私の研究所のHPより、この本で述べたことを集約した作品を掲載します。
「ミルバ '98」
あなたは、私の生まれるまえから歌っていた。
そのころの日本ですでにその名は知られていた。
あなたをはじめてみたのは、学生のころだった。
そして、その二倍の年月が経った。
なのにあなたは、今もそこに立っている。
歌っている。
みんなはあなたを知っている。
しかし、知らない人も多くなった。
ビルラもシナトラも逝き、
今日は新しいホールだ。
あなたはぼくを知らない。
ぼくはあなたに力を得た。
あなたの歌声は世界をめぐる。
あなたの力を封じ込めたレコードは、世界をめぐる。
そして、あなたも世界をめぐる。
あなたはぼくを知らない。
でも、もっとあなたが知るべき人は、いるはずだ。
昔、あなたから盗もうとしたことを
〈ディーバー〉の少年のような日を
ぼくは思い出していた。
あれから、いろいろと変わった。
けれど、あなたは変わらない。
ぼくも変わらない。
そのことを大切にしよう。
そう歌い続ける。
あなたはいつもと変わらず、
全身で、いつもこんなにも多くのものを伝え続け、残してきた。
あなたにとって、この世界はどう見えるのだろう。
あなたの眼に、東京はどううつるのだろう。
そして、このぼくは――。
日本からきた一人の坊やに
海外のアーティストはみんな、親切だった。
ぼくはあなたのまえでは、坊やのまま。
かつて、この深くて遠い世界を身近に、
手玉にとってさし出してくれたミューズ。
同じホールの空気を
同じ鼓動の音を
同じ二つの耳で聴きながら
今宵もまた、逢瀬。
きっとぼくは、好きではなかったはずだ。
あなたの作品も歌も音楽も。
まじめすぎてスキのないその歌に、
本当にひかれたことはなかっただろう。
なのにどうして、いつもここであなたを待つのか。
あなたの熱烈なファンと一緒にいるのか。
それがいつもわからなかった。
あなたの声や技術やステージを盗みにきた。
あのころのぼくの欲しかったのは
そんなものでしかなかった。
あなたのファンに、
ぼくはただ、なりたかった。
ただのファンに。
そして、その歌を聴きたかった。
なのに、あなたは、それを拒むかのように
いつも、偉大だった。
ぼくは、あなたの心が欲しかった。
※ミルバ……カンツォーネの女王
ビルラ……クラウディオ・ビルラ カンツォーネの王様といわれた
「ディーバー」……仏映画 ブライアン・デパルマ監督
「Artist 美空ひばり 2001 13回忌」
僕は、この人に何度、泣かされてきただろう。
この人を、この日本という国に、もてただけで、幸せに思う。
この国に生まれてよかったと思う。
いつも、テレビくらいでしか、見なかった。
ファンでもないし、コンサートを聞きに行ったこともなかった。
そんな僕に、何か語る資格などない。 だから、これは感傷でなく、事実だ。
ただ、ただ、彼女の歌への一途な思いは、僕を清めてくれる。
昭和56年、日本人初の武道館コンサート、昼夜2回で100曲、生涯最高のステージと評される。
前日、母危篤、その1ヵ月後に母を、その2年後と5年後に2人の弟を亡くす。
昭和63年、闘病から奇跡の復活。東京ドームの柿(こけら)落とし、150分で39曲。
そして、死の直前、赤ん坊ほどの肺活量で、それを全く悟らせず、歌い続けた。
最後のヒット曲、「川の流れのように」。「最後は、皆、同じ海にそそぐ」って……。
座右の銘は、「今日の我に、明日は勝つ」。
僕は幼い頃、ツゥーっと頬を伝う涙に全く動ぜず歌う、その清らかな涙を流せる歌手を演歌の“女王”と知った。
しかし、大人になるまで、彼女は、僕にとっては、全く歌手というものにくくれぬ、別の超えたる存在だった。それゆえ、触れようもなかった。
なぜ、皆が騒ぐのか、あれほどまでに熱狂するのか―、知りたくはなかった。日本に、歌に、真実や真理をもち、表わすことができる人がいるとは、思いたくなかった。なぜだかわからないし、今もわかりたくはない。
しかし僕は、また、この人に、泣かされてしまうのだ。
何が悲しいのか、存在が悲しい、歌が悲しい。「自分が選んだ道だから」と、ただただ、好きな“歌”を歌い続けていく。悲しいばかりの美しさとは、よくいった。
その悲しさは、まぶしく、輝かしく、熱く、多くの拍手を浴び、その手を持つ多く人の心を動かしてきた。
僕は、拍手したことはない。いつも、泣かされるけど、泣いたことはない。そう、彼女のように、そうまるで彼女の涙が伝染したように、涙がツゥーっと流れるのだ。そして、少し熱く、少し心が痛み、その分、少し、輝かしく、なるのだ。
「リブ・フォエヴァー」
この歌は『至高の一瞬』を選んでいるのですが
その後ろには、断ち切れない『永遠の生』への想いがあります
つまり『永遠の生』がいらないのではなく、『永遠の生』は手に入らない どんなに望んでも どんなに努力しても。
だから、その枠の中で生きる僕たちは、『至高の一瞬』を求めるのだ、と。
ほんとうは、『永遠の生』が欲しいのです。
そしてそれがだめだとわかっていても、なお、求めずにはいられない...。
死をまぬがれない人間の宿命的な悲劇が、ここにはあります
ベッドミドラーのうたった名曲「THE ROSE」の一節
THE SOUL AFRAID OF DYIN'..
BUT NEVER LEARNS TO LIVE
<人は死ぬことを恐れて、生きる事を学ばない>
「限り」を恐れて、目をそらしてしまったら、「限り」を宿命として内包した「生」は学べない。
そう『永遠の生』への想いは断ち切らないと、「生」は、学べないのです。
ほとんどの人間は、弱くて、死を恐れ、生きることをしない内に、本当に死んでしまうのです。
『至高の一瞬』を手にするには、心も体も、存在のすべてを傾けなければだめです。
すべてを捧げるから、すべて=永遠が手に入るのです。
このことを一番がんばってます、ではだめで、すべて、が要求されるのです。
自分の全体重をその一瞬にかけて、その次の瞬間には、すべてが終わる。
かけた体重のまま、寄りかかっていたものをなくし、墜落していく。
絶頂からどん底へ。
それが、『至高の一瞬』の正体です。
絶頂だけ、は選べない。
墜落して、下手すれば死んじゃうかもしれない。
死なないまでも、身も心もボロボロになります。
その痛みをひきうける強さが、『至高の一瞬』には必要です。
更に問題なのは、果たして人間は『至高の一瞬』だけで生きていけるだろうか?ということです。
例えば恋愛についての『至高の一瞬』について、必死に『至高の一瞬』を掴み取ったとする。
けれど、今、彼はそばにいない、これからもいないだろう、あれは、もう現出することはないのだ。
『至高の一瞬』をなまじ知ってしまっているがゆえに、あとは、生き地獄かもしれません。
だから、『至高の一瞬』を見てしまった者はドラックや酒におぼれたり、死んじゃったりします。
素晴らしいものを手にした。
しかし、人は死ぬ。
つまり、どんな形にしろ、その素晴らしいものを失う、いつかは。
素晴らしければ素晴らしいほど、失うときは、身を切られるほどつらい。
だから多くの人は、自分のコアをひっくり返すような、素晴らしいものをつくらないようにします。
だって、いつかは、なくすんだから、なくせないものをなくしちゃったら、おしまい?
でも、それって、生きてないよね。
『永遠の生』があって『至高の一瞬』を手に入れられたら、何の問題もないんだけどね。
そうはいかない。そうは、絶対にいかない。
だから、『永遠の生』を夢見て、生きようとしない人がいて、 一方では、『至高の一瞬』を手に入れて、失って、ボロボロになる人がいる。
リブ・フォエヴァーは、『永遠の生』を思い断って、『至高の一瞬』を選ぼうとする。
ねえ、みんな、生きようよ! といっているみたいに。
この歌を口にできるほど愛するもの、『至高の一瞬』を選ぶことによって。
自分の身に降りかかる、苦しみを、あえて引き受けられるほど愛するもの。
ほんとうは誰にだってひとつくらいあるかもしれないけど、『至高の一瞬』を選ぶのは本当に難しいことです。
時間芸術である歌は、まさにこの『至高の一瞬』を現出させられるかどうかが、一流とそれ以外の歌い手との別れ道です。
『リブ・フォエヴァー』...この曲を歌うジョルジアは本当に、神々しいまでに美しいです。
『至高の一瞬』へ身をゆだねる、覚悟も強さも持ちわせている。
それは、まるで、オリンピックで自分の限界にいどんでいたアスリートのような顔です。
このステージ自体が『至高の一瞬』でした。
ジョルジアは当時23歳、サンレモで優勝して脚光をあび、自国イタリアのスーパースター パバロッティと競演する大チャンスを得て、
大観衆の前で歌う。
数多くのレパートリーから選び取った曲は『リブ・フォエヴァー』
恋愛ソングなのだけれども、まるで、同じ時代に生きて、同じ時代に死に行く愛すべき人々への、応援歌のようでした。
つらいけど、生きていこうよという。
彼女は歌は本当に上手いけど、多分、一生に数度しかできないようなステージだったのではないか、と思います。
舞台設定、当時の状況、観客など、『至高の一瞬』ができあがる条件がすべてそろうなんてことは、そうないのですから。
力がなければもちろんだめですが、たとえ、どんなに力があっても。そんな数少ないチャンスをきっちりとものにしたジョルジア、すごいなあ。
でも、強くないと、できないよね。
『至高の一瞬』を追い求めることによって身に降りかかる苦しみ、それを引き受けてヴォーカルは行くんだね。
今は苦しいかもしれないけど、いつかトップアスリートみたいな表情で、『リブ・フォエバー』を歌ってみせてよ。
生きようとしない同じ時代の人達に、生きる素晴らしさを教えてください。
がんばれ!('96 古賀まりあ)
「キツネの話」(「'96合宿特集 福島英レッスン」より)
一流のもの、そこに受け継がれたものをなるべく汲み取って欲しいということで「星の王子様」を材料にします。
今回のテーマは、この「星の王子様」です。その意味をまとめ、組み立てたので、自分なりに、読み直してみてください。名作、一流の作品が世界に普及するし、生き残るのは、触れた人がそれぞれに自分で深くできるからです。
『そこにきつねが現れました。“こんにちは”ときつねが言いました。“こんにちは”と王子様はていねいに答えて振り向きました。』(『 』内原文 地の文、私の解説)
何も見えません。見えた人には見えていますが、何も見えないのです。
『“ここだよ、りんごの木の下だよ”』
私はいつもこれを言っているつもりです。しかし、見えない人にはいつまでも見えないのです。
『キツネの声が言いました。すると王子様は“君誰だい、とてもきれいな風をしてるじゃない”、と言いました。そこで仕方がないから、“オレ、キツネだよ”とキツネは言いました。』
とても身につまされますね。
『“僕と遊ばないかい、僕本当に楽しんだから”、と王子様はキツネに言いました。』
『“オレ、あんたと遊ばないよ”』とキツネは言うわけです。一つ決め手となるセリフです。キツネは歌のことと考えてください。『“飼い慣らされちゃいないんだから”』飼い慣らすというのは、キーワードです。
『とキツネが言いました。“飼い慣らすって、それ何のことだい”』
ちょっと途中を省きます。
『“よく忘れられていることだがね。仲よくなるということ”』
私と仲よくなったよとか、そんな程度のものではないですよ。イマジネーションを働かせてください。「仲よくなる」ということは、どういうことでしょう。
『“うん、そうだと思う。オレの目から見ると、あんたはまだ、今じゃ他の10万もの男の子と別に変わりがないさ。男の子だもの、だからオレは、あんたがいなくてもいいんだ。あんたもやっぱりオレがいなくってもいいんだ”』
『“あんたの目から見ると、オレは10万ものキツネと同じだ、だからあんたがオレを飼い慣らすとオレたちはお互いに離れていられなくなる”』
「飼い慣らし仲よくなると、僕と離れていられなくなるよ」そんな意味ですね。
『“あんたはオレにとって、この世でたった一人の人になるし、オレはあんたにとってかけがえのないものになる”』
最初から、そのような関係に「ある」ということではないのですね。「なる」、つまりその前に飼い慣らす、仲よくなる手続きがあるわけです。
『“何だか話が少しわかりかけたようだね”、王子様が少し考え込みます。』
自分が来た星に、花が一つあって、その花が僕になついていたようだった。キツネとは初めての出会いなので、よくはわからない。そこで、自分の過去を振り返って、あの星に花があった、この花は自分になついていたことを思い出します。飼い慣らす、仲よくなるということから、そう浮かんだのでしょう。キツネは言いました。
『“オレは同じことをして暮らしているよ。オレがにわとりを追いかけると人間のヤツがオレを追いかける。にわとりがみんな似たり寄ったりならば、人間もまた、似たり寄ったりなんだ。オレは少々、対立してやるよ。だけどもしあんたがオレと仲よくしてくれたら、オレはお日さまに当たったような気持ちになって、暮らしていけるんだ。足音だって、今日まで聞いていたのと違ったのが聞けるんだ。他の足音がすると、オレは穴のなかに引っ込んでしまう。でも、あんたの足音がすると、オレは音楽でも聞いているように気持ちになる。穴の外にはい出すだろうね。それからアレッ見なさい。あの向こうに見える麦畑はどうだい、オレはパンなんか食いはしない。麦なんかなんにもなりゃしない。だから麦畑なんか見たところで、思い出すことなんか何にもありゃしないよ。それどころか、オレはあれを見ると気がふさぐんだ。だけどあんたの(王子様の)その金髪の黄色い髪は美しいな。あんたがオレと仲よくしてくれたらオレには、そいつ(麦畑)がすばらしいものに見えるだろう。金色の麦を見るとあんたを思い出すだろう。それに麦を吹く風の音もオレにはうれしいだろうな。キツネは黙って王子様の顔をじっと見ていました。何ならオレと仲よくしておくれよ。とキツネは言いました。王子様は言います。僕はとても仲よくなりたいんだよ、だけど僕、あまり暇がないんだ。友だちを見つけなきゃならないし、それにしなければならないことがたくさんあるのでね。キツネは言います。自分のものにしてしまったことじゃなきゃ何にもわかりゃしないよ。人間ってヤツは、今じゃもう何もわかる暇はないんだ。商人のお店で、できあいの品物を買っているんだ。友だちが売りものにしている商人なんか、ありゃあしないんだから。人間のヤツ、今じゃ友だちなんかもっていやしないんだ。あんたが友だちが欲しいのなら、オレと仲よくするんだ”』
うちの店(研究所)にもよく来ます。声が欲しいんです。いくらですか、何日で身につきますか。この歌をどう歌うのか教えてくださいよってね。
『キツネが答えました。“辛抱が大事だよ。オレと仲よくするためにどうしたらいいかということ。最初はオレから少し離れてこんなふうにふたの中に座るんだ。オレはあんたをちょいちょい横目で見る”』
皆さんも人と初めて会うとき、同じだと思います。人と会ったとき、知り合うときです。
『“あんたは何も言わない、それもことばってやつが勘違いのもとだ”』
これもよく言っています。ことばということの限界、皆さんも自分のモノトークをもう一度、よく読んでみてください。自分のことばのなかで束縛されてしまうものです。そこで突き詰めなければいけないのに、そこで止まって次に移ってしまったり、他のところに目を向けたりして、大切なことに戻れないことが、ずいぶんとある気もします。ことばというやつが勘違いのもとなのです。
最初はことばは交さないわけです。横目でチラチラやる。何も言わない。辛抱が大事だということです。一日一日経っていくうちに、あなたはだんだん近いところに来て座れるようになる。ことばはないところから生じ、やがてことばを交わすようになり、そしてもっと親しくなると、ことばはまたいらなくなります。
『ある日、王子様はまたやってきました。するとキツネが言いました。“いつも同じ時刻にやってくる方がいいんだ。(手続きだから。)あんたが午後4時にやってくるとすると、オレ3時にはもううれしくなりだすってもんだ。そして時刻が経つにつれて、オレはうれしくなるだろう。4時にはもうオチオチしていられなくなって、オレは幸福のありがたさを身にしみて思う”(好きな人と待ち合わせするときのことを考えればわかるでしょう。)“だけどもし、あんたがいつも構わずやってきて、いつあんたを待つ気持ちになっていいのか、てんでわかりゃしない”(パッと手に入ってしまっても困るわけです。)“きまりがいるんだ”(きまりというのも一つのキーワードです。)“きまりってそれ何だい”、と王子様は言います。“そいつがまた、とかくいいかげんにされているやつだ”キツネが答えます。そいつがあればこそ、一つの日が他の日と違うんだし、一つの時間が他の時間と違うわけだ(私たちの仕事は、一つの時間を違う時間にすること、価値をつけることです)。“オレを追いかける狩人だって、やっぱりきまりがあって、木曜日は村で娘たちと踊るから、木曜というのがオレにはすばらしいんだ。木曜になるとオレはぶどう畑まで出ていくよ。だけど狩人たちがいつでも構わず踊るのだったら、どんなときも同じで、オレは休暇なんかなくなってしまう”(仲よしになるプロセスがありますが、省略します。王子様の星の話に戻ります。)
“もう一度、バラの花を見ててごらんよ”(今回は、そういうプロセスを踏んだはずです。)“あんたの花が世の中に一つしかないことがわかるのなら、それからあんたがオレにさよならを言いに、もう一度ここに戻ってきたら、オレは、お土産に一つ、秘密を贈り物にするよ”(この秘密こそが本当に大切なものだと思います。)そこで王子様は、もう一度、バラの花を見に行きます。そしてこう言いました。(バラに向かって言うわけです。王子様の星のバラではなく、ここの星のバラです。)“あんたたち僕のバラとはまるっきり違うよ。それではただ咲いているだけじゃないか。誰もあんたたちとは仲よくしなかったし、あんたたちの方でも誰とも仲よくしなかったんだからね。僕が初めてでくわした自分のキツネと同じさ”(もうキツネのことばがわかっているわけです。)“あのキツネははじめ、10万ものキツネと同じだった。だけど今では、もう僕の友だちになっているんだ。この世に一匹しかいないキツネなんだ”そう言われて、バラの花はたいそうきまり悪がりました。
王子様は言います。“あんたたちは美しいけれど、ただ咲いているだけなんだ。あんたたちのために死ぬ気になんかなれないよ”(なぜだかわかりますよね。)“それは僕の花も何でもなく、そばを通っていく人が見たら、あんたたちと同じ花だと思うかもしれない”(別に特別な花ではないわけです。ただ何が特別かというと、)“だけどあの一輪の花が僕には、あんたたちみんなよりも大切なんだ。だって、僕が水をかけた花なのだからね。覆いガラスだってかけてやったんだ。ついたてで風に当たらないようにだってしてやったんだからね。毛虫の2つ3つは、チョウになるように殺さずにおいたけれど”(そんなに手数をかけたということです)。“不平も聞いてやったし、自慢話も聞いてやったし、黙っているならいるで、どうしているんだろうと、ときには聞き耳をたててやって、そうしてきた花なんだからね。僕のものになった花なんだから”こういって王子様はキツネのところへ戻ってきました。“じゃあさようなら”と王子様は言いました。“さようなら”とキツネが言いました。
(キツネが秘密を教えてくれます。ここで初めて教えてくれます。)“さっきの秘密を言おうかね。なに、何でもないことだよ。心で見なくては、ものごとはよく見えないということさ。肝心なことは目に見えないんだよ”(心で見なければものごとは見えないということです。)“肝心なことは目に見えない”と王子様は忘れないように繰り返します。“あんたのバラの花をとても大切に思っているのは、そのバラのために暇つぶしをしたからなんだよ”(暇つぶし…決してよいことばのようには思われていませんが、大切なことばです。
暇つぶし、飼い慣らす、仲よくなる、手続き、暇つぶし、4つのことばを覚えてください。)“僕が僕のバラの花をとても大切に思っているのは”、王子様は忘れないように言いました。キツネは言いました。“人間というのは、この大切なことを忘れているんで、だけれど、あんたはこのことを忘れてはいけない。面倒を見た相手にはいつまでも責任があるんだ。守らなきゃならないんだ。バラの花との約束を”(きまりということばが出ました。約束ということばも出ました。)“僕はあの花と、バラの花との約束を守らなきゃ”、王子様は忘れないように繰り返しました。』 (参考:「星の王子様」)
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