会報バックナンバーVol.198/2007.12 |
レッスン概要
■LESSON
○日常ベースで得る
今の日本で2、30年やってきた人たちが、どういうやり方をとっているか。ヴォイストレーニングや発声に関しては、あまりやっていない。すべて現場でやっている。現場でやること自体は、私も最優先していた時期があります。ここも現場ということで、ライブハウスのところまでつくったのです。けれど、それにはある条件があって、かなり優秀な人だけをとった場合、成り立つのです。そういう人たちは、プロ野球に入ったような人たちで、そこまでにそれぞれで持っている、生まれた素質というのが、練習にも生かされてきた人なわけです。そういう考えもあると思いながらも、外国人のレベルに対して日本の歌、日本の音楽というよりは歌でいいと思うのですが、(音楽だけでは外国に負けていないと思うからです。)音を位置づけることになると、小さいころからの、言語文化の差だと思います。
だから、トレーニングでできることというのは、理想的にいうのなら、ネイティブになるのと同じように、日常で得ていく。彼らを是としたらです。
そこは大前提ですが、必ずしもそのままを是とするものではないという考え方が多いです。世代によっては、洋楽はすごい、邦楽はしょぼいと言っていたのですが、今、若い子にそう言っても、「関係ねーじゃん、あっちはあっち。」そんなによければあっちのを聞けばいいということでしょう。
オペラでもそうです。それは正直なところで、文化があり、持ってうまれたところのものがあるから、そうなる。彼らは相当なことを、ベースとしてやっている。日本人は相当なことをやっていない。そこで、日本の野球と大リーグの野球ではないが、力の差がある。ただ、スポーツはまだ比べられます。本当はルール次第によって、どこが有利になるかということは、違ってきます。そのルールを決めた国が有利なわけです。それでもより速くとかより強くとか、より高くとか、そういうことで客観性がとれる。けれど、芸能や音楽や文学になってくると、一概に比較できないところがある。日本人は日本人、そこに受け継いできたものでしかリアリティは出せない。それは本当だと思うのです。
劇団がその方向に行くのもわかる。もうひとつは、お客さんの耳からです。日本人自体が何を求め、何に反応していくのかということがある。
それを無視して、欧米と同じようにやってみたからといって、うまくいかない。欧米のものが世界に広まって、有名になったものを日本人が聞いたからいいと思うので、ストレートに入って、いいと思った人もいるのでしょうが。そこのプロセスをとれるかというのは、別の問題なのです。どこまで追及してみても、にせものかもしれない。だからといって、人間というのが、黒人と白人と、黄色人種に分かれているわけでもない。音楽というのがアメリカやヨーロッパのものではない。ラップであれヒップホップであれ、いいものは、そういうものが日本にもあってもいい。日本のロックや日本のシャンソンもあっていい。正にそのとおりです。
個別の問題だと思うのです。ただ、彼らは10年20年やっている。日本人は10年20年やっても、音楽の表現に関しては、1年から2年くらい積んだ人はいますが、5年10年と本当に積めた人はどのくらいいるのか。もちろん、続けてやっている人はいくらでもいます。ただ歌い手としてトレーニングとしての積み上げ、純粋に音声の中でそこまでやっている人は、少ない。むしろアナウンサーとか役者のほうに多いと思います。20代で才能のあった人が、40代くらいで声量がなくなっても、ひとつは怠けたからでしょう。ショービジネスの厳しい世界から見たら、日本でやれても、やれているのとは違うこともある。新しい活動をやっていない。昔の古い歌だけを歌っている。ただ、お客さんがそれ以上のレベルを求めていないというところにおいて、それ以上の必要性があるのかということになる。
音声に関しては、手や身振りや演出方法のほうで、お客さんが沸く国で、音声にこだわって、声の動かし方や回し方をやる必要が、どこまであるのかということです。ヴォーカリストがプロであればこそ感じる部分があります。そこでは価値観も違います。日本でも声中心のヴォーカリストがいたと思います。しかし、なかなか後が続かないというのはどういうことなんだろうと。そういう考え方はしなければいけないと思います。私のホームページを読んでいただくとわかると思いますが、いまだに超えられないのは、美空ひばりさんです。日本人として世界に紹介できる一人です。歌をいい悪いというのはどうでもいいことだと思います。その人が何をなしてきたのかということです。精神的なことでもあります。
○クールジャパンと音楽
呼吸法や発声法、いろいろな訓練法というのはあると思うのです。けれど、たぶんどこまで耳を開いていくかということだと思います。もしかすると邦楽をやったほうがよい。坂本九さんがビルボードのチャートのナンバーワンになった。あの発声は、清元にベースがあったわけです。曲がメジャー受けするようなものであったなど、いろいろな理由はあると思います。今の何百万枚も売れるヴォーカリストが、海外へ進出できていない。アジアのほうではカラオケ的なフィーバーをしています。アメリカでJ-POPSは売れている。全世界が日本ブームなのです。
今ほど日本人が尊敬されている時代はないと思います。イチローや松井ばかりだけでなく、アニメでも漫画でも、超クールだということです。実際にチャートで上がってこないのは、彼らは海賊版で、ネットで買うので、売り上げに上がってこない。本当の意味で、音楽で聞いているのかというのは、ちょっと疑問があります。いわゆる刺青に感じるくらいの感覚でやっているのではないかと。今のアメリカやヨーロッパの音楽も、マイケル・ジャクソンやマドンナの頃ほど、世界をひっぱっているのかというと、似たりよったりの気がします。だから、私は、音楽そのものに対して、坂本龍一さんではないけれど、ある種の限界も感じています。音楽ということで切る必要もないだろうというような気もしています。
○音楽の授業
日本の音楽が選択授業になりました。私は学校の音楽から学んだことは大してないと思っていますが、さみしい。音楽を教師としてやっている方も、ファンにいらっしゃる。「音楽教育」という雑誌で、著名な方と対談を、ホストとしてやっているのですが、来月号では、それに対する反対署名運動を一冊で特集するらしい。音楽を選択にするのではなくて、早いところ、国語と音楽と体育をまとめてしまえばいいのです。分けられるものではない。体のことと言葉のこと、音楽のことは、一緒です。演劇の関係者なら、それは表現として、授業にしてしまえばいいということです。
○声に頼りすぎない
日本の子供たちは、高い声で引っ張らないとのってこないという思い込みがあるらしく、その担当になったミュージカルの役者さんあたりが喉を壊す。私は高い声を出さなくても、子供とのコミュニケーションのとり方の問題であって、大きな声も必要はないと思います。
大切なことは、高い音や大きな声を必要とされる状況に持ち込まれたら、負けということです。定規をもってきて、バシンとやれば、どんなに小さな声でも聞こえる。その状況がつくれていないのに、どんなに大きな声を出しても、それは相手には働きかけません。発声や声のことはやったほうがいいと思うのです。さらに、今のお笑いから勉強するほうがいいと思います。歌い手になりたくても、今は吉本のオーディションを受けたり、映画からスタートしたほうがいい。
CDからでは今は売れない。映画で脇役で出しておいてから、CDでデビューすると、ちょっとは売れる。声優で出て、脇役でもやったほうがいいくらいです。それだけ音楽の力が落ちてきている。売り上げとして上がらなくなってきた。
子供が面白がることとやりたがることと、親が応援してくれることが反するということがあります。子供の受けだけをきちんととっていきたいのであれば、お笑いの中で、子供たちが支持しているような、偏ったものになる。でもそういうものがベースになって、はじめて子供たちの声が活き活きして、出てくる。それが学校という枠の中に入った瞬間に、全部死んでしまうのです。あなたが働きかけられるよりも、子供たちがどう働きかけられるようにしていくかというのが、メインです。
最終的にはあなたができるだけ喋らずに、向こうが話していれば、一番いいコミュニケーションになると思います。
それを引き出せる声があるのかはわからないけれど、学校の先生の声は、あまりよくないです。本当にバンッとそこに壁をつくってしまう。
体育の先生の声が、びびるような声であっても、子供たちに、その人が真剣であれば伝わるのです。
注意を向けられるような声というのは、状況づくりからです。この前、子供たち向けの岩波ジュニア新書というのを書き下ろしました。自分の子供時代からどういうふうに声を聞いてきたかということを若干書いたので、参考になればと思います。学校の先生がよく買う本で、「声のトレーニング」(岩波ジュニア)となっています。
○加齢と嗄声
最初、日本の女性の場合は、特にソプラノのように歌っている女性は、高めにとっているから、しぜんと低くなっていくでしょう。声の使い方は、今、しゃべっているところで歌われても、喉にはこないと思うのです。そこにあなたが、自分がよいと思う声の3人の アーティストくらいに出そうとすると、痛くなるかもしれませんね。日本のジャズはあまり喉にかけないでやっています。
私は、喉にかかっても気にする必要はないと思います。喉にかかっているというのなら、このアーティストも、喉にかかっている。 喉にかかるというのは、かなり抽象的な言い方で、問題は、喉に負担がかかることで、同じ状態を再現できなくなる。あるいは再現するのに、力を入れて固定して、そこのところはできるのが、他のことに支障が出てきたりするような状態になることに対して、よくないといえます。ポリープができたり、昨日歌ったように今日は歌えないというようなのは、よくないのです。ただ日本に限らず世界中を見てみたら、そういう時期というのを過ごしている人もいる。
一概に喉を鍛えることを禁じても、結局、声が強くならないのです。全部正しい発声で、ちょっと何かをすると喉にくるからダメですといわれたら、正しい発声はできるけれども、耐久性もあがりません。私が受け持っている人で、動物役をやっていたり、役者で悪役をやっている。人をびびらせたり威嚇する声は、喉にいいわけがないのです。生理的に嫌なもので、相手に生理的に嫌なのを出す。これが演劇や、実際の舞台で必要とされる場合もあります。
声楽はそういうのがない。いわゆるいい声、欧米でいういい声を出せばいいわけです。昔は私も「はい、私は」と深くしゃべっていた。こういうものを無駄だったという仲間もいます。それが無駄か無駄じゃないかと、本当のことでいうと死ぬまでわからないというか、死んでもわからない。その人が無駄だと思ったら無駄なのですが、私から言わせてみたら、そういう時期も何かなっていたんじゃないのということはあるのです。だからこそ、今の活動がやれているという見方もできなくはない。親が、自分は苦労したから子供は苦労させないようにとやってみたら、幸せになるのかというようなことと似ている。
トレーナーの体験は、直接生徒に移し変えてもしかたがない。だからといって、全部を自分で選別して、これだけが役立ったトレーニングで、あとは全部間違いだよというかたちで与えられるのかといったら、これは難しいですね。というのは、相手も違います。10人の相手がいたら、その10人の相手、それぞれによって生かされる相手も違うし、ダメになるところも違う。それは、私はいろいろなトレーナーを使ってやってきましたから、非常によくわかりました。ヴォイストレーニングの業界はないし、皆、個別にやっている。一番悪いのは、自分のやり方に疑いを持たないことです。自分ができたことが相手もできると思っている。これこそが大きな間違いですね。そんなことは歌い手の世界でもありえない。自分を見本にするというのも、場合や人によってはあまりよくない。ベーシックな部分に限ればいいのですが。
○トレーナーとアーティスト
それからヴォイストレーナーというのは、いろいろな感覚を読み取れて何でもできればいいのですが、アーティストはそんな必要がない。優れたアーティストはそういうものをいくつか持っているが、むしろ自分のわがままな世界で、それを突出させるほうにエネルギーを使う。
本来はアーティストを養成したいのですが、トレーナーとして育っていくのを、私は見ているから、確かです。アーティストというのは、誰かを見ていて育つわけではない。自分の道を切り開いていかなければいけない。それを違えてしまうと、トレーナーが育ちやすい環境にしかならない。トレーニングを皆やって、まわりが育っていく。どうやって人が育っていくのかということを煮詰めると、守破離の破がポイントです。トレーナーを育てているわけではないから、グループレッスンをやめてしまいました。
トレーニングの中で得られることと、そうじゃないことがあります。アーティストにとって必要なことは、トレーニングは材料にしかすぎない。自分が何たるものなのかを知っていくことが一番難しいです。我々もわからない。パッとみて、君はこうだと言えるものではない。3、4年かかりますね。3、4年かかってわかればいいほうです。最近わかりやすい人しかとらないようにしています。他ではやっていけないというのが、一番わかりやすくていいのです。
○研究所とスクール
そのうち、ホームページに会報をすべてあげます。ただ、読者のほうが消化不良を起こしているようです。いろいろな分野からトレーナーに来てもらっています。ただ、意識がないところに、トレーナーを置いても、そのトレーナーとの閉じた世界になる。ここを出てどう活動するか、活動している人たちがここをどう利用したかということです。巷にたくさんスクールができましたから、他の学校で物足りない人に来てもらえばいい。前のスタジオはライブハウスみたいなところで、個人レッスンがあまりできませんでした。ここはこんなかたちですから、自由にいろいろなものをやります。映画監督や演出家、影絵芝居の人もいます。たぶん、自分が声を使うのと同時に、声を使わせる仕事の人です。声のことがわかっていなければ、注意もできない。今の感じで、演出家のほうが、よほど声なんかはきちんと判断しています。平田オリザさんとやったこともありました。
自分の歌の中で、まわってしまっている場合が非常に多い。それはその人の中でまわるのはいいのだけれど、他の人の中でまわってしまっていても仕方がない。それをきちんとふまえなければいけない。だからこそ、相手がやれるようにするために何が必要なのかということが大切なのです。しかし、そうなると、いきなりプロデューサーになってしまうのです。プロデューサーというのは、今やれる人を見つける。十代でこの人は使えるというのを見つける。ある程度、即興力で見ていくところだからです。養成所というのは、どんどんなくなってきています。ノウハウなんかで左右されない。3年やったら3年、5年やったら5年やったという力が示せるようにする。
ポップスのヴォイストレーニングは、私は今4つくらい顧問をしていますが、ここは声楽を中心にしました。声楽は3年5年やると、声楽家にはなれないけれど、声が変わるのです。これは鍛えた声だとわかります。
ところがポップスのヴォイストレーニングのスクールに行ったら、入ったばかりなのか、5年いるのか、わかりません。ということは、ヴォイストレーニングからいうと、いったい何が身についたのかと示せない。カラオケでレパートリーが増えていく。ジャズもレパートリーを増やしていくというのはわかりやすいですね。
本来、その人に学ぶ能力があれば、今は譜面が手に入りますから、できます。それよりも1曲、あるいは1つのフレーズの中から、どこまで深く読み込んで、その読み込んだもので引き出しを増やして、 自分の表現にどういうふうに移入されていくかということです。
ここは落語協会の人もいます。私もできるだけプロと接していこうとしています。アーティストにとって大切なのは、時代感覚を磨くことです。大衆受け、庶民向けしなければいけない部分もあるのでしょう。
ラーメンズからオリエンタルラジオまで、最近は、お笑いのほうがよほど声を高度に使っています。スピードワゴンでも、自分の声とその使い方を知っている。
・吉本、上位の20組30組は、ネタがいいわけではない。
・さだまさしは噺家になりたかった。
○トレーナーの盲点
今、研究所の役割は、ロックヴォーカル中心ではなくなってきています。15年前に発足した頃は、ツェッペリンとかジャニス・ジョプリンから入ってきた。クラシックや演歌の先生にもつくわけにもいかなくて、うちに来たのです。そういう人がどういうふうになったか、20年経つとわかります。どういう人が、その中でやれているのか。そこでは優秀だったが、やれない人もいたでしょう。勝負がはっきりしてきます。
今のヴォイストレーナーは自分がやれた、だからこのやり方でやれという。そうではない。自分よりも、それを与えた人がどうなったのか。そこを見なければいけない。それからいうと、私も20年経って、グラミー賞を3人くらい出すレベルと思っていたのですが、こちらの力不足もあり、なかなか難しかった。非常にいい人材とは接することができ、いいトレーナーともたくさん会え、大いに自分の勉強にはなったと思っています。どんな大きな学校でも、一人のトレーナーしか見ていない。相性もあるが、それでは他の情報が入らないのです。
そのトレーナーが優秀であればあるほど、反省しないでしょう。うまい人やそこで相性があった人しか残っていかないで、他の人は文句をいわれずに辞めていくわけでしょう。そこで成り立たなかった人に、どうすべきだったのかということも大切なことです。
皆さんがいろいろなトレーナーについて、ここに来られようが自分でやられようが、一番大切なのは、今やっていることをどういうふうにするかということです。なぜ辞めなければいけなかったのか、そこで学んだことは何だったのかということを、きちんと財産にしていかないといけない。
○やり方
声優の人もダブルスクールです。ここにいても声優の仕事はこない。最近うちの仕事では、年に何回しか、吹き込まない。大切なことは、自分が今までやってきたことをどう生かすかです。ところがトレーナーの多くは、前の先生のやり方はダメだから、こうやりなさいと。それは一番受けがいいのです。生徒も文句があるから辞めたのです。それを繰り返していたら、どこでも身につかない。次のところで、最初は先生と意気投合、1年2年も経たないうちに、やっぱりこのやり方もだめだと。やり方で左右されるものではないのです。
それはやり方だけが動いているからです。本来やらなければいけないことは、その人が、もしアーティストになりたいというのであれば、アーティストとして伸びる部分は伸ばしつつ、足りないものを材料として提供することです。こういうものがあるとか、こんなものから学べるということが大切なところで、その感覚があれば、日本の今の声の分野であれば、あまり特殊なトレーニングはいらないですね。
「あいうえお」をきちんと発音するようなことをやめさせてほしいと、ある有名な劇団の主役にいわれました。そうだろうなと思います。私も「あいうえお」の口の形を本で書いています。声がない場合に、ビジュアル的に口をはっきり開けてみせることも、一つの手法だからです。だから一概に誰にもダメだということではなくて、その人にとっていいこと、でも他の人がやってはいけないことがあります。そこが個性でしょう。
アーティストでも皆、そうでしょう。他の人がやっても、真似にしかすぎない。そういわれるのが、個性ですね。他の人がやったら、真似にしかならない。他の人がやってやれるのだったら、個性でもない。それをどういうふうに見つけるかをやらなければいけない。声優や役者、劇団、ミュージカルになってしまうと、一つの価値観ができています。そこに入りたいといったら、そこのOBにオーディションの審査基準に合うようにするというのも、トレーニングということです。こうして現実と理想の中でやっています。
○リピート・オン
月に1回のレッスンでも、月に30日にかぶさっている。30分だからいくら、2回だからいくらだ、2回と4回とどちらがいいかという考えではやっているつもりはない。ただレッスンに慣れていない人が、レッスンに対応するのに時間が必要とか、コミュニケーションの時間があったほうがいいというのは、わかるのです。
現場から見ると、ライブでもレコーディングでもいいのです。そことかなり近い感覚に、私のレッスンに関してはなっています。月に2回くらいの時間で、ライブよりもずっと厳しい部分をみます。トレーニングはそれを自分ひとりでやるわけです。いわゆるリピートです。このリピートの目的はオンすることです。たとえば誰でも、いいときと悪いときがあるのです。声に関しては意識しませんから、問題化するのです。たとえば朝起きたときのように歌える状態にほとんどなっていないときがあります。逆に、体調がよくぐっすり眠って、やる気も満々で、いいことがたくさん起きたということになると、かなりいい状態になります。
他の学校に行って、よくわかったのですが、レッスンが必ずしも、その人のベストから上にいっていないのです。ずっと下でやられている場合が多いです。今の状態でも、皆さん、結構声が出ていますけれど、上がって声が全然出ないこともあるでしょう。ずっと座っていたら、声の状態が悪くなります。体の状態、声の状態、1時間くらいずっと座って急に歌ってくださいといったら、かなり悪くなります。そういう状況でレッスンがやられている場合が非常に多いのですね。先生が権威を持っていたりすると、もっと緊張してしまう。 それが取り出せない場合は、そこまでのレッスンがあったほうがいい。ワークショップのように1時間くらいあってもいいと思います。月に4〜8回やって、慣れてきたら普通になる。
他のヴォイストレーニングの教室を見せてもらって、思ったのはそういうことですね。何か、もうレッスンというので、緊張している。初心者の人が来て、先生がテキストを渡す。ピアノで音程をきちんと歌いなさいと言っている状況では、相当、声の出ない状態になっている。すると、そこからの上達というのは、その人が日常で使っている声の真ん中までいけばいい方です。下手してしまうと、家族と喋っているくらいの状態にしかなっていないことが多いのです。これはロスです。この人が友達と騒いで、カラオケをやっているとき、もっと声が出るのです。だから、レッスンではベストを最低限にするべきでしょう。
○声の強化
昔は声の強化と言っていました。私の中ではそこはあるのです。けれど、それを一方的にいいとか悪いとかいわれるのです。私はトレーニングでなく、もっと素直に考えています。ひとつは言葉を中心に考えること。これはリアリティという意味です。伝わる伝わらない、いわゆるその人の世界が成り立つか成り立たないか。それを最大限見ています。別に言葉で伝わらなくてもいいのです。問われるのは、音声力です。体ということに対して、感覚もそうですが、これらをプロにする方向に強化すべきだろうというのは、変わりません。現実には、この前提が結構、壊れてきています。
この前、音声医の米山先生のところに行って、3時間くらい対談をしました。呼吸と体のことを、ドイツから持ってこられたやり方で、呼吸のトレーニングをやられています。私もそんな時期がありました。けれど、オペラになってしまうと、ちょっと違ってくるのかもしれませんが、言葉の部分が必要です。これは非常に大切です。私の本を読んだら、そういう人たちも出てきます。
別の音声医の先生が言っていたのは、オペラ歌手でもっと優れた人はいるのですけれど、ポップスを聞いたら、泣いてしまうのは、必ずしもオペラの声、そういう発声が日本人にとってベストではないと。そこで判断できない基準があるということが、なかなか一般の人にはわからないのです。そうすると、声だけを見せていく方向になってしまう。
林光さんが一番やったのは、発声を追及することでした。クラシックの作曲家で「日本オペラの夢」というのを、岩波から(今は廃盤)出されています。発声と音楽、これをどれだけ外せばいいのかということがテーマで、これにこだわっているかぎり、日本人のオペラ、そういうものが出てこないとも思うのです。どちらが正しいかということではなくて、いろいろな考え方が世の中にある。極端すぎるのはあまりよくないと思いますけれど、発声だけが聞こえてもダメだし、音楽にする、歌にするがために失われているものが多いのも確かです。今の私と、結構近いスタンスです。こんにゃく座では、言葉で言ってみたところから、音楽に入れていくようです。
ここのレッスンも2通りです。昔はカンツォーネをたくさん使っていました。これはどちらかというと、体を強化するのに、中から変えるのに、2オクターブある声量と声域をまず得てしまえといっていたのです。その考えは、今はなくなりました。そこまでの必要性のある人は少ないし、今の舞台でそういうことを問われているわけでもない。
たとえば、そういうのは、オペラ歌手が来てやれる。劇団にも、声楽を出てやっている人がたくさんいます。そういう人をシングルカットしても、売れないでしょう。あれは劇団のファンの中だから売れている。今の若い人にとったら感覚として違う。たぶん皆さんが聞いてみても違う。そこから学べることは、いろいろとあると思います。
それよりもシャンソンを使うことが多くなりました。かつての銀巴里のシャンソン歌手も来るようになった。オールディズで有名な人もいます。そういう人たちが来るのはよくわかるのです。20年前に、もっと世界に通用するヴォーカルになっていると思っていた。でもそうなっていないということは、自分の思い込みで、あるいはお客さんの駆け引きの中で、もっと大切なことを忘れたのではないかということで、基本を勉強しに来る。それは私にとって、非常にいいヒントになる。歌ったらうまい。プロとして場数も踏んできている。でも何が問題かと見たときに、役者から入った人は、言葉で見ているのです。音楽が根本で支えていない。
プロの歌い手ですから、素人が聞いてみたら、それが音楽になっているのですね。でも、日本語とそれを洋楽に音楽にしていくことにおいて、ギャップがあって、こなせない。だから、いろいろな面から見ていく必要があります。
○必要性を知る
一番大切なことは、レッスンで必要性を知ることだと思っていいです。体を変えるということは感覚が変わらないと、体だけ鍛えても意味がない。いくら腹筋や横隔膜、呼吸をやってみても、必要性がないわけでしょう。
ヴォイストレーニングで失敗しているのはそういうパターンです。その人に内的な必要性がないのに、外から押し付けられて形だけやっている。
劇団の発声も「あえいおう」と喉をつめているのは、やらないほうがいい。学校に行ってテキストをやる。そういうものは、ポップスやカラオケを歌っている人は慣れていない。楽譜を渡された瞬間に、状態が悪くなってしまうでしょう。呼吸も悪くなってしまう。上の音までいかないうちに詰まってしまうのです。カラオケを歌ったら、その人はソまで出たりする。
本来、そういう教本は、歌では音程がとんだり、リズムが複雑で難しいから、単純に上下降があまりない簡単なもので母音だけで歌って、難しい歌にできるだけ応用しようということでしょう。メニュが簡単だから、トレーニングして歌に応用していくわけでしょう。 ところが、カラオケで歌ったほうが楽に出てしまうという人は、できてしまっている。できているのを詰まらせるようなトレーニングはやらず、そのカラオケから入ればいいわけです。カラオケの一番高いところで、それを確実にしましょうというようなことです。何か日本人はそういうのが嫌いで、メニュの形だけやってしまうのです。型とはまた違うのです。固定する形のようですが、固定してはダメなのです。
発声の一番大切なことは、感覚の切り替えです。ハードな曲を聞いてくると、皆、強い声で大きく歌おうとする。実際に大切なのは、この逆のことで、いかに変化できる可能性があるようにするか、つまり柔軟かということです☆。
ヴォイストレーニングの目的は、いかに繊細に、丁寧にコントロールできるか、それに関する内部の感覚がトレーニングです。でかい声が出せるとか音域が広いとか、シャウトして歌えるとかは、目的ではない。発声で、今よりも丁寧にやっていくと、そういうことも伴ってくるというのでいい。少なくとも5オクターブ出せるとか、高い声が出せるとかいっても、全部出せるようにしていない。まったく出せなかった人はやめて、ここにたくさん来ています。
何もやっていなかった人がやってみたら、出るようになったというのは、当たり前です。高い声を出そうとしたら、毎日高い声を使わせる練習をしていけば、どんなマニュアルでも、高い声が出るようになります。その代わり低い声が出なくなってしまう。また高い声も出すのをやめたらすぐに出なくなる。そういうのは付け焼刃、その場しのぎで、トレーニングではない。本当は、いつでも完全にできるようになることをマスターしたというのです☆。
すぐに効果が出たと思っている人は、そう思ってしまう。本人にないところをどんなに伸ばしてみても、あとでなくなってしまう。大切なことは、歌が成り立つかでしょう。高い声に届かせて、そこに音響をかけて、それで持たせるのはいくらでもできる。表現が成立していなければ、その声は通用するわけがないです。平井堅さんの物まねはできるし、ゴスペラーズにあわせるのもいい。けれどそれでは、彼らのレベルにはいかないというところから入っていかないといけない。
感覚のことからいうと、共通の部分をとっていかなければいけない。レッスンを成り立たせるときに、いろいろなトレーナーがいろいろな考え方でやっていると、皆に共通な部分で与えないと、規準にはならない。そこで置いたのがクラシックなのです☆。
昔は私が基準を与えました。そして、そのための材料を与えるレッスンをする場だと説明していたこともあります。
今はもう少し一般化して、日本人であることで、入っていないものがある。ここに来る人は、たまに外国人だったりするときがありますけれど、ほぼ日本人でだいたい日本語を使って生きてきた。
・エスニックが多くなってきた。
・感覚でかけるところを見ていく。
・息の話。
○目的と基準と手本
これだけの説得力を持って、伝わるようにというのが目的です。まず、半オクターブくらいをベースにと言っています。プロの人たちはわかるのです。というのは自分が歌ってみてもそうはならないから。どこを見るのかというと、同じようにやる必要はないのです。ただ、この人がこの中に10個のニュアンスを置いたりコントロールを置いたりしているとしたら、自分もそれに代わることを、そのレベルでやりなさいということです。
普通の人には、5つの音しか聞こえないかもしれない。そうじゃないということが、感覚を見ていくヒントです。見えないのはかまわないです。見えていたらやれているということですから。
「サーイ」のところで声になっている。自分がやってみると響きだけになってしまうということであれば、それはどうして違うのかを細かくみていけばいい。じゃあ、体がどうなっているかというと、 「S-」と息が吐けるわけです。日本のプロの中にも、こういう息というのはない。ところが、アレサ・フランクリンのレベルの人は、そういう息が聞こえます。ただ、日本の録音技術ではそういうのをカットする場合が多い。入れない場合もあります。
だから昔のもののほうが、体が読みやすい。私のサンプルの特徴は、すぐれたヴォーカリストを集めているのではなくて、当たり前のことが聞こえてくるヴォーカリストなのです。あまりごまかし、飾り付けをしていないということです。もっと響かせるから響かせてみたり、フェイクしたりするのではない。もう少しわかりやすく言うと、マイクや音響の効果による演出をあまりしていない。ここに来て、マイクをなしで歌ってみても、そういうふうに聞こえる作品です。そのほうがトレーニングの見本としてはとりやすいわけです。トレーニングをするときに、マイクを我々も使いません。
すると、生で同じようなことができないと。この辺のことというのは、誰を選ぶかということよりも、基本的にそういう人が皆、身につけているもの、たとえば深い息があるとしたら、それをやってみようといってもやれるわけがない。その辺がヴォーカルの楽器とは違う考え方です。
今できないとしたら、それは皆さんが20歳だったら20年、30歳だったら30年、それをやってこなかった。だから、それだけやらなければということです。ただ、それだけをやろうと思ってやっても難しい。その必要性を持って、体から出していかなければ使えるようになりません。
○日常レベルでの差の克服
鈴木松美先生との本の前書きに、そういうくだりがあって、私が言ったのですが、外国人はひとつの台詞を1、2分、続けて喋らなければいけない。その間、誰も突っ込んでくれない。そこで、最初に体を準備して、呼吸を深くしてまくしたてなければ、対話というのが成り立たない。外国人の学生が2人喋っているようなものを録ったら、テレビ番組のように対話になる。ところが日本の場合はならない。二人にしか通じない、いい加減な喋り方をしている。ということは、彼らはもう訓練をしているということですね。2歳くらいから対話の訓練、スピーチの訓練をやらされているようなものです。言葉を与えられたときから、このことについて喋ってごらんと、そんなことが当たり前のように行われている国と、役者の養成所にでも行かない限り、そういうことを指摘されない国では、その部分から違ってくる。
相手に対して、3分間スピーチをしなくてはならないということは、それだけの体の準備と、呼吸を使わなければできないということなのですね。これは歌と一見違うようですけれど、同じことです。日本の生活にはないでしょう。だいたいボソーッと言えば、相手が入ってくる。言いよどんでもいい。結論まできちんと論旨を組み立て、それでどこにエスプリやジョークを入れるか、計算して言うことはあまりないでしょう。スピーチの場でないと、日常の会話ではないですね。
それは腹式呼吸や体のことと、すべて関わってきます。外国の場合は、役者でなくても役者レベルの発声を持っている人はいくらでもいます。役者は、そういう発声ができるとか、体が使えるのではないのです。それをもって、どれだけの効果を与えられるかということで、その世界が成り立つかが問われるところです。
○現実の成り立ちからみる
日本のヴォイストレーニングは、せいぜい声が出て、届けばいいとかいうものでしょう。声が働きかけようがかけまいが、客もそんなものを期待しているわけではない。そういう音の世界での耳のレベルの差が、一番大きな差になります。ブレスヴォイスのトレーニングの方法が、どうだということではなく、こういうものを聞いたときに、何が起こるかです。こういう息が自分の中に聞こえてきたら、少し体や感覚がそういうほうに近づいたと見たほうが素直です。別に息をハッハッと吐くようなトレーニングをしたわけではない。でも彼女に息を出させたら、吐ける。そういう深い息が、コントロールできなければ、それだけの歌を動かせない。
日本人の場合は、いきなり楽譜を渡されて、それでメロディを歌ってしまう。けれど、今日聞いている曲すべてにわたって、成り立つということで見ていってほしい。総じて歌っていないということ、メロディをとっていないということ、それから音程も、リズムや発声、言葉とかそういったものをとろうとしていないということ、そういう人たちが既に持っているもの、それを作品として、それぞれの歌唱で言葉としても成り立っているし、日本人としても、言葉として成り立たせられるのですけれど、なかなか音楽としてまで成り立たない。その辺を見てください。
○当てこみと練りこみの違い
日本のプロの歌い手には、表面でやるのがみえているのが多い。絵でデッサンといいますけれど、レッスンでは声を使って、どうデッサンするか、こういうものを歌の中のオリジナリティとしてみているわけです。これを使いわけて、線、フレーズを、どういうふうに動かすかということ。それから色、音色というのがある。このフレーズと音色の中で、どういう世界をつくっていくのかということです。
日本人の歌い手は、言葉で持っていく人が多いのです。それよりも優先して音色の展開でみているのが、ここの特徴です。
聞いたからといって、言葉を解釈したり、何を歌っているかということではなしに、ひきつけられる部分です。楽器でいう、いわゆる音色や演奏の部分です。
○声より声の展開としての演奏力
歌い手の場合はいろいろなものがあります。たとえば発声も、もともと持っている声もそんなによくない。もっと持っている声がいい人はいます。カーペンターズのカレンさんとか日本でいうと白鳥さんの声、それは持っている人ではないと無理ですね。
それからこういうフレーズ、発声の部分、フレーズの大きさがあり、そこで見せていく人もいる。それから日本では少ないですけれど、音の組み立て。たとえば、発声もよくないし、歌もうまくないし、持ってうまれた声もよくないけれど、曲がいい詞がいい、アレンジがいいということもあります。その人独自の持ち味で持っている人がいますね。
エルビス・コステロでも、その音楽性だったり、音をどういうふうに置いていくか、組み立てていくか。日本でいうとYMOです。確かに歌っている。ただ、声は最小限、音楽の動きを邪魔しないように、声を楽器音として使っている。そういうふうなものでもいい。
これ以上いくと、自分でやるよりプロデュースして、歌わせたほうがいいと。歌えないからそこはギターにやらせようとか、創意工夫する。
音楽というのはトータルで組み立てられます。必ずしも音域や声量を目的としてトレーニングするのでないのは、そこでもわかります。
昔のように声を朗々と聞かせるヴォーカルというのは、あまり出てこないでしょうね。そういう人はミュージカルやオペラの世界に行く。そこにも問題があると思いますが、日本人が聞いて聞けないところ、息、音色、強弱の部分、これを明確にしていく必要があります。
○理想と表現のなかで
私自身の理想と、レッスンでとらせているものとは若干、違う。表現がクラシックがかってきたら、用心させます。ただ日本のミュージカルでやっていきたい人は、それはいいというふうには見ています。
少なくともポップスの人が来たときには用心します。なぜかというと、この歌い方自体というのは、ランクが決まってしまうのです。
たとえばこういう人が10人いたら、私は上位から10番まできちんと番号がつけられます。この人が3回歌ったら、3回のうちのどれが一番よかったのか、はっきりとわかります。さっきのほうが高いところの伸びがよかったとか。そういう判断が働くものというのは、芸術的なものでないと、どこかで私の中で考えています。
アーティストを目指すのなら、そこから判断されないこと。その基準をぶっ壊すこと。ですから、それはちょっと困る。
ミュージカルで使われる歌というのは、ストーリーをきちんとつないでいく歌です。そのことばをきちんとよみ、物語として聞いている。それをCDで区切って、相手の顔や姿も見ないで聞くということ自体は、邪道なわけです。
だからここで言っている音楽で使われる歌の声というのは、そういうものは一切見なくていいところ。目をつぶって、耳だけで聞いていて、成り立つということを見ようとしています。
どっちを目指せという話しではない。日本の多くのヴォイストレーナーは、こういうふうなものを目指している。それは、目標として違っている。そんなふうになれないし、そのヴォイストレーナー自身がここまで育てられるのかということにもなる。
トレーナーが歌えるかどうかは関係ないのだけれど、歌えたところでどうするのかということを考えると、ミュージカルしかない。
今言いたいことは、日本人が持っているベース上に、これはあると。だから、日本のお客さんに受け入れられる。だからこそ、そうじゃないものは何かということです。日本人に欠けているもの、それを入れていくというのが、レッスンの目的の一つです。
飲んで、ことばも取り違えているようなところさえある。だから比べられない。どっちがいいか悪いかは趣味の問題、その人の好み。 これを5回歌われても、5回のうちのどれがいいのか、適当に歌っている中で、盛り上げはきちんとつくって、音楽ということののり方からいうと、勝っている。
向こうでつくられた曲なので、比べるのはかわいそうですが、そういうところをきちんと踏んでいる。
音楽の持つ、言葉との一番の違いというのは、リピート効果の大きさと思っています。始まって、どこかでサビがくると、サビが来た、気持ちがいいと聞いている分には、1時間かけても、ドライブで楽しめる。ところがストーリーで聞いているような歌というのは、ストーリーがわかってしまったら終わりでしょう。
どんなに好きな人でも、これを1時間続けて聞いたら、飽きてしまうと思うのです。言っていることがわかってしまう。ストーリー性がなくなったところで、声の心地よさやリズムでどこまで聞こえるかということです。
どちらがいい悪いということではない。日本人の中での発声、あるいは音楽をつくっていくところの感覚と、それからいわゆる世界の感覚の差です。それはどちらを選びなさいということではない。私の考え方は、あまりにも日本人は日本のことしかやらない。そして、いろいろなことで悩んで、向こうのものを歌おうとしている。向こうのものを歌うからではなくて、何でもやっておいてその上で選びなさいと。両方ができるようにしてから、このように歌うとかフォークみたいに歌うとか、演歌みたいに歌うというのなら、それはそれでいい。
○過去と切り替え
歌や声は、まったくやってきていないものではない。ヴォイストレーナーについてヴォイストレーニングはやったことがないということで、初心者というのはあるかもしれない。けれど、声や歌は皆さんが生きてきた年月だけ使ってきている。相当使ってきている。
音楽でいうと、ピアノで会話するのは難しいけれど、こうやって声で会話できてしまうでしょう。そのレベルはすごく高い。耳が聞こえない人なら、そんなことはできない。あまりに皆ができてしまうから、それが特殊な能力だと思わないだけの話です。そこまでやってきたものを全部否定するということもできないのです。できることは、そこで聞かなかった音や、自分の中では聞こえてこなかったものを、もう少しきちんと聞く、そんなふうに中を変えていくことによって、変わる。英語でも、聞こえていないものは発音できない、発声できないということと同じです。感覚の切り替えということをやります。
2、3時間聞いていると、できたような気がしますけれど、4年くらいはかかります。向こうに住んでいても、2年はかかります。 4年かかってもネイティブになれるわけではないのです。そこは日本の洋楽や、日本人の中で成り立つものであればいいということを前提で、私たちは見ています。
○英語は息を吐く
英語の場合は、むしろ英語を直すのをやめ、英語であまり歌わせないようにしているのです。喉にひっかかったりしやすいだけでなく、英語の発音を整えることによって、英語らしくなくなってしまうことが大きいのです。
今の日本のジャズシンガーは、英語の発音がとてもいいです。ところが現地の感覚からいうと、よすぎて日本人だということがわかってしまいます。息が伴わないのに発音ができてしまっているのです。
英語は息を吐く言語です。英語からいうのなら、オリジナリティということでも、むしろ日本語訛りのほうがいい。実際に、オーストラリア訛り、テキサス訛りだったりしているわけです。ただフランス語やイタリア語で、現地で歌うのなら、そこは厳しくしないと恥ずかしいことになる。日本で歌っている分には、音楽的に聞こえればいいのではないかというふうに考えています。そういうのはいい加減というより、そこで直せる機能がないなら、それを優先すべきではない。
音楽は言葉が別におかしくても、音楽として成り立てばいい、そういうことをいうと、詩人の方から怒られる。ここは朗読や声優の方もいらっしゃいます。
ただ、私の優先順位からしたら、声や息があって、音色があって、そこでメリハリがついて、それから発音、発音はかなり先です。レベルとしては即効的な分、決め手に欠ける☆。発音が聞こえないがためにスピーチが失敗したとはいわない。お笑いは厳しくて、2分で2回くらいかんだら終わり、4分の中で3回かんだら、それを笑いに結びつけないと成り立たない。
○自分のベストの声を
日本人は、忠実に向こうの原調でやっていますが、本場では半音下げている。この辺が考え方の差だと思います。
自分を中心にして考えたときには、自分が一番歌いやすいキーの設定にしますよね。ところが日本の合唱団とか日本のゴスペルはそういう基準でなく、団員がどうであれ、向こうの基準と同じにしてしまいます。そのこと自体、声を出しにくくしてしまうわけでしょう。
本当のことでいうと、下げなければいけないのです。説得力を出すのだったら。それができないからクラシックで声域のある人を持ってきて、それで歌ってしまう。やれているところは偉いわけですが、そこがネックになっています。
どこで外国語と日本語が違ってくるかということです。日本人は日本語を使い日本に住んでいる。国際的に見て、音声力が弱い。たとえば選挙や応援で、声を枯らしているような国民というのは、世界的に見ても日本しかいないです。
・サッカー試合、カラオケ、政治家。
・日本語の特徴「つめたい」と外国語との違い
内部の感覚がきちんと伴ってきたら声が変わる。だから、皆さん自身が日ごろ話している言葉も、そういうことに敏感になればよい。友達と談笑していたり嬉しいことが起きて出していたりする声は、魅力的な声であることが多い。なかなか取り出せない。
トレーナーも知らない声がある。なのに、教室に来てしまうと、他人行儀な声になってしまいます。
だから現場からやるのも、ひとつです。演劇や劇団なら、そういう声を要求されます。声優のいろいろな役柄をやる。
ここでも、声を最適化していきます。
老け役とか若い役とか、いろいろな演技をやらなければいけないでしょう。ところがヴォーカリストというのは、自分の声ひとつあればいい。その代わりその声が1オクターブ以上に使えて、しかも1曲の中でコントロールできなければいけない。目的も違うのです。
そういうものを一緒くたにできないから、結局ベースのことをやろうといったら、こういう感覚を変えあっていく。
・タミアの心地よさ。
・感覚を聞く。
最終的には自分をどう知るかということと、作品をどう成立させるかという駆け引きができているから成り立つわけです。これを嫌いという人もいるけれど、これを好きという人もいる。それでいいわけです。
私たちがやるところはどちらかというと、ベースよりの方、一つの声。
どんなにデザイナーやファッションセンスが優れている人たちがやっても、かなうわけがない。ファッションデザイナーのCDです。フランスっぽいけれど、すごく胡散くさい。それは体がないからです。
きちんとした体があって絞り込んで小さく使うためには、通用する。でも、そういう感覚や体がないのに、どんなに耳から聞いて、センスがいいからといって、自分で編集しても、それは趣味、ニセモノといっては失礼だけれど、音楽にはならない。
ファッションでは一流だから、施設もスタッフも一流、音楽を判断するのも一流。でも、自分でやったときに一流にはそう簡単にはならない。声という楽器が二流品ですから。
泣いているようにやっていても、それが演技だと見えてしまう。そういうことをきちんと成り立たなければ、歌は成り立たない。あとは言語が歌になっていくプロセスに注目しましょう。
<声Q&A>
Q.声の基準について知りたい。
A.アナウンサーやナレーターであると、話として一定の基準があるのです。
日常の会議の場などでは、そこによほど厳しい上司とか、研修の担当者がいるとか、あるいは相手が外国人で、それで皆が非常に声が出るということにコンプレックスを感じているとか、比較、相対的なこととして考えられます。だから、大体の場合は、自分で気づくよりも、そういうことに非常にうるさい上司の方がいたり、会社の体制がそういう教育を熱心にしていることによりますね。
今は居酒屋のバイトでも厳しいのです。あまり声が出ないというのは、その原因だと思うのだけれど、必ずしも声だけということではない。声量そのものという場合は、むしろ少ないですね。
トレーニングでの問題のようで、現実の問題はそれ以外の解決法がいくらでもあります。
結局、相手に伝わるか伝わらないかということになってきますから。声が小さくても通ればいい。声が大きくても、それがうまく働きかけないのであれば、意味がない。このように、一概の声の問題という方が大変です。
Q.イメージ通りの声が全然出せない。
A.自分のイメージした声が実際に出ないというのだけれど、出せない場合もあるのです。私がどんなにマライア・キャリーの声を意識して真似ても、出ない。音の高さだけでなく、声質として楽器が違いますから、出ない。
そこが声の個体差というものです。楽器であれば、同じ楽器を買ったときに、プロや自分の憧れの人の音色を追及していくというのは、ある程度できると思います。それでも持って生まれたものが違うというのはあります。けれど、少なくとも音の発信源としては、技術として追求できる可能性はある。
自分ではその音色が出ないけれど、プロだったらその音色を出してくれる。そういうことであれば、それは詰めていける。ただ、チェロでこのバイオリンの音を出してくださいというのは、プロでもできない☆。それと同じことは、自分の体としてあります。
Q.昔の声質が出ない。
A.以前にこういう声があったと。それに対して、今は出ないという場合、これは年齢によっても人間の体はまた違ってくるからです。 10年前の自分の体と、今の体が違う。使い方も違っている。10年前の音色が、2度と取り出せないということも、現実にはあります。トレーニングで試してみる価値はあります。
Q.今すぐプロになるので、声域、声量の弱点を克服したいのです。
A.多くのヒントは述べてきたので、参照にしてください。
生まれつきそうでなければ、結局は不利というのが私の持論なのです。本当にプロとして活動していこうというのであったら、持って生まれたものを、どこまできちんと活かしていくかということが大切になっていくわけです。苦労して習得して、テノールみたいな発声にしても、10代でしぜんに出せているような子にかなわない。 こう答えたのは、プロに対してで、アマチュアの人がそれを目指すのはかまわないのですが。
Q.自分の個性を生かしつつ、声のベースの部分を学びたいと思います。いっぱい声を出す仕事をしています。声が通ること、大きな元気な声が出せるにはどうすればいいでしょう。
A.役者と、日常のバイトなどで使う声は、共通点があると思います。ヴォーカルもまったく違うとは言わないのですが、少し異なります。
よく日常の中の会話でトレーニングできないかと言われるのです。会話でのトレーニングは相手がいて応用としてはいい。外国人と話すのもいいでしょう。無駄に声を使うことは、無駄ではない。 お客さんに働きかける声を意識してみるのは、現場としてはいい経験だと思うのです。けれど、実際にトレーニングからいうと、より集中したトレーニングの環境というほうが、短くてもほしい。本来は分けたほうがいいでしょうね。
というのは、体のことを意識したり、呼吸を確認したりというプロセスにおいては、人との表現や歌は成り立たない。腕立て伏せをしながらプレーをすることができないのと同じで、段階として違うのです。
なかには、段階がいらない人もいます。ラーメン屋ででかい声を出して、応対していたらヴォイストレーニングになって、そのまま歌えて役者もできるという人もいる。かなり限られたタイプです。 そうじゃない人は、そこで喉の状態を悪くしてしまうから、トレーニングのときにうまくいかない。ということに気をつけなければいけない。
その仕事をするときはトレーニングのことを考えないで、考えるのだったら、自分のこういう声にはお客さんはこういうふうに反応するくらい。周りの人の声を聞いて、いろいろな声の出し方の人がいると、広く捉えたほうがいい気がします。
Q.自分の一番いい声を探しているのですが、歌に雑音があったり、のどが痛くなる。この出し方ではないなというのはわかるのですが、どうしていいのかわからない。リラックスのしかたがわからない。
A.リラックスを体験したことがありますか。実際に歌や声を出すことに関して、リラックスを取り込むなら、それが一番やりやすい状態ということですね。逆に考えれば、緊張が悪いわけではないのですが、カチカチになったり、上がって呼吸が浅くなってしまったり、呼吸が震えたりするようなことでは、歌に限らず使えません。それ以外の状態でやるというふうに、大きく捉えればよいのではないでしょうか。リラックス状態を勉強というより、ピアノをリラックスして弾けているときと、そうじゃないときはわかるでしょう。それに近いときでいいのではないかと思うのです。
喉が痛くなるというのは、続けてたくさん歌う、無理なところで歌う、の2つが大半です。休みを入れて、歌いやすいところでやってもそうなら、トレーナーにつきましょう。
Q.喉声になっているのがわかる。呼吸が浅いといわれています。
A.多くの人は喉声です。呼吸は、若い年齢だと浅いので、鍛えていきましょう。
Q.息と声の深さに、年齢は関係があるのですか。
A.息の深さというのを、何をもって定義するかということだとは思います。たとえば声の深さは、女性は年齢とともに少し落ちてくる場合が多い。ジャズやゴスペルを歌っている方は皆そうです。10代のころよりは高いところが出にくくなり、その代わりに低いところや太いところは出やすくなってくる例が多いです。
<歌Q&A>
Q.子供向けミュージカルをやっています。比較的、長くしゃべると疲れます。発声がヘタクソなのかと思って、本を読んだらよくなりました。アドバイスがあれば。
A.子供相手の仕事をしている方も、ずいぶんいらっしゃいます。ミュージカルの興行が皆、子供相手のお芝居を回しているのです。将来的なファンをつくり、地域のコミュニケーションづくりにも一石二鳥です。
最近の観客は聞いているのでは満足しない、自分たちが参加したいとなって、ひとつの教育効果でもあると思うのです。演劇関係者は、今の日本語はめちゃくちゃだし、音声の表現力がないから、学校に変わって指導する。子供向けは、日本の場合、大声かつ高い声でテンションをあげようとすることで、のどを痛めがちです。気をつけてください。
Q.子供と関わることがありまして、声の出し方によって、小学生でもすごく違うと感じています。私は声にコンプレックスを持っていて、きれいな声を出していないと思っているので、これを機に、子供たちが耳を傾けてくれるような声を出せるようになりたいと思っています。
A.喉につまる、吃音ぽいとあります。若干直せば、子供受けしそうな、やわらかいコミュニケーションをとりやすそうな声になれると思います。
Q.大きな声で歌っているのに、伝わらないと言われるのですが。
A.大きな声で、びびかせるような歌い方を好んでも、それは演劇にはともかく、音楽においては、粗っぽくなってしまうだけです。ましてそこにマイクを使ったら、そこの感覚は今まで歌っているときに得ているはずだから、どちらも使える。けれど、どちらとも中途半端というか、本当の意味で繊細にコントロールをしていないですね。イメージの部分もあると思います。
音楽がきちんと動いているのを、感知しながらは進められないとしても、少なくとも呼吸や音の動きを待ってから、きちんと入らなければいけない部分は、体にしろ呼吸にしろある☆。それよりも作っていくイメージや声が先行したり、歌おうとする意思が働くと、それを全部置いたままにしていくのです。だから、声の状態がよくならない。心地よく聞こえないのです。
Q.いろいろと表現を工夫すると、どういう歌い方がよいか迷ってしまう。
A.実際に声はいろいろなかたちで動いているから、中心という部分が、声に正解があるわけではありませんが、感覚としてあるとみるとよいでしょう。新しい声を使うというよりは、今までの声の中の、ある状態のところをきちんとつなげていけばよいのです。
むしろ捨てることです。今までいろいろとつけてきたことを、かえってややこしいからです。
たとえば、ラストの「I see」だけをやる。そこのタイミングや「ア」だけの声の出方とか、最後の終わり方をきちんとコントロールできているのか、単に言ってしまっているのかということを見分けるのが、一番のベースの判断です。
Q.自分の歌うときに、声が大きくは出るのですが力んでいる気がします。もっとやさしくやわらかく、聞いて気持ちのいいように出したいと思うのですが、どうやっていいのかわからない。やっているつもりでも録音して聞いてみると、出したいと思う声になっていない。
A.この問題は2つ分けておいたほうがいいでしょうね。実際の場の中では、普通にお話されています。そういう声は、やわらかい声です。楽器も武道もやられているのであれば、普通の人よりは、切り替えられるでしょう。それに対して、歌のときに、そういう状態を持ってこられないということであれば、それを詰めていく。ひとつの状態がわかっていればやりやすいです。特に武道は、リラックスしていないとできないです。
リラックスするということと、イメージと実際に録音された声が違うというのは、同じ問題ではありません。たとえばリラックスしたときに吹き込んだ声というのがあって、その声を目指しているが、実際のレコーディングになったときにその声が出てこないというようなことになれば、メンタル面です。
<一般Q&A>
●Q.滑舌のよい話し方を勉強したいと思います。
A.多くの人がそうなのですけれど、声が通らないとか発音が悪いといわれてくる。けれど、聞こえなかった試しはない。本当に悪い人は気づかないから、こないのです。大体ここに来る人でそういう問題はない。判断力があるから、よく直るものです。それ以外、それ以前の問題から探っていきましょう☆。
Q.飲み会に行くことが増えたので、カラオケをうまく歌いたいと思います。ダメですか。
A.そのほうが目標にとりやすいとは思います。カラオケも確たる基準があるわけではないけど、下手で嫌がられているのをましにするというのなら、基準はある。うまさの基準とか日常の声でもそうです。必ず場というものがありますから、その場がどこまで求めているものかということに対応していくとよいでしょう。
Q.スポーツではあがったことがないのに、歌では緊張するのはなぜですか。
A.スポーツをやっているときはリラックスするが、歌になったら緊張するとか、話になったらそういう状態を取り出せないという人はいくらでもいます。慣れの場合もあります。緊張自体は悪いことではない。緊張自体が声に与える影響の問題です。固くなってしまうとか突っ張ってしまうとか、高いところがとりにくいとか、それがどういうふうに出ているかということです。
緊張することは当たり前で、緊張していない声やステージなんていうのは見ていられないものです。
<トレーナーQ&A>
Q.トレーニングの集中力について知りたい。
A.トレーニングには、かなり集中度がいります。私は今、月に15分というレッスンもあるのです。15分を、素人から見ると、なぜそんなに短いのかと思われますが、けっこう長い。劇団にいって20人くらいを2時間で見ても、一人あたりが5分しかない。それで成り立つということは、15分というのは、かなりたっぷりということです。一番だけなら、15曲歌える。
こうやって一言しゃべるのに5秒くらい。その一言しゃべることのチェックは、1分間で10回できてしまうのです。
Q.1回のレッスン時間の長さについてどう考えますか。
A.1時間のレッスンといっても、10分くらいは用意やあいさつ、形だけの発声練習のようなことを10分やって、歌をちょこちょこやって、雑談をしていれば、正味40分くらいだと思うのです。下手するとその中で一番集中してやっているのは、2、3分です。
そうしたら15分で集中して、そのうちの12、3分をやったほうが、よほどいいと考えます。
本当にやるのだったら、毎日1時間くらい集中してやればいいのです。週に1、2回のレッスンなら、自分でやらなければいけない。
レッスンの目的は、最高の状態、舞台以上に最高の状態のものをそこで取り出せるかということだけです。
Q.レッスン時間は、長い方がいいと思いませんか。
A.私の考えるレッスンは5分でもいいということです。ただ、初心者の場合は5分の中に最高の状態を、持ってこられないです。逆に、プロの歌い手レベルに求められることはそういうことです。
1日8時間我慢して待って、たった2分の中で最高のものを出さなければいけない。誰も最初から1時間もくれないです。オーディションでもそうです。そういう環境をレッスンしておく。それがレッスンの位置づけになります。
グループレッスンも、学校のワークショップではいいのですが、プロのテンションで待ち構えているアマチュアの人はほとんどいない。するとトレーナーがテンションを上げなければいけなくなってしまう。ということは、そこまでレッスンって本当は成り立っていないのです。だらだらということになっている。最高に集中した時間で勝負していくのが音楽の世界です。
Q.レッスン中に、リズム、ピッチをいつも注意される。このトレーニングをしたいと思っています。
A.私は昔から教師やトレーナーやプロデューサーをあまり信用していない。今もまったくそうです。元々、こういうヴォーカルは二度と見つからないという盤を何枚も送られて、うんざりした。実際の注意もあまりに的を得ていないことが多いのですね。
いろいろなところに習っていらっしゃる方に対して、丁寧に、一所懸命コミュニケーションしようとしているのを批判するつもりはないのです。けれど、私は言葉を他の人よりも使ってきたほうです。それでも的確な言葉はないのです。
たとえばピッチが悪いといっていることが、ピッチをよくすればいいのか、声が小さいというのは、大きくすればいいのか。必ずしもそういうことではない。集中力が欠けているときに、そういわないで、そういう言葉を使ってしまう。
ノリやリズムが悪いといっていることが必ずしもそのことではない。ノリやリズムが悪いとはどういうことかというと、それだけ上げてもいろいろな原因が50個くらいはあるのです。相手が何を言ったからということで、そのまま受けていくと、かえっておかしくなってしまう場合もあります。相手の言葉に迷わされているレッスンなら、言葉を使わないほうがよいとも思います。
Q.声の使い方や横隔膜のことができていないといわれた。言葉の意図がわからない。
A.横隔膜も、横隔膜を使おうということでやりだすと、もっとよくなくなると思います。なかなか言葉で言えないことが多い。
それでも一方で、言葉で言えることは、言葉を使って示さなければいけないと、私は誰よりも思っています。ただ、その言葉が一人歩きしてしまう場合もあります。
Q.レッスンでのことばをどう受けとめたらよいですか。
A.私は言葉を相当出しています。それは言葉そのものに対して、あまり信用をおかないためです。一つの言葉で迷うなら、百の言葉でイメージをつくって欲しいというようなところでしょうか☆。
一つのことしか言われなければ、皆それをすごく気にするでしょう。音程が悪いといわれたら、一生音程が悪い、どうしようもないと思ってしまう。トレーナーに音程が悪いといわれて、ダメだと思いかねないなら、こちらも何もいえなくなってしまう。
月々の会報は、本1冊くらいの言葉として出しています。研究所ですから、科学、医学、いろいろな分野の人を呼んできました。ライブハウスのプロデューサーまで呼んだ。そこでの話も、言葉はけっこう問題だと思ったものです。
<EI Q&A>
●Q.歌をはじめて11年くらい経ちましたが、お礼を言いにということと、自分の身の振り方をアーティストであると自負しているのですけれど、その中でどういう方向で進んでいく道をアドバイスしていただけたらと思います。
A.作品を元にお話しましょう。
Q.先生の本を買って、本格的だと思って、会いに来ました。日本人と海外のヴォーカルは、あまりにも違っていて、洋楽で聞いてきた人にちょっとでも近づければというのがあります。知りたいのは、日々のトレーニングとしてやらなければいけないことのポイントです。
A.毎回、相手に合わせて若干、答え方を変えています。結局、音の世界をどこまで見られるかということだと思います。ここでもいろいろな著名なプロの方と、個人レッスンでやっています。優れた人は、優れた耳を持っている。それとともに、優れた音楽を自分の体の中で組み立てることができる。その内部の感覚をどこまで持てるかということです。
Q.16歳です。声楽をやるっていうのは、どうなのですか。
A.トレーニングというと、発声や体づくりのことをいわれるのですが、確かに何もわからない時期は、声楽をやってみるとよいでしょう。世界中で一番実績を出してきたのは声楽で、今の日本人は高い音域を出したいという傾向があるから、尚さらです。
■チーフトレーナーの一言アドバイス
自分にあてはまるものをチェックしてみましょう。
<発声>
耳を作っていくこと。まだまだ聞き込みがたりないので、洋楽で1950年代、1960年代のものを、たくさん聞いていくこと。
何度も音を聞いていくと、音も取れてくる。自分の出している音に自信を持って、声を出していくこと。
口の奥を開けること。地声から裏声も、スムースにできている。感性に頼るだけではなくて、技術的に体をしっかり使っていくこと。
いい声をしているが、もっとのどの力は抜けるはず。より下半身で踏ん張って、腹式呼吸を支えられるようにしていくこと。踏ん張っての息吐きのトレーニングもしていくこと。
これからは基礎練習を重点的にやっていく。歌に気持ちを込めてと言っても、なかなか表現しきれない。気持ちが出てこない。まずは声自体を外に出していくこと。
のどを使いすぎないこと。声の効率をもっとよくしていきたい。声を集める意識がほしい。足で体を支えて、上半身はリラックスしていくこと。
音階練習をする。リズムを取りながら、歌っていく。自分のテンポも大切だが、決められたテンポをキープすることも大切。まずは体にテンポ感を入れていくこと。
下半身を安定させていくこと。上下させたり、動かしたりしないように。もともとの声が安定しているので、歌い込みをたくさんしていくこと。
のどの調子が悪い時の本番への対処の仕方を説明する。休みの取り方、または普段から気をつけていくこと、のどにいい飴、薬など、自分にあった整え方を作っていくこと。
体を固めて、呼吸をしてしまう。もっと柔軟に使っていきたい。まずはリラックスして寝た姿勢から呼吸を始めて、その呼吸を大きくしていくこと。
腹から芯のある声を出していくこと。体をふわふわ動かさないで、安定させて、重心を下にして歌っていくこと。
歌声はなめらかになってきている。あとは日々の練習あるのみ。課題を持って、トレーニングしていくこと。
大きく歌っていくこと。体を使って歌っていくこと。強く息を吐き、たくさん息を取り込んでいくこと。まずは楽しく歌って、歌うことが好きになれるように。
体力作りをしていくこと。気持ち、テンション、表現等、体力が影響してくる。普段から意識的に体を鍛えていくこと。体力があることで、集中力の持続ができる。
「ア」→「エ」→「イ」と、母音が変化しても、ひびきを変えないこと。口の奥を広げて、ひびきを統一させていくこと。
ことばをはっきり発音するあまり、のどを絞めてしまう。少しあいまいな発音でいいので、ひびきのほうを優先させていくことも大事。のどの奥を開け、体から声を出していくこと。
肩の力を抜く。上半身ではなく、お腹を中心に呼吸をしていくこと。低音から高音へ移行する際に、ひびきを変えないこと。ひびきを統一させていくこと。
高音時に軽くならないように、下半身で支えていくこと。踏ん張っていくこと。その支えがあると、ひびきも浅くならず、低音のひびきとつながってくる。
息の流れがつかめていないので、息を吐く練習をしていくこと。そしてその流れを歌で生かしていくこと。
低音から高音へのひびきを統一させていくこと。高い声になった時に、抜かないこと。抜いてひびきを浅くしないこと。
下半身で踏ん張り、声を出していくこと。テンションを下げないこと。イタリア語の「ウ、u」のひびきは「オ、o」に近くていい。深いひびきで出していくこと。
<せりふ>
フリーでしゃべる時も、発声時の息の流れを大切にして、その流れを生かしていくこと。伝えたいという気持ちが大切。
発声の声はとてもいい。この声を話し声に生かしていくこと。そのために自分の声を録音すること。そしてそのいい声を、耳に焼き付けていくこと。
普段の自分の声をもっと聞くこと。雑音の中や、人ごみの中で自分の声がどう聞こえるかではなくて、静かなところで、ひびくいい声を作っていくこと。
文の先を見ていくことと、内容を把握していくことを、同時に行っていくこと。慣れるまでは時間がかかるが、常にそのモードで読んでいくこと。
イメージをもっと働かせて、朗読していくこと。全体的なイメージ、部分的なイメージ、ことば自体のイメージ、あらゆるイメージを作り出していくこと。
声を出す瞬間、胸に力が入ってしまう。胸の力は抜き、お腹を中心に声を出していけるように、息吐きトレーニング、腹式呼吸を繰り返し練習していくこと。
読みにくい文章ほど、はっきり読もうとして力が入ってしまう。逆に力を抜き、リラックスして読んでいくと、スムースに読めるようになる。具体的に相手をイメージして、その相手に向かって読んでいくこと。
深いポジションから声を出していくこと。歌の歌詞なので、あまりセリフのようにしゃべらなくていい。気持ちを込めて、丁寧に読んでいくこと。
気持ちを具体的に作るのが苦手。ただ声を出すのではなく、気持ちと連結させて、しゃべっていくこと。そしてそれを当たり前のことにしていくこと。
いい声は出ているが、のど声。もっと息を体に取り込み、体から声を出していくこと。腹から声を出すことで、気持ちも乗りやすくなる。
声はいい声。のどだけではなく、もっと体を使っていくこと。体から声を出していくこと。息を強く吐く、息吐きトレーニングをしていくこと。
お腹を固めてしまうので、もっとたっぷり取り込んで、勢いよく吐いていくこと。のどに意識が集中しすぎないように、体をしっかり使っていくこと。
人のこころをつかむためには?まず発声。そして表現力。多くの人の前で話すためには、それ相応のテンションが必要になる。
内容にそったテンション作りをしていくこと。気持ちが抜けてしまう瞬間がある。もっと集中力を持続させていくこと。テンションの方向をはっきりさせておくこと。
微妙に音程が下がってしまう。単純にテンションが低いことが原因。歌うだけではなく、歌っているときの気持ち、テンションを大切にしていくこと。
全体にテンションが低い。そのために音程も下がってくる。テンション高く、明るく、弾けて歌っていくこと。一曲まるごと、サビだと思って歌っていくこと。
<英語曲・ジャズ>
自分のやっていることに自信を持つこと。その自信のなさが歌に出てしまう。プロでなくともプロ意識を持って歌っていくこと。
音楽の背景、ジャズの歴史を勉強していくこと。そのうえで、もっともっと聞き込んでいくこと。何年かしたら、必ず心の底から歌えるようになる。
いい声をしているが、雰囲気で歌ってしまい、上半身中心。下半身中心で歌えるようにしていくこと。体を使って歌っていくこと。
歌は歌えているが、気持ちが伝わってこない。もっと内容を理解、把握して歌うこと。声だけで勝負しないこと。
英語の原曲が聞き取れていない。歌詞を見るのではなくて、耳から聞こえてきた音を、そのまま歌っていくこと。表面的ではなく、深い聞き方をしていくこと。
<課題曲>
思い切って出していくこと。体から声を出していくこと。声が出てくれば、気持ちも、もっと出てくるはず。
口をもっと自由に、縦に開けていくこと。歌い出しのテンションが低い。もっと準備したうえで、歌い出すこと。気持ちの変化で(pやf)をとらえていくこと。単純に音が小さく、大きくではない。
一音一音、深く音を取っていくのではなく、流れの中でひびきを統一して、深いポジションにしていくこと。イタリア語になっても、発音によってひびきが変わらないようにすること。
たっぷり息を取り込んで、大きく歌っていくこと。停滞してしまうので、先へ先へ進んでいくモードを常に持っておくこと。それにより、フレーズも生き生きしてくる。
見本で、ワンフレーズをいい例、悪い例で歌って、その違いを知ること。音楽の聞き込みも、自分の声を聞ける。いい耳を作っていくことが大切。
低音はリラックス、高音はもっと体を使い、息を強く吐いていくこと。遠くへのイメージがあると、伸びやかないい声が出ている。
ブレスが浅いのは、もっとゆっくりたっぷり取り込んでいくこと。フレーズも、もっとなめらかなラインを作っていくこと。その中で変化させていくこと。
三拍子のリズムを体に入れていくこと。聞き込んだり、体でリズムを取ったり、もっと頭で考えなくてもいいように、体に覚えさせていくこと。
ひとつの息の流れで、なめらかに歌っていくこと。元々いい声をしているので、その声をもっと生かすためにも、息の流れを意識していくこと。
力は抜けてきている。リラックスしつつ、支えは抜けないようにしていくこと。重心は下に。息は鋭く吐いていくこと。遠くに流し続けていくこと。
節をつけないで、シンプルに歌っていくこと。そのシンプルな流れに、繊細に気持ちを乗せていくこと。すべて下半身で支えていくこと。
のどで頑張りすぎず、かつ芯のある声を出していくこと。息の流れは感じたいが、息交じりの声にしすぎないこと。声の効率が悪くならないように。
まずはテンポをキープできるようにしていくこと。キープできてから、自由に動かしていくこと。ギターの練習もメトロノームを使って練習すること。
ブレスが雑。もっと丁寧に、もっと深くブレスをしていくこと。歌の一部であるという意識でブレスをしていくこと。単なる息継ぎではない。
小さくまとめないで、大きく歌っていくこと。大きく歌いつつ、繊細に丁寧に歌っていくこと。流れの変化をつけていくこと。
トレーニングの際は、意識して体を使っていくこと。体に覚えさせていくこと。本番の際は、気持ちに集中していくこと。気持ちに集中できるように、トレーニングでは体中心にやっていくこと。
上半身は以前に比べて、力が抜けてきている。深く取りすぎたり、押しすぎたりしないように、このまま上半身はリラックスしていくこと。
姿勢を正していくこと。課題を持って取り組んでいるので、進歩は見られる。できないところは改善していき、できているところは、より伸ばしていくこと。そういった気持ちの持ち方も大切。
音が飛ぶと音程が乱れてしまう。体の力を抜いて、のどの力も抜き、下の支えだけで歌っていくこと。何度も聞き込んでいくこと。
何度も歌っていくことで、音楽に慣れていくこと。繰り返ししかない。ことばになるとフレーズが乱れてしまう。母音を大切に歌っていくこと。
メロディーラインが不安定。声としても、しっかり出していき、リズムもキープできるようにしていくこと。遠くへ息を送り続けていくこと。
ひびきをつなげていくこと。イタリア語も母音だけで歌ってみる。その時のひびきのつながりを感じていくこと。
まずはイタリア語をなめらかに読めるように、予習をしておくこと。そのうえでメロディーにのせていくこと。フレーズの出だしを大切に、準備したうえで歌い出していくこと。
ことばで歌うと、浅くなってしまう。発声時の「母音」での歌い方で、ことばでも歌っていくこと。イタリア語を読み込んでおくこと。
楽譜に頼りすぎないで、目線を上げていくこと。そして声を遠くへ送っていくイメージを持っていくこと。ことばがついても、ひびきが浅くならないように。
まずは楽譜の音符通りに歌うこと。自分のくせで、節をつけないこと。重くなってしまうので、先のフレーズをしっかりイメージして歌っていくこと。
のどへの負担をなくしていくこと。体はしっかり使う、そして息も鋭く吐く、しかしのどはリラックスしていくこと。
いい声は出ているが、フレーズが点々になってしまう。もっと丁寧につなげていくこと。息を流し続けること。
遠くへ息を送っていくイメージを、常に持って歌っていくこと。中音域を安定させていくこと。そのうえで高音を出していくこと。下半身の安定。
胸を開いて歌っていくこと。視線も遠くへ送っていくこと。フレーズが停滞しがちなので、次へ次へ進めていくこと。
リラックスできているが、軽くなりすぎてしまう。下半身で支えたうえで、上半身をリラックスしていくこと。間違えた時のリアクションをしないこと。この癖を直していくこと。
のどで頑張りすぎないこと。リラックスしたほうが、ひびきはよくなる。そしてそのひびきをつなげていくこと。高音時の重心は下に。
上半身をリラックスさせて、もっと下半身に重心をかけていくこと。声を出そうとしすぎて、のどに力が入り、効率が悪くなっている。声を出さないで歌う練習もしていくこと。
高音時に、もっと下半身の支えを使っていくこと。そのうえで鋭く息を吐いていくこと。安定してきているが、気を抜くと、フレーズが点々になってしまう。しっかりつなげていくこと。
5つの音で構成されているフレーズならば、5つの音だけで歌い、なおかつ、なめらかに歌えるようにしていくこと。癖をつけずにシンプルに歌っていくこと。
<オリジナル曲・その他>
日々の練習の中で、できなかったことではなく、できたことに焦点を当てていくこと。そのできたことの積み重ねが、上達の秘訣。
ブレスをすばやく吸うことで、胸に息を入れないようにしていくこと。またフレーズの最後を丁寧に扱いたいので、ポジションを変えないこと。
モチベーションがキープできないとのこと。自分のためだけではなく、人のために歌うこと、そして一旦歌から離れてみると、歌に対しての情熱がまた湧いてくるはず。いまはいまで、真剣に悩み、自分自身で選択していくこと。
発声を含めた歌のトレーニングを続けていき、また作詞、作曲についても、自分でハードルを上げ、目標を高くしてやっていくこと。目標設定を高くしていくこと。
■トレーナーとのQ&A
研究所内外の質問とトレーナーの回答です。
これも相手やその目的によって、あるいはやトレーナーによって、回答が異なることもあります。参考までにしてください。
Q.喉を閉めるなとよく指導されることがある。逆に、声帯をくっつけて、閉じてと指導されることもある。この二つの違いがわからずに混乱している。
A.声帯は弦のようにピンと引っ張られ、左右の声帯がしっかりと閉じられて初めて良い音が出る。逆に、喉を閉めているということは、声帯を引っ張るための運動が正しく行われていないということであり、特に無理矢理高い音を出そうとしたときに顕著に表れる。だから、喉を閉めるなと言われても、声帯をチューニング前の弦のようなダルダルな状態にしないこと。声帯は、息を少しづつ使って最初のアタックをキープできてはじめてよく閉じることができるのです。(♭∀)
Q.ピッチ(音高)が高くなるにつれ音量も上げるのですが、よいのですか。
A.音量を増すことによってしか上げることができないということは、声を押していること、と思ってください。高い音でも低い音でも、音量を自在にあやつれる声でないといけません。そのような柔軟な声は喉を疲れさせることはありません。ですから、大きな音しか出せない高音域はあまりつかわないようにしましょう。(♭∀)
Q.声が少しづつ出るようになったら、一つの落とし穴があります。響きの場所を自分で操作してよいのですか。
A.試行してみるのはよいのですが、共鳴とは、「結果その場所に響く」ということを忘れないようにしましょう。動物や、生まれたての赤ちゃん、または無意識によい声を出している人は「共鳴させよう」とは思っていないはずです。だから、前頭窟、鼻筋、胸、などの響きがたりないと思ったら、その場所に響きをつけようとするのでなく、結果、響くようになったフォームや体の使い方を覚えるようにしましょう。(♭∀)
Q.CDを用いてのレッスンは、よいことですか?
A.レッスンの中でCDを持ってきてもらいCDをかけながら歌ってもらうことがあります。
人によってまちまちですが、伴奏のみを録音してくる人、歌手が実際歌っているのを持ってくる人もいます。
私の場合はなるべく楽器店にいって楽譜を購入し楽譜とセットでCDを持ってきなさいと伝えています。楽譜からの情報のほうがCDを聞くよりよっぽど多いからです。
歌手の歌つきのCDを持ってくる方はほとんど歌手のモノマネのようになってしまいよくありません。しかし歌つきのCDを持ってくることに否定はしません。なぜならモノマネで歌っているということすら理解していないのですから、それを気付いてもらうための一つのアプローチの方法だと考えているからです。やりかたによてっはCDを用いるレッスンもピアノとは違った効果があると思います。(♭Σ)
Q.声をだすときのイメージは。
A.体を使って、よい声を生かせればよいと思います。体を使えるようになるためには、声を遠くにとばすイメージも必要です。広い、ホールで歌っているのを、思い浮かべるのがよいと思います。腹式呼吸が、しっかり、身に付くことも大切です。(♯Ω)
Q.腹式呼吸を身につける練習をするときに重要なこととは。
A.お腹のどの部分を意識したらよいか、ということを、正しく知ることが大事です。息は、体の前にも、腰にも、入るイメージを持ってください。前は、みぞおちと、おへその間、そして腰は、みぞおちから、肋骨をたどっていくと、腰のあたりで、骨がなくなり、柔らかいところがあります。そこに、息が入るイメージを持ってください。腹式呼吸の練習をするときに、実際にそこに手をあてて練習するとよいと思います。(♯Ω)
Q.腹式呼吸の練習方法は、何ですか。
A.たくさん、有効なものがありますが、その一つとして、まず、ゆっくり、5秒かけて鼻から、息を吸います。そのとき、2,3秒で、吸いきってしまう方が多いので、吸ってるのか、吸ってないのかわからないくらい、ゆっくり吸う事が大事です。そして、5秒吸ったら、その状態で5秒息を止めます。そして、5秒かけて、細く息を吹きます。そして、残った息は、上半身を脱力しながら、全て捨ててしまいます。この練習を1日10分やると効果的です。(♯Ω)
Q.コンコーネって何?
A.コンコーネは、声楽を始める人に、よく使われる教材ですが、跳躍が多いので、よく準備して、歌うことです。準備をするということは、歌う前に、跳躍する音を、イメージする、ということです。(♯Ω)
Q.声を出すときに大事なことは、何ですか。
A.歌は、体が楽器ですので、その日の体調や、精神的なものが、とてもよく現れてしまいます。体調管理をしっかりすることと、いつも、良い精神状態を保つことが大事です。歌っている最中に、うまく歌えないことがあっても、楽観的にとらえ、何事もなかったフリをすることも、必要です。(♯Ω)
Q.声量を出すためには、どうすればよいですか。
A.腹式呼吸が欠かせません。トレーニングの方法としては、発声練習にあります。「ウ」で、ロングトーンで伸ばす発声練習が有効かと思います。いい匂いを嗅ぐように、鼻から息を吸います。そして「ウ」で伸ばすと時、口はなるべく開けず、針の細さくらいの、息が、鼻を通って、上へ、飛んでいくイメージで出します。そのときに、なるべく、広いところで歌っているイメージを持って、遠くに息を飛ばすようにしてください。(♯Ω)
Q.声の方向性とは?
A.投げたボールをイメージするとわかりやすいかもしれません。声は、投げたボールと同じように、帰ってきません。声は、行く方向を知っていますので、考えたり、声を聴いてしまうと、そのいく方向を遮ります。本能のままに、歌うことも、大事です。(♯Ω)
Q.中音域、低音域を上手に歌う時に気をつけることは。
A.腹式呼吸は大事です。鼻から、息をすったら、おなかに息が入るのがわかります。その、お腹の状態を保つようにしてください。そして、低くても、息を、細くだすイメージを持ってください。そして、息を吸った時に入る、鼻の感覚を、インプットして、そこを、響かせるようにしてください。(♯Ω)
Q.細かい音符を早く歌う時にも、腹式呼吸でやるのですか。
A.もちろん必要です。鼻歌のように歌うことが大事です。ハミングで、歌ってみると効果的です。そのあと、言葉を入れるときも、口はあまり開けずに、ハミングの響きや、感覚のまま、歌えるとよいと思います。(♯Ω)
Q.ピアニッシモの表現について知りたい。
A.ピアニッシモは、大事なところだからこそ、ピアニッシモになっていることが多いです。日常の生活の中から例えたなら、大きな声で話しかけられた場合と、小さな声で話しかけられたときを、想像してみてください。小さな声で、話しかけられたほうが、より、注意して、相手の言うことに、耳を傾けるのではないでしょうか。それと同じで、ピアニッシモは、聴いている方に、より、印象付けたい音なのです。だから、大事に歌うことが要求されます。(♯Ω)
Q.ピアニッシモで、声がひびかないのですが。
A.ピアニッシモは、弱い音だから、あまり、体力が必要ないように思われがちですが、ピアニッシモこそ、細く、響かせるために、正しい複式呼吸が必要で、集中力も必要とされます。お腹に入った息を、保つ力がとても必要です。鼻から息を吸って、細くだしましょう。ビブラートが発生する原因には、いろいろな理由がありますが、腹式呼吸と、響きを集めることは、最低限、必要なことです。鼻から息を吸って、お腹に入った息を保ちながら、鼻を響かせることが重要です。音楽は、人の好みによって、高く評価されることがあります。万人にうける、音楽にせずとも、自分が納得する音楽をまず大事にして、他者のアドバイスを受け入れることが大事だと思います。(♯Ω)
Q.口の開け方と発声について教えてください。
A.口の開け方によって、響きがとても変わります。口は、大きく開けたほうが、声が出るように思われがちですが、極力、開けないほうが、響きが統一されて、楽に声を出すことができます。しかし、口をあまり開けないと、言葉がはっきり発することができなくなりますので、口の中は開けなければなりません。では、どうしたら、口は開けずとも中を開けることができるかというと、腹話術を思い出してみてください。口を開けなくとも、はっきりと言葉がわかります。言葉によって、唇をあまり動かさなくても舌の動きだけで発音する言葉があります。マ行以外は、ほとんどそうではないでしょうか。そういう言葉は、なるべく、口の中だけで処理して、口を動かさないようにしたらよいと思います。
口の開け方としては、たてに開けることをすすめます。口の前に、人差し指を、たてにあてると、口がたてにあきます。強弱をつけていくには、口だけではなく、体全体で、強弱をつけていかなければなりません。鼻から息を吸って、お腹にたまった息をそのまま持続して、息の量を変えることで、音量を変えていくのがよいと思います。(♯Ω)
Q.響きを高く保つには、どうするのですか。
A.いろいろな方法があると思いますが、鼻を指でつまみながらやるだけでも効果があります。また、ほっぺたのところに、ひとさし指を水平に置くのも、効果的です。(♯Ω)
Q.息の量を多くするには?
A.横隔膜の運動を活発にさせる必要があります。それには、息を吐ききること、脱力すること、その訓練をすると、よいと思います。(♯Ω)
Q.休符のあるフレーズでは、休符の前にある音をどのくらい長く歌えばよいかがわからない。
A.一拍分の長さをあまり短くしすぎると付点になってしまうので注意しましょう。(♯Λ)
Q.ロングトーンを練習に加えようと思うのですが、正しいロングトーンのやり方を教えてください。
A.均等な息の量で最初から最後までうたいきることが大事です。息がなくなり声が出しづらくなっても体が変わらないように気をつけましょう。(♭Σ)
Q.ドッグブレスの練習のときにお腹はへこんではだめですか?
Aへこむというイメージはよくありません。目的によって異なります。鍛えるためなら、しっかり動かしてください。(♭Σ)
Q.ハミングした時の鼻の上が響く感じと発声のときとでは、微妙に声の出す位置が違います。どの位置が一番良いのかつかめません。
A.ハミングのときに響く場所で歌う方がよいのですが、最初は自然な場所で声を出す訓練もしていきましょう。それをぬきにしてハミングだけをやってしまうと浮いた声になりかねないからです。(♭Σ)
Q.母音の「オ」で練習していますが、「エ」も少し響きが落ちる気がします。「オ」ができれば、他の母音もしっかりできるのでしょうか?また違うのでしょうか?
A.エの母音は、口の奥がしまりやすい言葉なのでたてに開いた方がよいからです。個人差もあります。男性の場合はイやオなど抑制のきいた母音の方がいいです。それが出来るようになって他の母音を合わせていくとよいでしょう。(♭Σ)
●Q.声楽での歌い方で曲を歌うと高い所で無理が出ます。どうすればいいんですか?
A.aperto(発声上の開いた声)しか教えていないからです。安定してきたらmix voiceの訓練もしていきます。(♭Σ)
Q.練習を続けることで、声がかれる、のどの痛みなどがあった場合、問題ないことなのでしょうか?オーバーワーク又は練習の仕方に問題がありますか?
A.のどが痛くなるというのは、息もれなど声帯が効率よく閉じていないため起こります。良くない発声では歌わない方がいいので、自分でわからなくなったときは練習をやめた方がいいことが多いです。(♯Θ)
Q.英語の歌を歌うときの発音は耳コピーで覚えた方がいいのか。
A.text(歌詞)があれば、目でスペリングを見て確認することも必要です。(♯Θ)
Q.音域を広げるにはどんな練習をすればいいのか。
A.呼吸の練習、からだを使って発声していくことが、基本です。(♯Θ)
Q.歌っていると、音がフラットになるんですが、どうしたら改善できますか。
A.音程とピッチと音の流れを聞いて、それに溶け込んでないときはフラットになってると思ってください。(♯Θ)
Q.聴いた方がよい音楽はありますか?
A.クラシック音楽(特にオペラ)など、さまざまなジャンルを聞きたいと思うものから片っ端に聞きましょう。(rf)(♯Θ)
Q.明日ライブがあるとのことでどう歌えば良いのか。
A.ライブは身に付いたものが自然とでるところです。発声を気にしながら歌うのではなく、自分が表現しようとしたものが出るように専念しましょう。(♯Θ)
●Q.音をだんだん上げていくと途中で、お腹を使ってやっていた発声が胸に変わってしまうんですが、どうしたら胸を使わずにすみますか?
A.出発点が胸になってしまうのでは?お腹の動きが足りないのでしょう。(♯Θ)
Q.音程がとれるようになるにはどうすればいいですか?
A.喉でとるのではなく体の感覚や体のポジションでマスターするようにしてください。(♯Θ)
●Q.ペースが少し気になる。日々の練習ではすべて反復して練習して、レッスンではポイントをつまんでやることで、あせらない方がよいのでしょうか?
A.はい、そこであせらないことです。(♯Ω)
●Q.高い音域を地声のままどう広げていのか。
A.低いとこから、支え、響き、音色を変えないことです。音が高いから高いように出していると喉を痛めます。(♭Σ)
Q.同じように低い音域も広げたい。
A.低い音域は、もって生まれたものが大きいので、あまり無理をしすぎると喉を痛めます。(♭Σ)
Q.一発でその音のど真ん中をとらえられるか。
A.イメージとしては、声をぶつけすぎないことも大切です。ぶつけようとすると押して壊れてしまいます。のせるようにしましょう。(♭Σ)
Q.家の中で大きな声が出せません。小さな声で練習してもよくならないでしょうか。大きな声を出せる場所を探して練習すべきでしょうか。
A.声が出しづらい場所でもハミング、sotto voceなど練習法はいくらでもあります。ただ時にはおもいっきり声を出してよい場所もあったほうがよいでしょう。(♭Σ)
Q.前に買った楽譜の本がいまいちだったので、ちがう本を買うつもりです。どのような本が良いでしょうか。
A.子供用の本や、小中高の音楽の棚にある本の方がわかりやすく書いてあります。(♭Σ)
Q.強いところで叫んでいる感じになる。響きも位置も同じで強弱させる方法はありますか?
A.強拍は強く歌うというよりも大事に歌うと思ったほうがいいでしょう。(♭Σ)
Q.息吐きの練習のときも背筋や腹筋を意識した方が良いですか?
A.意識した方がいいと思います。しかし、その意識が力みになるならやらないほうがいいです。吸った息と吐いた息のバランスが大事です。吐いた分だけ、入ってくるように思ってください。(♭Σ)
Q.舌や喉に力が入りすぎる癖はどのようにしたら改善されるのか。
A.舌やのどに力が入らないようにする方法は、良い発声フォームで歌うということです。体が上手に使えていない時、何かに頼ろうとして舌やのどが硬直します。良いフォームを身につけるにはまず、舌、のどに力が入る習慣をやめなければなりません。相当意識を強くもたないといけません。舌やのどに力が入らない習慣を身につけるために、鏡を見て下の状態をチェックしたり、舌と上あごの間から息を吐く練習をしてみてください。それがある程度改善され、発声の正しいフォームを身につければ、気付いたときには力がうまく抜けている状態になると思います。(♭∀)
Q.声量を大きくしたい。
A.先に息の量を増やすために腹式呼吸の練習をしてください。(♯Ω)
Q.高音、低音に厚みのある声をだしたい
A.どんな声を出したいか、ということを想像して息だけで練習するとよいです。(♯Ω)
Q.階名で歌うと強弱の所で力んで響きが変わるときがある。
A.すべて「U」で歌ってみてください。(♯Ω)
Q.二拍子のリズムがもう一つ体に入ってこない。
A.強拍弱拍を意識して、体も使って何度も練習してみるしかありません。(♯Ω)
Q.全ての母音でド・レ・ミ・ファ・ソの音階の発声で響きのチェックをしています。うまく、いきません。
A.「ウ・イ・エ・ア・オー」など並びかえて練習してみてください。(♯Ω)
Q.おしりを引込めるか、それともスクワットのようにおしりを後ろに出すか。ストレッチで背中を伸ばすやり方がよくわからなくなった。スーっと息を出してから音を出さないように息を吸うとき。まず鼻で吸って、次に胸で吸うのは間違っているか。
A.ストレッチ(背中)はいろいろありますが、肩甲骨の間の筋肉を盛り上げるような押し出すような感じでやってみましょう。ただ肩だけが前にこないよう気をつけましょう。息を吸うのは、リラックスして鼻と口両方パッと開けるようにやってみてください。(♭§)
Q.声の出し方に変な癖がついていると言われました。まず鼻に響かせられるようにと言われましたがなかなか出来ないです。
A.息が落ちていると、ハミングや鼻のところで声を響かせられません。まず、鼻の奥あたりまで息が上がってくるようにしてみましょう。また、のどがしまっていると、のどのところで息が止まって鼻まで届きません。のどがあいているかも注意しましょう。(♭§)
Q.ハミングはどいういう感覚でやるのですか。
A.ハミングは、目の下のあたりや鼻の奥のあたりに音の抜けるような場所を見つけましょう。(♭§)
Q.「ソ」の音がどうしても低くなってしまう。「ラ」の音がとれるかどうか不安。タイでつながっている音は拍を数えにくい。
A.どうしても低くなる音は、自分が思っているよりも高めを意識してうたうこと。タイでつながっている音は、まずはタイを取って練習することをすすめます。(♯Ω)
Q.家でストレッチとキーボードを使って声を出す練習をしていますが、他にどんなことをやればよいですか?
A.ストレッチをしながら声を出す練習をされたらいかがですか?声を出すのに体が固まっていては絶対にいけません。体をほぐしながら声を出すというのはとても効果的です。(♭Σ)
Q.体の支えのためのいいトレーニングはありますか?
A.壁に背中、後頭部をつけそのまま空気イスのような状態を作ってください。下半身にストレスがかかると思います。それを感じながら声を出してください。(♭Σ)
Q.今日20才になりました。そんなわけでお酒を少し飲んで練習するというのはどうなのでしょうか?リラックスできそうな感じがしますが。
A.トレーナーとしては飲んで歌うことは決しておすすめできません。ただ一度くらい飲んで歌うことを体験されてもいいと思います。次の日のノドの状態がどんな風になるか体験しないといくらトレーナーが言ってもわからないと思います。体質なので飲んでも歌える人はいますし、全然できない人もいます。(♭Σ)
Q.声の調子が安定するにはどうしたらよいのか?今の理解としては、フレーズ単位で息がしっかり流れるようになり、感情がそのまま声に出る状態(=体が楽器になった状態)になれば安定すると思っていますが、それでよいでしょうか?
A.体を楽器にしていく方向で、腹式呼吸を身につけ、しっかり息が吐ける形が体にしみ込んでくれば声も安定してきます。体で声を出していくことです。(♭∞)
Q.他のヴォイストレーナーから、チェストボイスというものを教わり、それで胸にひびくようにして(そのぶんのどの周りは力を抜く)使ってみたところ、今までよりも余分な力が抜けて背中の低いところで支えられている感じがしました。ただ、息をあてるような感じにしているので少し喉に負担がかかっている気もします。どのようにやっていけばよいでしょうか?
A.胸に響かせると確かに歌いやすいです、楽です。しかし、この声は自分に響いてくる声なので必ずしも飛ぶ声ではありません。結果、広い場所で歌うと叫んでしまい、喉への負担が大きくなりやすいです。しゃべっている位で響いているくらいからでよいのです。(♭Σ)
Q.笑顔で歌うとのどがしまる。アで歌うと閉まらない。
A.ハミングのときのお腹の支えを意識してみてください。よい声の状態のメニュを使ってください。(♯Ω)
Q.トスティNO.9についての注意点。9小節目から同じメロディーを3回、ちょっとずつ音を♭にしたりして変化を付けている箇所は、変化している音を強調して歌えばよいのか?そして、それらを大きなフレーズで捉えて、一番最後のメロディーを盛り上げる感じで歌えばいいのか。
A. 最後のメロディーは、ミ♭が一番高い音だけど、そこではなくて次のドの方が強調する音ですね。一番高い音が、必ずしも強調すべきポイントになる訳ではないということです。(♯Ω)
■レッスン受講生、研究生などの声
研究生、通信生などのレッスンに関するレポート選です。
<福島英のレッスンに>
○押し出すこと。
力だけでなく、音程やリズムだけでなく、声だけでなく、雰囲気だけでなく…。
今日の日本人の歌い手の呼吸や声を聴いていて、外国の歌い手では余裕がありすぎるから…というのがわかりました。
日本人がやると余裕はあまり感じられない。
もちろん、余裕が全くないわけではない。なければ歌えないはずだから。
ただ、個々の歌い手のギリギリのラインの前後で歌っていた。
それぞれの歌い手が武器としている各部分のバランスを高いレベルで保ちながら、若干の余裕を持たせながら動かしていた。
それが聴き手の中に、何かしろの印象を残していく。
もしくは、与えていると言うのかもしれない。
「伝える」「伝わる」ということにつながっていくんだと思う。
water flower:自分の中に入っていないパターンが多い。
やりにくさを感じてしまいがちでしたが、とりあえずは流れにちょっとでもかすることができればいいかな…くらいの気持ちでやりました。
まずはチャレンジの気持ちで。
Hero:テンションを意識すると、自分のバランスが崩れ、真っ白に…。
声でもっていこうという意識がなかったことは良かったかと。
気持ちの部分との連携を強めた時に、身体が力まず、スムーズに動く方向に進めたら、大きく出せるような気がします。
J :今日の中ではやりやすく感じました。 ただ、そういう時は結構見逃していることが多いような…。
あれもこれもと手を出そうとしたが故、中途半端だったような気がしました。(MA)
○「J」「ヒーロー」「water flower」
今日はやたら体力いる。
ちょうどさっきやったYを試すのにヨカッタですが、
調子が悪い時には、絶対歌いたくない曲ばっかり。
ダメな時はどうしたらいいんだろう。
その対応が私は本当にダメです。
門倉さんのフレーズはとても丁寧だ。
ちょっと古くさいが「クセ」で古くさいワケではないので、
だんだん氣にならなくなります。
麻倉さんのは、昔は「うおー」という感じにしか
とらえられなかったのですが、今聴くと、ずいぶん
スコーンって開いてるのだなぁ…と思いました。
全部ぶつけているワケではないのですね、
当然ちゃ当然ですけど。
SILVA、うまいこと子音を使います。
泳ぐのが速い人のようだ、ぐぅーんって進む。
私は力が「入る」けど「抜く」のがさっぱりだ。
抜かなきゃ次へ入れない、前へ進めなくなる。
沈んでしまうのでした。ブクブクブク…(NI)
○今日はレッスン前にプロダクションの人とミーティングしてきた。自分に足りないもの、指摘されたこととして、非常にたくさんあるが、特にコンセプトが不明瞭であること。営業力のなさ、具体的に活動できていないといった部分がある。やれていること、やるべきなのにやらなかったこと、やるべきことのカテゴリーで表を作ってかきだしていきました。(KA)
○声が何をもたらすか?
声が何をもたらすのか?これが今自分に足りないもの。声は少しづつ自由になってきてはいる。でも、その自由の中に何をいれているのか?わずかな感情は入っているだろうけど、それだけ。自分の作ったイメージをだせるようにして、言葉のフレーズの置き方の中にそれを100%入れられる(効果がでる)ようなことをしていく。自分の作ったイメージを人にも感じさせるってのは、本物の思いが必要なわけで、それだけ歌いこんでだせることが必要であり、必ずしも、自分の思っていることが相手とは違うってのはよくあることだと思う。人生経験、恋愛経験により得た人の心の感じ方が役に立つ。ex)この人にこう言ったら腔思うなど。あるテーマに対して、作った自分のイメージをおき、言葉の置き方にもマッチさせていく。正解はないけど、効果的にだせる、だせないってのははっきりしている。そしてその人の伝えたいテンションは感じられるはず。(MY)
○ハナミズキの最後のフレーズ
”君と好きな人が、百年つづきますように”甲斐さんは左記のようにもっていっている気がする。”君と”のspeed感”人が”のヒート ヒがピーク。自分は彼のまねをしていただけなんだけど、何ができた感があり、自分のフレーズだとか誤解しているし。先生が言っていた、自分の殻にとじこまっているってことが何のことか?もっと学び、スタイルを学ぶことにより、もっとベストな声の使い方がでてくるということなのかな・・・。限界を決めているのもダメ。感覚は無限だし、”この人はこういう感覚でやっているのだ”のようなことは絶対ない。その人それぞれのもので、共感できるものばかりではないということ。(MY)
○最近想うこと
先生のレッスンで今一番残っている言葉に、
「小さい曲、ていねいに歌っていくような曲だとカラオケで他の上手な人が歌ってしまえば同じになる。その中で他の人ができないようなスケールとか感覚をつかんでいく・・・」自分しかできないもの、オリジナリティ、これからの課題として、この体、声をどう使って表現したいのか。
この休み期間にもう一度テキストを読み内容を自分の感覚が一致していること、理解できないところをチェックしてみました。
いままでも先生のお話しの中にもでてきている、歌を線でとらえる、その線でデッサンしてみる。このことが一番自分の中では理解できず、感覚がわからずにいたのですが、今回”自分を知る””オリジナリティ””自分らしさ”をつかむためにいままであまり聞いたことがなかった曲(ヴォーカルある、なし)ラテン、ファド、ジャズ、ゴスペル、リズム曲をできる限り聴いているうちに、歌詞の内容がわからないのに曲の情景が浮かんだり、感情が高ぶってきたり、この感覚、音色が好きだと思う曲をリストアップしてみたりしました。そうすると何となく”線とデッサン”という意味がつかめてきたようで、自分らしい曲、好きな曲はこのデッサンがにているのか・・・・。
曲全体を見て、その中にどう自分らしさをだしていくのか、そんな事を思いながらライブ録音をもう一度みてみました。自分が思ったようにできたフレーズ、曲をいくつかあげてみて、そこから”私らしい”を探してみました。
テキストを読んでいて”そうなのか”といまさら思うことに”体は楽器”であるということ。この楽器から出る音が声、その声でどう演奏していくのか。その為には声を出すだけではだめで自由自在に、柔軟に声をあやつれるようにしなくては、自分を表現する、自分の思う演奏ができない。これもこれからの課題です。この休みの中いつも、”自分にしかできないもの””自分の強み”を自問していました。答えは、そう簡単には出ないと思いますが、探していきたいと思っています。(UT)
<トレーナーのレッスンに>
○「声を出すときにお腹を凹ませているが、動かすことに意味があるのではない。
凹ませることで息を送り、量を調整している。声帯を振動させるためにお腹から息を送っている。
瞬発的に『ア!』と声を出すときはこれが出来ているが、クレッシェンドのときにはただお腹が動いているだけで息が流れていない」
「この部屋は他の部屋より音が響かないので、自分の声が聞こえにくい。自分の声が聞こえにくいと、聞こう聞こうと思って声が大きくなり、声が響かなくなってしまう。
だから自分の声をあまり聞いてはいけない。
僕らは絶対に聞くなと言われている。
『良い』と言われたときの感覚で歌う。どのホールでも同じ。
声を出して『良い』と言われたときの感覚を覚えること」
「ピアノからフォルテまでの変化量をもっと増やすようにしましょう。」(NR)
○「声帯というのは息の呼気圧で振動数が決まる。
瞬発的に声を出せば大きな声にはなるが衝撃を与えるので、声帯に負担がかかる。
クレッシェンドで大きな声にしていけば、徐々に振動数を上げるので負担は少ない。
クレッシェンドでも訓練しだいで最大の声にしていくことは出来るはず。
瞬発的な大きな声でムリをしないほうがよい。」(NR)
○「なぜ、♪イ〜エ〜ア〜オ〜ウ〜と練習するのかというと、一番狭い母音がイだから。エ〜ア〜オ〜ウ〜と徐々に広がっていき、深い音になる。
イ〜で深い鼻腔を掴んだらそのままエ〜ア〜オ〜ウ〜と深くしていく。」(NR)
○「身体に響かせましょう。アと、はっきり発音すること。
前に出すようにするのではなく、身体に取り込む。飲み込む。
もうちょっと声帯を閉めた方が良い。
響かせようとするときとか飲み込むというときに、胸の辺が固くなるのはダメ。あくまでも丹田以外は力を抜くこと。
アと同様にオ〜も、ハッキリと発音すること。」(NR)
○「よく本に柔軟体操をやってください、と書いてあるのは、それが重要なのではない。
身体に響かせようとするときに柔軟体操のときと同じような脱力感をと味わうことが必要ということ。」(NR)
○声優入門 P.133 語りのトレーニング「こんきょうじ」(早口ことば)
「もっと声を前に出そう、という感覚が欲しい。」
「(↑をやってみて…)今は前に出す感覚は出来たが、子音だけになってはダメ。
サがS!に聞こえたり、コがK!の音ばかり聞こえたりしなように。
母音が全部きちんと鳴っていて欲しい。今は8:2くらいの割合で子音が強い。イメージ的
には3:7くらいの割合で母音を強く鳴らした方が良い。
子音ばかりだと音自体が相手に届かない。母音がないと言葉(意味)が伝わらない。」
「『すこし』は子音ばかりになりがちなので、気を付けましょう」
「抑揚をつけないように読んでみてください。そのほうが、一音声としては良く分かる。
今は抑揚をつけることでごまかしてしまっている部分がある。
抑揚はあったほうが良いが、それで音をごまかしてしまっていては意味がない。
なので、抑揚をつけるのとつけないのとを両方練習して、落としどころを見つけてほしい」
「音を全部ならすというのを習慣付けましょう。音を全部鳴らした状態で抑揚がつくとハッキリ聞こえます」
「ア〜と低い音を発声してみるとノドが震えている感覚があるだろうから、それを普段の高さの声の時も無くならないように気を付けて。」
「ひらがなの場所が弱いみたいなので気を付けましょう。(ひっかかったり、音の鳴りが弱いなど)」(NR)
○今日は朝起きて、すぐさま声の状態があまりよくないなと感じた。原因は連日、歌いこみの量を少し増やした事だが、体の理にかなった出し方でやっているので、危険信号は自分で感知できるつもりだが、やはり声帯そのものは疲労していたみたいだ。そこで朝からレッスンまでの時間、ウォーミングアップに充分時間をついやし、一汗かいてからさらにハミングとファルセットでほぐし、歌う状態まで持っていった。このことによって普段と変わらない状態まで戻せた。しかしそこまで少し時間がかかりすぎるのでもっと早く戻せる自分だけのやり方を試行錯誤していきたい。もっと、「どうすれば自分の体はどうなるか」という事を知っていかなければならない。(YK)
○長渕剛さんの「Time goes around」
スタンスとしては言葉、メッセージ性重視。途中ファルセットに切り替える箇所があるのだが、どうもそこだけ目立って一本の流れに違和感が出てしまっているとのコメントを頂いた。そこで「ここはファルセットという自分で決めた決まりを捨てて、ピアニッシモで歌ってみて」と言われ、やってみると地声とファルセットの中間ぐらいの感覚だが流れを崩さずにいけた。さらにコメントで「頭でこの地点からファルセットと決めて出すファルセットと、一本の流れの中で自然に切り替わるファルセットとの違いが今の」みたいな事を言われ、当然自分の理想は後者だ。どうも自分が歌の中で使うファルセットは地声との変化が激しすぎると言うか、曲中で浮いてると言うか、とにかく目立ちすぎるのだ。この短所を逆手にとって作品の中で生かすというのも考えていくがやはり自然に一本の流れから外れないようにできるようになりたい。
なので「地声のままピアニッシモにして、勝手にファルセットに切り替わるのは体の流れにまかせる」というアプローチはトレーニングでの良い課題、メニュになりそうだ。自分のイメージに対して、対応してくれる体、柔軟性をもっと繰り返し練習して身につけなければならない。サビのフレーズではエモーショナルな要素を加味する事しか頭になかったが、違うアプローチもアドバイス頂いた。というのも、サビ前、音が上がり、畳み掛けるようなフレーズがあるので、サビでは逆にシャウトではなく話すような感じにしてみるというニュアンスのアプローチだ。いざやってみると自分の中ですごく新鮮な感じがあった。という事は今まで自分のパターンに自分で飽きていた部分があるという事も言える。こういう表現の発想の転換はすごく大事にしたいと感じた。まだまだ自分は表現パターンが少なく、引き出しも少ない、発想力も乏しいな。という事でこのアプローチは一つの引き出しとして良い参考になった。と言ってもプラモデルのように今日のパターンを違う曲になった時、すぐにはめ込めるような単純なものではないが。そしてこういう構成もまた、やろうとしている事が聞き手に見え見えでもつまらないだろうしそのあたりが難しいな。そして今日のようなアドバイス、自分の中になかったアプローチ、発想も、ダイレクトに先生からアドバイスをもらうのではなく、願わくば、自分が普段聴いているアーティストから読み込み、気付きたいものだ。(YK)
○「語尾が下がるクセ」もっとコントロールできるようにする。
「ビブラート」
ホホホ・ホホホ…と、3連が続くようなイメージのスピードでやる。
スタッカートをベースで、それを自然に繋げていく。
振るわすのでは無い。
固くなってしまうのでそれはダメダメ。(NI)
○音楽的、伝わるものの追及
叫ばないこと、大きな声で歌いすぎないこと、以前いわれた、引き算。小さい声で勝負していく。小さい方がサウンドがよいといわれたのだが、自分では、あまりよいのか悪いのか、わからない。どちらかというと悪い気がする。コンパクトすぎてただ1つ1つ言っているだけで ex) ”誰かの/声に/気づき”でビブラートも使えるほどの自由さもないし・・・。そのために姿勢、胸をはり、足でバランスをとり、のどを下げる。こうすることにより。のどをひっぱっていない。あとは、”気分に任せる、音楽にのる”ってことなんだけど、そこがレッスンでの一番の課題であろう。音楽の響き、空間を感じることって何?たしかに”あれから/ぼくたちは”の真ん中で間をとることにより、人に考えを与えることができるのだけれども、より表現を求めるために”あー/れー/かー/ら”の”ー”の0.2秒くらいの間、響きも細かくみていくということ。
そのためには、空間を感じるため、ゆっくりと歌う。1文字ごとの空間も人に与えて創造させなければならない。音楽的、音楽と一致をもっと考えなければならない。何が伝わるか?今のでも音楽的にはなっているとおっしゃっていたが、自分からしたらとんでもない。音楽的がよくわからないし、そうだとしても、ひとに何か与えられるかっていったらまだまだ地獄にいるって感じだ。ただ音楽的であってもダメなのはわかるからよりすごいものをださないといけない。伝わるものを。(MY)
○声出しを久しぶりにつま先立ちしてやってみる。体に力を入れず息を滑らかに流し続ける。音の低いところはとにかく体中力を抜いて、高いところでは声を高く出そうとするのではなく、つま先をさらに力を入れる感じにする。はじめとにかく前へ前へ出そうとしていたが、つま先立ちを支えるために譜面台に掛けていた手に凄い力が入っていることに気付いて、それを楽にするように考えたら上手く下に力が入り、先生にも「そんな感じで」と言ってもらえた。息をつなげることだけに集中すること。手をかけていると、自分の上半身に力が入っていることに気付きやすい。それを気をつけているとお腹から息を流しつづける感覚が少しずつ掴めてきた。
実践の曲に入ってもつま先立ちしたほうが声がずっとしっかりしている。つま先立ちしたときのように力を下半身に集められるように練習すること。前より下に集めようとする事で上が抜けるようになっているようだ。本当は本当に必要なお腹の部分だけを使うのが理想だが、力が入るようならとにかく下半身に集めてしまうことで声のではよくなる。
最近声出しが自分でも上手く流れないと感じていたので、今日のレッスンで少しでも何かつかめればよいと思っていた。流し続けようとしても口に力が入って全部の息をはじめに出してしまうような感じ。自分でフレーズの先を見て流していこうとしてもその場その場でしか見れていない気がしていた。つま先立ちで発声する事は前もやっていたが、こうすることで上半身の力に気付きやすくなるとわかった。これを上手く抜けると下に力が入り、同じ意識でもずっと声が出しやすくなった。イメージをしっかり持っておくことは大事だと思った。いつもいつもイタリア語になるとつまってしまう。前に一度つまづいたんだから、しっかり見ておくこと。そして急にやることになってもその中で何かをつかめるようになりたい。後から落ちついてみればそこまで複雑じゃないのに、急に言われるとぱっと飲み込めなかった。とにかく「マ」でやった時の感覚を無理矢理押し込もうとしたけど、やっぱり上手く体が動かないと息が流れず、力が入るだけだ。こういう時に落ちついて、最低限つかむところはつかんで歌いたいと思った。(MA)
○レッスンの課題は、自分の中にある歌詞をEmotioniの成り立つように流れをだせることだ。即興なので、何かしら自分がよく思っていることしかでてこない。この時点でボキャブラリーのなさ、メロディからのイメージがないのがはっきりとした。絶対に出来ないわけではない。詞のストーリーを作るくらいならできる。曲にあったベストをだすことができるか?といわれたら疑問だが・・・。でも欧米人は絶対100%できるであろう。あのメロディーにのせる言葉のうまさはとんでもないから。リズム感良いなぁって思うほど。でEmotioniの方だが実際には、出来たと思っているのもつまらない感じのが多い。言葉が短いのではなく、長い言葉を入れることにより良いものが出る感じがした。冒険的だが、おもしろさがでるのが有利だと思った。短いのだと伸ばせばよいかという緊張感もなくリスクおかしてないぶん、ハイハイでおわる程度。長ければギリギリで歌っていてまとめなきゃいけないのでその人が出やすいと思う。1拍遅らすとか前に入れるなどできるわけだから調節して100%をだす。
歌詞にしても僕のはあいまいなありきたりのものしか出ていないのが感じられる。歌詞はたしかにイメージで作るのが大事だと思うけど実体験が一番良いわけで、まだまだ人生の中で経験していない辛いこと、楽しいことがあるはずなので、そちらの方を経験していきたい。(MA)
○喉のためによい方法の話をお伺いしました。これまで喉の乾燥を防ぐ方法等を試行錯誤されたようでした。私もこれまでいろいろ試したりしてきましたが、今はあまり気にしないようにしています。これまでの経験上、変に喉を保護しすぎると逆に調子を崩しやすいように思います。(SU)
○何度か発声しているうちに、胸で息を吸っていると指摘されました。確かにこれまで私は速いテンポの曲を歌うことが多く、なるべく息継ぎを短くと思い、お腹で吸ってやるのをおろそかにしていました。息を吐いたら、あとは自然に空気が入る感じをしっかり身につけたいと思います。
クイーンのドントストップミーを指導していただきました。前回、メロディーの部分が切れて聞こえるとの事でしたので、自分なりに流れを意識しながら練習してきました。しかし、流れ流れとそればっかり意識してしまうとだんだん自信がなくなってきてしまい、結果、勢いのない歌になってしまいました。息を遠くへ飛ばすようにとアドヴァイスいただき、おもいきって歌ってみたところ、お褒めの言葉を頂きました。あまり神経質にならず、考えすぎないようにし、歌の基本を見失わないようにしたいと思いました。(SU)
○B'zのホームを指導していただきました。全体的に流れがない感じになっていると指摘され、練習をしてきましたが、流れを意識しすぎたため、軽い歌になってしまいました。特に本来しっかりと出さなければならない最初の音が弱くなってしまっていた歌い方でした。コーチから、まずはフレーズの最初の言葉をハッキリと強く出し、その勢いで次からの言葉を繋げていってとアドヴァイスいただきました。そうしてみると、自分でも流れを意識できるようになってきましたのでよかったです。(SU)
○最近自分の中で、無意識に歌うことの難しさを痛感しております。本来、よい歌とは無意識の中に生まれるものだと思っていますが、その無意識「も、十分にトレーニングを積んだ上での無意識でないと話になりません。歌っている最中に、息は下とか、お腹を膨らませてとか、余計な力を入れないで・・・なんて事を考えてはよい歌は歌えないと思います。呼吸とか力まないとかテンションを上げるとかは、練習の段階で十分に行う。そして十分に練習したその先に始めて無意識での良い歌があるのだと思います。今私の目標は、もちろん基本をマスターした上でですが、無意識に歌うことです。歌うとき常に無意識でいられるようにはならないかもしれませんが、頑張りたいと思います。(SU)
○仰向けになり、10秒吐き、脱力した瞬間、空気が入ってくるイメージ。脱力はするのだが樽のようなお腹の張りを感じる。次に5秒強く吐き、同じように空気を入れる。これをしばらく繰り返す事で呼吸の循環を体で感じ、自然と深い状態になるようにする。後半、体内部がバネのような感覚を得られ、良い状態だったと思う。次、壁に手をやり、ゆっくり背伸びしながら息を吐き、吸うと同時に脱力して足を曲げ、腰を落とす。この時に仰向けの時にやった「入ってくる」感覚とお腹にたっぷり取り込めている樽のような状態になるよう意識。最終的にこの意識が無意識で体の良い状態になる事をめざす。という事は体に覚えこませなければならないという事でスポーツのように体得する事が必要。やはり体から歌うという事は強いバネが必要で全身運動である。体から歌わなければならないという表現欲、表現世界があるのならばという話だが。(YK)
○歌唱。言われた事は音が上がり、たたみかける部分は良い感じ。しかし出だしとエンディングの低音部分がテンションが弱いと。二回目もっと世界に入りこんで出した。言われてからでなくしょっぱなからちゃんと入らなければならず、こういう所がプロとの大きな違いの一つだと思う。結果、一回目よりは言葉の世界と感情が伴い、表現した実感はあったが、その事によって、メロディの流れ等、音楽的な要素が落ちた。そこで流れを意識して出すと今度は表現が落ちるという事が起きた。どちらか片方に意識を向けると片方が落ちるという、当たり前と言えば当たり前だが、両方できなければならない。そこで少し声を押さえて尚且つ表現のテンションは保つ、流れは意識するという事をやると、先程よりは両方の要素が両立したような感覚。という事はいかに自分が声に頼りすぎているかという事も言える。トレーニングしてる時(色んなトレーニングがあるが、声そのものに重点を当てている時のトレーニング)はそれこそ、無感情で声を出しても、もうその「声そのもの」に魅力がある、商品価値があるようになる事、そこまで宿ったものである声をめざしてやっているが、歌、音楽となるとその使い方が問われるのだ。しかも声を落としてと言われた事により、逆にさらなるテンションでないともたない事となり、集中力が増してくれたという事も考えられる。ステージ等の本場では自分の勝負所でやるのが大切だが、今日のように自分の勝負所以外での歌唱でどこまでのものを出せるかという事も大切かもしれない。地力が見えると言おうか、制限された中でどう自分の色を打ち出すのかという事が問われ、さらに客観的に音楽としてはどうかという事も問われるので。(YK)
○「枯れ葉」
「良い意味で自由に歌えている」と。自分の中でも以前より(枯れ葉、自分のものにしたくて結構前から歌い続けている)繊細さはあったかなという実感だが、ちょっと浮かしすぎているような骨のない感じがあったような実感もある。まだまだ深め続けなければならない。(YK)
○腹式呼吸の際、お腹を固めない、お腹をやわらかく使うことを教わった。上半身は楽に、下半身は力を入れて。カラダの下から音を出す感じ。重心は少し前に(つま先を意識して)
息を吸う時も吐く時もお腹に常に力が入っていることに気がついた。常に肩や首にも力が入っているのでうまく脱力して気持ちよく声を出したい。(MZ)
○息を吸うときリラックス
お腹に息が入る順番は、前、横、うしろ
たまった空気をしばらく溜めておくイメージ(すぐにお腹をへこませない)。
片手を胸にあて、もう片方はわき腹から後ろに手をあてて、腹式呼吸をしているときの体の状態を知る。
声を出しているとき、息を吐ききる。
遠くに声をとばすようにする。
普段から腹式呼吸を意識するように言われ、毎日意識するようになった。
前回(一週間前)より腹式呼吸ができていると言われ、自信がもてた!息を吐くことが楽になった。(MZ)
○やれることをやってない。
レッスン時のテンションがひどかった。
レッスンをライブと同じテンションで出来てない。
ライブでこんな発声はしない。
息が弱弱しくて効率が悪い。おそらく喉を広げすぎてスカスカの声になっている。
ストレートにシンプルにただ声を出す方が効率が良く大きな声になる。
低音は平らに平らになるように、変な変化がおきないようにする。
VでやっているとYで指摘されているような軽い声にどうしてもならない。
広げて重くしてしまう。
その結果息が浅くなっていく。
フレーズの次へ向かうブレスをする。
息がもうなくなったからあわてて補充している、という感じをなくす。
そこでテンションを蓄えるつもりで、大きくゆったりとつなげる。
同時に、自ら歌を進めていく意識を持つ。
ハシるわけではないが、歌の主導権を握るつもりでやる。
以上はやはり前々から言われている事となんら変わらない。
やれる事をやっていたら今どれ位の差が出ているだろうか。(KA)
○「ま・め」で発声 (ドレミレドレミレド ↑ ソラシラソラシラソ ↓ ソ〜ソ ↑ ド〜ド)
息の取り込みは出来ているんだけど、すごく押してる気がする。
折角、横隔膜下げているのに、「クッ」と押すと戻っちゃって息漏れに繋がる。
股関節を伸ばすのは、歌にいい。
股関節が柔らかいと、声がスカッと出る。
股関節は、筋肉と関係なく開くから。これは必要だね。
呼吸が問題。
吸うときに、つま先立ち(壁に手を添えて)、
吐くとき(お尻の穴閉じる感じで)力抜いて(気持ち)壁を押しながらを繰り返す。
吐くときに、腰の引ける姿勢になるので、気を付けて。
これから一年間、毎日やって身体に染み込ませたいね。
歌う時も、呼吸を意識して歌えると良い。
呼吸と下半身が出来れば、重心を感じて歌えるようになれば、上半身に力を入れて歌わなくて済むようになるので。
折角カンツォーネやるので、足でお腹を支えられれば、そこから息を吐くだけなので、身体を使って声を出すことをトレーニングしていきたい。(NY)
○「花をありがとう」
88 〜 89ページまで、「ま」で歌う(先生のピアノ伴奏付き)
一つ一つのフレーズをもっと滑らかにしたいのと、フレーズの移り変わりでテンションを切らさないこと。
「ま」で歌う
癖なく歌う。ブレスを早く、深く。ブレスを深くして、テンションを上げるのは良くなった。最初より全然良い。声を出し切らないで、歌うのも大事。(NY)
○「五番街のマリー」
歌うのと聴くのとでは大違いで、音域も思っていたよりも広く、どのフレーズも1フレーズ歌うことさえ厳しかったけれど、息・発声・言葉(感情)など、多くの面から学ぶことが多く、とても勉強になった。先生からは、出だしの「五番街へ〜」のフレーズの「五番街」という言葉を、ただ音に当てて歌うのではなく、「五番街」という言葉が歌の中で伝わるように表現していくようにすること、家へ行きの「き」の部分を、「きー」と高く強く伸ばして出すのではなく、「家に行って、見てきてほしい」という気持ちが伝わるように、「き」を少し低めに出すこと、「どんな暮らしをしているのか」の「どんな」という言葉を、「どんな〜」とメロディだけを歌ってしまわずに、「どんな暮らしをしているのか」ということが伝わるように表現していくことをアドバイス頂き、言葉で台詞の様に伝える練習を何度も行った。
今日は特に「見てきて欲しい」の「欲しい」という言葉が上手くいかず、気持ちを込めて言葉を言っても、全く伝わらないように言葉が動いてしまったりして、あまりにも動かない言葉に少し気持ちが落ち込んでしまったのだけれど、しばらく忘れていた言葉に思いを入れることの大切さを思い出すことが出来、本当に良かった。
先生からは、「しい」という言葉を「し」「い」と2つに分かれないようにして、「欲しい」と言うようにすることで、「欲しい」という言葉が伝わるようになるとアドバイスを頂いたので、これからは普段のトレーニングの中にも言葉のトレーニングを取り入れるようにして、克服していきたいと思う。また、昔からの人がの「が」を、「がっ」という感じですぐに語尾を切るのではなく、しっかりと伸ばして、「昔からの人が」という言葉の意味を壊さないようにしていくこと、「マリーという娘と」の所を、「マ・リ・ー・と・い・う」というように言葉が点々にならないように、言葉を1つにまとめ
て言える様にしていくこと、言葉を言う時に、首から上だけの状態で言葉を発するのではなく、しっかり体と一緒に言葉を発していけるようにしていくこともアドバイスを頂いたので、1つ1つしっかりとクリアしていけるように、家で繰り返しレッスンの復習をするようにしていきたい。(SM)
○テンションが高くて音楽がグダグダになるのは良くないが、テンションの高さは欲しい。
テンションのとんがりのさきっちょに合わした球体をつくる。
一番高い外周に合わせた円にする。
平均値のように中で合わさない。
とんがりの中を全部埋めるつもりでやっていく。(NI)
○先月中旬に体調を崩し、喉が痛くて歌えない、特に高い声が全く出ず、高くないキーでも歌っていると声がかすれてしまう状況に置かれました。おそらく夏場の疲労が出たのと、無理に高い声を出そうと頑張り過ぎて喉を痛めてしまったのが原因だと思います。病院に行っても、無理をしないようにと言われるだけだと思い(何年か前に行ったことがあり、たいした治療がなかったので)、病院には行きませんでした。数日休めばだいぶ良くなるだろうと思っていましたが、喉の痛みは消えず、歌えない日々が続きました。さすがに何日も声が出ない日が続くと、このまま声が出ないんじゃないかと、だんだん不安になってきて、やがて恐怖まで感じるようになってきました。約二週間以上そんな状況が続き、やっと声が出るとうになって来た時には涙が出るほどうれしかったです。
今回のレッスンは発声するだけのものとなりましたが、様々なアーティストの話(日本人アーティストは音楽的センスはあるが、発声的な部分ではかなり問題があったり、劣っていたりする等)、国内だけでなく海外(韓国にはかなり上手い歌手が多いとの話に興味が沸きました)の話までいただき、とても貴重でした。
今回の発音は高いファあたりまでは下(お腹)から体を使って太い声で出していき、それ以上高いところは、切り換えをして声を額から出すようにイメージし、上を意識しながら行いました。さらにコーチからは、軽くを意識して歌うようにアドバイスいただき、発声を行いました。自分ではとにかく軽くを意識して、力を入れないで発声したのですが、コーチからの言葉は、身体の使い方は同じなので、さほど声的には変わっていないとの事でした。この発声が良い感じで出来たので、さらに今後は響きや深さを磨いていければ、今までの自分にはなかった感覚で高い声を出せるようになるのではないかと期待しております。(SU)
○最近は声が出る事に、ある意味感謝しながら練習しております。声が出せない時期があったからこその感覚だと思います。以前、広報誌か何かで、練習は次の日のためにやるものだとの記事を読みましたが、確かにその通りだと思います。私は運動をやっていた時もそうなのですが、徹底的に練習しないと不安になる傾向がありました。しかし休養も練習の一つなので、これからも喉を大切にしながら練習に取り組みたいと思います。(SU)
○応用練習の項に入りました。フレーズがより実践的になるのでやっていて楽しいのは確かなんですが、如何せん難易度が上がるのも事実です。取りこぼしの無いよう、得られる物をしっかりと吸収します。
今回、Wの方では(多分)初めて「シ」が出て来ました。下のシは何度もやっていますが、上の方は初めてだったのでどうなるかと思ったんですが、案の定、中々声が届かず苦戦しました。厳密には声が届かない、というより上の方へのポジションの切り替えがスムーズに行かなくて楽に出なかっただけなんですが。慣れ不慣れは大きいですね。一度シまで上がると、その後の音も普段と比べると大分上がり気味になってしまっているのが自分でも変な感じでした。おそらく自分で感じているだけの違和感なので、傍から聞いている分にはさほどでもないとは思うんですが、アプローチを上から取るか下から取るかで一音一音の印象が変わってしまう事があるので、同じ音が頻発するようなフレーズでは出来る限り同じに取って行きたいのはあります。実際は前後の音の影響をモロに受けてしまっていて、その都度バラバラな訳ですが…。流れも勿論大切ですが、今は一音一音をしっかり押さえる感覚をもっと磨きたいです。
それを痛感したのが今日やった2のフレーズで、「ファソラソーソー」の所、ラの後のソがきっちり決まりませんでした。理由は良く分からないんですが、ラまで出した所で、何故か次の音を見失ってしまい、ソが出せなくなってしまった感じでした。
今考えると、ソ×2が2分音符だった為、体が無意識の内に(息を続かせないといけない、音が落ちてしまってはいけない、と)身構えてしまって、集中が乱れたのかな、と思います。最近は、音のメリハリを少し大袈裟位に付ける事によって、多少音が上下するフレーズでも流れに引き摺られにくくはなって来ています。ただ、それもポイントを外すと目も当てられない事になるので、全体的にフレーズの消化をもっとスマートにやれるようにしたいです。(ST)
○とにかく繰り返しトレーニングしていく事で、少しずつではあるが、楽譜を読む事に慣れてきたように思う。
集中力を持たせられるかとの戦い。少し気が緩むと、(まだなれていないこともあり)すぐにOutput(音程など)に影響が出てしまう。→慣らしていく。
「少し低く出してから、あわせていく」くせがあるとのこと。まだ音のInputをやり切れていないことによる思い切りの悪さが原因か。→慣らしていく。(KG)
○音程、楽譜読みの練習
楽譜を読む際、音が途中で次の音につられて上がってしまうなど、色々なくせがあることがわかった。
実際、思った以上に楽譜が読めない→以前も、楽譜から音を出すトレーニングはあまりやっておらず、耳で聞いてコピーすることに頼っていた。→小さなキーボードを購入し、楽譜と音を対応させるトレーニングをする。(KG)
○口が開きすぎる事で、響きが落ちフラットする。
(強弱について)1拍目は大事に、2,4は弱くしない、3は少し大事に。
休符の後。下がっていく時下がり過ぎない。上がる時は倍上がるくらいのつもりで。
音にも幅がある。上から狙っていく。
ソがうまくでない。同じ位置で声を出そうとすると抑えてる感じがする。
一音一音しっかり大事に歌う。(NZ)
○歌っている時の自分の顔を鏡でチェックすべき。
発声するとき、あごに大きな力がかかっているため、まずこれを直すこと。まずこれを直さないと他をどうやってもうまくいかない。
喋っているときの声は明るいのに、歌うときは声が暗くなっている。
本を全面的に信じてしまうのは、危ない。(人によって体は違うから。)
壁に背中付けて空気椅子の体勢で声を出すと、顎を固定していても声がでやすくなった。そのことから、普段下半身を全然使えてないということに気づいた。
あごを押さえると全然声が出なくなり、本当に体を使わないと声が出ない。普段体を使わずに声を出していることを痛感した。
課題:あごに力を入れないで歌えるようにする。歌声を明るくする。(AK)
○同じ場所で声を出す。
口の中が筒になっている状態
高い場所をおさえてしまっている、もっと開放する。
しかめっ面してると力んでしまう。
高いところで声が引いてしまう。(前に出す)
筒のように出そうとすると、高いところで抑えてしまう。
→自然に広がるにはOK。
→開きすぎはダメ。(そっちの方が楽だが、開きすぎない方が人に伝わる)
(ド、ミ、ソ、ド、ソ、ミ、ド)
もっと音が沈んでいく感じ
(上がっていく時)抑えている。
自然な流れで、高いところは開放、抑えるとフラットしている。
高いところの時、体を絞り込んでる感じがある。(お腹は変わらない状態)
お腹は楽器のボディ。楽器を変えてはならない。(中の空間をしっかり保つ)
音程がとれてない事は客からみると、音痴の一言で終ってしまう。
自分の場合は音はとれてるが、ピッチが届いてない。ピッチの問題が発声からきている。
Wでは正しい音程のピッチの場所をしっかり築き、その場所にYのレッスンの発声を導いていく。
叫びと響きの声の違いをまず出来なくても、理解する事から。
”リーモプディション”(?)/下のド〜上のファ(中間音)
歌で一番使われる音域をまずしっかり出せるようにする。
声楽家ではなく、自分はポピュラー歌手という意識を持つ。
どんなジャンルの音楽でも、しっかりした声を出す。線引きしない方が良い。
シコを踏むような状態で発声すると上半身に力が抜けてしっかり出せる。録音を聴くと響きと叫びの違い、抑えていると開放の声の違いがよくわかった。
しっかり体で理解して体現できるようにしたい。
力の入れ具合を上半身と下半身としっかり分けれるようにしたい。(NZ)
○腹式呼吸と横隔膜を広げるレッスンの仕方を学んだ。息を均一に吐くことを意識しながら、ツゥーと歯の間から息を吐いていく。その際、体勢は3種類(1:立ったままお腹に手をあてる。2:おなかの横に手をあてる。3:肋骨の下で背中側の所に手をあて、前屈した体勢から、息を吐きながら少しづつ体を起こしていく。)どれも手を当てた所の空気が抜けていく感じをつかみながらやる。
こめかみの上のあたりがへこむくらい口をあけて声を出す。(あくびの状態)このとき、自然にあごは下にさがる。
ハミングで歌う。(手を腰の位置にあてて、そこに空気が入るのを意識しながら、レガートで)
自分はまだ息を一定に吐くこともできないことに気付けた。
音を外れないようにとすると、目線が下がってしまうのでそれを直す。(AK)
○ファルセットを統一させていく。
はじめの発声、力で押さない。もっとすっと引いてヴォリュームを出す。
身体を使ってpからfまで幅を出す。
息もれに気をつける。低音の別に強調しないようなところでなんとなく漏れてしまってるようなのは良くないっぽい。
指摘されればレッスン中に直せるが、言われる前にその辺は出来るようにしたい。
ただ、言われてすぐに直せる力は重要。
今日はファルセットについてみてもらった。
今までやってきたジラーレよりもさらに軽く、楽に頑張らないように出す。
ジラーレでは喉仏は下がり、ファルセットでは上がる。出し方が違う。
ファルセットでは音を当てる事しか出来ないので、余計な事は出来ない。
とにかく気をつけて慎重に、地声からの境目を分かりにくいように統一していく。
聞いてもらったところ、上から裏声で下がっていって、境目になったら丁寧に地声に変えていく方がやりやすそうだということだ。
とにかくpで上下降を繰り返して、境目が分からなくなるようにトレーニングする。
ディレクションを考えて、方向性を定めて声を出していく。
しゃべりでも、無駄なところでへんに息がもれていたりするようで、普段からどれだけ意識できるかで変わってくるはずだ。
このせりふのここを伝えたい。歌詞のこの部分に向けて歌う、など、その辺の意識がとても大事。(KA)
○ポジションが定まらない時、上から吊られて落ちる。
カラダの周りに筒を作る。
ロングトーンは上下に伸びる。
息を吸って、鼻の奥が広がる所を、そのままで出す。
背中を広げる。
高音では軟膏外が下がらないように。(OK)
○舌を使わずに(前に出して)行うトレーニング(ミミママメメマ)
ハミングの練習
上記練習を踏まえた発声のアドバイス
前回に課題となっていた「力が入ってしまう場所」を具体的に探していくレッスンだったと思う。
実際、自分ではのどにあまり力を入れている印象はなかったが、舌を出して(使わず)に発声するとほとんどまともな音にならない。改めて「くせ」があることを実感した。
同じくせや課題であっても、人によってそれを捉える視点や
、解決していく視点が違う事が新鮮で、励みになった。(KG)
○イとオの発声と、そのくせについて
表情と、発声の関係について
中腰での発声⇒体で発声する練習
歩きながらの発声⇒無駄な力を抜く練習
ここでははじめての、レッスンとしても2年ぶりでした。
ここ2年間ほど、地方に行っていたため、自己練習はしていたが、コーチの目がない状態なので、自己流になっているだろうとの予想はあった。
⇒そこを、具体的に指摘していただく事によって、これからの練習に大きなヒントとなった。
くせがある一方で、発声のポイントなど、出来ている点も指摘していただく事で、自分自身の今の状態を客観的に把握する事ができた。
「今までつかってなくて、使う必要のある筋肉」と「今まで使っていて、力を抜く必要のある筋肉」が複数あることをレッスンで発見、実感しました。
まずはそうした「正しい筋肉の使い方」をもう一度覚えなおす事から始めて行こうと思います。(KG)
○声を出すのに余計なところに力が入りすぎているため、体が硬くなっている。もっと力を抜くべき。
横隔膜をうまく下げるためにも、腰を入れる(腰から上を折り曲げた時の、足の位置をそのままにして上体を戻した状態)こと。
あごの位置を触って確かめたりして、顎を動かす感覚をつかむ。
息を吐ききって、体を緩めると空気が入ってくるようにする。
声を出すとき、息が漏れないようにする。
課題:筋肉や骨の動かす感覚をもっと鋭く感じるようにすること。体を柔軟に動かせるようにする。(AK)
○曲の方向性、メンタル面のカウンセリング
プロダクションの方とともに作成したプランニング表を見ていただいて、今後の活動において、特にメンタル面のついてのアドバイスをもらった。
まずひとつには、営業を頑張る。
製作作業をやっていくうちに、誰でもどうしても自分の内に内に入っていってしまうが、曲は誰かに聴いてもらって共感してもらったり何か感じてもらわなくてはならない。
相手がこれを聴いたらどういう気持ちになるだろうか、プラスになるだろうか、怒るだろうか、何も感じないだろうか・・・等、受け手をイメージしてみる。
そのために、営業などを通して色んな人と接していく中で、様々な人が様々な想いを抱えている事を感じていく。
また自分自身、歌を通して皆を元気にしたいのか、社会への怒りを引き起こしたいのか、癒したいのか、感動させたいのか、切ない気持ちにさせたいのか・・・をきちんとイメージする。
マネージャーの視点に立って、自分自身をどう売っていくのがいいか、どういった商品価値があるかを客観的に見ていきたい。
もうひとつは、でっかい夢や目標を掲げて、それを毎日イメージする。
今は歌以外に色々やらなくてはいけなくなって、純粋に楽しめなくなっている。
やたらと現実的に考えてしまったり、駄目なんじゃないかというイメージがしょっちゅうよぎるようになっている。
日々のノルマも、そのノルマだけを見てこなしていこうとするとどうにもモチベーションが上がらないし、「それを達成したら次はどうしたい」というのもない。
だからまずはどでかい夢を思いつく限り書き出す。
「音楽で生計を立てる」とかは弱すぎる。生計が立ったらつぎはどうしたいか。
それを紙に書き、毎日眺めるようにする。
その夢が実現可能なんじゃないかと思い込めるまで自分に刷り込んでいく。
ほんとうにその夢のために動ければ、今設定しているぽつぽつとしたノルマはいつの間にかクリアできるように動けるはずだ。
今のような音楽を嫌いになってしまいそうな時期は必要だということだ。
嫌なところがとことん見えて、それでもしまた好きになる事が出来たら今度はかなり強い。
だから今は嫌な事がたくさんあっても、やれる事をやっておく。(KA)
○ここのところ精神不安定気味で、それが体調、引いては声に影響が出てます。なんとかしたいところではあるんですが。今日も体が固い感じでした。
前回が若干良かった分、今日の不調が自分で気になりました。時間を経るにつれて体が少し温まり、それによってマシにはなりましたが、発声の最初は全然ハマってくれませんでした。調子が上がらない時いつもなんですが、声のポジションが決まらない。腹にスッと入らず、ふわふわと浮いた感じになってしまっています。当然力も入らないので、コントロールが上手く行きません。こういう日もあると言えばそれまでなんですが…。
コンコーネ8番、かなり難しく感じます。結構嫌らしいところに休符があったり、流れで取りにくいところで急に上へ上がったりと、進行に神経を使います。5段目の終わり〜の8分×12は、やっていて正直分かりにくいです。自分が今どの音を出しているのか、次はどの音なのか、テンポを落としてゆっくりと慣らして行きたいと思います。一番難儀なのは4段目〜5段目の流れで、ここまで流れがしっくり来ないのもそうそう無い気がします。コードはまだ良く分かりませんが、少なくともメジャーではないのではないかと思います。これはこれで面白くはあるんですが、音の照準が合わせにくいので、これもまたしっかりとやっておきたいところです。(ST)
○同じ場所で歌う。
下の音で鳴ってるビリビリを、上の音でも鳴らす。
声を抜かない。
自分に響かせない。音を前に。自然に出す。
自分の口がホースだとしたら、水がどぼどぼこぼれてる感じ。
前にピュッとだす。
胸が落ちる。お腹でしっかり支える。
上あごをあげる。
体を固めない。
人が見て、顔や体は余裕に見える感じで。
声が抜けきってないので、ハミングの時の響きの所までもっていけてない。
自分が持っている自然の声をまず作らないといけない。
声を作ってハミングのところまでもっていっても、
本来の自分の声じゃない。
”エ・イ”(閉口母音)の方が音が飛びやすい。
どの母音でも、口の形、鳴り方は変わっちゃいけない。
エの発声時、口が硬い、頑張りすぎ、楽に音を流す感じで。
今の出し方だと上は出ない。高い音は混ぜないとダメ。
(ミックスのイメージ)ゲロをはく感じ、お相撲さんの声で。
指でワッカを作って口にあてる。(前を閉じて後ろをあける練習)
アペルト→オープン、キューゾ→クローズ
ミックスはキューゾ(出来るようになればあけても良い)(NZ)
○唇の力を抜いて大きな口を開ける、あくびをする前が一番のどが開ききった状態
胸のわき、丹田の下、お尻の上の筋肉を動かす練習
歌う声を(低い声も高い声も)しゃべり声に近づける。
しゃべる声と歌う声がかけはなれていることに気がついた。
歌うとき、”作り声”になっているというこを先生から指摘されてはじめて気がついた。(MZ)
○うら声、地声をそれぞれに出していて、境目が不安定になっているうら声、地声を同等に鍛えないと混じってこない、バランスを保つため、地声をおもっきり出さないほうがいい。
地声が強すぎると絶対うまくいかない。
声の出し方がマニュアル的、オートマで。
犬のブレスを毎日練習すること。
自分のしゃべり声が0地点、そこから深さ、高さが広がっていく。
器用なため、”作り声”ができてしまう、器用貧乏になるな、いい声をめざすな、万人に好かれた声でなくていい、と言われ、何かがふっきれた気がした。
今まで、透明でキレイな声を目指したり、パンチの利いたかすれ声を目指したり、他人のいいところを全部マネしようとがんばりすぎた。自分の体から素直に出る声を大切にトレーニングを続けたい。(MZ)
○歌うとき、まだ息がもれている。
胸ではなく、腹に息が入るようにする。
トレーニングとして:息を吐くときにお腹が出るようにする。腹背筋を意識して声をだしてみる。こめかみの前をくぼませて、びくうと頬骨に響かせるように声を「あぁ」と出してみる。
ハミングで歌う。(頭のてっぺんが響くようにして)
課題:筋肉や骨の動かす感覚をもっと鋭く感じるようにすること。体をもっと柔軟に動かせるようにする。(AK)
○自分は声が下にいったり、引っ込んでしまう癖があるので
そのあたりは注意して練習したいです。
声が体から離れていくような感覚をもっていきたいです。
あとほほを上げること顔を広げることなどもいつも気をつけたいです。
トスティでは、跳躍のときに音が当たらないときがあるので準備が大事です。
音が下行する時に、下がりがちで、これは練習曲だけではなくて
自分の歌を歌っているときにも見られる傾向なので意識して練習したいです。
ただ音程や上の響きばかりに気を取られると胸や喉に力が入りやすいのでおなかの意識を常に持った状態でできるようにしたいと思います。
最近は自分の歌を歌うときにも自然によい響きを得られるように
なってきました。でも良い響きで歌うとそのぶん味気ないような気がします。
技術的な部分はあまり頼るものではなく、表現を支えるものであるということを忘れずにいたいと思います。(IS)
○我慢する
前回に引き続きジラーレの徹底、メッザ・ヴォーチェ(?半分の声)の練習をした。
とにかく響きを胸に落としてしまう癖がある。ドレミファソファミレドの時、上に向けてどんどん声がもぐっていく。
そうではなくてポジションはずっと同じで上のほうでひたすら軽いまま。変わらない。
自分が思っているよりずっとずっと力を抜いて軽く。
でも難しいのが、それは抜く事とは違う事で、芯は保つ。芯を保って弱くするのは難しいが、保てれば簡単にヴォリュームを上げられる。
芯を保てないうちにクレッシェンドしようとすると、声が重くなる。
しっかり上の超軽いポジションをつかんでから、好きなだけクレッシェンドする。
音階が滑らないようにする。これも芯のある声が出せていれば出来る。
そうでないと喉にいってしまう。その軽さを徹底的に覚える。
また、クレッシェンドをもっとしっかりやる。息の流れを感じる。
強くしようと力むよりは、もっと自然にただ息の流れを〈感じる〉だけ。
その感じで「イエスタデイ・ワンスモア」をハミングでやったがむずかしい。
重くなる。弱く出すときは、丹田やら背中を相当に使わないと出ない。
身体の支えを滅茶苦茶意識して、胸や喉辺りはなにもしない。
今日最後に一回だけそれを意識して出せた。
まずはそれを百発百中にする。
ここが我慢のときなので、楽な方に行かず頑張って身体を使って弱く出せるようにする。(KA)
○歌う時は「目」が大事。
後頭部と眉間にも目がついている感じ。
「目」の奥で「呼吸」している感じ。
ma〜mの子音を使って音を飛ばす。
あくびのとこにひっかける。
息の準備は大切
匂いを嗅ぐように奥までいれる。
鼻からたっぷり吸う息
横隔膜がおりてくるイメージ
重心も下りてくる
息の準備とアクビの所へのひっかけが大事。(NI)
○良い呼吸をするために、甲状軟骨を下に引き下げる必要がある。下げようと意識して下げると、体に余計な力が入るため、口をできるだけ大きくあけてみる。(特にあごの奥の方がひらくように。耳の下あたりやうなじ辺りの筋肉が動くくらい)
この状態で、息をはききって体をゆるめてみたり(普段よりも自然に空気が体に入ってくるはず)、母音で歌ってみる。
自分の手であごなどの骨を触ってみたりすると、動かす感覚をつかみやすくなる。
課題:筋肉や骨の動かす感覚をもっと鋭く感じるようにする。体をもっと柔軟に動か
せるようにする。(AK)
○疲れてる時は練習しない。無理にやると変なクセがつく。
そういう時は寝るに限る。音を聞いているだけでも、声帯が反応する。
(声の強弱)強くするというより、アクセントの部分は置くという意識で。
音を囲っている。もっと発散する。(囲うと声の天井が低くなる)
声を前に押さない。頑張ったらダメ。
聞く側としては前に出てる声を聴きたいが、歌う側は体が後ろに下がる感じで。
音階は流れで出す。
声の天辺とお腹の下の両端を引っ張る感じで力(意識)を入れる。
声は前に出したら終わり。上と下に出す感じ。
下がる時しっかり保つ。体で支える。声でどうこうしたらダメ。
ファ♯からはジラーレ。
音が上がるにつれ、口を開けない。(キューゾ)もっと閉じる意識を。
そのポイントだけどうこうしたらダメ。その前から。
口の大きさを変えない。
上手くできてる時は体全体が使えてる。
ミックスだと今までの高音域が中音域に感じる。
体全体を使うというイメージを初めて体現出来た。
少しコツというか感覚をつかめた感じ。
今日少し掴めた感覚を忘れないように、体になじませていきたいです。(NZ)
○1. 唇ブルブル で腹式呼吸のチェック
(ドミド↑ソシソ↓ドミド)半音ずつ
2. 舌ブルブル
(ドミド↑ソシソ↓ドミド)半音ずつ
3. (a)ハミング
(ドレミド↑ミファソミ↓ドレミド)半音ずつ
(b)「な」で発声(ドレミファソファミレド↑オクターブ上ドレミファソファミレド↓ドレミファソファミレド)
ラシドレミレドシラ(高い音)で、ミから下がってくる時に、音が引いちゃっている
感じがするので、声は前に出しっぱなしで 。
(c)「う」でcres. → dim.
(ラ♯ソファ♯ミレドシラ♯ソファ♯ミレド)発声はラのままで
すごく響きが良いので、もう少し前に出るといいですね。
細く、前と上に。cres.して強くなっていくうちに、太くならないように。
(d) ハッハッハッ
(ドミソミド↑オクターブ上レ♯ソラ♯ソレ♯↓ド 〜 ド)
力を抜いて、笑顔で(口角上げて)。お腹に軽くポンポンと力を入れて。細く。
4. トスティNo.9
「う」で一回伴奏と合わせて通して歌う。
止まりながら、リズムチェックしながら。
通して「う」で歌う。(NR)
○1. 唇ブルブル で腹式呼吸のチェック
(ドミド↑ファラファ↓ドミド)半音ずつ
非常にやりづらく何度もつっかえた。最近、練習を怠っているせいかも。 また、スタジオ練習での発声を頻繁に開始しよう!
2. 舌ブルブル
(ドミド↑ファラファ↓ドミド)半音ずつ
3. (a)ハミング
(ドレミド↑ファソラファ↓ドレミド)半音ずつ
(b) んーなーんーなーんー 一音ずつ
(口閉)(開)(閉)(開)(閉)
笑顔で。ちょっと横に口を開きすぎかな。縦にして、細く響かせる。
(c) 「な」で発声(ドレミファソファミレド↑オクターブ上レミファソラソファミレドレミファソファミレド)
(d) 「う」でcres. → dim. (ラソファミレドシラソファミレド)発声はラのままで
すごくいいところにいっているので、(前だけでなく)上にも響かせて。
(ラ♯ 〜 ラ♯)→(シ 〜 シ)→(ド 〜 ド)→(ド♯ 〜 ド♯)
4. トスティNo.9 (2回目)
□「う」で一回通して歌う
だいたい良く歌ってますね。若干、息を吹きすぎちゃっている(無駄な息になっている)のが気になるので、気を付けて。
□ 止まりながら「う」で歌う
伸ばす音は、母音を何回か言うと停滞感がなくなります。
21 小節目のラは、もうちょっと高い音です。
20 〜 21は、難しい箇所ですが、練習すれば大丈夫でしょう。(NR)
○息の練習 感じた事
かなりの意識をしないと胸(肋骨の下あたり)にも息が入ってしまう
強弱をつけるにはかなりお腹を使う。今までも意識してきた事だが、勢いでこなしていて、そこまでお腹を使えていなかった事がよくわかった。丹田をもっと使っていかないと。
単純なメニューだがお腹の前側にかなり負荷がかかっていた。力み過ぎかもしれないけど
一音目に声をぶつけない事。もっと丁寧に声を扱わないといけない。この意識を強くすると、声が広がり発音が不明瞭になる。あくまでも声はしっかり出す事
もの凄く難しい。強弱を息ではなく、喉(勢い)でコントロールしてしまう。
強弱があまりつかない
→<→<→<→ →の線を細く、<でメリハリをつけたいが、ベースの線が太い。
声をあまり前へ出そうとせず(前へ出そうとすると喉が上がっているのがよくわかる)後ろヘ引っ張っていく事。
息の練習と発声が別物になっているあくまで同じもの。(HY)
○息の練習、要点
1.腕を伸ばし人差し指を立て、それをろうそくの火と思い、そこへ向かって吐く。その時息が広がらない様に一点へ
2.息を吐く→→→まずは同じペースで吐けるだけ吐く。吐く時は丹田から。吸う時も丹田へ
<<<1の息を三等分に出す。<と<の間も息は切らさずにつなげる
丹田からハァッ、ハァッ、ハァッと強弱をつける。押すイメージ
発声要点
1.2の息のまま声にするアで
2.声を出す時ぶつけない事=飛行機が離陸する様に
3.↑を喉でコントロールしない事。あくまで息、息の延長で声にする(HY)
○もっと丁寧に声を扱う事。一音目に声を当てない。飛行機が離陸する様に出す
1息→2声帯→3響き
それぞれ別にならない様に
1.丹田でコントロール。吸う時も吐く時も。上(胸)の方に入らない様に
2.しっかりと声にする事。それは、息→声の流れを明確にするため。
声帯をひろげて息漏れしない様に
前ヘ出そうとし過ぎて喉がビリビリしない様に
3.鼻でとった響きのまま、うなじヘ声を当てる様に後ろヘ引く。響きを下げない
喉仏の位置をキープ。音が上がっても喉を上げない。むしろ下へ下へ。その時に響きを下げない事。地面を震わす様に(HY)
○「い」吸いながら出す。
口の中を前後にのびる感じにする。(横にのばすのじゃない)
のんではいけない、あくまでクリアに出す。
スタッカートが続いてる感じ、マッサージしながら出す。
下の歯に舌の先をつけて出す。
声帯を閉める為にはその周りの筋肉を使う。
はっきり「イ」と言うてるよりは「ひ」に近い感じ。
口笛を吹いている時の感覚に近い。
どの高さでもコントロールできるように掴んでゆく。
どうにもならない音はどうにもならない音。
ライブの時は自分のリミットを切ってから、出る。(NI)
○歯を閉じて奥歯が当たっている所に、息を通過させていく。
(頭部の中、目の奥を感じながらやる)
ポイント:舌が下の歯の前の方に自然についているように置く
「その息の通過」のまま「ズー」で音階練習
歯に音が共鳴するように
アゴは引く
「ズー」のイメージのまま摩擦を保ち続けて口を開けてやる。
ひっくりかえるスレスレのところでやってく。
「息が流れている」のを忘れないように練習。
開けてる時も閉じてる時のまんまのイメージでやる。
「口の中(奥)を息が通過して行くイメージが大切。
息の量と声の割合を変える。
息の量を多めにすると「やわらかい音色」になる。
私はどうも声が多くなる…
「大切なのは息を流していく事」
目の後ろを通過して流れていく。
「大切なのは深く吸う事」
よく支えられた声になる。
上がつまってくるのは、息がそこに流れるだけの力が備わってないから。
流して流して、そこへ声を乗せていく。
高い所は「奥歯を上に持ち上げる」イメージを持つ。
そして流す。
とにかく流すんだな。
イメージしてみようと思います。(NI)
○首の後ろがすっと伸びる感じで歌う。首を回しながら、息をはいてみる。
胸の位置を高くする。目線が下がりがちなので、なるべく上げるようにする。リラックスした状態で歌う。
まだ、腹背筋が使えていないので、息を吐く時にお腹が出るようにしてメトロノームをならしながら、息を吐いてみる。
気づいたこと:レッスンで歌うとき、そのフレーズのテンポを相当ゆっくりにしないと意識がついていかない。
課題:筋肉や骨の動かす感覚をもっと鋭く感じるようにすること。体を柔軟に動かせるようにする。あごをあける。(AK)
○いかに今まで喉から出してきたのか、雑に扱ってきたかがよくわかった。呼吸一つ、発声一つとってみても出来ていない。それを今まで勢いでごまかしてきたんだと思う。うなじヘ声を当てる感覚は全然わからなかった。喉仏を下げようとすると、響きだけが下がってしまう。あくまでハミングの時の鼻の響きのまま後ろヘ引く。今日見えたギャップを埋めていかないといけない。
それにはまず、息の練習をしっかりやって、それに声を乗せていく事。その時丁寧に声を出す事(HY)
■アーティスト論 #011-014
#011. JAMES BROWN
ブラックゴスペルのパッショネイトの裏にある、辛苦と差別の歴史を、
島国のわたし達がとうてい理解できるはずはない。
力強い声も、超人的な筋肉やリズム感も、その引き換えに神様が与えたのかもしれない。
ホントに深い悲しみや苦しみというものは、「聖者の行進」のように、
お葬式の内容でさえ、軽妙さとリズミカルさを生みだす。
教会を生活の一部とし、賛美歌で神様を思うことによって、
トランスレーション、麻薬のようにハイになれる彼らの歌を、
旅行みやげのまんじゅうみたいに扱っていいものか??
イエスさまを身近に感じることはできなくても、
何かしらの神を自分の中に感じて、感謝や生きる喜び、
尊敬を持って捧げることは多少なりとも可能かもしれない。
また海の向こうの文化を何かしら感じることが出来るかもしれない。
4つの時に両親が離婚、売春宿で大きくなる。
小麦粉の袋を衣服にして、不適切だと学校から帰されることもしばしばだった。
15歳、盗みのかどで3年の服役。父と掘建て小屋にいた幼少の頃、
林の中でひとりぼっちの時を過ごし、誰も何もしてくれない。
何事も自分で切り開くものだというのをからだで知っていたという。
JBのショーの観客はずっと昔から総立ちで踊りまくっていた。
ヨーロッパツアーで初めてディスコという箱を見た時も、
さして気にとめてなかったし、根付かないと思ったという。
彼はディスコミュージックは、あらゆる音楽のつまみ食いだと語った。
黒人の子どもがドロップアウトせず、学校を続けられるようなキャンペーンを、
大統領に働きかけ、自らラジオ局を買い取って行なった。
政治的発言で世間から虐げられた時代も経験。
命狙われるかもしれないのに、いまこれを歌うって使命感があったのか?挑まれると強くなれるのか?
本名の自分と、「James Brown」という2人の自分がいて、
その虚構のイメージに追いつくべくやってきた。
「James Brown」というもう1人の自分は、全くもって観客のものなのだという。
自分は決して“ジェームス・ブラウンさま”ではないと。
鏡の向こうのように俯瞰(ふかん)している。
ひとかどの人物やスターというものは、世の中に対して、
奉仕したいという願望を持っているものだ。
エンターティナーであり、政治的権力を握ることがなくても、
その思想や願いに確固たるものを持っている。
JBは運動神経バツグンだったらしく、
プロ野球選手やボクシングを目指していたようだ。
何より身軽で頭の回転が速かったんだろな。
あの魔法みたいな“WAO〜!”って野性的な雄叫び、丈夫なんやなぁ〜。
才能と引き換え、戦国武将のように、ヒトや世の中や多くの裏切りに会いながら、
満身創痍でまっすぐ進んできた。自分の王国も治めてきた。
そんな骨太のリーダーたちに社会はいつも支えられてきた。(pepo)
【俺はJBだ!ジェームスブラウン自叙伝】
#012. MISORA HIBARI
小さなひばりさんの体から、悲しみは涙と共に、喜びは笑顔と共に、
歌となって溢れ出してきます。
でも、その溢れ出す量が、今まで見たミュージシャンの中で
一番多いと言えばいいのでしょうか。いい言葉が見つかりません・・・。
そして、驚きや感動と同時に起こる拒絶感。
それがどこから来るのかというと、
たぶん“エンターティナーとしてのあまりの巧さ”と、
“感情表現の振り幅のあまりの大きさ”にあるような気がします。
“エンターティナーとしてのあまりの巧さ”については、
巧すぎて嫌味ったらしく感じるということです。
大人が何を喜ぶかを熟知していて、大人にとても可愛がられる子供がいますが、
それを第三者として見たときに感じる嫌悪感、それに近いような気がします。
その感情は、生理的な嫌悪感に加え、嫉妬等、
様々なものが混じっているのかもしれません。
“感情表現の振り幅のあまりの大きさ”については、
これが同じ人間かと思えるほど、感情表現がくるくる変わっていく点です。
涙を流して歌った直後に、輝くような笑顔で歌うとか、そういうところです。
そのギャップがふと信用できなくなり、恐ろしくなるのです。
無邪気で可愛く見えて抱きしめたくなったり、
母性を感じて抱きしめられたくなったり、そうかと思えば、ゾッとするような厳しさ、
怜悧さを感じて戸惑ったりと、感情的に振り回されてしまいます。
しかし、そのようなギャップや深みは、ある程度以上自分を高めた人は、
必ず持っているものだとも思います。実際に会った会ってないは別にして、
スポーツ界の偉人、経営者、ヤクザの親分など、
何か厳しいことをくぐり抜けてきた人に共通する私の印象は、
優しさ、冷たさ、甘さ、厳しさ、などがそれぞれ強烈で、
しばらく接していると、その人の人間性が分からなくなることです。
そこで考えるのは、人はいろんな苦労や経験を重ねていくと、
それぞれの感情が深く強くなっていくのだろうかということです。
ひばりさんのステージを嫌味ったらしく感じるのは、
私に苦労が足りないために、その感情の深さについて行けないからであって、
私がもっと様々な経験をして成熟した時には、もっとストレートに感動するか、
完全に拒絶するか、はっきりするということなのでしょうか。
どちらにしろ、自分の方向性を決めていく上で、美空ひばりさんの存在をしっかりと自分の中で整理しないといけなくなったように感じます。
でも、ここまで凄いものを見せられると、一体自分に何が出来るのかと投げ出したくなりますので、もう少し美空ひばりさんという歌手について考察していきたいと思います。(1019)
【美空ひばり「武道館ライブ」】
#013. EDITH PIAF
シャンソンの「アコーディオン弾き」、これはストーリー性に富んでいます。
「街の女の彼女はとても美人だった」から始まるように、
まず歌い手のスタンスは『語り手』として登場します。
歌というのは自分がなり切り歌うものと、こんな物語、こんな物語というように
第三者的に歌い上げるものがあります。これは、語り手から入ります。
歌が進むにつれ、ストーリーが進んで行きます。
彼女の彼氏はアコーディオン弾きだった
ふたりはとても楽しいときをすごす
しかし彼は兵隊にとられた
彼女は彼が帰る日を夢見る
結局、彼は死んでしまった
彼女は彼の演奏していたホールにふらふらといくと
そこでは別の人がアコーディオンを弾いていた
彼女はアコーディオンにあわせて踊る
蘇る想い出
アコーディオンの音
帰らない彼
蘇る想い出
アコーディオンの音
帰らない彼……
蘇る想い出
アコーディオンの音……
『止めて』と彼女は叫ぶ、音楽を止めてと…。
この『止めて』のとき、ピアフは頭を抱え、顔をゆがめて、叫んでいる。
歌詞のストーリーが進むのにしたがって、ピアフもまた、
どんどん『語り手』を離れ『彼女』に同化していっています。
自分のものにしているわけです。
そして『止めて』のとき、完全に『語り手』ではなく、
叫び声をあげる『彼女』になっているのです。
だから、アコーディオン弾きの歌ではなく、ピアフの歌なわけです。
この歌にまつわるエピソードを一つ。
来日の際、ミルバが『ピアフ』をテーマにとりあげました。
この『アコーディオン弾き』も歌った。でも、ほんの一部だけ。
『止めて』の前までをすべてインストゥルメンタルで演奏し、
そのときミルバは舞台にはいない。そして、ミルバは突然飛び出してくると『止めて』と叫び、以下を歌うという構成。
でも『止めて』とミルバが叫ぶと、ほとんどの客は笑った。
確かに、ミルバはいつも乗らない日本の客を喜ばすように、ユーモラスな行動をとっていた。
多くの客はこの『アコーディオン弾き』の歌詞を知らなかったかもしれない。
だけど、何かがひっかかった。
『もしピアフが、同じことをしたとしたら?』
私は、客は笑わなかった、笑えなかった気がした。
ピアフとミルバ、何が違うのか。
ミルバの歌とピアフの叫びはやはり、対極的なものかもしれない。
ミルバはうまい、疑いもなくうまい。
しかし、ピアフはこの歌で『止めて』を叫ぶとき、その体に鳥肌をたてている。
全身が苦しみにもだえている。臓器をひきしぼって生まれてきた声だ。
ピアフにはアコーディオン弾きの恋人はいなかった。それなのに、
なぜ、ピアフは『彼女』になりきれるのでしょうか?
まるで、ピアフの恋人がなくなったように…。
ステージで、その「止めて」の一言は、
なり切ったのではなく、なっているわけです。
ピアフは「俺の靴に足を入れてみろ」というところにまで入れているわけです。
ピアフ自身が叫び、呼びかけているのです。(K)
【VTR エディットピアフ「アコーディオン弾き」】
#014. DOMENICO MODUGNO
彼は「ヴォラーレ」を聞いて想像していた通りの人だった。
スケールの大きな感じの声に似つかわしいヒゲを生やした陽気なおじさん。
初めて画面を通してみた彼は、そんな表現がピッタリだった。
ステージやセットなどが、前に見たジャンニ・モランディのものと似ていたので、きっと同じ頃なのだろう。
この映像は、イタリアらしい陽気な感じと、遊びゴコロがあって見ていて面白い。
でも、やはり驚いてしまうのが、彼らの声のすごさだ。
話していると思ったらいつの間にか歌っていたり、
高音の部分になっても声が太いままなので、
ヘンにカッコつけて「歌をうたう」というのではなく、
自然に歌をうたっていると感じる。
しかも、メロディがきれいでスケールが大きいので、
聴いていて思わず感嘆の声が出てしまう。
ライブステージでは、彼の力強さと陽気さ、
そして大人のあたたかさのようなものが滲み出ていた。
個人的にも、彼のような太くてストレートな声質が好きだと感じた。(N)
【VTR 「ドメニコ・モドューニョ」ライブコンサート】