集中力を強化する 60のヒント (やる気の起きないときのモティベートのかけ方、テンションを高めるには) |
(3)集中力とリラックス
22 体力、リラックス
集中力を高めるには、リラックスが必要です。大切な試験やスポーツの試合などで、あるいはスピーチや好きな人の前でどぎまぎして、失敗したことはありませんか。
集中できなかったとすると、そこには、さまざまな要因があります。何分にも心を落ち着けて、全身がリラックスできなくては、本領を発揮できないものです。そのためにさまざまなジンクスやアファメーションがあります。
23 脳のしくみ
私の父は、亡くなる前に少々呆けて、昨日、何があったかは覚えていませんでした。なのに、何十年も前の幼少の頃の記憶は鮮明でした。脳の中には、その人が体験してきたことは、すべて残っているといいます。ですから、それを取り出せないだけなのでしょう。呆けというのも、程度の問題ですから、これは私たちにもあてはまることでしょう。
外部から得た刺激は、本人が意識しようがしまいが、シナプスを通じて、脳に記録されます。そして、そこから心身に働きかけているわけです。心と体は、外からの刺激、つまり情報を取り入れるときに結びつきます。たとえば、イタリアに行って、太陽を浴びて、暑い、すると、汗が出る。ここで、刺激である情報(I)と人間の心(H)と体(B)の関係は、I→脳(H+B)となります。
この場合、Iは、刺激。―太陽の光と熱。
Hは、イメージ。―イタリア、暑い、心地いい、楽しい、美しい。
Bは、体の反応。―暑い、汗が出る。
暑いと体から汗が出るのは、無条件反射です。これを司るのは、神経と脳幹の働きです。人間のもっとも根本の生命力にあたるところです。
次に、イタリアから戻って、イタリアのことを思い出すとします。すると、楽しくなります。同時に体も熱くなり、汗も出てきました。これは、イメージによって、そのときの状態を条件反射的に体が再現したわけです。つまり、体が覚えていた、学習したということなのです。
汗の出る反応は、イタリアに行って覚えたわけでなく、それまでにもあったのです。
ここで大切なのは、現実に暑くなくとも、イメージで体がそういう状態になったという、現実に起きた事実です。この人にとって、イタリアは暑さの象徴になり、イタリアというキィワード、ことばで心身はリラックスし、楽しくなるわけです。今、実際に感じている温度ではなく、暑くなる、つまり、イメージ通りに体は動くのです。
ここでは、シナプス、神経回路に何度も情報を行きかいさせる状況が、集中力となります。結びつきの線を何度も引いていくと思ってください。そして、そこでその線を太くして、すぐに取り出せるようにしたのが、記憶力となります。
ここでのよいイメージは、その行き来を助けます。生命力は、快の状態をよしとするからです。
つらいことよりも楽しいことを覚えている人、同じことをつらいよりも楽しいと捉えられる人が、より能力を高められるのです。
よいイメージを与える最大の手段が、未来の夢、つまり目標といわれるのは、こういうことなのです。
嫌なことには、頭が働かないものです。すると、頭もよくなりません。心身の状態が悪くなり、イメージや集中を妨げ、自分の身を守ろうとするからです。
好きなことに集中でき、嫌なことに集中できないのは、大きな生命力が働いているからです。嫌いなことに集中し続けると、体を壊し、心を病むのです。
それでは、好き嫌いとは何かということですが、それもまた、困ったことに、あなたの思い込みでしかないのです。生まれ、育ち、そして、考え方に支配されるわけです。
リラックスすると、アンテナは隅々までセンサー全開となります。雑念がなくなり、邪魔するものがないので、しぜんとうまくいくのです。この働きを覚えておいてください。
24 集中のための条件
1.疲れをとること、睡眠、休息
疲れると、体の機能が低下してしまいます。休みは、そのために必要です。
2.体力
体力は、体の機能を維持するのに必要です。よりよく生きることをめざすから、生きる方にエネルギーがシフトするのです。体力づくりに励みましょう。
3.自信
自信も、先ほど述べた、よいイメージを支えるもの、よいイメージに切り替えられるための要因です。 自分はいつでも集中できるという自信をもてたら、うまく集中できるようになります。そのためには、よ かったときの自分を思い出すことです。つまり、自分の成功回路をうまく使うことです。
自信をなくすと、スランプになります。
目をみれば、その人の自信がわかります。やる気のある人の瞳孔は開いて、眼が輝いてみえます。このとき、ものごとがたくさん目に入る、つまり、情報量が増えるわけです。好きなものがパッと目に入るのは、そのためです。
嫌なものはなかなかみつかりませんよね。これは記憶でも同じことのようです。自信をなくしても、何かしら寄りかかりをもつ、自分を支えるための日ごろの努力と強い心を作っておくことです。
4.メソッド、方法
人によって、集中できる状態は違います。十人に聞けば十人とも異なるTPO(時、場所、機会)を言うことでしょう。その中でも、集中するための共通の手順は、いくつかありそうです。方法は自分にあったものを取り入れましょう。
頬をたたく、ガムを噛む、独り言をいう、など、方法については、あなたの生まれ育ちを抜いては語れません。
5.インタレスト、興味、関心のあるもの、好きなもの
誰でも、好きなもの、好きな人のことなら、それに関することには、すごく集中できるものです。(P )
6.メリット
それによって得られる利益を明らかにすることも、集中するために、よい方法です。(P )
7.プランニング、計画
ノルマを課すとやれる人はたくさんいます。これは、プロセスを具体的にみえるようにするということです。人類の文明は、一人では一生かかってもできないことを、何千人、何万人で短期に成し遂げられることで発展してきました。それを可能にしているのは、設計図です。自分の設計図を作りましょう。
8.プライド、感情
意地や誇り、怒りからでもかまいません。感情的なものは、人が行動するのに、強い動機づけになります。怒り、うらみなどは、それだけをみるとマイナスのものですが、目的がどうであれ、その場において、自分のメリットになると心身が判断するから、集中力が高まります。
有名になりたい、自己顕示欲、あいつに負けたくないという競争心、こんな自分であってよいはずがない、というような思いは、とても強い力を発揮します。3の自信とも関係しますね。
9.ピンチ、危機
火事場の馬鹿力、崖から落ちる一瞬など、人間は自らが生きるために、能力全開で助かる手段を探します。死の直前、過去のこと(全ての記憶)が走馬燈のように脳裏をかけめぐるというではありませんか。
10.覚悟を決める
背水の陣をひくのも、9と同じことです。
25 集中するのに頭は使わない
集中しようと無理に頭を使おうとする人がいます。しかし、うまく集中できているときには、集中などということを考えません。集中しよう、集中しなくては、と思うときには、頭が疲れています。そこに、さらに負荷を加えてはいけません。そういう人に限って、○○(えらい人)は、集中力を鍛えるためにまわるレコード盤の文字を見続けたとか、新聞の文字を速読した、小さな点を数えた、計算練習したとか、どこかの本で読んだようなことを言います。その偉い人が、スポーツ選手なら、あなたとは違うでしょう。集中するのに、日頃、体を動かしていて、デスクにはいないのですから。その多くのことは、集中できないからやったのではなく、日常のトレーニング、心身や目の状態のよいときにやっているものです。頭が一杯のときに、さらに使おうとすると、パンクはしませんが、効率が下がります。このように、方法も、自分のレベル、やっていること、状態などを考えずに、何でも方法を使えばよいというものではありません。それは、会議で、出ないアイデアを出そうと、発想法などを使い、会議をどんどん延長したがる会社に似ています。方法は、方法などといって使っているくらいに身についていないうちは大した成果をもたらしません。
よい会議は瞬く間に時間がたつものです。そのため、長時間やってしまっても何ら疲れず、すっかり爽快なものです。これを忘れないでください。考えることも、その持続も大切です。しかし、それが行き詰ってしまった状態になったら、ストップです。頭はフリーズしてしまいます。そのことを省みて、立て直す、つまり、マイナス状態をリセットすることの方が、ずっと大切なのです。
時間が足らないのでなく、やる気やモティベーションからくる集中状態が足りないのです。もちろん、ケースによっては、能力や情報が足りないこともありますが。
頭を使って疲れているのなら、頭を休めることが一番効果的でしょう。特に仕事では、目が疲れます。そこで次のような方法を試みてください。
・仮眠する(許されるなら)
・目を閉じる
・目のまわりをもむ(顔面マッサージをする)
・首をまわす
・簡単な体操をする
・ボーっとする
・みだらなことを妄想する
・くつろげるシーンを思い出す
・自律訓練法を用いる
そのときによって、処方が違ってもよいでしょう。
26 不安を取り除く
不安は集中力を奪います。集中できなくなって、不安になることもあります。不安というのも、さまざまに要因があります。ここでは、とりあえず三つに分けてみます。
1.緊張
2.雑念
3.不調
ドキドキして不安になるなら、強い緊張のための不安です。それも怖くて、どうなるかわからないときは、心身をおびやかします。
突然の事件から人前でのスピーチまで、ひとくくりにするのは無理ですが、いわゆるあたふたする状況を思い浮かべてください。
たとえば、
1.大役をおおせつかって、完全にやらなければいけないようなケース(勝負所)…プレッシャー
2.事故やトラブルを起したケース(非常時)…危機
3.好きな人に声をかけられたケース(恋愛)…チャンス
手がつかない、地に足がつかない、ギクシャクする、能面になる、唇がふるえる、青くなる、心臓がバクバクする、頭が真っ白になる、体が宙に浮く、・・・こうなると、集中するどころではございません。平常心を失った状態ですね。
これには、深呼吸が万能薬、即効薬です。今の自分から離れる、つまり距離をおくのです。
心ここにあらず。その心を追いかける自分も不確かなのですから、こういうときは、確かなものを求めるしかありません。それは、あなた自身の体に助けてもらうのです。こういうとき、呼吸は早くなっています。天狗さまでも追いつきません。そこで天狗さまの大きなウチワであおるように、ゆったりと大きな呼吸をします。
深呼吸といっても、学校やラジオ体操で教えられたものは使えません。レントゲン写真でも、「大きく息を吸って」ムムム・・・苦しいじゃないか、となります。普通のときでも苦しいのに、緊急のときだけすぐになんて、できませんね。深呼吸のコツは、まず息を大きく吐くのです。そう、吐く。そしたら、入ってきます。吐いたら、止めないこと。止めなければ、入ってくるのです。それを続けます。暴れ馬の調教のように、そこに乗って大きな動きに合わせ、少しずつ振りを小さくしていきます。ドウドウドウと、自分の体から呼吸を通して心を落ち着けるのです。
付言すると、これは、相手が興奮しているときに、自分はゆっくりした呼吸で対応し、相手を落ち着けていくということにも、応用できます。クレーム処理のコツです。早口の人に対して、早口でまくし立てては、火に油を注ぐことになります。
27 言い訳をしない
私は、ミスしたことには比較的寛大です。ミスは誰でもします。私もします。してしまうから、ミスなのです。ミスするな、ミスしたらすごく怒られるとなると、誰もミスしないように仕事をします。ミスしないようにと厳しくすると、守ることばかりで、攻めはできません。攻めのないところ、守りだけでは、いずれ破れます。大きなミスは、大きな仕事をしようと、現状打破しないことには生じません。大きな仕事をさせようとするなら、大きなミスは覚悟しなくてはなりません。大きなミスができるほどの仕事をしようという心意気のある人を認めなくては、本当の仕事はできないからです。
逆に、小さなミスは、本人の責任です。だから、厳しく注意してよいのです。大きなミスは、私の下で起きたなら、私の責任ですから、起こらないように最善の努力はします。仮に起きたら、修復に務めます。二度と同じレベルのミスを起させないように改善します。
つまり、はじめてのミスは、ミスでないのです。しかし、そのミスが起きたにも関わらず、同種、同レベルのミスが起きたら、これはもう致命的なミスです。全ての信頼を失うと思って対処すべきです。
相手も一回目は許してくれます。しかし、二回目が起きたら、信用をしなくなるでしょう。そのために大切なことは、何でしょう。それは、報告ミスをなくすことです。報告によって、最善の予防処理をすることです。特に事実確認の報告が早く正しくなされないと、処理に誤りが生じます。二度目のミス、本当の大きなミスは、ここに生じます。
とはいえ、同レベルのミスを防ぐのに、その人のイマジネーションのあるなしで、かなり差が表われます。少なくとも、私が仕事を任せられるのは、責任感とやる気が目一杯あるのは当然のこと、自分のイメージを広げ、ミスを予防できる人です。言い訳は、この状況把握をあいまいにします。必要なのは、事実だけです。そこに責任逃れのようなものが入ると、最善の処理ができなくなります。だから、ミスの状況を把握せず、勝手に処理したり、その状況を正しく報告せず、他のせいにしたりして、あいまいにする人を私は許しません。それを認めてしまうと、今度は言い訳から考えて、言うようになります。そういう行動をとります。つまり、言い訳のできる仕事をするようになります。
私はトップですから、それはできませんが、上司のなかには、本人もそうなってしまう人も少なくありません。上司がそうなら、部下も組織もそうなります。これは、著しく、状況を正しくつかむための集中力を鈍らせます。
ピンチに対して働くべき集中力が、保身のノウハウに頼っては、もっとも大切な相手のことや将来のことを把握する力がなくなります。もちろん、保身への集中力は増すかもしれませんが、それは害になりかねません。仕事の責任に対する集中力が欠けたら、その人は使いものにならないのです。
28 よい方に捉える
何事もよくない方に考える人がいます。これでは集中力がうまく働きません。すべての案件を否定する理由探しから始めるアイデアキラーも、その部類です。
ここまで述べてきたように、これは、好きなものに集中できる、嫌いなものは集中できない、ということの応用編です。嫌いなものでも、好きなものと関連づけができると、人は集中できるものです。好き嫌いということもけっこうあいまいなものといえるからです。
犬嫌いな人が、犬好きの人を好きになって、犬が好きになったなど、珍しいことではありません。犬の悪いところでなくよいところを見るようになったからです。多くは食わず嫌いなのですから。
このモノをコトに置き換えると、好きなことに集中できる、嫌いなことに集中できない、よいことには集中でき、よくないことには集中できない、となります。このように考えてくると、ある一つのできごとをよいことととらえることの大切さがわかるでしょう。よくとらえると集中でき、悪くとらえると集中できない、となるからです。復習をしておきますと、よいことは自分が生きていくためにプラスなこと、体によい、おいしいごちそうです。悪いことは、体に悪い、まずい毒なのですから、集中するのに無理がくる、あたりまえのことですね。
ただ、事柄については、モノではないから、それがよいのか悪いのかは、その人の考え方、想像力、いや単純な思い込みに大きく左右されてしまうのです。つまり、プラス思考とか、“ポジティブ思考”というのも、こういうことを言っているわけですね。
ですから、何事もよいことと考えられる人の方が、幸せになれるのです。無理にでも、モノごとをよいことと考えられるように、習慣づけていくことです。まあ、一言で言ってしまえば、これが集中力をつける秘訣です。
絶対に悪いことでさえ、よいことに考えるには、大変なイマジネーションが必要です。起業家やアーティストは、その能力のある人です。ご心配なく、私たち凡人には、“塞翁が馬”という教えがあるでしょう。悪いことが起こったようにみえても、長い目でみると、それはよいことだったという蔵言です。
そのイマジネーションをもっとも大きく持つ人が、天下を制するのです。そして、自分の望む人生を生きられるというのは、嘘ではありません。
本で読むのは簡単、実行は難しいです。でも、無理やりでもやっているうちに、効果がでてきます。少しでも効果がでてきたら、少しずつ無理でなくなります。無理でなくできるようになったら、まあ仕事も人生も思ったよりもうまくいっているということに必ずなります。
29 考えても仕方ないことを考えない
もう一つ、大切なことは、「無理に考えて」と述べましたが、できるだけ考えない方がよいこともあるのですね。考えは、論理、言語ですから、イマイチ絵にならない、つまり、夢として、広がらないのですね。イメージを刺激したほうがよいのです。何よりも、考えても仕方ないことを考えないことが大切です。
それと、たまに悪いほうに考えるほうが、生き生きするという人や状況もあります。
「こうして、プロジェクトがつぶれたらよい」とか、「会社の業績が落ちたらよい」「あいつがいなくなればよい」という願望のようなものです。これは、一見、悪いようですが、そう思うのは、その先に何か、その人にとって、いいことがあるのですね、きっと。そのことで、「ライバルがいなくなる」「転職できる」「何か変わる」など。
でも、大抵あいまいな期待ですから、本当にそうなったら、結構困ることも多いはずです。つまり、先の先は、またマイナス、それを自分でもどこかで察している、というケースが多いので、実現しにくいのです。実現しても困ることも多いから、どこかで本気になれないのです。
私が中田英寿になれないのも、実現したら、実のところ、困るからです。でも、ちょいっと根が暗い、いじわる、誰かをおとしいれるようなのが好きな人っていう人も、けっこういるのです。悪い人?いいえ、私にも、あなたにも、そういうところはあるのです。
だからこそ、本を読んだり、自分を向上させようと、努力もしようと、少なくとも努力しなくてはと思い、がんばろうとするのですね。
私は、本当に意地悪な人というのはみたことがないのですが、先を見ない人、先の先のマイナスを読めない人は、たくさん知ってきました。というより、大半の人がそうなのですね。
そういうときは、とことん考えて、詰めていくことです。考えても仕方のないことではないからです。考え尽くしたら、もう考えなくて済むのに、中途半端に考えて、感情に振り回されている状態がよくないのです。だから、この本も大いに役立つと思っているのです。そういうケースでは、集中しても、うまくはいきません。本当にいじわるにがんばれるうちはよいのですが、そのうち、疲れてきます。いずれ、人というのは、角がとれ、丸くなってきます。生命力は、自ら生かし、仲間をも繁栄させる方向へ働くからです。人のためになることに反することは、やがて淘汰されていくのです。人は学べば成長します。
でも、偉い人でも、そのまわりの人のためばかり尽くし、将来のためや他の遠いところの人々に害を与えている人がたくさんいるのは、どうすればよいのでしょうね。自らのみの生命力を快くつなぎ、自分だけが繁殖することで、全体をフォローしない。それも人類の自然淘汰か、運命なのでしょうかね。
30 ストレス
ストレスも刺激ですから、それが全く加わらないより、加わるのはよいことです。よいですか。つまり、何事であれ、命さえ奪わなければ、起こること自体はよいことと思った方がいいのです。振幅のある人生は、人を成長させるからです。もちろん、現実にいろんなことの起こる度合いは、人によって違います。波乱万丈の人生は、いろんな出来事がふりかかってきたということもさることながら、その人の生き方、考え方、処し方が、多くの出来事も呼び込んだのには、違いありません。ストレスは、できるだけ受けない方がよい、ストレスがたまると害、のように使われていますが、本来、ストレスとは、外から加わる圧力みたいなものです。悪い意味はありません。それをよいものととるか、悪いものととるかは、あなたしだいなのです。
つまり、ストレスは悪者でないのです。言いようによっては、よいストレス、悪いストレスとあるのです。しかも、それを命名するのは、あなた自身なのです。そこを忘れてはなりません。何も起こらない、平穏無事なのがよい人生と思う人には、ストレスは悪者なのですが、そんな人生は、私には考えられません。たとえ山奥で、自給自足で一人暮らしていても、日々いろんなことが起きます。不作だったり、害虫がきたり、孤独で寂しかったり・・・。起きる起きないが問題でないのです。感じる力があれば、起きていることに気づくものです。何も感じないのなら、これは、死人と同じです。まして人の世で、他人と関わって、ストレスのないことはありえません。
つまり、ストレスの多い人は、大いに生きている証拠です。でも、そういう人ほど、苦労している、恵まれていない、不幸だと感じている、としたら、それだけが問題です。
私もいろんな仕事をしているので、少なくとも普通の人よりストレス要因が多いでしょう。でも、あるとき、大会社の社長と話していたら、「そんな数十件くらいのことで悩みなさんな。私は毎日、数百から数千のストレスを抱えている」と。
仕事が片付かない、一杯すぎてもう入らないといってくる社員がいます。「おたくの社長は、自分の仕事が少しも片付かなくても、次の仕事をとりに奔走しているんだぞ、あなたの仕事をとりにね」といいます。私にとっても、仕事が片付いたという状態は、廃業を意味します。顧客から、もう「あなたの仕事は終わった」といわれたら、喜べません。収入の道も一つ、絶たれたことになります。死ぬまでに一度、仕事が全て片付いたという状態を味わってみたいものですが、私には、それは人生が終わったに近いかもしれません。やりたくなくても、やりたくてやっているところもあるのが仕事ですから、この楽しいことを与えてくれる機会も終わるとしたら、どうなるのだろうと思ってもいるのです。
だから、私はいつも片付くまえに次の仕事をつくります。それは自ら、次のストレスを常に呼び込むことになります。まして、大きな仕事や、無理な仕事となると、いつでもストレスはつきものです。
でも、ストレスのない仕事、たとえば、二十歳の頃にできた仕事を今も同じようにあげるのなら、つまらないでしょう。「十年前の本をもう一度、原稿用紙にそのまま写してください。」と言われたら、今の私にはかなりつらい仕事になります。時間だけ奪われるストレスは、嫌なものですから、それが役立つ誰かに任せるでしょう。
そういうことをせずに済ますには、自ら、年月とともに、成長し力をつけるしかないのです。より大きなストレスを何とも思わないように、より楽しめるような自分の力をつけるしかありません。
今回の集中力のテーマは、私にとっては、集中力が昔に比べて増したか、落ちているのか、集中力を出せる条件を整えたり、その状態を持ってくるのに、昔よりも本当に熟練したかを試すよい機会です。書きながら、こうして楽しんでいます。
本を書くには、やっぱりストレスが伴うし、集中力がいるもんだなと、実感しながら・・・。ともかく少しでも早く脱稿したい!と、モティベートをかけつつ。お仕事って、そういうものです。
31 集中力とリラックス
集中力とリラックスの関係を、相関していると思う人と、反すると思う人がいます。
集中すればリラックスできないと思う人は、きっと集中を悪い緊張として捉えているのでしょう。
スポーツなどで考えればわかりますが、全力を出すのは、力が働くことですが、それは、力を入れることとは違います。力が入るのは、初心者です。上級者は力を抜きます。
なのに、なぜ力を入れてしまうのかというと、力を抜くには、充分に力を働かせられる力がいるからです。少しややこしいですが、力を抜くのに、力が入ってしまうのは、プロセスにおいては仕方がありません。必要悪と思ってもよいでしょう。力を抜いて走ったら、私たちは遅くなりますね。力を入れた方が仕事も少しよくなります。ところが、そこで限界がきます。力を入れることでフォームが維持できなくなるからです。つまり、持続ができなくなります。
アマチュアは、力を100%出そうとしますが、プロはできるだけ力を使わずに、同じ以上の仕事をします。アマチュアは、その日に燃え尽きても許されますが、プロはその次の日のことも、その先も考えなくてはなりません。レアなケースさえ想定します。100%目一杯出すと、万一のフォローができないからです。非常時に120%出せるように考えます。リスク管理まで考えてこそ、プロです。
それに力が入りすぎては、本当によいものはできません。一点集中は、一人よがりになりがちなのです。そこで八方集中をマスターすることをお勧めしたいのです。
集中というのも、集中力っていうくらいですから、力です。本当に集中するには、リラックスが必要なのです。リラックスすると、集中できないという人もいます。その人は、リラックスをうたたね気分のようなものと思っているのかもしれません。もちろん剣の達人とやらなら、うたたねしていてもやられません。しかしそれは、周りに気を張りめぐらせ、瞬時に戦える体制をとっているからでしょう。うたたねでも、気を抜いてはいないのです。リラックスとは、心身がただ弛緩しているのではありません。むしろ、リラックスとは、自分の力を最高に発揮できる無我の境地とでも思ってください。冷静に集中している、そう小さな石が落ちても波紋が広がるくらいに、澄んだ水面のようなものと考えてください。すると、リラックスと集中力は強く結びつきませんか。集中のために禅(座禅)を取り入れている人がいるのもそのためでしょう。
32 莫妄想 他人のこと
雑念でもっとも大きいのは、他人のことです。特に他人が自分のことをどう思っているのか、どのようにいっているのか、そういうことが気になる人は、とても気になるものです。気にすることは、悪いことではありません。
なぜ気になるのかというと、やはり生きていくために必要な情報だからです。身近な人のことほど、関わる度合が大きいから、気になるものでしょう。
あなたのお姑さんが、あなたのことをいちいち何と言っていようと、私は全く気になりません。あなたのことを知らないからです。まして、そのお姑さんに私は関心のもちようがない。彼女が私の人生に関わってくるとか、影響を与える可能性もほとんどないからでしょう。仮に詳しい彼女の情報が入手できても、私にそれをどうしろっていうのでしょう?ただ、私の本の読者であるあなたが、あれこれ、この本について言うことは、少しは関心があります。あなたがそれをお姑さんに言ったら、お姑さんから「馬鹿ね、そんな本読んで。あなたもあなたなら、著者も著者よ」って、一刀両断されたとしたら、どうでしょう。
あなたと私が仲間になって切られたとしても、私は大して傷つきもしません。何を言われても、どーしようもないのが、著者の運命です。もっともそんなことに関わってもいられない、というより、どう関われっていうのですか?つまり、他人ですから、他人の言っていることは必要以上に気にしない。それで私の心の平安も保たれるのです。先に、波乱万丈の人生はよしとも述べました。しかし、いたずらに自分の心を傷つけていく必要はありません。そんな人もいるんだ、そんなこともあるんだね、で済ませればよいのです。
ところが、人間というのは、それを生きるために必要な情報としてとるのですな。つまり、気にして対処しようとする。もちろん、よいことでもあります。そこで、わが身を反省して行いを正すとするのなら。
でも、仮に、そう聞こえてきたからって、必ずしも相手がそう思っているわけでもありません。人間ですから、つい口がすべって、あるいはおもしろおかしく、その場をつくろうこともあるでしょう。そんなこと一つひとつに几帳面になっていたら、心身がボロボロになります。そうならないように、集中力が鈍くもなり、モノごとも忘れるように、人間はつくられているのです。ですから、許してあげましょう。気にせねばよいのです。
気にして関わると、さらにまた気になり、悪循環に入るからです。気にする、相手を警戒する、それが何となく伝わる、あなたを相手もよく思わなくなる。こうして、被害妄想のように、急に関係の悪化が広がってしまうのです。
本人に面と向かって文句を言ったり、独り言でいう人は、そうはいないはずです。大体、聞こえてくるとしたら、どこかの群れからでしょう。そう、人間って、ヒマになると、悪いことを考えるんですね。
つまり、ヒマ、何もしない、これでは集中力も働かず、命にもよくないから、刺激を求めるわけです。エネルギーが余っているからです。いわゆる不良と同じです。
そして、吐け口を仲間に求める。だから、悪口のスケープゴートになる人が必ず出てしまうのですね。日本では、いじめにも似たパターンで起こることが多いようです。目的も不明確で、その根拠がないから、集団でやって、その罪悪感や責任を逃れあうのです。でも、人のことを気にしたら負け、ゴシップにゴシップで対抗しようなんて、マイナスの論争に入ったら、お互いに消耗していくだけです。
人のうわさになっていたら、あなたがちゃんと生きて、目立っちゃっているからだと思ってください。反省したり、自分を攻めたりしなくてもよいのです。自分が正しく思う道を行くことです。他人の集中力を、嫉妬やねたみの低いレベルで向上させてあげていると思えば、腹も立たないでしょう。あなたの集中力をそんなところに消耗させないことです。自分が関わりたくなくとも、関わってくる人もいます。それもまた、ご縁ですが、気にしたくなければ、通りすごしてしまえばよいのです。
あなたが集中したいほどの相手なら、決してあなたは、不快には思わないでしょう。そう思われるような人になりましょう。
33 ことばの配線を変えよう
ものごとというのは、先述したとおり、それ自体によしあしはありません。それに関わるのが、あなたならあなたが、よいとか悪いとか決めていくのですね。よしあしを決めるといったときから、何ら分け隔てのなかったものごとが、山と平野のように、手のひらと指のように、ことばで命名されることで分けられてしまうのです。ことばは、人間の発明のもっとも大きなものの一つです。ことばをうまく使えれば、仕事も人間関係もスムーズにできます。ことばに実体はありません。ですから、ことばとは、もののイメージを引き出すキイワードです。もののイメージ(色、形、重さ、働き)などをすぐに伝えるためのキイワードなのです。パソコンでいうと、ショートカットキィ、キィボードのキイのことです。具体的なものがそこになくとも、ことば一つで簡単に、世界各国の製品が注文したら入手できるのです。
幼い頃から結ばれた配線回路で、私たちの大半は入力に対して決まった行動をとります。シナプスが情報を伝えるのに、そこは慣れたもの、ショートカットして無意識でもうまく動けるようになります。
ボーっとして歩いても、会社や学校には、無事に歩いてたどり着きますね。体が覚えているとは、こういう状態です。ことばとイメージの結びつきが、必ずしもいつも正しいというわけではありません。組み換えをしても、成立します。過去のその体験が強いとか、繰り返されているほど、結びつきは太く、再現しやすくなっています。しかし、状況が変わると、一転します。落とし穴に落ちる。また、それが正しく結びついていないことも少なくないのです。その人の思いで、結びつきが決まるのですから。ことばはイメージのキイワードです。ただ、そこでマンネリ化しては、真にことばは正しく働きません。
34 集中するにもバランス感覚を
集中すべきこと以外には、とても鈍いのも、一点集中力のある人の特徴ですね。それゆえ、許され、それゆえ愛されるあなたともいえます。何事にもはまるというのは、三昧(ざんまい)の境地です。と同時に、どこかに大きな隙ができるのです。鋭いのは大切ですが、感じすぎたり、読めすぎることは、まわりとの軋轢も生みます。またその分、敏感なので、自分自身の心身への影響も大きいでしょう。感性の鋭い人は、それもまた生きるには大変なのです。
私が見てきて、早熟な人にそういうことが多く、それゆえ、ロングスタンスの勝負に弱い、短距離ランナーになりかねません。よほどうまく処していかないと、若いときにうまくいった人ほど、そのあとは大変になります。まあ、そのように、人生はうまくできているのです。