「感性を高めるためのヒント」
感性のレベルアップをしよう― 世界で初めて“感性理論”を完成―「福島流・感性の法則」
(8)日常のなかで、感性を身につけよう
67 一日、一句をつくろう
俳句は、五七五のことばのなかに、世界を読み込む。これほど、作品としてその人の感性の鋭さを象徴しているものはないだろう。誰でもとりくめる日本語の十七音の組みあわせだから、表現の技術はさほど複雑なものではない。つまり、初心者であっても、感性の違いが出やすいといえるからこそ、趣味の王様となるだろう。
私の感性マップでいえば、俳句には、すべての要素が入っている。まさに大自然から宇宙まで、感じたものをことばに組み立て、一つの世界をつくり上げるわけだからだ。宇宙と一つになって、ともに生かされていることから、句が心に入り、感性を動かすようになる。
ことば1行の奥ゆきと深さを味わうには、事象から事実をいかに豊かに感じとるかである。
いつも、「どうして」「なぜこうなるのか」という疑問を大切にすればよい。そして、生きていることの営みを自分で意識しよう。
素朴な疑問を大切にし、確認するために行動をしよう。そこに、感動移入することにより、想像力が働き、創造がなされるきっかけとなる。漠然とした感じでは何も思い浮かばないし、生み出せない。
何かにたとえて説明しようとしたり、相手を納得させるには、どこかで考え、ことばを選ぶ必要がある。その手がかりを求めるように気持ちを働かせることが大切である。俳句や短歌は、自分のを詠むのも人のを読むのも、まさに感性のトレーニングとなる。
そこにさらに絵心をもって、スケッチでも加えれば最高である。最近は、自分でつくる絵ハガキが流行している。手軽に楽しめる水彩絵の具(ペンシル)や、パステルなども、よく売れているそうだ。そこに一句、筆で入れてみよう。
それを、他の人に送ろう。毎日、一通、書くとよい。一筆箋でもメールにしてもよい。
俳句や詩はちょっと古いという人は、コピーをつくり、写真を撮るというのでもよい。
CMなどでの気のきいたキャッチフレーズをコピーという。コピーは、身近にある環境をつき放し、切り取り対象化して商品の特性を際立たせて示す。その切り口をコンセプトという。それは、新たな世界像を示し、人々の心に働きかけるものとなる。 すぐれたコピーを音読したり、書き写してみよう。
☆俳句は、感性の固まり、余白を解釈する。
68 就寝まえに感性日記をつけよう
日記をつけよう。ただし、それは一日の行動を記録するのではなく、感じたことを中心に書くようにする。いわば、感性日記である。めんどうな人は、手帳に一日、二、三行、書くところからスタートしてもよい。
そこには、現実に起きたことだけでなく、起きて欲しいことも書こう。自分の望む未来をそこに書き込んでいくことだ。
加えて、現実の問題も書いておこう。そして最後に、今日気づいたことをまとめて、感謝のことばでしめくくるとよい。すると、よく眠れるようになる。
眠っていても、感性は働いている。だから、どんなこともよい方に考え、そして感謝して、眠りにつく態度が大切だ。すると、さらに安らかに熟睡でき、目覚めも、さわやかになる。
感性日記には、次の3つのことを入れておこう。
1.今日、感じたこと、気づいたこと、発見したことと感謝
「○○、よかった」
「○○、うれしかった」
「○○、ありがとう」
2.将来(できたら いつかも記入する)に起きて欲しいこと
3.すごいこと、おもしろいと思ったことを、ことばにしておこう
誰かに会った、その一期一会への記録である。日記をつけると、つい忘れかけてしまうものを思い出す。それも大切なことだ。
☆七夕の日の短冊の願いを毎晩、書いておくと、たくさんの願いがかなうようになる。
69 テレビの感性を盗む
テレビの弊害はいろいろといわれているが、これも、うまく利用したら、感性を磨くのにとても効果的に活かせる。映像と音の作品として、内容のよいものは、感性に大きく働きかけるからだ。どんな番組でも、要は、どう使えばよいのかが問題なのだ。
たれ流しのテレビづけでは、1受けとめ―2創造し―3やった(喜び)経験のなかの、1しかないからだめなのである。目と耳が疲れてしまう。そこで、主体的に、自ら選択をして関わっていく姿勢が必要だ。
まず、テレビは、時間で流れていくなかで映像をみせている。そこで、出演しているタレントなどは、瞬時に感性で勝負せざるをえなくなる。その感性を学ぼう。
たとえば、タレントがうまくせりふを切りかえせるのは、感性の力である。自分もタレントになったつもりでみてみよう。そこでのつっこみや受け、進行や構成のうまさをつかもう。
テレビタレントの才能は、一般の人に表現する能力にすぐれていることである。まわりの状況、自分に期待されている役割がわかった上で、頭が働き、瞬時にことばがとり出せる人だけが生き残っていく。なかには、リアクションや表情、体での反応がとても豊かな人もいる。同じことをやっているようでも、タレントの演じている姿やことばはバーンと、みえる人の心に入る。そういうところに、注目しよう。アドリブ、ウィット、ジョークなどの質の高い番組はよい。珍しい、おもしろいものほど、刺激となる。
CMも参考にもなる。まさに短い時間のなかで、感性で勝負しているからだ。
もちろん、優れた構成作家やプロデューサーや映像、音楽といった作品そのものに学べることも多い。
○さらに一歩、感性を高めるためのテレビの使い方
1.CMドラマの配役や筋を自分でよりよく直す
2.一つの番組やテーマに絞り込んで連続してみて、心に残ったことばやシーンを記録しよう。そこから何かを発見、発案する。
3.グラミー賞、アカデミー賞などの名スピーチをまねしよう。
☆感性が刺激され、命に生きる力がみなぎるような番組をみよう。
70 異世代、異性の愛読書を読め
私はベストセラーは、評判になって売れたあと、かなりおくれて読むこともあるが、ブームのときは読まない。それよりも、異世代、異性のよく読む雑誌に、できるだけ一通り、目を通すようにしている。
それは、自分と異なる価値観や生活をしている人の興味、関心事と、マスメディアがそういう人たちにどういうことをどういう形で伝えているかを知るためである。マスメディアは、世の中をうつし出した色鏡であるからだ。そのフィルターを読むのである。
しかしまあ、テレビのワイドショーは、どうも感性が鈍いので、離れた方がよいと思う。どうしても、短時間で象徴的なシーンを編集してみせるため、現実の場面とはいえ、受けるイメージがかなりドギツクなる。そうやって誇張されたイメージは、事実や現場と異なるからだ。へたに現実を切りとるため、映像の力が強く働き、情報操作が大きく真実を見間違う危険の方が多い。まして、そこにキャスターやレポーターが1コメント入れると、それに振りまわされてしまうものだ。たとえば、同じセミナーでも熱心な人を映すのと、退屈している人を映すのでは、印象は一八〇度違うだろう。
すぐれたジャーナリストやカメラマンは、事の本質を捉え、それをことばや写真で示す。センスのよい記事や写真から感じられることは大きい。そこにこそ隠された真実が感じとれる。彼らは、見えないものを何とか形にして本質をにじませて、感性に伝えているからだ。それを読みとるには、受け取る側の感性も問われる。芸術もしかりである。
最近は、写真誌のほかに20世紀の珍しい映像などが手軽に入手できるようになったのは、ありがたいことだ。そこで、オピニオンリーダーやコメンターがどのように感性を働かせて、映像と音をことばにしているかを調べてみよう。それを、自分のことばにおきかえて書いてみよう。
☆ファッションや美術、写真雑誌に親しもう。
71 他人の顔について観察し、デッサンしてみよう
人の顔や表情には、いろんな情報が隠されている。人は他人の顔をけっこうよくみているものである。その見方というのは、その人の感性に大きな関わりがあると思われる。顔色から、その人の腹をよむことができれば、一人前である。
そのために、画家やまん画家のつもりで、似顔絵を描いたりスケッチをしてみよう。
画家は、物事を捉えるのに表面上の形でなく、そこに自分の眼でみたものを表わそうとする。バイオリンの絵は、バイオリンに似ていれば、すぐれているわけではない。その人の捉えたバイオリンの本質、もしくはバイオリンで表現したいものがどれだけ強烈にえぐり出されているか、それがいかにストレートに伝わってくるかで、その価値が決まる。こういう分野は、一見、好き嫌いや好みの世界のようであって、確かにすぐれているものと、そうでないものがある。それは、感性に働きかける力の差である。それを一流といわれている作品から知るとよい。そこに、時間や空間を超えて人々に働きかけ続けている力を感じることだ。1.絵を描く「○○の絵」(タイトルも自分でつけてみよう)
2.描くまえに、人の顔なら、各パーツごとに、自分なりにことばで表現してみるとよい。よくわからないところは、実物をもう一度、よく観察してみよう。
1.顔の形
2.髪の色、髪型
3.おでこ
4.まゆ毛
5.目
6.鼻
7.頬
8.耳
9.口
10.あご
11.肌
12.その他、気づいたこと
13.全体の印象
☆美術館や庭園に行って、一日画家になろう。
72 自分のまわりをクリーンにしよう
社員のトイレ掃除を推奨、いや義務づけている会社が、経営者の羨望を集めている。これは、確かに一理ある。汚いイメージのあるトイレと親しむためには、一度、頭を切らなくてはいけない。直接、手で洗うとなると、汚いという頭を切らなくてはいけないからだ。自分の手で洗う、つまり入り込むとそれほどそのことは気にならなくなる。自分たちの使うところは自分で手入れする。そこが汚いはずがない。これは、本当はあたりまえのことである。手に雑巾や水の感触がなくなった頃から、大切な心を私たちは失いはじめたともいえないだろうか。
しかし、かくいう私の部屋は、本や郵便物、各種テープ類で埋もれている。足の踏み場もない。これは、どういうことか。
どうやら私は、いろんなものを自らの手で触れて感じるのに、あまりに整理整頓されているのはよくないと思う側の人間らしい。まわりを汚くするのときれいにするのと、どちらがよいかは一概にいえない。心のいい加減さがまわりをちらかし感性を鈍らせるのかもしれないし、いい加減に雑然としたカオスのようなしぜん状態に感性が働くのかもしれない。はっきりと区切れないところがある。
しかし、現在、流行の抗菌なら万全という考えは、反対だ。こういうのがいきすぎると、背筋が寒くなるようなことになりかねない。家族でタオルを共有できないなんて、とんでもない。他人を不潔に思い、排除しかねない。お腹に回虫がいなくなったから、アレルギーやアトピーが増えたともいわれているではないか。
とはいえ、会社という公の仕事場や家族で共有して使う場は、クリーンであるべきではあろう。
月に一、二回、日を決めて、机上、机のなかを整理しよう。すみずみまで汚れをおとそう。そうすると、いろんなことに気づく。なくしたものも見つかるかもしれない。観察眼もつく。
休日には、車や自転車、家を洗おう。部屋を片づけよう。水しぶきやほこりと親しもう。日曜大工や掃除など、身近なところから改良していこう。もちろん、家のトイレ掃除は、あなたの仕事だ。
☆月に一度は、潔癖症になって、感性の日光消毒をしよう。月に一度は泥にまみれて、感性のなかに入り込もう。
73 感動することをしよう 感動するものを集めよう
お宝ブームに便乗するわけではないが、何であれコレクションをもつことは、よいことだ。好きなものには欲も出てくる。関心が高まると、ワクワクした心も働くからだ。何でもよいから、コレクションをしてみよう。
財源、お金がないというのならデジカメやビデオでとっておけばよい。そしてこれを、編集し、何らかの作品にしていく。何事であれ、手間をかけ、結果をみて“やった”という体験を豊かにすることが大切だ。自分でやったことの結果を出し、それを見て、よりよく変える努力をする。感性は、そこで磨かれる。
自分が好きなことには、感性が働く。感性が好きといって求めにいくのだから、あたりまえだ。しかし、そこには対象となるものが必要である。そこで何でもよいから研究テーマをもつとよい。釣りや、庭いじりなど、最初は何でもよい。少しずつ広げて深めていき、できたら生涯を通じてできるようにしたいものだ。それにはすぐに飽きてしまうものでなく、深まっていくものがよい。やり方しだいで何でも深まるものであるが、その人の育ちや好き嫌いもある。全く思い浮かばない人は、カルチャーセンターや通信教育の案内書をとりよせたり、書店に行って、趣味の本をながめたりするとよいだろう。そして、一つのテーマについて、物知り博士になろう。インターネットで情報を発信したり、そういう仲間を集い、さらに学び高めあおう。
☆このテーマなら、誰にも負けないという分野をもとう。ライフワークを定めよう。
74 歴史上の人物を一人、探究してみる
「人間50年……」と信長は舞った。たった一人の人物でも、それについて学び、詳しくなるといろんなことがみえてくる。
あなたが魅かれる人物は誰だろう。自分の好きな人物について、資料や本を集め、まとめていこう。当時の時代や国もみえてくる。人間関係の処し方から、情報収集法、判断の仕方、人心の捉え方と、それぞれに個性があるから、研究していくとおもしろいはずだ。その人物になりきって、その考えや感じ方にひたってみよう。そして、自分なりに人物論をつくってみることだ。
その人のことばをメモしたり、それをヒントに自分の人生を考えてみよう。そこから、本物・本質を見極める眼をもとう。読みっぱなしではいけない。
ガリレオは「あなたはどうして人の言ったことや本に書いてあることばかりを信用するのか、どうしてもっと自分の目でみたことや自分の確かめたことを信用しようとしないのか」と述べた。
詩人・坂本真民は本物について「本は頭をよくするが、足を使わないと身につかない」と述べている。
感性に興味をもっていると、これは感性を理解するのにも一役、買うとわかるわけだ。
できたら自分の研究結果を人前で語れるところまでいきたい。自分とは異なる人間の生涯を知ることは、自分の人生や生き方にとって、大変に有益だ。
歴史は生きたドラマといわれる。それをドラマや映画から学ぶと、自分の人生にもドラマが生まれるだろう。
また古典、宗教には、感性能力の開発法がたくさん入っている。つまり、人の心に感じさせてきたからこそ、長くここまで残ってきたのだから、そこで人が残そうと感じるところを感じていくことが、とても勉強になるはずだ。
1.伝記、偉人伝をよもう
2.ビデオで偉人の生涯をみよう
3.アーティストの生涯や作品に触れよう
4.がんばっている人のステージを見に行に行こう
☆いつも人の世は、同じ事がくり返される。処世術はすべて、古典と歴史に書かれている。
ただ、感じないと活かせない。感じた程度に活かせる。
75 何でも気づいたら文章化しておく感性メモ術のすすめ
発想力での夢の話で述べたように、気づいたこと、思い出したことは、何事もすべてメモする習慣をつけよう。頭のなかの考えを文字にすると、それは言語という形となって、アイデアが、現実に紙の上におちる。それが商品になるかどうかは別にしても、これは、もっとも簡単な表現方法である。
そして、大切なことは、そのメモを、必ず見直すことだ。そこからよりよいものに書きかえていく。アイデアはきちんとまとめ、それを現実に対応しやすい形にまでして、はじめて活きる。他人がみても、ちんぷんかんぷんでは、どうにもならない。
行動に結びつくアウトプットからの情報創出法を、私はTF式として、これまで長く提唱してきたが、これはすべて、メモから始まる。一言でいうと手帳の表紙にポスト・イットを貼って気づいたときにすぐにメモできる環境を整えておく。そういう環境をもった上で、メモを習慣づけることが、学ぶために最初に必要なことだと思うからである。
メモは、備忘録であるから、メモするとそのことを一時、忘れることができる。メモを第二の頭脳、記憶メモリーとして活用しているわけだ。メモのおかげで思いっきり忘れることができ、頭のなかを白紙にできる。そのことで、また新たな発想の生まれやすい状態をつくれるわけである。頭は一つしかない。気になることに占められていては、感性は働かないからである。ところが、雑念や妄想、心配事を切るのは、大変なことなのである。
さらにメモは、気づいたことを表現して、行動に結びつけるためにどうするのかを考え出すために、とても有力な手段である。感性の働きとしての、判断力、創出力、表現力が含まれている。しかも、とっかかりやすいというのが極めて重要なことである。
頭でメモするかどうかを、考えるまえにこのような用意をしてメモしてしまえというのは、感性への通りをよくするからである。行動に結びつくということでは、まさにアウトプットからの感性による情報処理術なのである。学んだ知識だけをノートに書きとめているよりも、気づいたことからどう行動するかをメモする方がよい。学ぶより考えること、考えるより行動することでしか、結果は出ないからだ。これを、感性メモ術と名づけたい。○感性メモのとり方
1.教わったこと 知識
2.感づいたこと 感性
3.やること 行動
(1より2、1より3が大切)
☆メモをすると感性が十倍、働く。
76 人前で話せる場をもとう
おしゃべりは、頭をやわらかくし共感作用を高める。気のおけない仲間と会話を楽しもう。場の雰囲気を楽しみ、感じつつ、頭を働かせることが、感性をよりよく導く。こういうとき、アルコールは潤滑油となる。
これとは別に、適度に緊張のできるパブリックスピーキング、スピーチの機会も月に何度か、もちたい。自分の夢や、やっていることを披露する場、つまり現実に行動する場をもつのだ。
日本人は、身内のなかではしゃべれても、パーティなどでの初めての人と話したり、面前で不特定多数と話すのは苦手なものである。つまり、会話はできても、対話の経験が少なく、それゆえ苦手なのである。しかし、これは、感性の働きを伸ばすのに、もっともよい経験となる。
なぜなら、まず相手が何者かを予測し判断する。そこで何を話すのかは、聞きたがっていることから、あたりをつける。話しながら、相手と共感しつつ、話を組み立てていく。
日頃、レポートのようにものごとを分析して草案を考えて出すところまでしかやってきていない日本人には、この即興スピーチはかなり大変なことだが、がんばりたい。その場で聞く人の聞きたいように、話の内容を考え組み立て、話のテンポなども合わせ、アドリブを使う。うまくできたら嬉しいことだ。アドリブ、機知、ウィットは、共感力の発揮であり、ジョークもアイデアとタイミングの勝負である。
慣れてくると、ライブ、コンサートのように、会場との一体感で進めることとなる。そのためには、話のスタイルだけでなく、内容や構成も問われる。
何が大切かを見抜き、おもしろく聞かせるために創案し、わかりやすく退屈させないように表現する。これにも、感性の要素がすべて入っている。たとえば、先述した俳句づくりも、お披露目の会としてやれば、人々に直接、その場で働きかけるだけに、感性鍛錬の最高の方法であろう。何よりも、役者は三日やったらやめられないというではないか。
☆よいスピーチは感性なくしては成立しない。
○自分のサロンに人を呼んで語らおう
好きな人を集め、共通の好きな話題で目一杯、語り合い、時間を充実させよう。これは、人生のもっとも深い味わい方の一つであろう。
サロンや勉強会は、一人でやるには、なかなか難しいが、人数を頼む必要はない。三人よれば文珠の知恵である。サロン仲間をつくり、新しい人との出会いを楽しみつつ、月に一度、語り合おう。三人からのスタートでもよい。三人が二人ずつ連れてきたら、九人だ。
特別に会場をとったり、ホームパーティなどになると、コストもかかるから続けるのは難しくなる。ホテル、ラウンジ、レストラン、ファミレスや喫茶店なら、当日予約なしでも充分である。
要は、人を招いて歓待する場を自らもつことだ。そのホスト役にチャレンジしよう。いろいろと大変な分、得られるものも大きいということだ。お金よりも友だち、情報よりも心の触れ合いである。
☆ホストは、感性の立て役者となる。
77 一芸に親しもう
なぜ、私たちは幸せを求めつつ、いつも何となく得られず、何かを極めたくても極められず、道は常に永く遠いのに、人生はかくも短く早く過ぎ去るのか−。
その“問い”を私が抱くようになったのは、もう遠い日のように思う。
それに対して、
「なるほど、だから人生だ」そう得心したときから、私の人生は本当に開けてきた気がする。すなわち、迷いが迷いでなくなり、無駄が無駄でなくなった。これは、私にとっては、まさに悟りにも似た体験だった。
文明がこれほど発達したにも関わらず、争いは絶えなく、どういうところでも問題は解決しないばかりか、次々に降りかかる。
ものが満ち足りても、お金があっても、私たちの満足は得られない。海外旅行に行っても、テーマパークで遊んでいても、嫌な会社を一カ月休もうと、きっと心から満たされはしないだろう。
私は考えた。
お金持ちになりたい。でも、すでに遺産だけで食べていける大金持がいるのに、身を粉にしてまで一代で稼いでも仕方ないと。有名になりたい。でも、有名税の重い日本では、名を売って身を繋がれるのはどう見ても愚かだと。こうして、地位も財産も魅力的でなくなった。では、何をよすがに人は生きるのだろうか。
こう考える一方で、私は以前よりものごとを極めていくということはすべて、どうしてこれほど手数のかかるものなのかという思いがあった。
人類が55億人も世界中にいるのなら、なぜ、全く努力もせずに100メートルを5秒で走れるランナーとか、8割打てるバッターとかが出てこないのだろう。天才といわれる人の偉さは、皆、天才的な努力をしたというところに集約される。なぜ、天性の天才は生まれ得ないのだろうか。歌を一曲、歌えるようになるためにも、なぜこれほど大変なのだろう。世の中がどんなに便利になって、いろいろな機能のついた機器が出てきても、本質的なところでの人間そのものの成長については、何ら変わらないのは、なぜか。
人間は、きっと、相対的には少しずつ進歩しているのかもしれないが(そう信じたいが)、大昔の天才に今の人が勝っているということも決してない。昔、自分の筆で写本をした人の仕事は、今やコピーで1時間でできるのに、平均年齢も大きく伸びた現代人が、そういう人たちの仕事よりも、質も量も必ずしも優れていないのはなぜか。世界中の映画やアーティストの演奏がVTRやLDで見られるのに、昔より優れた映画監督やアーティストが輩出しないのはなぜか。単に、ヒーローが求められていない時代であるからか?
私は、そんなことを考えながら、これらの“問い”に対する答えは、すべて一芸という言葉のなかに潜んでいることに気づいた。そう考えはじめて、ようやく世の中が理解でき、人生の意味らしきものがわかってきた。
一芸とは、何か。
同じことをくり返すなかに気づきがあり、真理が見え、満足が得られ、それが徐々に深まっていくにつれて、人生の妙味が感じられるようになる。完成はしないが、極められるところまでそれを追い求めていくこと、それが生の証であり、人生である。これは、感性を究極まで磨いていくことである。つまり、今、ここであること、この一瞬を永遠にすべく、プロセスを積み上げていくこと、今のその渦中でもがくことで、人生を命を楽しんでいるのである。
○能や武道を体験しよう
外国人が能を解説なしに楽しめるのは、感性があるからである。
基本のうちに演じることができると一人前、心が入ると役がしぜんとみえてくるという。
新しい型とくり返しの型。絶え間なき練習の成果である。