会報バックナンバーVol.192/2007.6 |
レッスン概要
■レッスン録 by Ei
福島英の講演やレッスンのリライトからダイジェストしています。
○選ぶ
やりたいことを選んでいるのですが、音楽や歌を選んでいるわけではないのですね。だから、ここにくることを選んでいるのかもしれないけれど、本来は逆でなければいけない。音楽や歌を選んで、それに役立つのなら、ここを使えばいいということです。ここがあるから歌や音楽をやっているという人もいないわけではありません。そこからいつか、本当に音楽や歌を選んで欲しいものです。
○自分で通す
何か1本というときに、全く何かということが決まっていないのは、すごく大変なことです。だから、無理にでも決めてしまったほうがいいと思います。そのことでどのレベルに行くのかを決めてしまったら、そこに年齢があるわけでもないでしょう。家族がいて養っていかなければいけないとか、別の条件が入ってくるから、続かないとしたら、そのくらいのものなのです。世間体やいろいろなことを考えると動けなくなる。女性は、子供を産める年齢がどこまでなど考え出すと先がない。今は、全部が解き放たれて、ぎりぎりのバランスですね。
30代40代で入ってくる人が結構います。年齢を気にする人もいますが、ポップスで年齢をいうのだったら、20歳をすぎたら、そんなに変わりません。10代と20代は変わりがあるけれど、20代そこそこになってしまえば、プラスもマイナスもない。ここでも指導者と演奏者というわけ方はしていないです。本当の意味の演奏者は、演奏で食べられている人です。でも、音大の先生でも、演奏できる能力はあるということで、指導してもらっている。それから指導に向いている人もいる。私から言わせてみたら、指導者はどちらかというと、プロやレベルの高い人を育てる。演奏者は、一般の人を育てる。マンツーマンで教えないかもしれないし、こんな教え方がありますとやるわけではないけれど、やっていることは同じです。
私は講演会をやっています。そのこととコンサートはどう違うのかと言われても、求められることをやっているというスタンスでいえば、あまり変わらないです。要は求められなかったら、仕事はこない。自分がどれをやりたいかということより、使命として、向こうから求められることを、優先せざるをえないことはあります。金銭的なことも関わるのでしょうけれど、商売や経営をやっているような人でも、プロ歌手並みに歌える人がたくさんいます。そういう人が、演奏しないからといって、不幸なわけでもない。もっと生きがいがあったり、能力の活かせるところへシフトする人もいるし、好きじゃないけれど、やらざるをえない事情があったりする人もいる。
私はあまり分けていない。それからプロを目指しているけれど、99パーセントはプロにはならないで終わってしまう。終わってしまったときに、だめだったのかということに、したくはない。それだったら、最初からオーディションして入れるべきでしょう。養成所であるかぎり、それに向いていない人は、入れるべきではないのですけれど、何のために養成所があるのかというと、ここで学ぶためです。ここがなくてもできる人には、ここはなくてもいいわけです。ここがないと、プロになれなかったり、ここがないと、優れられなかった人を育ててこそ、意味がある。そうなってくると、いつもオープンにしておきたいというのはあります。本当は、そのことに専念できる人を入れていきたい。
ただ、個人レッスンになったから、どちらでもいい。グループの場合は、全体の質や流れがすごく大切です。自分以上にやっている人の中でもまれていかないと、皆が怠けているところに放り込んだら、才能のある人までダメになってしまいます。日本人の場合、横並びになってしまう。
○ロングスタンスで
とにかくどんなことをやるにも、レガートが基本です。ひとつの音からひとつの音にきちんとつなげる。そのことができないのに、演奏はできない。ポップスの場合はできたようにみえてしまうから、困るのです。それは、あとで可能性のあるものではない。声楽の先生に来ていただいているのは、声楽を教えてもらうだけではなく、自分の声を鍛え守るためです。私たちは、プロを相手にしています。プロの中で大切な条件というのは、優れた演奏ができるために、喉を壊さないことです。要は怪我をしないこと。生涯わたって、そのことをやっていくのであれば、別に声楽といわなくてもいいのですが、オーソドックスなクラシックをやっておくのは、プラスになる。
もっと短期的な目的でいうのなら、毎日のようにコンサートが入っていたり、過度なスケジュール、昼も夜も公演しなければいけないと。そういうときに、何かしらそういう基本がなければ、ワンシーズンで終わってしまう。次のシーズンは、ぼろぼろになってしまいます。それはロックでも同じ、日本人で歌えない人ほど、そういう意味でいうと、喉の管理や声を自分で守ることをきちんとしておかなければいけない。それだけでも意味があると思うのです。
なまじ、うまく歌えるとか歌えないとか、レッスンをやっていて伸びる伸びないとか、そういうのは、今のポップスの中では、それほど問われていることではない。大きな目で見たときに、普通に聞いて、何かいいな悪いなという判断ではなく、本当にいいものはどういうものであるのか、その世界みたいなものを漠然といいではなくて、もっときちんと味わえるようにしていく。そのようなことを、耳や声を鍛えてやっていきます。
その人の人生の中では、心もいろいろと変わってくるのでしょう。ここに来る人たちで、それなりの年齢になっている人は、社会生活をして、いろいろな経験を持っている。そういったものと音楽と歌というのが、かけ離れているものではない。社長で、ストレス解消でここに来たいという人は、それはそれでいいことだと思います。いいことも悪いこともあるけれど、そこに音楽や歌が一本通っていたら、友人がいるみたいなものです。少しダメージは少なくなるし、少し早く立ち直れる。それだけでもやる必要がある。やっておくと、いいのではないでしょう。
レッスンはそれで自分がプロになれるとかなれないとか、そんなことをいっていても仕方がない、なる人はなっている。なりたいのなら、しがみつくようにしてがんばれば、なれるかもしれない。いろいろな質問が来ます。プロデュースやCDの作り方も。トレーナーの対応できないものは私の方に挙げてください。
今は、こんなことをやっていて、何かなるのでしょうかと聞いてきます。そうではなくて、何か一生懸命やっていたら、仮にこれをやめても、そのエネルギーとか経験は絶対に生きていくわけです。だから、やり切ってしまえばいいわけです。悔いがないくらいにやっておけば、後悔することもないと思うのです。迷うことで練習に身が入らないということが多いのです。もっといいものが見つかれば、やめてしまうのですから、それまでは何かやっていたほうがいい。調子のいいときはいいのですが、そうでないときにうまく調子にのせることです。
○「夜明けの歌」
ロックなんかは、こう言って、しゃべっていることがわかってもらえません。それはどういうことなんだ。ピアノ一本だったら、わかりやすい。そのピアニストが、他の歌い手の歌い方も知っているからでしょう。歌い方のひとつのルールというか、そのことを何度も弾いている人なら、何となくここはこうなるべきだというのがある。まったく別の感覚のピアニストについたりします。すると、曲の解釈からニュアンスから違う。「枯れ葉」でも「愛の讃歌」でも、シャンソンという中で、それを聞いてきて、演奏してきた人の茶々の入れ方、クラシックでピアノを弾いたりすると、リズムの感覚でも同じテンポでも違ってきてしまう。こういう歌も難しいですね。
後半のほうを中心に持っていくのには、前半のほうをおさえて歌うしかないです。前半をおさえて歌ってしまったがために、後半に抜ききれないで、後半も押さえられてしまったら、何かにつまらない歌になってしまいます。
「心に」といい終わった後の、「若い」の前で、本当の意味で完全な用意が、その時間の中でできていない。吸うというと、また吸いすぎるから難しいのですけれど、でも、整っていない。それから、「若い力を」の後から「満たして」の前のところもそうです。それがちょっとずつずれてきているのです。前半のところの4行を歌っているときは、呼吸は問題がないのですけれど、だんだん、息継ぎがきつくなって、これは持たないなと思って、持たなくなっている。
前半で吸っているだけ、量を入れていないということではないのですけれど、速さで余裕がなくなってきている。早めに切って、時間を空けると、楽に吸えるのです。後半になればなるほど、少し持たせなければいけなくなってしまい、そちらのほうに気がいってしまう。すると、次のフレーズがだめになってしまいます。今のテンポだと本当に難しいですね。もっとテンポが速ければ、短いけれど、ごまかせる。
よく、声でのばして聞かせたほうがいいのか、早めに切ってしまったほうがいいのかと聞かれます。そのときによって、歌い手によって全然違うのです。ただ、基本的に歌の場合は、そこで聞かせるというよりは、全体の流れを優先しなければいけない。
次のところが崩れるくらいなら、その前のところにブレスをおいても、しかたがない。次のところの頭を歌わなくても、あるいは、出だしを変えてもいいから、そこにおきたいのだったら、やっぱり、次の流れを崩してはいけない。そこにきちんとおけないのだったら、早く切り上げて、その流れをとらなければいけない。
歌いこめば歌いこむほど、こういうものはもたれてきたり、声のある人だと、出しすぎて失敗してしまうのです。だから、プロほどの完全な見せ方ができればいいのですが、そうでなければ、こういう歌は、ビブラートだけかけられたような歌になります。特にクラシックの人はそうです。何も歌っていないまま、発声練習のようなかたちで終わってしまうことが多いですね。高いところがとれたとか、最後が伸びたとかいう感じで。それをどのくらい裏切るかということをやるのです。でも、それで流れを失ってしまうといけない。
前半の4行の流れ、特に「おくれ」の前のところまでのつなぎ方をベースにして、後半が少しそれにヴォリューム、パワーアップすれば持つのでしょう。前半でギリギリで歌っているから、後半でどうしても高くなってしまいます。だから、後半だけの練習をすればいいと思います。
むしろ、私の考えだと、後半を歌ってから、前半を歌って、バランスをとっていく。前半から歌っていくと、どんどんきつくなっていきます。こちら側のほうが1番だと考えて、最初に歌ってみてもたないのだったら、後半には、とても置けないという感じがします。バランスの問題です。けれど、実際に伴奏がついてしまったら、問題なく、エコーの中で、楽できます。ただ、ここでやるのは歌ではなくて、細かい点での問題なのです。
最初にいったとおり、「う」とか「た」がうまくいかないのを「う」や「た」で直すのではなくて、その前の流れをつくってしまうことで、解決することです。それから、「ど」のみたいなところで伸ばしてみて、それができるのだったら今度は「あ」や「た」というところで、もうひとつフレーズをつくってみる。そうして、自分がフレーズをつくる主権を握っておくことです。それが伴奏がついたときには、歌い手はほぼ負けています。のっかってしまいます。本当にうまい人は、どこかアカペラでやりたいとか、最後は歌おうとか、そんな感じに変えるものです。そのほうがお客さんに伝わるようにです。
「きのうのかなしみ」の「かなしみ」は、強く入れる方法もあるし、言葉で置く方法もあります。一番難しいのは「おくれ」というところです。イタリア語では問題ないでしょうけれど、日本語の「おくれ」というのは、難しい。フレーズとして聞かせるかどうか。しかもここで盛り上げてしまうと、次のところで盛り上げにくい。盛り上げないと、何となく足りないし、いかにロスしないで切り上げて、次のところに勝負するかということですね。
「わかいちからを」のところで、何かもう一押しできれば楽になる。「私の心に」のところも、まだ大きくはれると思うのです。「わたしのこころに」から入ってください。イメージ、歌のつくり方、これはご自分で判断するしかないので、考える。それから発声ですね。いわゆるイメージしたことに対して、声がうまくまわる、まわらないみたいな問題をつきつめて、練習する。それぞれ1行に分けてもいいと思うのです。それぞれの1行の課題をやって、次は2行2行、次は4行やって、みたいな感じで、全部歌う必要は、発声としてはないと思います。
前半だけとか後半だけのところを完全にして、その中の問題を徹底していく。今のように入りやすい、入りにくいとか、このキーだとできるけれど、このキーだとこういうことがおきるとか、これだけでほとんどの発声練習ができると思います。言葉が使いにくいところがあれば、変えればいいと思います。「うた」を「あけ」としても、「きのう」を「きのー」とやってもかまいません、練習として使うわけですから。
○効率よくする
声や喉を強くすることが目的ではない場合もあるので、難しいのですけれど、ひとつは自分の持っているものを精一杯使おうと、ある意味では効率をよくしていく。これは矛盾するのですけれど、喉を強くしようとか、喉自体を変えようとしたら、効率が悪くなって、うまくいかなくなります。たとえば、高い声を出すとか、きれいに響かせるとか、疲れていない美しい声を出す。欧米なみの声の強さを得るということだと、そこから間違いかもしれないが、ある程度、声を毎日たくさん使って、声そのものが鍛えられていかないと、変わっていかない。役者のようなかたちでもよい。喉の強さと効率は、別です。
人によって、どんどん強くなる人もいるし、喉を壊してしまう人もいます。壊しても、治って強くなる人もいれば、たいして強くならない人もいるので、そこはやるしかないです。ただ、そのこと自体が今の発声にたいして、すぐにプラスになることではありません。だから、毎日やったほうがいいのは確かです。
問題を発見するためのもの、あるいは同時に解決していくものとする。それはイメージのレベルのことです。たとえば不思議な歌だと最初に思っていても、何回も聞いているうちに心地よくなって気持ちよくなってきたら、そういうふうな感覚が自分にまだ出せないかもしれないけれど、一番大切な部分が入ってきていている。そのうち歌っているうちに、そういうものに同化していくと、ひとつの音楽的なベースの部分となる。だからわざといろいろなものを入れているわけです。レベルの高い低いはあるのですが、全部プロのもので、作品からとっています。つまらないのも下手なのも中にはあります。それでも自分よりは何かしら、学べるものがある人たちと思えばいいのです。そこから、何をとっていくのかという問題です。最初の音がとれるとか、外国語が聞こえるとか。
発音は、その言葉で将来歌わなければいけない人には、非常に大切だし、とれないよりはとれたほうがいい。フランス語でも何でも、それが正確に歌える人と、歌えない人だと、耳の鋭さとか、発声器官の柔軟さみたいなものが、違うとは思いますが、だからといって、フランス語をやった人ほどには、できるわけがないわけです。
それから、音が外れる外れないというのも、本当は大切だけれども、どうしようもないですね。外れたら外れたのだから、それは、2,3年経って、外れないように調整できるように、つけていくしかない。問題なのは、全部同じように歌ってしまうという感覚です。同じように聞いているから、同じようになってしまう。違うように聞いているのなら、違うように歌うようなことを自分でつくってこなければいけない。歌でも朗読でも、誰でもできることなのです。やるだけの話だったら、朗読でも、今、あなたが読んだくらいのことであれば、高校生でも大学生でも、演劇部か何かでやらせたら、もう少し、くさいかもしれないけれど、うまくやれるかもしれない。歌を歌うのに、朗読の力がいるわけではない。
だから、それは基本の勉強として入れておくことです。歌い手も、朗読が下手な人もいます。ただ、音を自分の中で扱っていく世界であれば、歌の勉強を歌の中の、言葉でやるよりも、朗読として取り出して、そこでトレーニングをしたほうがよい。チェックができたり、自分の欠点がわかったり、直すべきところがわかる。朗読ができなくても、歌は歌えるのだから、歌い手には必要ない部分ではあるのですが、レーニングとして考えたときに、朗読をやったほうがいい人と、そんなにやる必要がない人がいると思います。
リズムでラップ的なものにのっていくような人は、それほど朗読が必要でないかもしれない。でも逆に朗読をしっかりすることによって、そういうものにのりやすくなるかもしれない。それはひとつの分野で、極めて近いところにあると考えておけばよい。全く関係のない世界ではない。
○ものにする
問題なのは、相手を知らなければいけない。歌うというのは歌っていていいのですが、それだと練習にすぎない、伝わらない。一体あなたの世界がどこにあるのか。たくさんの曲の中から選曲してきた、その選曲の理由がわからない。おもしろかったのかなとか、簡単だったのかなとかいうこと。なら関係のない話です。課題曲は、自分の一番歌いたい曲ではないわけです。でも、それを選んだ以上は、自分のものにしていかなければいけない。一番知らなければいけないことは、ただ歌うということと、自分のものにして歌うということがどう違うかということです。自分のものにしないと、自分の土俵の上にはのっかってこないわけです。どう直しなさいという問題ではない。それはもっとやりなさいということしかいえない。一つひとつの歌に関しても同じです。
だから、覚えるのは一つの条件です。自分のものにするために、自分の歌だからたくさん覚えるわけです。もちろん頭に覚えた覚えていないということはあまり関係ない。そこで楽譜を見ながら、あるいは、歌詞を見ながらでも、そこで聞こえる世界が何なのかということです。その人の聞こえる世界が出ていたら、それはそれでいいのです。だから練習回数でもない。プロの人が来て、初見でパッと弾いたら、それでお客さんが感動したら、それでいいわけです。何回も練習したと、回数で争う必要はないのです。同じ力だったら、練習するほうがいいものができると思います。
だから、作品というレベルが一体何なのか、それに対して、何が不足しているのかということを自分の中で煮詰めていくことでしょう。声のことというのは、それほど大きなことではなくなってきています。たとえば顔でも、実際に舞台に立てば、いくらでも作りこめるわけです。声も音響でいくらでもつくりこめてしまう。誰でもできてしまう。それでもできる人とできない人がいるということが、どういうことなのかということを考えなければいけない。つくりこんでも、地は出るわけです。顔の場合はあまり出ないけれど、声の場合は、確証がないところで出るのです。誰でもパッと聞いたら、あの人の声だとわかる。顔は案外わからなくなっても、それでもそこまではつぶさない。そのときに何を問うのかという問題です。だから、そのバックグラウンドがなければ通じないものです。
「どう歌えばいいですか」というのは、たとえば漫画家が「何を描いたらいいですか」とか、「どういうふうに描けばいいですかね」といっているのと同じです。小学生の漫画教室だったら、「こういうふうに描きましょう」といえるのですけれど、子供じゃないわけです。たとえば、全部の曲が気に食わなくて、こうなら絶対に自分が出せるというものがあれば、持ってきてかまわないわけです。実際は曲でそんなに左右されるわけではないわけです。
プロがこれをやってくださいといったら、それはやります。でも合わないなというのはある。それはステージでの選曲になる。今やっていることは、自分の強さをみていったり、弱さをみていったりする部分の、いろいろな曲、幅広い曲ですね。日本語から外国語から、いろいろなリズムのある曲。それと同時に知らないことに触れると、聞き込むだけで勉強になる。聞き込むことが一番勉強になる。そこの部分があって、初めて、声の問題が生じてくるのです。
たとえば今の歌い方の中で声の問題というのは、そんなにないわけです。若干聞こえにくかったり、若干あやふやだなと思うところがある。でもそれを直してみたところで意味がないでしょう。発音をきちんとしてみましょう、完全なピッチをとってみましょうといわれたところで、アイドルだったり、有名人であって、下手でなければやっていけるというのなら別だけれども、ほとんどの人が、そういう条件ではないわけです。それが直ったところで、せいぜい喉自慢に出て、成績がいいというようなことです。そこの部分は、もともと勝負の部分ではないのです。楽譜を渡されたり、曲を入れて、それを自分の声で取り出したという部分だけです。声だけでそれを取り出してみても、それはしかたがない。
結局、歌い手は歌ったときに、それが表れたらいいわけです。すごい勉強をしたという、自分の世界があったら、それが歌ったときに出てくるのですが、絶対条件ではないですね。16歳くらいで歌って、いいねといわれて、それでよければいい。逆に、どんなにあなたが一生懸命やっていようが、たくさん勉強していようが、「これは一番勉強した歌です」というのは、歌としては意味のないことです。勉強をどんなにしても、していない歌よりはいいかもしれない。けれど、そこで判断されることはないですね。これは自分は1万回歌った歌ですから、聞いてくださいといっても、そんなに好きだったんだなというのは、作品の価値とは別ですね。
もしかすると、10回しか歌っていない歌のほうが、いい場合もあるかもしれない。合う合わないというのもある。ただ、結局はそれを通して何を伝えたいのかという、気持ちや思いの部分が、前面に出ていなければ、人は聞かないですね。それは自分でつくってみる。確かに自分で心地よく歌えたら、気持ちいいだろうと見ている部分もあるけれど、それはひとつの条件にしかすぎない。それが価値を持つか、その価値に対して判断していかなければ、わからなくなってしまいます。たとえば、当人が心地よく思っているものというのは、人が判断するより、当人が判断すればいい。それをお客さんが判断するという立場にたったときに、客は判断しているけれど、細かくはいってくれないので、そのためにトレーナーがいる。
○ベーシックは、デッサン
ベーシックな部分の力がいるのは、確かです。まともにあるレベル以上で活動している人が、まったく音楽の音を知らなくて、人の曲もまったく知らなくて、歌ったこともないということはありえない。100パーセントありえない。その辺で、ちょっとライブハウスでやれている人も、ちょっとやれているということは、すごいたくさんの曲を知っていて、たくさんの曲を歌っていて、レパートリーもたくさんあるという場合が多いです。それはその人の世界とは、また違うのかもしれないけれど、自分が好きでそういうものを聞いたり、そういうものを判断したりしているということは、その人の世界なのです。
役者をずっとやっているといったら、表現の力はある。バイオリンをやっている人がいたら、音楽の力を知っている。だからといって、歌えるかというと、別ですね。声のコントロールの能力があったら、歌えるかもしれないけれど、音楽が入っていなかったり、あるいは音楽が入っていたって、その音や歌の扱いを知らなければ、出せない。それはアーティックなものだから、判断は難しい。
たとえば建築だったら、勉強のしようがある。でもそれで勉強して、その中で、本当に一流になれる人は、わずかです。そこの部分は感覚、その人の世界です。そこの部分はこういう場所ではすぐに出てこなくてもいいのです。けれど、自分が選んで、自分が勉強していくしかないです。一生懸命カラオケに行って歌う。それは自分たちが楽しむことをメインでやっているわけだから、趣味ということで、誰からも文句を言われないし、習いにくる必要もないのです。ただ、人に何かを与えていくというのは、違います。型ではないけれど、ある意味でのレベルとか、ある意味での価値は必ず問われます。
誰かが、あなたを知りたい、誰かにも知ってほしいと思わないかぎり、そういうものはまわってこない。何で知られるのかといったら、作品の価値で知られるわけです。その人が優しいからとか親切だからといって、本やCDを出してくれる人はいないのです。その人の中にそういう世界がある。本の場合は、そういうものを言葉で取り出す力が必要です。CDの場合は、それを音でつくる力が必要です。それを磨かないとだめですね。
研究所でベーシックなことでできることは、声のこと、それがメインです。それは漫画家でいうと、デッサンをやりましょうといっていることです。それをどういう着想でやるか、どういう世界にするかを考えてください。漫画でも、1コマ見たら、この人のだと一目でわかるでしょう。ストーリーや話を読まなくたって、タッチを見たらわかる。それを見てもわからない漫画家は、同人誌に、たくさんいる。何か似ているとか、何か下手だな、面白くないと。1ページもめくる気にさせませんね。
歌い手でもそうです。オリジナリティの部分で、漫画が目に見えてわかりやすいだけの話です。声もわかるわけです。最初は誰でもそうです。ノートに漫画を描いていて、何かつまらないなとか、こっちの漫画のほうが面白いなとか、自分で描いてみても、何かこれは誰かに似ているし、独自性がないなとか、そういう時期があるわけです。最初から描いて、すごいというものは出てこない。徹底して、そういうものを読んでいる時期が必要です。でも描かないとしかたがないのです。描くというのは、あるレベルまではデッサンみたいなものです。大学や専門学校に行って、遠近法がどうだとか理屈を知らなくてもよい。人のデッサンがどうだとかたくさんみて、自分の中でたくさんやって、漫画教室に通って、皆が漫画家になっているわけではありませんね。自分でやって、つかんでいくわけです。そのうち、たったひとつの顔でもプロだなと思えるくらいになる。本当に1センチ四方くらいの中で決まってしまうでしょう。声の中でも同じなのです。それはやるしかないわけです。
漫画が好きな人はたくさんいるけれど、ほとんどの人は読むのが好きなのです。ちょっと描いてみるのが好きで、それをストーリーとして完結させ、毎週のように2,30枚描かなければいけないという力とは、全然違うわけです。この前、「バキ」という、漫画の作者が、最近は集中力が30時間くらいしか持たなくなってきたと嘆いていた。普通の人で、30時間といったら、そうとうハードな集中力なわけです。
歌の中でも同じようなことがいえます。その人がどこまで望んでいるかです。30時間しか持たなくなったということは、たぶん今まで4,50時間は当たり前のようにやっていたということで、すると丸2,3日は徹夜なわけですね。声の場合は、それがいいわけではない。かえって喉を潰してしまうし、練習としてはやってはいけないのです。けれど、そのくらいやりたいが、声のことを考えてしかたなくやめるというのが、やっぱりそういう時期があるべきでしょう。そうでないと、そういうものは、煮詰まっていかないですね。
人のものをたくさん写しているような漫画家は、クラスで、5,6人はいるでしょうね。誰かとそっくり漫画を描けるというのは、全国に何百万といるわけです。うちでも10人くらいはうまい人はいると思います。でも漫画家としてやっていくのには、全然関係ないです。それだけではやっていけない。その人のものが出てこないと。今は細かいことをどうこうと気にする時期ではないのです。発声をどうこうしましょうとか、どう歌いましょうというよりも、まず自分の歌をきちんと歌えるように声にしていくことが、第一です。そのことが面白くなければ、それは人様が面白いわけがないでしょう。
自分の歌が好きでもなく、つまらないと思っていて、そんなものが、人が面白いと思ってくれるわけがない。自分がすごくうまく歌えたとか気持ちよく歌えたと思っても、見向きもしてくれないというのは、いくらでもある例です。まず自分が楽しんだり、これが自分のものだと思えることを出すことを試みましょう。それは持続的に努力してやっていくしかない。誰かが言ってやっていくことではない。自分がそれを選んだらそれをやっていくというだけのことです。難しいことではない。
○集中力
ここでも多くの方がいらっしゃいますけれど、1年目に入っていた気持ちでやっている人が、2年目にどれだけいるか。次の年になったら、また減るのです。100人いたら1人、最初の思いを持って、続けてやっている人だけが、5年10年経って成り立つ世界です。当たり前のように、1万人に一人、その一人は当たり前のことをやっているだけ。多くの人は才能がなかったとか、なまけていたとか言います。単にやり続けていた人が勝つ。やり続けるというのは、並大抵のことではない。
それは自分でも考えてみればいい。自分がここに来て、最初にやっていたことと、今やっていること。勉強ができていくということは、最初はうまくできなかった。でも、1年たったらもうちょっとできるようになってきた。最初は1分しかできなかったことが2分できるようになってきた。人間の場合はやれば力がついてくるし、やらなければ力が落ちてくるようになっている。すごく簡単なことです。住むところが遠く離れているとか、レッスンが少ないとか、そんなことは気にかける必要はない。要は、目的に方向が向いているのか、詰めていっているのかということです。それは誰もどうこうできることではない。
月に何回かのレッスンだけでは、1日24時間からみたら、そんなに変わるわけではない。本当に1ヶ月のわずかな時間しか、ここにいない。ここがどうこうという話ではない。自分でやるだけのことをやって、問うことがきちんとしていたら、その15分30分というのは、大きな意味が出てると思う。そうじゃなければ誰もここにレッスンには来ない。
今やらなければいけないことは、きちんとした歌いこみをやっていくことです。歌として捉える必要はない。たったひとつの台詞で一行でもいいし。そのことがどういうことかさえわからなければ、それを聞く。ライブを見にいく、自分はなぜこんなことをやりたいのかという、根本的な問題です。技術をどうこうという話ではないですね。多くは、本当にどうやりたいのかという問題です。基本的には皆何かやりたい。じゃあ、やればいいじゃないというだけの話です。やりたくない、じゃあ、やめればいいんじゃない。誰かが強制してやれといっているわけではない。
誰かが絶対に歌ってもらわないと、困るといわれているわけではない。すごくいいものが出たら、誰かが欲しいといってくれるかもしれない。そうじゃなければ、世の中は見向きもしてくれない。そのために何を優先するかなのです。自分の世界どうこうというのも、生きていることがそれぞれの世界なので、誰でも自分の世界があるわけです。
歌い手や音楽家というのは、そこのことに対して洗練されなければいけない。それから磨いていかなければいけないのです。それが他のものよりも幅が広いから、面白い部分も、難しい部分もあります。料理の技術人なら、とにかく料理をすることを覚えて、そういうところに入ってつくりまくるようなことをしなければいけない。歌い手もそれに似ていると思います。事務や経理、コンピューターの仕事みたいに、専門的に学べば、誰でもできるということはあまりない。声がすごくよかったり、歌だけがよかったら、ステージができるかといったら、それも違う。弁護士の資格だったら、資格があればできるのですけれど、そういうのがない。
悩んだり苦しんだり、自暴自棄になったり、破産したり倒産したり、貧乏になったり、そんなことが肥やしになるのが、役者や歌い手のいいところですね。弁護士も、税理士も会社の社長でも、皆そうでしょうけれどね。それを生かせるだけのところに持ってくれば、何でもきいてくるけれど、そうじゃなければ何で問われるかというと、専門的な技術で問われます。そうすると、聞く耳をきちんとつけ、歌う力をきちんとつけることが、まずベースですね。そのためには、毎日をきちんと組み立てないといけない。
声や歌がどうこうなったからと、出て行けない。誰かが絶対に欲しいとか、絶対に聞きたいと思うだけのものにならなければだめです。
やっていることは、毎日、そういうふうに積み重ねていきましょうということです。会報でも本でも、そんなに難しいことではない。けれど、多くの人はやらないから、それで形にならないだけということです。20代の子を見て、今の私と同じだけの出力をしていなければ、所詮、世の中ではやれないよと言っています。私もそんなにやれているわけではありません。最低限のベースだからです。
トップのベースというのは見えないです。演奏の中に全部入っているわけです。作品としていい。ただ、書き物や読み物、そういうベースでは比べられます。
皆さんのいろいろな報告や毎日の生活を見ています。こういうのは、きっと後で力になっていくというような毎日を送っている人も、そうでない人もいます。そういうことがその人の世界ですね。何を優先して、一日を送っているのかということです。それは歌をやるやらないということではない。その人の人生にとってどのくらい大きいのかということ、それでも世の中が回っている人もいるし、それで回っていない人もいる。
私たちは、とにかく自分で決めたことなら、一生懸命やったほうがいいよと。それは歌がどうこうということではない。世の中で、皆が言っていることです。それできちんと力がつけば、世の中は認めてくれるのです。弁護士は、何でも司法試験です。しかし、六法全書を勉強して、受からなくても、何かの役には立つ。でも、資格をとらないと活躍はできない。
歌い手は違う。資格をどこかからもらわなくても、うまくならなくても、活動しようと思ったら、活動できる。その人にその気があればね。常に自分がどうやってやっていきたいかということがあってのことでしょう。それはここに来ているのにも意味があるのだから、それをもう一歩、取り出すところまでやっていかないと、意味がもてません。
編集者が今まで書いたものを全部持ってきなさいと、それですごいねと、そんなことはないのです。1ページ、漫画家だったら、原作者は別にいてもいい。10ページ持ってきたらいい。そこまですぐにわかってしまうわけです。
歌もそう。1曲いらない。私たちが判断するのは、最初の出だしのところ、10秒くらいでいいわけです。まずそこの力をつけないことには、しかたがない。
でもそのためには、1曲どころか何百曲もやらなければいけない。毎日練習もしなければいけない。そのモチベートで自分でやっていく。
歌をやらないでピアノをやっていようが朗読をやっていようが、勉強になります。いろいろな人がいます。歌が本当に好きだけれど、人前で歌うことを考えていない人もいます。それはその人次第です。
いいものだったら人に聞かせてあげればいいと思うし、いいものでなければ、人に聞かせる必要はない。必要がないものは、しょせん消えていく。だから自分がそういう世界でやっていきたい、力をつけたいと思ったら、努力する。それは皆、努力をしているわけです。それを努力というかどうかです。死ぬまで生きていかなければいけないわけです。それをどういうふうに使うかという話でしょう。私も大変ですねとよくいわれるのですが、できが悪いときは大変です。だからといって、誰かに強制的に自分の合わないことをやらされるよりは、よっぽど恵まれていると思います。
だから、自分で決めていく。そのことをきちんと、自覚することです。皆が目標を夢みたいに思っているのですが、夢ではなくて、現実なのです。現実をどういうふうに歩んだかというのが、結果として出てくるだけです。
自分でこういうことを考え、この次のことを考えることです。
○テンションと創作
今はこれでいいのです。細かいことの問題ではない。音感はよくなる。練習を歌に生かせるようになる。ピアノを弾ける人はいくらでもいますから、そんなものが弾けたところでそんな程度のもので、何にもならない。でもそれが楽しければやればいい。、そこから得られるものは、いろいろとたくさんあると思います。歌い手がギターをやってみる。やっぱり音楽の中の、ひとつの世界である。声がうまく扱えないときは、楽器は素直に、自分がやった音を出してくれます。声はそれさえも出ないときがあります。
ここで問われる以上のテンションを出せるようにする。そのことが、あなたの1年目2年目の目標です。そんなに高いことを、問うているわけではありません。けれど、今の若い子は、そこでとまってしまいます。開き直れば、ここで曲を学んでいるというのも、全国の中でかぎられた人しかいないのですから、それだけでもかなり有利です。たとえば月に18曲くらい聞いていると、300曲以上聞いている効果はある。J-POPSをカラオケで100曲200曲、毎日歌っているよりも、よっぽどいろいろな意味で、何も私が言わなくても優れた曲というのは勉強させてくれます。
だから、単に続けて2年聞いていても、歌謡教室やカラオケ教室に行って、歌っているよりは力がつくと思っておけばいい。
それはあなたが努力してここに来て得ているわけです。それをどう生かすかというのは、あなた次第です。私は本当にそう思います。
同じように曲を渡され、すごく生かしている人もいれば、聞きもしない人もいる。同じサービスをしても、それを100倍に生かす人もいれば、無にしてしまう人もいるわけです。それは自分の決めたことなので、きちんと続けていくことです。
歌を聞いて、こうやればいいねとか、ここを直したほうがいいねとかは、レッスンっぽくはなるけれど、創作することにはならない。歌は後でいろいろなものになるし、声も変わるのです。ただ、創作する心、物事を作っていく心は、自分がその気になることからです。漫画を写してできたといっても、それはコピーがあればいい。絵をそっくり描けるといっても、写真があればいい。そんなものだと何にもなれない。人が持っていない何かを与える、与える何かを求めていく。それだけで、わかるわからないという、そんな難しい話ではない。わからなければ、やるべきことを毎日のようにやればいい。自分がどういうふうに生きていくかというだけだと思うのです。他になにかやれることがあれば、それはそれでいい。
仕事になる。歌のほうが仕事としては、わかりにくいところがあります。ただ、やるのであれば、きちんとものにすべきです。歌を楽しみたいのだったら、一段上で、来ても楽しめないから、やめるというなら、今のあなたで楽しめるところはたくさんあるわけです。何で皆、ここにいるのかといったら、別の意味で楽しむのです。
お客さんが楽しんで、自分が楽しいと、自分の力が世の中に伝わって、楽しいということです。自分が歌って、すっきりして楽しいというのは、もうやればよい。音楽教室はそういう人がたくさんいます。仕事を精一杯やって、疲れたら、気を晴らしたい。カラオケやカラオケの先生のところにいって、うまくなったと言われ、その目的は、自分が音楽を楽しむという目的です。人を楽しませるという目的ではないわけです。それはどちらでもいいと思います。
私もよく言われるのですが、皆がプロにはなれないのだから、楽しいようにやればいいのではないかと。自分で楽しむのだったら、自分の仲間とやればいい。何も難しいことを言われるようなところに行く必要がない。時間やお金を私たちは預かり、それだけのものを見返りとして与えなければいけない。それは私たちが与えられるのではなくて、世の中から得ていくようにできるようにしていくというふうにしないと面白くない。先生にいくら褒められても、外に行ったら、通用しないというのは、それは違うと思います。
そういう問題もいろいろあるから、自分の中で思うようにしていけばいい。何事もやってみるのはいいことだと思います。そういう時期もあります。迷わないで、無我夢中に全部できたという人も、ほとんどいないわけです。常に考えなければいけないことだと思います。一体自分の歌って何なんだろうか、誰に対して歌うんだろうか、そういうことをやっていてどういう意味があるんだろうかと、考えなければいけない。でも、考えても答えはないから、やるしかない。その表現された世界、私もで、自分の中にはいろいろな世界があると思いますが、いろいろな表現を持っていても、訳がわからない。表現をかたちにしないと、わからない。形にしたら、こんなものになったと。とにかく動くしかないのです。
やってみたら、こういうふうになって、というふうにしか、後からしか答えがわからないです。本でもそう、こんなものがあるから書こうというのではなく、書いてみたら、こんな本になったと。表現なんてそんなものだと思います。わかっていたらつまらないと思います。分かっていたら、それは事務仕事になってしまいます。原稿用紙を、決められた日まで、ノルマとして埋めていかなければいけない。そんな本もありますが。
それを楽しめるように、必要なものを入れていかなければいけない。力をつけていかなければいけない。そんなに難しいことではない。
○2つの基準と2つのヘルパー
今の歌でもそうで、私はこの歌を知っているから、すごく細かくチェックはできるのです。けれど、たぶんそれを知らない人で、1箇所2箇所あれっと思うところが出ているのがわかると思います。それは、あなたの中でたぶん自覚していない部分。いくつかあやしいなと思った部分があるかもしれません。だから、2つ基準があって、一つはどうせ、たとえばわからない歌だから、適当に歌ってみたときに、歌になっている場合となっていない場合というのが、結果として音程がとれているとれていないというようなことです。 要は自分の中に、音楽の中のその音の世界があって、それが心地よいものを追求していると、基本的には、音程の合った歌い方になっていく。あまりポップスの場合、合わなくても、あまり心配していない。
ポップスの世界においては、2つ助けてくれるものがある。一つは、その曲を完全に知っていればいい。たとえば、パッとやってみたら、とれないとかうまくいかないとしても、その曲を本当に知っていたら、その曲の流れで持っていける。教材は、できないけれど、自分の曲だったら大丈夫だというものがある。
もうひとつは仮に音程とかが、ずっと苦手でいったとしても、自分が歌う曲に関してだけ、合えばいいわけです。はっきりいうと、歌いたくない曲とか訳のわからない曲や、声楽曲は、ステージからは、周辺の音楽ですね。もし10回であわせてみたら、10人の中で真ん中くらいだと思ったり、あるいは後ろの方だったとしても、ところが自分が100回、1000回と練習したときに、1回も狂わない。あるいはその後に何回か歌って、狂いそうになって、またそれが自分でわかって、100回200回やって、そのステージの日に、そのステージの中だけで狂わなければいいわけです。
自分の音に対してはともかく、バンドや楽器の音とあわせて、ステージというのはやる。するとその音に対して、ずれていなければいい。
たとえばアカペラでは、上がりきらないと思っても、バックにバンドが流れていて、コードがあれば音がきちんと合っていたらいいということで、それはそんなに気にする必要はないのです。ただ、単純に見て、それがとれないよりもとれた方がいい。注意されるよりされないほうがいい。
明日がレコーディングだといったら、今の世の中いくらでも、やり方はある。アカペラで歌うといったら、大変かも知れないけれど。大切なことは、自分が何が問題なのかを知ることです。それからそれを解決のほうに向けていく。絶対に解決しないなということがわかるのであれば、それは違う手段をとる。
多くの人の場合は、量的な問題です。リズムや音程といっても、それは音程やリズムがいい人が聞いてきて、歌ってきたほどには、あまりやっていない。歌ってはきたかもしれないが、そういう人が、耳を鋭くして、きちんと聞いていたことに比べたら、うわべだけやっていた。スポーツと同じで、基本というのがある。中学生や高校生よりも4,50年草野球でやっている人のほうが、量はやっています。毎日のようにやっている人もいるわけです。でも、1年くらいしっかりやった子供に勝てない。スポーツの場合は体力があります。それでもそこでの基本の差みたいなことになってくるのです。くせがつくと結果が出ない。
ここで与えているものは、クラシックも、ポップスでも、逆に高度なものです。たとえば、この音が外れるというのも、日本のプロの人でもなれていない人なら、できない。こういう太い声で歌っているヴォーカリストは、日本にあまりいないから、耳でとってみたつもりでで歌ってみても、結構外れる人が多い。
音を入れていくというようなこともわかると思います。J-POPSばかり歌っていても、何が上達したか、よくわからないから、こういうものだと、永遠にできていかないわけです。できていたらすごい。一つの音入れ、一番大切なのは、音楽の世界を入れることが、まず第一の条件です。それから、現場の問題としては、自分の中で、先生に指摘されたときに、自分のイメージとしてわかっていたのかわかっていないのかが問題です。それから、それを声で調整できたのかできていないのかです。
たとえば、自分で3つ間違えたというのだけれども、先生に10個注意されたとしたら、その7つのほうが問題です。3つ間違えたというのは、声が出るようになってきたり、慣れていくとできるのですが、先生には見えているのに自分には見えない部分が、問題。それは歌になると、すごく差になってくるのです。音程の場合、自分でピアノを弾けば、確認できる。歌の場合は、そこがセンスになって、先生には見えているけれど、生徒に見えない部分は、永遠に見えないかもしれない。あるいは違う見方をしてくるかもわからない。先生が見えていることが正しくて、生徒が見えていないことが正しくないとはいえないのですが。
音楽の分野で、はっきりいえるのは、音程です。とにかく間違いといったら、間違いです。ところが歌の場合は、誰かが全然といっていても、いいんじゃないという人もいる。味があって、私は聞きたいわという人がいれば、成り立ってしまうわけです。
そういうことでも、そこの部分に対して、厳しく聞き取っていくことです。根本的なことで、勘みたいなものも含めて、今まで音をどう取り入れてきたかというからだと思うのです。先天的に何かあると思う人がいるのですが、そういう人は、友達としゃべっていたら、すごく大きな声だったりする。ただ、人のことを聞いていなかったり、自分が何をしゃべっているかわからない。耳が悪い。脳の中で音を把握できない。イントネーションが、おかしかったりする。外国人では当たり前だけれど、日本人でもそういう人がたまにいます。
200人いると、一人くらい、この人はよく耳が聞こえていないのかなと思う。そういう人の場合は、音楽的にも難しい場合がある。普通にしゃべれている人は、それを生まれつきとか頭のせいにはしないことです。とはいっても、育つ過程の中で、耳に鋭く生きてきた人、目に鋭く生きてきた人、匂いに鋭く生きてきた人、いろいろいるわけです。音楽をやっていくには、当然耳を鋭くして生きてきた人のほうが有利だし、これから耳に鋭く生きていかなければだめですね。
○一流の感覚で統合する
ともかく最初は暗記してしまえばいいと思います。自分でそらで言えるようにして、次には自分の声を吹き込んで、チェックをすることですね。それから、曲の中に、音程的にとりにくい曲があります。間違っている曲は発声が、太くて、言葉で言ってしまって、旋律にあまりなっていないなら、仕方ない。楽譜で見たら、よいでしょう。というか楽譜で書きにくいのは使わなくてよい。
歌い方から楽譜は書きにくいところは、自由につくりましょう。はっきりしない音を出しているのはしかたがないと思います。曲の方で知っていると、分かりますが、コピーすると、いくつか不明確なところがあります。きれいに歌っていたり、旋律的に歌っていたりするのは、それにのせられやすい。
元々の楽譜、歌が変わった曲というのがありますね。非常に変な感じで、アラビアン風だったりインド風だったり、そういう曲に慣れていくと早いような気がします。たとえばCD屋さんで、エスニックの、普通の人があまり聞かないような音楽を聞いていくと、微妙な音の変化をしている。感覚を磨くには、より鋭いものをやったほうがいい。
たとえば、コールユーブンゲンができないからといって、コールユーブンゲンをやっていたら、10代の音大生と同じです。それができたところでたいしたことはない。できるのが当たり前のこと。 だから、目標を少し高くして、普通の人がパッと聞き取れないものにする。いつも感覚の勉強というのは、より鋭いものを聞くことで、今まで聞けなかったことが、わかるようになってくる。
一流のものを見ると、二流三流のものがわかるというのと同じですね。本当にいい焼き物や絵をみると、今までいいと思っていたものも、何かよくないなとわかる。服もそうですね。それと同じで、たとえば音楽のスピードも、すごく速い曲を聞いたら、今まで速いと思っていた曲が、ゆっくりに聞こえます。ゆっくりに聞こえるというのは、自分の中でもう少し判断がしやすくなるわけです。
音程なんかも、たとえば民族音楽の中には、1音の4分の1とか7分の1とか、ずれているのもあるわけです。かえって分かりにくくなってしまう場合もあるのですが、そういうこと違うなということを、自分の耳で聞いたときに、半音の世界というのは、そんなに難しくなくなるはずです。半音の差は、普通の人がカラオケをやって、なれていたら、外れない。普通の人が聞いて、音が下がったとか上がったとかわかる。レベルの高い人でないと、指摘をするのは難しいかもしれないけれど、自分で歌ったときにはちょっと変だなわかるレベルだから、慣れの部分ですね。
レッスンを多くするという方法もある。前にやっていたことを次のときにフィードバックするのに、期間が長いということであれば、一週間くらい。長くできなくはない。家で補えるのであれば、それでかまわない。クラシックの場合は、皆とそろえなければいけないから、音程も共鳴できびしい。CDに吹き込んだりステージでやったりするのも大切ですが、最初は声だけで厳しく指摘されたほうがいいでしょう。いちいち音程を注意していたら、声のほうがおくれてしまう。自分の知っている曲をやるというのは、一番簡単にチェックできることですね。そういうものが入っているカラオケみたいなものでもいい。実際に歌が入っているような教材でもいい。すごくベーシックなことでいうのなら、童謡をギターで弾いてみるのと同じです。
あまり複雑なところではないところから、唱歌でも、小中学校のときにやったような曲でも、よいでしょう。借りても、カラオケでも、ゆっくり歌えるようなもので確実に一つひとつとってアカペラで歌って、録音して、あっているかをみる。もしわからなければ、持ってくればいいと思います。
とにかく自分がチェックできるようにすることが第一ですね。自分がわからないところ、どこが間違ったかを徹底して知りたいのなら、課題を入れていきます。歌詞のところで直してくるのが一番いいのです。もし直らなければ、間違いがあるか聞いて、先生がおかしいといったら、それもテープで聞いて、おかしいことを知る。次に聞いて直してみるということを徹底して、感覚的にというより、論理的にやっていくのですね。とにかく間違いということに対して厳しく、自分のを見るのです。
ここもいろいろなタイプの人がいます。声がいいから、歌をやっていても、今のステージだと高い音が出たり、自分で曲をつくれたりしないと、なかなかやっていかれない。声自体がいいし、実際の活動の場になると、役者のほうが潰しがききますから、そうなるのはわかります。でも役者でも、リズムや音感は非常に大切なことだと思います。役者も歌わなければいけないのですから、ここの場合、両方できるようにすることです。
役者なら役者についたほうがいいとは思います。でも声のことの問題と音楽的な基本です。繰り返し、曲が面倒くさいかなら、メドレーで2,30分も流れているのがあります。あれを片っ端から歌っていくというようなことでもよい。リズムや音程も、1ヶ月やったからよくなるということはないのです。2年3年とやっていると、ぱっと音がきたときに、対応できますね。それが対応力です。バンドがついていて、外れなければいいとはいえ、よく間違える人はプロの中にも結構います。アカペラでやらせると全然できない。私はピアノの音がうるさいから、伴奏はきらいなのですが、伴奏をつけないと、歌にならない人もいるのです。というのは、結局バンドの中でしかやっていないから、耳だけで全部覚えているから、バンドの中でできても雑なのです。でもお客さんは、バンドの中でできていたらいいわけです。ピアニストでも必ず同じ演奏者と一緒にやっていくというのなら、問題がないでしょう。
聞いた音を楽譜につけていく。私たちはいやおうなしにそうしてやるのですが、慣れてきたら、誰でもできると思います。歌と聞いて、それを楽譜に書いてみる。ピアノを使いながらでもいい。それで、自分のも聞いて比べる。自分の楽譜に書いたところで違っていたら、間違いというのがわかります。下がっているとか、上がっているとか、実際の歌の中ではエコーがかかるから、若干上がっていたり下がっていたりするのは、そんなにたいしたことではありません。クラシックの基準というのは、若干上がっていても、下がっていても、厳しくチェックをします。それを見逃していたら、何のためにレッスンをしているのかわかりません。それは音程のためのレッスンです。
○気づいて細分化する
目的がないと伸びないから、自分の目的はこういうことだと仮にでも決めましょう。それに対して、ひとつかふたつくらいのメニュでやってきたのを、10個くらいやり方をやってみます。さらに、トータルで組み合わせます。1ヶ月や2ヶ月で効果が表れるというものではないのですが、半年、1年、2年くらいたったら、よくなって問題がなくなったとなる。どれを効いたのかはわからなくてもいいと思います。特効薬はそんなにないと思います。多くのメニュといっても、効くものを細分化して増やすのです。直すのは、とにかくやったことに対して直すのです。気づかないことを気づかせたり、指摘するだけで、本当のことでいうと、まだ直っているわけではないのですね。
ただ、こういうところにこなければ、そういうことにルーズなままいってしまう。そういうことがあるということに気づくことはすごく大切です。直すのは、自分で練習して音を出してみたり、耳から入れてみないと、直らない。週に1回だけ、チェックをしにきても、それは2年たっても、変わらないです。それを復習しなければいけません。ややこしい曲は飛ばしていいのですが、旋律的に不思議な曲や、日本にないという曲があれば、そういうものを中心にしましょう。歌詞はつけなくてもいいかもしれません。旋律的にとってみればいい。
一番大切なのは、プロの曲では、あまりに悪いものは、吹き込みもされないし、残らない。私も使わない。何かしらうまくできている、あるいはうまく歌えている曲だからある。そういう曲は、心地がいいわけです。あなたが好きでなかったとしても、誰かが心地よく、気持ちよく聞いている曲です。その心地よさの部分をわかっていくことですね。歌い手からいうと、外れる外れないということではなくて、心地よさを乱すことをするのか、心地よいことをするのかという感覚のことです。自分自身が心地いいとやったときに、バンドが変な音を入れたら許せないでしょう。それと同じように、自分が変な音になったときに、これはだめだと、そういう観点で見ていくのです。大切なことです。
一つずつの音が合っている合っていないというのは、次のことです。本当は高くしなければいけないことが低くなったが、そうしたら、そのほうが魅力が出たということもあります。流れが優先されるのです。実際にライブもそれでいいわけです。曲も変えてしまえばいいわけです。よりよくなるのなら、どんなに変わってもいいのです。けれど、指摘されるのは、悪くなるときです。基礎の場合は、間違ったら指摘ですが、流れで悪くなっていると指摘されてしまう。そこを正す感覚を自分で持つことです。
私は、音程はどうでもよくて、音感があればいいと思っています。音程の問題はあなたの音楽としての完成度の厳しさの問題になってしまうのです。いい加減といっても、アマチュアの人が見ても、いい加減だと思われてしまうようなものだったら、説得させられない。だから、あなたの心地よさのところでの厳しさを持ってやらなければいけないということです。
たぶんそんなに体が必要ではないとしたら、体は身につかないわけです。体がある人が、あなたが歌っている曲を歌えば、もっと楽に、いろいろなことができる。そうしたら、体や呼吸をつけるほうがよい。そのためにどうすればいいのかということです。クラシックも、どうして普通の人から声楽をやったら、そういう体がついたり、声が出るのかというと、それだけの必要性を課すからです。まず作品のほうにあるわけです。
カンツォーネを歌おうとか、こういう大曲をいいとか悪いとかいうのは、好き嫌いです。でも、あなたが持ってきた曲より、こういう曲のほうが力がわかるとしたら、そういうものを使うとよい。
それはプロの声や体や、プロの感覚を必要とするからです。たまたまその時代の古い曲を、今からみると、日本で流行しないような曲を歌っているとしても、必要なのは、体や息や声の力をつけるほうです。技術を身につけるためにここに来ているわけです。
○体に課す
好き嫌いというのは、たとえば私の好きな曲を集めているわけではないのです。それは、そういうものを聞いて、体や声が身についていくためです。自分が好きな曲を好きなように歌おうと思ったときに、役立つためにやっているわけです。ひとりがってに、独力でやっている人がなかなか伸びないのは、自分が好きな曲を好きなように歌おうと思っているからです。それは好きでもその人にふさわしいものではないのです。聞いたアーティストが、そう歌っているのが自分が好きだったからそうしたいと思っているのです。だいたい10代がそうです。力ではプロにはなれない。そのアーティストがいるわけです。
たとえばあなたが、バンドの人からうまくなってきたねといわれる基準は、今流行っている誰かに似てきたとか、Misiaそっくりに歌えるね、とかでしょう。でもそれではやれないということなのですね。そっくりということはその人自身ではない。まったく違う新しいもの、こんな音楽ないとか、そんなふうに歌ったら、誰も聞かないといわれるようなものを、プロはつくっているわけです。それが皆の耳になじんで、いいね、といわれるようになった。だから、技術とやることというのは、分けなければいけない。うまいねでなく、いいねを目指す。
研究所は、おひろめすることではなくて、技術を勉強する場所です。曲の好き嫌いは、好きなほうが感情移入をできていいのですが、逆に見えなくなってしまう。どんなにその歌い手が嫌いで、こんな歌い方をしたくないと思っても、そこで認めなければいけないものもある。むしろ、そこに学べるものをとったほうがいい。歌は自分の好きな曲を聞いて、好きな歌を歌う。そこは勉強できているわけです。それで皆やっている。それだけでよいなら、わざわざここに来たり、誰かのアドバイスというのは、必要ない。そこでできないことをやるしかないでしょう。そこでできることだったら、カラオケ教室の安い先生につけばよい。ここはこうしようねと、手とり足とりあります。でも、そこでいくら回っていても、全身全霊で回している人にはかないません。
その先は、皆と同じようになって、出られないということです。出た人たちは、どうしたか。何かしら皆、違うものを持っていたわけです。その違うものを磨いていかなければいけない。あなたにしかないもの。バンドでも楽しんでいる分には伸びません。
役者や歌の世界は、わかりにくい。バイオリン、ピアノというのはすごくはっきりしますね。1番から100番まで順番がつけられる。あるいはどの程度上がったかというのを、見る人が見れば、すぐわかる。役者はわかりにくい。役にもよる。歌い手も案外その辺は、わかる人にはすごくわかる。ここでやっているのは基本ですが、そんなものがあろうがなかろうが、歌える人は歌える。
声だけが売りものではありません。声が売りものだというのなら、自分が何をなしたのかということを、きちんと見て、それでどこがいい悪いという判断もつけながら、それをきちんと正していく。声はわかりにくいので、それに関しては、週に1回なり2回なり、チェックする時間を決めてみてみます。それで今度は1ヶ月2ヶ月離してみる。練習のやり方は、いろいろとあるのです。けれど、毎日、いろいろな課題を新しくもって、同じ課題もやりましょう。1ヶ月2ヶ月やったような課題については、まとめて一ヶ月に一回復習してみる。すると、前に入れたときよりも、忘れて悪くなっている場合もあるし、基本的な条件ができて楽によりきてよくなっている場合もある。
3つくらい、新しい課題といつもやる課題と、それから定期的にやるような課題をセットしましょう。今のレッスンの中で受けていることにも、そういうのがあると思います。けれど、1本だけで、進んでいってしまうときがあると思います。それを必ず復習していく。そして、また繰り返す。繰り返していかないと忘れてしまいます。多くの人を見ていると、やり方が悪いとか、こういうふうになるとこっちにいくからこうやろうとかいうことは、わかってくれるのです。できるだけよりよく努力をしていくのなら、少しでも早く進み、少しでも回数をたくさんやっていく。声を出せるところがなくても、よい。
レッスンというと、月に4回6回8回とか考えますが、そうではない。それはあくまでチェックするところの回数です。レッスンは自分で毎日のようにやっていくべきです。毎日、課題を決めて、自分で何かを聞いたり見たりして、さらにやったりすることを重ねていくことです。どんな優秀な人であれ、ここに4回、8回だけで、何かがなっていくということはない。
自分が何かをやっていくときに、よりいい方法や、いいプロセスをたどるために、ここがあるわけです。そこはあなたが毎日組んでいく。そういう環境を自分できちんと整える。ここに来るのは、ペースメーカーとしてでもよい。あなたがここに来なかったときよりも、そういう環境と習慣が自分の身のまわりにちゃんとできてくることのほうが大切です。
歌えている部分、歌えていない部分、響きをより上に持っていったほうがいい部分、胸のほうに入れたほうがいい部分とある。だから、カンツォーネを使わせるのは、こういう歌のほうが、体や声をつくったりするときにわかりやすい。たとえばこれに課題をもうけて、1回目は胸のほうを中心に、しっかりととりましょうと。2回目は頭のほうの響きを前に出せるように、やりましょうといったら、まったく違う音色になってくる。その中でかなりゆらいでいる部分もある。ある意味でいうと、声楽をやられた方というのは、上のほうでまとめて、前に出すことをやっていらっしゃる。それがそれ以上の上のレベルにいかないのは、体や胸の部分に支えないからです。落とさないのですが支えはいります。
声楽の先生なら、喉を注意される場合が多い。ポップスの場合は、しわがれてもいいというと、ちょっとひどいですが、違う意味でのボリューム感がいる。今の部分でももっと体が使えてきたり、もっと声が深くなってきたら、可能性はあるというふうに見ます。こういう「ララララ」の動かし方みたいなものも、自分の中で何通りかやって、両方のバランスが一番とれているかたちで、今歌うところとしてよいのですが、その支えとなると、結局は、声楽の勉強、クラシックと通じてるのですね。
たとえば「卒業写真」を何回も歌っていても、声楽のコンクールには出られない。たとえば、コンコーネで3,4年、本当にしっかりと体や感覚をつけていったら、違う結果になると思うのです。日本の民謡や演歌だと癖をつけてしまいやすい。その癖で助かる分、本当の意味で、機能が高まっていかない。
声楽は人間の体の機能を、かなり高めて使うものです。声楽というのが特別な方法としてあるわけではなく、こういう歌を歌えば、よい。こういうものを歌っている向こうの声楽家だったら、日本の歌い手よりも声が出ると思います。その辺でここを使ってもらえば、一番いいのではないかという気がします。
アンバランスな部分があるけれど、自分で自覚して、アンバランスになったときに、上の響きでまとめようとしたり、体のほうで、たとえ声が出てこなかったとしても、もっと芯のある声のところで動かそうとすればよい。それにまつわる呼吸や体が鍛えられます。体から声を出せということを言うのに、声を出せる体をつくることはあまりやらない。それは、体のほうをつくろうとしたら、声は強く出てしわがれてしまったり、うまくいかなくなってしまう。
声楽もそうですね。ちょっとでもそういうことをしたら、のどにかかると判断する。ただ、体が変わっていくというのは、今のことではなくて、将来に渡ってです。そういうことでどんどん練りこんでいくというのも、大切ですね。こういうものを多く歌わせて、ある時期、深く重く、体を使って、汗だくになってもよい。高い音が届かないというようなときも、それもそれでひとつの方法です。
○ベーシックなもの
今あまり強制しないのは、何事も合う人と合わない人がいる。最近の若い子になって、声の重さやしっかりした歌い方自体を感覚的によく思わないようになってきているのです。カンツォーネを聞いてみても、それ自体が生理的に合わなくなってきている。逆に感覚的に悪くなってしまう可能性もあります。その辺が違ってきている気もします。そこは一番難しいところなのです。
練習のために、すぐれているためにあわないのをやるのはいいのですが、それが感覚的に不快なものだったら、あまりいいことにはならない。昔は若い子でも、1年目はわからなくても、2,3年目になってきたら、それなりの意味や味がわかっていたのです。けれど、それは小さい頃に似たようなものを聞いていたからで、小さいころに全然聞いていなければ、あるいは全然違う音楽を聞いていたら、そこに価値観はあまりいかないでしょう。
何を歌うのか分からないけれど、楽器をつくったり調整したりして、声という楽器を鳴らすのに有利な条件にしましょう。というところまでが、だいたいのベースだと思うのです。音楽は全世界の中で共通している部分もあります。旋律、メロディは、民族の趣向を帯びています。けれど、声を出すことに関しては、似ている部分がありますね。似ている上でどこを伸ばすとか、どこを心地よく聞くかというのは、そこの風土や気候とか、住んでいる場所、山に住んでいるのと海に住んでいるのでも、違ってくるでしょう。
その辺の違いのほうが大きくて、それに対して声をどう使うかは、民族もあるのでしょう。言語も違うので、いろいろと複雑です。そういう空気は非常に大きいものです。食文化とも違うのでしょうけれど、アジアというところで捉えてみたら、似ているような、メロディ体系や歌い方のようなものがあります。それは西南アジアのほうでもアフリカのほうでも、どこか共通しているようなものがある。そのようなことからいうと、西欧のものがいいのかわからない。けれど、いろいろなこういうものがあるのは、よいことです。言葉をどうするかということで、日本語で歌うということだけではないでしょう。結局、声が出る出ないということと、歌詞で理解できるように伝える伝えられないというのは、また別の話になってきます。歌詞から伝えていくようなら、役者の勉強なんかのほうが、早い部分もあります。
ただ、声が出たほうが、歌詞でも、処理しやすいでしょう。声が出なければ、その分、口をはっきりと開けたり、しっかりと部分的なところで加工しないと、相手に聞こえないのです。けれど、体から声が出なければ、その辺がある程度、楽になりません。口をはっきりさせなくてもいいということではないけれど、させなくても出せるということは、違うことが必要な場合に、応用がきく。たとえば、高いところを出そうとかすると、発音ははっきりとできなくなってしまう。ところがそれでもちゃんと耳にきちんと聞こえる声にできる。大きな声にしても、発音はよくわからなくなる。でも、声が自由であれば、その分、発音がいい加減であってもよく聞こえる。発音のほうに気をまわそうと思ったら、そっちのほうにとられる。
両立性といったら変ですけれど、いろいろなものがその中に組み込めるようになって、それでようやく総合的な意味で、歌のレベルは、上がってきます。だからオリジナリティになると、自分がどういうふうに歌うか、要は一人合点の歌と、すごい歌というのがあって、その間のところにメニュをつくっていかないと、練習にならない。ただ、あまり難しく考えないで、とりあえず、学校と考えてみたら、いろいろな題材があるわけです。そういう題材を聞くだけでもいいし、歌ってみたいなと思うものがあったら歌うとよい。感想はもう勝手でよいので、歌ってみて、こんなふうに捉えましたと、作品で出してたほうが、わかりやすい。
要は歌として考えないでくださいということなのです。たとえば、「ラ ボエーム」というのがある。それを外国人でも日本人でも歌っている。人によっては、日本人のがいいという人もいる。言葉がいいと思う人もいれば、音色がいいとか自然でさりげないほうがいいと思う人もいる。自分の「ラ ボエーム」をそこで声でどう歌うのかというような問題です。メロディがどうだとか歌詞がいいとかというのも、どうでも大きくみればいい話です。勉強するのなら、自分でメロディや歌詞をつけかえたりするのもよいのです。
音声を調整する能力がないと、歌おうとすると、すごく大変です。「ラ ボエーム」とやってみても伝わらない。けれど、そういう条件がついて、体や感覚が鋭くなってくると、パッと渡されて、歌ってみても、何か伝わるものがある。そういう意味のチェックでもいいです。発声だけをやると、案外と表現に無頓着になってしまう。自分の中で声がつかめているとか響いているとか、すごく声量が出ているとか、高いところに届いたとか、それだけになってしまう。声のとぶ相手に、あまり意識されなくなってしまうのです。
実際に声楽はそうなりがちで、自分が完全だったら、客は聞いてくれるということです。けれど、そんなものではない。その場の成り合いの中で、伝わってしまう場合はありますが。誰かには全然伝わらないけれど、誰かにはすごく伝わるという場合もあります。そういう意味でいうと、かなりいい加減でもある。幅広いものでもある。
クラシックで変な感覚をなくし、それで声が鍛えられてから、民族音楽にいくと、効果が上がるのです。フラメンコなどで来ている方もいらっしゃいます。かすれた声を出したいと、かすれた声を出してしまうと、すぐに限界がきてしまいます。クラシックで、かすれないところの声できちんとやってから、それで表現の必要上、ギリギリでやってみると、そんなに痛めなくてすむ。
どちらがベースかということを考えたときに、楽器としての、オーソドックスに、つくられてきたプロセスにおいて、理にかなったことをきちんとやっておく。その上でそこからはみ出したことをやるというのは、いいのです。けれど、はみ出したことを目指してやっていってしまうと、それで成り立つ人もいるかもしれませんが、多くはそれではやれないわけです。どこかの時点で、声楽をやってもいいのかもしれません。高いところできれいな声で歌うようなものというのは、声のいい人がやわらかく歌うというような感じのものに求められがちです。
そこで暮らしていると、のどが鳴らないとえっ?となってしまうくらい、日本ではかなり特殊な感じに思えるのでしょう。けれど、そういう意味でいうとはまってしまうのでしょう。そこの空気や生活と一緒にあるものだから、そこから、旋律やリズムを捉えていかない。なかなか勉強という感じでは、できない。そういう応用能力がつくために、基本のものを入れるというのは、一番いい勉強ですね。直接応用されたものは、なかなかつかみにくいから、周辺の音楽でもいい。ヨーロッパのものをやるのだったら、ギリシャやペルシャを中心として、広大な文化圏のものをたくさん聞いていくと、差も似たような部分もわかるでしょう。そうやって耳が磨かれてくると、声がそういうふうに出てきますね。
入ったものしか出てこない。聞くと入ったと思うのですけれど、そんな簡単に入るものではない。耳だけで入るわけではありません。生活で、時間をかけて、いろいろな感情とともに入っていくものです。聞いていくうちに何かしら気づいたり、何かしら、えっと思うようなことがあったり、そういうことの連続で深まってくるものです。ただ音を流しておけばそうなるというものでもありません。最初は量はある程度あったほうがいいと思います。流行しているものだけ課題として与えるというのは、いいことではないと思います。全然知らないものを、やるのはとてもよいことです。研究所にはいろいろな材料があります。民族音楽、サウダージとかラテン系のものを、日本人はたくさん見たほうがいいと思うのです。沖縄などもそれに近いものがあるから、自分で集めた範囲で聞いても、結構入ってくるのではないかという気がします。肉を食べるような国と、ひとつの隔たりのようなものがありますね。
○呼吸の大切さ
呼吸法もヨガや気功にかぎらずいろいろなもので説かれています。武道にも、呼吸法が入っている。スポーツにも入っている。いろいろなものをかじって、読んだり、体験してください。たとえば私が呼吸法が、ヨガのもとになっているとか、気功をやった経験から出ているということは、ヨガや気功でも、いろいろなレベル、目指すところがあるから、そういうことで極めたりしてきたわけではないから、それは何ともいえないところがあります。じゃあ、ヨガも気功も、いろいろな先生に会って、見たり聞いたりしてきましたけれど、自分で言えるようなものではない。
私は1,2年合気道をかじった。けれど、そのことが体験にどんななっているのか、水泳をやってそこでも呼吸法をいわれる。それが歌を歌うことの、どこかにプラスになっているのかというと、どこかでは全部、何かにはなっていると思いますが、人に説明するときには、無理やりこじつけなくてはいけなくなってしまいます。だから、歌は歌の中で考えたほうがいいのではないかと思います。ただ歌の中の呼吸というのは、一番わかりにくい。呼吸ということを意識するのだったら、水の中に入ってみれば一番わかる。あるいは、寝ているときでも、違うシチュエーションのほうが、気づきやすいことがありますね。
声もそうです。手を当ててみたりしてみたら、こういうふうに声は出ている。そういう一つのプロセスとしてはいいと思います。それでどのくらいわかるのかは別です。歌を歌っている人の中で、呼吸を全然意識しなくてもできてしまう人もいる。そのことから、教える立場になってみると、呼吸ができていないから、ここまでなんだと思うことはたくさんあります。それは、武道でも歌でも芝居でもそうだと思います。もう少し呼吸ができていたら、もっとできるのにと思う。ただ、そのときの呼吸は、生きるための呼吸とか、そういうものではない。ただ、難しくて、それが全部呼吸のせいにしている人もいます。
他の言葉がないから、それを使っていることもあるのです。たとえば、音程が悪いといっても、下手だねとはいえないからと。音程が悪いと言う言い方があるわけです。リズムが悪いと言っても、何のリズムがどれだけずれていて、どういうふうに悪いのかということを言っていない。呼吸は確かにある。どんな先生でも、長くやっていると呼吸が大切だということがわかってくる。そこを伝えたいのだけれど、なかなか伝わりにくいところですね。漫才で呼吸が悪いと言っても、最初は間がよくわからないという話ですね。間が悪いねといわれて、何となく時間の空け方かななどと、最初は考えてみる。そのうちにもっと深い、言おうとしているが言えない、その言葉の奥にあるようなものが見えてくる。そしたら役立つという感じのものですね。
現実問題でいえば、この音が長く続かないから、呼吸が悪いとか、そういうふうにしてしまったほうがわかりやすいですね。ヨガや気功をやると、歌はうまくなるし、声もよくなるでしょう。けれど、それは歌い手としての、よさとはまた違ってくると思います。歌い手もヨガや気功をやっている人が多いです。今の女性でも相当多いでしょう。姿勢についても同じです。その辺は歌と一緒に、発声と一緒に伴わせていくという考え方のほうがいいのではないでしょうか。
実際に教えるということになると、姿勢は顎をひきましょうとか、マニュアル的になってしまうのです。けれど、実際に自分が心地よく声が出たようなときのものをベースにしてみます。それを少し客観視できるようになってくれば、あるいは、今はこの姿勢では歌いにくいけれど、後になって使いやすいようになってくる姿勢があれば、そういうふうにシフトしていくということです。
呼吸法も呼吸だけを取り出して考えるというよりは、声を使ってみたところ、うまくいっているときには、呼吸がうまくいっている、うまくいっていないときには、呼吸がうまくいっていない。だから、呼吸から直そう。それができるかどうかはわからないけれど、日ごろから呼吸のことをやっておくと、呼吸がうまくまわりやすいし、姿勢も柔軟にとりやすいというような、そんな感じで見ていたほうがいいですね。あまりこだわってしまうと、訳がわからなくなってしまいます。
日常の練習も、いろいろな練習方法があります。ここでもレッスンに来るというのは、チェックだから、日ごろ練習をしておく。 いろいろな練習があって、毎日やること、週に1回くらいやればいいこと、月に1回くらいやればいいことみたいなこともあるでしょう。どれがどうということではなくて、レッスンとレッスンの間に、そのレッスンでやったことは、トレーニングとしてすすめていったほうがいい。どんどん、すすめられることはすすめていけばいい。 ただ、あるときにどこかに戻ってみて、繰り返しやるということも必要ですね。
それから、何ヶ月か経ってもう一度やって、それがもしうまくできないようになってきたら、何かしら欠けてきているし、うまくできるようになってきたら、何かしら身についてきているというようなチェックができますね。同じ曲を、今年歌ってみる、来年歌ってみる、何かしら変わっているとしたら、チェックです。それは必ずしもいい方向にいっているとは、かぎらないわけですね。逆に乱れてしまっている場合もあるわけです。チェックと、日常の練習というのも、いろいろな組み立て方がありますね。
○時間と場所
レッスンに来るときは、自分が一番声の出るときを選んできているわけではありません。調子の悪いときだったり、もっと後の時間のほうがいいのに、早い時間だったり、そんなことで違ってきます。ただステージもそれを言ってしまったらおしまいです。確かにこの頃が一番いいと決められるときもあるけれど、大抵はそんなことはなく、その前に何があるのかでも違います。だから、それは慣れていく。
レッスンの場所というのは、ステージも緊張するかもしれないですけれど、違う意味で、お客さんがいるわけでもないし、場が盛り上がっているわけでもないから、厳しい場所になります。それでいいと思います。どうしても慣れない人は、回数を増やして、どんなレッスンでもいいからたくさんきて、違和感がないようにしていきましょう。まずここの場で、自分できちんとコントロールできなければ、レッスンにならない。先生に慣れるのにも、時間がかかりますが、慣れてすむものは時間さえ見ていけばいい。
問題なのは、レッスンであれステージであれ、一番いいときの自分をそこに持っていくために、どうするかというのが、大きなノウハウですね。ステージだったら自分で準備する。レッスンに対してもできるだけ準備をしていったほうがよい。いずれステージになったときに、常に準備しなければいけないのだから。すると、自分の体調がいいとき悪いときに対しても、レッスンに対しても最高のものを自分で出せるように、セッティングしていく。そのセッティングが練習になりますね。
人前にいくときには、私は和気あいあいと、家と同じようにくつろげるようにはしたくない。というのは、それは家でできるから、こちらにわざわざ来てまでやる必要がない。だから、こういうところはライブと同じで、本番だと思ってやりましょう。本番のときに頭から一番いい声も、それを聞いても、まだ課題があると思っているからレッスンしているから、自分で最悪になってがちがちになって、よくないようなもので使っているのはもったいない。最初はしかたのないことだから、そう思ったときに、どうすればいいのかということを考えましょう。いろいろなやり方を自分でとって、それで慣れていくよりうまく利用していけばいいと思います。レッスンをステージだと思えば、本当に1年間有意義になると思います。隠れているこういうノウハウのほうが大きい。
よく時間やお金をさいて、レッスンにいく必要があるかと聞かれます。別にレッスンではなくていいのですけれど、誰かのところに行って、何かをやるという経験が歌や声を使うときの一番大切な経験です。ライブでも自分たちのバンドやサークルでもいいのですけれど、サークルあたりになってしまうと、馴れ合いになってしまいます。緊張感やそんなものがなくなってしまいます。それでも定期的に入れたらいいのですが、あるときは入れるけれど、あるときはぽかーっと空いてしまう。
レッスンは定期的にあるから、それをひとつのペースメーカーにしながらできる。一人でやったほうがやれる気にもなりますが、ひとりでやっているときは落ち込んだりしているときに、やらない場合が多い。レッスンがあると、最低でも、そのレッスンがあるときに関してはやるし、どんなに落ち込んでいても、レッスンはやると決めていたら、その日だけはやれる。すると立ち直ってきたりもします。
人間、長期の勝負になっていたら、ずっとハイテンションでいかれるという人は、ほとんどいないわけですからね。誰でもやめたい、いきたくない、調子悪いと、いろんな理由で、自分の歌にはかまっていられないという状態が、実際に出てくるわけです。そういうときにひとつ続けて、必ず行かなければいけないところがあるというのは、大切だと思います。自分のステージでもいいのです。お店に出ていてもいい。出ているときはいいのですが、出なくなると、いきなり何もやらなくなってしまう人が多いのです。
○再び、呼吸、そして声のこと
大切なのはその人にあった呼吸です。私には私の呼吸があるけれど、他の人には、その呼吸が合うのか合わないかは別です。それから、その声を使える範囲内において、使うことです。たとえば、声が出ないのに、呼吸だけの機能が強かったら、喉を壊してしまうと思います。だから、歌を歌ってみたり声を出したりしているところで、呼吸を見ていく。声を出したり、歌を歌ったときにうまくいかない問題が、呼吸にあれば、そこの呼吸のことを発声においてやっていくというやり方のほうが、よいと思います。
腕立て伏せのようなかたちで分けてやれればいいのですけれど、実際に、呼吸の目的は声にすることで、声を出すところで見ていったほうがいいと思います。本というのは、レッスンがない人は、息を吐いていてくれたら、何もやっていない人よりも、1年後2年後、可能性が出てくるだろうなというようなレベルで書いています。まず呼吸の時期があって、次に姿勢の期間があってとか、そういうものではない。かえって、それはおかしくなってしまいます。自分の呼吸で歌えればよいのですが、歌に必要な呼吸がもっと大きいということが真の問題なのです。☆
声をつぶしてはいけない、声を守ることを覚えていく。発声というのは、そういうことなのです。
ワーッと出しても出せるのですけれど、続けて同じようには出せない。そんなふうに使っていたら、声が壊れてしまったりする。
あんな出し方をしていたら、声がつぶれるというのを、それに近い出し方をしていながら、声をつぶさないことを覚えていく。クラシックもそうです。ここでやっているような発声も、きちんとそれを覚えることによって、何かしら負担を全身で引き受けて、それで同じことをやってみても、普通の場合なら長く続けられないし、声ががさがさになってしまうことを、10曲やれるようにする。カスカスにはなるかもしれませんけれど、1曲しかできなかったものが10曲できて、それが次の日には直っているというかたちなら可能です。
プロも、何もやらないでいきなりああなれたわけではなくて、小さい頃から、ドラえもんの大山さんではないけれど、かすれた声を持って、それで同時に鍛えられていると思うのです。鍛えられていることが、正しいやり方というのではなく、他の人よりも喉を使って、知らないうちに、他の人よりも強くなっていたということの中でできていることなのです。そのまま声が割れていくというのは、危険です。特に日本人は、向こうの国の普通の人ができることも真似たら、喉を壊すと思います。さらに彼らは演奏をこなすだけの強靭さとともに、再現力、ある意味でいうとコントロール能力を持っています。ただ無茶に出したらつぶれますから、そういう意味でベーシックなことをやっていくのがいいと思うのです。そこまでのことができるかというのは、その後で、深くしたりひずませてみたりとか、声を応用してみることをやるということの元です。そうでないことをやっておくというスタンスでやっておいたほうがいいと思います。
レッスンでベーシックにやっていることと別に、自分でやってみることは、勝手にやってみるというのもいいと思います。勝手にやると、たぶん、喉の状態が疲れたり、うまくいかなくなる。レッスンもうまくいかなくなる。そういう時期がないと、強くもならないと思うのです。壊してはいけないけれど、ギリギリハードなことをやって、声を少しでも鍛えていくというやり方も、試みてよい。鍛えられるという、元々持っていた声帯がそうであったのかどうかは、こればかりは判断がつかないし、やってみるしかない。
筋肉ですから、変わっていく部分は変わっていきます。腕とか太ももなら、太くなるでしょう。ところが声帯はそこまで柔軟性があるのかもわからないのですね。筋トレということは、喉の筋肉を鍛えるということで、鍛えられることは鍛えられるのです。ただ、最終的な使い方が、鍛えたところで、力で使うのではなくて、楽器として、震わせて使うところの呼吸からの共鳴使用です。これが打楽器だったらいいのですけれど、リードなので、周りが鍛えられていても、ここがガタガタだったら、音はならないわけです。そこの問題に最終的にはきてしまいます。
そこの部分を壊してまで、10人いたら1人くらいはうまくいく気がするのですが、それだけの冒険はとれないですね。9人壊すようには、教えられない。そういう条件にあるということを、ふまえてやってみればいいと思います。
声を太くしていくことが、ひとつのベースのような気がします。日本人の場合は、本当に細くて、弱々しい部分がある。ただ、中には強い人もいます。政治家もヴォイストレーニングすべきでしょう。演説しているうちに、昔は、結構太い声になっていた。
専門でない音楽には何も言えないのです。発声の技術で見たときに、つられて何かしたバランスを崩していたり、自分で出していてそういうふうに聞こえている。そうではなくて、もっとベースの部分でつながっている上で、上に響いているんだというようなところを見ていけばよい。
その辺は民族と関係なく、いわゆる体の原理としてみて、おかしな部分が出てきます。むしろ装飾的にやっている部分とみるとよい。現地の人たちでも、体の原理から見たら、おかしなことはやっているんだけれど、でもそれは歌としてだったり、あるいは表現力だったり、感情表現としては正しい。といったら変ですけれど、人に伝わるという場合も多いから、そこになってしまうと、それはステージです。
その人のそういう部分というのは、本来はとってはいけないのです。味があればあるほど、それに似てしまう。あの人に似ているからいいという評価のされ方は、あまりいいことではない。そういう部分を誰が聞いてみても、ど真ん中をいっている、誰でもああいうふうに歌わなければいけないという部分、それをわけていくのです。誰もがそうであれば、いいと思えるところの部分でやってみましょう。
○欠点よりも長所から
悪いところを直すということより、いいところを覚えて、悪いところがいいところに巻き込まれるようにしていく。気づかないうちに「ご」でもっと響く。響かないのが悪いわけではないのです。ただ、流れを見ていたときに、ゆったり大らかにしなやかになるのと、ギリギリ押していくのとの違いです。そういう後は必ずゴツゴツしています。上にいっても、楽にいかないで、無理にいって、押したりする。と、非常に心地が悪くなってしまう。その辺は、国が変わっても同じ、ただマイクがあれば、ごまかせたり、いろいろな違うやり方がある。
小さい音、ボリュームを落とすときに弱くなってしまうというのも、アカペラでは、たぶんその辺は、全部の音が響く必要はないのですが、その響きも入れてみて、大きくなだらかにとれるようだとよい。もっと自分の呼吸と一致していて、声が動いているのが一番いいと思います。
出だしで強いところは、後半を除けば、うまくとれていると思うのです。出だしで弱く入るようなところは、その弱い部分が体を離れていて、強くなったときにいきなり体が入っているような感じです。これは、最初から体が入っていた上で弱くしていないと、ダメでしょう。
イメージの問題で1番の出だしは、一番難しいです。2番の出だしは1番のサビを歌った後だから、その体で小さく歌い出せるから、呼吸も大きくとっていて小さく歌い出す。2番の出だしは皆、結構スムーズにいくのです。そこから始まって小さくと思うと、体がひっこんでしまう。それは、その前に大きく歌っている延長上で歌っている。アウフタクトは、指揮者で上げたところなのです。そこから次に降りてくるだけの部分にいく。その前の準備がなければいきない準備をしなければいけない。それは、体が大きく使えていないのに、難しいことですね。
体を小さく使って、小さく出そうとすると、必ず無理がきます。それはイメージからの問題です。前で歌っていると思って、そこに置くくらいのことでやっておいて入るような感じです。
粗をなくそうとしたら、必ず小さくまとめていきます。すると、欠点も目立たなくなるけど、今度は良さもなくなってきますから、良さだけをきちんと生かしていこうとする。その欠点の部分は、なくならなくてもいいのです。よその部分にもって、良さが出てこないと、アンバランスになってしまいます。それが半々くらいという感じなので、今小さく入るとか、「ご」でつっぱるというような練習をするよりは、よりきちんと伸びていることをしっかりやることです。
自分の感覚的に、今までの感覚の歌って、ひとつの大きなフレーズがいった後に、すごく楽に歌えてつなげていられる部分のものと、そうならないものと、両極があると思うのです。そのときにやり方で、カバーしていくようにしていかないと、歌い方を覚えていくということでもない。
もっと声を深くしていくようなことを、別に走らせておくのもひとつかもしれません。たとえば「ハイ」とやっているのを、「ハイ」と、これだけで入れる。体とか、声を鍛えるというよりは、それを可能とする体や、声の安定度をつけていくのです。ここでないと、やっていないのです。リスクとして、下手すると声をつぶしてしまう可能性もなくはないのです。ただ、今聞いている分には、歌から直接入っていったほうがいいですね。
初心者はそのことの判断がつかない。レッスンでいいのか悪いのかと聞く。初心者だから何でもプラスなのです。けれど、あまり気が入らなかったり、いつまでたっても迷っているのです。だから、ある意味では、そういう人たちに対しては、自信を持てないから、先生方が自信を持って、とにかくやるべきことはやると、突っぱねてしまったほうがいい。一緒に悩んでやるのもいいのですが、あるレベルで離さないと、悩んでいること自体が何になるのかがわからない。結局、心配なのは、役立たないレッスンで時間やお金を無駄にしてしまったら、どうするんだというところでしょう。だから、他のところにいっても同じです。
とにかくやるしかない。やれば効果が上がる。絶対に上がるわけです。何もやってきていない初心者ほど簡単に効果が上がる人はいないわけです。迷ってしまったり、不審を持ってしまうと、上がっていても上がっていないと思ってしまう。上がっていないのに上がっていると思っているのも、問題があるのですが、結局は、そこからの環境に尽きます。ここに来ることによって、残りの毎日が変われば、場ができてくる。私は、そちらの方が大切な気がするのです。
ここで30分やることが、効果があるないというよりは、一ヶ月の中で先生のところに来ることによって、怠け癖が吹っとぶ。音大はやらなければいけないし、やるから入ったのだけれど、ポップスを歌っている人は、そこの必要性が、迷いの段階が多いのです。やってみてすぐにうまくいきそうだったらやりたいが、そうでなければ別にやらなくてもいいくらいなら、よくありません。真面目なだけとか、全然わからないからここに来たという人も、そこから、大きくなって欲しいものです。<NAK040>
■「ボーカル上達100の裏ワザ」その2
(リットーミュージック刊)より、一部だけ抜粋紹介です。 詳しくは、本を。
039 外国曲に学ぶ
唱歌、童謡、演歌、歌謡曲、Jポップと、日本の近代の歌の大半は、欧米を中心とする海外の作品の移し替えで作られてきました。しかし、リズム中心の曲が主流になるに従い、日本語という言葉はさらに処理しにくくなっています。そのためか、現在の曲の多くは、日本語詞の中に英語を中心とした外国語がたくさん入って、音楽的に(のりやすく)しています。
でも、単に外国語を入れるだけでは、本当に伝わる表現にはなりません。かつて、日本一のボーカリストは、声楽や欧米のポップス、ジャズ、ラテンなどからリズムや声色を取り入れ、それを日本語に生かす努力をしていたものです。あなたも、その頃の外国人の歌を聴き、リズムや声色を感じ取った上で、日本語を付けて歌ってみてください。日本語だからこそ、表現のチェックはやりやすいはずです。
また、「外国人による日本語の歌」や、「外国曲の日本人による歌(外国語・日本語)」を比較するのもお勧めです。「駅前留学」のようなものですが、生まれてから染み付いている日本人の感覚を一時切ることで、感覚、発声、歌唱をシンプルにできます。歌は適当な外国語をつけて歌ってから、それを日本語に戻すのもよい方法です。
040 外国曲をフレーズ・コピー
私はかつてレッスンで、カンツォーネを中心に、外国の歌をフレーズごとにコピーする練習を行っていました。CDで1つのフレーズごと(4〜8小節)、何度も戻しては再生し、徹底的にコピーします。1度目におおよその流れを聴き、2度目に合わせてみて、自分が持っているものとは異なる感覚(メロディ、リズム、声色など)をチェックし、3度目には自分で最もうまく歌えるように、フレーズを作り変えるのです。もちろん歌詞も楽譜も見なくてかまいません。単に発声が音楽となるプロセスを優先します。
このフレーズ・コピーを行うのは、他人との表現の違いを見つけ、自分のレベルやオリジナリティを発見するためです。自分が知らない言語を使うことで、音だけをトータルに聴く力が付くようにもなります。特にイタリア語は、日本人がコピーしやすく、英語よりのどに引っかかりにくいのでお勧めです。それに慣れたら、ポルトガル語、スペイン語、フランス語などの歌にもトライしてみてください。歌唱力向上にとても効果的です。
044 歌詞をメロディにしていく
裏ワザ024をより実践的にしたものです。本来、歌詞と曲は一体となって、初めて完結するもので、それらを一致させなければなりません。その作業を行います。まず、歌いたい曲のカラオケをBGMに、その歌詞を朗読して、目いっぱい、情景・心情を考えてメモしてください。歌詞の持っているイメージを具体的にいろいろと想像し、そのイメージを抱いたまま、声にして表現していくわけです。
何度も朗読しながら、今度は少しずつ本来のメロディに合わせていきます。無理せずに合うものはそのまま合わせ、合わないところは朗読のままか、もしくは別のメロディにします。タイミングは、最初はずれている状態で構いません。最初だけメロディをつけたり、最後だけメロディをつけたりしつつ、だんだんと近付けていきます。そして、最終的に歌詞をすべてメロディにするのです。要するに、言葉を曲の中に溶かしていくわけですね。その流れが実感できたら、声にして共感できるように表わします。
1曲をレパートリーにするには、そのテーマで1冊の本か、1本の映画を作るようなものだと思ってください。それぐらいに世界を出すためには、歌詞のイメージを理解し、それを声にして隙なく表現し、さらに曲と結びつける緻密な作業が必要なのです。
045 メリハリを付ける
歌唱力の差が顕著に表れるのが、歌の流れの中でのメリハリです。これは単に、言葉に強弱を付けるだけではありません。「一気に流れるように歌う部分」と、「1つ1つの言葉を丁寧に感情のニュアンスを込めて歌う部分」の両方が必要なのです。前者はお客さんの気持ちの流れに沿う「期待」、後者はその流れから少し外れた「裏切り」と言い換えてもいいでしょう。
お客さんの期待通りに、淡々と流れていく一本調子の歌は、すぐに飽きてしまいます。新しいことをやってくれるという期待感がなくなってしまうからです。ひどい場合には、お客さんは歌い出しだけでその人の歌い方を判断してしまいますし、他の曲もずっと同じように歌うんだな、と思って飽きてしまうのです。
また、このメリハリを付けるためには、全体の流れの中で、「フレージング」(言葉ではなく音の区切り)を大きくとらえなければなりません。大きくフレージングをとらえていないと、言葉を短く切ったときに、気持ちも持続できなくなります。すると、常に次の流れを作ることを強いられ、いつも同じ調子になってしまうのです。ボールがバウンドするように、大きなメリハリを付けて、その流れに乗せて言葉を置いていく方が、歌いやすいですし、それが歌に魅力を加えやすくするわけです。
落語家がまくしたてられるのは、口が早く動くからではありません。言葉の流れにメリハリが付いているからです。つまり話す言葉に大きいフレーズがあり、そのフレーズが次々と言葉を運んでくるからです。フレーズを大きく動かすと、ブレスもバシッと決まってくるので、一石二鳥でしょう。
歌いながら流れを起こすフレーズと、それにできるだけ、のせるフレーズを選びます。流れが弱かったり、単調になったとき、絶妙の間で変化を加えたり、新たなフレーズを起こします。では、具体的に、フレーズを大きくとらえるためのトレーニングをしましょう。いろいろとアレンジをして、流れを大まかにつかむのです。(声を出してやってみてください。)
○1小節の頭の音だけをつなげる
例:「あなたは わたしの いとしい ひとなの」→「あー わー いー ひー」
○2裏拍(2、4拍)の音だけで歌う
例:「あなたは わたしの いとしい ひとなの」→「なー はー たー のー」
○3できる限りノンブレスで歌う
例:「1v2v3v4」(vはブレス)と歌っていたところを、「12v34」と歌う
○4リズムを食って歌う
例:「12、34、56、78」という構成の中で、「45」とつなりだり、「23」「67」とついなりだりする。かなり感じが違ってきます。
046 大げさに歌う
役者は、目で泣く、目で笑うという表現ができるまでに、号泣や大笑いで練習します。そのあとに出てきた目の表現を覚えて、引き出しにしまっておくのです。同じように、ボーカリストも、聴いたり見たりしたものを、まずは大きく感じ取り、大きく歌ってみることです。
歌を大音量でかけて、1つ1つの息遣いやブレスの違いまで聴き込んでください。何回も部分的に聞いたり、ゆっくりかけたりして、つい聞き過ごしてしまうところを敏感にとらえていくのです。
歌うときにも、大げさにやってください。プロが少し伸ばしているところはずっと長く伸ばし、少し強めているところは目一杯、強く出しましょう。
英語では、多くの日本人がアクセントを強めているつもりでも、ネイティブの半分も強くなっていないものです。同様に、あなたの耳に少し強く聴こえるところは、歌っている本人の感覚では、かなり強く表現しているのです。弱く小さい表現は、より弱く、繊細にですが、強く大きい表現よりずっと難しいので、最初は拡大することを中心にやりましょう。
■トレーナーズ アドバイス〔2007〕
レッスンの中での概要です。これらのメニュが必しも誰にでもあてはまるものとは限りません。参考にとどめておくようにしてください。
<Lesson>
○中声区について
中声はいわゆる声帯ではっきりと発音するところです。この中声はイタリア流派のためはオペラを勉強する方がしっかりと習得します。
これらの声区と声区の間では声区の分裂が起きるので、歌い手はこれらを融合させなければなりません。胸声のまま高音にもっていては重たいままですし、頭声だけで低音にもっていっては声が軽すぎて深みがでません。声区を意識して声をスムーズに移行させ、音色の統一ができるようにしましょう。(♭Π)
○曲の構成を見抜く
音楽にも文学のように起承転結というものがあります(ボーカル上達100の裏ワザP.70)。ポピュラー的にいうなれば、Aメロ・Bメロ・サビ・A´メロという具合です。名曲と呼ばれている曲はこういった構成が明確にできています。この構成が分かれば曲の入り方、盛り上げ方、完結の仕方がイメージでき、それに合わせて自分で息の流れを調整できるようになります。
詩人も手にするのはただ文字が書かれている文章だけです。そこから構成を読み取り言葉を生かしていきます。歌手も同様、楽譜の中から音楽を作っていくのです。初めから最後まで一本調子で歌うということは、詩人が棒読みをしているのと同じことなのです。
作品を活かすも殺すもその人しだいです。曲を歌い始める前に構成がどのようになっているか考えてみてください。そのトレーニングとしても名曲を歌うのが良いでしょう。(♭Π)
○腹式呼吸の利点
@呼吸によるガス交換の運動量は、腹式呼吸の方が胸式呼吸よりはるかに多い。
A「呼気のささえ」をするのに、胸式より腹式のほうが横隔膜周辺の筋肉群の調節を随意的に、しかも合理的に訓練しやすい。
B胸式呼吸による横隔膜の上下運動および肺の拡大収縮の運動は不規則で断続的、不安定であるのに対し、腹式の横隔膜運動は、吸気時は敏速で呼気にはゆっくり、しかもスムーズでなめらかな動きができる。
C腹式呼吸の方が発声器官、共鳴器官に無駄な緊張や動揺を与えず、首から頭部を安定な位置に保てる。
以上の4項目が挙げられます。それぞれの表現が理屈っぽく感じてしまいますが、腹式呼吸ができたとき、これらの感覚が得られると思います。 みなさんも腹式呼吸で歌うように言われ続けて頭では理解していると思います。しかし、腹式呼吸は理解するものではなく、身につけるものです。以上のような利点を知れば迷わず腹式呼吸を身に付けられるでしょう。(♭Π)
○横隔膜の働き
歌の場合、横隔膜の働きを簡単に言ってしまえば、息のコントロールを助けることです。声を出していないとき(単に呼吸をしているとき)は腹式と胸式は同時に動いています。このとき横隔膜も胸郭と同じ動きをしています。息を吸えば横隔膜も下がり、息を吐けば横隔膜は上がっていきます。
しかし、話したり歌ったりしているときは、時間的なずれが生じます。熟練した歌い手は特に故意的にこれができ、未熟な場合は横隔膜と腹部の動きが同時になってしまいます。
発声で呼吸の練習をする際大事なのは、横隔膜そのものの訓練ではなく、意識的に腹筋や背筋、骨盤筋など補助呼気筋(腹筋群)をつかって、横隔膜の動きを自分でコントロールするのが大事なのです。歌っていく間(呼気)に横隔膜も上がっていってしまっては声が浅くなってしまいます。歌っている間でも横隔膜は、息を吸ったときの状態、つまり下がった状態のままにしておくと、声に張り出てきます。横隔膜は筋肉ですので、鍛えれば随意に動きます。(♭Π)
○聴覚能力の重要性
声をはじめ、音を聞き分けるのは自分の耳です。歌う声も自分の耳(聴覚)でチェックしなければなりません。そして、自分ばかりでなく、相手の声(歌声)を聞き分ける場合も自分の耳が頼りになるわけです。優れた聴覚をもつ人は音の分析能力にたけ、その反面、耳の感度の悪い人の場合は音楽をする際致命的となってしまいます。とういうのは、自分の発する声をうまくコントロールすることもできないし、他人の発する声を正しく聴取することもできないからです。以下は『うたうこと 発声器官の肉体的特質』(フレデリック・フースラー著)からの引用です。
「まず、聞き分けることを覚え、それから正確な知識(音声学的発声の知識のこと)へと進む。決して逆をやってはいけない。異なった音質をはっきりと聞き分けられるまでに、耳の感受性を高めなければならない。さまざまな音響的現象をはっきり聞き、それとこれとの区別ができるようになったとき根本的な関連性を理解しにかかってもよいだろう。模倣は話したり歌ったりする事を習うのに必要である。カナリヤの卵がスズメによってかえされたときは歌う能力のある鳥にはならないだろう。聴力のない者は、発声器官をもってはいても声はない。」(♭Π)
○声の仕組み
声は三つの原則によって成立します。@声の音源 A呼吸 B共鳴 です。しかし、これだけではただの音に過ぎません。
そこで、正常な声を発するためには5つの条件が必要となります。
1.正しい声門閉鎖(@の条件) 2..正常な声帯振動(@の条件) 3.声帯の緊張状態の変化(@の条件) 4.適切な呼気圧と呼気流(Aの条件) 5.音色(Bの条件)です。これら5つの条件をさまざまに組み合わせて目的にあった声を出すわけです。
その目的というのは『声を構成する4つの因子』といいます。
(1)声の高低 (2)声の強弱 (3)声の持続時間 (4)声の音色
歌は4つの因子のことばかりに意識がいきがちですが、以上のことからわかるように、これらを調整する5つの条件がしっかり理解・コントロールできていないと自分の意図する声(目的にあった声)を作り出せません。(♭Π)
<声、せりふ、歌のアドバイス>
○方向性
音楽は楽しむものですが、私たち歌い手がしなくてはいけないのは表現することです。その表現する意図を常に持っていなければなりません。自分はこう感じる、こう伝えたい、同じ感覚を共感したい、など音楽することそれ自体に意味をもたなければ、ただの雑音になってしまうのです。それは自己満足の世界です。
歌に限りませんが、音(声)を出した瞬間、だれに、どこに、どのように、その音を届かせるのか、演奏しているその本人がその意識を持っていなければ、聞いている人に届くわけがありません。これは歌が上手い、下手の問題ではありません。感性の問題です。
たくさんの人やものと出会い、経験し、挑戦・挫折を繰り返し、感動を覚える機会を作って、どんどん感性を磨いていってください。(♭Π)
○民族音楽
民族音楽は、独特で、勉強するのは、とても大変だと思いますが、基本的なことは、他のジャンルの音楽と変わらないと思います。
腹式呼吸は、絶対ですし、響きのポジションも基本的には、鼻です。
細かい節回しは、鼻に響きがのっていないと難しいところがあると思います。
ハミングでの練習が効果的だと思います。
体全体で歌えるようになるには、お腹に息をためる練習が効果的だと思います。
声を、張り上げるイメージがあると思いますが、それも、喉からではなく、また力でもなく、体全体出せるといいと思います。
そうするために、例えば、カセットテープを息で倒す練習がいいと思います。
また、余分なところに力が入っていると、体全体で歌えません。
ブレスするときは、完全に体の力を抜くように心がけてください。
あとは、曲のイメージを作ることが大事です。
声を出すだけでなく、息だけで、練習してみるのもいいと思います。
息だけでも、表現したいことがわかります。
ブレスのたびに、息の種類を変えてみてください。(♯Ω)
○まね
最初にレッスンに来ると、歌い方に妙なくせがあったり、あ、この人は誰か歌手の真似をして歌ってきたんじゃないかと思うことがあります。自分の好きな歌手に近づこうと、研究してその歌手の歌声を真似ている場合と、自然と似てしまった場合とがあると思いますが、どちらにしろ、ほとんどの人が不自然な歌い方になっており、気持ちよく聞ける声をだしていません。
この歌い方で上手くなりたい…というような相談を受けることもあるのですが、せっかく習いに来たのですから、今までのことは忘れて、もう一度最初からやってみてはどうでしょうか。スポーツをやるときのように、歌うためのフォーム、体の使い方、考え方、
様々な方法を身につけて、自分の体からでる声を作っていってください。それが出来ると、人真似ではなく、個性の光る自分だけの声が完成します。
また、「この歌い方で…」のような相談を受ける場合、大抵の人はその歌い方しかできません。それでは悲しいので、歌い方の引き出しをたくさん増やしていってください。基礎がしっかりできれば、その後のバリエーションはどんどん増えていくはずです。(♯Б)
○ミュージカルとは?
最近はミュージカル歌手になりたいという人がとても多いです。音楽大学にくる生徒にも増えましたし実際ミュージカル科がある音楽大学も増えてきました。しかし最近このミュージカルという言葉が乱用されているように思えてならないのです。ミュージカルの大本はオペラです。17世紀のオペラは基本的にオペラセリアといわれる神話などをモチーフにした真面目なオペラでした。その真面目なオペラの幕間(休憩中)に行われた楽しいオペラ(喜劇)がオーストリアのウィーンでオペレッタとなり花を開きアメリカに渡ってミュージカルへと変化していくわけです。
劇場で歌って踊ってお芝居をすればミュージカルと言われているようです。ジャニーズやJ−ポップを歌っている歌手が空を飛んだりすればミュージカルと言われている事がとても疑問なのです。日本最大のミュージカル団体「劇団四季」などはいまだに伝統が残っており音大出身でオペラのコンクールなどで上位に入ったような歌手が主役を歌っています。四季の総監督の浅利慶太はミラノ・スカラ座の本場の舞台でプッチーニの蝶々婦人を、宮本亜門は、二期会でフィガロの結婚、ドン・ジョヴァンニ、コジ・ファン・トゥッテなどを演出しています。ですから本当の意味でのミュージカル歌手の声というのは本当に訓練を何年も受けて鍛えられた声のことなのです。(♭Σ)
○発声からくる音程の悪さ
レッスンを受けていてトレーナーから「音が低いよ。」と指摘されることはありませんか?それを低いと自覚できていますか?多くの人は低いと言われてもちゃんと歌っているのに理解出来ないと思っているのではないでしょうか。
言葉には母音がありこの母音が音程を司っています。(N、Mは例外)この母音の響きが統一されないと音程が定まらない事が多いように思います。開口母音であるA、Oは口を開けてしまうために響きが散乱してしまう特徴があります。閉口母音のI、Eは響きは作りやすいのですが口を閉めてしまうために喉も絞めてしまい訓練が必要な母音となります。
この違う特徴をもった母音をそろえないと苦手な母音が出てきたときその母音のみが響きが低かったり喉声になってしまう結果音程も狂ってしまうことになります。
男性、女性によっても苦手な母音、得意な母音は分かれます。男性は閉口母音、女性は開口母音がそれぞれに出しやすいと言われています。その証拠として声楽作品でも女性の高い音はAやOで書いてあることが多いですが男性の高い音はE母音で書いてある事が多いです。
性別の違いでも差はありますが音程が悪いと言われた時、一瞬立ち止まりソルフェージュ的な問題なのか発声からきた問題なのかを考えてみるのも良い方法だと思います。(♭Σ)
○歌詞がわかる
歌にはヴォカリーゼでないかぎり必ず歌詞があります。歌手が書いた歌詞、作曲者が書いた歌詞、作詞家が書いた歌詞、さまざまあります。
私は日常から疑問に思っている事があります。日本人の歌手が日本語を歌い、聴衆が日本人なのになぜ日本語の字幕をつけるのかと言うことです。
耳の不自由な方にも分かるようにという配慮なら分かりますが、単純に何を言っているのか分からないというなら話しは別だと思います。DVDなどの編集した音だとハッキリと言葉もわかるのですがライブやライブ映像などの歌は何を言っているのか分からない事が多いです。槙原敬之やaikoなどは言葉がわかる典型的な歌手だと思います。日本語は特別母音が浅いので聴き取り辛いという難点があるのですがそこはクリアして欲しい技術ではないでしょうか。(♭Σ)
○歌わされるのではなく、自ら歌う
まず必ずと言っていいほどコンコーネ50番の1,2番を歌わせます。ポピュラー、ロック、ミュージカル、ジャズ問わずです。これには賛否両論あると思いますが、まず発声の訓練の為に得意、不得意な母音を自覚しある程度の音域に慣れて欲しいというのが一つ、楽譜に慣れて欲しいと言うのが一つ、そして自分の意思で自分なりの表現をして欲しいという思いがあります。
コンコーネという題材は本来、声楽を勉強するひとが必ずと言っていいほど最初に勉強する曲集です。と言うことはポピュラーの人たちにはあまり意味が無いと思われるかもしれませんが、譜読みが終わり、ある程度こなれてきた段階から自分なりの表現を勉強しやすいテキストだと思っています。言葉が無い単純な伴奏(コード)からなる曲だからこそ自らの表現が重要になってくるのです。同じ曲を怒って歌う。喜んで歌う。寂しそうに歌う。などさまざま表現で歌うことが出来ます。それと同じことがトスティ50番でもいえますがトスティの場合、元の音楽が綺麗なので曲に歌わされてしまう事が多くなります。
何も歌詞がない曲に物語を自分なりに考えてみるだけで全然違う曲になるでしょう。作曲家、作詞家が書いた曲はその方々の思い、表現があるので曲に流されそれっぽく歌えてしまいます。しかしそれは曲に歌わされているに過ぎません。わがままな音楽にならに程度に自らの表現は常に心がけてほしいと思います。(♭Σ)
○低年齢化
最近よく聞くこの「低年齢化」。ニュースなどで犯罪の低年齢化などと言っていますが、世の中のほとんどのことに起きている現象だと思います。K−1でも現役の中学生が出場したりオリンピックなどをみても10代の多さに驚きます。25,6才になるとベテランというから驚きです。
歌の世界はどうでしょう?モーニング娘など(途中から誰がいるのかすら分からなくなりましたが…)10台前半が在籍していますしAKB48などはほとんどが10代です。最近のポップスの世界では私が感じるところでは歌そのものよりもその人自身の魅力が大きな割合を占めそれに歌が付いているような感覚すら覚えます。
声楽家は現役で音大に入っても卒業は22歳、大学院までいくと最短でも24歳までかかります。これに博士課程などをいれると30歳近くになってしまいます。しかしそれでも若手なのです。女性は男性よりも体の発達が早いので20歳前後には体は完全に出来上がりますが男性は25歳位までかかります。結果として若いうちは女性の方が発声の技術や声質も伸びやすいようです。男性は30歳からとも言われます。
スポーツはその競技性から体力、柔軟性からの問題で若い頃のほうが良い競技もあるとおもいますが歌は遅く始めてもソルフェージュ的な問題はあるにせよ声自身に問題はさほどありません。むしろ若年で叫んでいる方がよっぽど成長中の声帯には無理がかかります。テレビなどから流れてくる大きな声でさけび喉を絞めまくる声を聞いていると将来の声が心配でなりません。余計なお世話ですが…。(♭Σ)
○呼吸の問題
指導していて改めて感じることは皆さんの深い域の呼吸が、まだ足りていない点です。(息の支えの実感なども)レッスンの前に毎回ブレスを体深く吸うよう、そしてゆっくり長く充分に吐けるよう、指導していますが(繰り返し)実感できているのは何人いるのでしょうか?やはり発声練習が実践の場で活かせるのだという目標で上達していってほしいと思います。(♭Σ)
○呼吸法と発声の連結
呼吸法では息の流れとお腹の使い方を意識し、発声では声帯の振動具合を意識しましょう。これを専門的にいうと、呼気の圧力と声帯の閉鎖の関係と言います。いくら吐く息を頑張っても声帯が閉じていなかったら、息漏れをしてしまいます。一方、声帯を閉じていても、呼気がしっかりできていなければ、効率のよい息が流れず声がか細くなってしまいます。つまり、声をつくるときにはどちらか一方でもかけてはいけないのです。
練習法としてはまずは呼吸法のときと同じ息の細さと長さを声に出しても保ってください。これを声の持続時間と言います。通常、成人男性で27〜30秒、女性でやや少ないと言われます。
次に、p→mp→mf→fまでを息の量を変化させて出しましょう。この時、声を大きくしようと喉で頑張ってはいけません。初めのピアノと同じ声帯の状態を保つのです。クレッシェンドは保有時間は意識しなくて良いので、フォルテで息を出し切るようにしましょう。(♭Π)
○「譜読み」について
さまざまな楽譜を利用されていると思いますが、「譜読み」をどうやって行っていますか?
ピアノやキーボード、あるいはギターを用いて楽譜の「音を読んで」いく。これも基本的で大切なことですが、楽譜の「リズムを読んで」いく。これはおこなっているでしょうか?
楽譜どおり音を読めば、自ずとリズムはついてくる、かと思いきや、意外と間違った、間違って思い込んでしまったリズムで歌っている場合もあるのです。
「譜読み」でもう音取りは完璧!と思ったときにこそ、今一度、手拍子・足拍子など各人の方法で、その曲の「リズム」を確認してみて下さい。「リズム」を体で感じ、体で覚えることは、声・歌の助けにもつながります。(♯Ψ)
<Menu>
○発声と共鳴
一番初めは息もれを防ぐため、声帯でしっかり発音をします。合わせて、深い声を出すために最下音で声にします。息もれがなくなってきたら、次の段階として鼻くう共鳴で響きを感じてもらいます。そして、音色の統一をするため「ド〜ミ〜レ〜ド」をハミングで発声しながら、ポジション、響きを確認していきます。(♭Π)
〔トレーナーの一言アドバイス〕
自分にあてはまるものをチェックしてみましょう。
<発声>
○話し声を歌声に生かしていきたい。話し声は低めなので、低いキーでリラックスして歌うことを安定させていきたい。歌う時に頑張りすぎてしまうので、のどはリラックスさせていくこと。
○高音になると、のどで頑張ってしまう。もう少しリラックスできるといい。低音では、うまく力が抜けてきて、ひびきも良くなってきている。
○体全体に力が入ってしまう。特に上半身。上半身を意識しすぎないで、体の深いポジションから声を出していくこと。
○のどで頑張りすぎて、発音ばかりに気をとられてしまう。浅くてはっきりな声ではなく、発声のいい深い声でしゃべっていくこと。意識改革が必要。
○多少のどの力が抜けてきている。大きな声を出すことより、効率よく声にしていくことを心がけていくこと。力ではなく、ひびきを集めていくこと。
○体を固めて呼吸している。息を吸うときは「取り込む」イメージで。また取り込む際も力が入りすぎて、腹筋を固めすぎるので、ふわっとゆるめて、お腹に息が入ってくる感覚をつかんでいってほしい。
○声楽を徹底的にやっていくこと。体を使って声を出せるようにしていくこと。しばらく声楽に集中して、体を鍛えていくこと。
○日々の練習をしていくこと。体で覚えたものでないと、応用が効かない。緊張していても、体で覚えたものは安定して再現できる。
○地声がいい。話し声もいい声。この声で歌っていくことを勧める。低いキーにして、地声を安定させていきたい。リラックスして地声を出せるように練習していきたい。
○体の動きとともに、息を吐いてゆく。力づくで吐いたり、吸ったりするのではなく、リラックスの状態から、自然な流れで呼吸をしていくこと。
○体を動かしながら、歌っていくが、体が硬い。もっとやわらかく体が使えるようにしていくこと。体の硬さが声にも出てくる。
○体から声を出していくこと。フレーズが点々になってしまうので、息を流し続けてなめらかに歌っていくこと。フレーズをリズムで刻まないこと。
○体から声を出していくこと。雑に歌ってしまうので、もっと自分が出している声を聞き、丁寧に歌っていくこと。息、思いともに腹から出していくこと。
○ハミングから声にしていく。ハミングの流れを、声の流れにつなげていく。深いポジションから声を送り出しているイメージを常に持って歌っていくこと。
○いい地声をしている。その声を歌声に生かしていきたい。のども体も、力が入りすぎる。バランスよくしていきたい。
○体の動きに合わせて、息を吐いたり吸ったりしていく。体の動きと連動させることで、体全体を感じることができて、のど自体もリラックスできる。
○のどの奥を開けていくこと。縦のひびきを感じること。声を出すことを頑張りすぎないで、息の流れと声の接点を見つけていくこと。
<せりふ>
○発声時はとてもいい声が出ている。リラックスできているからか、話声と違う感覚だからなのか。この声を基準にしていくこと。このひびきを覚えて、話声にしていくこと。
○発声時の声を基準にしていくこと。意識すると普段の声も、いい声が出るようになっている。この声に慣れていくこと。
○しっかり言い切ること。フレーズの後半が抜けてしまう。テンションも息の量もキープできるようにしていくこと。声は出るようになってきているので、息を持続させていくこと。
○力で押さない。頑張ればその分ボリュームは上がるが、ひびきは悪くなる。リラックスして、ひびきのいい状態を作っていくこと。正確に発音することに、とらわれすぎないこと。
○お腹を中心に声を出していくこと。のどに力が入りすぎる。もっとリラックスしていい。のどをリラックスさせて、体をひびかせていきたい。まずはこの感覚に慣れていくこと。
○いろいろなトレーニングメニュがを迷わず試していってほしい。短期間では結果はでないので、地道に続けていくこと。体と息を一致させていくこと。
○発音にこだわりすぎる。もっとのどの力を抜いて、ひびきのいい声を出していくこと。その後で発音に入っていきたい。
○自然な声が出てきている。ことばをはっきりさせようとするあまり、のどに力が入ってしまっていたが、徐々に力が抜けてきている。
○自分の持つ深い声を基準にしていくこと。体を使って声を出している時は、深い声が出ている。しかし普段の声になると浅くなってしまう。日々深い声を出す練習をしていくこと。
○セリフをしゃべるモードになると、いい声が出てくるが、普段の声が極端に浅い。この差をなくしていきたい。体から声を出す感覚を身につけていくこと。
○活字に慣れていない。もっと本を読むこと。アニメは読んでいるとのこと。積極的に内容をつかんでいくために本を読んでいくこと。自分で出来ることはもっと積極的にやり、吸収していくこと。
○話し方ではなく、リアルな思いでしゃべること。表面的な表現をしないこと。声自体を出すことよりも、流れを大切にしていくこと。息の流れ、気持ちの流れを合わせていくこと。
○しゃべっているうちに、力が抜けてきて、声も低くなってくる。普段の声と違う声だが、この声を自分の声にしていきたい。少しボリュームアップして、体を鍛えていくこと。
○普段の声も深いポジションから声を出していくこと。深いポジションから、強い息を吐くトレーニングをしていくこと。ことばをはっきりということよりも、今は息を吐ける体作りをしていくこと。
○体の使い方としては、叫んでいるぐらいでちょうどいい。この感覚に慣れていくこと。そのうえで深いポジションから声を出していき、ひと息でしゃべっていくこと。
○のどで頑張りすぎて、かん高い声になってしまう。もともとのいい体格を生かすためにも、のどの力はリラックスさせていき、息の通りをよくすることで、体にひびかせていきたい。
○ことばをはっきりしようとして、力が入り、声が浅くなってしまう。もっと力を抜いていくこと。まずは低音のちからの抜けたひびきを覚えていくこと。
○息に乗せて声を出していくこと。お腹の深いポジションから声を出していく、お腹に口が付いているイメージで声を出していくという、初歩的な練習をする。初歩的ではあるが大事なところなので、少しづつトレーニングしていくこと。
○気持ちを開放させていくこと。感情開放が必要。それプラス、表情も意識していくこと。表情の硬さが、表現を止めている。感情開放、表情、視線等、もっと意識していくこと。
○体で感じて、体から声を出していくこと。ことばが嘘にならないように。体全体でお芝居をしていくこと。体全体で声を出していくこと。
○一音一音頑張りすぎない。音をはっきりさせていくのではなく、音と音のつながりを大切にしていくこと。まずは、あいまいでいいので、ひびきを合わせていくこと。
○音楽に集中できる環境を作っていくこと。体力作りも力を入れていくこと。体力があるだけで、発想も積極的になったり、練習時間も作れる。本気でやりたいことが何なのか?もう一度考えるように。
○ことばがぼやけてしまう。役作り、そして歌っていくことばのイメージを、もっと明確に持っていくこと。ことばのイマジネーションを大切にしていくこと。
○セリフの延長で歌えている。声を出すことに集中しすぎると、力が入りすぎて歌にならない。セリフの延長で、セリフの流れで歌っている時はとてもしぜん。
<日本語曲>
○気持ちが抽象的なので、表現も抽象的になってしまう。もっと具体的に気持ち作りをしていくこと。そのうえで気持ちをもっともっと大きく出していくこと。
○ストレートに声を出していくこと。うねらずにシンプルに歌っていくこと。ブレスでテンションが下がる。逆にブレスでテンションが上がるようにしていくこと。
○テンションはよくなってる。そのテンションで体の器を大きく広げていくこと。そしてその器の中に、思いをのせていくこと。しばらく鈍ってしまった、そういった感覚を取り戻していくこと。
○集中力が足りない。いま何を課題として歌っているのか、内容は?自分のリアルな思いは?もっと集中していくこと。すべてが散漫。
○まずはフレーズをつなげていくこと。気持ちも切らさずにつなげていくこと。息と体と気持ちの接点を見つけていくこと。ソフトには歌えるので、内容のあるパワーのある声がほしい。
○大きなフレーズの流れを作っていくこと。大きな流れを感じながら、一つ一つのフレーズを歌っていくこと。「ラララ…」という歌詞でも気持ちがある。単なる意味のない「ラララ…」にしないこと。
○フレーズとフレーズのつながりがほしい。テンションをつなげていけるように。歌いながら気持ちが抜けてしまう時がある。もっと集中して、つなげていけるように。
○一音一音を強めてしまう。流れとことばの意味でまとめていくこと。声を出すだけの練習ではなくて、繊細に、丁寧に、流れの中で歌っていく練習をしていくこと。
○セリフは安定してきているが、歌声になると力が入ってしまう。力を抜いてひびきを集めていくこと。そのためにも、もっと下半身を意識していくこと。ブレスをしても、意味のフレーズでつなげていくこと。意味の流れを切らさないこと。
○曲の構成をもっと明確に描いていくこと。行き当たりばったりで歌わないこと。理性的な部分も残しつつ、繊細に、気持ちを込めて歌っていくこと。
○大きなフレーズの流れを作っていくこと。意識が切れてしまいがち。もっと集中して、つなげていくこと。自分の歌詞として歌っていくこと。思いがあふれるから、その歌詞になる。
○自分のことばで歌うこと。自分の体が感じた素直な思いを出していくこと。表現もいろいろ研究していくこと。
○思いを込めつつも、表現は外に出していくこと。引かない。雰囲気で歌ってしまうので、もっと具体的に内容に入って歌っていくこと。
○セリフと同じように、意味の流れで歌っていく。そして必要のない部分を歌いすぎないこと。リラックスして大きなフレーズで歌えるようになってきた。
○歌おうとしすぎて、呼吸が浅くなってしまう。上半身をリラックスして、体の深いところに息を入れ、深いところから出していくこと。自然な体の使い方をしていくこと。
○低音をのどで押しすぎないこと。繊細に丁寧に歌っていくこと。声を集めて、効率のいい声にしていきたい。
○腹から声を出していくというイメージを常に持って声を出していくこと。体の中から声を出すイメージを練習の中で見つけていってほしい。
○曲を作った作詞家、作曲家、歌っている歌手等のイメージやメッセージが、その歌には込められている。そこから自分がどう感じ、どうメッセージを伝えていきたいのかを、深く考えていくこと。自分自身の世界観で歌っていくこと。
○思い→ことば→歌という流れで、リアルな気持ちを作っていくこと。まだ自分の中で、ふっきれていない部分がある。その壁を見つけて、改善していくこと。
○本番と同じテンションで練習していくこと。とにかく集中力がない。テンションの高い状態を作り出して、歌っていくこと。自分の中から、歌の世界を作り出していくこと。
○何度も同じことを言っているが、表現が弱い。気持ちが入りきれていない。集中力がない。もっと自分に厳しく練習に取り組んでいくこと。カラオケ的な歌ではなく、自分から歌の世界を発信できるようにしていくこと。
○深いポジションから、気持ちも声も出していくこと。テンションが上がってくると、声も浅くなってしまう。それにつれて気持ちも浅くなる。
○体が硬い。表現も硬い。歌うことに一所懸命になりすぎて、リラックスできていない。歌えば歌うほどリラックスできるようにしていくこと。下半身で歌うこと。
○なめらかに丁寧に歌っていくこと。歌が雑。気持ちがあるから歌い出すという原点を忘れないこと。
<英語曲・ジャズ>
○自分の声、自分の気持ちで歌っていくこと。ひびきも、気持ちも浅くなってしまっている。自分の思いをあふれさせてゆくこと。
○息が流れ続けているイメージを持つこと。そしてフレーズのイメージを大きくとらえていくこと。息が止まってしまう瞬間がある。
○正しくは歌えているが、息の流れが自由ではなく一本調子になる。もっと自由でいい。たくさんの曲を聞いて、引き出しを作っていくこと。
○楽譜が見えてしまう。メロディーを体に入れていく段階では、楽譜の音を入れていっていいが、音が体に入ったら、点々でとらえるのではなくて、流れでとらえて歌っていくこと。
<カンツォーネ・シャンソン>
○なめらかにつなげていくこと。声を出すことに集中しすぎないで、歌のフレーズや歌の内容に入っていくこと。丁寧さがほしい。
○流れがよくなってきている。体から声を出していくこと。お腹の深いポジションから声を出していくイメージを常に持って歌っていくこと。
○頑張りすぎて、上半身で歌ってしまう。もっとお腹を中心に声を出していくこと。目的を一つに絞り込んで、練習していくこと。姿勢のことなら、姿勢を正すことに集中して練習していくこと。一つ一つ問題を解決していくこと。
○気持ちを込めると歌がくずれる。歌が安定していると気持ちが乗ってこない。このバランスをよくしていくこと。メニュを分けて練習していくこと。
○声自体は安定してきている。一言一言をはっきりさせていくのではなく、なめらかにフレーズの流れを作っていくこと。ことばの意味からも流れを作っていける。
○半身に力が入る。もっと下半身で重心を感じて歌っていくこと。のどで器用に歌ってしまうので、体で歌うことを覚えていくこと。
○低いキーで歌うことで、内容に集中できる。自分が歌っていることばに集中してイメージを広げていくこと。レッスンでの集中力を維持できるように、日ごろから体力作りをしていくこと。
○リラックスして、遠くへ声を伸ばしていくイメージで歌っていく。下から下から声を出していく。日々の練習の中でバランスのいいポジションを見つけていくこと。
○腹から声を出していくこと。楽な浅いポジションで歌わないこと。ひびきをつなげていき、声楽的な歌い方で歌っていくこと。
○リラックスしていくこと。息の流れに集中していくこと。地声でも、のどを使いすぎずに、なめらかに歌えるはず。なめらかにつなげていくこと。
○がむしゃらではなく、冷静に客観的に歌っていくこと。歌うこと自体の体の辛さをなくしていくこと。もっと自由にリラックスしいくこと。声を出すことより、丁寧に扱えるようにしていくこと。
○しゃべり声のリラックスした声で歌っていくこと。なめらかな歌声を目指していくこと。歌っている間に集中力が切れる。集中力を切らさないこと。
○のどの奥をリラックスして開けていくこと。リラックスはしても、消極的な歌い方にならないように。もっと積極的に歌っていっていい。
○のどの力を100パーセント抜くことはできない。のどへの意識を無くしていくこと。深いポジションから声を出すイメージを持つと、体も鳴ってくる。体をひびかせていくこと。
○イタリア語を意識しすぎないで、ことばを扱っていくこと。日本語のように意味がわからないことがイタリア語の利点。ひびきを統一させていくこと。
○息の流れを感じていくこと。深いポジションから息を流し続けること。体を使って歌う練習をしていきたい。
○歌い方の癖を取っていくこと。シンプルに息を流していくこと。のどの力は抜きたいが、のどを使わないわけではない。そのバランスをつかんでいくこと。
○歌い出しが弱い。準備もできていないし、テンションも低い。大事に丁寧に、しかしパワーを持った歌い出しにしていくこと。芯のある声、気持ちの入った声を作っていくこと。
○歌えば歌うほど、力が入り、上がってきてしまう。もっとお腹を中心に、腹から声を出していくこと。英語ではあるが、今までレッスンで歌ってきたカンツォーネだと思って、イタリア語のひびきで歌っていくこと。その声のほうが自分の声になっている。
○のどに力が入りすぎる。体の深いポジションから声を出していくこと。力まずに息の流れでつなげていくこと。シンプルにストレートに歌っていくこと。
○丁寧になめらかにつなげていくこと。流れをもっと意識していくこと。母音でできていることが、イタリア語となるとできない。この二つをつなげていくこと。
○シンプルに歌うこと。一流の歌手から学んでいくこと。細かい表現や、ぶつ切れのフレーズではなく、シンプルでなめらかなはず。
○細かいフレーズではなくて、大きなフレーズを作っていく。音の高低差に影響されないで歌っていくこと。そのためにも、大きな、なめらかなフレーズを意識していくこと。
○気持ちが入ってくると、のどを使ってしまう。気持ちとのどを連動させないこと。自分が思っている以上に、のどに力が入っている。もっとリラックスしていい。
○のどはもっともっとリラックスしていくこと。リラックスはするが、体の支えが抜けてしまわないように。のどと体のバランスを見つけていくこと。
○力が抜けてきている。このリラックスさはいい。次の段階として、息の流れの変化や気持ち作り等もやっていきたい。歌に対するモチベーションを上げていくこと。
○イタリア語のひびきが良くなっている。このひびきを体で感じていくこと。また日本語が歌いにくくなってきたようだ。イタリア語のひびきで日本語が扱えるようにしていくこと。
○頑張りすぎないこと。高音も、その部分だけ取り出せば、リラックスして歌える。続けて歌っても、徐々に力んでこないようにしたい。
○息が長く続かないことを気にしなくていい。深いひびきで、ひびきを変えないで歌っていけるようにしていくこと。息はリラックスして、バランスが取れてくれば安定してくる。
○「オ」の母音が声が集まりやすい。この母音のひびきで、イタリア語が歌えるといい。ことばによって、子音によって、ひびきが変わらないようにしていくこと。流れでつなげていくこと。
○息の流れに集中していくこと。のどを使いすぎるので、もっとリラックスすること。いずれ力が抜けてくれば、音程も定まってくる。
○ひびきを統一させていくこと。表面的にはっきり聞こえてくることばではなくて、なめらかな流れの中で、意味のかたまりとして聞こえるようにしていくこと。あいまいでいい。
○耳から入ってくる声と、体がひびいて聞こえてくる声との違いをつかんでいくこと。体からの声を常に感じて、のどをリラックスさせていくこと。ことばもはっきりではなく、いいひびきに集中していくこと。
○丁寧には歌えているが、もっとフレーズとフレーズをつなげていくこと。テンションで、思いでつなげていくこと。歌詞をもっと読み込んで、その中で自分がいかに生きて、いかに感じていくかを考えていくこと。
■Q&A by トレーナーズ
研究所内外の質問とトレーナーの回答です。
これも相手、目的やトレーナーによって、回答が異なることもあります。参考までにしてください。
Q.自宅ではレッスンのような大きな声では練習できません。よい練習法はありますか?
A.メッツァ・ヴォーチェの練習をしましょう。口は奥までしっかりと開け、舌は下唇に力を抜いた状態で軽くのせましょう。その状態のまま、深い息をもって声帯ではっきり『ア』と発音して下さい。この時、呼吸法と同じような息の長さを保ちましょう。呼吸法では長く息が伸ばせるのに、声に出すと短くなってしまうのは、息もれをしていたり、無駄な力が入っていると思ってください。メッツァ・ヴォーチェとは『半分の声で』という意味ですからピアノ、もしくはメゾピアノくらいだと思ってください。しかし、単に音量が小さくなってささやきの声だったり、浮いた声ではいけません。声帯の振動を感じ、支えをもった芯ある安定した声でなければいけません。これを1オクターブこなせれば、いざ声を出したときには立派な声になっています。ただ単に声を大きく出すだけが練習ではありません。量より質の問題です。
Q.曲を作れなくてもプロとして音楽をやっていけるか?
A.曲を作れない歌手は山ほどいます。その前に楽譜を読めない歌手ばかりです。ですから、結論から言えば曲を作れなかろうが、楽譜が読めなかろうが歌手としてプロにはなれるのです。あなたがどうしても自分の曲を、自分の歌詞をみんなに伝えたいと思うのであれば、作詞・作曲をして世に出せばよいのです。いわゆる、シンガーソングライターになればよいのです。今よく見られる、歌手が作曲をしているというのは、あるメロディラインだけです。必ず、そこに編曲者がいるわけで、この人たちがその道のプロなのです。
しかし、もし歌手としてだけでプロを目指すならば、『絶対にあなたではなくてはならない』というレベルまでもっていくことです。そうすれば、あなたが曲を書かなくとも、あなたが歌うべき曲がおのずと舞い込んできます。かの美空ひばりも楽譜は読めませんでした。しかし、耳がとても良かったそうです。私の先生が当時バックコーラスとして参加したときの話を聞きましたが、彼女は一度メロディを聞き、二度目に歌ってみて、三度目に感情を入れる、という段取りを踏んでいたそうです。
歌手として世に出るのか、シンガーソングライターとして世に出るかはあなたが決めることです。どちらが楽な道ということは論外でしょう。
Q.自分の声質がわかりません。
A.声には声種があります。一般的なものとしては、ソプラノ、メゾソプラノ、アルト、テノール、バリトン、バスです。その中で声質というものがあります。女性ですと、ソプラノの中では、リリコ、ドラマティコ、コロラトーラなどいろいろと分かれます。あくまでも、これはクラシック的な分け方ですのですぐに種類を決め付ける必要はありません。しかし、日本人ですとほとんどが軽い声質なのは確かです。
しかし、それでもトレーニングによってある程度変えることはできます。かといって、とても軽い声なのに、重いドラマティコのようになりたいというのは無理ですが、今の声を深くすることはできるのです。
まずは自分の目指している声と自分にあっている声を見極めることが大事です。無理なトレーニングをして、喉を壊してしまったら元も子もありません。トレーナーと相談をしながら決めていくのが良いでしょう。
Q.息は鼻から吸うのですか?口から吸うのですか?
A.両方を使い分けます。
鼻から吸うには時間がかかるため、曲を歌い始めるときや間奏の間など時間があるときに向いています。鼻からゆっくり吸うと沢山の息を吸えるので、歌うための最初の息と考えた方がいいです。それに対し、口から吸う場合は、短時間で吸わないといけません。泳ぐときの息と同じで、充分吸うというよりは随時補充していく形です。ですから、フレーズの合間や発声を続けて行うときなどは、口から吸います。ただし、発声でもゆっくり行ってるときは時間があるので、鼻から吸ってもよいでしょう。その辺は慣れて使い分けていってください。
歌う人もスポーツ選手のように体が機械のようにオートマティックに使えないといけません。そのためには、曲の中で毎回鼻で吸っていたら、体が追いつかないということになりますね。
Q.コンコーネ50の4番の歌い方ポイントを教えてください。
A.コンコーネの特徴は前奏がなくすぐに伴奏とともに歌いだすということです。
しかも4番は3拍子なのでリズムに乗らないと最初から上手く歌えません。しっかりテンポと始めの音を確認してから歌いだしましょう。
3段目の「シ」がナチュラルになってCメジャーに転調している所と、その後ソから高いミに跳躍する所を気をつけてCメジャーの明るいを表現してください。始めは高いミが突っ張った生の声になってしまいがちですからトレーナーの歌い方をよく聞いて感じてのどを詰めないように息を流してレガートに歌ってみましょう。決してミーーと力で叫ばないように、しなやかに歌えるようになるまで繰り返し繰り返し練習してください。付点音符は軽く歌えるようになるまでこれも反復練習です。
Q.呼吸法が身に付いていないとは
A.息を使って呼吸法だけをすると、しっかりと腹式で息の流れをつかめているのに、いざ声を出すとまったく体が使えていない方がいます。これは明らかにのどで声を出している証しです。これでは真の呼吸法が身に付いたとはいえません。腹式の声とのど声ではまったく声質が違いますし、歌っている本人が一番わかると思います。というのは、体の使い方が全然違いますから、声を出している本人が一番分かるはずなのです。
具体的な練習として、寝ながら下腹部を動かす練習をしましょう。それができたら、そのままの状態で同じお腹の動きをしたまま声をアーと出してしましょう。ここで力が入っている方はお腹が硬くなってしまいます。また、お腹が動いていても、声がのど声のため浅い声になっていないかも同時に確認しましょう。呼吸法と発声が別物になっては意味がないのです。呼吸法で行っている体の使い方のまま声を出せるように、ゆっくりでいですから、確実に体で覚えながらトレーニングをすすめていきましょう。
Q.これはド、この音はミとか音の高低を一音、一音はっきりと上がったのか、下がったのかを解釈できるようにするためにはどうしたらいいですか?
A.自分の音の高さを知るには、ピアノに合わせてみる。
録音したのを聞く。
チューナーを買うとよいです。
それで、難しければトレーナーについてください。
Q.呼吸の時はお腹を意識すればいいのでしょうが、歌っている時は声だけに集中すればよいのでしょうか?
A.人前で歌うときには、いろんなケースが想定されますが、一人でのトレーニングでは、声だけに集中する時間をとるのも一つの練習です。
Q.声に体格の差はどれぐらい影響しますか。
A.身長、体重などは声にいろんな影響を与えますが、個人差もあり、一概にいえません。
一般的に、大きい人は、低い声が出しやすいというくらいです。
Q.歌うときに舌根、首、あごなどに力が入ってしまってこもったような声になってしまうのですが力を抜くにはどうしたらよいのでしょうか。
A.一つずつ、力を抜くことを試みてください。
一つずつ、力を入れてみるのも、力を抜くのを覚えるのに効果的です。
本当は、別のところ、目や顔面に意識をもっていくことで抜けるのが望ましいですが、 柔軟体操からのアプローチもあります。
Q.本当に深い息というのは丹田を中心にして使うものでしょうか?私は丹田よりさらに下の部分を意識すればより深い息を使えるのではないかと思い、足の裏を意識して、そこから深い息が湧いて来るような感覚で練習しています。しかし丹田を意識していると比べて、息や声の違いはあまりありません。
A.丹田というのはへそ下三寸といわれていますが、完全に決まった場所ではなく、丹田や丹田呼吸というのがとても不明確になっていて、混乱しているともいえます。あまり、気にしないでください。
Q.曲作りなどで歌が一番よく響くところにおいしいメロディーを持ってくるようにしています。歌っている側はそんなにきつくないのですが高い音など若干、苦しそうに聴こえてしまうというのは発声方法が悪いのでしょうか?それとも音域外ということでしょうか。表現として苦しく聴こえてはまずい部分なのですが…。キーを設定するところでいつも悩みます。
A.苦しそうに聴こえてしまうというのは、のどに力が入ってしまっているんだと思います。まずはのどに力が入らない音域で歌い込んでいくことです。
キーの高い曲も自分のキーに下げて練習していってください。その音域が安定してくれば、その上の高い音もいずれ安定してきます。まずは土台を固めることです。
Q.現在レッスンで低かったポジションを鼻にもってこようとしてますが、 これは鼻声というものですか?お腹から息を流し鼻のあたりに響きを集めるということで間違いないでしょうか?
A.『鼻声』と『鼻くう共鳴』とではまったく違います。鼻くう共鳴は息が流れなくてはいけません。一方、鼻声はのどの奥で息の流れを止める事です。この違いを自分で意識しながらできるようにしたいですね。
Q.フレーズを先に先に心がけて歌おうとすると、歌が軽く聞こえてしまいます。どうすれば、テンポに関係なく、主人公の気持ちをより歌で表現することが出来るようになるのでしょうか?
A.テンポは、しっかり音楽的なトレーニングをしていくこと。まずは体で歌えるようにしていくことです。
その上で役の気持ちを作っていくのです。どちらも大切なことです。日々体を鍛えつつ、歌詞を深く読み込んで役作りをしていくことです。
主人公の気持ちをより歌で表現することができるようになるためには?ということですが、まずは主人公の気持ちを読み取ることが大切です。読み取るためには、もっと歌詞を読み込むこと。そしてその気持ちになることです。なんとなくではなく、リアルにその気持ちになることです。そのためには集中力が必要です。
Q.発声について、腹式を使わずに大声をだしているときは音が手前で留まっている状態なので、自分の耳には響いていてもあまり遠くまでは響かないと教わったのですが、逆に体の奥から声を出して遠くまで響いているときは、自分の耳にはあまり響かないのでしょうか。
A.自分の耳にひびいている時は、のどで頑張っている時です。のどが詰まって、鳴ってしまっているので、耳にもよく聞こえてくるのです。
体の奥から声を出して遠くまで響いているときは、耳に聞こえてくる雑音(のどが詰まっている声)がなくなるため、自分の耳に聞こえてくる声は多少小さくなります。個人差がありますから、あまり声のボリュームを気にしすぎないで、体から声を出すことに集中していきましょう。
Q.低音を意識して声を出すと、のどに負担がかかっているような気がします。どうしたらいいでしょうか?
A.低い声を無理やり作らないことです。声が大きく出ていなくてもいいので、のどはリラックスさせて、息の流れに集中していくことです。それにより体がひびいてきます。
Q.体をひびかせるよう、自分を楽器としてイメージしているが、うまくイメージできません。どうしたらいいでしょうか?
A.なかなかイメージすることは難しいかと思いますが、体の中が広がっていくイメージや、体がひびいているイメージ等、想像しやすいイメージでしゃべっていきましょう。体全体を使っていくのです。また、のどがリラックスできるようになってくると、体が鳴ってきます、ひびいてきます。この状態が体が楽器の状態です。
Q.アニメのオーディションで、審査が歌2曲のデモテープなのですが、何を選ぼうかと迷います。自分が歌いやすいもの(音域や感情が入りやすいもの)で、はっきりと歌の雰囲気が違うものを選ぶのがいいのかと思っています。ほかの考え方があれば知りたいです。
A.それプラス自分の声質にもあった曲が選べるとより良いのではと思います。
Q.売り込むためのボイスサンプル(写真・履歴書つきCD−ROM)を作成するのですが、何を選ぼうか悩みます。
今、自分がやりたいこと・できること・得意とする声やキャラクターを選ぶ他に、何かありますか。
A.発声や言葉のリズムなども 耳に心地よく入っていくように工夫してみるのも良いのではないかと思います。
Q.例えば一つ上の音に移るときは、いきなり次の音に入るというよりは、前の音の最後で音を上げておくようなイメージなのでしょうか。
A.前の音の最後で音を上げるのではなく、次の音を出せるように体のポジションを上げるような感覚です。
Q.休符の感覚がうまくいかないのですが、どうしたらよいでしょうか。
A.まず拍子感を体にしっかり叩き込みましょう。4/4拍子、3/4拍子、2/4拍子、2/2拍子は全て拍感が違います。この拍感を体が覚えることが大事です。この拍感についてはトレーナーにレッスン時に指導してもらった方がよいでしょう。
Q.息を流す感覚がつかみづらく、課題曲の音程を下げても、原曲どおりに歌ってしまうのですが、どうしたらよいでしょうか。
A.息を流すというより息が鼻の空洞を流れていくと思ってはいかがですか?息を優しく吐いてあげる感覚です。音程はちゃんとソルフェージュ能力があってとれていれば問題は起こらないはずです。自分で歌っていて分からずに音程が上下しているのであれば発声からきていると思います。支えがなくふらついてしまったり。太く出し過ぎて音程が低くなったりすることは多々あります。音程が分かっているならよい発声さえすれば音程は狂わないはずです。
Q.肩に力が入っているといわれましたが、時々、上半身がすごく堅くなります。そういう時に、その場でできる何か対処法(トレーニングなど)はありますか。
A.前屈の状態など声をだす、屈伸しながら声をだすなど、運動と声を組み合わせてはいかがでしょうか。
Q.自分の声がガラガラしているように思うのですが、それと息もれの「ハァー」という声とは違うのでしょうか。ガラガラした声をどうしたらやわらかく響くようにできるのでしょうか。そういう声質なのでしょうか。
A.声を出すときに息を吐きすぎていませんか?もしくは大きな声を出しすぎてはいませんか?そうでなければ声帯に何らかの原因がある可能性もあります。一度、声専門の耳鼻咽喉科に行くのも自分を知る良い機会ですよ。声種についても声帯の専門家に見てもらうのも良いと思います。私も以前みてもらい、自分の声や声帯と真っ正面から向き合えた事は大きな収穫でした。私達は声を出す専門家ですが、治す専門家の意見も私は参考になると思います。
Q.声量を無理に上げなくても良いとしても、「マイクに頼りすぎる」という状態になることはないのか心配です。マイクを扱う機会が少ないですが実際にはマイクを通して人に聞いてもらうことが多く、「声量を上げない」ということが、やや飲み込みきれず腑に落ちない点があります。 発声の基礎を学んでいる段階では、声量について気にすることはない、ということでしょうか。
A.基礎をやる段階としてフォルテ(強く)で練習する事は間違いではありません。しかしここで間違えてはいけないのが、どなった声はフォルテではないという事です。一番後ろの席まで豊かに響いてくるのがフォルテです。しかし力まかせにどなっている声は、自分では精一杯大きな声で歌っていても側鳴りしていて、自分には大きく聞こえても、近くの人にしか聞こえず、後ろのお客様には聞こえないのです。その上、声帯にも負担が大きく、「百害あって一利無し」です。豊かなフォルテの声と側鳴りのどなった声は全く違うのです。
Q.ジラーレの発声についてできればもう少し具体的にどういう発声なのか知りたいと思いました。
A.ジラーレに関しては説明がしにくく、また誤解を生むのでここでは避けたいと思います。ただ、『ベルカント』などクラシックの発声に関する本にしっかりと書かれていますので、参考程度に目を通すのもよいかと思います。そのほかにも、日本発声学会や外国の本を対訳して販売されているものもありますが、いかんせん専門用語が多いので難しいかもしれません。しかし、今すぐ理解しなくとも、何ごとにも興味を持って知ろうとすることは大事だと思います。
<参考文献>
1.「うたうこと 発声器官の肉体的特質」
フレデリック・フースラー/イヴォンヌ・マーリング著
2.「歌声の科学」 ヨハン・スンドベリ著
3.「カルーソー 発声の秘密-合理的なヴォイストレーニング」
マラフィオッティ著
Q.レッスンでもよく注意されるのですが、スケール練習をしている際に音が流れてしまいます。流れないコツはありますか?以前、低音を中心に鍛えていたときに声帯で一音一音とると教わったのですが、ジラーレなどの高音でハミング練習する時は声帯を使っていないので鼻で音をとるといいのですか?さらにハミングから声に結びついた時は声帯でとるのですか?
A.スケール練習で音が流れないようにするコツはスタッカートをお腹で切ることです。スタッカートは低音・中音・高音すべて同じ要領で行いましょう。その上で声帯を意識するか、鼻くう共鳴を意識するかなど共鳴部位に入ります。低音は胸部、中音は頭部の中でも声帯、高音は頭部の中でも鼻くうを意識してください。ハミングから声にする時は声帯は意識しません。
ハミングの時にすでに声帯は振動しているので、声にするからといってさらに声帯に負担をかけると声が重くなってしまいます。音域によって共鳴部位を変えるので声区の分裂が生じます。ですので音域の広いスケール練習などでは声区の融合をしなければなりません。
Q.地唄を唄う女の人は、低い声を出すためにわざとのどを傷つける人もいたらしいですが、そうしないと男性のような低い声はなかなかでないんでしょうか。たしかに、男性の低くて渋い声の方が魅力的に聞こえる場合が多い気がします。
A.低い声は、とても魅力的だと思います。しかし、低い声を出すのは、高音より難しいのです。やっていくうちに、音域は広がっていきますので、無理にのどを壊すようなことをする必要はないと思います。
Q.自分で出した音と、実際の音にくいちがいがあります。
これは「胸に押し付けて暗くこもっているからだ」という指摘を受けたのですが、正しい発声で歌えば、この差はおのずとうまるのでしょうか。
A.後ろ斜め上を目指して歌うと、発声もよくなり、音程もよくなります。
Q.「出にくい所で声を出すのを急ぐより、出せる声をもっと確実に…」とありますが、呼吸練習とコンコーネをどう練習したらよいでしょうか?
張らないで息を混ぜて歌う曲をいただきました。 いつも自分は、テンポの速い曲が好きなこと。 時々テンポが速めになること。声は出るのに時々細く聞こえること。これら全て息が足りなかったのが原因だと本当に分かりました。
A.新しい発見と悩みは上達している時に必ずと言ってよいほどくっついてきます。息が足りないというのは、歌いだす時にゆっくりお腹で呼吸してから発声していますか?仰向けになって寝ているときに自然と楽に息が入ってきている思います。この感覚を立っている時にも実感してください。そして軽く口をあけて「ウ」と「オ」の真ん中辺りの声で1音ロングトーンの練習をしてみましょう。のどには力が入らないはずです。
半音ずつ音を上げていって喉に掛かりそうになった場所を確認して、そこを重点的にクリアして行きます。
Q.体調が悪い時でも、レッスンに参加した方がよいのか。
A.人それぞれの色々な考え方があるが、結論から言えば、声が出なくとも、質問等には答えられるし、できることはあるので、できれば参加した方がよいでしょう。たとえプロでなくとも、イベント等に参加するということは、歌を聞いてくれる方々がいらっしゃるということなので、どんな状況でも、最低限のパフォーマンスをしなければなりません。そう考えれば、少しくらい体調が悪いなんていうのは理由にならないと思います。
■VOICE OF LESSON by メンバーズ
研究生、通信生などのレッスンに関するレポート選です。
<福島英のレッスン>
○・洋の日本人カバー(昔の人)何曲か聴く
・センセトーク
♪「南国の夜」やる
♪「ヘイ・ポーラ」やる
♪「夜は恋人」やる
○「EMOZIONI 高橋良吉」
確かに、ちょい歌いにくい曲だったです。
原曲のカンツォーネってどんなのなのかしら大変興味深い。
変わった展開の曲だという事ですが、尾崎豊みたいだなと思った。
この日本人のを聴くかぎり、すっごい「オザキ」だ。
80年代の音ってこんなん多かったかも…(いつの曲か知りませんが)だから馴染めない構成じゃかった。もちろん得意なわけじゃないですけど。凄いいろんな意味で不思議な曲。
○「六月の歌 カルメンマキ」
もっとこんな風に素っと歌わないかんなと感じます。
この人を聴いてると、いつもそんな風に感じる。
あの所謂えらく張り上げてる所は「疲れるイメージ」だったので出来なかったんですけど、それは「喉が疲れてくイメージ」だったのだな。
きっと違う。身体が疲れるイメージを持たないとあそこは出来ないな。できそうな感じが生まれたら試してみようと思って狙っている感じの種があるんですけど、まだできません。 (NI)
○自分を外からみるということが、できるようになっていく気がする。 縦の空間を作り出すということ。(TU)
○今日は英語曲。最初の聞き込む段階にて歌詞を書き留める。そんなになじみのない単語は使われていなかったのに所どころしか書き留められなかったのは問題だ。先生が復唱されていたのすら早く感じて書き留められなかった。耳を鍛えてるつもりなのにこれくらい聞けなければならない。
今日は女性の歌い手と男性の歌い手の音源を聞き比べてからのフレーズまわし。女性の方はアップテンポ、男性の方はスローテンポのアレンジだった。まず女性の方の音源を流してからのフレーズ回しであったのだが、出だしの部分は自分のキー設定に変えて出せたのだが、次のフレーズから部分的にきりだしてのフレーズ回しになると、音源の頭に残っている残響音と、自分のキーに変えたフレーズがまざった感じがして目茶苦茶なものを出してしまった。音楽をとらえて自分なりのものをどう切り出すかというテーマの中で、まだこのレベルで右往左往している。二回目、三回目とやっていく中で徐々に修正はしていったつもりだが、自分の作品としてのフレーズを出したいのに、何をしているんだという自分の力の無さに対する怒りのようなものがあった。
次に男性の音源を流した後でのフレーズ回し。スローテンポという事でフレーズを伸ばす箇所があり、曲が大きく感じられた。そして呼吸の流れも見やすかったように思う。覚える段階でも音源と共に歌ったのだが、比較的自分の体に合っているように感じた。そしてフレーズ回し。3回続けて回したのだが、最初は覚えたまま出した感じだ。2回目、3回目には自分を出すように意識したつもりだったが、音源の歌い手の強弱部分にとらわれすぎて、その呼吸レベルでの強弱をそのまま目に見えた目立ちすぎた形で出してしまった。以前に比べてだいぶ、リラックスした状態で息の支えと共にフレーズを大きくとれた実感があった点だ。しかし声そのものを聞かす事が目的ではない。「奏でる」事が目的であり、自分の作品として創りあげる事が目的だ。あと、今日の音源は英語だったので、子音からつぎの3つくらいの単語まで巻き込む感覚は大切にしたい。
例えば、let me see の部分では確実に一括りで捉らえなければならない。講演会の時にやって頂いた「冷たい」を思いだした。同じ感覚だと思う。普段日本語で歌う事がほとんどなので、このような感覚が日本語の中でも自然に行われるよう、耳と感覚を鍛えなければならない。はっきり言って、問題が山積みである。できもしない事をやろうとするから問題が生じるという部分もあり、今の器のできる範囲を最大限使う事だが、もっと根本の音楽的な問題が山積みなのだ。基準ができてくるという事は成長だとは思うが=「残酷でもある」と痛感している。しかも今のまだまだ未熟な基準でそう感じる。でも「出来ない」と実感できている事は前進への一歩だと信じて邁進するのみだ!(YK)
〇「バラ色の人生」
グラシェラ・スサーナを聴いた辺りから、引込まれるような一流の歌手のフレーズには、自分が思っていたよりも遥かに大胆な強弱、硬軟の変化があることが分かってきた。そしてそれを感じていなかったことが表すように、自分の歌はノッペリと単調なものだった。また、誰かに似てはならないという意識が、音楽性や自分の良さを消してしまっているのではないかとも感じていた。
そのため今回は、音量を出来る限り抑え、今までの自分ならやり過ぎと感じるぐらいに強弱、硬軟をつけ、歌ってみることにした。ピアフとサッチモを聴いて、聴いたまま継ぎ合わせて出しただけなので、作品としてのオリジナリティーは無いが、細かい所に、今まで表れなかった自分の良いところを見つけることが出来た。
普段課題曲を歌う時に比べ、さらにフレージングにクリエイティビティーが無いと気付いた。自作曲ということで、作った時点で創作作業が終わってしまっている。今後は、作詞、作曲から、フレージングをイメージ、練習して練り上げていくところまでを曲作りと考えてライブに望まなければいけないと思った。
○ナット・キング・コール「L-O-V-E」「Lover Come Back To Me」
“脱力したうえで繊細に声を扱う”ことが一つの課題であり、自分の知っている一流男性歌手の中で、それを最も分かりやすく行っていると感じたのがナット・キング・コールであったため、今回は2曲をコピーして歌ってみた。コピーしようとする過程も含め、以下のことを学ぶことができた。
・反復するメロディーを繰り返しているように見えて、実は少しずつ変化させていっている
・曲のテンポの2倍以上、もしくはそれ以上の細かいテンポが体に入っていなれば、同じようなグルーブがでない。そもそも、そのようなずらし方をするイメージが持てない
・Lovers Come 〜のサビのたたみ掛ける部分で、感覚がそのスピードに追いつけておらず、バタついてしまう。もっと早いものをトレーニングに入れることで、感覚を変える必要がある
・トレーニングとは言え、最終目的は自分の体に沿った歌であるため、そのまま真似て一応成り立っている部分と、声がNat〜でなければ成り立たない部分の見極めが必要。(HR)
<トレーナーのレッスン>
○・声優入門42ページの「50音口慣らしのトレーニング」
サ行とラ行
「ラ行のLの発音は舌を上あごにあてるので、このときにどうしてもペチャッとなりがち。これを直すために口を少し大きめに開けて発音するように」と指摘されました。
これに注意して発音しても、まだどうしてもペチャッという音が出ているような気がしました。
しばらく気を付けてトレーニングをしないといけなさそうです。
また、口のまわりが固いそうです。筋肉をリラックスさせること。
「ラ行は、舌を動かすので間延びしやすい音。このため、速く発音しようとすると子音しか聞こえなくなることがあるので注意。子音よりも母音をはっきりと音を出してやることが大切。」とのことでした。
・P.153 実況、司会、アナウンスのトレーニング(大相撲春場所千秋楽)
「一文を読むときに、だんだん下降していくクセがある。最低でも一定のポジションを保つ。できれば抑揚をつける。そのほうが聞くほうも聞きやすい。」とのことでした。
・最後に「家で朗読などのトレーニングをするときも、母音をはっきりとしゃべること、抑揚をつけること、に気を付けて行ったほうが良いでしょう」とアドバイスをいただきました。
○毎回レッスンしている、「声帯をきちんと使って声を出す」
・50音から。
まだ子音が強く出てしまうところがあるようでした。
特に、「さしすせそ」と「たちつてと」は母音がかなり弱く、子音ばかりが聞こえてしまうようです。ただ、今回はそれがどういうことなのかをハッキリと身体で感じることができました。
前回までは先生に「今の音は良いです」と言われても理解が浅かったので、今回は2,3歩前進できた感じです。
しかし、子音の発声部分で、口の力を抜くようにするとが母音のほうが立つようなのですが、このやり方で本当に良いのか不安です。良いとしても、まだ相当意識して頑張らないと出来ません。
・P.41 50音口慣らしのトレーニング「ハサハシハスハセハソ」
このようにハ行とサ行など違う行が混ざると、どちらかの行に意識を向けていると、もう片方の行の子音が強くなってしまいます。
そのことにより、このページのトレーニングの狙いが分かった気がしました。
・フやプの音が綺麗なので、この音を自分でOKとする基準にして良いとのことでした。
・「母音の無声化」と「無声音」の違いを理解していなかったため、教えていただきました。
・先生の声と自分の声の響き方があきらかに違うので質問しました。
「それはまだ共鳴が弱いから。オーディオ機材に例えると、声帯が電源、息の量が電流で音量の調節をしている。スピーカーの役目が共鳴。現在はまだきちんとスピーカーは使っていないような状態。そのレッスンは後々します。」との説明は大変納得できました。(NR)
○今日は普段このレッスンでしている、あくびの状態からミックス、地声、エッジまでの一本のラインをいかに違和感なく音楽的に奏でられるかというのを自分のテーマにし、この曲を選曲した。低音から中音、高音、ファルセットまですべて入っている曲である。(キーをどこに設定するかで変わってくるが)最初の歌唱ではまとめようという意識が強すぎて息の支え、量が定まらずにふらついた感覚があった。ヘッドボイスからファルセットへの切り替えも意図的にファルセットを使った感じになり、目指した自然な切り替えではなくその箇所だけ浮き上がり、目立ちすぎたものになった。低音部分も重々しく声を内にひっぱりこみすぎた感じになってしまった。そこで先生のアドバイスで、「MAN」でフレーズをつなげる。これをする事によってまず、内に重々しく閉じている部分が解消されたように思う。「MAN」の「A」の部分で喉の奥から鼻くうが開かれて、「N」の部分で横隔膜から背骨、首の後、鼻くうまで一本に繋がり、「前に飛ぶ低音」の状態がつくれたように感じた。今まで低音になると、ポジションは深くとれて良いのだが、いかんせん自分の体の中だけで鳴っているような状態になる事が多かった。トレーニングの初期段階に徹底的に「深く、深く」を意識していたからだと思うがここ一年くらいから響きの習得に入った事により、(先生に時期として設定してもらったのではなく、声を押しまくる段階から力みが取れはじめて、声が勝手に響くようになってきた。深さを求め、芯のある声を求め、体づくりをとことん徹底してきた成果だ。結果としてタフさに加え、柔らかさも身についてきた感覚。初期から安易に響き、柔らかさを求めて小手先に走らなくてよかったと本当に思う。)ポジションは深くつかめていても前に飛ばせるようになってきたのだと実感している。次に「MAN」でやっていたのを「MA〜 」と母音をのばして。ポイントは「MAN」の時の良い感覚を残したままそれをする事。そして元の歌詞へ戻す。感覚としては「スマートになったな」という感じ。悪い意味で痩せたという意味ではなく、重々しくフレーズをずりあげたり、ポジションが不自然に変わりすぎたり等のバタバタしていたのが無くなり、「深さは保ったままなのにいらぬ部分が消えて質感が上がった感じ」だ。このポジションだと意識的に歪ませたり、表現として体をつけまくってシャウトしたり、しなるような感じを意識したり、思いきり弱めたり、応用が効くだろう。引き続きトレーニング初期から続けている器作りと次の段階である響きの習得と同時進行でやっていこう。そして声だけではどうにもならない、フレージング、構成力、表現力を突き詰めて行く事!そしてこれらやっている事は「手段」であり、「目的」ではないという事。何故こういう事をしているのか?という『目的である自己表現』を毎日のように問うて、自分と対峙していきたいと思う。まだこの段階なので、第三者、世の中が求めるものに応えるという段階は遠いのかもしれないがなにはともあれ行動あるのみだ!
(YK)
○今回のレッスンでは文章を読む前に済ませることについて教わりました。読む文章を渡されたらまず文章を黙読してどこで文を切ったらいいのか、どの程度、間をおいたほうがよいのか、強調すべきところはどこなのかを決めます。そしたらそれを声に出さずに息だけで何回か読んでから、ようやく声にだして読んでいく。今回習った事を、普段の日常生活などで目にし読む文でも実行し、もうそうする事が当たり前だというレベルまでもって行きたいです。(MK)
○息の流れをきらない練習。物理的なことはもちろん、これまでに言われてきた次をみて歌うということの結果なのではないか。(TU)
○うまくはまっていない
息はたくさん流れてはいるが、上手く声になっていないと言うことだ。息を出そうとしすぎて言葉がぼやけてしまっている。
息を鋭くといつも言われるが、そのたびにただ息の量を増やしてしまって、ロスがとても多くなっていた。
量が少なくても鋭くは出せる。分散させずに細くまとめる。出だしの言葉は特にぼやけさせないように気をつける。
上手くいってないときは息をたくさん吐いているのにそんなにヴォリュームも上がらないしむだに疲れるし声に動きもない。
力を抜いてなんとなく出している方が多分きちんとはまっていてしっかり出ている。
息は結構流れているようだから、あまり頑張らずに言葉を一言でストレートに言う感じで歌ってみる。一文字一文字をはっきり息を流そうとしても流れていかないから、一言ずつでやっていく。
息が漏れてしまっているときと、ぴったりはまっているときの違いを感じられるようにする。(KA)
〇「さくら(森山直太郎)」
・録音したものを聴いてみると、その時自分が思っていたよりも音には感情が出ていない。
・1回目よりも2回目に歌った時の方が集中力が高まっているのが分かる。
・集中力が高まって気持ちが入ることで、声に強さが出て説得力が出てくる。
〇「ヨイトマケの唄」
自分のライブで歌うことになっており、その前日ということと、誤魔化してはいけない曲という思いもあり、今まで最も自分を捨てて歌えたと思う。フレージングの工夫、繊細なコントロールなどは全く意識できていないが、歌の世界に入って歌うという課題においては一歩前進できたと思う。他の曲でも今回のようなテンションで歌うことが出来ればと思う。その為には、自分の人生経験だけでなく、人の話、映画、小説などから様々な経験を、より深く疑似体験し、歌の世界に入るための引出しを増やす必要があるように思う。
〇「雨に唄えば」
音量を限界まで下げて、鼻歌のような意識で歌う事を繰り返した。少しずつ分かってきたのは、音量を下げると歌っている本人は歌っている気がせず、歌としても成り立っているのか不安になったりもするが、客観的なクオリティーは音量に左右されることは殆んどないということと、“大きな声を出す快感”を失うことで冷静さを得ることができ、歌の世界に集中し続けることができるということ。
〇「バラ色の人生」「I JUST CALLED TO SAY I LOVE YOU」
しばらくの間、音声面の課題は「音量を抑え、出来る限り声を使わずに表現する」ということでやってきたが、それが歌の課題となる意味や必要性が少しずつ分かってきたように思う。一流の歌と自分の歌とのギャップの1つがそこにあるということが、実感として分かってきた。音符に添って声を出しているだけの世界から、フレーズ、作品を創りあげていく世界に入らなければいけない。今はその入り口に来たのではないかと思う。
〇「さよなら(小田和正)」「サン・トワ・マミー」
準備不足だったため、キーの設定間違いや、歌詞の読み込みの甘さが出てしまった。もう少し自分で練り上げてこなければ、細かいところに気付いていけないと感じた。またその反面、今までより、歌うモードへの切り替えがすぐ出来たように思う。次回は歌詞の世界をもっと自分の中に入れて、何も考えなくてもシーンの切り替わりが歌に表れる状態にしたい。
歌で気持ちを伝えるためには、言葉の一つ一つに感情を込めたり、リアリティーを持たせたりするだけではなく、そこに音楽的な力が伴っていることが基本だということに、改めて気付くことが出来た。しばらく感情を込めるということを最優先して歌ってきたこともあり、歌詞の内容や背景にしか注意が向いてなかったが、それらは歌の重要な要素の一つに過ぎない。そして、一流の歌の優れた部分をより多く深く吸収することの重要性を、より実感できた。
〇「カルーゾー(日本語)」
以前歌った時はイメージを持つことができず、とりあえず全てのフレーズを強く歌ってしまったような形だったが、今回はララ・ファビアンのバージョンを何度も聴いて、柔らかく歌うことを心掛けて歌った。サビは多少自然になったが、サビ前の語りに近い部分は音楽的にするのが難しい。言葉を全く立てずにやってみたり、色々なパターンを試す必要がある。
あまり声を強く使わず、柔らかく歌って曲を成り立たせることを目標とした。以前より大分柔らかく歌えるようになったが、音楽的な躍動感に欠ける。柔らかく繊細に歌い、きちんと収める“コントロール力”と、そこからはみ出す“表現力”を付けなければならない。“コントロール力”に関しては、現時点ではもっと量を歌うことが必要と思われる。“表現力”に関しては、ギリギリまで歌の世界の感情に入ることに加え、一流の歌のどこがはみ出しているのかを感じられるようになるのが第一歩目では無いだろうか。
〇「百万本のバラ」
各フレーズに、もっと躍動感を持たせたい。キーを低めに設定していることも、原因の一つだが、各フレーズの物語の中での役割、音楽としての役割をそれぞれもっと煮詰めなければならない。
〇“Your Eyes Only(Exile)”“百万本のバラ”
しばらく古い日本の名曲ばかり選んで歌っていたので、今回は逆にExileの曲を使って、詞の内容、音楽性ともに軽さを重視してやってみた。サビはキーが高いので少し苦しくなるが、それまでの部分は息が流れていて声に力みが無い。今までレッスンで歌った状態のなかでは良い意味で最も鼻歌に近かった様に思う。次の課題としては、力を抜いたままで、リズム、感情を込められるかどうか。
力は抜けているが、フレーズの輪郭がぼやけていて、リズムの躍動感に欠ける。体の中にリズムをしっかり刻みながら、自然と歌にそれが表れることを目指したい。
〇“瞳を閉じて(平井堅)”
サビのキーが高いので全体的に下げてやってみると、テンションまでつられて下がってしまい、気持ちをのせるの難しかった。どのキーで歌っても気持ちが出るよう、詞の世界を充分すぎるぐらい描いておかなければいけない。
ライブの直前ということもあり、気持ちも入っていて、テンションも高くなっているが、サビのキーの高い部分などは、フレーズが雑になってしまっている。普段のレッスンも最低、今回ぐらいのテンションで望まなければいけないと感じた。また、感情、テンションの課題が少しずつだが出来るようになってきて、今度はコントロールの課題が大きくなってきたように思う。
キーを下げても音域の幅があるので、低いところも高いところもそれぞれギリギリ歌える程度になる。しかし逆に、低いところはテンションが落ちやすく、高いところは雑になるという課題が分かりやすい。高いところも低いところもテンションを高く保って繊細に扱えればと思う。
歌としては全体的にまとまってきているが、サビのテンションがフレーズ毎に切れてしまっていた。意識して歌うとある程度つながるので、技術というよりも習慣の問題。普段歌う時からテンションを高く保つことを心掛る。
〇「夜空ノムコウ」
力を抜いてリズムを感じながら歌ったつもりだったが、録音したものを改めて聴くと、まだまだ歌いすぎて重たい。また、音楽面に意識を取られすぎて、詞の世界が表れていない。人前で歌うと、それなりにまとめなければいけないという意識が働くことで、歌いすぎてしまっている部分もあるように思う。
しかし、“イメージを強く持ちながらも力を抜く”という意識で歌っていると、できている瞬間的もあったので、目指すべき感覚を実感することが出来た。
リズム感を失わないことが課題で、力を抜いて歌ったつもりだったが、録音したものを改めて聴くと、まだまだ歌いすぎて重い部分が残る。それなりにまとめなければいけないという意識が働いて、練習した時よりも歌いすぎていたように思う。また、音楽面に意識を取られすぎて、詞の世界が薄れていた。
○「抱きしめたい(Mr.Children)」
低い音程で繊細に静かに歌うパートをチェックしたが、フレーズの終わり際が拡がってしまい、まとまらない。ウ行で終わるフレーズは比較的終わりがまとまっているので、それ以外のフレーズもウ行の時の感覚で練習する必要がある。また、繊細に扱おうとして力が入ってしまう時もあったので、あくまで脱力した上で集中力を高め、繊細に扱うことを練習する必要がある。
○ナット・キング・コール「L‐O‐V‐E」
声そのものを真似ないように気を付けつつも、フレーズの描き方をコピーして歌ってみた。コピーする為にオリジナルを繰り返し聴き、自分の歌と聴き比べる作業は、色々と学ぶことが多かった。一つは、脱力することの大切さ。ナット・キング・コールの柔らかい響き、フレージングは力んでいては出ない。もう一つは、自分の歌をより音楽的なものにする為には、強いところを更に強く出すのではなく、弱いところを更に弱くすることの方が効果的だということ。ナット・キング・コールの歌の中には、よく響いていて大きなボリュームに聴こえる部分もあるが、恐らくその殆んどは、無駄なく体を使えているから大きく聴こえるのであって、強く出しているわけではないように感じる。それを表面的に真似しようとすると、強く出そう、響かそうとしてしまい、結局全体が一本調子になってしまう。そのため、本物よりボリュームが下がってしまうとしても、同じような力の使い方で歌わなければいけない。
前回と同じく、フレーズの描き方をコピーして歌ってみた。各フレーズの描き方、力の抜け加減などはそこそこできているが、短いフレーズが続く時などの、テンションのキープができていない。もっと細かく深い部分を聴いていかなければいかない。
〇尾崎豊「僕が僕であるために」
サビのメロディーの起伏が激しい上に、歌詞の読み込み不足で、メロディーをなぞることに意識を取られすぎてしまった。メロディーに意識を取られがちな曲ほど、気持ちの面をしっかり作っておかなければ、カラオケになってしまう。(HR)
○マイケルジャクソンの「バッド」
この曲は古い曲ではありますが、テレビなどで今だに使われている曲で、以前から歌うことに興味があった曲でありました。実際に個人練習の段階で歌ってみると、私が想像つかない発音で歌っていたり、思った以上にキーが高く、かなり難しかったですが、自分なりに練習したので指導していただきました。まずコーチからは英語の発音に集中すると曲に流れが出ないので逆に英語に聞こえないと指摘されました。逆におもいきってぼやかし気味にアバウトに歌ってみると流れは出るが、人に聞かせられるようなものではなくなってしまいました。その辺りのバランスが難しかったです。流れがありつつ、しっかりとした(私の場合、自然なと表現した方が良いかもしれません。)発音で歌えるようになることが非常に難しいということを実感したと同時に改めて課題も見えましたので良かったです。
○XJAPANの「Forever Love」
この曲は前回も指導していただきましたが、まだ一つ一つの単語をしっかりと発音しすぎている感がありました。キーが高い曲ではありますが歌う時に常にリラックスする事の必要性、そのリラックスが流れを生む要因になるという事を指導していただきました。(SH)
○「リコルダ」
前回は、メロディに日本語を載せるのに精一杯だったけれど、今回は歌詞が身体に入っている感覚があった。
”表現”するためのスタートにやっと立てた感じ。でも、まだ自分の心の中に掘り下げられてはいない。
もっともっと掘り下げて、体の奥深くから気持も声も出せるようにならないと。
○「喝采」
難曲だとは以前から思っていたことだけれど、やはり難しい曲だ。声を破綻なく出すことはもう大前提。そんなことではなくて、この曲の課題は、歌の大目的である”表現”について考えることだ。
たとえば、
・歌詞のひとつひとつの言葉の意味を考えること
(1つのシーンを描くのにこの言葉を使うのはどうしてだろう、この1つの言葉にこめられた意味はなんだろう、ということ)
・メロディと歌詞の関係を考えること
(作詞・作曲の順序はわからないけれど、この曲を表現するポイントとなるフレーズ、このことばに対するこのメロディライン”というのがあるらしいこと)
・歌詞の場面を自分の中で想像すること
(歌詞に出てくる人は、どんな場所でどんなものを見て、何を思った(ている)のだろう、ということ)
短くて、難しい言葉や気持ちを表す抽象的な言葉もない。
それなのに限りなく深い曲だと思う。試行錯誤しながらつかんでいきたい。
「表現する」ということに意識が向き始めたとたん、歌が格段に面白いものだと思えるようになってきた。歌は面白いし、これが正解というものもない、いくらやっても終わりのない世界なんだ、というのをあらためて認識した。何らかの感情やイメージが人に伝わった、という事象だけがある意味正解なんだろう。
自分が思い描いたように表現するためには、あまりにもたくさんの準備が必要だ。息・身体、いろいろな経験・・・・・。
いや、何よりも前に、何を伝えたいんだろうという自分の気持。自分の準備はまだまだ不完全すぎて課題は山盛り。一足飛びにはいかないから日々精進するしかない。(AD)
○呼吸で流れを止めない
最初の発声練習はポジションがいちいち変わっている気がした。
まっすぐただ息を出すイメージでやる。これはやろうとすればするほど駄目になるから、もう少し抜いた方がいいかもしれない。
発声が直線的なのは身体全体をやわらかく使えていないのと、テンションが低いのがある。
ボリュームを上下しようとするとどんどんボリュームだけ上がっていく。そして喉にくる。気持ちが高ぶって結果的にボリュームが上がる。その辺のイメージ作り、準備が圧倒的に足りない。また、呼吸にも問題がある。いつも歌が進んでいかない、流れていかないと指摘されるが、それはフレーズ間の息継ぎに原因があるようだ。呼吸するときにいつも一息ついてしまっていて、テンションがリセットされている。
また、吸うことを意識しすぎていて不自然な流れになる。「ここでブレスする」ということを意識せずに、吐ききって、息が足りなくなったらブレスするというくらいで練習してみる。それで勝手に息が入ってくる感覚をつかみ、普段から出来るようにする。
○うわずっているとき
調子は悪くなかった。身体を使ってしっかり発声しようと言う変な気負いもなかった。だから下から上のレまで、かなり同じ感覚で出せていたのではないかと思う。しかしそういう時は、割とシャープしてしまうことがあるようだ。
支えを意識しないべきではあると思うが、そのせいで少しふわっといってしまう。
その辺はもう爪先立ちの練習とかで身体そのものに覚えこませて、ここでは少し気をつける程度にしておく。意識しすぎない。
また、次のフレーズを意識しながら、今までに比べれば流れがあったのではないかと感じた。
今まで母音のみでやっていたが、今日は音階でやった。
こっちの方がアクセントを付けやすかったり息をしっかり流せたり、固めずに済んだ気がする。
全て初見で、音階を間違えないように歌えるように練習する。(KA)
○毎日発声を練習していて少しずつ感じが掴めてきたと思っていたが、このところまた分からなくなってくる。
とりあえず今自分で思うように発声を修正して、どうにもならない部分はレッスンで指摘してもらうつもりでやってくる。
しかしレッスンに入ってなかなか自分で自信を持って発声が出来ない。あまり何も考えずにレッスンに入ってしまう。
身体に力が入らないように身体を動かしながら練習しているが、動かすことに力が入って逆効果になることもある。結局どうしようか決めきれないまま中途半端に身体を動かしながら声を出す。このなんとなく身体が動いたまま発声をしてる状態がいちばんいけないと思った。
胸や首に力が入っていると言われる。なるべく上半身を広く空けるつもりでハミングするが、息が浅くなっているらしい。以前やったように身体の深くから息だけをハミングのつもりで吐く。
上下の歯に自然に息が当たる感じで吐けばよいのだが、私がやると口先で押し出すような感じで吐いている。
あまり「深くから」と考えると下手に力を入れて浅く息を取り込んでいる。自然にしていても息は身体にたまっているからそれを軽く出すつもりで吐く。どうしても無駄に力を入れて吐きがち。
軽くハミングする感じをイメ−ジしてそれに足るだけの息を吐くこと。私の考えていたハミングも息はきもちょっと出し過ぎだったようだ。
まず本当に短く自然に息を出してみる。そのくらいの力加減で息の始発点を足の下だとだけ考えてハミングする。息を吐くことに無駄な力は入れずに、無理のない音量・長さで行う。
これくらいの力加減で発声、息吐きすること。
それを考慮してコンコ−ネを行う。全体的に息が浅い。歌っているうちにどんどん浅く苦しくなっていく。
「歌わなきゃ!」と焦りすぎていて、ブレスでも身体が緊張したまま上手く息が入っていない。前のめりなのは良いけど、ブレスの部分では身体を緩めて息を深く取り込めるようにすること。
あまり「吸おう!」と考えすぎない方がよい。ブレスの度に身体をリラックスすることを意識して歌う。すこし大らかに歌えたようだ。
全体的に「吸おう!」「吐こう!」「歌おう!」と思いすぎて力が入って息が浅くなっている。もっと楽に自然な身体の動きを大切に。
○このところ発声していても上手く息が流れないように感じたり、コンコ−ネももっと力抜いて歌えたら良いと思っていた。
響きを意識したり、身体を動かしたり、色々試してみたけれど、どうも根本的に私は出しすぎのようだ。下手にやりすぎて喉壊す前に気づけて良かった。ここから修正していきたい。今日言われたことは振り返ってみればVでも言われていることだから常に意識して直したい。
まず息が上手く吐けていない。前々からあまり考えすぎるせいか自然に吐くと言うことがなかなか出来ない。
元々あまり肺活量もお腹の力もないから、始めからしっかり吐こうとせず、あせらず少しずつ吐く(息を出す)所からちゃんとやった方が良いように感じた。
吸うのも「もっとお腹に取り込んで」といわれた。自分ではお腹に入れてるつもりで胸に取り込んでしまっているようだからこちらも少しずつやっていきたい。
そしてハミングもやっぱりあまり良く分かっていなかったようだ。イヤホンで音を聞きながらドンドンやってしまっていたから音量を出そうとしてしまっていたのもあるだろう。
当分普段の練習の始めに、焦らず少しずつ発声をやっていこうかと思う。いつも練習の声ならしにと思って発声をやると、ついついドンドン声を出してしまっていたから少しの間、発声は慎重に少しずつ行って、慣れてきたらまたそれをさらに磨いて行こうかと思う。
それはそれで別にやって、少しずついつもやっている発声や息吐きに取り入れていくんでも良いと思うけど。
どちらにしろ基礎の練習の見直しが必要。また今日やったことを参考に自分でも息や発声についてもっと勉強したい。
歌っていてよく「先を見て」と言われるけれど、それとは違う意味でいつも焦っているなと感じていた。
曲の流れを大きく捉えられるように意識してざっくりと前を見て歌ってみる。あまり顔などに力を入れないようにする。
まだ吸っている感じがしたけど、大分楽そうだったようだ。そんなに高くない音は歌おうとしなくても、自然に声が出た気がした。
コンコ−ネも歌い方など試行錯誤しつつも、根本的にゆっくり身体の使い方をかんがえてみる必要がありそう。(AS)
○高い音に近づくにつれて喉や下顎に力が入ってしまい、クリアな発声ができなくなるため、目や眉など、顔の上の部分からも声をだすイメージを持てるように意識していきたいと思いました。どうしても一音一音正しい音程を出さなくちゃと考える傾向にあり、低い音をしっかり出してしまうので、高い音を出すのにパワー不足になりがちでした。あまり考えすぎず、リラックスして発声できるようになりたいです。(TY)
○コンコーネ14番(中声用)
シンコペーションの表現(とっかかり)が甘い、というリズム部分の指摘を受けたことで、確かに音程にばかり気をとられていたかもしれないと気づいた。
発声のときに、音がド、ド#あたりになると切り替え部分になるが、なめらかにいかないことが多い。
「ここから高くなるぞ」という意識が働いてしまってのどに力が入るような、声が出にくいような気がする。
力を抜くために、手の動作を入れてみたり、他のところに意識をもっていくとスムーズに行く。そのスムーズに行く感じを何度も練習してつかんで、何もしなくてもできるようにならないと…。(AD)
○驚きが足りない
今日は身体をやわらかく使う事を意識した。
支えようとせず、自然に声が出て行くように心がけた。
しかしそうすると声帯で捕まえられない事がありただ抜けるだけになるときもある。
それを指摘されてしっかり鳴らそうとすると今度は押してしまう。
「アメージンググレイス」では、出だしのドが押してしまうと指摘された。出せてしまう中途半端な音域なので一番気をつける。しっかりジラーレに入れて出す。
曲の起承転結をしっかり理解して頭に入れておかないと歌の方向性が聞いている側には分からない。
クレッシェンドは、するときは思い切りやる。まだまだ身体を使えていない。もっと驚きを見せる。
ただ考えなしに盛り上げるのでなく、次につなげるためにやる。
次に聞かせどころがあるのに、その前でやりやすいからととりあえずクレッシェンドするような事をしない。
構成や演出という面で、もっともっと色々身体に入れたり考えたりしないと駄目なようだ。伝えるためにやる以上、こっちがどうしたいかを決めているのは当たり前で、さらにその方向性をしっかり形にしないと伝わらないと言う事だ。
テクニック的には、高音のジラーレに力を抜いて入れて、その後身体を使い切って一気にクレッシェンドできるようにする。そして中途半端な音域を、押したり抜いたりしないようにしっかり調整する。場合にもよるが、高音のドのあたりはしっかりジラーレに入れ、ファやラのあたりは声帯をしっかり鳴らすようにしてみる。
○一番のピークまでは頑張り過ぎない
「マイ・ウェイ」
レッスンはじめ、慎重になり過ぎない。もっと身体から歌う。直線的になってしまいがちなのでやわらかく。
上を出すときにもっと細く通すことを意識して、しっかり通してから身体に入れていく。
まだビブラートが上手くできない。出だしからもっと声帯を揺らす。揺らそうとするのでなく声を深くする。
デクレシェンドの計算をしっかりしておく。後半に向けどんどんヴォリュームばかりあげていっては疲れてしまうのでテンションだけあげていく。
曲全体で一番のピークがあって、そこが一番聴かせられるようにもって行く。早くからあげすぎてしまうとその前に疲れてしまう。
後半の中高音あたりはポジションをしっかり上げて細く通すだけでよい。力を入れるとしたら本当に最高音の直前直後くらいにする。
そこでも力で持っていくと細くぴったりとはまらないので、開放するというイメージで歌う。
あとは全体を通して、呼吸するときにイメージも流れも止まってしまっている。想像力と準備不足。次へ行くぞと言うイメージを忘れずに練習する。(KA)
<Menu>
○声優入門のP.69「発声の基本トレーニング」
A.のどに力を入れて「アー」と発声する、「のど声」。(悪い例)
B.のどから力を抜いて、胸に響かせて「アー」と発声する、「共鳴の声」。(良い例)
それに追加して、私がクセでよく出してしまう
C.「息漏れの声」。(悪い例)
の3種類の発声を使い分ける練習から。
「息漏れの声」は簡単にできるのですが、「共鳴の声」はもともと習慣としていなかった声なので苦手です。
まだ、きちんと出せているのかを自分で判断ができません。
あごを上げて「アー」と声を出しながら、少しずつあごを下げてみる。
この方法で、頭声か胸声か、どのへんで響かせるのが自分にとって一番良いのかを調べる。あごを上げているときは、頭で響いている。
下げていると、胸で響きやすい。とのこと。
私はもともと頭声に近いようなのですが、今後のレッスンでは自分が出せるようになりたい胸声で行うことにして頂きました。
P.70 「ことばのトレーニング」
胸に声を響かせることを感じながら、<2音>〜<6音>までを練習。
まだ子音が混じると、きちんと母音を鳴らすことさえできない状態なので、さらに胸声にするとなると、私にとってはかなり難易度が高く感じました。
また、4音以上になると、同じポジションで音を出し続けるのが難しいです。
「揺れる想い」の「想い」で、音が胸にきちんと響いているとのことでした。
今回は非常に難易度が高かったですが、その分、大変勉強になりました。(NR)
○・高音は常に頭に響かせて、喉は使わない感じで歌う。
・いい声を出した時の感覚を忘れない。自分が感じる響いた声といい声は必ずしも一致しない。自分が響いていると思った声は、実は自分の周りに収まっているだけの声であることがある。
・高音で苦しくなったからといって喉を下げない。
・発声で一番高い音の次の音で声の出し方を変える癖があるのでやめる。
・先生のおっしゃるいい声を少しでも感覚的に分かるようにする。
・前に習ったことは反射的にできるように刷り込ませる。(HS)
○「身体をポンプ」腹、尻、腰、ぐっと!
・特に音を延ばす時=下で保つ⇔そうでないとスーッと抜けてしまう。
・喉は忘れて身体に任せる。
ぐぐぐっとすると、びしっと揺れないでいける。
「最初の音」頭でパンっと来ると同時に尻もぐっといれる。
延ばしてる時、下をぐーっとすると(踏ん張ると)胸から上は開いていく感じ。
・音をつぶさない。
・音を押さえ込まない。(後ろの守護霊さんと一緒に歌うつもり)
・アゴはリキまない。
・口角を下げない。(下だと響かない)
・微笑むくらいの表情でやる(いいにおいを嗅ぐ時の顔)
・下の方も高い方も同じ所で、同じ身体の使い方でやる。
・頭の響きと腰の押し出しとシンクロする繋がるように!(NI)
○指摘された点
ガ行
・「がくぶち」の母音をはっきりとさせるため、一度「ア・ウ・ウ・イ」と発音してみる。
これできちんと母音を意識してみてから、「がくぶち」を発音する。
・「ぐんたい」は「ん」の後にきている「た」が弱くなりがち。
なんとなく流して読まず、「た」で奥歯を広く開けてしっかりと発音してやること。
鼻濁音
・「かがみ」も「がくぶち」と同様、「ア・ア・イ」をしっかり意識。
・鼻にかけようとすると、普通に発音すれば良い音まで鼻濁音ぽくなってしまう。
P.50 母音の無声化のトレーニング
無声化する場合、子音のみになってしまうので、子音をもっと立てたほうが良い。
・「しか」は「sh」を強めに。
・「ひっこし」は、「ひ」と「し」を無声化するので子音を強く。
しかし、そうすると今度は「こ」が弱くなってしまうので全部が無声化されたように聞こえてしまう。「こ」の母音はしっかりと立てる。
・「あしこし」も2つの「し」に挟まれているため、「こ」の母音をしっかりと発音する。
P.161 電車の車内放送
母音の無声化に気を付けて読む。
「新宿」のshの音は強く。「願います」の「す」も同様に。
「網だな」は、口の中がペチャクチャしやすい言葉なので注意。口を縦に開くようにする。
特にイ母音は口を横に広げないように注意する。縦に開けるようなつもりで発音する。
「ご乗車、ありがとうございました」は、「車」がア音で終わり、続けて「ありがとう」とア音がくるので難しい。
後の「あ」はハッキリと発音するように注意する。
「いけぶくろ」は、「い」と「ぶ」にアクセントがある。
「左側」の「ひ」の無声化が弱い。強めに発音。
・最後に「し」のsh音を強く出すことを教えていただきました。
歯に息を強く当てる。瞬間的にパンと当てる。ただし、短く固まらずに前へ出す感じで少し伸びが必要。「新宿」を発音する場合は、ただシを強くするだけでなく、次の音にまでつなげること。
また、今までの私の発音の仕方だと、「しんじゅく」の全ての音が歯の間をほとんど閉じた状態になっていた。
これでは話している相手にきちんとした言葉として伝わらない。
理想は「く」のウ音で歯の間が開く。無声化する場合はそうはならない。母音をはっきり発音するために歯を開ける。こうすることで初めて相手にハッキリ伝わる。
今まで人から「え?」と聞き返されていたワケがよくわかりました。
・「shー!」の音を強く出せるように練習してみること。
発声について身体で記憶できたポイントがいくつかあり、有意義な時間でした。(NR)
○@発声前に、割り箸を横にかんだ口の形で、ハッハッ、と息を出す。上と下に引っ張られるイメージ
A同じように、ハッ(C)ハッ(D)ハッ(E)ハッ(D)ハッ(C)と声を出す。
音階はあまり気にせず、上下に引っ張っぱって、息を出す。太い筒から、息が出ていくように。
ター(G)ティー(E)トー(C)と出す。
Gで一番高音を出す時、出だしで一番の高音を狙うのではなく、出だしは息で出す感じで、16分の2個目などの少し遅れたところで、もっと上を狙うイメージで出す。
ア行を発声しようとすると、ハ行になる
→ハ行だと、発音する度に喉を閉じなければいけないので、出しにくい。
発音やリズムがあやふやになりやすい時は、前に休符を取って、言い直した方が良いところで出る確率が高くなる。(OK)
○喉の調子が悪いときのマッサージ:小さい声でアーなどと出し、手のひらで喉を覆う。喉が震えるのを感じるように。
つま先立ちで、ハッハッと息を出す。お腹が動くように。
鼻から息を吸って、そのまま鼻の奥を開いたまま、声を出す。
高音は鼻の奥を開いておくように、低音になってきたら、少しづつ胸から出るように。呼吸したときに、肋骨が広がるように。(OK)