会報バックナンバーVol.194/2007.8

 


レッスン概要

○判断

文化庁のインターンシップで、ここの個人レッスンに来ていらっしゃいます。今日もお昼から、フラメンコとジャワの歌い手と会いました。
歌は簡単なのではないのですが、判断は簡単です。レベルを下げるから複雑なんだと考えます。私が経験不足というのは、ここにはいろんな方がこられるのでやむを得ないことですが、相当深くやったことが幅広く役立って、こういう出会いから、また経験として蓄積されていきます。

最近、気になるのは、今の若い子たち、30歳くらいまで若い子でいいと思うのですけれど、にとって、声でしっかりと歌うということはどういう感覚なのだろうかということです。この前10代のデビューしたアイドルの子に言わせてみると、性に合わないというか、不快感に聞こえてくると。
私も、ただ古いだけのものは不快です。ただ、昔の人は、しんみり聞くのかもしれない。そうなった場合に、若いほうを優先させるわけではないですが、判断は未来に向けてとらざるを得ない。そこは過去の基本をベースとして飛躍させる、そのイマジネーションがいつも問われていると思っています。

これからは団塊の世代のバンド活動が始まる、中には新しいことをやる人もいる。私は彼らの活動はすごく好きなのですが、青春回顧をするのはまだ早い。昔のヒット曲をやりましょうというのでは、もったいないと思うのです。
60代の人たちがビートルズやプレスリーをやりたいといってやるのもよい。ビートルズをそこまで好きな人にとって、教えるのはとてもできない。それだけやっているのだから、やっていてできないことはできない。
これからビートルズを勉強して、ああいうふうに歌えたらいいという人にはつき合える。40年くらいやっていて、もっとそっくりにしたいとなると、声から変えられるのかというと、癖だらけになっているわけです。どちらにしても、基本トレーニングをお勧めします。

元々、私は真似というのを否定しています。何でもできると世の中には思っている人がいる。あるところまで近づくことはできるでしょうけれど、10年経ってみて、本人が思うところまではいかないと思うものに関しては、大してできませんと、判断すべきではないでしょうか。それならば、レベルということを考えずに、何でも誰でもできると言い切る先生についたほうが幸せではないかと思います。

○声と才能

ここを出て、いろいろな人がいます。この人は、今は指揮者になっていて、大きいところで振るそうです。プロデューサーになった人もいます。
タイムリーといえばタイムリーでしょう。またタイムリーじゃないとできないことでもあります。あまり時代とあわせてやるのは好きではないのですが、やれるときにやるのはいいと思います。何か申し訳なさそうにプロの歌い手になれなくて、と思っている人もいるのかもしれない。でも、他の分野でやっていたら、それはそれで立派なことだと思います。

ここで言っていることは、歌い手になれということではない。自分の才能のあるところで勝負をしていきなさいと、そのために歌も音楽も、役に立つ。声ということであれば、すべての活動のベースだということです。声を使ってプロデュースをするのです。指揮者の場合は、音楽を感じる解釈を体で表すわけです。音の判断を磨くには、いろいろな音楽や声、音に接するのはいいことです。

○Iの来日

10月の何日かにIがきます。昔、ここではじめて私が組んだトレーナーです。6年ぶり、来るたびにここで特別セミナーをやってもらいました。ロスで私もずいぶんお世話になっています。旦那さんにはここで英会話をやってもらっていました。
小さい頃から横浜の教会でピアニストでした。ピッチトレーナーをやってもらった後、歌を勉強しに向こうに行って、向こうでドイツ系がやっている日本のヤマハのような教室があるのですけれど、外国人、日本人、韓国人、中国人などに、音楽を教えています。
この前に来たときにCDデビューをして、日本でも売りたいからと、その当時は50人くらい、内輪のセミナーと、歌のお披露目もやりました。

○これからの歌

このラップソングは、2000年のです。これから先、音楽がどういうふうにいくのかということで使いました。ここと関わりのあった人のものです。
オリエンタルラジオというのは、「原石」から「笑いの金メダル」にも出ていたと思います。原石はネタをみると、音楽なのです。とんねるずの木梨さんが司会をしている、33組からベストワンを選んでいくという、若い、テンションの高いのが集まっているものです。リズムで言いたいことを言って、ネタが連続していく。むしろラップに近いスタンスにあります。そういうものを聞いて笑っていたり、そういう舞台を見ている子が発声となったときに、カンツォーネや、ミュージカルみたいな歌い方に対して、どういうふうに感じるでしょうか。

日本のミュージカルファンは、決して音楽ファンというのとは違う。宝塚のファンのようなものです。力が上がったといわれます。確かに、今はいい人がたくさん入っています。しかし、客観的に聞くと、地力は、音声の力は、どんどんなおざりになるのでしょうか。

常に作品をつくるというのは、5年後10年後を予知してつくる。センスになったときに、もっと声がやわらかくなってくる気もします。今の韓国は、こういう路線ですね。さらに骨を抜いたような感じ。
ただ、それで買いたい人や感動する人たちがいるというところの行き着く先が、どこになるのか。先はないでしょう。それに媚びてやれということではない。だからこそ違う音楽も違う歌も出てきていいと思います。

○歌より映画が先

この前、プロデューサーが来て、新しい子がいるが、歌手としてデビューさせるのではなくて、先に映画の端役のほうに3本くらい入れてから、デビューさせると。そこまで歌の力が落ちているということです。
昔アイドルは、歌でデビューさせてからドラマやタレントに落としていった。今や映画に出ていないと、歌ではもっていけないという。あんまり分ける必要はないと思いますが、残念なことです。

○パワーの行方

私が知りたいのは、そういう声に対するパワーが、歌の世界から落ちてきて、どこにいっているのかということです。お笑いに行っているという感はあります。作品として、どんなかたちにつくられていくのかのプロセスもわからない。そこは海外とずいぶん違うところではないかという気がします。いろいろな無理が日本の中にはたくさんあります。

○小泉純一郎首相の声

小泉首相も元気になりました。一時、鈴木松美先生が分析していましたが、かなり末期政権のありさまだった。
福言に書いていますが、蜷川さんが言っていたことで、小泉氏は演出兼役者の最高のクラス、タイミングや気の見方、演出のしかた、自分の登場のしかた、たいしたものだと。あれを役者や演出家としてみたら、よっぽど上をいっている。なかなかああはいかないですね。

○声のプロということ

ヴォイストレーニングと一概にいっても、いろいろとあります。ここは音楽から入っていったのですが、実際には声優、役者さんがけっこういます。
滑舌についてはアナウンサーが一番でしょう。アナウンサーは、まったく別の畑で養成されています。
NHKの若いアナウンサーがよく来られる。ここでノウハウを得ようというよりも、声そのものに関して勉強していないと。NHKのアナウンサーは、昔は尊敬されていたのですが、最近は民放やラジオのパーソナリティの方が、世の中の喋り方の基調になってきた。いつまでもあれでいいのかということはあります。

大きく変わったのが、音響だと思うのです。昔は、顔がしゃちほこばっていなければ、マイクに対してうまく入らないといわれていた。
低音歌手といわれる人も、歌う声が低いのではなくて、響きが低音に集まるような共鳴体が、そういう顔なのです。その当時のマイクは持てなかったし、指向性も弱かった。マイクスタンドに固定して、話すわけです。そういうところからアナウンサーの話し方もできたわけです。

○声の必要性

実際の舞台では、役者は役者声をしていました。けれど、こういったものは体育館や環境の悪い中で、一番遠くまで声を響かせなければいけないからです。ベーシックなものでいうと、歌舞伎や能に使われるものにも共通しているのです。それが新劇になって向こうのものを上映しなければいけなくなったときに、日本語をどういうふうにするかということになってきた。ヴォーカルも同じです。まず大きな声が出なければ歌い手になれなかった。今は喋っているよりも小さな声でも、音響で何とでもできるようになりました。

ヴォーカルが声を必要としていた時期から、徐々に役者や声優のほうが必要性が大きくなって、最近は、エスニックなもの、フラメンコや民族音楽、これは声の魅力がストレートに問われますから、そういう人がきます。
ミュージカルも、ベースがまったくない人は舞台ができない。そういうところははっきりしています。
カルチャー教室に行くと、一般の方が非常に多い。特に中高年の女性、朗読ブームもあります。子供に本を読み聞かせるとか、日本語を声に出してということに関心を持つ人が多くなりました。一方で音読ドリルではないけれど、ボケ防止とか、古典を声に出して読みたい、詩のボクシングとかで、詩もこれから朗読していこうというような人が増えました。

○日本の音声教育

この前、谷川俊太郎さんと対談をしたのです。日本で昔、寺小屋で音読をやっていたのでしょうけれど、そういうものがなくなってしまって、外国語学習に変わっていたのです。発音とか音声教育というと、英語やフランス語を勉強するときに、耳を鍛える、それから声を調整しなければいけないと。

そういう意味でいうと、昔はヴォーカルのベースというと、声楽だったのに、今のJ-POPSのベースは声楽にはなっていない。役者というよりも、DJやパーソナリティでも、普段の日常の中高生の喋り方の延長上にある。昔はそれでできなかったのだけれど、音響がよくなって、その程度の喋り方でも舞台になるようになった。
演劇でも、ただの女の子であっても、マイクが拾ってくれるから、声が体から出なくてもよくなった。
だからヴォイストレーニングの意味もずいぶん変わってきたのでしょう。まず一般の方が手軽にやり出した、放送部や演劇部がやっていたようなことが何となく、世の中を生きていくのに、人と対話していくのに必要だろうと思う人が増えてきたのでしょう。

○人前で話す力

それから人前で話す人が増えました。昔から日本人はスピーチがうまくないのですが、最近は皆うまくなってきましたから、練習しなければいけないと。カラオケで慣れてきたりして、日本人も徐々には話せるようになりました。
こういうところも全然話せない人はあまり来ない。来たら何をやらされるのかわからないから、怖くて来ないのでしょうが、ここは何一つやらせないのです。それを元々、コンプレックスのある人は、他の人の前で歌わせられたりしたらどうしようとか、いらない心配をするようです。これは、心や性格の問題です。

大体、自分の声がどうであれ、勘のいい人は評価の厳しい人がいるところで気づくのです。その人自身の評価が厳しいというよりは、周りの上司とかあるいは会社の風土として、厳しく見るところであれば、あるいは上司にそういう才があったりすると、比べてみて気づいたりします。普通のところにいると、あまり気づかない。何であれ、気づくことはよいことです。
日本人の日常の会話というのは、対話にならない。第三者の前ではまったく違うように、声も、言葉も使わないといけない。あまり違いすぎてしまうと、儀式ばった、パブリックだけれど、人に伝わらないようなものになる。ダブルスタンダードのものとしてあります。

○声の基礎

外国人というのは、歌もですが、日常のところで対話が成立しているのです。家族であろうが友人であろうが、きちんと論理的に組み立て、説得することを目的に、声を使うことになります。
すると、一人で2、3分は続けて喋らなければいけない。喋り切らなければいけないから、腹式でなくては無理なので、おのずとそうなります。そもそも言語に体の力がいる。日本の場合、対話の形を知らないから怖くなってしまうのですね。そう、これは形式です。それに慣れたらよい。本当の問題はそれからです。

声だけのことを考えたら、彼らのもつ日常の力を持つことがヴォイストレーニングの課題になってしまう。そのくらいの日本の音声力や、声に対する耳の力は日ごろ働いていないし、必要なく生きてこられたということです。
だから、研究所では、ヴォーカルだから発声やヴォイストレーニングをすべきという考えではない、国際レベルの対話力ができるような声の力を得た上に、演劇や歌をやっていくべきだろうと。
そこを全部抜かしてやっていくと、発声らしい発声になってしまったり、演劇で声だけが聞こえてくるとなり、リアリティが同時についていかない。ここで見本にする人は、現実生活でやれている人たちです。社長さんだったり、八百屋のおじさんで、声でものを売って商売を成り立たせている人もよい。アーティストもやっぱり、声や歌を売っている。

この前、鈴木松美さんと対談をしていたら、声の専門の分析家ですが、すべてのノウハウが結集されているのは、オレオレ詐欺だと言っていました。正にそうでしょう。電話一本で、声の力だけで何百億というお金を巻き上げるのです。
テレホンショッピングでも同じです。日常の中でも舞台の中でも、区別する必要がないというのは、私の根本的にある考え方です。ここの場合は、基準のとりやすいために、歌のほうから入っていくので、一般の方が来たときに違和感を持たれることもあります。

○教えすぎないこと

ここは、いろいろなところから来られていますので、そういうところも、何でも経験だからやってみる分にはいいでしょう。何であれ経験にはなるし、生かせるかはその人しだいです。
私はあまり教えないのですけれど、教えすぎる先生は困りものだなとよく思います。この世界は正解がない。我々がやっていくのは、本来は、本人に役立つであろう材料供給まででしょう。ひとつの基準とか見解が、トレーナーが個としてそう思うというところまでは言えるのですが、それが全部に当てはまるかといったら、必ずしも当てはまらないのです。理論も現実も常に変化しています。
私は長年やって一番わかったのは、この世界はわからないものだと。
要は、どんなにトレーニングで効果を上げていても、もっといいトレーニングがあったかもしれないし、トレーニングでダメだと思っても、それをやらなければもっとダメになっていたかもしれないし、結局、比較もできないということです。

もうひとつは、自分ができたことだからといって、トレーナーは押しつけてしまうのですが、相手ができることではないこともたくさんあるのですね。
もう生まれついて声が違う。たとえば、私の声を出しなさいといっても、女性だったら100パーセント、無理ですね。ところが、そういうことがまかりとおっている部分がある。
逆にいうと、自分ができないけれど相手ができること、相手だけができることを見つけて、それを磨くことが大切です。トレーナーができることなら、トレーナーのほうがうまければ、トレーナーがそれをやったほうがいい。役者でも歌でも同じです。だからそれはトレーナーの役割ではないのです。

○データと比較

ヴォイストレーニングという括りでは、あまり一つに括りたくないのですが、ひとつの判断基準を与えるということです。それはトレーナーができることというのとは、著しく違う。相手を伸ばすことです。
私は、大手のプロダクションの社長に、プロを見ろといわれて、そこで何を見るんだということからスタートしました。よくみえるように調整するしかなかったのです。それは演出家とか作曲家のアドバイスと同じようなスタンスです。彼らと同じようなものの見方ができるというところから入っているから、発声から入っているわけではない。

今、来ている人も、プロとして何年もステージをやっているような人たち、私よりは歌える、少なくとも舞台の経験においては、向こうは年間300日で、15年、20年やっている人が来ます。
何しにここに来るのかというと、先にどうなるのかというのは、経験していないとわからないからです。多くの人たちを10年20年見ていると、その結果、その人たちがどうなっているのか、見当はつきます。そこから正してみる。こういうふうにいくと、きっとこうなるというデータをどのくらい持っているかということです。

これは、声楽やミュージカルから、トレーナーとして来てもらっています。そういうところでやっていると、きちんと身につくというのを、研究所じゃないとできないと、私もうぬぼれていたところもあった。声楽やミュージカルのいいところは、ダブルキャストでやる。それから同じ演目を人が変わってやることです。比較の耳ができます。

○将来の問題とメニュの使い方

将来に対してひとつの基準をおくということが、なかなか第三者的にはできない。
たとえば、彫刻や絵は、先生と同じように、客観視できるのです。つくった作品に対して、先生と同じように自分も1メートル置いて立ってみると、同じ基準を身につけてやるにはやりやすい。けれど、歌や声というのは、発信している人は、リアルタイムには自分の声を永遠に聞けないわけです。せいぜいテープに落として、こういうものだったということは見える。そういう部分で表向き見えないところをどういうふうに知覚するのかということがあります。

あとはメニューもどういうふうに使うかというのも、非常に難しい。
目的を持っていくと、そこの中で、どれだけ細かく見ていくかというのは、聞こえるので、決まってくる。
問題なのは、ヴォイストレーニングをやっている人の中のことです。体から身につけようとか、息から声にしようというのは、確かに私の本でも、基本としてはそうなるのですが、そこから考えてしまうと、実際に走っている舞台や音楽に対しては、対応しにくい。 それが基本と応用というかたちにうまくなればいいのですが、永遠にたどりつかないこともあります。
だから、どこかの時点で舞台を踏んだり、ステージを踏んでみたりする。そこでどこまで自分で厳しく見られるのかということ、その判断を今までやっていたらいいと思っていました。でも誰かがもう少し高いところから見たら、こことこことは全然なっていないということを、まず自分自身でわかっていく。

トレーナーというのも、ひとつの判断基準みたいなものとして、客観的に見られるために、もう一人の自分としておくためにつけることです。
今日、出た声がいいとか悪いとか、こういうふうに方法を変えてみたら、とれるようになったとか、そんなレベルのことではないのです。そんなものは、もう一つ高いレベルになると通用するわけがない。低いところではそのほうが早い。カラオケのチャンピオンになるとか、三流の劇団で声だけ大きければいいとか、高い声さえ出ればよいと。
問題なのは、声の大きさや音域ではないところに、いろいろな問題が本来あるということです。そこが一番見えていないところです。  今日一日だけでも、変えることはできると思います。しかし、将来にわたっての問題の所在を伝えられるかの方が大きいことです。

○気づかないことに気づく

オペラを歌うのに、イタリアに留学してイタリア語で喋って生活してみる。すると、それだけ声の響きがよくなるし、実際に声域や声量も広がるのです。日本に戻ってくると、また元に戻ってしまう。 彼らが日本で演奏すると、大変。喉を壊したり、うまく出なくなります。
来週、米山先生と対談をします。向こうから来たオペラ歌手をたくさん診てきた先生です。日本に来ると湿気があるので、声が響きにくくなります。そういう問題もありますから、環境を変えるとよい。
ここの場合は、いろいろなところに留学生も出していました。けれど、日本の中でやっている以上、自分自身でトレーニング環境を変えることになります。
そう考えたときに、一番わかりやすいことは、我々日本人が歌や芝居を聞いていても、気づいていないことは何なのかということです。海外の人は気づいていること、そこから埋めるべきではないかというのがベースです。体つきや骨格も違う。日本人はモンゴロイド、ただし、もっと根本的に違うものは言語からくるものです。日本語が特殊な言語ということから聞いてください。

○客観視ということ

気をつけなければいけないのは、トレーナーについたときには、そのトレーナーにできないことをその人に育てなければ、意味がないということです。それは、トレーナーは歌わなくて、自分は若いから今風に歌うという、そういう問題ではないのです。もちろん、多くの場合、トレーナーはそこまで責任をもてません。それは、あなたの作風となるからです。
トレーナーが気をつけなければいけないのは、耳の判断の問題と、どういうふうに基準を与えていくのかということです。
憧れた人の好きな歌を、憧れたように歌えたら、絶対に気持ちがいいでしょう。そこで間違っている。自分が気持ちいいのと、お客さんが気持ちいいのとは違います。ところが歌というのは、そこですごく錯覚しやすいわけですね。

だから、トレーナーも、私は特に歌やステージで活動しているトレーナーには注意をするのです。自分がステージをやろうとしているときに人を教えると、自分のステージに行くべき欲望が、その人に投影されてしまう。違うタイプの人を認めにくくなってしまうのです。声の出し方、歌い方、そこでは気をつけなさい。あなたがやりたい音楽や聞きたい音楽に合うものには寛容になり、合わないものには否定的になってしまう。それを完全に客観視するのは、人間である以上は無理です。

○現実的なメニュを使う

ただ、私はその努力を結構してきました。だから、使うのは自分の好きなものではなくて、トレーニングとして考えたときに、材料として組み込みやすいものです。そういう曲だと思ってください。これが優れているとか世界一流の曲だと聞かせるのではなくて、息が聞きやすい。音色が読み込みやすい。
現実というのはそういうことです。よくはわからないけれど、優れた歌い手がそういうふうに息が聞こえてくるのだったら、自分が5年も10年もトレーニングをしていたら、自分がその歌を歌ったときに、そういうふうに息が聞こえてくるようになったら、呼吸法ができたと思ったほうが、現実的だということなのですね。

息を聞いてください。深い息とはちょっと違います。むしろヨガで吐いているようなものでしょう。息は本当は聞こえないのですが、「h―――― 」。息のコントロールを実演すると、こうなります。誰よりも息が長く伸ばせるとかでも、皆1分でダメだけれど、俺は1時間大丈夫だとかいうのは、スポーツにはいいかもしれないけれど、芸術的な意味においては、作品とは関係ありません。ないよりはあったほうがいいということですから、トレーニングをするときに、そっちが目的になってしまうといけません。

○底上げとオン

トレーニングはリピートしなければいけない。何回も繰り返して、自分の中で最初はうまかったり下手だったりする、その上下の波が落ちなくなってきます。下の線が、調子が悪くても、アマチュアほどには落ちないというふうになってくる。だからレベルが安定してくる。
でも本当にレッスンで問われることというのは、オンすることだけなのです。繰り返すことは、オンするために必要なわけで、繰り返しても必ずしも才能は出てこない。ここも間違えられています。
とにかくやれば、体は強くなる。それから声も出るようにはなるかもしれないけれど、それが作品になるかは別です。ただ、同じ才能だったら、体とかそういう条件があったほうが、力としては発揮しやすくなるから、やります。

○自分の世界は築き続ける

自分の顔、自分の名前でできるのかは、自分の世界観が作品化するのですから、別です。そこからがひとつの才能です。どこまでオンできるか。どこまで今まで気づかなかったことに気づいて、取り込んでいけるか。だいたい気づかなくなったところで、才能は終わりです。
だから、トレーニングも、ここに来て、わからないことが多くなるのはいいのです。わからなくなって、問題が大きくなっていっていると、力がつく。問題が多くなるというのは進歩していることなのです。
それを全部解決できたといったら、もう終わり。もうこれ以上伸びないという世界です。それを勘違いして、わかったつもりで教えているトレーナーが多い。誰しもすっきりしたいのはわかります。しかし、そういうものをずっと引き受けていくんだと思ったほうがいいと思います。

○メニューは進化する

トレーニング方法は何でもいいのです。私もいくつかメニューをつくっています。どれを使ってもいい。5年10年経って、続けていたら変わっていく。優れたヴォーカルは、スクールにも通わないで歌ってしまったのだから、何も特殊なものがあるわけではない。 歌を歌っているということは、それだけ体を使っているし、息を使うのも多くしているわけです。すごくたくさんしゃべっているだけで、そういうふうになってくる。役者もそうです。実際はお笑い芸人にも自然体得型はよくみられます。

○本当の力

自分たちの何が通用するのかをきちんと見ていることと、そこに絞りこんで芸風をつくっていくことです。周りの尽力もあります。  しかし、最初に打ち出すのは自分自身です。作品をきちんとつくっていくこと。最近の歌い手は、そこが作詞作曲力の方になってしまっているのですが、本来問われるのは、歌唱力です。そうなっていないのが残念です。ヒップホップよりもオリエンタルラジオの方がセンスがある。人が見て、面白いと友達を呼んで、明日も明後日も見ていたいと思わせるのが、力です。今の歌から失われています。今、テレビで2番まで歌いますといったら、ほとんど消されてしまうでしょう。

○理はあとからついてくる

調べて言っているのでなくて、現実の場でやっていたことが、あとで照らし合わせてみたら、理屈とあっているというものです。世の中にはもっともらしい理屈がたくさんあると思います。

・日本語、高低アクセントの話
・発声のしくみ、音色(バイオリンとビオラ)

○ストレートに始める

ここ10年、どうも口の中で音をつくって、音響で加工する方にいってしまいました。エコーを使って、音を子音的にとって、あとは体がついていなくても、声が動いていなくても、エコーで次の音につなげてしまうというかたちで処理できる。すると、皆、似たような歌声や歌い方になってしまう。それはよくないと思うのです。昔の歌い手や、ここのほうがよほど体からの声でストレートに歌っている。研究所の中には、声楽やミュージカルの先生もいます。何も、固まった価値観も時流に合わせる発声もないのです。
自分が今までやらなかったし、できなかったことをやったほうがためになる。誰かの発声をとりなさいとか、日本人のやり方をやめて、欧米のやり方をやりなさいというのではない。両方できるようにしておいて、あとで自分で選ぶことです。体と感覚を磨いて戻せばよい。何もやらないでそれをやるよりもいいということです。

○声域と調整能力

高音の練習でも、何もやっていない人は声楽でやって、できるだけ声域や声量をつけさせます。やるだけやってきた人は、秘密のトレーニング方法をやらなかったから伸びなかったのではないのです。歌の中でもそのことに対してイメージがなくて、調整能力がなかったのです。むしろ感覚と感覚に対応できる声の調整能力の差をみてください。特に感覚そのものがない。
どうするかというと、低いところで声を丁寧に扱うことを覚えて、高いところにいってみたら、高いところが楽に歌えるようになっているように変わっていなければおかしいわけです。体も感覚もできたのに、それができないとしたら、それは神様から与えられていない音域なのですね。

・5オクターブ声が出るトレーニング
・マライアキャリーの発声

○オリジナリティと感覚

まず自分の武器をきちんと使えるようになってから、いろいろなものに応用していけばいい。使えるか使えないかわからないものも、やっておくことはかまわないと思います。ただし、一番きちんとしたところのものを磨かなければ、どれも中途半端で使えなくなってしまいます。
歌の指導、ヴォーカルスクールの問題というのは、早く上達させようと思い、その目的が今、流行りの個性に頼るところになってしまうから、真似になってしまうのです。だから、伝えていくことは感覚であり、それがどういうことかということです。

○レベル

日本人もずいぶん歌で悩んでいます。けれど、皆が歌えていないときほど、チャンスはないわけです。声もそうです。日本人の声は弱いといっていますが、だからここが必要とされている。10歳くらいで天才的なヴォーカルばっかりいるような国では、そんな問題が生じずに彼らはできてしまうわけです。黒人みたいになれないと、そんなハイレベルのトレーニングは、こういう基本のトレーニングとはちょっと違ってくるわけです。持つべきものを持って彼らは生まれているから、10代くらいでよくなければ一生なれないというのは、はっきりしています。非常にレベルが高いです。ともかく、感覚の切り替えのところに、少し入っていきましょう。

○真のオリジナリティ

声は、一人ひとり違うでしょう。すると、自分の声で歌ったら、もうオリジナルだと思います。事実、そういう歌い手もいます。それは違う。
もうひとつは、歌詞がついていたら、さらにわかりにくくなります。言葉の力は非常に強いです。どんなに音楽がかかっていても、誰かの声が、言葉が聞こえたら、そこに耳がいく。声と言葉は人間にとって、非常に強い。
どうしてもそれがあるから、プレーヤーが音楽的に認めないようなものがファンに受けたりする。その可能性があるから、現実面、成り立たないわけではないのです。ただ、ここのように音楽性で支えられているかと見たときには、その要素は省く。
あなたの声に違いないが、そんなことでよしとしてしまったら、全員その人の声だということです。その声でいいといってしまったら、何もトレーニングの必要がないのです。こういうものを心地いいと聞くと、心地よく歌ってしまって終わります。本人だけが心地よいとしたら、それほどまずい習得の仕方はない。

○スクール、イベントとライブのステージ

芸人ははっきりいうと力がつくまで苦しい。私の世界も、私が楽しんでいたら、生徒がダメになってしまいます。でもスクールもそういうところが多い。イベントで、客はしらけているけれど、先生や生徒が楽しんでいるというようなところもある。それは逆の話であって、客が楽しむということを、客の立場で知らなければいけない。
だからトレーナーというのは、厳しい客の代表みたいなものでよい。心地いいと思ってくれたらというくらいで、歌っていても変わらない。
そのための基準は、感覚は拡大して聞くということがベースです。何事も基本というのは、大きくつくれといわれています。スポーツでも演劇もそうです。泣く勉強の前に号泣するようなことをやると、目で泣くようなことができる。ダンスやバレエもそうです。大きくつくっておいて、小さくできるようにする。

歌い手を聞いてみてコピーしようと思ったときに、2秒伸ばしたと思うところは、実際に2秒しか伸ばしていないけれど、気持ちも入れてみたら、4秒くらい伸ばしたかった。でも結果として2秒しか表れていないというなら、その4秒のほうをトレーニングする。見えないところをコピーしなければいけない。
それが最初は難しいので、何回も聞く。無理にでも拡大するために、あるいはゆっくり聞いてみたり、ボリュームを上げる、私はそれをやることが多いのですが、なかなか大きな音で出す環境で聞いていないので、貴重な体験です。

○声楽のプロセスを利用する

・タミアの「H−」を真似するのでなく、自然に出てくること。
・歌と体のギャップをどうみていくかでしょう。
・小さな声を出していくと、体で支えるしかない。

昔から声楽の先生を呼んでいます。自分の方法に当てはまらないときは、そこまでのステップが必要なのです。
声楽はいろいろな世界で実績を出してきていますから、使える。声楽というのは、いい意味でも悪い意味でも何か残っているのです。歌って、素人と違う何かが出るきっかけになります。
ポップスの学校の生徒が、3年5年と経って、声がまともだったためしがあまりないのです。外で歌っているほうがうまい人が多いのではないでしょうか。そんな教室は他の分野ではない。英語教室でも、そこで3年5年もやったというのなら、一音聞いてみたらわかる。
そういうところから、いろいろな比較をやってみて、今の体制にしています。
私が恵まれていたのは、自分に才能がないから、早くいろいろな人たちを組んだことです。ひとりの生徒に優秀なトレーナーを3人も4人もつけるみたいなパターンでみてきました。今は個人レッスンですから、2人くらいつける。どこの学校でも、ひとりの先生についたら、その先生だけしかみていないのです。

・複数のトレーナーについて、早く混乱が起こる。
・外に出て認められることをやる。

○トレーナー論(1)

自分の間違いが正されることがないのは、困ります。トレーナーが全部正しいみたいに思われていますけれど、全部正しいのだったら、全員が正されています。正しいとか正しくないというレベルでみるのではないのです。
一般の人に開放してきたのは、プロにしか役立たない方法では、本当は通じないからです。本当の正しいことをやっているのであれば、他のところにいったら伸びないけれど、ここにきたから伸びたという人が出る。一番ダメな奴がすごくならなければ、ノウハウとしての価値がない。
ここが恵まれているのは、熱心な人たちがくることですが、すごい人たちは別にここですごくなったわけではない。プロですから、向こうがいいものを汲み取っていく。

こちらが与えられるものがあったらいるし、与えられなかったら、さっさとやめてしまいます。
そういう人たちが長くいてくれるのは、とてもいい勉強にはなります。
大切なことは自分ひとりでやっていたらやれない、あるいは他のトレーナーについていたら、できないようなことをどれだけ提供できるかでしょう。
ここだけが特殊なのではなくて、どのトレーナーもそうなるべきなのです。それぞれの専門分野があって、逆に自分が引き受けられない人たちに関しては、あそこに行ったほうがいいというような提携やコーディネートも大切です。

初心者は訳もわからなくて、その先生につくのです。それでいいのか悪いのかなんて迷ってやっていたら、効果も出ないでしょう。 誰についても信じたら効果は出ます。信じないと効果は出ないから、信じられるところまでは徹底して選べばいいのです。いろいろな人に会ってみる。その代わり、レッスンを受けたときから信じ切らないと、自分で自分の効果を殺してしまうことになります。
それほどトレーナーを当てにしなくてよいのです。自分が使えるか使えないか。自分のほうが基準が高いと思ったら、辞めればいい。その辺を、最初から神様みたいにして来られても困る。

○トレーナー論(2)

私が本当に誰よりも、多くの勉強になったと思うのは、生徒を教えるより、生徒を教えるトレーナーと接してからです。黒人も含めて、優秀なトレーナーをずいぶんと入れた。二期会の人も入れてきました。それぞれ考え方がまったく違う。けっこう評価の仕方も違う。やらせることも違う。生徒が2年3年経って変えるとか、他の先生につけてみたら、そこで矛盾が起きる、しかし、そういう中で共通のことが大切なのです。
今でも、私は一番勉強させてもらっているという気がします。
生徒のほうには混乱がないようにしたいけれど、それも含めてアートであり、人間の社会なのです。問題はたくさん知ったほうがいい。
私は、ここを出て行くなら、めいっぱい矛盾と問題を抱えて出ていけばいいと思っています。そんなものが解決したといって(世界一になっていたらいいのですが)、世の中でやれていなかったら、何も学べていなかったということです。

問題がわかってくることとか、わからないことがあっても、やれていたらいいというふうに、実績として残ってくることのほうが大切です。理屈ばかりで考えて、知識ばかりでどんどん大きくして、細かくことばかり言う人はダメなのです。
学者やトレーナーには必要でも、そんなこともわからないくらい勘が悪いのか、自分でやってみればいい。それでダメならダメだし、よければいい。私は前の体じゃないからわからないというのが、一番の正解だと思うのです。誰にとっても違う。特に声のことも違う。健康法と同じようなものです。
隣のおじさんがすごく効果を出したからといって、自分に効果が出るのではない。親に効果があったりすると、体質が似ていたりすることがあるから、一理あるかとは思いますけれど、私は相性のほうが大きい気がします。考え方も、あまり無理はせず、自分に合わない人まで引き受けてもと思うのです。

○集中力と声のリカバー

三大テノールもサッカー選手でした。日本の場合は、声楽でも、徹底してやらないと、体力、気力、集中力でなれない。声をコントロールするのに一番大切なのは、集中力だと思っています。そっちが先にあるべきだと思います。
最近、思っているのは、ある程度間違ってもいい。のども壊さないようにしているから、かえってのどが強くならない。
私が対談した、全国の合唱団の請負人なのですが、似たことを言っていた。そうやって覚えていくのですと。
トレーナーが壊させないように守るというのも、おかしなことで、2回同じ過ちを犯させなければいいのです。一回壊してみて、壊すとはこういうことだとわかる。2回やるのは、無駄です。 何のためにトレーナーのところに行っているのかわからない。

でも最初からあれをやるなこれをやるな、こんなふうに出してしまったら壊してしまうといって、全部やめさせてしまってというのは、いいことではない。壊すのはよくないのだが、壊す直前にどうなるのか、そんなことも含めて勘は鍛えられていくという気がします。
役者にも、声を壊しては強くなってきた、仲代達矢さんのようなパターン。一方、平幹次郎さんのパターンは、声は弱くて神経質に扱っていかないと、壊してしまったらダメになってしまうというタイプ。年齢だけではなく、元々持っているものとか、そこまでの育ちによって、一概にいえないところがあります。ただ、トレーニングは、もちろんリスクを避け、後者をとります。

○役者の発声と脱力

役者を教えて、とりあえず声量を出したいという人に対しては、体に声を入れること。これは昔の役者の発声法です。
「ハイ」という。「ハイ」を「ハイ」と、このくらいのところでやると、声がにごってしまいます。変な「ハイ」だと思ったら、どこかに力が入っている。力が入っているところに響きます。鏡を見てもわかります。どこかに力が入っている。それを「ハイ」、どこにも響かない。「ハイ」を100回、できたからといって、それで歌えるわけではないのです。けれど、そうやってみて狂いがなくなって、一番いいのがそろったら、その中の一番いいのを取り出して、それを10回、これで5回くらいできれば、相当なレベルのものができます。

いいものを取り出して並べていくと、その中のベストの1個がどれかわからなくなる。それがきちんと取り出せるかというと、なかなか取り出せない。全身は使われているのに、使おうと思って使うと、その瞬間に力が入り、体が固くなってしまう。力は使わないほうがいい。声が出たときにうまく使えているのがよいのです。

説明しにくいのですが、スポーツと同じです。ファインプレーのときには、力が入っていないでしょう。気づいたらできてしまった、意識したらできなくなってしまうのですね。意識してできるものは、ファインプレーではなく、当たり前のプレーです。そういう感じのもので、そういう段階に入ると、トレーニングは結構面白いと思います。

○声での発見とメンタル面

自分との対話、そして、発見になります。声によって、自分のことがわかる。寝なかったせいかとか、あれを食べたせいか、起きてから何分だからかなと、いろいろなことを自分の中で悩むわけです。そういうことを自分の中で重ねるから、いざとなったときに、こういうときはこうすればいいと、いろいろなことがわかってくる。だから、面白い。私はしっかりとやっていたときには、4日後に風邪を引くなとか、その辺までわかっていた。昨日寝た時間は、7時間15分だと、自分の思い込みで客観的な証拠はないものもありましたが、かなり敏感になります。

体と声は一緒で、精神的なものが非常に大きいのです。いいことがあると、声は楽に出るようになります。悪いことがあると、いきなり出なくなってしまいます。だからトレーニングやレッスンも、使い方を間違ってしまうと、悪循環に入ってしまう。ここでも、多くの学校もそうです。レッスンと考えたときから、声が出なくなってしまうという場合もあります。カラオケで自由に歌っている人が、もっとうまくなりたいといって本格的にやり出したら、いきなりうまくいかなくなる。壊してしまう。そういうのと同じです。急ぐと、一時は壊れてしまう。だからといって、すぐに別の方法を教えるわけではない。クラシックを変に覚えたら、余計におかしくなってしまうのと似ています。歌から役者の指導をできるようになったのかは、日本語で扱っていたというのが大きいですね。

○ステージでのカバーとステージング

プロとしてやるときには、2つ考えればいいと思います。ステージでは、自分の苦手なところや才能のないところ、調子が悪いと思うところは、バンドやアレンジャー、音響さんと考えてフォローするということ。エコーをかけまくる。でも練習のときにはそれを全部抜いて、本当に1曲伝わらない、1フレーズさえ伝わらないというところで、徹底して煮詰めてやることです。ごまかしなしでやる。 そうでないと、パフォーマンスの練習になります。それだけでやってしまうとダメです。

若いうち、最初は皆、できるのです。けれど、長くつづかない。聞く人は音楽を求めてくる。表現を求めてくる。個性を求めてくる。10代でしか歌えない歌はあると思うのです。勢いだけ、パワーだけでやっていても、若さだけでもつ。それもひとつの歌の力です。役者でも、テンションだけの力というのが、うまくまわっている場合があります。けれど、それだけでは通用しなくなってしまいます。一回、人を驚かさせるのなら、脱ぐだけでもいいのです。ところが、2回通じるかといったら、やめろといわれてしまう。そこに芸があるかどうかがはっきりしてくる。こういうものは芸を支えるためのものです。音楽のつながりです。これにはイメージが必要で、こちらのほうがずっと難しいです。これは音楽を聞いて入れていくしかないのです。

・音楽的に捉えるということは、音。

○音のイメージをデッサンする

まずイメージが描けるということ、そのイメージ、それから、描いたものを、声を調整して表現にできるということです。そこで、デッサンの練習です。トレーニングでやることは、デッサン練習といっています。画家であったら、クロッキー、つまり、線はフレーズ、色が音色です。これでひとつの作品をつくる。
歌にするのは舞台でやればいい。実際にアドバイスしたり、CDを聞いてコメントをしています。けれど、ここでやるべきことは、この線と色、自分独自の線や色をどう出すか。

絵や彫刻、建築物でも、パッと見ると、これは誰のだとわかりますね。歌はパッと聞いた瞬間に、その人の声だというのがあるから、どうしてもそれで見る。そうではなくて、それがどういうふうに動いているかというところ、その人のいわゆるデッサンです。それがどういうふうに聞こえるかという部分でみることです。ところが日本人の耳は、その人の声を聞くのと同時に、歌のストーリーを読み込むことで一杯なのです。その歌の背景として聞きます。
洋楽が好きな人は、いちいち言葉を解釈しているのではなくて、音色と声の動き、そういったもので聞く。日本の歌そのものが、あまり音楽的ではない部分が多分にあります。どちらかというと、言葉の世界だったり、ストーリーの世界重視。

日本では、ミュージカルも、歌唱力と言われているのは、言葉を伝えるところの意味で言われていて、音楽を演奏するところの意味ではあまり言われていない。本当に音楽性があれば、ドライブでかけていても盛り上がるでしょう。ストーリー中心では、あまり盛り上がりがないですね。

音楽というのはサビに向かってひとつの高揚感があって、サビでやったというような気持ちよさがあって、リピートする。また2番に来て、というふうに、1時間2時間ずっと聞ける。ストーリーで聞いていると、こういう話かと分かってしまったら、興味が失せる。  次には、もうその話を忘れた頃に聞きたいなという程度のものですね。音楽ほどの強いリピーター性というか、いわゆる構成、展開で聞かせているわけではないのです。

日本人の歌い手でも、欠けている。プレーヤーは構成を意識しています。ジャズでも何でも。ところが歌い手はあまり意識していないのです。何で3番まで歌うのかという意味がない。AメロBメロ、起承転結というのを音の流れで把握している人が少ない。その辺は、音楽的な基礎力がないのです。
楽器の人ほどきちんと勉強していないというのもあります。

○演奏力をつける

教えるとか教えないということでもないのです。リズムでも音程でも気にするより、それがよくないとしたら、音程練習やリズム練習をするのではなく、研究所では、苦手な人はやらせていますが、本来であれば自分のイメージに対して、不快だから許せないというような判断において直されるべきものなのです。ところが日本の場合は形になっているので、それをフォローしてくれる人が音楽にはたくさんあります。なかなか難しいところです。

言葉、それから音楽に入っていく。カンツォーネを聞かせて、音の動きとして聞かせて、構成を勉強し、最終的に日本語をつけて歌わせます。日本語をつけないと、それが伝わったといっても、英語やイタリア語で言って、声は出たと思うけれど、どういうふうに相手に情感が伝わったかという判断は、できないのです。だから日本語をつけて歌うのです。音楽の場合には、意味がなくても、英語で歌っても心地よければいいのです。ただ、何となく似ているから心地いいという勘違いが、日本の場合はおきやすい。昔聞いた懐かしいものだからいいというのも同じ。 それはアーティックなものからはすごく反するのです。いろいろな持たれ合いの中で、どんどん歌の世界のレベルが落ちてきています。私はあまり歌と考えていない。声をベースで考えて、それが歌われたほうがよければ歌えばいい。話したほうが伝わるのなら話せばいい。使いわければいいと考えています。

○新しい動きを生み出すには

インディーズもはじめ、歌がいいとか声がいいということではない。音楽が面白かったり、その音楽のレベルの高いバンドはいろいろと出てきています。そんなのがもっと出てきて、かき回していけば、新しい動きが出てくると思います。
お笑い芸人も、本当にお笑いといってはもったいないほど、レベルの高い人が多いです。下手なプロ歌手よりも、歌もうまいのです。勘のよさ、耳のよさ、表現力の高さが備わっているからです。

お笑いというのは、役者と同じでシチュエーションから入るでしょう。物まねから入る。物まねをやっていく中で、声はいろいろな出し方を変えなければいけないわけですね。異性を演じてみたり、もの真似をやるときには、耳がよくなければいけない。耳でイメージの中から声を調整して、それを取り出すということは、結構ヴォイストレーニングに近いのです。思い込みだけで自分の声だけで歌っているような歌い手よりも、よっぽど客観性を持って正されていく。似ている人は、ヴォーカル的なベースの才能はあるのです。オリジナリティがそこにあるかどうかは別として、デフォルメして、一つのつかみ方で取り出してやれるということ。コロッケさんでも、プロの歌い手くらいには歌える。ただ、本当のプロの歌い手は、歌が歌えるのではなくて、オリジナリティ、その人でないようにどう歌えるかということで問われています。そういう意味では、まだまだ日本は、海外までのレベルにいっていない気がします。

○手ごたえを得るために

初心者とか経験者の違いというのはあまりない。楽器では、何時間接してきたかというのは、すぐには取り戻せない。けれど、声に関しては、生きてきた年月、勉強していたと思えばいい。いろいろな意味で、耳を開いて聞かなければいけない。音楽に関しては、音に感動する体験はしてきていると思うのです。ただ、誰かの歌に感動するのではなくて、自分の歌が相手を感動させるために、そこに何が必要なのか、何が感動になるのかというつかみ方をしていかないと、自分のステージにはなっていきません。それをどうイメージしていくかということです。最初からできないので、自分で歌っている中で、もしかしてここは将来伸びるのではないかとか、ここに自分は手を出そうとか、考えてみてください。

研究所においては、一回広げるのです。嫌いなものも含めて、所詮、今まで好きというのは、聞いていた中で好きなのだから、世界中のいいものを全部聞いて、それからもう一度考えようと、一回広げる。それはいい勉強なのです。だいたい10代までに入っているのがベースになります。新しく20代から入れたものがベースになることがあまりなくても、いろいろな音の刺激を得ることによって、位置づけができてきます。そういうものを入れるだけ入れていった中に、リズムとか音感とか鋭くなっていく。そのような材料が全部入っている。

ある時期徹底して、一人か一曲を聞き込んでいくようなことをやっていくというのも一つの手です。学校に行ってみて、音程とかリズムを正すというのは矯正にはなるけれど、下手だと思われないようになるだけです。決して人を感動させるという勉強ではない。そんなもので人は感動しません。もっというのなら、全力でやっている姿が声に現れるためには、どうすればいいかというようなことです。すごく全力でやっていたら、若い頃はまわりの人は感動します。その上で何が必要かということは、わかるようになってくると思います。

○自分のものを一つ見つける

だから、自分が与えられたものは何かということを見ていく。そのためにはやっていくしかないのです。やらないのにこれだということはできない。やっていくと、何かしら自分に合ったものしか残っていかない。そうでなければ勝負できない。
世の中に優れた人はいます。だから逆に、それはあいつにまかせた方がいいなというような部分は切って、本当に自分の才能の生かせるところに、どう絞り込んでいくかということです。

歌もそんなに難しいわけではない。たった一箇所、ひとつの言葉かひとつのフレーズが相手に伝われば勝ちです。仮に10曲歌って、10回できたら、すごいライブです。ほとんどの場合は10曲歌って終わるだけです。何も残らなかったり、最後のあいさつしか残らないくらいですから。
そういうことでいうと、その一つから始まる。その一つをつくるのに、5年10年かけていい。
自分が感動したというのは、ひとつの大きな体験だと思う。そういうことをどんどん問うていくことです。
世界中の音楽に対して、チェックするのも邪道な聞き方だと思うのですが、本当はステージにいって、こういうところで自分は心が働くんだということが徹底してわかってくると、自分のベースはわかってくる。
それを自分がそのままはできないし、やってみてもそれだけのものにはならないはずだから、そこで違うかたちをとっていくはずなのです。それは一時期、徹底して真似していくのでもいいと思うのです。

○プロは解決より、創造で超える

課題があってそれを解決するという考え方ではなくて、クリエイティブな分野ですから、どれだけ課題を打ち上げていくかということだと思います。解決はあまり考えなくていいと思います。私も、常に先のことで歩んできました。そろそろ今までやってきたことをまとめたいと思うのです。先のこと、自分の課題をどんどんつくっていけば、後にいくつか残っていくというくらいになればいいと思います。
あまり、せこくプロとかプロじゃないとか、考えない。プロは、もし歌だけで食べているといったら、今、歌だけで食べられている人はほとんどいないです。職業として成り立たないくらい。もし歌で食べているとしたら、それは印税、作曲作詞印税ですね、ほとんどの場合。ヒット曲を出さなければいけない。それは歌い手でなくて、作詞作曲という別の世界です。

コンサートではどんなに人が入ってみても、日本の今の設備を考えてみたら、ほとんど赤字になります。CDで稼がなければいけない。作詞作曲をしている人以外には、あまりお金がいかない。冗談でもなく言っているのは、ストリートでやって、自分の出場所から直接お金をとればいい。プロダクションは、いい仕事をするには必要かもしれませんが、今はまともな歌謡番組もありません。どこかでやれた人が出てくる。
ストレートで1日1万円、どうやって稼げるかを考えてください。500円玉10枚と、1000円札5枚くらい。弾き語りで、実収入で1万くらいなら、いい収入です。歌い手で、手取りで月に30万稼ごうとすると、大変です。私の友達でプロの歌い手は、週に2回出て、2、3万もらったと。バンドでは出て分けて、経費を考えてみたら、1万円の手取りはいかないです。30万円にはならない。

そういう面でいうと、歌をプロということでやるにも、違うものを通しておくか、その延長上に何かを置いておく。そうでなければ作詞作曲も含めて、トータルで権利を持ち、インディーズでも何でもいいからやっていく。
そうやってお客さんから、道で1万円もらい、自分のつくったCDを1000円でも2000円でも売っていく。音楽ファンドができたり、いろいろな動きは出ています。500人でも1000人でも集めてみましょう。でも無理に集めた1000人は、それまでです。身内をカウントしないことです。大切なことは、新しい世界を切り開くこと。歌はうまいとか、声はいいとかよりも、結局そこでしょう。

・前の世代のを徹底していく。今やれた人を見ること。

○先取りしていく学び方を

 会報でサンボマスターと気志團を取り上げました。最初はよかったのです。考えてみると、お笑いも1年半かなと。彼らの場合もそれでやれる。中高年の人とかまで、見に行きたく思って、実際に見に行く。実際にその動かす力ということを見ることです。
それを今追いかけたら、遅いかもしれないけれど、時代を見る目になる。アーティストというのは、先の時代を先取りするわけでしょう。
俺だけしか感じていないけれど、2、3年先に、この感じが皆にわかるようになるということを、作品に表現するわけです。そういうところに生きていなければいけない。何でもいい体験になります。  海外に行くのも、日本の古いところを回ってみるのもいい。トレンディなところに行くのもいい。今すでに、流行っているものは遅いわけです。次に何がくるかということをどこかに入れておきながら、そういう生き方をしていればいいと思います。

なかなか生き方まではそうは変えられません。それは物質的にではなく、精神的なことだと思います。今やれている人たちを見ること、あるいはやれている人たちと交わっていくことがいい。
今、音楽は残念なことながら、そんなに有能な人材が目指しているとは思えない。むしろ音楽をやるのなら、音楽から離れた人材、同じ若手で世界を飛び回っている人、経済であれ、映画であれ、何でもいいと思うのです。そういう人たちから刺激を得ているほうが、いろいろな材料がある。

サンボマスターは研究熱心ですね。研究熱心なことが普通はテンションを下げてしまうのに、それをまったく振り切って、ステージであのテンションを保てる。それをヴォイストレーニングで考えたり、発声で考えるのは無茶です。
彼らが世界に出ていきたいと思ったときに、アメリカでやりたいと思ったときに、たぶんしらけるから、もう少し何かのベースが必要だというときに、ヴォイストレーニングでやりようがあるだろうと思いますけれど、実際はそんな必要もない。

メジャーになる人はメジャーな動きをしています。話を聞いていると、この人はまた別の分野でやれるんだろうと、こういう人と付き合っていて、こんなことをつくっていると、はっきりいって早いです。5年10年先を見て動いている。そういうものを参考にすればいいのではないかと思います。

5年後10年後、日本もどうなっているかわかりません。お笑いもどうなるかわかりません。内輪ネタすぎますね。もう少し政治や国際的なこと、環境のことに切り込んでくればいいのですけれど、それだけ視聴者のレベルが低いということなのでしょう。芸能界の裏ネタで終わってしまうようでは、一時のものにしかならないのでしょう。
歌わなければいけないことはたくさんある気がします。何を表現するのですかと聞かれますが、やってみなければわからない。考えて書くのですかと、聞かれます。考えないで書くわけではないけれど、生きていたら何かが残っていくだろうくらいのもので、考えていたら何もできない。だから、思うようにやればいいと思います。

Q.今からプロになるのは可能か。

A.プロと一言にいっても、いろいろなかたちがあります。具体的に想定されていますか。今のJ-POPSみたいなものを歌いたいとか、何でもいいけれど、ライブで歌いたいと思っているというのでは、目的になりません。まず、あなたにとってのプロというのを定義してみてください。

Q.高音域の声を長時間出すとかすれてしまうが改善できるか。

A.改善しましょう。自分の声の状態と疲れさせない発声を知ること。根本的には鍛えることです。疲れると、高い声のほうから出にくくなるでしょう。

Q.朝は出る低音の声が、夜には出なくなるのですが。

A.日中、高めで使うため、低音が出にくくなってきているのでしょうが、それでいいと思います。
元々そんなに低い声でないのでしょう。たまたま朝は発声器官が潤滑に動いていないから、そこまでテンションが高くないから、低いという気がします。
歌でも話でも、高いところでずっとしゃべっていると、低いところで出にくくなります。低いところで喋ると、高いところが出にくくなります。たぶん喋ることによって、高いところにシフトして、そちらで調整しやすくなり、逆に低いところが出にくくなっていると思います。ただ、これは声を聞かないとわかりません。

Q.心地よいビブラートの付け方

A.いろんな方法もありますし、試してみるのも悪くありませんが、私の方では、あまり意味のないこと、まして一人でやると誤解しやすいのでお勧めしていません。

Q.カラオケボックスで練習するのは効果的か。

A.カラオケボックスは歌える場所ですから、本人がどう使うかということです。ヴォイストレーニングからいうと、あまりマイクを使ったり、エコーをかけたりするとわかりにくくなるので、それはなしにしたい。スタジオほどよくはないけれど、声を出すことを許されているところなので、使いようによっては効果的だと思います。

☆Q.カラオケの得点法について知りたい。

A.得点に関しては、各社ともいろいろなからくりがあります。最近のはかなり複雑です。昔よりは得点がかなり甘くなっています。あまり信じる必要はないと思います。ただ、悪いよりはいいほうがいいという目安です。
いい得点を出そうとすると、ずらしてはいけないとか、フェイクしてはいけないとか、声の質をそろえたほうがいいとか、採点しやすいようなところに合わせなければいけない。それ以上には使う必要はない。それを審査の対象にしましょうというのはないですね。ひとつのゲームだと思っています。音程やリズムということであれば、目安にはなるのでしょう。

Q.プロはカラオケでよい点数がでないのか。☆

A.カラオケの採点は、メロディデータに基づき、音程、音量、リズムでチェックしています。メリハリ、抑揚、こぶしは、メロディのデータからずれるので減点されるため、歌唱力、とくにオリジナリティがありすぎると、高い得点が出にくいといわれてきました。メロディどおりに、大きな声で歌うのがコツでした。最近は、人の耳で聞いたときのうまさとして、歌い方の技術が加点されるようになりつつあります。

ビブラートやしゃくりあげ(低く出てもちあげる)が加点される「エクシング」パターン認識技術を使っています。ビブラートのほか、抑揚、タメを入れたのが第一興商です。これらが表示されるため、どういう歌唱法が使われたのかを歌っている人もチェックできるようになりました。ということで、カラオケ採点システム以前の通説をカバーするくらいの進歩中ですが、行き着く先、プロによるということでしょう。歌手本人の歌からサンプリングすれば、本人のがもっとも高いとなりそうですが。

Q.音楽や声優の業界とルックスというものは、関係ありますか。

A.これはビジュアルそのものよりは、個性と格好よさの問題と思います。モデルやアイドル系は別です。
オペラでも、実際には声ですが、舞台としての見栄えとして問われてきています。昔は、若い女性の主人公を、60歳くらいのそうそうたるソプラノの方が演じたときにも、耳で聞いていたので違和感はなかったのです。
今は映画と同じような傾向が徐々に強くなっています。声優でも顔が出ないから、声が若ければいいはずですが、音楽は音楽性、歌の中での歌唱力が優れているということです。何もなければ、何でもあるほうがいいのです。第一優先されることはありません。
一概にルックスといいますが、そこそこのルックスではルックスとはいえない。これは女優さんや俳優さんでも、20歳くらいまでで声をかけられなかったら、30、40代になってルックスがという人には、諦めたらと思う。いい人という人は10代のうちにだいたいそういう業界に入っています。雑誌の表紙になったりしている。学校の中や、街の中では目立つくらいでは通用しません。

Q.ミュージシャンとルックスはどうですか。

A.ここの場合、変えられないところに関しては、見向きはしません。ルックスは、昔と違ってミュージカルでも何でも全部作りこめます。たとえば、どんな顔でも、ステージではきれいに格好よくなります。整形までしなくても、メーキャップの技術が発達しています。だから全然気にする必要はないのではないでしょうか。工夫しましょう。

Q.猫背なのですが、よくないですか。

A.猫背といった、姿勢の問題というのは、意識して直すことでしょう。ヴォイストレーニングよりは、整体、ウォーキング、モデルの育成、マナーの学校もありますが、ダンス、バレエ、武道のほうが早い。姿勢の問題は、特に背の高い女性が、日本では何となくコンプレックスで悪くなったりしますが、そういうのを払拭するには、考え方のほうが大きいでしょう。

Q.低中音が一定の声量を出せない。

A.自分の持ってうまれたところで、あまり低音域がうまくいかないようであれば、今の歌の世界の中では、切り捨ててもよいのではという感じです。低音を響かせなければいけないというようなところで、今のお客さんはあまり聞いていないです。昔はそういう低音の魅力といわれていましたが、これは音色のことです。

もちろん、ハモネプとかアカペラのコーラスで、低音部を受け持つという人の場合は必要になりますが、そういうのが得意な人がやるほうがよい。高いところは伸ばしてもいいと思うのです。伸びますから。低いところに関してはやらないよりはやってみたほうがいいくらい。それを必要とされていないし、言葉でやることもできます。

Q.歌の登竜門ってありますか。

A.ボクシングの世界と違って、チャンピオンということはない。歌唱力でグラミー賞ということではない。トータルということで、曲として売れてヒットして、その上で実力がどうかということ。目指しているのは、昔のように紅白のトリと、そんな価値観もなくなってきたので難しくなってきました。文化的なものですから、相互に比べて争ったりということもない。クラシックはコンクールで賞をとっていかないと、なかなかやっていけない。ひとつのお墨つき、肩書きがいる。

Q.どうすれば自分のオリジナルの声で歌うことができるか。

A.オリジナルの声が特別にあるのではない。元々自分が持っているものを磨いていくことです。ヴォーカルの場合、オリジナルの声というのは、わかりにくいですね。皆が喋って、それぞれ声が違うというのも、すでにオリジナルという部分があるわけです。どこまで声が必要かということも決まっているわけではない。
ピアニストだったら、少なくともこのくらいの曲がすぐに弾けなければというのがありますが、それでなれるわけではない。ヴォーカルの場合は、この歌を歌えなくても、どうでもいい。キーやアレンジを変えてもいい。どういうふうに世に問うのかというほうが大切です。そのため、基礎や技術は、その人の求めるところまでというふうになりがちですね。

Q.滑舌が悪く、ライブをやっているときに、声が通らない感じがします。いい方法がないかと。

A.滑舌の練習というのがありますが、基礎をやってからやる方がよいと思います。

Q.滑舌がよくないと致命的なのか。

A.滑舌の問題も、よくなったからといって伝わるわけではない。その前に、発声につくイメージみたいなものが大きいです。滑舌が回らなかったら失敗するというのは、言い違いだけです。たとえばアナウンサーやナレーターではまずいでしょう。けれど、日常においてはどうってことない。滑舌がきちんとしているけれど、その言葉がしっかり伝わらないとか、意味がきちんと理解しにくいというほうが、よっぽど問題なのです。
歌い手でも、「さ」が言えないというなら、言えたほうがいいけれど、言えないからといって、その歌が伝わらないとしたら、それは「さ」の問題ではない。結構、そういうふうに思ってしまう人も多い。話も同じです。声や発音のせいと言えないことがたくさんあります。

Q.俳優と音楽をやっています。声というものに通じるものがあって、重要なものだと思うのですが、レッスンをやったことがありません。きっかけで先生の本を読んで、講演会で新たな発見があるかもしれないと思ったので来ました。プロダクションに養成所はあるのですが、そこには入らなかったのです。自分のプロダクションのレッスン機関では、納得しにくかったということです。

Q.呼吸法がよくわかりません。

A.舞台で、どこまで呼吸が必要かというと、ケースバイケースです。その最大の要求に対応できる体づくりをめざすのがトレーニングです。水泳の選手と同じで、肺活量が大きいからよいのではない。それだけ鍛えられて、その場で瞬時にコントロールして使えるようになっていることが必要です。
今の日本人に呼吸を教えるのが大変なのは、その必要性が入っていないケースが多いからです。目的とする歌、あるいは自分の歌のレベルが、呼吸も体力も必要なければ、それは身につく必要もなく、トレーニングをする必要性がない。せいぜい柔軟くらいをやっておけばいい。

日常の声を出すよりも小さな声で歌うのだったら、呼吸筋を鍛えるにもわかりにくいものです。ストレスをなくして、リラックスしているほうがよい。トレーニングやレッスンでストレスになっていると、余計に声が出ません。
やらなければいけないことは、そういう個々のことに入る以前の問題です。ヴォイストレーニングの呼吸もまた、器そのものを大きくすることに目的があるからです。そこで声楽と共通してくるのです。

Q.呼吸法の習得

A.呼吸法のベースは、普段リラックスしてやっているのでよいのです。特別な吸い方、吐き方があるのではない。
最近は腹式呼吸とも言わなくなって、私は深い息と言っています。深い息と浅い息がどう違うかというと、たぶん少しの違いだと思うのです。普通に息をしているということも、かなり難しいことなのです。
これは病院でも入ったり、長い病気でもしてみたら、深呼吸するのさえ難しくなる。人間の体はそこまで精密にできています。それをまったく新しい呼吸に変えてというのは、できない。変わらないわけです。その上で、必要に応じて対応できる力を身につけていくということです。
水中動物から陸上動物に変わったわけで、それ以上に変わることはない。
まず息。常に2つ考えておいてほしい。トレーニングでないのなら迷わないのだけれど、いろいろ学ぶと、いろいろな考え方があって迷います。そこでは、常に現実を見ることと現場を見ることです。

Q.姿勢の問題について

A.本に書かれた姿勢で歌うのですか、という質問がきます。
本に書いてあるのは、声を出すのに対して習得するための姿勢です。バッティングでいうと、基本フォームみたいなものです。試合のときもそれで打つのかというと、そうじゃない。とんでもないボールを当てなければいけない。
イチローは、バウンドしているような球に当てていた。ヒットになれば結果OK。ただ、それをやっていると、基本が乱れてしまう。戻して練習するというのが、基本なわけです。

Q.腰に空気が入らないとだめなのか。

A.現実に息ということ、呼吸法を勉強するときには、呼吸を見ればいいのです。声楽家の人は体をさわらせて上げる人もいます。
ポップスの場合は、私が見ているかぎり、腰まわりがすごく動く人もいるけれど、あまり動かない人もいる。歌い手のレベルに限らず、体つきとかそういうものによってもずいぶん違う。こうやって動くでしょう、あなたもそう動かしなさいというのは参考にですね。あなたが5年10年やったら、私や声楽家のように動いてくるかもしれない、でも動かなくても演奏ができていたら問題がないというのが、正しい答えだと思います。

Q.深い息とはどんな息か。

A.あなたが歌った歌には、深い息が聞こえますか。世界中のすぐれた歌い手があまり音響加工をしないで歌っているもの(つまり、古いもの)を聞いてみてください。トレーニングをするときには、その人がそこに立って、歌ってみると、そういうふうに聞こえるというもののほうがいい。何千万円する音響機材で加工したものは、体を読み込めなくなってしまいます。素直に体が読み込めるために、そういうふうなものを聞くとよいでしょう。
聞いてほしいのは、息です。日本人のプロの歌にも、深い息はあまり入っていないです。だから、それよりも高いレベルのことを目的に、イメージと同じで、そこまでいかなくても、目指そうということです。

Q.目標のとり方について教えてください。

A.少なくとも日本の歌い手を目指していたら、日本の歌い手にもなかなかなれない。世界を目指していたら、日本くらいでは通用するようになるくらいの必要性が与えられると思ってください。そこが一番ヴォーカルや歌の場合、大切だと思うのです。身近なところに手本をとってしまうと、J-POPSもそうですけれど、同じように歌えているとか、俺のほうがうまいのではないかとなり、そうすると課題が見えません。
トレーニングはギャップを埋めにくるように思われているのですが、まず、ギャップをつくる。
自分がうまいと思っていたら、学びには行かないでしょう。どこかでこれじゃダメだと思っているというのが、より高い目標があるということです。

Q.歌のテクニックをすべて身につけたい。

A.歌の中には、必ずごまかしがでるのですが、そのごまかしも歌の中では必要なテクニックとしてあります。歌が盛り上がらなかったら、こうやったら、何となく盛り上がっているようになるとか、ここでビブラートをかけたらいいとか、あまり言いませんが、そういうことにこだわって、いろいろと習得したいという人がいるのです。
私は大反対で、そんなものを全部集めたら、寄せ集めた歌になってしまう。歌はそんな複雑でちぐはぐなものではない。その人の体、つまり声が歌い手として、足りるだけに鍛えられて、音楽的な感覚が入っていたら、好きにやれば歌になるのです。もちろん、そうたやすいことではないのですが。そんな問題が発生すること自体がおかしいと思います。現実を見たときに、必ずしもヴォイストレーニングや発声練習をしたりして、プロの歌い手になっているわけではありません。

プロがやったことの一つは、徹底して一昔前の一流のヴォーカリストを聞いていることです。
歌がどうイメージされるかということと、その構成実現力に、歌の才能があります。
オーケストラでも、指揮者以外はすべての音を聞いて、すべての音を分析しなければいけないかというのではない。
すごく高い、特殊な能力がいるのですが、単純なことでいうと、自分で徹底的に気持ちいいということの快感を何か知っていたらいいのです。すると自分で歌ったり、こういうものを聞いたときに、何か気持ちよくないとわかる。そうしたらそれは何なのか。音程が外れているとか、声がつなげていないとか、リズムがのっていないとか、こういうふうに入ってほしい、そこに敏感であれば、そういう世界が見えてくるでしょう。

Q.誰の歌から学べばよいのでしょうか。

A.どのプロの歌の1曲の中にも、一生かかっても学べないノウハウがあります。
ほとんどの一流の人は、1曲の中から多くを学んでいます。一流のプロは徹底して学びます。それをアレサ・フランクリンのレベルでとるか、SMAPでとるか、そこでずいぶん違ってくるでしょう。
好き嫌いではなくて、優れたもので学ぶようにということです。それが最近は難しくなってきています。若い人にはそういう曲は、肌に合わない。ただ、それは好き嫌いなのです。自分の体を変えて、声の技術を磨こうと思うのだったら、嫌いでも、これこそはプロと認めざるをえないと思うものに学んだほうがいいのです。目標としていることは、上達しようということでしょう。

Q.周りからうまくなったと言われるのですが、実感がないのですが。

A.多くの場合、その基準は、何となく、周りがうまくなったねと言ってくれるようなものでしょう。何となく平井堅さんの歌い方などに似ていたりしたら、うまくなったねと言われる。でも、彼らを超せないでしょう。超せなくても、異なる魅力をアピールできたらよいのです。
プロは、すごく細かいところにいろいろな才能があって、そういうことをくみ上げた歌唱になっている。
トレーナーでも彼の歌をよりきれいには歌えるけれど、彼のように伝わるようには歌えない。そこに彼の才能がある。それをどんなに真似てみて、近いようにやっても通じないでしょう。それなら、トレーナーが歌う方がよいということになってしまうでしょう。

Q.ひとりよがりと、オリジナリティの価値との違いってあるのですか。

A.ひとりよがりと独創性の違い、オリジナリティ、それは明らかに違うと思っています。自分がはじめてやったらオリジナリティと、そんなものではないのです。むしろ、そのベースはクラシックの基礎ということに近いです。自分のもつもっともよいものを取り出して磨くのです。
その人に与えられた体の中、あるいは感覚の中で磨いて、きちんと使って出していったものが元です。それが今の時代の歌に合わなかったり、世の中の求めているものに合わない場合もあるかもしれません。けれど、アーティストはそれを深めることによって、世の中を変える方向までやってしまう。だから世の中に合わなければ、よりOKだと思ってもいいわけです。(最初は、ですよ。これは一言で述べられないことです。)


■トレーナーのアドバイス 
レッスンの中での概要です。これらのメニュが必しも誰にでもあてはまるものとは限りません。参考にとどめておくようにしてください。

<レッスンのアドバイス>

○発声練習の矛盾

レッスンしていると、発声練習の時はよい声なのに歌になると発声練習の時とは全く違った声を出す人が多くいます。歌う前に声を出して喉を温めたりよい響きの位置を掴むなどの利点は沢山あると思いますし必要不可欠なものだと考えています。
しかし結果論として歌に反映されなければ意味がないことではないでしょうか?
そう考えると必ずしも発声練習ばかりを行うのではなく、それとともに様々な種類の曲をこなしていくことも勉強だと思います。
自分の好きな曲、歌いやすい曲色々あると思いますが声の出やすい曲をベースとして苦手な曲にもどんどん挑戦していって欲しいと思います。
歌えなかった曲が歌えるようになったときあなたの歌い手としてのレベルは飛躍的にアップすることでしょう。 (♭Σ)

○注意をよく聞く

なにか曲を歌っていると、だんだん音程がずれてきたり、とんでもない音程で急に歌いだしたりしてしまうことがあります。
このようなことを、たくさん見てきましたが、やはり共通しているのは、あせっていたり、他のことで頭がいっぱいで周りが何も見えなくなっている、もしくは余裕がなくなっているということです。
最初に聞いたときに、びっくりするような音程で歌った人でも、ピアノをよく聞くことを徹底させていけば、すぐにきれいな音程で歌えるようになります。ア・カペラで歌う時以外は、必ず相手の演奏を聞くように心がけてください。(♯Б) 

○気持ちを強くしよう

何人もの生徒に触れていると、第一印象で大体どんな性格か生活をしているか、の想像がつく。見ていると、中には「弱い」タイプの生徒がいる。みんながみんな強いわけではないから、弱い人がいて当然なのだが。弱いとは?
先ず、気持ち。たとえば、想像するに、こんな思考回路だろう。
「今週はバイトが忙しくて全然練習できなかったなぁ〜」
「今日のレッスンどうしよう?先生に怒られるかな?」
「行こうか?休もううか?」
と、グルグル考えているうちに、今から出ても遅刻になる時間→結局キャンセルというような。よっぽど、風邪で喉が腫れているということでもにかぎり、どんな状態でもレッスンに来るべきだと思います。続けることに意味があるし、先ずその場にいかなければ何も始まらない。
2点めは、体力。これは日々自己管理をしてもらうしかないですね。(♯Θ) 


<声、せりふ、歌のアドバイス>

○裏方の大変さ

先日、1500人程収容できるホールで短編日本語オペラの舞台監督の仕事をしました。キャストは皆、日本を代表する歌い手の方々でお客様も子供を中心に満員に近い集客でした。しかしその公演は手作りに近い公演だったので舞台上の裏方も5人しかおらずてんやわんやでした。
普段歌い手として舞台に立っている私にはこの経験がとても新鮮で、私のトランシーバーでの指示一つで照明さんや音響さんが動き出し舞台が変わっていく姿をみていると歌っているときとは違う感動がありました。
その分私の指示が遅れたり早かったりすると舞台が進行しないなど緊張の連続であり一つのミスが多くの人たちに迷惑がかかる仕事でした。普段何気なく歌っている舞台でも多くの人たちに助けられ支えられているんだと再認識させられました。
皆さんが舞台で活躍していても自分一人で舞台が成功したとは思って欲しくないと思います。

○人前で歌う事の習慣

プロであったりプロを目指しているものならば人前で歌うことは避けて通れない道です。
私達歌い手はどれだけ練習やリハーサルが上手くいこうとも本番で上手くいかなければそれが本人の評価になっていくのです。
先日私と大学時代の同期で大変美声の女性の方と共演しましたが、大学を出てほとんどレッスンを受けることなく舞台を踏んでこなかった彼女の声は大変がっかりするものでした。人前で歌うということは勿論、他人の評価が付いて回りますし人の目が気になるものです。しかしそれを避け、どんな事情にしろ訓練を怠った声では人に届けるものは何も無いと思います。
音大生が何千万というお金を注ぎ込んで勉強してきても、勉強を怠り、舞台を重ねていなければ素人となんら変わりなくむしろ知識だけはあるマニアと変わらない存在になると思うのです。それならば楽しい歌を皆で作っていくママさんコーラスや児童合唱のほうがよっぽど有意義です。
駅前や公園などでの路上ライブでもいい。練習だけではなく本番を積み重ねて入ってください。本番が決まると必然的に練習は必死にやっていくものです。百回の練習より一度の本番です。

○体とノドのケア

これは自分の実体験からですが、自分の体調がすぐれないとき体力が落ちているときに最初におかしくなるのは確実に声帯です。私の場合生まれつき扁桃腺が大きいということもあると思いますが、すぐに声がだしずらくなります。テノールという声種のため、負担が大きいということも原因にあげられますが、仕事や公演が続いた後などは気をつけていても負担がかかっていることが多いです。
そのような時私はかかりつけの声専門の耳鼻咽喉科にいくと同時に整体やマッサージ、鍼などに足を運び体力の回復、体のケアにもつとめます。
私達歌い手は体が楽器なので日常のさまざまな事がもろに響いて声にでてしまいます。
体力、気力の充実はそのまま自分の声となって外に出て行くものなので自分自身で気をつけなくてはいけません。 自分の体調管理もプロとしての仕事の一つです。それでも病気になるときは病気になります。そのようなときに早く対処することで自分のノドや声を守ることができますよ。 (♭Σ)

○演奏家に求められるもの
 
演奏家は自分の感性を表現して初めて演奏家となります。きれいな声でもそうでなくてもいいのです。きれいな声でも機械のように味気のない音しか作り出せないのでは音楽ではないのです。BGMとでも言いましょうか、人に訴えかけるものではなく、右から左に通過する音でしかないのです。
自分で作詞・作曲した作品であれば、自分の伝えたいものは明確かもしれません。しかし、歌い手は自分の曲しか歌わないという事はありません。どんな曲を渡されても、自分なりに解釈し、それを表現しなければならないのです。そのためにテクニックが必要になるのは言うまでもありません。
歌い手はいいものを聴衆に聞かせるためにいるのです。「この曲はとてもいい曲ですから是非聴いてください」という気持ちを持ってください。歌う意義をもう一度考えて見ましょう。

○一生勉強
 
みなさんが歌を続けている理由は根本に歌が好きだからではないでしょうか。「好きこそものの上手なれ」といわれるように、好きでなければ上達はしません。より良いものにしていこうとする向上心が必要なのです。しかし不思議なもので、追求すればするほど分からなくなるものです。自分のしていることに自信が持てなくなったり、不安になったり、はたまた声を出すこと自体苦痛になるかもしれません。しかし、それらの困難を解決したときの喜びは本人しか味わえないものです。出したい声が出せるようになった、と言えるようになるまでには時間がかかるかもしれません。それどころか一生追求していくテーマではないでしょうか?声作りはその一生を費やすほどの価値があるはずです。継続は力なり。やめるのは簡単です。どうぞ続けてください。そして、完成なき完成を追い求めましょう。(♭Π)

○気力・情熱について

何事も情熱・パッションがあれば、うまくいくのではないかと私は思っている。歌においても、テクニックは素晴らしいが情熱・心のない人の歌ほどつまらないものはない。私の友人の歌手が、自分の音楽を愛する心を確認するため、アマチュア合唱と共演するのが好きだと言っていた。第9の合唱団などは、ほとんどの市町村にあるだろうし、中には数百人の団もある。もちろん、テクニックはプロの合唱団とは比べものにならないが、彼らの歌魂にプロはかなわないだろう。とにかく、熱くて一生懸命なのだから。そして、時にその歌魂がテクニックを超えた感動を生み出すことがあるのだ。まあ、これは一つの例であるけれど、情熱がある人にはかなわない、ということを言いたかったのだ。歌は自分が楽器であるから、心身のバランスが特に求められる。体に思うように動いてもらうためには、自分が先に先にコマンドしなければいけない。コマンドはテクニックでもできるが、何よりコマンドしようという気持ち・パッションが必要なのだ。(♯Θ) 


<メニュ>

○発声(鼻ハミングの後に…)

ド−レ−ミ−レ−ド o/a/No/Na/Mo/Maなどで行なう。
※母音のみで発声する際は、音の輪郭がぼやけないように。
また音の高さが曖昧にならないように。Nを付けて行なう際は、N子音をしっかり発語すると、声が鼻くうを通る筋道が分かり易い。
A母音は出し易い反面、声が拡散し易いので注意です。

ドレミレドレミレド− o/a/No/Na/Mo/Maなどで行なう。
※音数が多いので、淀みない流れの中で声を出すように意識して。
2回目のド音が下がり易いので、注意。声を固めて定めてしまう  のではなく、力まず声・声のポジションを上に引っ張って音程を保ちましょう。
応用形でPoを用いてスタッカートで行なうとちょうど良い腹筋運動にもなります。(♯Ψ)

○横隔膜の強化

横隔膜の強化は、大きな声をださずとも、トレーニングできます。
電車の中で、一駅ごとに息をとめたり、カセットテープをたてて、ある程度離れた所から息を吹いて、倒してみたり、座って、息をためる練習も効果的です。
息を溜める練習を正しくやるには、まず、息を吐ききってしまったところから始めなくてはなりません。
そして、みぞうちと腰に手をあてて、息をためます。
息を溜めるとき、イメージすることが大事です。
蛇口にビニール袋の口を当てて、水を出すと、底から、水が溜まります。
そのイメージで、口から、ストローでジュースを飲むイメージで息を吸います。
すると、お腹に重みが掛かります。
その重みを保ったまま、上の歯と下の歯をつけて、息を吐きます。
息をお腹に溜めるとき、よく、お腹を故意に張らせてしまって、入ったつもりになることがあります。
重みを感じて、量は少しでいいので、入れてみてください。
また、座って、足を組んで、みぞうちに、ゲンコツを入れて、思い切り、息を吹く練習も効果的です。(♯Ω)

○サ行とハ行
 
ア行から50音順を読ませると必ずと言っていいほどサ行、ハ行の壁にぶつかります。単純にサシスセソ、ハヒフヘホと言うだけなのですが他のカ行、タ行、ナ行、マ行、ラ行、ヤ行に比べると鳴りが明らかに弱いのです。
他の行に比べて子音の鳴りが強く母音の鳴りが弱すぎるのです。
サ行、ハ行は破裂音(パ行、バ行など)や摩擦音(ザ行、など)にくらべると息の音で出て行く言葉なので、声帯を鳴らさなくても出てしまうのです。
レッスンや練習、訓練中はなるべく有声化してしっかり母音を慣らすことをお勧めします。そうすることでサ行、ハ行にもしっかりとした母音が鳴り出し、他と遜色ない言葉になると思います。(♭Σ)

○ヴォイストレーニングの姿勢

ここで行っているのは実践ではなく、トレーニングです。基礎がメインなので、姿勢も「良い姿勢」といわれる型で歌う事ができるようにしなければなりません。この姿勢は無意識では決して身に付くものではありません。普段の生活から取り組むようにしましょう。

1.両足をぴったりとつける。2.かかとを動かさずつま先を開いていき、これ以上開かないというところまで持っていく。3.かかとを気持ち開いてあげる。このとき骨盤が開き、足は逆ハの字になっていることを確かめます。4.次に背筋を伸ばします。両腕を耳の後ろで上に伸ばしましょう。5.そのまま腕を下ろします。このときの状態は鳩胸のようになっていると思います。つまり、猫背ではいけないということです。6.そして、最後にあごを引いてください。目線も定まってくるでしょう。

かの、オペラ歌手マリア・カラスは次のように言っています。『音楽は英才教育ではなければいけません。早ければ速早ほどいい。小さいころから姿勢を正し、語学を身につける。ここに音楽の基礎があるのです。』

○柔軟体操
 
柔軟体操の必要性は脱力にあります。歌に限らずなんでも「自然体」が一番良いのです。何か特別な事をすれば必ず緊張し体もこわばってくるものです。役者でも歌手でも本番前の舞台袖では緊張をしているものです。しかし、プロはその緊張のほぐし方を知っています。それは、「自然体をつくる」ことです。
その際柔軟体操が効果的なのです。体は柔らかいに越した事はありませんが、柔軟体操をするというのは別にバレリーナのようになってください、ということではありません。夜、布団の中に入ったときのあの全身の脱力した体を、立っているときでもできるようになるのが理想です。そのために、柔軟体操を通して、どこをどうすれば、この緊張感がなくなるか、と常に考えながら体操をしてください。闇雲に体操をしていればよいわけではありません。柔軟体操の仕方はそれぞれ自分にあったものを行えばよいと思います。目指すところは夏休みの集団ラジオ体操のように型どおりにやることではなく、いかに脱力感を得るかにあります。 

○腹式呼吸の仕方

姿勢は「ヴォイストレーニングの姿勢」で説明した状態をキープしたまま、右腕を肩の高さまで上げ、人差し指を立てます。この人差し指をロウソクと見立て、第一関節を炎とします。この炎を細く長く、均等な勢いで消すつもりで息を吐いていきます。
この時、息が散らばってしまい炎が揺らぎもしないといけません。そして、大事なのはある程度のところで息を吸いなおしてはいけません。もうこれ以上吐けないというところまで吐ききるのです。そうすると、膀胱のあたり、おへそから下3pほどの『丹田(たんでん)』というところが痛くなると思います。この丹田の意識をつかむことが大事なのです。
呼吸法に限らず歌う時も、この丹田を意識した呼吸で息の出し入れをします。息は吸うのではなく、吐ききればおのずと取りこまれるものです。吸うときは鼻から吸うようにしましょう。これは声帯に負担をかけないようにするためです。
水泳の息継ぎと同様、苦しくなれば吸えばいいのです。そのとき、たくさん空気を吸ってやろうと欲張り根性を出すと水まで飲み込んでします。体は自然体が一番良いのです。(♭Π)

○共鳴

皆さんはどこから声が出ると思っているだろうか?出るというか、どこで響くと思ってるだろうか?声を発したり音程をとるのは、もちろん喉(声帯)である。人の体は、たとえばチェロやヴァイオリンなどの弦楽器と同じで、弦楽器のひょうたん形のくびれた部分が声帯にあたり、そこを指でおさえ、音程をとる。しかし、実際に音が響いているのは、くびれの部分ではない。膨らんでる部分が共鳴部分となり、響きが生まれるのだ。だから、人でいえば、上半身や頭蓋骨の中が共鳴するべき部分である。そして、体全体のバランスが何より大事である。いわゆる喉声の人は、喉だけで頑張っているため、喉に響きが集中し、そばなりの声となり、小さくまとまってしまう。頭の中だけでつくろうとしてもダメである。どこかを偏って使っていると、そこに響きが集中してしまうのだ。「歌の人は体が楽器」というのは、なにも喉だけを言っているわけではない。そのためには、体のケアも日頃から大切に。肩こりなどはもってのほか。柔軟に動けるよう柔軟体操などを心がけてください。

○子音について(1)

日本人は母音と子音の感覚が弱いといえるだろう。なぜなら、たとえば マ は、マ と表記し、M+A から成り立つという考えがないからである。特にラ行は、西欧のLでもRでもない。イタリア語が歌にもっとも適した言語と言われるのは、子音+母音の形がわかりやすく、母音がよくきこえるからである。歌においては、母音で響かないことには始まらない。母音が響くのを子音が邪魔してはならない。むしろ、子音を有効的につかって、母音で響くための助けにしなければならない。なので、先ず大事なのは、母音と子音の区別を意識し始めること。普段、何気なく話しているときにもふと思い出してみたらどうだろうか?次に子音をつかった発声をするときに実践すること。
(例)マ ミ ム メ モ → Ma Mi Mu Me Mo
   ラ行の場合は、発声の場合 L と捉える方がいいので、
   ラ リ ル レ ロ → La Li Lu Le Lo
   という具合に。      

○子音について(2)

母音が響くのを子音を使って助けるということを述べたが、どういうことか?
子音には
有声音(M N L V など)
無声音(H K S など)
破裂音(P B など)
がある。この中で特に母音が響くことを助けられるのは、有声音である。有声音は、音が有るという名前の通り、有声音の子音自体が響くことができるからである。 なので、たとえば Ma で歌う時には、歌う音の高さで先ず意識的に M を準備し、響かせる。その準備がないで発声しようとすると、母音も下から押し出したような音になってしまう。子音を準備して、上から無理なく降りてくるような息づかいで歌うのが理想である。 (♯Θ)


<トレーナーのお勧めアーティスト>

○ハネケン

ハネケンという愛称で親しまれてきた、ピアニストで作・編曲家の羽田健太郎さんが6月2日に亡くなられました。58歳でした
ニュースステーションで、全国の名所にピアノを持っていき、ある時は満開の桜の下、ある時は富士山の頂上、ある時は雪の中…どんな場所でも、魔法ではないかと思うくらい手が自由に動き、心地よい音楽を奏でていた方でした。
最近では、「題名のない音楽会21」で司会を務めており、クラシックのまじめなことからブームになっているジャンルまで、幅広い音楽に対して楽しさを失わない語り口でいつもお話ししていました。

彼は、音楽大学を出て、クラシックの有名なコンクールでよい成績もとっている優秀なクラシックのピアニストでした。最近でも、オーケストラと共演を重ねていました。ドラマ「砂の器」で流れていたものも、彼の演奏です。
その一方で、大学在学中より、スタジオミュージシャンの仕事を始め、歌謡曲やジャズにも興味を持ち、ジャンルを問わず、どんなものでも弾けてしまう日本ではなかなかいないピアニストになりました。渡る世間は鬼ばかりのあの有名な曲は、彼の作曲です。

この「ジャンルに縛られない」という気持ちは、非常に大事だと思います。自分は、ポップスの歌手になりたいから、クラシックなんて知らなくていい、できなくていい・・・これはおかしな考え方です。全ての音楽は、つながっています。いちいち、線引きをして分ける必要はないのです。
そして、どんなことでも、できないより、出来るほうがいい。知らないより、知っているほうがいいのです。

彼は、クラシックの忍耐のいる練習で鍛えた手で、とてもきれいな「星に願いを」を弾きます。今、はやっている歌謡曲を、さらりと自分のテイストを加えながら素敵なピアノ曲に変えてしまいます。「エリーゼのために」をかっこよくジャズにアレンジしています。

何でもできてしまうのは、彼がただただ音楽が好きだからです。
機会があれば、CDもでているので、聞いてみてください。
自分のスタイルが確立できていた人だからこそ、人々の心にずっと残っていくでしょう。 

○クロード・アシル・ドビュッシー
(Cloude Achille Debussy)1862年〜1918年

フランスの音楽家で、印象主義音楽の創始者としいて知られている作曲家です。
この頃は、絵画においても印象派と呼ばれる人達が活躍した時代です。マネー、モネ ー、ドガ・・・画家たちとの親交が深まると、それが作曲にも影響を及ぼし、ドビュッシーの作品は、印象派の絵画のような、豊富な色彩感覚や透明感を持っています。
この時代のピアノは、現代のものとそう変わりなく、音色やペダルの響きなど今のピアノでドビュッシーの作品を再演しても問題がないといっていいと思います。

ドビュッシーのピアノ曲は、ちょっと不思議な響きがします。
しかしそれは耳障りではなく、心地よい気持ちにさせてくれるものです。
曲名を知って聞くと、ドビュッシー独自の世界観がよりわかります。
一度、聞いてみるのをお勧めします。
例えば、象の子守唄(子どもの領分より)。日本の童謡、「象さん」とは全く違うのに、やはり、象が頭に浮かびます。その象は、本物の象なのか、フェルトでできているのか、空想の世界の象なのか…。
他に、有名なものでは、アラベスク第1番や月の光などがあります。(♯Б) 

○ワルトラウト・マイヤー

ドイツ人のメゾソプラノを紹介したい。ドイツ系のメゾソプラノの中で、いま一番世界の歌劇場で引っ張りだこな人である。日本にも何度となく、ワーグナーのオペラ出演などのため来ている。その彼女が一昨年に行ったリート(歌曲)中心のリサイタルの模様が、先日BSで放送されていた。ドイツといえば、ワーグナーなどのオペラのほかに浮かぶのがリート。でも、リートは数分で一曲(物語)が終わるため言葉が命だから、その分子音が強調されるようなイメージも強い。しかし、マイヤーのリートはそのイメージを私にくつがえさせた。一瞬、イタリアのベルカントを聴いたのかと思った。リートの枠にとらわれることなく、声が自由で決して暗い声にならず、そしてドラマティックであった。よくリート専門の人は、オペラは歌えないけど、オペラ歌手はリートを歌える人もいるという。声(楽器)をもって生まれたかという問題もあるけれど、それは表現にリミットがあるかないかの問題だと思う。マイヤーのようなオペラ歌手でも、ドラマティックさと同時に繊細さを兼ね備えていれば、リートも歌えるわけである。彼女のCDも沢山発売されているので、是非機械があったら、聴いてほしい。もしくは、次回の来日の際、生の歌声を聴きに行くのはどうだろうか?!(♯Θ)


■チーフトレーナーの一言アドバイス 
自分にあてはまるものをチェックしてみましょう。

<発声>

○声を遠くへ伸ばすイメージ、そしてお腹から声を出すイメージ、このふたつのイメージを忘れずに、歌っていくこと。体をしっかり使っていくこと。

○いい声が出ているが、ひびきが散漫になってしまう。基本の「ア」のひびきに「エ」「オ」を合わせていき、流れをスムーズにさせていくこと。

○音にも慣れてきたので、音程を正確にしていくこと。ことばがつくと不安定になってくるが、母音だけだと安定してきている。母音の感覚をもっと感じて、ことばに生かしていくこと。

○ひびきを縦にしていくこと。口も少し縦にしていくこと。深いひびきを自分で聞き、そのひびきをキープできるようにしていくこと。縦のひびきを大切に。

○のどに力が入ってしまう。いい声をしているので、体から声を出していくこと。音を点で取ってしまうので、流れの中で取っていくこと。

○人前で話をする際のテンションについて。気持ちが上がると、息も上がってしまう。自分の体と相談しつつ、深いポジションをキープできるようにしていくこと。

○縦のひびきを意識していくこと。口の奥を開けていくこと。すべての母音を同じひびきで統一させていくこと。

○忙しい中でも、日々のトレーニングを大切にしていくこと。短い時間でもいいので、続けていけるように工夫していくこと。

○細かいことにこだわりすぎて、肝心なところを見失ってしまう。地声で歌っていくのだから、100%力を抜くことはできない。いかに力を分散させていくのかを考えていくこと。

○技術的なことに目がいきすぎて、前に進めなくなっている。できないことではなく、もっとできていることに目を向けていくこと。積極的に前向きに考えていくこと。

○なめらかではあるが、音程が乱れることのないように。あいまいな感覚ではなく、音程もしっかり体に入れていくこと。

○鋭く遠くに息を吐いていくこと。このイメージで声を出すと、音程も定まり、声も出てくる。お腹まわりを固めてしまうので、もっとリラックスして、息を取り込んでいくこと。

○歌い出すと、かん高く浅い声になってしまう。しゃべり声の深いひびきを歌声に生かしていくこと。縦のひびきを意識していくこと。

○自分が発している声の行き先を、もっとイメージすること。目を伏せていたら、声もこぼれてしまう。遠くへ視線を送っていくこと。

○いい声は出ているので、体を使い、のどの力を抜いていく。イメージをもっと大切にしていくこと。素直にイメージすることで、体も素直に動いてくれる。

○声を出すことと体を鍛えること、そして呼吸。すべてに興味を持って、トレーニングしていくこと。自分に合った体力作りもしていくこと。

○普段の生活の中でも呼吸を安定させていくこと。深い呼吸、波立たない呼吸、すべては自分の気持ちとも連動している。

○姿勢が悪い。前かがみになりすぎるので、姿勢を正していくこと。出てくる声も全然違うので、前かがみにならずに、前方に声と意識を送っていくこと。


<せりふ>

○内容がともなっている時は、声もしっかり出ている。常に内容を意識すること。声の大きさではなく、自分の気持ちをはっきり伝えていくこと。

○もっと自然に声を出していくこと。吐ききれば自然に取り込めるはず。力を入れすぎないで、リズムよく話していくこと。話すテンポも大切。

○イメージトレーニングをしていくこと。成功イメージを大切にして、自信をつけていくこと。声だけの問題ではなく、気持ちの問題から声に悪影響が出ている。

○セリフを覚えたのはいいが、気持ちの流れがつかめていない。ことばを覚えることよりも、気持ちを作り、気持ちの流れを覚えることが最初。気持ちの流れを覚えれば、絶対にセリフは忘れない。

○気持ちがあるから、ことばが出てくる。この順序を大切にしていくこと。リアルな思いがあって、リアルなことばになる。あらゆるものに興味を持って、吸収していくこと。

○舞台の仕事も、気負わずに取り組んでいくこと。今までと違う発見があるはず。自然体でやっていくこと。

○声を磨くことも大事。自分自身を磨くことも大事。その上で勇気を持って、行動していくこと。第一歩を踏み出していくこと。実践の中で得ることも多い。

○表面的なことばにとらわれないで、奥にある意味を読み取っていくこと。あわてずに深く息を取り込み、声を出していくこと。

○リアルな思いがあって、リアルなことばが出てくる。声を出すことだけではなく、映画を観たり、ドラマを見たり、舞台を見たり、やるべきことはたくさんある。もっと吸収していくこと。

○気持ち作りがあいまい。雰囲気で読んでしまう。文面にとらわれないで、ことばの裏にある深い意味を、深い気持ちを考えていくこと。

○腹から低い声を出していくこと。のどにかかっている時は、甲高い声になっている。発音よりも発声、いい声を出すことに集中していくこと。

○自由に読むと、ことばをはっきりしようという発音に意識がいってしまう。常に腹から声を出す意識で声を出していくこと。舞台上で声を出しているイメージを大切に。

○気持ちのこもった表現をしようとしすぎて、息の流れが停滞してしまう。もっとシンプルにストレートに読んでいくこと。

○声を低めに出していくこと。その声から、普段の声との接点を見つけていくこと。読み方も大切だが、それよりも今は、気持ちの入った深い声を作っていくこと。

○もっと体を使うこと。腹から声を出していくこと。息の流れをもっと意識していくこと。息の延長で声になるんだと思って、声を出していくこと。

○いい声が出ている。声は出ているが、のどで押して浅くなってしまうので、深いポジションから声を出していくことを、もっと意識していくこと。

○相手をイメージしてしゃべっていくこと。しゃべる前に気持ちを作っておくこと。そのうえで、もっともっと前に気持ちを出していくこと。

○発音ではなく発声を意識していくこと。縦のひびきをイメージして「イ」「エ」「ウ」を出していくこと。まずは芯になる声を作っていく。

○鋭くしゃべり出していくこと。腹から声を出していくこと。この声を普段の生活の中で生かしていくこと。声を出せない時はイメージトレーニングもしていくこと。


<日本語曲>

○自分の世界に入ったうえで、その世界を外に出していくこと。中に集中していくモードと、外に出していくモード、ふたつのモードがほしい。

○歌いすぎて、のどに力が入ってしまう。歌うこと自体ではなく、ことばに集中していくこと。
そしてことばを丁寧につなげていくこと。

○高い声だからといって、出しすぎないこと。内容にそって出すべきところは出してもいいが、抑えるべきところは抑えていくこと。歌うこと自体に満足しないこと。

○フレーズの入りが弱い。ふわっと入らないで、もっとテンションを上げてから、歌い出すこと。押しが弱い。もっともっと前に気持ちを出していくこと。

○気持ちを遠くへ届けていくこと。あいまいに歌い出してしまうので、テンションを上げて、フレーズを歌い出していくこと。

○低音の歌い方がテンションが低くなってしまう。声を出そうとしすぎないで、内容にしっかり入って歌っていくこと。

○自分の中だけで、気持ちを完結させないこと。意識を遠くへ、またはお客さんに向けていくこと。練習の段階でイメージトレーニングをしていくこと。

○音程が不安定。緊張が原因なのか、力みすぎるのか。息を吐き続けて、なめらかに歌っていくこと。

○なめらかではあるが重くなってしまう。先を見て歌っていくこと。ブレスでテンションを切らさないこと。リズムだけではなく、日本語のアクセントも大切にしていくこと。

○雰囲気はつかめているが、何か物足りない。なんとなくな感じではなく、具体的にリアルな思いになったうえで、歌っていくこと。思いの強さ。

○内容に入れない。気持ちも込められない。声を出すことに特化して、気持ちのことはレッスンしないほうがいいのだろうか。発声中心に。

○シンプルに腹から声を出していくこと。細かい表現ではなく、大きくとらえて歌っていくこと。細かい歌い方ではなく、細やかな心の変化を表現していくこと。

○シンプルに歌っていくこと。細かく表現しすぎて、伝わってこない。歌い方で表現しようとしない。大きくとらえて、シンプルに歌っていくことで、気持ちもより伝わってくる。

○思いが飛んでこない。自分からもっと遠くに思いを飛ばしていくこと。そのイメージを常に持つこと。停滞しないで、先へ先へテンションをつなげていくこと。

○シンプルにストレートに歌っていくこと。癖をつけない。歌うこと自体に満足しない。繊細に丁寧に歌っても、パワーのある声は出せるはず。

○メロディーラインがあるのだから、歌はシンプルに歌っていくこと。気持ちは込めるけれども、歌い方で表現しようとしないこと。

○ボリュームで押さないこと。抑えた声でどれだけ表現できるのか、トライしてみること。今までと違った感覚がつかめるはず。

○テンションはいい。歌うこと自体に集中しすぎないこと。声を出さない時もあっていい。その分、テンションでつなげていくこと。

○既成の曲でも、自分の思いで、そして自分の人生を重ねて歌っていくこと。自分のオリジナルにしてしまうこと。テンションを切らさないこと。

○歌に取り組む姿勢を改めていくこと。今のペースではだめだ。自分を追い込む方向で、自分に厳しくありたい。甘い姿勢が歌に出てしまう。

○毎回言っていることだが、雰囲気で歌わない、歌詞をしっかり読み込んでくること等、やるべきことをやってこない。まずはやるべきことをやってきてから、歌のレッスンが始まる。

○高音を叫ぶだけということはなくなったが、消極的になり、のどにかかってしまう。高音を歌う時は、体の支えを意識して、テンションを深くして歌っていくこと。

○のどをリラックスさせること。頑張りすぎないこと。ことばに集中していくこと。意味が流れてしまう。もっと大切に扱っていくこと。

○フレーズを進めていくこと。一音一音ではなく、ワンフレーズごとでとらえて歌っていくこと。自分で音楽を進めていくこと。

○いい声は出ている。大きく表現すること。大きく気持ちを作り、大きな器で歌っていくこと。やりすぎぐらいでちょうどいい。

○テンションキープができない。集中力が切れるからか?課題はいつも同じ。歌うことだけに集中しすぎないこと。内容にしっかり入って歌うこと。

○もっと自分の中に、いろいろなものを吸収していくこと。歌以外のことから学んでいくこと。本を読んだり、体を鍛えたり。やるべきことはたくさんある。

○歌詞を読み込んで、場面をもっと思い描きながら歌っていくこと。表面的な歌詞ではなく、自分のリアルな思いはどんな思いなのか?具体的に考えていくこと。

○気持ちを入れすぎて、息の流れが悪くなる。体でリズムを感じて、歌はなめらかに。芯になる声を作っていきたいので、まずは縦のひびきを意識していくこと。

○深い息、そして内容にもっと入っていくこと。思いが弱い。もっと素直に気持ちに入ってしまうこと。恥ずかしがらずに、もっと大きな気持ちで歌っていくこと。

○テンションが低いため、音程が不安定になる。常にテンションをキープしていくこと。リズムで刻んで歌いすぎなので、体で感じていくこと。ことばの意味を大切に。

○ただ歌っているだけ。全然集中できていない。内容に入っていくこと。そこに自分の思いを込めていくこと。そういった練習を積み重ねていくこと。

○気持ちは出てきている。気持ちも息も、もっと深いところから出していくこと。浅い気持ちではなく、深い思い、深い人生観を出していきたい。

○音程は定まってきている。歌っていくうちに、息が浅くなり、ブレスも浅くなる。深い息、深い息使いを意識していくこと。

○胸に力が入る。ブレスの際に、もっとお腹を意識していくこと。リズムで刻んで歌ってしまう。リズムは体で感じて、歌はなめらかに歌っていくこと。


<英語曲・ジャズ>

○もっとなめらかに歌っていくこと。発音にこだわりすぎないこと。まずは「マ」や「ラ」で歌ってみて、なめらかさを感じてから、英語で歌っていくこと。

○息の流れをイメージしていくこと。表面的な表現ではなく、思いを深く込めていけば、声も深くなる。そのことをいつも考えて歌っていくこと。

○プロの意識を持って、活動していくこと。今やっている活動をやり続けていくこと。その中から、いろいろなものが見えてくる。生き様を歌にしていくこと。

○歌を歌う中で、発声を解決していくこと。技術と歌を分けないこと。


<カンツォーネ・シャンソン>

○のどでコントロールしないこと。リラックスさせて体で歌っていくこと。一本調子になってしまうので、息の流れの変化をつけていくこと。

○縦のひびきを感じていくこと。口も少し縦にしていくこと。ひびきを感じて、ひびきをつなげてフレーズにしていくこと。

○ブレスを大切に。息をしっかり吐ききることで、その後たっぷり吸うことができる。常に体を息が流れているイメージを作っていくこと。

○腹から声を出していくこと。低音のひびきを高音にもっていくこと。流れでつなげていくこと。フレーズの最後まで意識を切らさないで、集中して声を出していくこと。

○上半身に力が入りすぎるので、重心を感じて、下半身で歌っていくこと。声を遠くへ届けていくイメージを常に忘れないこと。

○体から息を取り込んでいくこと。口先で吸わないこと。歌い続けていっても、支えが上がらないように、下半身を大切に。

○のどを気にしすぎる。もっと自由でいい。のどに力が入ってきた時も、力を抜きすぎないこと。抜きすぎて、逆に力が入ってしまう。

○バランスがよくなってきている。イタリア語の読みを練習しておくこと。なめらかに読んでいくことで、その息の流れが歌にも生きてくる。

○自分の思いを遠くへ送っていくこと。漠然と歌わないこと。声の行き先、思いの集中、取り組み方、すべてが中途半端。その取り組み方が、歌に出てしまう。

○「イ」「ウ」の浅いひびきに、フレーズ全体が影響されてしまう。普段の日本語のひびきを捨てて、音楽的な日本語のひびきを作っていくこと。

○強弱をつけていくこと。フルな声だけではなく、小さな声での表現も考えていくこと。

○なめらかになってきている。「マ」で歌っている時はとてもいい。イタリア語になった時に、「マ」のなめらかなイメージのまま歌っていくこと。

○声に思いを込めていくこと。声の中にリアルな気持ちを込めていくこと。歌詞をブロックで分けて、気持ち作りをしていくこと。それを習慣づけていくこと。

○のどが強いのでいい声が出てしまうが、腹から声を出していくこと。のどはリラックスさせていきたい。遠くへ息を伸ばしているイメージを大切にしていくこと。

○「オ」が一番、ひびきが集まりやすい。このひびきに、その他の母音も合わせていくこと。効率よく声を集めていくこと。力で押さなくていい。

○母音を同じひびきにしていくこと。「ア」→「エ」→「イ」の流れはスムースにいっている。「イ」を深いひびきで歌えるようにしていくこと。

○もっとリラックスしていい。体も、のども頑張りすぎる。なめらかに、次に次に進めていくこと。一所懸命さが、いい方向にいくといい。

○縦の口、縦のひびきを大切にしていくこと。発声時はとても安定している。そのいいイメージを歌に生かしていくこと。とにかく歌う練習を積み重ねていくこと。

○パワーで押すだけの高音だけではなく、ソフトにも扱えるようにしていくこと。シンプルに流れを感じて声を出していくこと。

○声が不調であっても、息の流れでつなげていけば、問題ない。聞いている側にはわからない。テンションの方向を変化させていくこと。内向きなのか、外向きなのか。

○以前に比べて、バランスはよくなってきている。お腹に力が入りすぎるので、もっとリラックスした上で、自由な息の出入りにしていきたい。

○歌い続けていくと、ブレスが浅くなり、息が続かなくなる。もっとたくさん取り込むことと、声の効率をよくしていくことで解決できる。声を広げないで集めていくこと。

○高音の出し方が雑なため、上ずってしまう。丁寧に下半身で支えて歌っていくこと。低音からの流れで、ひびきをつなげていくこと。

○声になめらかさが出てきている。「マ」のように、ひとつの母音だけで、フレーズを歌っている時は、ひびきも統一されている。このひびきに「イタリア語」を合わせていくこと。

○セリフ読みの時の深い声で歌っていきたい。交互に何度も歌ってみる。歌に関しては、強く息が吐けるようになってきているので、リラックスしていく方向でもいいかもしれない。

○音の高低差を感じさせないこと。そのためには、息の流れでつなげていくこと。高低差を感じないで、平らに歌っていくこと。


■トレーナーとのQ&A

研究所内外の質問とトレーナーの回答です。
これも相手、目的やトレーナーによって、回答が異なることもあります。参考までにしてください。                      

Q.音が高くなるにつれて、体がこわばってしまう気がします。できるだけ自然な状態で声を出すのはどうしたら良いですか?

A.「体がこわばる」というのは、体の内向きに力みがかかり硬くなってしまっている・体に無理な力が入っている状態のことでしょうか。
音が高くなればなるほど、より体全体で声や息を支えていくことが求められますから、その土台が硬くなってしまっては十分な力が発揮できません。一旦深呼吸をしてみましょう。この時、肺に空気が入って自分の胸骨がグーっと押し広げられる感じを掴んで下さい。
何回か行なって、体をほぐしてから再度声を出してみましょう。 
両手を左右に広げながら声を出すと、体が縮こまらない手助けの1つになると思います。声も体全体も「開放」することを意識して声を出していって下さい。

Q.練習は何時間すればいいですか?カラオケで毎日歌った方がよいでしょうか?

A.練習は長い時間行えばよいというものではありません。そのレベルにもよりますが、初期の段階ならばレッスンで行った30分のメニューをそのまま毎日継続して行うことです。二日練習しなかったので今日は一時間半練習しよう、と考えるのは問題外です。計算上の時間は無意味です。練習が生活の一部となるようにしたいものです。
声はそんなに長時間持つものではありません。せいぜい一時間だと思ってください。ですが、あとは寝ていれば上達する訳がありません。歌い手は声を出すことだけが練習ではありません。歌詞を勉強したり、音楽的構成を読み取ったり、いい音楽を聴いたりとあらゆる面で勉強が必要になります。単に声を出して練習をした気になり、自己満足の世界に浸らないようにしましょう。

Q.休符の後の音符が下がることが多いです。

A.対策法としては、休符の後は、実際の音よりも一音高い音を目指すこと、また、休符をなくして、前の音を伸ばしてみると正しい音で歌えます。
また、下降する音が、下がりすぎてしまいます。
どうしても、音が取れないときは、楽譜の最後からさかさまに歌うと、スムーズに歌うことができます。
下降するときも、一音高めを目指して歌うとよいと思います。
どうしても、階名で歌うと、母音が違うので、母音によっては、響きが保てず、音程が低く聴こえてしまうときがあるかもしれません。
はじめは、同じ母音で歌って、慣れたら、階名で歌って、なるべく、同じ響きを保つようにすると、音程が安定すると思います。
また、難しいのが、ミファ間の半音です。ほとんど、白鍵は全音でなりたっていますが、ミファ、シドだけ半音です。
だいたい、幅がとりすぎることが多いので、ほとんど同じ音を歌うようにすると、ちょうどよいと思います。
拍も、今どこをうたっているかというのが、わかる数え方をしたほうが、よいと思います。 

Q.コンコーネNo7では音域も幅が広くなり、難しいです。歌う時のポイントを教えてください。

A.まずリズム面で新しい音形が出てきています。複付点音符と3連符の組み合わせです。複付点音符を正確に歌おうとしすぎるがあまりのどで硬く歌ってしまう人が多く見られます。気持ちに余裕を持って音は跳ねるけれどもレガートをベースに置く歌い方が望まれます。3連符がタイで結ばれている箇所の歌い方は、正確に歌うのですがそこにフレーズの伸びがなければ機械的なリズムの音取りになってしまいますからトレーナーの歌い方をよく聴いて習得しましょう。この曲もABA形式ですから最後にもう一度最初と同じテーマ、メロディがくることを予想して歌うことで気持ちに余裕が出てきます。P23の2段目と最後はリタルダンドをかけるようにしましょう。 

Q.コンコーネNo8は3拍子で高い音から降りてきます。レガートに歌うにはどうすれば良いですか?

A.3拍子の曲は軽く自分で指揮をするように、または軽く体をリズムに合わせて動かすように歌ってみましょう。ワルツのノリですね。フレーズが長いのでブレスのコントロールをしっかりしてレガートで歌えるようになるまで繰り返し繰り返し練習です。具体的にはしっかりブレスポイントを決める事です。そこまでは長め、長めに音を引っ張るようにつなげていきます。弦楽器のボーイングのような感じです。5段目に入って8分音符が連続して出てきますがテンポ感を崩さずに丁寧に音程も正確に歌えるようになるまで練習しましょう。
最後はリタルダンドとディミヌエンドをしっかりと効かせて歌い終えるようにしましょう。 

Q.コンコーネNo17は勢いがある中でスタッカートと跳躍が出てきます。どうすれば上手に歌えますか?

A.17番は元気のある曲ですよね。ですから気持ち、テンションを高く持って取り組まないと曲に負けてしまいます。低い音から1オクターブ以上の跳躍はしっかり自分がどこの音に向かって発声するか音程と目標を定めて当てていきます。そうしないとその時だけの、のどによるアタックになってしまい、最後まで歌い納めるのが難しいですね。意外とWなどのソルフェージュの基礎がこういったところに必要になってくると思われます。
 今までの曲を復習して取り掛かるようにしていきましょう。そして基本に戻って簡単だと思われる曲にもう一度チャレンジすると今度は作品に深みが出てくると思います。 

Q.ド、レ、ミの音程は正しく歌えるのですがファ、ソ、ラの音程がうまくはまりません。どうすればよいですか?

A.確かにドレミは音の始まりですから無意識のうちに体で覚えていて、しっかり歌えるのでしょう。しかしファ、ソ、ラはやや話し声より高い音程のためか支えが抜けてしまうのでしょうか、声が平たくなってのどにかかるようになる人もいるかもしれません。もともと話し声が高い人は難なく器用に次のシ、ド、レまで行けるでしょう。テノールやソプラノに多いですね。バリトンやアルトの人は低音が出やすいがために始めから強く発声してしまうのが原因と考えられます。のどで強く押したド、レ、ミをそのまま上まで持っていこうとしても、これは難しいです。体の支えと共鳴、頭声の響き、複背筋の調節、これらがバランスよく働いたときにド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ドがスムーズに自然に聞こえるよう歌えるようになるはずです。 

Q.ライブにおいて、お客さんの反応が気になり、つい客席に意識を向けてしまうことがあります。すると一度曲の世界に入り込んでいたものが、ふっと抜けてしまい、もう一度入り込むまでに時間がかかったり、曲が終わってしまうことがあります。日常からお客さんを目の前にして歌う練習をすることだと思うのですが、他に心がける点はあるのでしょうか?

A.集中力の強化と、イメージトレーニングです。もっと歌の世界に入ることができるように、内容を深めることと、リアルな気持ちを作り出していくことです。

Q.ドッグブレスをすると腹が締付けられるような痛みが出て、続けられなくなるのですが、いい方法はありますか?また効果は?

A.力みすぎているのだと思います。続けられるような力で繰り返しやっていくことです。継続していくことが大切なのです。効果はやり続けた後に出てきます。

Q.練習にやりすぎはありますか?お腹はこれ以上膨らむようになりますか?腹筋はしてもいいですか?

A.リラックスして自由に自然に、お腹が動くことが目的です。そのためにドッグブレスをしたり、息吐きのトレーニングをするのです。もちろんお腹の力が抜けてきて、バランスが取れてくれば、もっとお腹は動くと思います。腹筋はしてください。体力は大切です。

Q.朗読の際、題材のせいかもしれませんが、単調な読み方になってしまいます。イメージの転換をすれば、時には軽く、時には重く朗読できるのでしょうか?

A.イメージは大切です。自分の気持ちに変化がつけば、読み方も自然に変わってくるはずです。リアルな思いを大切にしていきましょう。

Q.歌の途中でうまく息を取り入れられるようになるためには、どのような練習をすればいいですか?

A.まずは体をリラックスさせることです。
歌えば歌うほど、息が浅くなってしまうのですから、体をリラックスさせて、毎回自然にたっぷりと息を取り込んでいきたいのです。
息を取り込む際も、お腹まわりをリラックスさせて、その上で、息をたっぷりと取り込んでいきます。
力が抜けてくると呼吸も自然になってきます。

Q.強い息を吐くには、やはり外側の筋肉も使わなければならない気がするのですがどうでしょうか?

A.外側の筋肉とは腹筋のことでしょうか?直接固めて使うことはありませんが、間接的には使います。

Q.練習も強弱をつけてブレスコントロールの練習をしつつ、強い息を吐くことを意識したほうがいいですか?

A.いろいろなバリエーションで練習していってください。どれが正しい、どれが間違いということはありません。強弱をつけてブレスコントロールの練習をしつつ、強い息を吐くことを意識してもいいですし、強弱をつけてのブレスコントロールのみに集中してもかまいません。大事なことは明確な目的を持ってトレーニングすることです。

Q.低い位置で保った意識が、しゃべったり歌ったりしているうちに、いつの間にか抜けて、声に生かせていない気がします。克服法はありますか?

A.時間がかかります。トレーニングとして、深いポジションから、息吐きをしたり、歌ったりしていくうちに、体に身についてきます。また普段から意識していくことです。一朝一夕にはいきませんが、コツコツと体に覚えさせていきましょう。

Q.J-POPSなどを歌う時に体が自然に動いてしまいがちです。力が入っているということでしょうか。どうしたら直せますか。
無理にやめようとすると、前が見れなくなる気もします。前を見ようとするほど、体も動いてしまうように思います。

A.リラックスした状態で自然に体が動くぶんには問題ないとは思いますが、力が入ってしまっていると思います。
できるだけ体がリラックスした状態、例えば寝た状態で歌ってみるとか、工夫してみましょう。
また気持ちのリラックスも大切です。そして雑念を払い、歌の内容に入ることも大切です。

Q.話し声の時もしっかりとハリのあるときとふわふわしているときとばらつきがあるのですが、それをコントロールできるようになるには、日々のトレーニング以外にありますか?

A.高い声や大きな声を長い時間、出し続けると、その後しばらくはなんとなく抜けたような声になります。歌にしても会話にしても、やはり自分に無理のない音量、高さ、出し方を知るということは、とても重要なのではないでしょうか。また声はその人の精神状態がとてもストレートに表れるものでもあります。

Q.声が下に落ちやすいのですが、どうすればよいでしょうか。

A.まず視線や顔全体や姿勢が下に向いていないか確認してみて下さい。
そして1つ1つの音を上からとっていくつもりで声にしましょう

Q.自然な形での響きがでないのですが、どうすればよいでしょうか。

A. 口内の空間は縦に開いているか、ちょっとチェックしてみましょう。
口が横に開くと空間がつぶれてしまい、響きにくくなります。

Q.ところどころで、つっかかりがあるのですが、どうすればよいでしょうか。

A. 色々な母音・子音でそのつっかかりがある箇所の音を鳴らしてみましょう。
何が適しているか発見するのもポイントです。

Q.裏声が弱いのですが、どうすればよいでしょうか。

A.いきなりは強くはなりません。決して無理せず、徐々に声を育てるのが大切です。 
あと声が拡散してはいませんか?集約させるつもりでやりましょう。

Q.高低を下に落としてしまい、曲を練習しているときも、音がはまらないのですが、どうすればよいでしょうか。

A.「まっすぐ〜上へ」声を出すことを念頭にやってみて下さい。

Q.発声で「オ」を使った時よりも、「イ」を使った時のほうが喉にかかる感じがしたんですが、これは単に母音の違いによるものでしょうか。それともまだ使い慣れていないせいで喉にかかってしまってるだけなんでしょうか。

A.慣れていない、というのが大きいと思いますが、「オ」を歌うのと同じように「イ」も縦のラインから外れないように、歌うことを心がけて見てください。「イ」を横に平たくして声を出すと、喉に引っかかってしまうので‥。 

Q.口を大きく開けるときに、顎関節がはずれたようになって横へ張り出してしまうのですが、そうならずに大きく口を開けられるようになった方がよいのでしょうか。

A.日常会話では、顎が外れる程開ける事はないでしょう。自分の力の抜けた一番自然な顔で話す努力をしてみて下さい。

Q.声帯が開いてる、閉じきっていないというのは息の効率が悪いという事でしょうか? 

A.息はあまり関係ないと思います。しっかり鳴らして(母音が鳴る) いれば、必然的に声帯がとじているということです。 

Q.作品や日常の中で他の人の声を参考にするときのポイントは?

A.職業によって声の善し悪しは違います。舞台で活躍している俳優とテレビの俳優ではだし方も違いますし、汚い声を出しても役にあっていればそれでOKだからです。美声じゃなくても売れてる歌手が一杯いるのもそうです。役割によって違うのですからあなたはあなたの出しやすく聞き取りやすい声を目指して下さい。

Q.「歌を歌わないで表現する」ことができるようになるには、やはり日常様々な感動を積むしかないでしょうか。歌詞を朗読してみても、歌いだすとただの歌になってしまいます。特にバラードは歌ってしまう気がするので、避けたほうがいいでしょうか。 

A.日常の感動も大事ですが様々な音楽に触れ沢山の歌を歌って慣れて下さい。技術的には歌ってしまうことは悪いことではありません。しかしそれが歌詞ではなくメロディーに流されているだけなら歌詞は必要ないでしょう。楽器には言葉はありません。歌にしか言葉はないのです。その言葉をないがしろにしては歌う意味もないのではないでしょうか?歌を勉強する初期はバラードよりもアップテンポの曲をお薦めします。ゆっくりな曲は以外に技術を要しますがアップテンポな曲は勢いで歌えるからです。 

Q.母音「ア」があきすぎてしまう癖は、どう克服すればよいのですか。

A.「ア」が開きすぎて聞こえる理由として考えられるのは、支えがないからです。
音を支えられないから口が開いてきてしまいます。
その他の理由としてはパッサージョ(声間区)の処理ができず開いてしまう。
(この問題は一人では解決できないので、トレーナーについてください。)
又、他の母音が閉じすぎ、浅過ぎて「ア」の母音だけ目だってしまう、といったところでしょう。
「ア」母音はけっこう難しいです。
そういうときは、「イ」、「エ」、「オ」から勉強することをお勧めします。  

Q.最初に何をすべきでしょうか(息、声、のど、体)

A.声は大きくわけると地声と頭声の二つからなっています。低声部は地声。中間部はミックス。
高音部は頭声だと考えてよいです。ですから頭声とか地声ではなく両方それぞれに鍛えて下さい。
ひっくり返っても今の段階では気にしなくてよいです。

Q.食事や飲み物のよしあし

A.基本的にはバランスのよい食事であれば特に問題ありません。
烏龍茶は油を流す成分があります。(だから中華料理で出てくる)喉が乾いてしまうのが気になるならさけましょう。

Q.ジラーレのクレッシェンドって意識を鼻から腹にかえるんですよね?そのときに声は大きくなるのですが鼻にかかってない気がするのですが、これでいいんでしょうか?

A.まずはジラーレでマスケラに音を当て、ポジションにはまったらクレッシェンドしていきます。腹に移すのではなく音を体から飛ばすイメージです。あくまでもジラーレは高音で使い、しかも高音は頭声の共鳴なのですから、クレッシェンドしてもその共鳴部位はかわりません。

Q.クレッシェンドするとき口が動いちゃいけないと教わったのですが、クレッシェンドするときにものを吐くイメージをするとどうしても自然と口が開いてしまうのですがどうしたらいいのですか?

A.口が動いてしまうのは口先で音程をとったり、口先で音量調整していたりするからでしょう。口を動かさなくてもできるはずですからできるまでがんばりましょう。(イメージをよいものに変えましょう。)

Q.耳栓をしながらの発声練習はいいですか?

A.よい方向に進むならいいのですが、耳栓をしなくなった時にどうなるかということです。、ノーマルな状態で正しく身につける方が無難ではないかと考えます。

Q.クレッシェンドする際、息を飲み込むように流す時と、前に飛ばすように流す(開放する)時はどのような状況で使いわけるのですか?

A.中音域の時は息を飲み込むように体に共鳴させます。これに対し、ジラーレなど高音の際にはいつまでも音を保有していると重たくなってしまうので、ポジションに入った響きを開放させます。声区によって変えましょう。

Q.体を使いフォルテする際に最後の一息を腰(背中)から流すときも、身体の筋肉はリラックスした状態なのですか。この時も丹田を意識したままですか?

A.高音でも低音でも、また、フォルテでもピアノでも脱力するのと、丹田の意識は変わりません。力が入っていていいことはありません。

Q.発声しているとき、声帯を鳴らして歌うとき、「力まない」ためには、どこに意識を集中して歌えばよいのでしょうか。 

A.歌はすべて呼吸にあると思ってください。その呼吸をコントロールするのが丹田です。丹田はへそ下3pにあります。そこを意識して他は脱力するとよいでしょう。

Q.体内に息が少なくなると、安定感がなくなります。吐き切るギリギリまで安定した声を出すコツはありますか。

A.息が少なくなると安定感がなくなります。息を吐ききっているのは、歌の時に息を使いきって下さいというのではなく、呼吸の存在を知って欲しいためです。息が少なくなった時に力で出し切るのではなく、息がコントロールできるようになれば息も効率よく、安定した音が出せるようになります。

Q.地声の声域を広げていくことは可能でしょうか。

A.応援団のように毎日声を張り上げていれば、地声でも何もしていない時よりは声域も少しは広がるかもしれません。しかしこれはトレーニングともテクニックとも言えません。地声には限界があります。やはり音域を広げたいと思うならば、共鳴のさせ方や声帯の使い方など理屈をわかってトレーニングするのがよいでしょう。

Q.フレーズのついた音階発声や実際の歌を録音してみると、自分では意識していない耳障りに感じる音の硬さに気がつきます。
発声にやわらかさを持たせるためにはどのような点に気をつければいいでしょうか。

A.音質が硬いのはのど声になっているのかもしれません。脱力して発声してみてはいかがでしょうか?力で押すのではなく、腹式呼吸を伴った発声を心がけましょう。

A.喉頭(喉仏の所)に力が入っているのだと思います。リラックスするイメージで喉が柔らかいまま歌えるよう試してみてください。

A.息が止まっていると体が硬くなり、声も硬くなってしまいます。体を動かしながら、息を回すことを意識しながら、発声練習をしてみてください。 

Q.悲しい歌でも、悲しい、という気持ちがもろに出てしまうと、聴いている人は、苦しくなってしまいます。

A.例えばの話ですが、般若のお面を思い浮かべてください。
一見、怒っているように見えますが、見方によっては、泣いているようにも、笑っているようにも見えます。
悲しい歌でも眉間にシワを寄せないで、なるだけ、眉を上げて歌うと、いい響きで歌えると思います。
楽しそうに見せようと思うと、見ている人は、不自然に感じるかも知れません。
自分自身が、楽しめるテンションにもっていけるよう、歌う時だけでなく、日頃から、なるだけ、ポジティブ思考にできれば、歌に生きてくると思います。 

Q.レッスンで習った高音の発声法は、どうしたら上手く、実際の歌での高音(ファルセット)に
いかせますか。

A.発声で出せる音域は、すぐに、歌で使えるとは限りません。
自分が一番いい響きで歌える音から、少しずつ、その響きのまま、高音に広げていく練習がいいと思います。

Q.お腹に息がたまるように吸って、それを変えないように三音くらいで発声練習をしました。
お腹がはじめは保たれて、じょじょにへこんでいくのはよいと昔聞いた気がするのですが、
声をだしているうちにへこんでいくのは気にしなくてもよいのですか。
それとも声を出している間は保ち続けた方がよいのですか。

A.声を出しても、お腹の状態は、保たなくてはなりません。
声楽では、じょじょにへこんでいくのは、良い状態ではないです。

Q.次第に息苦しくなっていく(疲れていく感じ)のですが、それはちゃんとできているからですか。それとも下手に力や息を使いすぎですか。

A.胸に息が入るから、息ぐるしくなるのかもしれません。ブレスのたびに、一回とまって、ゼロの状態にするのが大事だと思います。

Q.朗読を長めにやっていると、音の音色が低くなってきます。声にしにくくなる感じです。
ただの疲れなのか、それとも声帯をうまく使えてないことからくるものでしょうか。 

A.朗読を一人で行っているとどうしてもテンションを持続していくのが難しくなります。音色が暗くなるというのは、聴き手が存在しないことで内にこもってしまう傾向があるからでしょうか。1対1のレッスンで、注意しながら読んでいくと、その都度持ち返すことに気が付くことが多いと思います。
のどが疲れてきたらゆっくりと、そしてしっかりと息を深く吸う努力を心がけましょう。
テーマを決めて、できるだけ多くの人の前で、一人一人に語りかけるように話せる機会を作ると良いでしょう。
想像力、イメージを持って大勢の人の前で、読んでいるつもりになってひとりで練習するやり方も取り入れてみましょう。 

Q.よく、女性の地声〜裏声へのチェンジはB♭付近から、と聞きます。私はB♭よりもっと低音まで裏声と地声の混じった声で歌います。そのほうがのどが楽だからです。無理に地声を出そうとするとのどに来てしまうのです。
しかし音がもっと低音になるとそのままの声質ではやはり弱くなります。やはり、地声の音域をもっと広げるべきでしょうか。B♭まで、しっかり地声で出すべきでしょうか。それとも、声質にこだわらずに、チェンジの場所も自分に合わせて、うまくつないでゆければよいのでしょうか。

A.チェンジの場所は人それぞれですからB♭と決め付けないで、もっと自由に歌って良いと思います。裏声を上手に使って聴かせる歌手もいますし、信じられないくらい高音まで 実声で駆け上がって聴かせる歌手もいます。しかし高音もきちんと中、低音域をしっかり息の支え、腰の支えで安定させた上で掴んでいくべきですから、レッスンの中で反復練習して行きましょう。分からないことはレッスンでどんどん質問してください。 

Q.舌を出して発声する際に、どこから声を出すようにすればキチンとした声になるのでしょうか。
お腹からでよいのでしょうか。 

A.ハッキリしゃべる時のように、お腹から声を出して下さい。そして、息がお腹から舌の上を通って流れるのを感じて下さい。同時にこの時、舌が出ているか、鏡を見ながらやってみて下さい。(舌が出ていれば、自然に息は流れるはずです。)息がきちんと流れ(舌がきちんと出ていて)、「ミ・メ・マ」がきちんと発音できるかが、きちんとした声を出すポイントです。 

Q.肩こり解消にお勧めの所はありますか?

A.私は近所の整体に行ったりして、ほぐしてもらっています。他に、できる時は首をゆっくりまわしたり、肩を上げたり下げたり、胸を開いたりして、ストレッチをします。他に首や肩のマッサージなどもします。 

■研究生の声
研究生、通信生などのレッスンに関するレポート選です。

<福島英のレッスン>

○レッスン(2007.2.8.)  60年代の曲を聞く
・ホリデイ M.ポルナレフ
・愛の賛歌  ブレンダ・リー
・明日があるさ  ジョニー・シンバル
・かわいいベイビー  コニー・フランシス
・私だけを愛して  イヴァ・ザニッキ
・行かないで  ダスティンスプリングフィールド
・太陽はもえている  E.フンパーディング  尾崎紀世彦
・ジョージア・オン・マイ・マインド
・影を慕いて  森 進一
・人生の並木道  森 進一
・声優のサンプル声聞く(6人)
・イヴァザ・ニッキ
・いろんな「別れの朝」を聞く
・世良正則
・初代ペドロ&カプリシャスを聞く
68・76・86とテンポを変えてそれぞれまわす(Aメロ)
サビを86でやる

○曲(オケ)だけじゃない。メインはボーカル。パワーとキレが良く、ピッチが安定していれば聴かせられる。
声、ピッチ、フレーズを乱れなく、かっちり正確に歌うこと(一曲をつくること)はトレーニングになる。
自分としては機械的になりそうですが、「乱れ」によって一曲が崩れることや、聴かせられないものになってしまう傾向があるので、ステージでの形を作るという意味ではやる価値があると…。ひと言ひと言をきちんとした中で、強弱や緩急をつけないとダメ。いらない言葉、文字はない。
力のおき方が違うだけ。力を抜けばいいのではない。捨ててもいけない。大きく歌うことを忘れないこと。
緻密に作ることも必要だか、それにとらわれてしまって内々で小さくなりがちなので…。

○構成が解りやすいと言う事で、そういう事を意識した上で
松山千春の「恋」を聴く。
なるほど、ほんとうだ…
やってみるが、何かダメだった。
戸川昌子、数曲聴く。
やり方は見事なまでに「ひとつ」だ。
構成の説明は解りやすかった。概念としては、より理解できたです。

○070614Fレッスン
〔5・6月の復習〕

1.気づき方の確認
2.新しい発見
3.深め方

どこがすぐれているのか   どこがよくないのか
どこに魅かれるのか  →  どこで退屈するのか
どうとり出せばよいのか   どう変えればよいのか

作品のつくられたイメージ〔Key melody words〕
A.全体、構成、展開
B.フレーズ
C.1音〜2音


何が興味関心をひくのか
何をよしと聞くのか
どう期待しているか
どう裏切って戻せるか
何が残せるか
何が次につなげるのか(ひっぱってくるのか)


e ことば、せりふ
t ストーリー
c 感覚、感情

何が強味なのか→それをどう強化←ぶつけているか
どこが弱味なのか→それをどう←カバーフォローしているか
そのために、どう変えているのか(テンポ、キィ、ことば、フレーズ…)

共通する基盤  異なる表現装飾
常に全体と部分の関係を
調べ
表現

バランス調和と 衝撃新鮮さ

○まあ、いつも言われている事なんですけど…
これがどうにかして身体でわからないといけない。
構成と展開も含む流れについての私の欠点。
集中できるところと、そうでないところの差を作ってしまう。
短いフレーズだともつのはソコの原因もあると思います。

「ここ面白いなあ」と興味を持っている箇所については、うまく流れている傾向にあるようですが、逆に、「特に何の感想もない」あんまり興味ない箇所はだいたいダメだしされる所、という事に最近気づきました。

やっぱり氣が入ってないとダメなのだ。
しかし「興味がありすぎて張り切りすぎている」ところは、
よくよく空回りしているみたいなので、客観性とバランス
というのは大切で、そして難儀だなあと思うのでした。

○イエローモンキーと松山千春の日
こういうのを聴いていると、そんなにいろんな歌い方できる必要はないのだな、というのがわかります。

美味しい所、「オレ様のウリはココ!」てのがハッキリしている。
ある意味「一番楽に歌っている」ところ。「得意」なとこだ。
そしてソコが生きる曲をどんどこ作るのです、凄いです。
ソコが「大好きたまらなーい」というお客さんにピタッとはまると商談成立。ほーらどーだ、これでもかこれでもか、きゃー!である。
「自分の強みを知る」という事が大事というのがココでも出てきますね。
でも己の事って解らないのだった。まあ、そこまでまだ突き詰めていないので話にならないっちゃなりませんが。

この2つは対象も解りやすいらしい。
自分が誰に何で好かれているのか解るって偉いと思います。
私はサッパリ解らなくて、いつも困っているのでした。(NI)

○「愛は遥かに」
大きな曲です。上下にも左右にも斜めにも深さを感じます。いい曲です…改めて感じました。

階段を登るように大きく展開していく曲と詞。その階段一段一段にも階段やスロープがあったりと計算されている。
原曲と日本語訳の曲、やはり差はありました。
日本語のほうが平坦な印象がありますが、感情(テンション)の起伏が歌い手の中で止まらず、大きさを調節しながら回転しているように思えたので表面でなく、奥には平坦でない動きがあるように聴こえました。

聴いていて「ゾクゾク」「ワクワク」といった感情が動く感覚を覚えますし、フレーズを歌っていても感じます。
それを頭で理論的に考えようとしすぎてはダメ。技術的にやろうとしてもダメ。
どちらかといえば感覚のまま、それを制御できる範囲内で増幅させながら歌えたらいいなと思います。
感情が動くほうが身体から発してる、心から発してる感じがします。
そうなると自分自身も「楽しく」なれる。
そしてそれが表出することが、聴いてる見てるお客さんに何かを伝える要因のひとつになっていくのではないかな…とも思います。

楽曲の力で、歌い手の感覚が動き、良い作品へのイメージがつかめることもある。でもいつもそうとは限らない。
どんな楽曲、作品に対しても感覚を動かせるようにしないといけない。
その為に、普段から意識的に心と身体と感覚に刺激を与えて動かせるようにトレーニングをしていきたい。(MA)

○巷の人達がカラオケでガンガン歌っているような曲でうまい人もたくさんいる。また、音源のシンガーに近づいてもしかたないというのもある。「彼に変わる何を出せるか、どのような自分の価値を出せるか」というのが問われるのだ。歌詞を書き留め、メロディを入れるまでいつものレッスンよりかなりスムースにできた。馴染みのないような曲にも食らいついていた事による相対的な効果で簡単に感じたのかもしれない。
まず声の使い方としてはロック系の曲という事もあり、自分の持ち味や勝負所を出しやすい感じがあった。なので音源の歌い手をただなぞっただけにならないように意識し、自分の呼吸、フレージングに従うままに表現を出す事に集中できた。ロック特有の歪んだ音色も自然に出てくれた感じだ。以前はそれを求めると喉をしめてしまう事もあったが、今日のは喉に負担がかからず体の底から言葉を吐き出した結果から生まれた歪みであったので、自分の求める表現に近い所でやれた気がする。

二曲目は昔自分でもよく歌っていた曲で、おそらく7年ぶりくらいに歌う事になったのだが、当時と全く違う質感があり驚いた。おそらく体ができてきたので当時とは違う質感、密度を感じる事ができたのだと思う。ただ今日は途中、カラオケのような感じに陥ってないか不安を感じた。楽に気持ちよく歌えすぎる感があったので逆にそう感じたのである。いつものような必死でくらいついてもがきながら出したワンフレーズみたいな丸裸の何かは出なかったと思う。変に無意識にいらぬ飾りつけをしてしまっていないか?等。自分の頭の中で曲が固まりすぎていたのもあり、冒険や創造に欠けた感じがあった。しかしその分、まとまりはあったと思うのでそのあたりは、いかにオリジナリティが自然に出てくれて尚且つ作品としても成り立っているというような事をめざしていきたい。
いつも思う事だが、表現をぶちまけるという事と音楽として成り立たせる(≒聞き手が心地よく聞ける)という事の両立がまだまだ自分の中で距離がある。また、シンガーとして再現力も必要であり、自分は足らない事だらけだなという実感が増す。引き続き、学び続けようと気合いが入った。(YK)

〇フレーズの途中の発音で拡がってしまい、ぼやける。フレーズに、柔らかさだけではなく、意識を引っ張りつづける鋭さ・緊張感が必要。

サビ‐Aメロ‐サビという展開ならば、Aメロにサビへ展開するきっかけを作らなければいけない。しかし、それをしていなかったため、突然サビがまた始まるという不自然な印象になった。

ライブでの録音をその場で聞いて頂いたが、マイクのエコーの分などを含め、総合的に見ればサビに問題は無いが、Aメロの課題(サビへのきっかけ)はアカペラの時と同じ。実際、Aメロからサビへの展開は、何となく自分でも不満足に思っていたので、改善すべきポイントとして、一つ確信を得ることが出来た。

普段ライブで歌っている自作曲を初めて歌ったが、先生の御指摘の内容が今までで最も腑に落ちた。やはり、その曲をどう歌うかということを、レッスンの課題として使った曲よりも悩んだりチェックした回数が多いということの表れだと思う。今後何度かは自作曲を課題曲にすると共に、その後自作曲ではない曲を課題曲とするときも、同じようなレベルで悩み、チェックしなければいけないと感じた。(HR)


<トレーナーのレッスン>

○力を抜く事を試みた方がいいのは明白で、それは確かにいろいろとやってみてはいるのですが、全然うまくいかないのだった。

最近のレッスンはどれもほぼそのへんの「抜き」と「使い方」がテーマになっていて、どの先生からもほぼ同じ事を言われていたりするのですが、体は相変わらずままならない状態。よっぽど染み付いているものが深いのでしょう。
感覚を変容させるイメージだけは常に意識しようと思います。

常に変えていかないと行けない、というのは確かにその通りで、私は特に飽きっぽい性分なので、なんか企てないとダメなタイプ。
悪くいうと行き当たりばったりなんで、あんまりとっちらかるとそれもまた問題なのですが、ここ数年はBVの御陰でと言いますか、とりあえず音楽とかMCとかざっくりとした方向性や共通項があったので、なんか珍しく統一感のある暮らしです。

○「スタッカート」
頭のてっぺんまで到達するような感じで「ハッ」
腹筋&尻の力と、上からの「脱力」のバランスがとれてないとダメ。
固くなってはいけない。上は緩んだ状態。
肩を落とす動きでスタッカート練習してみる。

バランスって、本当に難しいです。。。
口角がおちている。顔は半分より上を使う。
喉がうなり過ぎている。
やっぱり力が入りすぎているのです。

「レガート」Na〜でやる。
頭の音から、胸は開いていく。緩める。
身体の前半分で頑張っている、もっと背骨を軸に歌う。
高いからとのど仏を上げない、もっとしたからとる。
出発点は腰に繋げる。
いつも同じ事を注意されている…うーん。
ともかくもバランスに氣をつけなきゃいけない。(NI)

○首まわりの力みを取る為に、あごを引き、手で押さえての発声。押し込みすぎないように注意する。音が上がっていくにつれて一緒に首に無駄な力が入り、喉が上がっていくのをできるだけ防ぐためのエクセサイズ。それをすべての母音で。慣れるまでは逆に喉が窮屈になったような感じがあったが、慣れてくるに従って首の後の空間〜後頭部、頭のてっぺんにかけての空洞、とおり道が認識しやすくなったように感じた。この状態で音を上下させていく。
これも今までのレッスンと同じく、高音になってきたからといって下に押し込んでとか押し出してとか地声にこだわって無理に力で出さずに声が勝手に切り替わっても流れ、線だけ繋げる事を意識する。結果、ファルセットになるのだが、抜きにいったようなファルセットではなく、ポジションは変わらず、どこか地声の残ってるような前に進むファルセット。文字では伝えにくいのですが。さらにレッスンの後半では首の後ろの空間に加え、鼻の裏側あたりの空洞も感じられ、この空洞を意識するほど、音があがっても同じポジションでいきやすく感じた。無意識のうちにこのような空間が使われ、歌の時に豊かな音色がでるよう、また、首まわりのいらぬ力が抜けて声帯への負担が減り、リピートにも耐えれるようになるよう、引き続きトレーニングしていろいろな箇所を柔軟にしていこうと思う。

○「I Loveyou」 「少し浮かしにかかっているような感じがあるので、もっと話している自然な状態のまま」というコメントを頂いた。確かに今日は「まとまったものをだそう」と意識してたのもあり、それがなんというか厚みの無さといおうか、こじんまりしすぎたといおうか、「伝える」という意識からすると、インパクトのないような悪い方向に行ってしまったのだと思う。
原点にもどり、素直に台詞で「I love you」という事から行った。この事でいかに出だし「アイラ〜」の「ラ〜」の部分を浮かしすぎてたのかを実感した。表現としてねらって浮かして、結果として良いものが出ていたのならそれでもよかったのだと思うが、今回の場合、「気付いたら弱々しく浮いてるだけになっていた」という結果だったので。そのまま話している時の状態のままで歌唱。結果として相手に投げ掛けている実感、メッセージ性が高まった実感があった。

キーも少し落としたので、アドバイス前に歌った時の方が声は前に飛ばせている感じはあったが、そのかわりその時はメロディに流されて浮かしたような「形」をとりにいった、感じになってしまっていたのだと思う。今後の課題としては、話しているような自然な状態だが、音楽としての構成、メロディラインもわかりやすく聞き手に伝わるという両立ができるようになる事。そしてそこから「かもしだされるような自分の色」がでてくるようにならなければいけない。(YK)

○1.川は流れる10.百万本のバラ もよかったけれど、自分の中では大分落ちる。
6.バラのハンカチ もメロがきれいだったけれど、それだけって感じがしてしまう。詞よりもメロを歌っている方が勝っているように思う。
全体的に、愛する故の寂しさというか、悲しさというか、自分の中の感情とか思いとか、そういう事ばかり繰り返していてちょっと飽きる。
『あなたの心になりたい』とか、愛の強さみたいなものは感じるけれど、ちょっとクドイかな。何度か聞いているうちに、おなかいっぱいになってしまった

そんな中で10.百万本のバラは歌謡曲の雰囲気。ストーリーがわかって、その先の結果がわかっていても聞ける
サビしか知らなかったけれど、すごく悲しい歌だったんだな。書き方が、全体のストーリーだけでさっぱりしてる(さっぱり!?)。小説だったら、絵かきと女優の心情とか心の動きも入るんだろうけれど、そういうものがないことで、聞く側のイメージが膨らむというか、埋めていく余地があるんだろうな。転調のもっていき方好き。一拍でもっていっちゃうのね。12.難破船も○。これも歌謡曲。
出だしから抑えながらもわりと声張っていて、どんどん盛り上がっていく。カンツォーネのニオイもするな。

○演奏にはメリハリがついているが、それに歌がともなっていない。演奏は抑えているところで、声張っている。そこが不自然に聞こえた。声は出てるから、1番生かしたいところ、張るところ以外を落とすだけでメリハリはつく。

〇まずは曲を大きく捉える。サビを100とするなら、Bメロ80、Aメロ60の様に歌う前に上限を決めてしまう。
その上で細分化していく。Aメロ60の中でのメリハリをつける。
四行詞の中でどこが1番伝えたいところなのか。そして一行ずつみていく。
例「名前をつけましょう」
ましょうを語尾上げたり、1番強くするとおかしい。名前をつけましょう。
基本的には言葉自体のイントネーションとかアクセントを生かしていくことだと思う。そこは今まで通りの感覚でやっていけばいいと思う。
歌詞の読み込み方、を具体的に聞いたのは初めてだったので、すごく新鮮だった。今後に生かしていけると思う。

〇詞を読み込むことは毎回しなくてもいい。ある程度覚えた時などに一回やればいい。歌を聞く時にも他の人がどうしてるか気にするといい。続けていくうちに意識しなくてもできる様になる。

〇ギターと歌、わけて練習することも必要。実際ギター無しで歌った2回目の方が今日のポイント改善していた。
アドバイスと同じ事。違う人が同じ様に感じている。ギターがないと歌えないと思っているのは自分だけで、その感覚をいい加減どうにかしないといけない…。(HY)

○発声練習
息を強く吐く使い方はできてきているので、喉の力を抜いて、お腹から息の管が出ている感じで息は下から遠くに吐き続けるイメージを持つ。
足を前後に少し開き膝を柔らかく使って、手を下から掬い上げるように振りをつけて発声する。立ってしゃべっていても、体を動かしてしゃべっている感じをつかめる。

○「花をありがとう」
手の動きをつけて、膝を曲げて手を下までやって、体と連動させて声を出すと、そうでないときと比べて声が全然違う。
慣れていないせいもあるが、振りがぎこちなくしかできなくて、いかに普段突っ立ったままで体が固まっているかが分かった。
ただ手の振りをつけているだけなのに、膝を曲げて動きを大きめにしただけで、実は息が上がりそうだった。踊りながら歌える人は、どんな体(器)をしているのかと、改めて感じた。体力は必要だ。(SR)

○音がまっすぐ行かない原因
初めの上下降発声では、やはり最後の一音が不安定になりがちなので気を抜かずに最後まで言い切る。フラットしないように。
前半弱すぎ。出だしはいいが、そのまま行き過ぎる。ラやドのところで音の芯がぶれてしまう。
きちんとポジションをつかんで、pでも芯を通す。弱くし過ぎなくて良い。
ドからドのオクターブは、低音での倍音を良く聞いて、そのままそこに乗せるかんじでやる。音を変えるつもりでやらない。同じ線上ですごく繊細にやる。

音程は「ラ」が一番苦手なようで、いつもフラットしてしまう。力をいれず、高音を出すポジションで明るく出すように心がける。
Bメロ、「ミーレード」初め低く響かせるのは良いが、その後「ソ」はきちんと上のポジションに戻さないと重くなってしまう。
サビなどで、いつも一音一音うねうねさせてしまう癖があるようで、もっとストレートに出す。
自分の声を聞いて、合っているか確かめてからヴォリュームを上げる様な事をしているからそうなるということだ。
もっと自信を持って自分でまっすぐ進める。また、ここの音に向かって、と言う風に方向を決めて歌えばそんなにうねうねしないはずだと言う事だ。

サビ初めの「ソーミー」ポルタメントしない。サビの「レーレー」、二回目のレをいつも押してしまう。次のフレーズに向けてクレッシェンドはするが、スーッと何にも引っ掛けずに出すだけでよい。
サビ中の「ラソーレソー」もうねうねしてしまいやすい。ここでポジションを絶対に重くしない。同じようにストレートに出す。
後は曲の中で、向かっていく音、一番盛り上げるところ、そのために弱めるところなどを計算して設定していく。
英語でやってみると、語尾を重くしたりしてしまいがちだったので、母音のようにストレートに出す。(KA)

〇ケミストリー「Point of No Return」
全体的に、気持ちを込めようとして、重くなってしまっている。気持ちを込めながら、軽くリズミカルに歌うというバランスが、中々うまくいかない。歌にバリエーションを持たせる上で、大切な課題なので、両方をそれぞれトレーニングしていかなければいけない。

〇ナット・キング・コール「Sweet Lorraine」
ゆったりした曲だが、所々バタついてしまっているところがある。自分の意識がバタついていたのが、そのまま表れていた。全体をゆったりとした印象で通せるよう、もう一度課題曲とする。曲の一部分に囚われるのでなく、常に曲全体を見ているような意識を養うと共に、もっと体の力を抜かなければいけない。

〇ケミストリー「Point of No Return」
テンションや感情面は落としていないつもりだったが、まだフレーズが前へ前へ繋がっていかない。しかし、ブレスの時に気持ちを吸い込むような感覚でやってみると、少し繋がった。恐らく、繋げようと意識する結果、体が固くなり、呼吸が浅くなっていたのではないだろうか。ブレスの時に意識的に深く息を吸うことで、体に自然な呼吸のリズムができ、迷いや集中力の途切れも無くなったように思う。力を抜いて、ブレスをしっかり取ることに一度戻って、その上でフレーズを繋げられるようトレーニングしたい。

〇他人が歌っているのを聴いたことが無い曲のため、現在の自分の感覚がどうなっているか分かりやすい。音楽的な感覚が少し宿ってきている。同じフレーズを無意識に繰り返すことが無くなり、繰り返す時に自然と何らかの変化を付けたいと感じるようになった。以前なら、変えるべきだとすら感じなかった。エラの影響だと思うが、柔らかく滑らかなフレージングのイメージが沸きやすい。ただ、中途半端にまとまると一番面白くないので、どこか破綻し、はみ出すところもほしい。まずは感情面を爆発させて歌ってみて、それを音楽的に収めていく必要がある。

○メロディーに特徴のある曲のため、そこを際立たせようとフレーズのコントロールに力んでしまい、肩に力が入りすぎてしまう。歌い慣れていて、繊細できれいな風にはできているが、何かが足りない。次に、フレージングを無視して気持ち優先で歌ってみたら、多少粗くなるものの、Aメロ、サビにメリハリがついて、リアリティーも出た。作った当初は自然と気持ちが入っていたが、歌い慣れていくにつれ、良くも悪くも整えたくなってくる。整えることの目的は、その歌の世界を邪魔しているものを取り除くことなのだから、歌の世界が薄れてしまっては本末転倒だ。もう一度気持ちを作ることに戻る必要がある。(HR)

○歌詞とメロディーをただなぞるのではなく、歌詞の裏側に込められたメッセージや意味を深く考察して歌う。
気持ちを吐き出すのではなく、内側に大きくつくる。
歌いだしや、楽曲的に盛り上がってないところ程、テンションを高くする。
歌詞に深く入り込んでいない為に、言葉があまり聴こえてこない。
身体や喉をリラックスさせて、テンションを上げる。(OG)

○ハミングから声を出していく
ハミングは良いトレーニング方法だということはよく聞きます。しかし以前の私は力が入りすぎて、下の方で唸るようなハミングしかできず、それを指摘されましたが、正直その後はあまり行なうことはありませんでした。今回、久しぶりに行ったため、ハミングの感じを訊ねたところ、自然だったとのことでした。
これまで、力を抜いて歌うということを中心に練習してきたので、それが身に付いてきて、自然なハミングになってきたようです。ハミングを行なうにあたり、息を額のあたりから出してと指示され、それがとてもイメージしやすかったです。今後は積極的にハミングを取り入れ、これまで以上に力を抜いて歌う感覚を養いたいと思います。

○マイケルジャクソンのヒールザワールド
レッスンにあたり、個人的には極力、力を入れないで歌うように練習してまいりました。実際に歌ってみたところ、力が抜いている感じはいいが、フレーズの入りが弱いし、自分らしさが出ていないと指摘されました。自分の歌声を聞いてみると、確かに芯が無いような、か細い声になり過ぎていました。コーチから、最初の音をしっかり出して、そこから流れ良く歌えるようにしたいと指導していただきました。力は入れないように意識し、あまり遠慮しないで歌ってみると、コーチからはだいぶ流れが良くなったとのコメントをいただきました。しかしサビに入ると、発音を気にし過ぎたのもあり、流れが悪くなってしまいました。まだ歌い込みが足りない感があり、更に練習が必要な事が分かりました。

○ビーズのコーリング
次への意識が足りないとの事でした。確かに今までの自分の歌い方だと、単語の一つ一つは頑張って歌っているけれど、そこで流れが止まってしまっている状態でした。次への意識が足りないので、準備ができない、結果流れが悪くなるという悪循環でした。今回コーチからは、とにかく次のフレーズを意識するが大事で、私の場合は次の次まで意識することが必要だということが分かって、とても良かったです。

○私の場合、歌を覚えるのにあたり、その歌手本人の真似になってしまう傾向が強くあります。練習であえて物真似をするのとは違い、どの曲を歌っても、その歌手のイメージが強く出てしまう欠点があります。自分の歌だと思って歌ってみてと、よく言われるのもそのためです。自分の歌のように歌うというのは、自分の声や歌い方の長所短所などを把握した上で行なわないと、やはり所詮物真似で、その歌手本人には一生届かないと思っております。私の場合、主にカラオケボックスで練習しておりますが、頻繁に録音し、もっと自分を知る必要があると最近つくづく感じております。(SH)

○仰向けになり、強く息を吐ききり、一瞬で吸う。この吸う時は「吸う」という意識よりは「とりこむ、ぶわっと入ってくる」という感覚で。さもなくば自分の場合は胸や肩に力が入ってしまう。次に今度は細く長く息を吐き続ける。ポイントは強く短く吐いた時と体の状態は同じであるという事。細く弱くなのだが、体の支点は同じであり、息の流動通路も変えない。息がなくなり吸う時も前者の時と同じ感覚で。強く出す時の方が体を使うような気がするが、実際は弱く長くの方がかなり体にこたえるというか集中力が必要であると感じた。これを交互に繰り返す事によって体の内部の良い柔軟になった。
続いて「ドレミレドレミレド」を「マアマアメエメエエ」で上下。自分の中でリラックスした状態で楽に出す事をしたのだが、「もっと壁の向こう側に届けるような意志を持って」との指摘を。しまった。リラックスしすぎて無機質な密度のない声になっていたようだ。アドバイスを受け、体のリラックス感はそのまま残して「相手を想定して届ける」という事を意識すると声の密度もあがり、芯を持ちつつ前に飛ばすという感じでいけたのがよかった。

○ピアノ伴奏に併せての歌唱。自分の中で「表現」よりも「一曲通してのまとまり、聞きやすさ」にスタンスを取った。するとやはり聞いてる側からすれば「想い」や「伝わってくるもの」がないようだった。先程の壁の向こう側を意識した時の感覚でとアドバイスを受けた。ここまでは自分が意識的に「まとまり」を取りにいっていたので想定内だ。勝負はここからだ。表現を入れた時にいかに崩れずにイメージに近づけるかどうか。
「出だしは多少重くなってもいいので地声の威厳のある感じで何か儀式が始まったよう空気感を出したい。Bメロはその聞き手にとっては少し重すぎる感じの出だしから場面転換と言おうか、少しソフトに語りかける感じに変わってサビ前で高揚していき、サビでエモーショナルに大自然のパワーを感じさせるように訴えかけていきたい。」というようなイメージがあったのだが、あまりに形として決めすぎてとらわれると変化が見え見えすぎてバタバタしてるだけになったりする。でもある程度決めておかないと流して終わっただけになる。という事が起こるのだがこれはきっとこれから何年もの課題という事で。今日はとにかく上のようなイメージで。

○客観的にはサビの「島唄よ風に乗り」の部分が良いとの事でここは自分でもそのように実感したので、主観と一致していた。で、前回からの課題だが「鳥と共に」で少し落ちて、「海を渡れ」で尻つぼみになるという部分。理由はメロディ的に音が下がってくるのに「島唄よ風に乗り」の一番声を飛ばしてる部分よりさらに高揚さすのは難しいという事なのだが、なんとかエモーショナルな部分を維持したい。
対策として「島唄よ風に乗り」の部分を今までが10だとしたら6.5ぐらいに落として落差を少なくさせ尚且つ「鳥と共に海を渡れ」をもっと意識して前に出していく。というような事を考えやってみたが所詮にわか仕込みに。しかし次に出した時に少し感覚の変化が生じた。「鳥と共に」と「海をわたれ」の部分、声の使い方が100%地声であったのから息の割合が増えて、前に訴えかけるような感じに勝手になり、「島唄よ風に乗り」のテンションに近い所で出せた感覚。発声的な事で言うと鼻から抜いてしまっているのだが、これが良い悪いは別にどうでもよくて、表現として生きるかどうかだ。
要は自分でしっかり作品の中でどう使うか選べればよい。だからこそしっかりした判断力を磨いていかなければならないのだが。ただ今日のような感覚をまた違う曲で使ってみたり実験を繰り返してみようと思う。(YK)

○声で持ってけないところは、歌わない。
オーディション、事務所のライブ活動などを通して、今のうちにたくさん失敗しておく。
名前が売れてからは挑戦が難しく保守的になってしまうので、今の時期は失敗できるとても貴重な時間。

○Bメロの流れは良かった。サビは、フレーズの最後に声を抜く箇所があって、そこでテンションが下がりすぎてしまい、ヴォリュームも下がりすぎて弱くなっている。
声を抜く際は、テンションは2倍にしないと流れが切れてしまうから気をつける。
Aメロは一番良くない。流れも悪い。どうも低めの音を歌おうとしすぎている。
ヴォリュームを大きくしたり息をたくさん吐いたりするとうまくはまらないから、もっと声にしないように、歌わないようにする。
しかしサビの抜く箇所とおなじで、テンションは2倍かそれ以上に膨らませる。とにかくひろがってぼやけてしまっているらしい。それを細く鋭くする。
頑張って歌いすぎて息も漏れる。声はいらない。歌わずに、集めていく。
Aメロが最大の難関で、ここをコントロールできると先につなげる。

○全体的にもっと滑らかに。
やはりAメロがひどい。歌おう、声に出そうという意識が強すぎる。
自分の耳で聴こえるように歌うのは良くないかもしれないと指摘された。
耳を手で囲って自分の声が良く聞こえるような状態で、自分にギリギリ聴こえるくらいで歌ってみる。
つまり、かなり小さめに歌うということだが、それでやってみると前よりずっと良いといわれた。
もちろんヴォリュームは下がっているが、きちんと言葉が聞こえてくるし、音もでこぼこしていない。
相手に聴こえているか不安になってきて、どんどんヴォリュームをあげて息が漏れてしまう癖があるようで、そうなるほど不明瞭になっていたようだ。ほんとうに喋るくらいのほうが現時点では伝わりやすいようなので、テンションは上げながら、この感覚でAメロを歌えるように練習する。
声を出す、という考えをなくす。耳で聞いて出すのでなく、これくらい出すという感覚を身体で覚えていく。
サビもでこぼこしてるから、色々考えて滑らかにしていく。

○音色が暗い
全体的にフラットに聴こえるということだ。
音程的には合っているのかもしれないが、その中の一番低い音をとってしまっている。
明るく出す事を心がける。でも明るくしようとすると肩から上がどんどんこわばっていくのでリラックスする。
そしてラの音はいつもフラットしてしまっていた。
多分その音を出そうとする事でどんどん詰まっていたと思う。息の効率もだんだん悪くなっていったと思う。
ただ音を追うのはやはりしんどい。その中に自発的になにか音楽を感じたり、動かそうとしないとテンションも持たない。
ヴォリュームも抑えすぎだったかもしれない。ピッチの練習でももう少し開放していく。(KA)

○クレッシェンドするとき喉で押してしまう。もっと身体を使い、息でコントロールするようにする。
息を沢山流そうとするとポジション落ちる。
p→f→pで音階を発声するとき、pにしっかり戻ってくる。pの時もしっかり芯のある声で発声する。
自分が使える息の量など、まだ認識できていない。(OG)

○出す音の高さにより、ポジションを変える。下→上。
上に上がっても、下に重心を置いたまま。
簡単に出る中低音域の音も、下に重心を置いたままに。

童謡「海」を歌う。単純な曲なのに、音域が合わず、地声と裏声の切り替えもうまくいかず、小学生より下手なんじゃないかと思いました。
声も普通のクラシック調で歌ったらいいのか、勝手に自由に歌ったらいいのか判らなく、中途半端な感じになってしまいました。
自分の声が出来てないなと思いました。

○お尻の穴は閉めたまま、丹田の所は常に上下に収縮するイメージ。
上半身は広がった、膨らんだまま。
楽に出せるキーでも、おなかを使って出す。
ファルセット高音を出す時は、もっと上を狙うように余裕を持って出す。
英語の時は、子音をジャストより少し前に息で出し、ジャストで母音を出して、音にする。英語でも日本語でも、各単語を1つ1つ言うというより、文節の塊を感じて発音する。 曲の途中で、口の開け方などを変えると音色も変わってしまうので、口の開け方を変えない。(OK)

○「イ」でやる時が一番自然に動くので、これを利用して練習する。
『指をくわえて「イ」で音階練習をする』
「イ」のラインでやって、他のもコレと同じように動くようにする。真っ直ぐ進む、ひっぱらない。
指をくわえた「イ」のフォームのままで、歌詞をつけて歌ってみる。
押さない感じ、スッといく感じ。低音練習もちゃんとやりましょう。

○形が見えすぎる、単調
部分的になり過ぎ。全体像が浅い。統一感が無い。落としどころがハッキリしない。ストーリー的な進行が成り立っていない。
展開をはっきりさせる。…要するに、伝わらないという事です。
頭に勢いを出すのであれば、それがまた後で何度かリピートできるようにする。
もし、一回出力しかできないのなら、もっと途中の肝心な「ココ!」ってところで使う。限界のようには絶対見せない事!

張ってるとことそうでないとこ、の2パターンしかない、のは良くない。声のダメな時の、修正の仕方を考える事。
あっさりと真っ直ぐ失敗しない。
「強く」が続くダメさと「強く→弱く」が見えるダメさ。
ハンドルの遊びの範疇で収める。
ワンフレーズの密度を曲にもっと持って来れるように…。(NI)

○自己陶酔型にならない
発声そのものについてはそれなりに慣れてきたようだ。
でも伸ばすフレーズなどでビブラートが上手くできず、固くなってしまう事もある。
言われて、声を胸に持っていく感じで、息を飲み込むようにして、力は抜いて開放すると何回かできた。
その感覚をまだ自分のものにできていない。とりあえず、のどでゆらすものではないことをしっかり頭においておく。
まずは母音で。弱く入った後の語尾、盛り上げようとして、重くなってると指摘される事が多い。
よけいなことをせずストレートに出す。「all」ドから上のドへ行くときも語尾を重くしない。
いつでもクレシェンドできるポジションをキープしながら、そのままいく。共鳴をつかう。
サビ「I will lay me down」最高音のミで頑張りすぎて、そこで終わっている。
ダウンまでで1フレーズで、一語ずつうねうねさせてしまわない。
気分でなんとなく盛り上げようとしてしまっているが、全く言葉とメロディーが意識できてない自分勝手な歌い方と言う事だ。
語るように、1息1息まっすぐいく。
歌詞を付けるとそれはさらに悪化するので、母音の感覚のままやる。後半からうわーっとやる癖は絶対に良くないのでやめる。
「friends」「found」などは、fは息だけ、その後の母音で綺麗にすぱーっともって行く。
「bridge」もbで入らない。これらは出だしからはっきり入れようとすると重くなってしまう。
発声はそこそこ安定してきたので、あとは自分がどう歌いたいかということを考えていく。
次回はジラーレからファルセットの切り替えをやる。「イエスタデイ・ワンスモア」をさらっておく。(KA)

○いつでもお腹から頭までつながる感じを忘れない。特にスタッカートでは切れがちになるから注意する。
軟口蓋をあけて、いつもライオンの口のイメージで。
頭に声を響かせる。
コンコーネでは単に字面を追うのでなく強弱をはじめとする音楽的なことも考えて歌う。
音程に注意する。ながく伸ばすときはその音を伸ばすのでなく四分音符が連続しているイメージでうたう。
いい声のときと悪い声のときの区別の自覚がないので録音したテープでチェックして、いい声を出しているときの感覚を覚える。
引き続き音程の練習を続ける。
コンコーネで和音をひいて自分の出す音がそれに調和するように練習する。(HS)

○加藤登紀子 Best hit songs
思ってたよりも低い音域だったのね。上はA、下はFまで。出る出ないの話だったら原曲のkeyでもいけそう。
イントロのピアノ、たいしたフレーズでもないんだけれど、なんかいいんだよなぁ。間かな。語尾のきれい。言い切るというより、少し抜きながら喉を鳴らす感じなのかな。
AメロBメロはしゃべっている様な感じに押さえている。
声を張っているところはサビだけなのね。でもすごく余裕がある。だから言葉が聞こえてくのかな。
自分でやるとしたら、いつもの様に歌っていくんじゃなく、本当に言葉を読んでいく感じなんだろうな。(HY)

○レッスンを受け、そのテープを聞きながら日々の練習、テキストを読む、音楽を聴く。その積み重ねの中で、少しずつたまっていった小さな疑問、いつも気にしているわけではないが、時々“あれ”と思うことを、会話の中から、その答えを気づかせてもらい、大変有意義な1時間でした。

○表現する声は一つではない
以前から、発声練習の時に出している声、感覚をポップス・歌謡曲にどう使うのかがわからず、レッスンレポートにも何回か書いたとは思いますが、今日その答えの一端が見えたと思います。
どう使うのかではなく、私の場合は使ってはいけないと…。発声練習の時には、体の使い方、スタンスを意識してより深い声を出す。しかし、実際に歌う時はその声を使おうとしてはいけない。体の感覚はどんどん取り入れながら、詩の世界、歌の世界に入らなければいけない。その世界に入ったときの感情が音色・声となって外にでていく。
今まで、発声練習の声が自分の声であり、一番いい声であると当たり前のように思っていたようで、その声を使って歌っていればOKだと…。一本調子、唱歌のよう、これは全ていい声で歌っていたから。
“千の風になって”を例にして、クラシックとポップスの違いを先生の歌から気づかせてもらい、胸のつかえがとれた気がしました。
“生命をかけて”のサビの声の出し方、声を出すより、息を出す、音程は高くなっていくのに、体のポジション・声が出ていくところ(?)は一定にさせておく、ダンベルをしょってスクワットの状態で歌っているよう。

○この体のポジションをキープしたまま歌うと、体の支えが必要になることが感じられた。
体が浮き上がると声がうわずったりする。この感覚を維持するには、筋力トレーニング、特に腹筋・背筋・スクワットが必要。今まで、体の力をぬくためにストレッチの大切さはわかってきたが、ここでやはり体の総合力が大事だということが感じられた。
先生も今、一番体力づくりに関心があると話されていた。

○歌い方に正解はない
歌い方に頼らない、最初からあてはめない、いろいろ試してみるということ。
しかし、このポイントが一番難しく、ただ歌っていればいいというものでもなく、どう表現したいのか…。
最近思うことに、歌=人間性、伝わるということは自分の歌が相手の体の中に入っていくという事、その人の存在感・気迫・価値観・オーラ・その人から発する全てのものが歌=声を通して相手を包み込む。その人と一緒の時間を過ごしたい、共有したい、その人から何かしらの力をもらいたい。最初は歌を聞きにきた人が、長くその人のファンになるには究極の話し、目の前にその人が立つだけでも皆が寄っていく感覚、一声出せばさらにひきつける確かな何かを身につける。伝えるということは、伝えようとしないこと、自然に相手に入っていくもの。
歌を通して自分の世界を表現する、自分の世界を充分に表現できるためにレッスンを受ける。
お客様は、歌を通して私を見ているということ。“人をひきつける”ということは…。こんなとりとめもないことが、最近気になっています。

○もっと息を深く吸うように、力を入れる場所をもっと下へ。
声を狭く発音・発声しがちなので、奥を開けるように。
母音「A」「I」「U」「E」「O」 が明確に発音できるようになってきました。「I」の母音を横に開き過ぎないように。
発声で気が付いたのが、母音をクリアに「発音」できることがまず基本で、「La」や「Li」のように軽く子音を舌先でそえると、のどに力の入らない楽な発声になることです。

○1年半が過ぎ、最初の頃と歌に対しての捉え方が、ずいぶんと違ってきたなと思っています。最近のレッスンでやっと毎回同じことを指摘されることがだいぶ少なくなりました。

テキスト・会報など、今までも時間があれば読んだりはしていたのですが、その読み方が、自分ができないこと、関心があることなどは、何回も読んだりしていたのですが、他のところは流し読みをしていたようで、先日会報を読んでいて、ふとここの研究所は、その道のプロとは、プロになるためには・・・を教えてくれるところ?それも自称プロではなく、一流のプロ・アーティストになるための道を示してくれるところなのではないか(ごめんなさい。今頃こんなことを言うなんて)歌がうまくなりたい、いい声をだしたいくらいの目的でここにくるのは、もったいない。
声で歌で自分を大きく育て、稼ぎ、生計をたてる。一流のアーティストになるのだという気迫なりを持って、どんどん先生にくらいつく、言葉は悪いですが先生を使い切る。ここはそんな人達が来るところなのではないか・・・。
私は他の分野でプロとして、お金を稼ぎ、生計をたて、自分のやり方で人を呼び、何十年たって自分のオリジナルができ、プロとしてやっていけるようになりました。ここはその何十年をテキストなり、会報、先生のレッスンで示してくれている。このすごさを感じたり、若くして通っている人達がうらやましいです(ただ、その感覚がない人にはただのレッスンだが・・・)

○ゴルフの世界で、シングルプレーヤーといわれる人達、それも片手シングル(ハンディ5以下)の人達の努力、練習内容はすごいものがあり、スコアー的にもその辺のプロとはかわりがないのですが、2人で並んで打った時に、プロとアマの区別がすぐできる。
アマチュアの上手な人がアマでいる限り、アマのゴルフしかできない。
先日、大きなカラオケ大会の優勝者(全国レベル)という人の歌を聞く機会があり、確かに上手で、自費でCDを作り、その会場にも置いてありました。
でも、やはりカラオケ好きのおばさんの域を越えることはできない。
さきほどの、シングルプレーヤーもそうですが、練習量(ボールを打つ量)はプロ以上かもしれないがその人にプロの方ですかと、声をかけることはできない。スコア的には大差ない。歌の上手さはプロ並みでもプロとして通用しない。

○プロとアマとの違いとは・・・それをこの研究所は教えてくれる。
ここ数ヶ月で一番自分の中で気付き、結果がでたことに、発声、声は声帯を使うということ。こんな当たり前のことができていませんでした。できませんでしたというより、声帯を使うということが、自分の中にまるっきりなく、その使った感じ=のど声だと思っていたので(声がでれば声帯を使っている・・というより通過してきているという感じで声帯を意識したことがなかった)お腹を使って息を出すことばかりに気がいってしまい、それが力みにもなったと思います。
だいぶ力を抜けてきたと言われる状態は、普通の体の状態に近いものがあり、いまだにこれで深いところから声がでているのかと不安になることもありますが、自分の課題である日本語を歌詞を伝えるにはこのぐらい体が楽でなければ言い表せないとも思っています・・・が、力が抜けてきた・日常的といっても、歌の場合、体の芯を保つことは絶対でテンションを保つ、集中力がとても大事だということが少し、わかってきました。(UT)

〇歌・・・今までのライブの中で、最も準備期間が長く取れたため、今までになくリラックスして望めた。声も自然で、歌としても安定している。それが良く出たところもあれば、逆にサラッと行き過ぎたところもある。言葉を立てるところと、フレージング・メロディーで持っていくところとの、メリハリをつけなければならない。今の実力では、音楽的に持っていくことはそこまでできないのだから、言葉を立てるところをしっかりやらなければ、単調になってしまう。もっと言葉を大切にしなければいけない。
また、もっと緊張感のある表現、伝わる表現をしなければいけない。もっとリスキーに表現していってもいいはずだし、今やらなくては後々もっとまとまってしまう。何といっても、今まで自分を突き刺してきた歌手との最も大きな違いは、その緊張感、狂気、観客が引くか乗るかを迫られるような、ギリギリのエネルギーなのだ。

〇選曲・曲順・・・1曲目を静かな曲にし、期待を裏切るならば、2曲目はそれに応えて、ライブらしく明るく楽しい曲でやるべきだった。また、5曲中4曲が静かでしっとりした曲になってしまったので、次回のライブではその逆の、エネルギッシュなものを目指したい。

〇MC・・・・いつもより真面目な話を長くしたが、持たなかったように思う。たまには真面目な話もいいというお客さんもいたかもしれないが、やはり笑える部分があるに超したことは無い。楽しませ、笑わせ、和ませることを目的とし、真面目な話は笑いへの1ステップぐらいに捉えて話した方が結果的に伝わるのだろう。(HR)


<メニュ>

○高音を出す時、鼻の後ろの上を上げようとするが、背中に力が入りやすい。そういう時は、背中を後ろに伸ばすようにする。
低音になると、ポジションも落ちて、音色も変わってしまうので、ポジションは上のままでキープ。
ポジションが定まらない時は、人差し指を前に出して、そこに吹くように。
出す少し前にお腹の下に力を入れ、そのまま力を入れ続ける。

1.歌う前のストレッチと呼吸を丹念に行う。
2.息を吐き出し「1.2」で吸って発声を繰り返す。
3.肋骨下に手を当て「ホー」「ホー」「ホー」を繰り返し、その部分の凸凹を確認。ここへ意識を持ってくる。
4.背筋を使い、背中から声を出す(高音の場合)。

1.喉に力がかかっている。
2.「ホホホ」「ハハハ」のスタッカートの練習では、顎が下がって発声している。(笑顔を忘れないこと)
3.ソプラノの声を聞くと、私は高い声が出る。(SI)