「感性を高めるためのヒント」
感性のレベルアップをしよう― 世界で初めて“感性理論”を完成―「福島流・感性の法則」
(7)感性を鈍らせる10の鬼門を避ける 仕事で磨く感性力のつけ方
○生命の働きをとり戻す
前章では、感性を磨くためにいろいろと述べてきたが、ここでは逆に、鈍らせないようにすることを考えてみたい。感性の低下するときは、どんなときだろう。たとえば、次のような状態のとき感性は鈍くなる。
1.集中不能のとき。感性には、ものごとを統合して捉えようとする働きがあるため、強い集中力を必要とする。そのため、疲れているとき、集中できないときは、感性は鈍る。だから、どうしても集中できないときは、ゆっくりと休んで、体力、集中力を回復させることだ。
2.ひねくれているとき、過度のコンプレックスをもっているとき、世の中を斜にみているようなとき。こういうときは、感性はうまく働かない。素直になり、自分に自信をもつことだ。
3.行動にうつらないとき、失敗を恐れるとき、興味をもてないとき。これは、理性、知識、情報にとらわれているときに起こりがちであるが、考えるほど、頭だけが働き、疑いや迷いばかりをつくる。
これらの状態のときは、思考を中止して一歩、感性を深め、「勘」が働くまで待ちたい。それは、もっと大きな無の境地での力を利用するといってもよい。
寺の修行なども、山へ入り(入山)、とことん感性を研ぎ澄ませるためにする。早く起き、庭や境内を掃き清め、質素な精進料理を食するのは、節制のなかで勤めることで、五感の力をとり戻すためである。鳥のさえずりを聞き、風を頬に受け、生命体である人間としての存在に戻るのである。
日常レベルでは、森林浴など、意図的に自然に触れる方法もある。あるいは禅、瞑想、呼吸法のように半眼で息を数え、自分のリズムを呼吸でとり戻すような方法もよい。
☆頭を切り、体で動いてみよう。欲を切ると、感性が働く。
57 仕事の慣れにナイフをつきつけよ
仕事で求められることは、時代や体制において、また、それにとり組む人の態度や考え方によって常に変わる。しかし、現場での仕事において、それが生きがよくなったり悪くなったりするのは、かなりの部分、担当者の手腕、感性によることが多い。
入社した当初、仕事は誰でも不慣れゆえに新鮮であったはずだ。初めて仕事をやったときには、初めて接するものに対し、感性はそれなりに発揮されていただろう。それは、これまでと違う状況におかれ、新しいことをやるために、情報をとり込み、うまくこなすのに、感性が全開になろうとしていたからである。こういうときの一日は、長いものである。
やがて、仕事には少しずつ慣れていく。しかし、慣れるにつれ、マンネリになってはいないだろうか。あっというまに日々が過ぎていっていないだろうか。
何事も、そこから充分におもしろさをひき出すためには、より感性を働かせる努力をする必要がある。今もそうし続けているかが、問題だ。そうでなければ、それは仕事とともにあなた自身の感性をだめにしているということだ。すると仕事は凡庸なものになり、必ず大きなトラブルを招くようになる。
何事も慣れてくるのは悪いことではない。しかし、それは、より高く目標を設け、それに近づこうとするためでなくてはならない。生計のために働くのはよい。しかし、生計が立ったら、それでよいと割り切ってしまうと、仕事を通して得られるものは、お金以上のものにはならない。そう考えるのなら、その程度に、仕事も感性もおとしめていることになる。
たとえば、手際よく早くやるのは、余った時間をよりうまく生かすためである。もっと深いレベルで仕事をやれるように、自分を高めるためである。仕事のマンネリでなく、あなたの感性のマンネリ化を恐れることだ。
仮に自らの目的や目標をしっかりと高くもち、成長していこうとしていたら、慣れることなどはありえない。マンネリに陥りそうなときは、次のように考えよう。
1.もっと短い時間に、やれないか
2.もっとたくさん、やれないか
3.もっとうまく、やれないか
百メートル選手や重量あげの選手は、給与ももらわずに、たんたんと毎日トレーニングをこなしている。その苦しさを、あなたより楽しんでいる。人間は、流した汗の分だけ、かけた手間の分だけ楽しめるようになっている。
会社のためにこきつかわれるのは嫌だなどという人は、感性が鈍いだけだ。そのような待遇に甘んじているのは、現にあなた自身の感性の怠慢からかもしれない。同じところで楽しんでいる人もいる。それを通して得られる楽しみを感じ、苦労さえも楽しめてしまうのが、感性であろう。
あなたは、仕事で生計を得ている。ならば、プロである。アマチュアのスポーツ選手に、心構えで負けてよいはずがない。
与えられた仕事をこなすだけではなく、それに必ず+α、自分しかできない何かを加えようではないか。関係者も感動するくらい、あるいはあきれるくらい、仕事に思い入れ、やってみよう。全身全霊、体ごとぶつかっていかなくては、本当に楽しいことなど得られない。やれといわれたことしかやらないから、つまらない。いわれないことまで含めてやってみればよい。そこからはじめて、自分の仕事となる。
☆答を出しているだけの仕事を、感性で問いをつくるレベルにまであげること。
58 週二回以上、同じ人と飲みに行くな
アルコールが感性を鈍らせるとはいわないが、いつも同じ同僚とのぐちづきあいで、ハシゴ酒(ヤタイ酒)が二、三日に一度、あなたのサラリーマン人生の必須コースになっているのであれば、それはここらでストップしよう。これは、お昼下がりのお茶飲み話のオバさんも同じだ。
他人の悪口や思惑に巻き込まれ、むなしい対決シミュレーションでくだを巻いていると、絵に描いたような、しがない人生になる。特に始末が悪いのは、同僚とスクラムを組んで、共に足を組んで抜け出せないようになっている場合である。それは、現実逃れとしては楽な方法だが、自分が自分たることから目をそむけてはいけない。他人の行動にひきづられてよいわけではない。
ことに、同じところで働いていたり暮らしたりする人を、ないがしろにするのはよくない。それは人間関係の基本だ。また、お互いがよくないと思いつつ、どちらかのレベルダウンした状態に、もう一方が合わせていく態度は、もっとよくない。さらに、よくなくなってしまうからだ。
例えれば、それはスポーツのクラブのトレーニングでその日の一番、疲れやすい人、体調の悪い人にいつも合わせて、休んでばかりいるようなものだ。それでは、楽でも、その分、むなしくなってくる。むなしくさえならないように慣らされてしまっているなら、もっと重症である。
同じ人生、同じ毎日をもっとすばらしく生きる方法はたくさんある。すべて、あなたの関わり方しだいである。感性での開き方、感じ方しだいである。まずは、全力でとりくむこと、それに尽きる。
同僚とでも、その気になれば今日は映画、明日は芝居と、動けるはずだ。自分の欲に忠実に行動する貪欲なOLやオバさんに見習うべきところも多々、あろう。女性誌を読んでみよう。感性が、ちょっとは変わるだろう。とにかく感性を刺激する毎日に切りかえることだ。そのために、つきあう相手や場所と時間割を変えるのは、もっとも早い方法だ。
☆感性を刺激する環境をつくろう。場、時間、人を変えよう。
59 のらないときは、そのまま仕事をするな
だらだらとした仕事も同じように、続けるのはタブーである。自らのもつ生命力を押し込めてしまい、パワーや可能性を小さくしてしまう。活き活きした気持ちや表情が、くもってきたら、要注意だ。そういうときは、窓を開けたりトイレにいったり、ちょっとした気分転換を意図的にとり入れよう。
感性が鈍くなった状態での仕事は、思い切って中断することだ。そして、短時間でできるだけ思いっきり気晴らしをしよう。仕事の体制上、難しいこともあるだろうが、その制限下で最大の努力をしてみよう。伸びをしたり、深呼吸したりするだけでも、だいぶ違ってくるはずだ。こういうときを、瞑想タイムにしよう。
つまり、自分の感性がおのずと状況を変える力(状況打破力)に働くようにしておくことである。仕事の忙しさに流されないことだ。スポーツでは、「あ、まずい」と思った状態でそのままにしていると、ズルズルと負けてしまう。そういうときは、タイムアウトをとり、気を入れ直すだろう。この切り換えが肝心である。
一服、というのも、感性の切りかえの方法である。それはタバコよりは、お茶やコーヒーといきたいものだ。
五感を直接、刺激するのもよい。
1.味や触感 ガム、仁丹。
2.鍼、ツボを押さえよう。指圧もよい。裸足で青竹を踏もう。
3.手足をもみほぐそう。マッサージしよう。
4.おしぼりや湯のみのように熱いものや冷たいものを額や頬にあてる。
このように、体から直接、刺激して、感性を目覚めさせることがもっとも効果的だ。
☆仕事もタイムアウトをとり、感性に息を吹き込もう。
60 会議には、議題以外に三つの課題をもて
仕事では、言われたこと、すべきことをするのは、あたりまえである。それ以上のことをして、自分の仕事をしたという。それは大変なことだが、そこまでやってはじめて、本当のおもしろいさがわかるし、感性も磨かれてくる。
どうせ仕事とはしなくてはいけないものであり、人生の大きな部分を占めるのだから、ないがしろにしてよいはずがない。いや、もっとも楽しむべきことである。これは、楽しいことをやるのでなく、楽しく感じるようにしてやっていくということだ。
それには、何よりも、仕事のなかで自分を充実させようとすればよい。すると、そのことで食べていける幸せがわかる。その心もちが、仕事を生かし、仕事のなかの自分を生かし、そして自分の人生を生かすからである。まずは、高い目標、志をもつことだ。そうしたら、感性が働き助けてくれる。
感性は、仕事でこそ、磨かれるともいえるのである。なぜなら、仕事は人間関係をベースに、何かを人に与えることで成り立つ。感じることから感じさせることをやっているわけだ。そのなかで、感性の発現した力、予知力、直観力、創出力、表現力と、すべての力が問われる。それは、仕事とは、多くの人に関わっていくことだからだ。特に実際に行動し結果を出していくプロセスを持続していくということでは、感性を磨く試練の場となる。
仕事に忙殺され、感性など働かない、感性を活かしたら仕事などやってられないと多くの人は思うようだが、それは逆である。そこで働かなくて何が感性であろうか。たとえそれが逆境のように思えても、だからこそ、感性は磨かれていく。要は、心のもちようである。アーティスト、芸術家のやっていることも、仕事というではないか。会社の仕事には目標があるから、感性をただ高めていくのは、案外と、たやすいといえる。そこで、ただ自分自身の目標をもつことは難しいのである。しかし、自分で高めていくという目標をもたないと、仕事が本当の意味で感性発揮のツールにならないのだ。つまり、自分の仕事という自覚がなくて、人様の仕事では、自分の生命力と結びつきにくいからである。そうなれば、感性がありすぎて困ることにはならない。こういうときは、形から入るのも一手である。
たとえば、自動的にノルマを二倍にする。「週に一日やりなさい」と言われたことは週二回、十回と言われたら二十回、一週間でといわれたら三日でやると決める。会議があるとすれば、他の人の三倍のアイデアや企画を考え、レポートする。報告書はギッシリと埋めて持っていこう。こうして、パワーアップを期し挑戦するのである。
そのパワーを得るためには、一つのことをやりながら、現在、過去、未来の三次元から、いろんなことを考えてみる必要がある。どんな分野でも、プロから一流になった人は、皆そうしている。つまり二〇〇パーセント(無理なら一二〇パーセント)の実力アップを目標にスタートする。
絶対無理と言うなかれ、世の中にはそれ以上のことをやっている人はいくらでもいる。それを考えるために頭がある。頭を使うとは、こういうことだ。そこで頭だけ使っていては、うまく活かないとなると、はじめて感性が助けてくれるようになる。そして、その必要性に絶えず悩まされているうちに、感性を扱えるようになる。そう、これが、もっとも自分の力を早くつける方法である。
力がつかないと何ごとも楽しめないのは、いつでもどこでも同じことである。この、あたりまえのことをしっかりと捉えておくことだ。ただ、たまに、ある時代、あるところに、力がないのに恵まれた待遇にいる人もいるだけだ。それは楽なことであっても、決して幸せなことではない。また、長く続かない。
どんなにお金があっても時間があっても、感性が鈍ければ人生はつまらない。
一所懸命やらないと、感性はうまく働かない。だから、余計つまらなくなる。この悪循環を切ることである。つまり、一所懸命、一所に命を懸けることが、感性の働かせ方である。あなたの一所とは、まずは会社からだと思うから、一所懸命、自分の仕事をしよう。
☆閑職の人のブルーマウンテンより、一所懸命の仕事の後の百五十円コーヒーの方がうまい。
61 取引先への対応力が新情報を入手する
情報交換一つにも私は、その人の感性のあるなしは、はっきりと出るように思う。つまり、同じ一時間の打ち合わせでも、とても密度の濃い情報交換をしたり、潤った時を過ごせる人もいるし、そうでない人もいる。
よい情報は、誰もが欲しがっている。しかし、それを得るには、それなりの情報をたくさん相手に与えなくてはなるまい。その結果、おいしい情報をたくさんもらい、しかも相手を楽しませて好印象で帰ることができる。とはいえ、全く逆に、相手の時間だけ奪って、会って損したと思わせてしまう人もたくさんいる。取材一つでも同じだ。
私も多くの人に会うが、プロフィルや本一冊読めばわかることを、長い時間かけて少しずつ聞かれるのは、いたぶりのように苦痛である。それは、相手にも読者の人にとっても、ほとんど無駄で益のないことに思えるからだ。
人と会うのは、誰と会うにしても、それは一つのステージである。それなりに準備し、心構えをもって、一期一会の気構えで望むことだろう。面談の楽しみ方を芸にまですべきだと思う。相手の時間や手間に対する敬意や配慮のないところに、どんな仕事も人間関係も成り立ちようがない。
一つの機会をきちんと捉えて、相手を楽しませたり喜ばせようとして行動している人は、それ以上のものを得られるし、当然、よい仕事に恵まれていく。よい人に恵まれるからだ。ところが多くの人は、せっかく新しい人と知り合えたチャンスを、それ以上のものにしようとしないから、そこで終わる。準備もフォローもなく、その一日は、日没とともに消えていく。もったいないことである。
☆一期一会、会ってよかったと思い、印象に残るようにふるまおう。
62 電話の受け応えも、ドラマの役者になりきってみよう
いつでも誰にでも同じように対応している人がいるが、これは、見た目にもつまらないし、本人もおもしろくないに違いない。まあ、こんなことでおもしろくしたいとは思ってもいないのであろうが、人に対するときくらい楽しまなくては、人生のほとんどの財宝を見逃しているようなものだ。一人ひとり違う人間に対して、そのおもしろさを全く感じずに接するのは、感性を生かしていないといえよう。
ファーストフードの店員の受け答えは決まっている。無難であろうとして、決まり文句とつくり笑いで片づけるがゆえ、感性は働く余地もない。それでもその人なりに、スマイルやことば遣いに心がこもっていると、やはりいい気持ちになる。それは、育ちや性格のよさなのかとも思う。
相手によっても、その日、その時の気分によっても、対応は違ってよい。いや、違うべきであろう。たとえ電話であっても、相手の年齢や職業くらい推察し、声のトーンやテンポをよく聞き、その相手が受け入れやすいように、もっと自分を柔軟に変えて話したいものだ。
そこで、あなたも今日から感性中心での応対を志してみよう。相手がいったい何を望んでかけてきたのかを感じとり、できるだけそれに応えよう。特に、何かに困って頼みにきたような場合には、しっかりと話を聴いて相手の立場や気持ちになるところから考えよう。
電話のとり継ぎ一つでも、その日、生きている世界で、たった二人のオンライン上でのリアルタイムのめぐりあいだ。離れているのに、こんなに身近に声が聞こえるなんて、どんなにファンタスティックなことかと素直に驚こうではないか。映画なら、そこからストーリーも始まるだろう。ラブロマンスになるかミステリーになるか、そこで最大限、楽しんでみよう。横断歩道での出会いでも役者ならドラマのクライマックスかもしれない。あなたは、現実でやっているのなら、もっとドラマチックでよいはずだ。人生が、ドラマチックにならないのは、それを感じないからだ。感じられたら、その日からあなたはスターになれる。
☆元気になりたければ、元気に応対すればよい。感性は、感性を巻き込み感化する。
63 持ちものや身のまわりをリニュアルしよう
感性のよさは、着るもの、持ちものにも表われる。自分のことを知り、人にもよりよく自分をみせ、うまく働きかけようとしたら、着るものや持ちものにも、それなりのこだわりが出てくるからである。もちろん、感性が磨かれていないと、どんなにお金をかけてブランドをまとっても、似つかわしくない。日本人のブランド好きは、自分を見ないでまとっているから、哄笑されている。よいものに触れる経験も大切だが、分をわきまえないと空回りする。食べものや、嗜好品などの好みも同じだ。
感性は、ただお金をかければよいわけではない。皆が黒づくめだからと黒を選べばよいのではない。何をどう自分に合わせればよくみえるのかを、自ら感じていなくては、サマにならないのである。
雑誌をみるだけでなく、ブティックへ行って研究する。それに懲りず、一から自分自身で服やアクセサリーをつくるくらいであってもよい。つまり、買ったものをただ着るのでなく、自分の感性でコーディネイトする感覚が必要なのだ。
スーツがかぶさったような新入社員や、ブランドがひっかかっているOLをみてもわかるように、生半可なファッションは、ちぐはぐしてフィットしない。誰にでも合うものはないし、どんなに流行していても、誰もがそれを身につけたらよいといったものではないからだ。
ファッションや化粧などは、自分を知って自分にコーディネートさせるのだから、まさにその人の感性の表われといえる。それは自分を人生にどう演出しようかという姿勢に通じる。だから、すぐれた感性の人は、自分の魅力のひきたて方や、勝負どころを知っている。その上で、TOをわきまえて演出するのだ。だから、感性のよい人は、いつも身にまとうものを似合ったものにしてしまう。
自分をよくみせるのは、単に自分の自己満足ではなく、相手を楽しませ、感じやすくするためである。誰でも、暗くて汚いあなたでなく、明るく輝いているあなたをみたいと思っている。そういうあなたといると、元気になるからだ。
こと、ビジネスにおいては、自分の好き嫌いだけでなく、相手の好感度、つまり時代やビジネスへの感度も問われる。公けの重要な場にカジュアルでは、どんなにフィットしていても、感覚や常識を疑われる。
靴や靴下がスーツとフィットしていないなら、それで平気でいられるくらいに感性がない、とみられても仕方がない。あえて服装などにこだわらないと通してきた人も、今日は鏡と親しもう。
☆誰でも明るく輝くあなたがみたい。ファッションには、お金をかけるのでなく、心をかける、感性をかける。
64 上司・部下のふるまいをまねして脱する
子供が知らずと親に似るのと同じく、サラリーマンは上司やトップのふるまいに、影響を受けやすいものである。最初についた上司は大切といわれるのもゆえんである。つまり、入社の時期の上司のふるまいや考え方が、社会人として生まれようとする柔らかい頭のあなたに刷り込みとなり、その生まれ育ちに入ってしまうからである。しかし、これは自分で気づくことによって、直していくことができる。小さい頃の親やまわりの影響よりは、ずっとわかりやすいからだ。
一方で、上司のやり方を嫌って、全く上司を省みない人もいる。これも問題だ。よいところをみつけて最大限、見習うようにした上で、あとは反面教師とすればよい。世の中には、その立場やその年齢にならないとわからないこともたくさんある。今の自分ですべてを判断したり、見切るのは、頭の悪い使い方である。どんな人からもたくさん何かを学んで、自分のものとしていける力を才能という。人から学ぶ力が感性を開き、自分を変えていける力となる。
それにしても、日本人というのはどうもまわりの風評のまま、動かされやすい国民である。自分で確かめもせずに相手をこういう人だと決めつけ、特定の人を避けてしまうことも多い。あなたもそうしてはいないだろうか。あなたのまわりにもそんな人はいないだろうか。
まずは、きちんと事実をみることだ。そして、その人のよいところをみつけ、そこを見習うようにすればよいではないか。自分がまだ感じられない相手のとりえであっても、感じようとして、その人をみるのが感性のある人であろう。
尊敬できる人にも、尊敬できないところがみつかるかもしれない。だからといって、それはあなたではないのだから、あなたはよいところをとり入れたらよい。その逆に、どうしようもない人にも、すばらしいところがあるかもしれない。それをあなただけがみつけることができたら、大変にすばらしいことだ。ところが、頭からこういう人だと決めてかかると、そういうことさえ感じられなくなる。事実をみても、思い込みで曲げて解釈してしまう。
どんな人でも、すべてをまねようとしてはいけない。絶対にあなたとは違う人なのだから、あなたはその人に入って自分をみて、そして自分をよりよく変えていくべきだ。それが感性での人格向上法であり、同時に処世術ともいえる。
☆どこからも、どんな人からもたくさん学べる力をつける、感じとる力をもつ。
65 声をよくしよう〜音声伝達力を高める
私は、ライフワークとして、ヴォイスコミュニケーションに興味をもち研究をしてきた。声というのは、ことばという論理よりも強くストレートに人に働きかける。音声というのは、ビジネスに限らず、コミュニケーションにおいて大変に重要な役割を荷なっているものといってもよい。
欧米では、ビジネスマンは、自分の声について、相手に及ぼす効果とその使い方をよく知って使っている。それは、ハロー一つでも、声のニュアンスで意味を変えるほどに感性を伴って使われている。「フリーズ」という一言が聞きとれないだけで、殺されても文句が言えない国では、音声は武器であり、最大の防御法だからだ。
しかし、日本では、これだけAV機器の普及した現状において、まだ自分の声の変なことにびっくりするというほど、声の後進国である。声での表現力の乏しさという弱点を克服しようとせず、ハイテクに頼り、どんな声でもよく聞こえるカラオケなどというのを発明した。歌のへたなのや声の魅力の乏しいのを直そうとせず、エコーで隠してしまったわけだ。日本語は、音数からみると、一〇八しかない。他の外国語のもつ何千もの音から比べると、とても乏しいため、耳が磨かれない。さらに、日本ではもともと音声での強い自己表現というのは好まれてこなかった。島国で、同じ言語のほぼ同一民族ゆえ、音声でやりとりするコミュニケーションの必要性が、さほどなかったからだ。そこで、以心伝心や読み書きによって伝えることはたけても、とっさに自分独自の考えを人前で音声で効果的に伝えることのトレーニングは、諸外国と比べると、全くといってよいほどなされてこなかった。
そのために、自分のことばをもてない政治家が、こんなに多い国は他にないはずだ。メモなしに討論やスピーチさえできないという低レベルだ。まして、ジェスチャーや声のトーンをはじめとしたノンバーバルなコミュニケーション(ボディランゲージなども含む)における表現能力は、あまりにおそまつだ。首脳会議などで、我国の政治家は、何ともみすぼらしく映るのは、残念である。外国語学習がうまくいかないのも、音声の世界が成立していないためである。
人は声の表情、トーンやテンポ、そのニュアンスから、ことば以上の情報を伝えようとし、それによって本音をよみとっている。つまり、感性で真意を見抜いているのだ。たくさんのことを立板に水のように話しても、全く印象にも残らず好感をもたれない人と、一言ぽつりといっただけで、皆が一目おいてしまう人がいる。これは、その人の感性の違いでもある。
「あなたの声が聞けたら幸せ」という仲のよい恋人や親子の間では、ことばの内容そのものは、あまり意味をもたない。お互いの声のニュアンスで安心したり、心配したりということになる。「声が聞けてよかった」とか「声で具合がよくないのでないかと思った」などということになる。
音声は、空間に広がり、相手の感性を刺激する。音の共鳴が、心の共鳴をひきおこす。要は、そういうことに鋭くなることが、より深いコミュニケーションを可能とするということだ。さあ、今日からスピーチのトレーニングをしよう。
☆自分の声を聞いてみよう。あなたの元気な声が、人に元気を与える。
66 聞くことにたける
ことばよりも声、声そのものよりもその人のなかにある感情を読み取らずして、正しくコミュニケーションはできないものだ。本音をつかめないと何事もうまくいかない。相手の腹を読む、これが感性の働きである。
声が小さいとか聞こえにくいことを気にする人は多いが、それは伝えるもの(内容)や伝えたい意志(必要性)がないことが大半である。話が聞きとりにくいのは、本人があまり話したくないことを話さなくてはいけないときや、ショックなことのあとなどに起こりやすいことでもわかる。実際、ショックで声が出なくなることもある。感性で捉えたことは、声にも表われるのである。
だからといって、口上手、ペラペラ話すのは決してほめられたものではない。
人は間(ポーズ)に相手の言ったことを反すうして、心に入れていく。立て板に水のしゃべり方では、右の耳から入ったことばも左の耳から出て、心に残らない。つまり、うまく話すには、相手がどのように自分の話を受けとめているかを感じながら話さなくてはいけない。耳に届いても左から右に抜け、心に届かないのでは、どうしようもない。
頭のよいだけの人は、一人勝手にしゃべりまくり、理解されないどころか、せっかくのよいことも、うるさがられる。それに対し、感性のよい人は、相手の反応にことばをつなげていくといえよう。それは、しゃべることでなく、伝えること、相手を動かすことが目的であることを知っているからである。
何かをしっかりと伝えるには、まず相手の身になり、相手の話を聞くことを中心にすることが、コツである。話し出すまえに、こちらが一所懸命に聞くことで、相手も聞きたくなる状況をつくってから話すのが、感性の豊かな人である。落語でも、名人となると間が冴える。話(噺)の出だしのまえの一呼吸のおき方がうまい。
話し方、聞き方についてまとめると、一方的に話すのは、どんなに論理的でも理屈が通っていてもことばの羅列になり、共感作用をもたらさない。感性のもつ包括力は、共感をもたらすことばをとり出し、さらに共感を紡いでいく作用をするものだからである。つまり、話上手より、聴き上手が感性のある人といえる。
だから、感性のよい人の話し方は、間をとることがとてもうまい。一見、話を中断したようであっても、間をおくと、相手はそこまでの話をまとめ、自分のイメージをふくらまし、次の話を、予想して聞こうと動くことができる。相手の感性が働きやすくなる。だから、やりとりされたことばの数とは全く質の違う、緻密なコミュニケーションが成り立つ。
初めての会う人とは、ことばにつまるが、親密な恋人にはことばがいらないのも、そのためである。おたがいに、心で深く感じあっているからである。そうでないときには、ことばが多用される傾向がある。それは、そのカップルや夫婦の危機である。
ビジネスも、コミュニケーションをよくすることにおいては、これと異なるものではない。相手の話をよく聴き、一つひとつしっかりと掘り下げることによって、はじめて相手も胸キンを開いていく。そして、他の人には聞けない情報などをもらえるわけである。
つまり、コミュニケーションは、ことばの数でなく、ことばにのってくるニュアンスでとる。話は時間でなく、声の表情のやりとりで決まるということだ。
☆すぐれた感性をもつ人は、聴き上手である。