気持ちはそのままで、文章が分かれていると思わず、ひとかたまりで。
最初はフルパワーでやってみて、強すぎると言われれば減らしていけるように。
(2)(親身なアドバイスを友人が無視した)
「もう、何があっても知らないからね。勝手にすればいいのよ」
直接相手に言う設定で(“あの子”はカット)。
つないで言ったとき、二つ目の文章の頭がぼやける。
EX.3 おどろき、悲しみ
(1)(親しい人が亡くなる)
「あんなにいい人だったのに…こんなにも急だなんて…」
(2)(友人に裏切られる)
「えっ、あなたまで…そんなことするとは思わなかったのに…」
スパッと気持ちに入れるといいが、最初に気持ちを200とか300つくっておけば、仮にあまり気持ちが入らなかったとしても100は伝わる。
“究極の設定”にすれば、確かに気持ちは持って行きやすくなる。何度か同じ気持ちをつくることを繰り返すと、一種のスイッチができるように感じる。その気持ちになりきれない抵抗のひとつとして、台詞の言葉遣いがある。普段の自分が使わないような言葉だと、そのひっかかりでトーンダウンしてしまうのだが、考え方としては、時代劇だと思えば、または翻訳劇だと思えば、少し抵抗が減る。
EX.4 喜び
(1)(久しぶりに親友が訪ねてくる)
「まあ、お久しぶり!元気でした? あなたも昔のままで…」
リアルっぽくない。あんまり会えてうれしくなさそう。本当にうれしくて、相手も喜んでくれていると考える。
もし相手がうれしくなさそうであれば、自分のうれしさも全開にはしづらいだろう。
(2)(ごちそうを目の前にする)
「うわあ、おいしそう」
料理は何か?実際には口に出さない場合でも感情が動くことはある。
○感情を取り出し、表情にメリハリをつけるトレーニング
EX.1 意外そうに
「ええっ、どうしてあなたがここにいるのかしら。 実家に…」
驚きが急じゃない感じ。驚くときは、いつも急であるはず。準備しておいて驚くわけではない。外国で会った、しかもメキシコの山奥で、さらに相手は実家に帰ると嘘をついていた、という状況だとして。出しすぎくらいで丁度いい。
EX.2 びっくりして
「まだあの人は帰ってきていないの?」
この時間に帰ってきてないと、死んでるかもしれない、くらいの設定で。
台詞を、書かれていることから状況や気持ちを推し量り誇張して表現するのだとしたら、ナレーションも本当はそうなのだろう。
どうしてこの文面になったのか? 何を伝えたいのか?そこを意識して読んでみたいと思う。
それをするためには、技術の部分を、意識しなくてすむくらい体に入れておく必要がある。(SR)
○悲しみの時」の詩の朗読。まず黙読してる際にスタンスを決める。この時いろんな考えが頭をかけめぐる。「とりあえずはまずテンションだな…。でも大声だせばいいってもんでもないな…。自分の中で練り込まれた感じの語るような感じをハイテンションでいこうか、でも自分の中だけで回るリスクもあるな…。語るより悲愴感を出した訴えかける感じでいく方がいいだろうか…。しかしそれをやると≪いかにも≫みたいに芝居してますよ的なものになりそうだな…。」等々。いろいろと頭をかけめぐった結果、最終的に、不特定多数に聞かせるというよりは、もう一人の自分を目の前に想定して、その目の前にいる自分の黒い影に対して伝えるというスタンスをとった。結果、前回よりは言葉はまわった感じがしたが、やはり想定内にはあったものの自分の半径内に閉じこもっている感はあった。先生のアドバイスで「そのスタンスは理解できるが、その自分の世界の半径で語っているものがそのまま聞き手にもダイレクトに伝わってくるような感じが欲しい」というようなコメントを頂いた。さらに「自分に向かって言っているならもっとストレートに言葉をぶつけてもよいのでは」というような事も。そうだな、心のどこかで抑揚をつけようとかここは落として読むか、とかは計算してしまっていたな。それが悪いとは思わないが、リアルさが欲しいからもっと会話で発してるような感じにしよう。と吹っ切れた感じがあった。よし、どうせ自分に言っているメッセージというスタンスなら「とつとつと語る」という感じはやめて、「甘えだらけの自分に胸ぐらつかんで言っている」というイメージに変えてやろう!という感じになり、まあ怒鳴りつけてるという風にまではいかなくて、強く言葉を発してるイメージだ。結果として一回目よりは芝居くささがマシだったかなと。これは朗読という既存のイメージにとらわれていたのを棄てて会話の中のセリフのようにイメージした事が効を奏したようだ。そして箇所によってはかなり早口になり畳み掛ける事ができたと思うし、ポイントどころでは自然と楽に大きな声が出ていた。今日のレッスンでの収穫というか、すごく大事な事は、『結果としてそうなった』という感覚だ。つまり、「ここは大きく、ここは落として」や「ここは早口で」「ここはゆっくり」のように、頭の計算でやるのと、「結果として声が大きくなった、小さくなった」「結果として早口で畳み掛けた」というのは全く違うという事だ。ある程度前者のような構成イメージは必要だが「リアルさ」を求めた場合、やはり理想は後者のような『自然とそうなっている状態』だ。「はみ出して自分をさらけ出しながら尚且つ収まっている」という理想形に少し近づけた感じがあったので歌でそれが自然と生きてくるよういろんなパターンを出し切っていこう!そもそも「はみ出す」と「収める」という言葉の意味自体、対しているわけで(汗)とにかく今日のような「吹っ切れた時の結果オーライ」は表現する上で非常に大切だと思うので、常に「これってリアルかな?」というのを念頭に置いていきたいと思う。ヴォーカリストにとって虚構の世界を演じる事は多いと思うので。あと感じたのはやはり先生にアドバイス頂いてから気付く事が多いな〜、もっと修正能力を身につけ、自分一人でできるように判断基準と客観視能力を高めなければならない!頑張っていこう!(YK)
○レッスン初め、音が雑に滑ってしまうから一音一音しっかりとる。そうするとレガートでなくなるから、イメージは大きくして一音一音を全体で考える。今日はコンコーネの27をやった。とにかくレガートを徹底する。難しく考えるというわけでなく、集中度を上げる。全部を滑らかにしていくわけだから、高音が飛び出てしまうのはおかしい。初めはどうしてもそうなってしまう。意識していくうちに、だんだん円を描くようになっていって多少は自然につながってくる。それを一回目で出せるようにする。
スラーはちゃんと守るが、記号が何もないところは、演奏者のイメージで歌っていいということで、その辺をどうしたいか、どう演出したいか、そのためにどうするかをしっかりイメージしておかないと厳しい。一回目はやはりただなんとなく弱くしたり強くしたりになってしまい、どうしたいのか伝わらないと指摘された。三回目は意識的に前半弱く、後半だんだん強くという風に展開しようと意識してそういう風にしただけだが、それでも前に比べれば非常に良いということで、今はどうしたいのか自分の中にしっかりイメージを作ってやってみる。
特に、なんとなく弱くする癖があるので、弱くするなら集中して、ここからはいっきに強くするぞというように、
ただ「ここを弱くしよう」でなく、全体から見た演出を心がけるようにする。
後は付点などでしっかり身体が使えていない。からだのそこからわきあがってくるように身体を使う。使おうとすればするほど力が入ってしまう。とにかく朗々と、大きなイメージでダイナミックに歌うようにする。どうも口先だけの発声になりがちなので、歌が心の底から湧き出てくるようなイメージで歌う。(KA)
○’なめらかに’歌うということは、息の流れが大切というのはわかっていたつもりだったが、肝心なその息の出し方を忘れてしまっていた。忘れたというより、自分ではでていると思っていたがだんだん息が細く小さくまとめてしまっていた。先生から指摘されなければ自分ではその違いが分からなかった。先日の先生のレッスンでもまとめすぎていてもっと大きく歌うようにと言われ、その時は大きく歌うということのイメージが自分の中に浮かんでこなかったが、ミルバの東京公演を聞きに行き、歌の大きさというのはこういうことなのかと…。先生のテキストの中によく出てくることで、自分の中で理解しきれてなかった声の大・小ではなく強弱でとらえる。’うねり感’私は強弱とは言葉のアクセントのようなものかと思ったり、特にこの’うねり’ということがわからなかったのですが、今回歌全体をとらえながらフレーズの流れで強弱をつけ、波のように押したり引いたりしながらおし寄せてくる感じ、この感覚は日本の歌手のコンサートを聞いたり、外国の人のCDを聴いても私の力ではつかみきれなかったのですが、ミルバの歌を聴いてその感覚が少しつかめた気がします。今まで何回か日本の歌手のコンサートを聞きにいきましたが、だいたいが飽きてしまい、一部ででてこようと思うこともたびたび。ミルバの2時間半はアッという間で息をつく暇がなかったほど、言葉もわからず聞いているのに、その世界に引き込まれてしまう。歌手とアーティスト、上手と感動、この違いこれが世界なのかと…。
コンサートが終わってもすぐには立てないほどの脱力感、でも帰りの電車の中ではなぜか血が騒ぎ少しでもあの歌に近づきたいと…。もう一度、あの地の底から湧き出てくるような深いところからの声・息を指摘されたことに注意しながら練習しようと思います。(UT)
○発声は、やはり「マ」と声にした時に声が奥まる。前に出やすいように「イ」で練習する。「イ」は横に広げないように、頬をあげて上の響きを大事にする。高い音になった時はもっと息を沢山流す。コンコ−ネの六番をやる。曲の中で多く取り入れられている伸ばしがまだ一本調子だから、途中にふくらみをつくれるようにする。出だしから口を開けてしまって声を出すとそこから変化が出来なくなるから、始めはハミングから少しづつ声を出していくような感じで歌い出すとそのまま続けてクレッシェンドしやすい。始めは出だしがハミングになっても良いから、全体にその感じを取り入れていくと良い。クレッシェンドは自分でやっているつもりでも、人への聞こえ方は違うから、録音して聞き直すなどして練習して見ると良い。急に音が下がるところ、音がとりにくいからその直前で意識しておくと良い。また急に挙がるところが上ずって雑になっている。もっと下半身の支えを意識して、下から息を沢山流すイメ−ジでやる。クレッシェンドも含めて息だけで練習してみると良い。その時力を入れて息をださないように。また吐いてる息が揺れるから、吸った時のおなかの状態を維持できるようにしていくこと。
今日はあまり自分の声が聞けなかった、伴奏に合わせて勢いだけで歌っていたような気がする。いつも言われるように、伸ばしは何度も歌うようなつもりでやっているが、上手く声量変化が出来ない。「大きくしていこう!」と思ってしまうと、力ばっかり入れてしまう気がする。最初から目一杯出し過ぎだからだとおもう。今回言われたように、始めは冷静に少しずつ出すようにしたい。
このところあまり身体の使い方は気にしないでとにかく声を出すようにしていたから、高い音などは力任せだったと思う。考え過ぎも良くないけど、また練習の中には少しずつ発声も考えていきたい。息を吐くと不安定だと分かる。まず「吐こう」と思うと口先で吐いてしまう。また息を保持できず、吐いているうちに弱くなっていく。すぐに出来ることではないけれど、少しずつ息を吐く練習もやっていきたいとおもった。
オ−ストラリアに行った際にオペラを観れた。オペラは字幕を見ながら観るから役者の言葉そのもので伝わって来る物でもなく、やっぱりそれが歌であることは楽しむ上で重要だと思うけど、でも歌は歌そのものを聴かせるというよりやはり役の表現の一つのようで歌として聴くのも違うような気がしたし、初めて観るとどう楽しんで良いか良く分からなかった。全部歌なのだけれど、観ているとそれが歌なのを忘れるくらい自然なスト−リ−運びだったし、でも演じながらオ−ケストラともぴったり合って、歌いながらそれぞれの劇中人物がリアルに演じられていた。あまりすごいというより自然に観れてしまった事に、それを支える演じ手の力を感じた。(AS)
<Menu>
○顔のあたりでは良く響いているけど、それを身体にもつなげないと駄目という事を指摘された。高音になるのにつれただ上に響かせていくのではなく、身体から延長していく感覚で、つなげる。全体的に声に深みがない。響きは綺麗になってきたようだが、メロディーを追っている感がある。音程で不自然な波を作ってしまっているようだ。高低差でうねってしまうのではなく、身体からクレッシェンドをコントロールしてうねりを作る。全てをストレートに出せる上で、クレッシェンドはもう思いっきり身体を開放して湧き出すようにする。
本当に身体を使う。指摘されて色々やってきたけど、今日のレッスンくらい身体を使ってクレシェンドしたということは多分今までなかった。とにかく本当に身体を使う。高音とか低音とか響きとか、関係なくなってくる。でも低音の重厚さがないということで、高音の出し方に慣れてきた感があるので、少しずつ身体に戻すというか、上をこなすようにではなく、下から上へ伸ばしていくようにつなげてみる。(KA)
○お腹の下の方からゴムが上下に引っ張られる感じを意識しながら、上へ息を流す。
・高い声の時は、下顎の力を抜いて、鼻の奥から頭の後ろほうへ声を引っ張る感じを意識
・低めの時は、胸の上の辺りを広げる感じ
・肋骨がすぐにしぼんでくるので、広げたまま維持する。練習方法は、足を広げて壁に手をついて、犬の真似
・しゃがんだ姿勢から少しづつ立ち上がながら歌うと、体の力が抜けて声を後ろにひっぱりやすかった。
・鼻で息を止めない。(HY)
○頬が上がる延長線の後方部分をガップリ開けるイメージ。息を節約しない。おなかの部分を上下に引っ張られる、または下から上に上がるイメージ。音が高音へ、切らないまま飛ぶ時は、息も上下つなげる。音が上下に動いても、ポジションが変わらない。
○声帯が疲れている時のマッサージ
「んー」とボーッとした声を出し、喉の一番震えているところに手を当てる。振動が声帯の後ろの方にまで伝わっていることを確認。20分ほど行う。
壁に両手を付き、壁に向かって立ち、1/4秒くらいの速さで「ハッハッハッハッ」と、肋骨を開いたまま、お腹を動かして息を出す。お腹の中をを上下にのばすイメージ。1/2秒くらいの速さで「ハッ ハッ 」と同じように息を出す。おなかはへこますと同時に、上にも引っ張られるイメージ。
鼻の後ろを開放する方法
口を閉じたまま、「フーンフーン」と鼻で声を出す感じ。
地声から裏声につなげる時、下半身を十分にささえ、上に多めに持っていっておき、鼻・喉の後ろを解放する。肩の力を抜く。
高音地声で出す時
肩の力を抜く。鼻の後ろを通す、詰まらない。
声を出す前に、練習として息の通り・声を出すイメージの練習をする。
体が一回り大きくなって、その一回り先から音が出るイメージ。
ロングトーンは、出してる時に声が体に戻ってこず、広がるイメージ。(OK)
○初めてのレッスン。まず聞かせてもらったのは、アゴについての話。よだれをたらしている時のようにリラックスした状態で声を出した。アゴの力をぬくことだけを意識して出た声は、稀に出るスムーズな声だった。考えてみると、仕事場で動揺しているときの自分というのは、おさえようとするためかアゴに力を入れていたような気がする。それがいきすぎると、気が内に入りすぎて、声を出すこともためらうようになる。声が落ちる、音程が低くなりやすいというのも、アゴが関係しているような気もする。
声を出すときの姿勢をよく注意してもらう。胸を張り、背骨の上に頭をうまくのせられるとアゴの力がぬけやすいような気がした。リュックを背負うようになってからか、少し、前かがみになっているので、注意しよう。
「胸に響くということは、自分におちている」、「声を勢いでとばす」、「胸ではなくとばす」
と、先生が説明したあと、「お客さんにポンッて声がとぶんだ」って。それが、伝わってきた。気持ちよいというのが伝わってきた。常にお客さんを意識すること。
・クセをとりゼロにする。
・上の奥歯、舌の奥歯をあける。
・アゴをほぐす(ストレッチの中にいれる)。
→まわす、舌を出す・引く
・よだれ (HN)